【豪農の館】武田家家臣馬場美濃一族 馬場家 長野県松本市

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Комментарии • 9

  • @Eiko-k1o
    @Eiko-k1o 5 месяцев назад +1

    維持していくのだけで、えらそぅ〜

    • @ファンタ-j2g
      @ファンタ-j2g 3 месяца назад

      島根県吉田町の田部家は所有する土地が田畑もありましたが、殆ど山林だったので、農地改革を乗り越えて、林業以外に外食産業や養鶏業、建設業、酒造業、最近では本来の生業だった製鉄業を復活、包丁やパターなどを作っています。そのようにして、家業を会社組織にして、利益出せば家も残るでしたが、そうでなければ維持管理が大変で、自治体や国に預けるか、民間企業にホテルや結婚式場として、使ってもらうか、自ら財団法人か何かの法人を作って博物館や美術館にしないと無理でしょうね。
      実際、既に売り家にしてテレビやyoutuberが訪れたり、或は廃墟になってしまってる家あるので主要な土地が田畑だった場合は戦後生活が困窮したでしょうね。

  • @さかとajt
    @さかとajt Месяц назад +1

    これくらいの豪農の嫁だと 農作業しなくてよいのですか?

    • @歴史街道人に道あり道に歴
      @歴史街道人に道あり道に歴  Месяц назад

      @@さかとajt 知りません

    • @ファンタ-j2g
      @ファンタ-j2g Месяц назад +2

      家によるのではないですか?
      自ら耕作したかも知れないし、事務方だったかもしれませんね。
      当主も、各小作人や統治している村への伝達、帳面への記帳、裁判、金貸しだけだったかもしれませんね。実際耕作するのは小作人だったかもしれません。
      女中や下男が何人もいて、掃除や食事は雑用係がしていたとかあるでしょう。
      渋沢家は、当主や家族も多分耕作していて、藍玉を当主が作って、藍の買い付けや藍玉の販売等は当主がしていたと思いますよ。

  • @ノンアルコール-j8h
    @ノンアルコール-j8h Год назад +1

    昔の庶民の暮らしに興味があり拝見しましたが、暮らしについてはスルーしているんですね。建築技術を見せたいのでしょうか?だったら、武家屋敷や城の方が面白いように感じました。うーーーん😅

    • @歴史街道人に道あり道に歴
      @歴史街道人に道あり道に歴  Год назад

      そうか、昔の人の暮らしか。それも歴史街道の一部かも知れませんね。今まで考えてない視点だな。自分は農家の経験がないので聞きますが、例えばどんなことを知りたいですか?

    • @だよしゅうぞう
      @だよしゅうぞう Год назад +2

      庭 建物 この 景色❗ 昔の人の 息遣いが 感じられますね❗

    • @ファンタ-j2g
      @ファンタ-j2g 2 месяца назад

      暮らしは豪農とか、大庄屋だから小作人抱えて、小作人が作った米穀販売したり、加工して酒、味噌、醤油販売したり、養蚕、大麻栽培、藍の栽培加工、金貸し、運送業とかじゃないですか?
      女中や下男もいたでしょうし、敷地に、蔵や藍工房、織物等工場制手工業の工房等かあれば、労働者が働いていたでしょうね。
      村々束ねたり、近隣農家の農作物買い取ったり、肥料販売していたなら、帳面つけていたでしょうから、番頭さんとかいたでしょうね。
      警護の門番とかもいたかもしれません。
      私が訪ねた兵庫県の豪農は酒つくりと金貸しが経営の柱で、子供一人一人に女中がいたとか、別の豪農は綿花の栽培と金貸しが経営の柱でしたね。