遠藤周作「沈黙」を徹底解説する(1/2)〜前提知識編〜

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  • Опубликовано: 10 сен 2024
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    • 遠藤周作「沈黙」を徹底解説する(2/2)〜本編〜
    遠藤周作の小説「沈黙」を徹底解説します。
    日本人には、なかなかとっつきにくいテーマ、キリスト教。
    小説「沈黙」は、「キリスト教」「遠藤のキリスト教観」を理解すると、より深く読み込めるようになると思います。
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    #沈黙 #サイレンス #遠藤周作 #書評

Комментарии • 7

  • @user-ee2qi6kl3v
    @user-ee2qi6kl3v 5 месяцев назад +3

    学生時代に読みました〜。記憶違いかもしれないけど、最後が切なかった覚えがあります。また読んでみたいと思います!

  • @mamigon0525
    @mamigon0525 3 года назад +6

    もう40年位前になるでしょうか?
    拝読しました。
    遠藤さんは沈黙に書くにあたって
    キリシタンころび紋章 を見せて貰う為にお寺に行ったそうです。
    多分 西勝寺?だったと思います
    (長崎 上町)
    彼の熱意が伝わります。
    品川さんのお話を聞いてまたよんでみようと思いました。

    • @ngsk
      @ngsk  3 года назад +1

      コメントありがとうございます(^^)
      そうです!西勝寺に遠藤さんは取材に行かれていますよね。
      ちなみに、映画もかなり見応えありましたので、こちらもぜひ!

  • @jiyujizai
    @jiyujizai Год назад +2

    大事なところです。🙄

  • @moto_arch_mage6770
    @moto_arch_mage6770 3 года назад +16

    映画の内容自体は良かったですが、背景が完全に間違ってた映画でしたね。
    私は九州出身ですが、当時のキリスト教(カトリックによる東方十字軍)の残忍さを知ってますよ。
    「異教徒は人間ではない」なので、何をしても良い。それがカトリックです。
    インカやアステカ、中東のイスラームに対して行っていたことを、日本でも行っていました。
    「死者も生者ともにこの世での行いにもとづいて裁かれ、
    義なる者(キリスト教徒)は天国に迎えられ、不義(異教徒)なる者は
    地獄の火に投げ込まれる」(黙示録 20--12)。
    異教徒(仏教徒、神道を尊重する人々、つまり日本人)は、不義(異教徒)なる者、です。
    地獄の業火に投げ込むのが「正義」であり、経験な信者(カトリック)の義務でした。
    その結果、彼ら(カトリックと、カトリックに改宗した日本人達は)神社仏閣を焼き払い、
    仏教徒に棄教を迫り、拒否すれば殺し、焼き、奴隷として海外に売りました。
    「島原」は、当時「海外に売る日本人奴隷」の一大拠点でした。
    その先鋒として来ていたのがイエズス会であり、スペインであり、ポルトガルだったわけです。
    こんな「蛮行」、日本を統一した秀吉からすれば看過できません。
    (寺社の破壊、天皇の赤子である”日本人”の奴隷売買を黙認すれば、天皇から頂いた関白、太閤としての権威に関わる)
    映画では、カトリックが弾圧されているように描かれていますが、
    実際に弾圧していたのは、カトリック側です。
    ちなみに、秀吉の怒りを知ったポルトガルは、奴隷貿易を一時期控えることになります。
    (すぐに陰でコソコソ再開したため、これも秀吉の怒りを買った)
    スペインとイエズス会は、秀吉の警告を無視して日本人の奴隷貿易に奔走し、遂に豊臣秀吉は「バテレン(カトリック)追放令」を発するわけです。
    補足で、同時期に16世紀末から17世紀初頭はオランダ、イングランドも日本に来ています。
    オランダはカトリックでは無く、プロテスタント。
    プロテスタントを簡単に言えば、「聖書は自ら読み、信じる」信仰形態です。
    なので、カトリックのように「宣教」しません。
    改宗を強要しませんし、奴隷貿易より秀吉・幕府との直接「交易」に寄って得られる金銀を重視していました。
    江戸時代になってもオランダと日本に国交が有った理由です。
    イングランドも同様にプロテスタントなので、当初は交易を行っていましたが、
    後に王室がスペイン王室と婚姻関係を結んだため、「カトリック勢力」と判断され放逐されます。
    江戸時代、三代将軍家光の時代に、ようやく「バテレン(カトリック)追放」が完成し、鎖国体制に入るわけですが、
    日本はカトリックに対して「鎖国」したのであって、大清国、李氏朝鮮、オランダとは普通に交易しています。
    狂信的なカトリックに対して、門戸を閉ざしたのです。
    世界史を知っている方はご存知でしょうが、同時代「30年戦争」が始まります。
    カトリック、プロテスタントによる宗教戦争です。
    日本は、オランダと「交易を行う」事で、プロテスタント寄りの「武装中立」を保ちました。
    (安土・桃山から江戸初期の日本は、世界最大の鉄砲保有大国)
    そういった背景がある、ということです。

    • @ezaki8229
      @ezaki8229 Год назад +5

      当時を知ってるって、、一体何歳なんだ、、、

    • @ckhvklbff
      @ckhvklbff 4 месяца назад +4

      当時のキリスト教の残忍さだけに囚われて、この動画主様の趣旨をまったく理解していないような気がします。