2017中心市街地探訪103・・青森県弘前市
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- Опубликовано: 17 окт 2024
- 青森県の西部に位置し、面積524.20㎢、人口は青森市、八戸市に次ぐ県下第3の174,310人(2017.9.1)を擁する施行時特例市。江戸時代、弘前城の城下町で津軽地方の政治、経済、文化の中心都市として栄えた。明治4年の廃藩置県で津軽藩は弘前県その後に青森県となり、明治22年(1889年)の市町村制施行で東北地方では仙台市と秋田市に並び、青森県下初の市となる人口31,375人の弘前市が誕生した。その後、明治31年には陸軍第八師団司令部が設置される軍都として歩み、大正10年には現在の弘前大学の全身である旧制弘前高等学校が開校し、現在も多くの大学が存在する学園都市としても成長している。近年では、平成18年(2006年)に近隣1町1村と合併して現在の市域となった。
静岡県からのアクセスは、東海道新幹線で東京まで行き、東北新幹線の「はやぶさ号」に乗り換え新青森まで約3時間、さらに新青森から奥羽本線に乗り換え弘前まで35分前後。
中心市街地は、JR弘前駅付近から弘前城の南側周辺までのエリア。
弘前はリンゴの産地としても有名で、廃藩置県の後に県の職員だった菊池楯衛が武士としての職を失ったサムライを集めてリンゴ栽培を本格化したのが始まりで、産業転換に成功した都市という歴史を持つ。中心市街地を歩くと商店街の人通りは少なめだったが百貨店は存在し、かつての城下町が現在の中心と一致していることがよく分かった。また、現存する弘前城の天守閣はもちろんのこと歴史的建造物が数多く残り、中心市街地全体が一つのテーマパークのようだった。人口20万人にも満たない都市とは思えないほどの規模と風格のある街だった。
【JR弘前駅】
奥羽本線と五能線が乗り入れ、1日当たりの乗車人員は4,575人(2016年度)。駅は2面3線の地上駅の橋上駅舎で、自由通路が西側の中央口と東側の城東口を結ぶ。自由通路の中央付近には改札口や切符売り場などの駅施設、西側には駅ビルのアプリーズ、東側には弘南鉄道弘南線の弘前駅がある。城東口(東側)を出ると、路線バスとタクシー乗り場、一般乗降用スペースのあるロータリーが広がり、周辺は住宅街。表玄関である中央口(西側)の駅前広場の南側には路線バス乗り場、北側にはタクシー乗り場があり、周辺はビジネスホテルが建ち並んでいた。
【弘南鉄道弘前駅】
弘南線が乗り入れ、1日当たりの乗車人員は1,367人(2010年度)。駅は1面2線の地上駅で、JR線ホームの東側に位置する。弘南線は弘前駅から黒石駅までの13駅、延長16.8kmを30分で結ぶ。
【アプリーズ】
店舗面積2,683㎡、地上1階から4階までを営業フロアとする駅ビル。
【大町通り】
弘前駅前から西側へ約600m続き、商業施設のヒロロ付近には飲食店など店舗が集まっている。
【アートホテル弘前シティ】
【ヒロロ】
店舗面積13,691㎡、地下1階から地上4階までを営業フロアとする複合商業施設で、2013年7月にオープンした。ファッション関係の専門店、食料品などの店舗のほか市の出先機関や市民ホールなどの公共施設も入っている。
【遊歩道(えきどてプロムナード)】
弘前駅中央口から西側に向かい地下道で道路をくぐると、遊歩道の「えきどてプロムナード」(駅前公園から大町、上土手町まで続く延長600mの遊歩道)がある。
【イトーヨーカドー弘前店】
店舗面積17,449㎡、地下1階から地上8階までを営業フロアとする商業施設で、各種専門店のほかクリニック、カルチャーセンター、レストランなども入り、建物の南側には弘前バスターミナルが併設されている。
【弘前バスターミナル】
【並木通り】
【上土手町商店街】
南北400m続く商店街で、約60店が集まっている。
【中土手町商店街】
南北360m続く商店街で、以前片側式アーケードが設置されていたが2007年に老朽化に伴い撤去され、新たに統一庇が設置された。
【弘南鉄道中央弘前駅】
大鰐線が乗り入れ、1日当たりの乗車人員は499人(2010年度)。駅は1面1線の地上駅で、ホームは南側、駅舎は北側にある。大鰐線は大鰐から中央弘前までの13.9kmを約30分で結ぶ路線。
【弘前昇天教会】
大正9年(1920年)に建てられたイギリス積の赤煉瓦の教会で、青森県の指定文化財となっている。
【下土手町商店街】
南北230m続く商店街で、百貨店のほか立体駐車場など比較的大きな建物が建ち並んでいた。
【中三弘前店】
店舗面積20,434㎡、地下1階から地上8階までを営業フロアとする百貨店で、地上6階と7階には大型書店のジュンク堂書店も入っている。運営する株式会社中三は明治29年に呉服店として創業した老舗で、ピーク時の1998年8月期の売上高は415億9,200万円を計上したものの2010年には185億5,445万円まで落ち込み、2011年3月に民事再生法適用の申請をして事実上倒産した。その後、再生計画が実行され営業は継続し、2016年10月青森市に本社を置くMiK(ミック)株式会社の傘下として再出発し、2016年8月期の売上高は約80億円、最終損益は黒字決算という結果だった。
【土手町コミュニティパーク】
地上3階建てのA館と地上1階建てのB館からなる複合施設で、2012年12月にオープンした。施設にはコミュニティーFM局、多目的ホール、ビジネス支援センターのほか、レストランなどが集まる「ごちそうプラザ」が入っている。
【百石町展示館】
明治16年(1883年)に建てられた呉服店の建物で、大正期には津軽銀行に譲渡され平成10年(1998年)10月までその後身の青森銀行津軽支店として使用された。その後は、平成14年(2002年)に市の文化財に指定され、2004年4月に現在の多目的施設としてオープンした。
【三上ビル】
昭和2年(1927年)に建てられた建築面積109㎡の「旧弘前無尽社屋」(後に弘前相互銀行)。弘前では二番目に出来た鉄筋コンクリートのビルで、2003年に国の登録有形文化財となった。
【青森銀行記念館】
旧第五十九銀行本店の本館で、明治37年(1904年)に建てられた歴史的建造物。その後は青森銀行弘前支店として使用されたが支店としての役割を終え、昭和42年(1967年)に同銀行の記念館となり1972年に国の重要文化財に指定された。
【弘前城】
津軽初代藩主の津軽為信が計画し、二代藩主の津軽信枚が慶長16年(1611年)に完成させた平山城で、天守閣内部の弘前城資料館の観光入込客数は392,864人(2014年)。天守閣は築城してから16年後に落雷で焼失してしまったが、江戸時代末期の文化7年(1810年)に辰巳櫓を解体新造して我が国の現存12天守の一つとして現在に至っている。現在、弘前城本丸の石垣が地震による崩落を防ぐための石垣修理事業が行われ、それに伴い天守閣は約70m内側に移動されている。また、弘前城は約2,600本ものソメイヨシノやシダレザクラなどが咲く桜の名所としても知られ、城内には青森縣護國神社、弘前市立博物館と弘前市民会館などの公共施設もある。
【仲町伝統的建造物群保存地区】
江戸時代の武家屋敷の景観を今に伝える10.6haのエリアで、1978年5月に伝統的建造物群保存地区に指定された。この地区には中級武士の住宅と言われる旧岩田家住宅、荒物を扱っていた商家の石場家住宅、津軽天然藍染を体験学習できる丸富川﨑染工場などがある。
【NHK弘前支局】
【弘前文化センター】
【弘前合同庁舎】
【鍛冶町周辺(歓楽街)】
【青森地方裁判所弘前支部】
【弘前市立観光館】
【旧弘前市立図書館】
【旧東奥義塾外人教師館】
【弘前市役所】
【藤田記念庭園】
【スターバックスコーヒー弘前公園前店(旧陸軍第八師団官舎)】
【禅林街・長勝寺】
禅林街は津軽藩二代藩主の津軽信枚が長勝寺を中心に曹洞宗の寺院を集めた寺院街で、弘前城の裏鬼門の方角に当たる南西の砦。長勝寺を含めた33の寺院が全て曹洞宗ということは全国的にも稀で、その寺院は約400m続くスギ並木道に連なっている。長勝寺は津軽家の菩提寺で、1528年に創建され、その後弘前城築城とともに現在の場所に移された。また、その周辺は自然の地形が防御に適しているということから「長勝寺構」と呼ばれる出城の性格を持ち、万一の場合には第二の城としての役割を持っていた。
16:58 「人口20万人にも満たない都市には思えないほどの規模と…」
自分も弘前に初めて行ったとき、同じように思いました…
でも、日本各地、世界各地を回って、都市の風格、あるいは、観光都市としての価値は、人口とは関係ないと思うようになりました。
100万人超の大都市じゃなくても、人口50万人前後の金沢・姫路・倉敷は都会感と歴史を感じさせてくれたし、圧倒的に人口が少ない馬籠宿を初めとした中仙道の旧宿場は観光都市として強烈な印象を与えてくれたし…
20万人前後の都市でみれば、弘前市と同様に松江市も魅力的。
なんていうか、その都市にお金が大量に集まった時期と、ドーンと無くなった時期が何度も周期的にあって、いくつかのピークのときに造られた建造物が残っているからなのかと。
そういう「時代を象徴」するものが残るのは、都市経済の盛衰が影響してて、「盛」の時に頑張り、「衰」の時には転用して凌いだりして…
結果、不連続な興隆が時代の象徴を際立たせていて観光には良いのですが、住民にとっては右肩上がり経済が良いというミスマッチ…
自分は東欧に旅行した時、現地で知り合った年取った日本人に、欧米資本のブランド店やファーストフード店で観光ルートが埋め尽くされてる東欧各都市を「冷戦時代の方が情緒があった」と語られたことを思い出します。
他方、来日外国人観光客にとっては、良く言えば統一感がある、悪く言えば中世と変わらない単調な石造り(実際はコンクリート造り)の街並みの欧州各都市とは違い、日本の地方はある場所では木造、ある場所では鉄筋造り、ある場所では鉄筋コンクリート造り、そして、高度経済成長期に乱造された木造モルタルとかトタン貼りとか、バラエティのある都市景観があるため魅力的なのでしょう。
ですから弘前市は、観光パンフレットに載らないような、地吹雪に対応するために民家がどういう造りになっているのか、豪雪に対応するために市に依頼された重機はどうやって除雪して市民はどういう道具で除雪しているのか、「弘前ねぷた祭」の爆発のために1年をどう過ごしているのか、といった、他都市では分からない文化をもっと前面に出した観光PRをして欲しいです。
そういう目に見えない生活文化は、分かり易い建造物の観光資源に伍する価値があると思います。
ありがとー。
オラが住んでる弘前が紹介されていてとても嬉しいです😊!
わだば、弘前市出身だばって今だば茨城県に住んでらばって年に一度弘前さ帰ります。やっぱり弘前市は、街も綺麗、地元の人も暖かい、歴史有り弘前市サイコー
@@ミカミマサミ-t4s オラ八戸も好ぎだっちゃ
15年以上前、弘前に行きました 桜も綺麗で良いですね 弘前もホント、良い街ですね
やっぱり弘前好きだなぁ、、
割と街も綺麗で整備もまァいいんだよね
弘前の街は綺麗に整備されていて好き。
ジョウソン3104 ありがとうございます☺私は弘前市出身なんです私も知りませんでした😅青森県が弘前県だなんてびっくり👀‼でした
八戸も一時期、八戸県だったこともあるらしい。
弘前市、コンパクトなのに文化的ですごくいい街ですよね。
喫茶店が多数あり、ライブハウスなど音楽を楽しむ施設もあり、大規模書店も充実してます。
おいしいご飯屋さんもあるし、ちゃんとしたバーもカジュアルなカフェバーもあるし。
群馬出身東京在住ですが、何度でも訪れたい大好きな街です。
本当に有りがたいお言葉です😄
建物などが割としっかりしている中、人通りがそれに見合っておらず少し寂しい。そして行ってみたくなりました。
家族がお世話になってる弘前市。いい所です。
繁華街としてはまあまあだし、それ以上に文化財がめちゃくちゃ多い。10万石の城下町にしては、ありえないほど多いです。
天守閣、東照宮、徳川本家からの嫁などの徳川3点セット。藤原氏(近衛家)の猶子、伊賀流忍者組織など、江戸時代から優遇されている弘前藩。ここ弘前にはいったい何があるんでしょうかね?不思議です。
仕事があれば移住したいんだが、さて。
ふらいんぐうぃっちに影響されて、行ってきました!
大正浪漫喫茶室とか、最高すぎました!
軍都だったのに空襲を受けなかったのはキリスト教会が多かったからなのでしょうか。理由はわからないが、お陰で古い神社仏閣が沢山残っている街です。
人の特徴としては古いしきたりや、方言が色濃く残っている割には新しもの好きでお洒落だったりもします。
独立峰の岩木山や連峰の八甲田の位置関係のおかげで道にも迷いにくいですし。個人的には県内一の映画の街だった時代が好きでした。本当に不思議な街です。
動画の後半にも少し出てきますが、レトロな洋館や教会が多いそうなので、一度訪れてみたいなあと思っている都市です
城下町でありながら和洋折衷な独特の雰囲気が味わえそうです
本州の北のハズレながら品格のある高潔な都市。
Wow... !!! My best friend, Wonderful upload! Keep it up! +thumb up3!
弘前出身のものです。
弘前は駅前以外にも、弘前駅城東口を出てまっすぐ徒歩約10〜15分歩くととても栄えている城東がありますよ。なんなら今は駅前より城東の方が栄えていて、今の市長が駅前と土手町に人を戻すために今たくさん工事しています。土手町に徒歩約2分の中央弘前駅もこれから新しく駅舎を作り、バスターミナル、タクシープール、弘前美術館、緑地公園なども作る予定です。これで弘前が活性化して欲しいです。
私も弘前市出身です。お互いけっぱるべし〜
@@ミカミマサミ-t4s 今は東京に住んでて弘前にはお盆、正月しか帰れないですが頑張って欲しいです!
弘前市にも羽越新幹線の駅ができるとすれば弘前駅にできるでしょうか?仮に弘前駅にできなくても弘前市には駅を作るとは思いますが…なんと言っても弘前市は青森県で3番目に人口が多く、弘前城などの観光地もあります。
ル・コルビジェの弟子の前川が建てた建物が7つあることも紹介したらどうでしょう。辺境の地方都市としては珍しいことです。ちなみに弘前市役所、市民会館、市立病院、火葬場等。
小さい頃はヨーカドーと旧ダイソー(現ヒロロ)の周りだけでも夜遅くまで遊んでいられたなぁ……
昼間に青森駅前の工藤パンの喫茶でご飯食べてから弘前行ってた頃がなつかしい。
綺麗な街並みだなと思ったらやはり電線がないからだ。
動画では所どころ、電線映ってますが、地中に埋めたりとか、しているんでしょうか?以前、弘前を訪れた時には、全く見ていなかったです🏯
@@西野道広 地元民だったものです✋
夏8月1日から約1週間行われる「ねぷた祭り」より
扇型の巨大なねぷたが通るため、電線に当たらないよう、主なねぷた運行をする道路は地中に埋めているそうです!
よくまとまっていると思いました。ただリンゴは旧藩校の東奥義塾の教師だったイング氏が、故郷のイリノイ州から、苗を持ち込み、当時のアメリカ帰りの故笹森順造先生が、そのように図ったと聞いています。笹森先生は1940年頃は青山学院院長もされており、第2次大戦後は東奥義塾長に再任され、国務大臣を歴任され、長い間、政治家として活躍されていました。また、先生は小野派一刀流宗家でもあり、剣道範士10段で戦後、秘かに東京下高井戸の岡田道場で、範士10段の警視庁師範斎村五郎先生、範士9段の中野八十二先生(早大師範)たちと剣道の再建に取り組むかたわら、小野派一刀流の保存研鑽に取り組んでいたと聞いております。
Thanks for sharing.
青森・みちのく銀行の創業地でもある。
合併前は旧弘前相互銀行と言う金融機関だった。
みちのく銀行函館営業部(旧函館支店)は、合併前に進出した。
政治的、文化的密度の高い街に思える。親族が大学時代住んでた街だ。
弘前城公園は桜の種類が多いので見頃が長くて良いですね。都内の公園はソメイヨシノばかりなので、華火の様にポン~パッ!!と咲いてサッサと散ってお仕舞い。味気ないです。
南部藩の仇敵ですが、正直、弘前城が綺麗に整備されているのはお見事です。
島根の松江もそうですがなんとなく文化的に風格を感じますね。。津軽平野は米どころで、リンゴの産地。
なんで、旧南部藩から勝手に独立したので恨みを持たれたのでしょう。
中々いい街だな
久々に帰ってみるか
とにかく 城下町の風情が無くなった町です それに少子高齢化若者は高校を出るとほとんど 大都市へ行ってしまいます 弘前市内で仕事を探すと給料がとても安い。
弘前市はいいなぁ~🎵
“しも”土手町ではなく、“した”土手町です。^^;
でも・・・上土手町は、“かみ”土手町なんだよなぁ・・・。地名の不思議。
それと、前川國男や堀江佐吉の建造物が残っている
建築マニアにとっても面白い街だと思う。
ちなみに、動画にも出てた弘前市立博物館や弘前市役所は前川國男。
青森銀行記念館や旧弘前市立図書館は堀江佐吉の手による建造物。
こうやって動画で紹介されてるとめちゃくちゃいい場所に見える…スゲェ
都心の栄えてる所に比べれば全然田舎だけど東京近郊でも少し外れれば変わらんくらい田舎っぽいところもあるし
まじで青森=田んぼだらけ、実家=農家だと思われてるのが何とも言えない悲しみがありますな。
ただ改めてなかなか良い文化というか経験をできていたんだな、と思いました。
その場にいた時は当たり前の景色でしたが。
こういう動画がきっかけで少しでも多くの人が弘前の魅力を知ってくれたらいいなと思います。
ただ桜祭りとねぷたまつりの時期は実家の前の道路死んでたのでイライラしてました(弘前公園徒歩圏内にお住まいの方はほぼほぼそうだと思います。)
懐かしい!
涙出てきた笑
えびたま 懐かしいか、有難う!
わがる
あー 弘前に帰りてーなー
地元だから懐かしいなー
わぁも地元弘前市出身ですよお互いにケッパルべしそれではへばなー😆
三上正美 けけけけっぱる
ねぷたのもんどりこ
素敵な街ですね^^
8:16 ピーク時の1998年って…ずいぶん都心とずれてるなあ
結構考察のポイントだと思うけど
なんで2017って思ったけど多分行ったのは去年なんだろうな…編集大変そうやし(笑)
アニメふらいんぐうぃっちに登場した街だから行ってみたいなぁ。(*^。^*)
めちゃくちゃ都会ですね。
桐生市お願いします‼
なんか似てるよね桐生市と弘前市
桐生市に行った時そう思いました。確かになんか似てますよね
シ"モ"ドテマチ?
何もないね
日本RUclips新聞 いやいっぱいあるわ!
@@クマトモクマトモ 沿うですよ弘前市馬鹿にするな!
なんにもないわww
@@ryutouraraka8800 何もないわ、なんて一体、何をみているんだか…
情けないコメントだよねぇ。
何がくやしくて、こうしたコメントを出せるんだろ。
何が妬ましいんだろ。何が気に食わないんだろ。
藤枝市より田舎ですね
どんぐりの背くらべ
河本浩明 どこそれ
河本浩明 どこそれ
藤枝ってどこ?
kazu f 静岡県