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タンゴ、レックス、ビゴー、SLE、Fujitake,、懐かしのトランス群ですね。
「初ラ」のこの記事、はっきり覚えています。回路図がカラーになったころですよね。懐かしかったです。同じころ、私は6CA10PPのアンプを作りました。やはりタンゴのトランス。FWというシリーズの50W型。モノラル二台。音楽好きの高校の恩師に頼まれ部品代出してもらって。納品するまで自宅で一か月ぐらい聞いていました。いまごろ、どうなっているかなあ。先生、亡くなってるし。
ミヤチャンこんばんわ、なつかしい東芝の6GB8ですね、この球は東京オリンピックのPAに使用されていたそうで、故伊藤喜多男先生が、そうおっしゃっていました。最後にメーカーから製品に使用されていたのは、DENONの1000Bパワーアンプですね、電流の大飯ぐらいでモノラルPPアンプでも250mAは最低でも確保しないと大入力・大音量で鳴らすと真空管のグリッドの光がフラッフラッッとヨレヨレになる面白い現象が出ることを思い出しました。こういった現象はロックコンサートでの真空管ギターアンプでも出る現象です、大音量使用時にね。6GB8は音の良さでは比べるものがない名球ですね。
6GB8を三本使った500Vの実験用電源ジャンクを持ってます。重い!!
40年前、埃をかぶったLUX MB8Aを1000円で手に入れました。6GB8 ppなアンプなのですが、パワー管の1本が割れていまして、6CA7 ppのステレオに改造しました。5AR4が二本刺さっていたので、その穴を利用しソケットを替えて4本立てにしました。アウトトランスのもう一個は、ラジオデパートのノグチトランスに行き同じものの後継種を入手しました。
丁度50年前の雑誌ですね。
宮甚さんと私は年も近いし、やっていることも似ていますね。
なるほど私も作りたいアンプがあるんですが、少し高くなるんで
懐かしい「初歩のラジオ」終盤の何冊かは本棚に残っています。子供時代に真空管アンプの製作はハードルが高かったですね。2~3石ラジオが関の山でしたね。
カソード抵抗のバラツキも気になるところですが、宮甚さんのことですからちゃんと計られた上で敢えて編集で省略された、というのが伝わてきます。
シンプルだけど、中々渋くて、かっこいいですね。
6GB8でPPモノラル2台を左右対称に作ったんですねカッコ良いです。でも間違えそう。
6GB8は当時何でも世界一にの気概で東芝開発、6CA7を越えたと言っていましたね。NECでは確か6R-B10と言うミニチュア管で6BQ5を越える出力と謳って、実証記事が出たりしました。トランスはSELや浅川電気のATOM、平田電気のタンゴ。タムラは高級のイメージ。しかし私は電源、出力共にピッチが出てしまう事故がありました。錦水電機LUXは使いませんでしたが断線は多かったですね。
初歩のラジオは私も当時愛読していました。といっても、自分で買ったのではなく、友達からの譲り受けで、ボロボロになるまで読んでいました。6GB8を使ったモノアンプなんて、とても初歩のラジオとはいえませんね。宮甚さんは当時、相当の小遣いを持っていたようで、私など6BQ5シングルのアンプが作れればいいほうでした。50年前のアンプとはいえ、何度か手を入れているようで、部品類が新しい?ですね。当時なら、コンデンサーはオイルかペーパーコン、抵抗はL型、ブロックの電解コンデンサーも大容量は無かったですね。タンゴのトランスが懐かしいですが、LUXやサンスイは買えなかったですね。そして、ケースはLEADか鈴蘭堂。それにしても、長く使えるものですね。感心しました!
宮甚さんは物持ちが良いですね。
6GB8…。真空管終末期の昭和40年代当時、現在見る影も無い”世界の名門東芝”が開発した最後の?名球と云われ、無理してpp100Wの6CA7を凌ぎ、無理せずpp100Wの出力管として威厳があり、高価で手が出ませんでした。後の47年バンド時代、ベース奏者から当時”洋服ダンス”と呼ばれた30センチ・スピーカー6個!装備のエルク最大級100Wギター・アンプ「バイキング100」(当時価格12万円位?)を譲り受け演奏していました。これの出力管が”あの6GB8”であったような記憶があります(6CA7だったかも?)。真空管一球一球に色々思い出があります。…また長くなりそう…。
結局大きな故障もなく球アンプは丈夫ですね!6GB8の3極管接続だからDFも効いててビートルズとか良さそうですね。
当時の初歩のラジオは、初歩と言いながらかなり高度な内容でしたね。当時わからないことがあると誠文堂に電話すると筆者の電話番号教えてもらえたまったりとした時代でした。それにしてもオイルショック頃に6GB8PPを製作できる財力の子供は多くなかったはずですよ(笑)6GB8は東京オリンピックに向けて東芝が開発で別名オリンピック球と言われていますね。PAは日本無線と両社の現在の工場跡を見るとなんとも言えない寂しい気持ちになります。
初歩のラジオ1972年1月号は、私も持っています! 残念ながら当時のお小遣いでは、片チャンネル分(1台)すら作ることができませんでした(泣)
こんにちは
タンゴ、レックス、ビゴー、SLE、Fujitake,、懐かしのトランス群ですね。
「初ラ」のこの記事、はっきり覚えています。回路図がカラーになったころですよね。懐かしかったです。同じころ、私は6CA10PPのアンプを作りました。やはりタンゴのトランス。FWというシリーズの50W型。モノラル二台。音楽好きの高校の恩師に頼まれ部品代出してもらって。納品するまで自宅で一か月ぐらい聞いていました。いまごろ、どうなっているかなあ。先生、亡くなってるし。
ミヤチャンこんばんわ、なつかしい東芝の6GB8ですね、この球は東京オリンピックのPAに使用されていたそうで、故伊藤喜多男先生が、そうおっしゃっていました。最後にメーカーから製品に使用されていたのは、DENONの1000Bパワーアンプですね、電流の大飯ぐらいでモノラルPPアンプでも250mAは最低でも確保しないと大入力・大音量で鳴らすと真空管のグリッドの光がフラッフラッッとヨレヨレになる面白い現象が出ることを思い出しました。こういった現象はロックコンサートでの真空管ギターアンプでも出る現象です、大音量使用時にね。6GB8は音の良さでは比べるものがない名球ですね。
6GB8を三本使った500Vの実験用電源ジャンクを持ってます。重い!!
40年前、埃をかぶったLUX MB8Aを1000円で手に入れました。6GB8 ppなアンプなのですが、パワー管の1本が割れていまして、6CA7 ppのステレオに改造しました。5AR4が二本刺さっていたので、その穴を利用しソケットを替えて4本立てにしました。アウトトランスのもう一個は、ラジオデパートのノグチトランスに行き同じものの後継種を入手しました。
丁度50年前の雑誌ですね。
宮甚さんと私は年も近いし、やっていることも似ていますね。
なるほど私も作りたいアンプがあるんですが、少し高くなるんで
懐かしい「初歩のラジオ」終盤の何冊かは本棚に残っています。子供時代に真空管アンプの製作はハードルが高かったですね。2~3石ラジオが関の山でしたね。
カソード抵抗のバラツキも気になるところですが、宮甚さんのことですからちゃんと計られた上で敢えて編集で省略された、というのが伝わてきます。
シンプルだけど、中々渋くて、かっこいいですね。
6GB8でPPモノラル2台を左右対称に作ったんですねカッコ良いです。でも間違えそう。
6GB8は当時何でも世界一にの気概で東芝開発、6CA7を越えたと言っていましたね。NECでは確か6R-B10と言うミニチュア管で6BQ5を越える出力と謳って、実証記事が出たりしました。トランスはSELや浅川電気のATOM、平田電気のタンゴ。タムラは高級のイメージ。しかし私は電源、出力共にピッチが出てしまう事故がありました。錦水電機LUXは使いませんでしたが断線は多かったですね。
初歩のラジオは私も当時愛読していました。といっても、自分で買ったのではなく、友達からの譲り受けで、ボロボロになるまで読んでいました。6GB8を使ったモノアンプなんて、とても初歩のラジオとはいえませんね。宮甚さんは当時、相当の小遣いを持っていたようで、私など6BQ5シングルのアンプが作れればいいほうでした。50年前のアンプとはいえ、何度か手を入れているようで、部品類が新しい?ですね。当時なら、コンデンサーはオイルかペーパーコン、抵抗はL型、ブロックの電解コンデンサーも大容量は無かったですね。タンゴのトランスが懐かしいですが、LUXやサンスイは買えなかったですね。そして、ケースはLEADか鈴蘭堂。それにしても、長く使えるものですね。感心しました!
宮甚さんは物持ちが良いですね。
6GB8…。真空管終末期の昭和40年代当時、現在見る影も無い”世界の名門東芝”が開発した最後の?名球と云われ、無理してpp100Wの6CA7を凌ぎ、無理せずpp100Wの出力管として威厳があり、高価で手が出ませんでした。後の47年バンド時代、ベース奏者から当時”洋服ダンス”と呼ばれた30センチ・スピーカー6個!装備のエルク最大級100Wギター・アンプ「バイキング100」(当時価格12万円位?)を譲り受け演奏していました。これの出力管が”あの6GB8”であったような記憶があります(6CA7だったかも?)。真空管一球一球に色々思い出があります。…また長くなりそう…。
結局大きな故障もなく球アンプは丈夫ですね!6GB8の3極管接続だからDFも効いててビートルズとか良さそうですね。
当時の初歩のラジオは、初歩と言いながらかなり高度な内容でしたね。当時わからないことがあると誠文堂に電話すると筆者の電話番号教えてもらえたまったりとした時代でした。それにしてもオイルショック頃に6GB8PPを製作できる財力の子供は多くなかったはずですよ(笑)6GB8は東京オリンピックに向けて東芝が開発で別名オリンピック球と言われていますね。PAは日本無線と両社の現在の工場跡を見るとなんとも言えない寂しい気持ちになります。
初歩のラジオ1972年1月号は、私も持っています! 残念ながら当時のお小遣いでは、片チャンネル分(1台)すら作ることができませんでした(泣)
こんにちは