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高浜虚子の句「大空に湧き立つてをる新樹かな」正しくは「大風に湧き立つてをる新樹かな」です大変申し訳ありませんでした🙇♀
大空では単位的ですか、大風なら生命力を感じます。ふと感じただけです。あしからず。
新樹並びなさい!この句好きです。会話の中に優しさが溢れているのがとても良いです。
いつもながらありがとうございます❤
植山露子?私と同じ名前驚き。🎉なくなった姉がつけてくれました、今俳句やりたい気持ちとできないが交差しています、コロナの前にかじっていました、東京都に引っ越して来ました、先生をさがしています、今日は俳句に出会えて嬉しかったです、有難う❤
「新樹」という季語の類型の比較など、また勉強させていただきました。椎本才麿等の元禄時代の句が今でも新鮮味を失わないことに対するドナルド・キーン氏の名言も、有難くいただきました。有難うございます♪✨ 籐後左右のようなおおらかな句は私も好きで、作りたいのですけれど、いざ作ってみると稚拙になってしまいます。家族や友人が付き合って面白がってくれる程度で… 😅 それを覚悟でいつかここでも作ってみたいと思います。🐒「どの組の窓も新樹の二本づつ」どの教室の窓からも堂々とした大木が二本見えるという学校。老木のような気がします。席替えがあっても進級してもいつもその二本の木が見守っていてくれていた。そんな思い出が語られているように思いました。感慨深いですね。🌳🥲🌳
桉音さん、拙句への素敵な鑑賞をありがとうございます。籐後左右のような会話調の句は、確かに作者が気付かぬ内に稚拙になったり或いは独りよがりで意味が通じにくくなったりしがちで、それなりの難しさがありますね~。
新樹の俳句の数々から香りが立ってくるようでした。有難うございました♪「若葉」を用いた俳句を作ってから、後で「新樹」の方が良かったかな、とかいい加減にごちゃ混ぜにしてました。青葉若葉という言い方もあるし、結構ややこしい… 考え出したら何も作れなくなってしまうので、一句の中の世界がそれなりにしっくりした形になっていればそれでいいか、と感覚に頼ることにしました。この服にはこのスカーフと靴、みたいな。籐後左右の「新樹ならびなさい写真撮りますよ」この「ますよ」では坪内棯典の「ですよ」を思い出します。俳句に直に話しかけられているような身近さと新鮮さにはつい微笑んでしまいます。その新鮮さのシンボルのような新樹。擬人化だとしたら、新入生、成人式、新社員、もしかすると新郎新婦かもしれない。皆今から将来を担う初々しさ、逞しさ、希望が溢れていて、まさに新樹のようなって人達。水原秋桜子の「夜の雲に噴煙うつる新樹かな」雄大な珍しい光景ですね。「噴火」とはなくて「噴煙」とありますけど、夜の雲を照らすほど火の粉が混っているのでしょうか。一度見てみたいです。植山露子の「窓の新樹消さむとしたる灯を向けぬ」作者の背景を知って読むと胸が痛みます。知らずに読むと風流な、感性の豊かな長閑な雰囲気が漂うのですけれど… 健康であれば「新樹」の持つ「若さ」「希望」の真っ只中にある作者の縋るような想いが窺われるのです。「灯」はまるで自身の命のようです。🙏雨光る袈裟に新樹の大聖堂かしこまる新樹浄むる雨のすじ
桉音さん、こんにちは。言われてみれば、籐後左右の「ますよ」の句は確かに坪内棯典先生のあの独特の軽みの効いた句趣と通じる所がありますねー。両御句、新樹に囲まれた古刹での法要の情景でしょうか。明るい雨の中で敬虔な祈りを捧げている作者と僧の姿が目に浮かびましたね。
@@benikuzutobe 紅屑さん 拙句へも素敵な鑑賞どうも有難うございます。私は不埒者でございますけれど、歴史の感じられる大寺院は見るだけであたかも敬虔になったような錯覚を受けるものです。特に雨上がりに輝く新緑に包まれている姿には静かな感銘が心に広がります。✨🌳✨
こんにちは~。今回も素晴らしい朗読と深い鑑賞をありがとうございます。 d(^-^)/季語「新樹」、この言葉自体は結構古くからあったのですねー、これは意外でした。似たような季語で「新緑」は風景全体に、「若葉」は一枚一枚の葉に、そして「新樹」は樹木の全体を指して、夫々フォーカスを絞る感じというのが再確認出来て勉強になりました。ところで「夏木」と「夏木立」、「囀」と「百千鳥」みたいな、単数と複数の差を詠み分けての「新樹」を簡潔に言い表すにはどういう措辞を用いれば良いのでしょうねー、ちょっと気に成るところですw。・(1:56)「白雲を吹尽したる新樹かな 椎本才麿」の句ですが、ちこさん同様、作者が江戸期の芭蕉と同時代の人物と知って吃驚ですねw。句情の何と新鮮で瑞々しく、現代人風に詠まれている句なのでしょうか。ドナルド・キーン氏の『人も自然も、当然草枕も時代が進むにつれて変わっていってしまうが、しかし詩歌だけは一切不変でそのまま遺る』という名言を思い起こさせる名句だと思いますねー。・(5:31)「新樹ならびなさい写真撮りますよ 藤後左右」の句ですが、これは正に”一読破顔”の句、滑稽味もある何とも言えない明るさのある句で、好きな句ですねー。こういう句を私も一度詠んでみたいと思ってしまいました。(実際は難しいのでしょうけどねw。)どの組の窓も新樹の二本づつ 紅屑φ(- - )
高浜虚子の、大空に湧き立っている新樹かな の,大空 ではなく、「大風」 ではないでしょうか?返答お願いします
こんにちは~。私も虚子の例句を確認してみたのですが、仰る通り「大風」が正しい様ですね。ちこさんの動画編集時の誤植かと思われます。
大変申し訳ありません🙇♀️間違っていました。教えていただいてありがとうございます。
紅屑さん、いつもフォローありがとうございます。感謝です🙏
高浜虚子の句
「大空に湧き立つてをる新樹かな」
正しくは
「大風に湧き立つてをる新樹かな」です
大変申し訳ありませんでした🙇♀
大空では単位的ですか、大風なら生命力を感じます。ふと感じただけです。あしからず。
新樹並びなさい!この句好きです。会話の中に優しさが溢れているのがとても良いです。
いつもながらありがとうございます❤
植山露子?私と同じ名前驚き。🎉なくなった姉がつけてくれました、今俳句やりたい気持ちとできないが交差しています、コロナの前にかじっていました、東京都に引っ越して来ました、先生をさがしています、今日は俳句に出会えて嬉しかったです、有難う❤
「新樹」という季語の類型の比較など、また勉強させていただきました。
椎本才麿等の元禄時代の句が今でも新鮮味を失わないことに対するドナルド・キーン氏の名言も、有難くいただきました。有難うございます♪✨
籐後左右のようなおおらかな句は私も好きで、作りたいのですけれど、いざ作ってみると稚拙になってしまいます。家族や友人が付き合って面白がってくれる程度で… 😅 それを覚悟でいつかここでも作ってみたいと思います。🐒
「どの組の窓も新樹の二本づつ」
どの教室の窓からも堂々とした大木が二本見えるという学校。老木のような気がします。席替えがあっても進級してもいつもその二本の木が見守っていてくれていた。そんな思い出が語られているように思いました。感慨深いですね。🌳🥲🌳
桉音さん、拙句への素敵な鑑賞をありがとうございます。
籐後左右のような会話調の句は、確かに作者が気付かぬ内に稚拙になったり或いは独りよがりで意味が通じにくくなったりしがちで、それなりの難しさがありますね~。
新樹の俳句の数々から香りが立ってくるようでした。有難うございました♪
「若葉」を用いた俳句を作ってから、後で「新樹」の方が良かったかな、とかいい加減にごちゃ混ぜにしてました。青葉若葉という言い方もあるし、結構ややこしい… 考え出したら何も作れなくなってしまうので、一句の中の世界がそれなりにしっくりした形になっていればそれでいいか、と感覚に頼ることにしました。この服にはこのスカーフと靴、みたいな。
籐後左右の
「新樹ならびなさい写真撮りますよ」
この「ますよ」では坪内棯典の「ですよ」を思い出します。俳句に直に話しかけられているような身近さと新鮮さにはつい微笑んでしまいます。その新鮮さのシンボルのような新樹。擬人化だとしたら、新入生、成人式、新社員、もしかすると新郎新婦かもしれない。皆今から将来を担う初々しさ、逞しさ、希望が溢れていて、まさに新樹のようなって人達。
水原秋桜子の
「夜の雲に噴煙うつる新樹かな」
雄大な珍しい光景ですね。「噴火」とはなくて「噴煙」とありますけど、夜の雲を照らすほど火の粉が混っているのでしょうか。一度見てみたいです。
植山露子の
「窓の新樹消さむとしたる灯を向けぬ」
作者の背景を知って読むと胸が痛みます。知らずに読むと風流な、感性の豊かな長閑な雰囲気が漂うのですけれど… 健康であれば「新樹」の持つ「若さ」「希望」の真っ只中にある作者の縋るような想いが窺われるのです。「灯」はまるで自身の命のようです。🙏
雨光る袈裟に新樹の大聖堂
かしこまる新樹浄むる雨のすじ
桉音さん、こんにちは。
言われてみれば、籐後左右の「ますよ」の句は確かに坪内棯典先生のあの独特の軽みの効いた句趣と通じる所がありますねー。
両御句、新樹に囲まれた古刹での法要の情景でしょうか。明るい雨の中で敬虔な祈りを捧げている作者と僧の姿が目に浮かびましたね。
@@benikuzutobe 紅屑さん 拙句へも素敵な鑑賞どうも有難うございます。私は不埒者でございますけれど、歴史の感じられる大寺院は見るだけであたかも敬虔になったような錯覚を受けるものです。特に雨上がりに輝く新緑に包まれている姿には静かな感銘が心に広がります。✨🌳✨
こんにちは~。今回も素晴らしい朗読と深い鑑賞をありがとうございます。 d(^-^)/
季語「新樹」、この言葉自体は結構古くからあったのですねー、これは意外でした。似たような季語で「新緑」は風景全体に、「若葉」は一枚一枚の葉に、そして「新樹」は樹木の全体を指して、夫々フォーカスを絞る感じというのが再確認出来て勉強になりました。
ところで「夏木」と「夏木立」、「囀」と「百千鳥」みたいな、単数と複数の差を詠み分けての「新樹」を簡潔に言い表すにはどういう措辞を用いれば良いのでしょうねー、ちょっと気に成るところですw。
・(1:56)「白雲を吹尽したる新樹かな 椎本才麿」の句ですが、ちこさん同様、作者が江戸期の芭蕉と同時代の人物と知って吃驚ですねw。句情の何と新鮮で瑞々しく、現代人風に詠まれている句なのでしょうか。ドナルド・キーン氏の『人も自然も、当然草枕も時代が進むにつれて変わっていってしまうが、しかし詩歌だけは一切不変でそのまま遺る』という名言を思い起こさせる名句だと思いますねー。
・(5:31)「新樹ならびなさい写真撮りますよ 藤後左右」の句ですが、これは正に”一読破顔”の句、滑稽味もある何とも言えない明るさのある句で、好きな句ですねー。こういう句を私も一度詠んでみたいと思ってしまいました。(実際は難しいのでしょうけどねw。)
どの組の窓も新樹の二本づつ 紅屑φ(- - )
高浜虚子の、大空に湧き立っている新樹かな の,大空 ではなく、「大風」 ではないでしょうか?
返答お願いします
こんにちは~。私も虚子の例句を確認してみたのですが、仰る通り「大風」が正しい様ですね。ちこさんの動画編集時の誤植かと思われます。
大変申し訳ありません🙇♀️間違っていました。
教えていただいてありがとうございます。
紅屑さん、いつもフォローありがとうございます。
感謝です🙏