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戦後シリーズ、次回からは闇市グルメになります。
闇市グルメ気になります
闇市グルメ、さてさてどんなものが食えるのだろうかなぁ楽しみで仕方ないw(*´ω`*)
き、機械オイルで、、、
残飯シチューかな?
もうほぼ食えるものなんて入ってないんじゃない?米軍の残飯、使用済みのアレとか入ってたって言うし
これ恐ろしいのは「戦前」はビフテキを食べたり小洒落たバーで洋酒を飲んだり普通に出来てたのにたった数年の戦争でここまで追い込まれてしまったって事ですよね苦労してここまで立て直してくれた先人に方々に感謝してもしきれませんね
東北では凶作だからって娘売ってるクソ親がいっぱいいたのに?
これが軍国主義の害だよ、戦争はすべての素晴らしいものを破壊するのに十分だ
それは東京近辺の中間層以上だけな東北なんか欠食児童だらけだったの習ったやろ
戦前人気のあった芸人などの日記では最初豪華なものを食べていたのに日が下るごとに質素になっていって面白かったね。
祖母が女子師範の修学旅行で満州行ったり祖父は卒業旅行で欧州行ってたり、父の「子供の頃は肉なんか食えなかった」とのギャップが凄かったんですよね……
Genさんの動画、画質が360pまでだったり、画面の比率がアナログテレビの比率だったり細かい所にこだわりがあってすごく好きです。
いっそ144pオンリーにしたほうがもっと味が出る
食べ物が豊かにあって白米がお腹いっぱい食べれることに心から感謝してます。
これでも贅沢な方なんだろうなぁ…そう思うと今ってほんと贅沢だよね止められんねぇ
ここからシャインマスカットなどの高級フルーツ作れるようになったの感動しかない
我が祖母はお金を出来るだけ使わない様にすいとんの具やご飯に芋の茎や葉を使って凌いでたそうで、調味料の節約に塩辛い沢庵をすいとん等の汁に漬けて塩分を足してたそうです。生前に一度作ってくれましたが、食べられるだけ有り難いと思わないと毎日食べ続けられそうもない感じでした。それでも当時の芋より遥かに味があると聞かされた時は本当に頭が上がりませんでしたよ🙇
何でもどうにか、こうにか?手に入るようになったのが、約10年ぐらいかかったと職場の経験者(同僚)が、言ってました砂糖の代わりに玉ねぎを使ったまた玉ねぎが、闇市で、爆発的に売れた等、聞いてます炒めると甘くなるそうで当時の日本人は、それだけ甘味に飢えていたんですね~😱💦地方によると来客の時だけ貴重な砂糖を料理に多めに入れておもてなしする習慣が、未だに残ってますね
100年経たずに現代の生活水準になったと考えると、先人には頭が上がりませんな
産業革命による輸送技術の発達が食文化を開花させました。遠くの物が腐らないうちに庶民の手に届いてから、日本含め世界の食文化は花開いたと言えます。
ほんと、たまりませんな
なんなら50年くらい
たまりませんな(早口)
なんなら30年くらいですよ。1945年に終戦して、1975年くらいには豊かな食生活になっていた。ファミレス、ファストフード、コンビニがほとんど無かっただけでね。
祖母がたまに当時の話をしてくれるので、涙無しには見れません記憶を風化させてはいけないというのが分かりますね
すいとんがご馳走に見えます…食のありがたさを感じます。
うち両親が共働きで遅かったから、祖母が特に冬の寒い日に、すいとんを作ってくれた記憶がありますねその時に祖母が、お野菜も随分美味しくなって、いい時代になったなと言ってましたね水分の多いだけのカボチャ…品質改良本気で頑張ったんやなと感じた
煮干しは有能ということがよく分かりましたこぼうも主役脇役両方できる優れものですね
「当時の水団はねぇ・・・、小麦粉の質が悪くてねぇ、殻とかが混ざってて舌にざらついてねぇ・・・。」と、戦中派の母の言葉でした。出汁は煮干しにしろ鰹節にしろ昆布にしろ、我々が「出し殻」と思っているものには「出し汁以上に旨味が残っている」もんなんですよね。
貴重なお話しでした、勉強になります。
日本食が美味しいのって、こういう辛い時期耐え凌いだ反動なのかと思うぐらい。今を生きてる事に感謝しかないけど、一度食べて見たいなぁ!
畑を持っている人ならばこのくらいは食べたでしょうが、畑がない都市部だとこれはかなり贅沢な部類で、こんな豊富なお料理にはならなかったみたいですね。(昭和15年生まれの母談)麦飯が食べられるのはごちそうであり基本的には芋が主食。(畑があったため芋には不自由しなかったそう。畑がなければそれも難しい)
なんの漫画だったか、戦時中の食べ物を再現しようって企画で、子どもたちが「すいとんって美味しいね!」って喜んでたんだけど、老人たちが「すいとんってこんなものじゃない」って言ってたのがあったような。
給食のソフト麵も、小麦粉の質が悪すぎて「こんなんじゃパンに出来ない」って苦肉の策から生まれたものらしいし、当時と今じゃ味違うんだろうな
たぶん別の漫画ですけど、「すいとんは本来美味しい料理なのに戦後の劣悪な環境のせいで悪いイメージを持っている人が多い」っていうのもありましたね
味いちもんめかな?
なんだっけなぁその漫画…たしか芋の茎とかそういう今で言うゴミを入れたようなの食べて「そうそうこれだよ!」みたいになってた希ガス某山岡さんの漫画だったかな…
美味しんぼかなぁ芋の茎とかそういうの入れて「そうそうこれこれ!」みたいなこと言ってたら希ガス
学校の授業とかでも教科書読み込むだけとか映像見るだけよりこういう当時の食事を実際に作って食べた方が子供の受けも良さそう
完全同意五感で感じた方が絶対に記憶に残るよね
とてもいい考えだと思う。でも今の子供は味濃いものばっか食べてるから薄いとか言って残す子も結構いそう。
良いですね!ただ今の米や野菜は味がとても良いから、違ったものになりそうです😂米や野菜は量を増やすために、収穫をわざと遅らせて味より質で作ったそうです😭
これが祖父母がたくさん食べさせてくる理由か
いくつになっても孫は常に空腹だと思ってらっしゃるのよねそして好物が幼少期のデータから更新されないので、会いに行くときは胃薬必須
今年83になった祖母、寿命のことは気にせずアイスをバクバク食ってますね😂
@@Nasumarioバクバク食べれた方が健康体……かも
きっと可愛くて仕方ないのよ
なんで今の子は朝食を食べなかったりするんだ!と憤慨している80歳父笑 出先で食べられるからねって納得いかないみたい。
なぜこういう番組が地上波で流れないんだ…
日本のマスコミ、メディアは反日左翼が乗っ取ってるからですよ
秒でチャンネル変えるわ
あたりまえでわらう
RUclipsだからいいのでは?
鬱になっちゃう
梅干しが塩辛いのは保存のためにもありますが基本的に仕事が肉体労働が主でしたから塩分補給の意味もあったのでしょうね
父は昭和11年産まれ…戦中は台湾に家族で疎開し戦後、本土に戻ると米やら穀物が全く無い…闇市や農家に出向き祖母の着物や祖父の懐中時計を物々交換し、ようやく手に入れた僅かばかりの米を極限まで減らし炊いたお粥(おもゆ?)とサツマイモを蒸して、木の根を水煮にして…それが1日1食だったようです。(話しを聞くと、リアル火垂るの墓状態、末弟は乳飲み子だったのですが祖母の母乳は出ず栄養失調で…)食う物はロクに無く、辛い時代だったと語っておりました。
祖母の実家で聞いた話ですが、実家は米農家で戦時中の国からの取り立ての時に家畜小屋に収穫した米の一部を隠して食糧難を乗り切ってたそうです。何というか、国に対しても図太くていい血筋だなと、親類ながら思いました。
曽祖母の家も戦時中、米を竹の節に隠して闇市に売りに行ってたと話してましたね笑
私の家も米隠してらしい😅
2:07 とだけ聴くと「捕虜にごぼう食わせただけで死刑にされた」ように見えるけど、あくまでこの件は収容所における捕虜虐待全体を扱ったものであり、その1つにごぼう食が挙がったにとどまる(それでもあたおかだが)。ごぼうを食べさせたことが主要因となって重罪を課せられた戦犯裁判記録は無いことに留意。
良かった、死刑になった話は聞いたことがなかったからびっくりしてたありがとう
はだしのゲンだったかな
うちのばーちゃん(90)に見せたらめちゃくちゃ豪華って言ってた
ウチのジッジバッバも言っております
当時ホントに物無かったからねしょうがないね
主食はさつまいもか里芋麦入っててもご飯は贅沢品で地主しか食えなかったって死んだ爺さんも言ってたな
そもそも記録に残っている時点で当時かなり名のある場所であるという。販売されていたレシピ本だとしても、ものがない中そんなものをわざわざ買う人はいないわけで…
て考えると婆ちゃんの家(岐阜)で食った朝飯(ベーコンと目玉焼き、味噌汁、ご飯)がどれだけ有り難かったか思い出させる😮
ありがとうございます!
修行僧のとき、たまたま手に入った三温糖を舐めて感動の余り涙を流したことを思い出しました
出だしがメチャクチャ強い。このチャンネルが精進料理再現のときに監修で入ってほしい。
@@notturia7138皆が通った時期のように、さらりと修行僧のときとか言うニキ
何者
"修行僧のとき"?!?!?!?!?!?!!?!?!?!???!
学生気分かいな笑
戦中戦後を生き抜いた人が良く言うセリフ「○○はもう食いたくない」こちらの動画では美味しく調理してますが、当時の食材の質を考えると腹にたまる事優先だったのかもしれませんね。高度経済成長期にかけてグルメ志向が流行ったのは、もう戦中戦後の食糧難の様なものは食べたくないと言う本能なのかも。
こう言う食事を取りながら、戦後の日本を立て直したご先人達に、現代人の根性と向上心でそうそう勝てねーわなご先祖様に達に頭上がらねー訳よな
なお現在は老害として偉そうにふんぞりかえっている模様
この生活に耐えて、日本の発展を支えてくれてありがとう😭
これを見ながら白飯、味噌汁(セブンのやつ)、漬物を食べるといつもより数倍うまく感じる
ごぼうの話が好きすぎて何度も見てしまう
いつもの事だけど映像も音声も当時の雰囲気にしてるの並々ならぬこだわりを感じてすこww
私の祖母は終戦直後に20代で、生まれたての母をおんぶしながら、耕作地になった東京競馬場でさつまいもを育てていたそうで、さつまいもにはいい思い出がないから好かないと言っていました。母のお包みは、米軍からもらったパラシュートの布だったそうです。パラシュートの布って、上質な絹だったそうです。いま味の素スタジアムがあるところ一帯は、「関東村」という、米軍の居住地でした。
戦後の食糧難はいまの我々には想像を絶するものだと思う。話しには聞くだけで実際にはわからない。物資だけではなく日本人の心が蝕まれ気持ちに余裕はなかったと思うここまで日本と日本人は持ち直した。これも想像を絶するものだと思う。
大人になって、野菜の出汁や滋味を感じられるようになった今なら質素とはいえ美味しく食べられそうだけど、子供の頃だったらこのメニューはつらいだろうな...
祖母のつくる水団が大好きです。おつゆに水団を落としただけの具なしシンプルなものですが、祖母の思い出の味です。
祖母に見せたけどこんなに飯が無かったって言うから一部富裕層かなすいとんは団子だったみたい
これは贅沢な部類にはいります。
芋虫と苔の煮付けとかあったんだろうか…
『食べられるだけでいい』って父から聞いたこと有ります😢今は物価が高くはなったけど、食べられない人が多いわけではないから。嫌いな食べ物があるとよく怒られました。贅沢者‼️って。
げんさんだぁぁ。やっぱりこの声が好きなんだ。ありがとうげんさん。今日も頑張れる
私が小学生の頃、寝たきりに近かった曾祖母がお盆に遊びに行く度に明治のスーパーカップをくれたなぁ。こういう生活を知ってるから子供にはいい物を食わせたかったのかねぇ
戦後はこれか、泣けてくる
「ひでぇ話だ。食べるものが無いからって、木の根っこを食わすなんて...」「でも、その木の根っこってのは、牛蒡だったって話だぜ」「ごんぼ!?あんな高価な物を...」
服も戦後っぽいシワシワシャツで鬼解像度
この世の片隅にの見たレシピやわ米を炒るのはやってみたい
この世界の片隅には偶に飯テロがあるから好きだった
戦時中は砂糖の変わりは干し柿を入れていたと祖母が言っていましたよその影響で田舎は柿が多いって言ってました
これでも当時の基準だと滅茶苦茶豪華なんだろうなぁ…
画質やエフェクトのみならず画面比率も4:3に落とし込む芸の細かさに感服😇
日本の昔の時代にたくさんの興味を持っていますが面白いですね
戦争を経験して物の無い時を過ごしたうちの婆さんは、なんでも勿体ないデシタね例えば炭こたつなんかは前の残り炭に灰掛けて次の日に前日の残った炭に新しいの一つ足す位で一日持たせましたし。緑茶を入れる時は葉っぱをほんのひとつまみ。何回か淹れるとほんとに少し葉っぱを足してましたね。後は、麺を茹でる時も小さい鍋で茹でるんです。ガス代が勿体ないとね。
だご汁で育った熊本県民としてはマジでごぼうの有無の味の違いはよくわかるヤツだなあ…。やっぱごぼうがあるだけで味がぐっと変わる。しいたけも加えたら最高。
すいとんをたまに作るんだけど緩いから粉を足す→硬いから水を足すの繰り返しでとんでもない量になりがち
正直、とても美味しそうに見えるな。朝飯にコレが出てきたら喜んで食べるわ。
これを見たあとに味の濃い回を見ると捗る
母達の工夫のお陰で家族が食卓でホッコリできたありがたみ時代を作った父達のお陰でどうにか社会を再建できました感謝っす
最近戦争前後に興味あったところにこの動画だよ、最高
たまにこのアナログ放送観たくなる😂エンディングの「この後はデジタル放送をお楽しみください」がめちゃくちゃ好きだった!
超貴重映像の掘り出し動画や!と思ったら「ゐんふれ」って単語に違和感……ww物凄いクオリティでした!!
此れでまだ食べれるものがある場合だから、先人と今に感謝ですね・・
かつて「すずさんの食卓」というイベントで戦時中食の再現をし、まさにこのようなメニューでしたが…塩気があれば割とどうにでもなる、というのが出席者に共通した所見でした。ただ、当時はそもそも塩すら配給が欠乏していたとのことで、更に各種野菜なども今より圧倒的に質が悪いというところから、やはり筆舌に尽くしがたい辛さだったと推察します。
闇市グルメめっちゃ楽しみです
今の時代に生まれて感謝したいと改めて思った
戦争に負けると生活は大変になりますが、生きる為に当時の方々は色々工夫されていたのですね。
久々に見たけど、このチャンネル相変わらずクセ強いなw
煮干しが無かったら更に厳しい環境だったんでしょうね、、煮干し万歳😊
煮干しの頭はらわたとカブの皮の料理、すごい参考になる普通にやりたいこの動画に影響されて煮干し買っちゃった普段鰹出汁派だから楽しみさっき仕込んだから明日の朝味噌汁にして飲むぜ
Genさんのチャンネルの時代モノファンです。闇市グルメも楽しみ!
ちゃんと戦後っぽい格好しててGenさんのプロ意識に脱帽
ゴボウってなんでかすっごい美味しいダシでますよね
戦後の食事を学校の授業で体験したりするのも勉強になりますね。講師はもちろんGenさんに。
にぼしは5年くらいは保存がきくから何かあった時のためにビーフジャーキーと共に保存しておくといいかもしれない。
すいとん……大ッッッ嫌いです。子供の頃にほぼ毎月食卓に上がってました……父親の給料日前に。具らしい具なんて殆ど入ってないすいとん、それ以外にはおかずどころか米も何も無し。そんな食事が一週間ぐらい………完全にトラウマになってます。
もちもちしてて美味しいけど、味薄かったらあんま食いたくないもんね
『この世界の片隅に』を観ているような錯覚を覚えました。
戦時中の方々のお話を聴いて、昔がどれだけ苦労したか、そしてそこから立て直せたのは言うまでもなく高い日本語能力などによる交流の深さのおかげだということを考えなければならないのです 子供の頃(平成時代)に何度も言われました、今はこんなに贅沢でありがたいんだぞと その真意はわたくしが成長するごとに分かったわけであります 今や日本語など言語能力も失墜している輩が増えた しかし、復活の兆しを見せている方もいらっしゃる 私は気品ある日本語と共に、日本の歴史を語るつもりだ
実際は戦後に意図的に食料の配給が回らない様にされてて、頭の良い当時の人達は遠方の農村まで行って農家から直接食料を買ったりしてました。幼児の頃にうちにも結構買いに来たと聞かされて、大人になってから色々調べたら連合国の行動があまりにも禄でもなさ過ぎてびっくりしました…日本の車両や船舶や工場(肥料工場も)ほぼ全て接収して使えなくするってそりゃ食料足りなくなるわ…
つい最近、吉野敏明さんの『4毒抜き』の動画見つけて、こういう食事のコトをおっしゃってるんだろうな!?と思ってました。先日、初めて土鍋で、キノコごはん炊いてみました。今度、玄米ゴハンにチャレンジしてみたいと思ってます😊特別、長生きに執着はありませんが、現代の大食いYou Tuberとか、40歳過ぎてもコンビニ食食べ比べとかやってるイタイ大人よりは、たぶん私のほうが長生き🙄
農家だった祖父母が昔語ったのは、米は全部供出、主食は大麦か芋類だったとのこと。昭和30年代まで麦がメインの麦飯を食べていたそうです。
煮魚が煮干しってすげーな。現代じゃ想像つかない
父が戦後すぐ生まれた。川の物は重要だったみたい。生き物に感謝m(_ _)m
もうほぼこの世界の片隅にの再現レシピやんけ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
すいとんはうちでは餡子にいれて汁粉風にしていました。
最近の私より良いもの食べてる……うらやま
工夫しておいしく腹満たそうとしてたんだなあ…味噌汁に出汁取った煮干しがそのまま入ってるとテンション上がったの思い出した
田舎育ちで、戦前生まれの母の家は、畑が主だったので、毎日さつま芋ばかり食べてたそうです。そして、野菜はカボチャの蔓、さつま芋の蔓、ヘチマの小さな実も食べてたそうです。今でもヘチマは沖縄の方では野菜として有りますが、長崎の五島列島でも食べてたそうです。たんぱく質は、夜に畑にタコが上がって来る程、海が近かったので困る事は無かったそうで、川魚は一切、鰻ですら食べなかったと言ってました。兎に角、米は無かったと言ってました。都市部に比べて、食べ物は海のお陰で当時としては、かなり有った方だと思います。むしろ、米事情を除けば、今よりも海のお陰で贅沢だった感じです。今の様に密漁と言う概念も何も無い時代…子供でもアワビやサザエ、ナマコ、タコ、ハマグリ、渡りカニ、海藻類は食べ放題で海に行って採って来ては食べてたそうです。
こういう動画は「庶民はそんなもの食べてなかった!」とかいう有識の方が沸くと思うけど、めちゃめちゃ勉強になるので臆せず投稿して欲しい。
あとひと月ちょっとで8月15日なんだよな。平和ほんと大事
ちょうど最近闇市とか興味あったからとても良い、、、
アメリカ兵「日本人は木の根を食っている」
干からびた魚、木の根、灰色で無味のゼリー、薄茶色のスポンジ……あいつらマジでクレイジーだぜ
@@higenori- 魚の干物、ゴボウ、こんにゃく、油揚げ(厚揚げ?)のことか?干からびた魚くらい白人共も食っているだろうに・・・
黒い紙まで美味い美味いと喰ってやがる。アイツらなんかおかしいぜ
おススメに出て来て初めて拝見しましたが某野食ハンターさんに声がとてもよく似ていてびっくりしました!ご本人かと思うくらい!
ごぼう食べさせて死刑は食文化の違いを感じるな
多少自家菜園で賄えるとしても豪華ですねえ。
動画で梅干し見て唾が溜まり出した。食べた感想聞いたら更に倍増w
これ見ながら焼肉食ってる。現代に感謝
まさかGenさん、Eテレ進出狙ってませんか!?クオリティ、感じます!!
田畑がある農家は都会の方よりいいもの食べてたんだよね、川もあるから釣りもできるし
曲がりなりにもまだ配給があった終戦直前までの方が食糧事情良かったってね
もっと昔みたいに静かな短編語り書きみたいな動画が好き
大正生まれのばあちゃんが作る梅干しは、酸っぱいより塩っぱいだったな~。保存の意味・味つけの意味の梅干しで、育った私は、市販の梅干しは、食べられない。塩のエグミはなかった。今思えば、ぜいたくな梅干しだったな~。味噌も手作りだったな。
祖父が言うには砂糖なんてめったに使わず、普段の甘味はさつま芋などで作ったいも飴をよく食べていたと聞いてます。
砂糖をなるべく摂らない生活を20年近くしているけど、自然栽培とかのごぼうを使ったら、火の入れようで甘ーくなるのです。WWⅡ後すぐの時代は、お野菜の栄養素構成が今と全然違って、質素ながらも今より味わい深かったのだろうな。
服装もどことなく戦時中のヘイタイサン感があってよろしいと思います
戦後シリーズ、次回からは闇市グルメになります。
闇市グルメ気になります
闇市グルメ、さてさてどんなものが食えるのだろうかなぁ
楽しみで仕方ないw(*´ω`*)
き、機械オイルで、、、
残飯シチューかな?
もうほぼ食えるものなんて入ってないんじゃない?
米軍の残飯、使用済みのアレとか入ってたって言うし
これ恐ろしいのは「戦前」はビフテキを食べたり小洒落たバーで洋酒を飲んだり普通に出来てたのに
たった数年の戦争でここまで追い込まれてしまったって事ですよね
苦労してここまで立て直してくれた先人に方々に感謝してもしきれませんね
東北では凶作だからって娘売ってるクソ親がいっぱいいたのに?
これが軍国主義の害だよ、戦争はすべての素晴らしいものを破壊するのに十分だ
それは東京近辺の中間層以上だけな
東北なんか欠食児童だらけだったの習ったやろ
戦前人気のあった芸人などの日記では最初豪華なものを食べていたのに日が下るごとに質素になっていって面白かったね。
祖母が女子師範の修学旅行で満州行ったり祖父は卒業旅行で欧州行ってたり、父の「子供の頃は肉なんか食えなかった」とのギャップが凄かったんですよね……
Genさんの動画、画質が360pまでだったり、画面の比率がアナログテレビの比率だったり細かい所にこだわりがあってすごく好きです。
いっそ144pオンリーにしたほうがもっと味が出る
食べ物が豊かにあって白米がお腹いっぱい食べれることに心から感謝してます。
これでも贅沢な方なんだろうなぁ…
そう思うと今ってほんと贅沢だよね
止められんねぇ
ここからシャインマスカットなどの高級フルーツ作れるようになったの感動しかない
我が祖母はお金を出来るだけ使わない様にすいとんの具やご飯に芋の茎や葉を使って凌いでたそうで、調味料の節約に塩辛い沢庵をすいとん等の汁に漬けて塩分を足してたそうです。生前に一度作ってくれましたが、食べられるだけ有り難いと思わないと毎日食べ続けられそうもない感じでした。
それでも当時の芋より遥かに味があると聞かされた時は本当に頭が上がりませんでしたよ🙇
何でもどうにか、こうにか?手に入るようになったのが、約10年ぐらいかかったと職場の経験者(同僚)が、言ってました
砂糖の代わりに玉ねぎを使ったまた玉ねぎが、闇市で、爆発的に売れた等、聞いてます
炒めると甘くなるそうで当時の日本人は、それだけ甘味に飢えていたんですね~😱💦
地方によると来客の時だけ貴重な砂糖を料理に多めに入れておもてなしする習慣が、未だに残ってますね
100年経たずに現代の生活水準になったと考えると、先人には頭が上がりませんな
産業革命による輸送技術の発達が食文化を開花させました。遠くの物が腐らないうちに庶民の手に届いてから、日本含め世界の食文化は花開いたと言えます。
ほんと、たまりませんな
なんなら50年くらい
たまりませんな(早口)
なんなら30年くらいですよ。1945年に終戦して、1975年くらいには豊かな食生活になっていた。ファミレス、ファストフード、コンビニがほとんど無かっただけでね。
祖母がたまに当時の話をしてくれるので、涙無しには見れません
記憶を風化させてはいけないというのが分かりますね
すいとんがご馳走に見えます…食のありがたさを感じます。
うち両親が共働きで遅かったから、祖母が特に
冬の寒い日に、すいとんを作ってくれた
記憶がありますね
その時に祖母が、お野菜も随分美味しくなって、
いい時代になったなと言ってましたね
水分の多いだけのカボチャ…品質改良
本気で頑張ったんやなと感じた
煮干しは有能ということがよく分かりました
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「当時の水団はねぇ・・・、小麦粉の質が悪くてねぇ、殻とかが混ざってて舌にざらついてねぇ・・・。」と、戦中派の母の言葉でした。
出汁は煮干しにしろ鰹節にしろ昆布にしろ、我々が「出し殻」と思っているものには「出し汁以上に旨味が残っている」もんなんですよね。
貴重なお話しでした、勉強になります。
日本食が美味しいのって、こういう辛い時期耐え凌いだ反動なのかと思うぐらい。
今を生きてる事に感謝しかないけど、一度食べて見たいなぁ!
畑を持っている人ならばこのくらいは食べたでしょうが、畑がない都市部だと
これはかなり贅沢な部類で、こんな豊富なお料理にはならなかったみたいですね。
(昭和15年生まれの母談)
麦飯が食べられるのはごちそうであり基本的には芋が主食。(畑があったため芋には不自由しなかったそう。畑がなければそれも難しい)
なんの漫画だったか、戦時中の食べ物を再現しようって企画で、子どもたちが
「すいとんって美味しいね!」って喜んでたんだけど、老人たちが「すいとんってこんなものじゃない」
って言ってたのがあったような。
給食のソフト麵も、小麦粉の質が悪すぎて「こんなんじゃパンに出来ない」って苦肉の策から生まれたものらしいし、当時と今じゃ味違うんだろうな
たぶん別の漫画ですけど、「すいとんは本来美味しい料理なのに戦後の劣悪な環境のせいで悪いイメージを持っている人が多い」っていうのもありましたね
味いちもんめかな?
なんだっけなぁその漫画…
たしか芋の茎とかそういう今で言うゴミを入れたようなの食べて「そうそうこれだよ!」みたいになってた希ガス
某山岡さんの漫画だったかな…
美味しんぼかなぁ
芋の茎とかそういうの入れて「そうそうこれこれ!」みたいなこと言ってたら希ガス
学校の授業とかでも教科書読み込むだけとか映像見るだけよりこういう当時の食事を実際に作って食べた方が子供の受けも良さそう
完全同意
五感で感じた方が絶対に記憶に残るよね
とてもいい考えだと思う。でも今の子供は味濃いものばっか食べてるから薄いとか言って残す子も結構いそう。
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いくつになっても孫は常に空腹だと思ってらっしゃるのよね
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@@Nasumario
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なぜこういう番組が地上波で流れないんだ…
日本のマスコミ、メディアは反日左翼が乗っ取ってるからですよ
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あたりまえでわらう
RUclipsだからいいのでは?
鬱になっちゃう
梅干しが塩辛いのは保存のためにもありますが
基本的に仕事が肉体労働が主でしたから塩分
補給の意味もあったのでしょうね
父は昭和11年産まれ…戦中は台湾に家族で疎開し戦後、本土に戻ると米やら穀物が全く無い…闇市や農家に出向き祖母の着物や祖父の懐中時計を物々交換し、ようやく手に入れた僅かばかりの米を極限まで減らし炊いたお粥(おもゆ?)とサツマイモを蒸して、木の根を水煮にして…それが1日1食だったようです。(話しを聞くと、リアル火垂るの墓状態、末弟は乳飲み子だったのですが祖母の母乳は出ず栄養失調で…)
食う物はロクに無く、辛い時代だったと語っておりました。
祖母の実家で聞いた話ですが、実家は米農家で戦時中の国からの取り立ての時に家畜小屋に収穫した米の一部を隠して食糧難を乗り切ってたそうです。何というか、国に対しても図太くていい血筋だなと、親類ながら思いました。
曽祖母の家も戦時中、米を竹の節に隠して闇市に売りに行ってたと話してましたね笑
私の家も米隠してらしい😅
2:07 とだけ聴くと「捕虜にごぼう食わせただけで死刑にされた」ように見えるけど、あくまでこの件は収容所における捕虜虐待全体を扱ったものであり、その1つにごぼう食が挙がったにとどまる(それでもあたおかだが)。ごぼうを食べさせたことが主要因となって重罪を課せられた戦犯裁判記録は無いことに留意。
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修行僧のとき、たまたま手に入った三温糖を舐めて感動の余り涙を流したことを思い出しました
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皆が通った時期のように、さらりと修行僧のときとか言うニキ
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"修行僧のとき"?!?!?!?!?!?!!?!?!?!???!
学生気分かいな笑
戦中戦後を生き抜いた人が良く言うセリフ
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高度経済成長期にかけてグルメ志向が流行ったのは、もう戦中戦後の食糧難の様なものは食べたくないと言う本能なのかも。
こう言う食事を取りながら、戦後の日本を立て直したご先人達に、現代人の根性と向上心でそうそう勝てねーわな
ご先祖様に達に頭上がらねー訳よな
なお現在は老害として偉そうにふんぞりかえっている模様
この生活に耐えて、日本の発展を支えてくれてありがとう😭
これを見ながら白飯、味噌汁(セブンのやつ)、漬物を食べるといつもより数倍うまく感じる
ごぼうの話が好きすぎて何度も見てしまう
いつもの事だけど映像も音声も当時の雰囲気にしてるの並々ならぬこだわりを感じてすこww
私の祖母は終戦直後に20代で、生まれたての母をおんぶしながら、耕作地になった東京競馬場でさつまいもを育てていたそうで、さつまいもにはいい思い出がないから好かないと言っていました。
母のお包みは、米軍からもらったパラシュートの布だったそうです。パラシュートの布って、上質な絹だったそうです。
いま味の素スタジアムがあるところ一帯は、「関東村」という、米軍の居住地でした。
戦後の食糧難はいまの我々には想像を絶するものだと思う。話しには聞くだけで実際にはわからない。物資だけではなく日本人の心が蝕まれ気持ちに余裕はなかったと思うここまで日本と日本人は持ち直した。これも想像を絶するものだと思う。
大人になって、野菜の出汁や滋味を感じられるようになった今なら質素とはいえ美味しく食べられそうだけど、
子供の頃だったらこのメニューはつらいだろうな...
祖母のつくる水団が大好きです。おつゆに水団を落としただけの具なしシンプルなものですが、祖母の思い出の味です。
祖母に見せたけどこんなに飯が無かったって言うから一部富裕層かな
すいとんは団子だったみたい
これは贅沢な部類にはいります。
芋虫と苔の煮付けとかあったんだろうか…
『食べられるだけでいい』って父から聞いたこと有ります😢
今は物価が高くはなったけど、食べられない人が多いわけではないから。
嫌いな食べ物があるとよく怒られました。
贅沢者‼️って。
げんさんだぁぁ。やっぱりこの声が好きなんだ。ありがとうげんさん。今日も頑張れる
私が小学生の頃、寝たきりに近かった曾祖母がお盆に遊びに行く度に明治のスーパーカップをくれたなぁ。
こういう生活を知ってるから子供にはいい物を食わせたかったのかねぇ
戦後はこれか、泣けてくる
「ひでぇ話だ。食べるものが無いからって、木の根っこを食わすなんて...」
「でも、その木の根っこってのは、牛蒡だったって話だぜ」
「ごんぼ!?あんな高価な物を...」
服も戦後っぽいシワシワシャツで鬼解像度
この世の片隅にの見たレシピやわ
米を炒るのはやってみたい
この世界の片隅には偶に飯テロがあるから好きだった
戦時中は砂糖の変わりは
干し柿を入れていたと祖母が
言っていましたよ
その影響で田舎は柿が
多いって言ってました
これでも当時の基準だと滅茶苦茶豪華なんだろうなぁ…
画質やエフェクトのみならず画面比率も4:3に落とし込む芸の細かさに感服😇
日本の昔の時代にたくさんの興味を持っていますが面白いですね
戦争を経験して物の無い時を過ごしたうちの婆さんは、なんでも勿体ないデシタね
例えば炭こたつなんかは前の残り炭に灰掛けて次の日に前日の残った炭に新しいの一つ足す位で一日持たせましたし。
緑茶を入れる時は葉っぱをほんのひとつまみ。何回か淹れるとほんとに少し葉っぱを足してましたね。
後は、麺を茹でる時も小さい鍋で茹でるんです。ガス代が勿体ないとね。
だご汁で育った熊本県民としてはマジでごぼうの有無の味の違いはよくわかるヤツだなあ…。やっぱごぼうがあるだけで味がぐっと変わる。しいたけも加えたら最高。
すいとんをたまに作るんだけど
緩いから粉を足す→硬いから水を足す
の繰り返しでとんでもない量になりがち
正直、とても美味しそうに見えるな。朝飯にコレが出てきたら喜んで食べるわ。
これを見たあとに味の濃い回を見ると捗る
母達の工夫のお陰で家族が食卓でホッコリできたありがたみ
時代を作った父達のお陰でどうにか社会を再建できました
感謝っす
最近戦争前後に興味あったところにこの動画だよ、最高
たまにこのアナログ放送観たくなる😂
エンディングの「この後はデジタル放送をお楽しみください」がめちゃくちゃ好きだった!
超貴重映像の掘り出し動画や!と思ったら「ゐんふれ」って単語に違和感……ww
物凄いクオリティでした!!
此れでまだ食べれるものがある場合だから、先人と今に感謝ですね・・
かつて「すずさんの食卓」というイベントで戦時中食の再現をし、まさにこのようなメニューでしたが…塩気があれば割とどうにでもなる、というのが出席者に共通した所見でした。ただ、当時はそもそも塩すら配給が欠乏していたとのことで、更に各種野菜なども今より圧倒的に質が悪いというところから、やはり筆舌に尽くしがたい辛さだったと推察します。
闇市グルメめっちゃ楽しみです
今の時代に生まれて感謝したいと改めて思った
戦争に負けると生活は大変になりますが、生きる為に当時の方々は色々工夫されていたのですね。
久々に見たけど、このチャンネル相変わらずクセ強いなw
煮干しが無かったら更に厳しい環境だったんでしょうね、、煮干し万歳😊
煮干しの頭はらわたとカブの皮の料理、すごい参考になる普通にやりたい
この動画に影響されて煮干し買っちゃった
普段鰹出汁派だから楽しみ
さっき仕込んだから明日の朝味噌汁にして飲むぜ
Genさんのチャンネルの時代モノファンです。闇市グルメも楽しみ!
ちゃんと戦後っぽい格好しててGenさんのプロ意識に脱帽
ゴボウってなんでかすっごい美味しいダシでますよね
戦後の食事を学校の授業で体験したりするのも勉強になりますね。講師はもちろんGenさんに。
にぼしは5年くらいは保存がきくから何かあった時のために
ビーフジャーキーと共に保存しておくといいかもしれない。
すいとん……大ッッッ嫌いです。
子供の頃にほぼ毎月食卓に上がってました……父親の給料日前に。
具らしい具なんて殆ど入ってないすいとん、それ以外にはおかずどころか米も何も無し。
そんな食事が一週間ぐらい………完全にトラウマになってます。
もちもちしてて美味しいけど、味薄かったらあんま食いたくないもんね
『この世界の片隅に』を観ているような錯覚を覚えました。
戦時中の方々のお話を聴いて、昔がどれだけ苦労したか、そしてそこから立て直せたのは言うまでもなく高い日本語能力などによる交流の深さのおかげだということを考えなければならないのです 子供の頃(平成時代)に何度も言われました、今はこんなに贅沢でありがたいんだぞと その真意はわたくしが成長するごとに分かったわけであります 今や日本語など言語能力も失墜している輩が増えた しかし、復活の兆しを見せている方もいらっしゃる 私は気品ある日本語と共に、日本の歴史を語るつもりだ
実際は戦後に意図的に食料の配給が回らない様にされてて、頭の良い当時の人達は遠方の農村まで行って農家から直接食料を買ったりしてました。
幼児の頃にうちにも結構買いに来たと聞かされて、大人になってから色々調べたら連合国の行動があまりにも禄でもなさ過ぎてびっくりしました…
日本の車両や船舶や工場(肥料工場も)ほぼ全て接収して使えなくするってそりゃ食料足りなくなるわ…
つい最近、吉野敏明さんの『4毒抜き』の動画見つけて、こういう食事のコトをおっしゃってるんだろうな!?と思ってました。先日、初めて土鍋で、キノコごはん炊いてみました。今度、玄米ゴハンにチャレンジしてみたいと思ってます😊
特別、長生きに執着はありませんが、現代の大食いYou Tuberとか、40歳過ぎてもコンビニ食食べ比べとかやってるイタイ大人よりは、たぶん私のほうが長生き🙄
農家だった祖父母が昔語ったのは、米は全部供出、主食は大麦か芋類だったとのこと。昭和30年代まで麦がメインの麦飯を食べていたそうです。
煮魚が煮干しってすげーな。現代じゃ想像つかない
父が戦後すぐ生まれた。川の物は重要だったみたい。生き物に感謝m(_ _)m
もうほぼこの世界の片隅にの再現レシピやんけ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
すいとんはうちでは餡子にいれて汁粉風にしていました。
最近の私より良いもの食べてる……うらやま
工夫しておいしく腹満たそうとしてたんだなあ…
味噌汁に出汁取った煮干しがそのまま入ってるとテンション上がったの思い出した
田舎育ちで、戦前生まれの母の家は、畑が主だったので、毎日さつま芋ばかり食べてたそうです。そして、野菜はカボチャの蔓、さつま芋の蔓、ヘチマの小さな実も食べてたそうです。
今でもヘチマは沖縄の方では野菜として有りますが、長崎の五島列島でも食べてたそうです。
たんぱく質は、夜に畑にタコが上がって来る程、海が近かったので困る事は無かったそうで、川魚は一切、鰻ですら食べなかったと言ってました。
兎に角、米は無かったと言ってました。
都市部に比べて、食べ物は海のお陰で当時としては、かなり有った方だと思います。
むしろ、米事情を除けば、今よりも海のお陰で贅沢だった感じです。
今の様に密漁と言う概念も何も無い時代…子供でもアワビやサザエ、ナマコ、タコ、ハマグリ、渡りカニ、海藻類は食べ放題で海に行って採って来ては食べてたそうです。
こういう動画は「庶民はそんなもの食べてなかった!」とかいう有識の方が沸くと思うけど、めちゃめちゃ勉強になるので臆せず投稿して欲しい。
あとひと月ちょっとで8月15日なんだよな。平和ほんと大事
ちょうど最近闇市とか興味あったからとても良い、、、
アメリカ兵「日本人は木の根を食っている」
干からびた魚、木の根、灰色で無味のゼリー、薄茶色のスポンジ……あいつらマジでクレイジーだぜ
@@higenori-
魚の干物、ゴボウ、こんにゃく、油揚げ(厚揚げ?)のことか?
干からびた魚くらい白人共も食っているだろうに・・・
黒い紙まで美味い美味いと喰ってやがる。アイツらなんかおかしいぜ
おススメに出て来て初めて拝見しましたが
某野食ハンターさんに声がとてもよく似ていてびっくりしました!
ご本人かと思うくらい!
ごぼう食べさせて死刑は食文化の違いを感じるな
多少自家菜園で賄えるとしても豪華ですねえ。
動画で梅干し見て唾が溜まり出した。食べた感想聞いたら更に倍増w
これ見ながら焼肉食ってる。
現代に感謝
まさかGenさん、Eテレ進出狙ってませんか!?
クオリティ、感じます!!
田畑がある農家は都会の方よりいいもの食べてたんだよね、川もあるから釣りもできるし
曲がりなりにもまだ配給があった終戦直前までの方が食糧事情良かったってね
もっと昔みたいに静かな短編語り書きみたいな動画が好き
大正生まれのばあちゃんが作る梅干しは、酸っぱいより塩っぱいだったな~。
保存の意味・味つけの意味の梅干しで、育った私は、市販の梅干しは、食べられない。
塩のエグミはなかった。
今思えば、ぜいたくな梅干しだったな~。
味噌も手作りだったな。
祖父が言うには砂糖なんてめったに使わず、普段の甘味はさつま芋などで作ったいも飴をよく食べていたと聞いてます。
砂糖をなるべく摂らない生活を20年近くしているけど、
自然栽培とかのごぼうを使ったら、火の入れようで甘ーくなるのです。
WWⅡ後すぐの時代は、お野菜の栄養素構成が今と全然違って、質素ながらも今より味わい深かったのだろうな。
服装もどことなく戦時中のヘイタイサン感があってよろしいと思います