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拓馬さんの見解は、1コリント14:34 「女の人は教会では黙っていなさい。彼女たちは語ることを許されていません。律法も言っているように、従いなさい」とは、どのように整合性を取るのですか?
パウロ存命中の真理は、この終末でも普遍的な真理だと思います。ですが、終末預言ではますます真贋麦粉のようにうちふるわれ、クリスチャンのみ安逸でいられるわけでもない。逆の視点ではニセ教師とその賛同者がかける篩からこぼれ落ちる者は残りの女の民、そういう理屈も成り立ちはする。男なら本物、女なら本物ではない。そう単純な判定はますます困難になると思われます。世代によっては、従来のとおり男性をウラから操縦するほうがやりやすいと感じる女教師もあり得ますしね😢
教会では、多くの女性が今も活躍し、素晴らしい働きをしています。アーメンです。1テモ 2:13 なぜなら、アダムが初めに造られ、それからエバが造られたからです。普遍的な教えです。創造の秩序は普遍的です。女性は助け手として造られている。創 2:20 …しかし、自分にふさわしい助け手は見つけることができなかった。創 2:22 神である主は、人から取ったあばら骨で女を造り上げ、人のところへ連れて来られた。創 2:23 人は言った。/「これこそ、私の骨の骨、肉の肉。/これを女と名付けよう。/これは男から取られたからである。」女性の役割が明確に示されています。女性は監督としての役割、牧者、教師としてではなく女性は夫を支え、牧師を支え、助け手としての役割の中に神の栄光が現わされるのだと思います。LBGTやフェミニズムのこの世の流れがすさまじい中、聖書はシンプルに男性の役割、女性の役割を教えていると思います。是非、前期内容に対するご意見をお聞かせください。どうぞ宜しくお願いします。
3回のメッセージ動画を見ました。今回はいわば結論回にあたるので、1テモテ2:12 私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません や、1コリント14:34女の人は教会では黙っていなさい といった直球聖句を拓馬さんやともみんさんがどう解釈し、どういう結論を導き出すのか期待していたのですが、そこのところは回避している印象で、残念でした。このような直球聖句がある以上、よほどの論拠を示してでなければ、「なりたければ女性も牧師になっていい」とは簡単には言えないはずだと思います。またいずれかの機会に、議論を深めてくださることを期待します。私は、男性が主導者で女性は助け手であるというのは、創造の秩序ではないかと思っています。妻よりも自分が偉いと思ったことは一度もないですが、言葉には出さないものの妻が一歩引いて自分を助けてくれていることが、これまで結婚生活を円滑に続けられてきた大きな要因ではないかと思っています。このような難しい問題を話題にし、考えるきっかけを与えてくださったお二人に感謝します。
女性で牧師をしているので、1テモテ2:12は気になっていましたから、大変興味深く、3回とも楽しく聞かせていただきました。とても勇気をいただきました。信徒様に毎回メッセージを聞いていただいて、感謝しています。
「聞いて頂いている」という思いで説教している牧師ってどれくらいいるのだろう?謙遜、謙りを語っている当人が「教えてやっている」では、ズレまくりのハマルティアではないだろうか。勿論、聞く側の姿勢も大事。感謝の心をもって語り、感謝の心で聞きメッセージを受け取ることができたら最高。
勉強になりました。ありがとうございます。
人間が人のうえにたちたいと思うことが罪というところがささりました
私の教会では、月一(月の最終の日曜日)にバイブルスタディと称して、その日、教会に集っている方々で、聖書を読み進めて(今は創世記)、自分が感じたこと、疑問に思うこと、自分の人生?への適応など、自由に発言することを、礼拝として守っています。(他の日曜日はメッセージです。)仰る通り、いろんな解釈や感想、刺さる箇所などそれぞれ聞くことが出来て、み言葉を丁寧に一節づつ読み進めていくことの大切さ、背景、人物の心理の理解など、み言葉の世界が広がります。📕身近だけれど、考えてこなかった、バイブルについての内容など、お二人でディスカッションして頂き、ありがとうございます。み言葉にも確か『二人か三人かが話なさい』という箇所があったような。📕興味深いお題で、お二人のお人柄と思いますが、聞きやすく、また聖書の真理に基づいた内容で、有難く観させてもらっています。😊感謝です。💐
主イエスやパウロが、十二使徒や監督を男性に限定した理由は、創造の秩序によると私は考えています。
Awesome👍I agree with Tomomi and Takuma's opinion.
Explain with biblical reason .
3パートともすべてめちゃめちゃ有益。色々、腹落ちしました。 たくまさんの見解にアーメンです。発信ありがとうございました。
パウロは1テモテ2章で、創造の秩序(順番)を理由にして命じてます。「2:12 私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。(中略)13 アダムが初めに造られ、それからエバが造られた【から】です。14 そして、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて過ちを犯したのです。」13節には理由を示すガルという接続詞が使われています。また、拓馬さんが根拠として挙げた、創世記3章の男女に対する呪いが取り去られるのは「第一の復活」の際であって、今の時代ではありません(ローマ8:23、1コリント15:54)。聖書と食い違う拓馬さんの結論、大変残念です。
創造の順番の件については、第1回と第2回で詳しく触れているのでぜひ参考にしてください〜〜!
@@seisholab 紹介された書籍の見解は、保守派の神学界では認められていません。
@seisholab 紹介された書籍の見解は、保守派の神学界では認められていません。十二使徒も監督も男性に限られているのは、主イエスもパウロも創造の秩序に則ったからでは?
パウロが「教会をケアする牧会者を立てる」という時に信仰面以外で考えているのは、割と単純に社会的な知恵を働かせるということであると思います。教会をケアするにあたって、混乱を生じさせないことは重要だからです。当時の状況で女性をリーダーに立てることは混乱を生むだけであり、教会をまとめることからはかけ離れてしまいます。そういう意味で考えると、現代においては、女性が教えても何ら問題がないと思います。また、創造の秩序から考えて牧師は男だけだと考えるならば、創造の秩序から考えて女性も牧師に匹敵するくらい重要な役割を担っていることを考慮しながら教会運営をすることが大事だなと思いました。パネルディスカッション的な礼拝形式、おもしろいです。
とても面白い談話、ありがとうございます。私は、女性が牧師になると言うことと、教えると言うことは、大きく違うのではと思いました。牧師というと、教会によっては、信徒のリーダーよりも権力があるので、そのところで、女性ではない方がと、思うのですが、、、そして、この問題を二人の男性が話すのではなく、女性を招待して女性からの意見が欲しかったです。
今日本の多くの人々はイエス様を知らないで滅びに向かっています。その中でありなしとかの話ではなく福音を伝えなければならないです。
全く話題が異なるのですが、キリスト教におけるペットの死の扱いについてお話しをお聞きしたいです。
第一テモテ2章全体に「創造の秩序」という通低音が流れているように思います。文脈に沿って普通に読むなら、女性が牧師になることは控えるべきという結論に導かれると思いますが?
いいですね!対話したいです。😂
今回の二人の御意見、メッセージが対談形式も有りではの提案に共感でした❗️私の反省として、女性牧師の議論を自分の教会経験の物差しや体験に執着するのでなくてと思えました。何故、牧師に❓️ソコがですよね~。互いがチームの価値感大切ですね、群れの大小、形式に限らず。神様との関係性からしても、同等、アーメンです。興味あるテーマだったので拝聴して良かったです😃
1回目、2回目があっての箸休め会なのにそれを見ないで拓馬さんの考えに意見してる方みると残念ですよね、、あれだけ詳しく説明してるのに、、😢これって聖書の一部分を切り取って自分の都合のいいように解釈してそれを礼拝で話す牧師さんと同じですよね。あたしはお2人の考えて方に完全同意でした!!
そうですね…そうですね(汗)。神は全て可能だと信じましょう…。
報告ではなく、「◯◯という意見があるよ = 色々な考え方(新解釈含む)」を求めていたのですね…。承知しました。 *「◯◯という意見があるよ」という形で発表 … と言われ、困っていました(何を求めているか分からなくて)。今回のメッセージを聞くまでは、単純に説明を省略すればいいのかな?と認識していましたが(報告を求めてると思っていたので) … 間違いが明確になりスッキリしました。ありがとうございます。 *グループ発表自体、動画を作るためのものだと認識していました。なので、報告を求めてると思いこんでいました。認知の歪みですね … 初めにちゃんと聞いとけばと、反省しました。
牧師・・・聖書の解説者。当然女性でもよろしいです^_^
パウロが、黙っていなさいと言わなければならないほどに、女性の指導者が活躍していた、とも読めますね。コミュニケーション能力と直感力に優れる女性がサポートに回れば教会の繁栄には有利だと思います。ただそれはネットワークビジネスの話であって、キリスト信仰とは直接関係はない気はします。混淆状態の仕分けが要りますし淘汰の意味でももっとたくさん女性指導者が活躍してほしいです。
はぁ。。。なんだかなぁ。(ありのまま書きます、私は今どっちつかずの愚か者です。「女性もOK!」とはっきり言わない(長々と言いましたが)のに違和感を感じました。視聴者への忖度?【様々な立場のキリスト教徒への愛?】【権威が欲しいからなりたい】今回の性別の話と別ですね。いつもは、お二人の本やブログにお世話になっています。ありがとうございます。お2人ともその界隈では有名な方々です。気になる話題でしたが私の中で変化なし(自分で祈り学ばないといけん)ご自身でバイアス(偏見)がかかる。。。と言われてましたが1、2、3動画説明に途中から【女性が教師やってOKのスタンス】を隠しきれない説明でした。やはり結論がそうでした。私は、女性牧師を認めない単立教会の一員です。今じゃ珍しいのかな、原理主義(福音派です)ただ、クラウドチャーチと同じシステム(説教の後、昼拝で牧師もみんな交えて想いのままに語り合います)やってて充実感はありますね。ちなみに日曜学校は女性の先生OK。私は、どっちつかずです。でも私も育った教会がそうなので固定概念がかかっているでしょう。深く考えなくていい、と思ってましたが。ただ、今女性牧師で大きな教会、救われる魂が与えられる話を聞くと普通にハレルヤ!素晴らしいと思います。そして感じる問題。この問題に悩みがあったので(立場が違うので)この動画をきっかけに正面から聖書に、イエス様に向き合わなければならないと感じました。ありがとうございます。今回動画で??を何個も感じましたね。1つだけ挙げますが罪で夫が支配するようになったが(創世記⒊16)元々は対等の関係。だから女性も牧師OK?対等?そりゃ一心同体だから(夫婦は)そうでしょう。ここでは役割の話をしてる、飛躍してると感じました。今は罪の世界(主が助ける為呪ってくださった、ガラテヤ⒊22)です。主が呪われたのです。そして主が夫が妻を支配すると【宣言】されたのです。教会の形は、夫婦の形として説明されています。そして役割を創造の初めから【支配】と夫婦の関係の【従う】を徹底されています。このたった2つの聖句箇所から考察しても、教会を支配されるのはキリスト。そしてリーダー的役割(牧師?長老?リーダー?名前が問題ではない)を男性に任されているなと感じます。エペソ⒌22-33夫婦は一心同体です。ただ、聖書はしっかりとお互いの役割を明記しています。上も下もないのは当たり前です。だって、⒌21には【お互い支え合う】とありますからね。ほぼ触れてなかった監督の話にも【第一テモテ3】1人の妻の夫とあるのを思い出しました。ただ、女性が牧師で堂々と支配(いい意味で)治めている教会があるならば、主はそれを許している。そこを聖書と照らし合わせどう考えるのか。私の課題です。立場が変わるのか。死ぬまで勉強不足だと思いますが、硬い食物を食べれるようにはなりたいです。誇らず、【主の民の仲間作り】を中心として福音を伝える管となればと願うばかりです。
女性牧師についての3回シリーズ、お疲れさまでした。何とも歯切れの悪い結末のような感じが否めないですね。小林さんの、聖書に「牧師」という言葉がないので、誰がやっても関係ないという前提が紹介されていますが、それが小林さんの結論なら、そもそもこのシリーズをやる意味があったのでしょうか?「その前提で」とその後いろいろ話されますが、何の意味もなさないですよね。私は、「牧師」は、神からの霊的指導者としての役割をし、聖書を通して神の御言葉の神髄を語ったり、洞察を与えたり、共に祈りあい、霊性を深めていくような働きをなさっているなら、神が用いておられる存在だと思います。的外れな牧師がいることもわかっていますが、そのような人たちをもって全ての牧師も一緒くたに否定するのは、いかがなものかと思います。良き牧師になっていただくように、祈りましょう。また、「先生」と呼ばれることも、イエス様は言葉尻を取って、そう呼ばれてはいけないと言っているのでしょうか?当時の律法学者たちを示して、あのような存在になるな、ということが主題ではないでしょうか。「先生」と呼ばれていても、謙遜で、イエス様のように仕える姿勢を持っておられる方は、私は立派な先生だと思います。これも、先生のために祈るべきです。それと、もう一点、「人の上に立ちたいという思いで教師や牧師になるべきではない」と言われていますが、私は反対です。なぜなら、その思いは神が用いられるからです。その動機が間違っているなら、神が矯正され訓練され、真っ当な教師や牧師に導かれるはずです。誰が完全に心が変えられなければ、行動してはならないと決めたのですか?キリスト者を迫害していたパウロが、なぜ神に用いられたのですか?小林さんたちも同じではないのですか?全てをわかっていて行動する人間なんていないのです。それは神からの賜物を閉じ込めておく考え方だと思います。さて、今回の女性の牧師や教師について、見解を宣べさせていただきます。創世記2章15~17節に、男性アダムだけの時に、神はエデンの園での過ごし方という御言葉を与えられました。その中に「善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたがたは必ず死ぬ。」とあります。その後、アダムの助け手としての女性エバが創造されます。そして、創世記3章2節に女が蛇に言った言葉に「園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」とありますが、「触れてもいけない。」などとは神は言われていません。「食べてはならない。」という神の律法に対して、「触れてはいけない。」という口伝律法的な言葉を話しています。この律法主義的な考えにサタンは攻撃を仕掛けるのです。神の御言葉に寄らず、人の言葉に寄ったことのなんと脆いことでしょうか。思い知らされることです。この時の御言葉の伝わり方を考えてみましょう。男性アダムは神から御言葉、つまり霊的指導を与えられました。女性エバは男性アダムから神からの霊的指導の言葉を聞かされたことでしょう。もちろん、これ以外にも神との言葉のやり取りはあったかもしれませんが、こんなに大事な命令を、再度、神がもしエバにも直接話したのなら、そのような記述がなされるはずです。そこで、賢いサタンである蛇は、霊的に弱そうな女性エバに攻撃を仕掛け、見事に罪が入ってきたのです。この時の罪の入り方は、女性エバそして、エバから男性アダムという順番です。このことから、神からの霊的指導は、まず男性アダムに託されていることがわかります。罪が入ってから後も、神はまず男性アダムに呼びかけています。これは男女の優劣ではありません。神の示される順番なのです。このことから言えるのは、霊的指導はまず男性に与えられるのであり、女性から男性に霊的指導を授けることを、神は推奨していません。だからこそ、Ⅰコリント14:34のような御言葉が、聖書に用いられているのです。イエス様も12使徒を全て男性から選ばれました。私は、女性が牧師や教師になることを、1ミリも否定はしません。しかし、男性が女性牧師から霊的指導を受けるのは、避けた方がよいのではないかと思います。男性牧師は男性にも女性にも霊的指導を行い、女性牧師は女性のみに霊的指導を行うのが望ましいのではないかと思われます。いずれにしても、「牧師」は霊的指導者として立派な先生になっていただくことが前提であり、そのことについても祈っていくことが大事なことと思います。
下のコメント見ても、あーじゃらこーじゃら文句つけてるやつがいるが、その人達は自分の家庭で本当に妻や娘たちから愛されているのだろうか?少なくとも この2人の対話者は、 娘からも妻からも愛されるキャラだと思う。愛される❤人生❤🎉。
牧師 エペソ4:11 And He personally gave some to be apostles, some prophets, some evangelists, some pastors and teachers 牧師 あるよ聖書に。ないと言うならば、世界中の牧師と対談してみてよ。女性は、男性に教えてはならないよ。
みなさん大好きなエペソ4:11のギリシャ語は「羊飼い」です。
@@seisholab 牧師と言う日本語訳を否定したいけど、pastor は否定しないと言う事?
@andrewgd1858 「牧師」という名前の特別な役職については聖書に記述がないということを言っています。英語の話はここではしていません。なお、英語でもpastorではなく、shepherds の方が適切な翻訳だとは思います。
私は、基本的に牧師は男性で、例外的に女性が牧師への召命を受ける場合があると思っております。牧師に関しては、女性牧師の是非を問うということだけでなく、偽牧師問題が存在していますが、女性の場合、召命なく「やりたいから牧師をする」という行為は、非常に危険だと思います。危険である理由ですが、聖書には女性牧師を禁じていると思われる聖句が複数あり、女性が召命なく牧師になった場合、神様から「あなたは命じられたわけではないのに、なぜ聖書が禁じている牧師になったのか」と問われかねません。
私は膨大な数の名誉と金儲けが動機で牧師になった男性たちを知っている。そういう人たちが 十字軍 やったりしてきたよ。 今までの歴史を見ても。
@@ゆるきゅん名誉と金儲けのために牧師になるなんて、ひどい話ですね。そういう人たちは、疑いようがない偽牧師ですね。
名誉と金儲けのために牧師になるなんて、ひどい話ですね。そういう人たちは、疑いようがない偽牧師ですね。
すみません、、少し分からないのですが、男性が牧師になる場合は召命は必要ないのでしょうか?。
ノーベル平和賞を受賞したアメリカのマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師に関してのエピソードですが、学校からの帰り道、野原にいた時に雷が落ちてきて、次は自分に雷が落ちると思い、雷が落ちる前に「神様、私は牧師になりますから、どうぞ赦してください。」とお祈りして、牧師になった。ということなので、召命ではなく、このように自ら決意して牧師になるケースもあるようです。この場合、キング牧師が牧師になることを神様も望んでおられたので、良い結果がもたらされたのだと思います。
女性牧師反対です。聖書をどう捉えるかというのは色々あると思いますが、あくまでありのまま受け入れるべきだと思います。
このようなことが議論になること自体が驚きです。50年は遅れています。私は大学、大学院で聖書学を学んだものです。聖書には現代の価値観と合わない記述がたくさん出てきます。①「女はだれでも祈ったり、預言をしたりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります」(第一コリント11章5節)。あなたの教会では、女性の出席者はかぶり物をするように教えていますか?②「未婚者とやもめに言いますが、皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう」(第一コリント7章8節)。あなたの教会では、結婚する人に「できればしないほうがいいよ」と教えていますか?③「奴隷たち、・・・肉による主人に従いなさい。・・・喜んで仕えなさい」(エフェソ6章5~7節)。もしあなたの教会に反社会組織に囲われている人が来ても、「主人に喜んで仕えなさい」といって助けを拒みますか?④「妻を離縁して他の女を妻にする者はだれでも、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる」(マルコ10章11~12節)。あなたの教会では、再婚する人に「姦通の罪を犯していますよ」と教えますか?⑤「父、母、子供、兄弟、姉妹を・・・・憎まないなら、わたしの弟子ではありえない」(ルカ14章26節)。あなたの教会では、洗礼を受ける人に家族を憎むよう教えますか?⑥「律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が義とされるのです」(ローマ2章13節)。この場合の律法とは、まぎれもなく旧約律法のことですが、あなたの教会では旧約律法を守るよう教えていますか?パラパラと聖書をめくっただけで、多くの点で現代の価値観と合わない点が出てきます。離婚する人が増えている今、②を取り扱うことは困難です。国際的に奴隷が禁止されている今、③を矛盾なく読むのはもはや不可能です。同様に「教会で女性は黙っていなさい」という教えを、そのまま現代の牧会現場に持ち込むことは、適切ではありません。「女性がリーダーになってうまくいかない云々」といわれていますが、もはや差別であると感じます。聖書は、書いた人の思想、書かれた社会状況、伝承の経緯、編集した人や教会の思想が強く作用します。もしそれをすべて無視して書かれたとおりにしなければ・・・というならば、礼拝堂はかぶり物をかぶった人でいっぱいになると思います。
拓馬さんの見解は、1コリント14:34 「女の人は教会では黙っていなさい。彼女たちは語ることを許されていません。律法も言っているように、従いなさい」とは、どのように整合性を取るのですか?
パウロ存命中の真理は、この終末でも普遍的な真理だと思います。ですが、終末預言ではますます真贋麦粉のようにうちふるわれ、クリスチャンのみ安逸でいられるわけでもない。
逆の視点ではニセ教師とその賛同者がかける篩からこぼれ落ちる者は残りの女の民、そういう理屈も成り立ちはする。
男なら本物、女なら本物ではない。そう単純な判定はますます困難になると思われます。
世代によっては、従来のとおり男性をウラから操縦するほうがやりやすいと感じる女教師もあり得ますしね😢
教会では、多くの女性が今も活躍し、素晴らしい働きをしています。アーメンです。1テモ 2:13 なぜなら、アダムが初めに造られ、それからエバが造られたからです。普遍的な教えです。創造の秩序は普遍的です。女性は助け手として造られている。創 2:20 …しかし、自分にふさわしい助け手は見つけることができなかった。創 2:22 神である主は、人から取ったあばら骨で女を造り上げ、人のところへ連れて来られた。
創 2:23 人は言った。/「これこそ、私の骨の骨、肉の肉。/これを女と名付けよう。/これは男から取られたからである。」女性の役割が明確に示されています。女性は監督としての役割、牧者、教師としてではなく女性は夫を支え、牧師を支え、助け手としての役割の中に神の栄光が現わされるのだと思います。LBGTやフェミニズムのこの世の流れがすさまじい中、聖書はシンプルに男性の役割、女性の役割を教えていると思います。
是非、前期内容に対するご意見をお聞かせください。
どうぞ宜しくお願いします。
3回のメッセージ動画を見ました。今回はいわば結論回にあたるので、1テモテ2:12 私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません や、1コリント14:34女の人は教会では黙っていなさい といった直球聖句を拓馬さんやともみんさんがどう解釈し、どういう結論を導き出すのか期待していたのですが、そこのところは回避している印象で、残念でした。このような直球聖句がある以上、よほどの論拠を示してでなければ、「なりたければ女性も牧師になっていい」とは簡単には言えないはずだと思います。またいずれかの機会に、議論を深めてくださることを期待します。
私は、男性が主導者で女性は助け手であるというのは、創造の秩序ではないかと思っています。妻よりも自分が偉いと思ったことは一度もないですが、言葉には出さないものの妻が一歩引いて自分を助けてくれていることが、これまで結婚生活を円滑に続けられてきた大きな要因ではないかと思っています。
このような難しい問題を話題にし、考えるきっかけを与えてくださったお二人に感謝します。
女性で牧師をしているので、1テモテ2:12は気になっていましたから、大変興味深く、3回とも楽しく聞かせていただきました。とても勇気をいただきました。信徒様に毎回メッセージを聞いていただいて、感謝しています。
「聞いて頂いている」という思いで説教している牧師ってどれくらいいるのだろう?
謙遜、謙りを語っている当人が「教えてやっている」では、ズレまくりのハマルティアではないだろうか。
勿論、聞く側の姿勢も大事。感謝の心をもって語り、感謝の心で聞きメッセージを受け取ることができたら最高。
勉強になりました。ありがとうございます。
人間が人のうえにたちたい
と思うことが罪
というところがささりました
私の教会では、月一(月の最終の日曜日)にバイブルスタディと称して、その日、教会に集っている方々で、聖書を読み進めて(今は創世記)、自分が感じたこと、疑問に思うこと、自分の人生?への適応など、自由に発言することを、礼拝として守っています。(他の日曜日はメッセージです。)
仰る通り、いろんな解釈や感想、刺さる箇所などそれぞれ聞くことが出来て、み言葉を丁寧に一節づつ読み進めていくことの大切さ、背景、人物の心理の理解など、み言葉の世界が広がります。📕
身近だけれど、考えてこなかった、バイブルについての内容など、お二人でディスカッションして頂き、ありがとうございます。
み言葉にも確か『二人か三人かが話なさい』という箇所があったような。📕
興味深いお題で、お二人のお人柄と思いますが、聞きやすく、また聖書の真理に基づいた内容で、有難く観させてもらっています。😊
感謝です。💐
主イエスやパウロが、十二使徒や監督を男性に限定した理由は、創造の秩序によると私は考えています。
Awesome👍
I agree with Tomomi and Takuma's opinion.
Explain with biblical reason .
3パートともすべてめちゃめちゃ有益。色々、腹落ちしました。 たくまさんの見解にアーメンです。発信ありがとうございました。
パウロは1テモテ2章で、創造の秩序(順番)を理由にして命じてます。「2:12 私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。(中略)13 アダムが初めに造られ、それからエバが造られた【から】です。14 そして、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて過ちを犯したのです。」13節には理由を示すガルという接続詞が使われています。また、拓馬さんが根拠として挙げた、創世記3章の男女に対する呪いが取り去られるのは「第一の復活」の際であって、今の時代ではありません(ローマ8:23、1コリント15:54)。聖書と食い違う拓馬さんの結論、大変残念です。
創造の順番の件については、第1回と第2回で詳しく触れているのでぜひ参考にしてください〜〜!
@@seisholab 紹介された書籍の見解は、保守派の神学界では認められていません。
@seisholab
紹介された書籍の見解は、保守派の神学界では認められていません。十二使徒も監督も男性に限られているのは、主イエスもパウロも創造の秩序に則ったからでは?
パウロが「教会をケアする牧会者を立てる」という時に信仰面以外で考えているのは、割と単純に社会的な知恵を働かせるということであると思います。教会をケアするにあたって、混乱を生じさせないことは重要だからです。当時の状況で女性をリーダーに立てることは混乱を生むだけであり、教会をまとめることからはかけ離れてしまいます。そういう意味で考えると、現代においては、女性が教えても何ら問題がないと思います。
また、創造の秩序から考えて牧師は男だけだと考えるならば、創造の秩序から考えて女性も牧師に匹敵するくらい重要な役割を担っていることを考慮しながら教会運営をすることが大事だなと思いました。
パネルディスカッション的な礼拝形式、おもしろいです。
とても面白い談話、ありがとうございます。私は、女性が牧師になると言うことと、教えると言うことは、大きく違うのではと思いました。牧師というと、教会によっては、信徒のリーダーよりも権力があるので、そのところで、女性ではない方がと、思うのですが、、、そして、この問題を二人の男性が話すのではなく、女性を招待して女性からの意見が欲しかったです。
今日本の多くの人々はイエス様を知らないで滅びに向かっています。その中でありなしとかの話ではなく福音を伝えなければならないです。
全く話題が異なるのですが、
キリスト教におけるペットの死の扱いについてお話しをお聞きしたいです。
第一テモテ2章全体に「創造の秩序」という通低音が流れているように思います。
文脈に沿って普通に読むなら、女性が牧師になることは控えるべきという結論に導かれると思いますが?
いいですね!
対話したいです。😂
今回の二人の御意見、メッセージが対談形式も有りではの提案に共感でした❗️
私の反省として、女性牧師の議論を自分の教会経験の物差しや体験に執着するのでなくてと思えました。何故、牧師に❓️ソコがですよね~。互いがチームの価値感大切ですね、
群れの大小、形式に限らず。
神様との関係性からしても、同等、アーメンです。
興味あるテーマだったので拝聴して良かったです😃
1回目、2回目があっての箸休め会なのにそれを見ないで拓馬さんの考えに意見してる方みると残念ですよね、、
あれだけ詳しく説明してるのに、、😢
これって聖書の一部分を切り取って自分の都合のいいように解釈してそれを礼拝で話す牧師さんと同じですよね。
あたしはお2人の考えて方に完全同意でした!!
そうですね…そうですね(汗)。
神は全て可能だと信じましょう…。
報告ではなく、「◯◯という意見があるよ = 色々な考え方(新解釈含む)」を求めていたのですね…。承知しました。
*「◯◯という意見があるよ」という形で発表 … と言われ、困っていました(何を求めているか分からなくて)。今回のメッセージを聞くまでは、単純に説明を省略すればいいのかな?と認識していましたが(報告を求めてると思っていたので) … 間違いが明確になりスッキリしました。ありがとうございます。
*グループ発表自体、動画を作るためのものだと認識していました。なので、報告を求めてると思いこんでいました。認知の歪みですね … 初めにちゃんと聞いとけばと、反省しました。
牧師・・・
聖書の解説者。当然女性でもよろしいです^_^
パウロが、黙っていなさいと言わなければならないほどに、女性の指導者が活躍していた、とも読めますね。コミュニケーション能力と直感力に優れる女性がサポートに回れば教会の繁栄には有利だと思います。ただそれはネットワークビジネスの話であって、キリスト信仰とは直接関係はない気はします。
混淆状態の仕分けが要りますし淘汰の意味でも
もっとたくさん女性指導者が活躍してほしいです。
はぁ。。。なんだかなぁ。
(ありのまま書きます、私は今どっちつかずの愚か者です。
「女性もOK!」とはっきり言わない(長々と言いましたが)
のに違和感を感じました。
視聴者への忖度?【様々な立場のキリスト教徒への愛?】
【権威が欲しいからなりたい】今回の性別の話と別ですね。
いつもは、お二人の本やブログにお世話になっています。
ありがとうございます。
お2人ともその界隈では有名な方々です。
気になる話題でしたが私の中で変化なし(自分で祈り学ばないといけん)
ご自身でバイアス(偏見)がかかる。。。と言われてましたが
1、2、3動画説明に途中から【女性が教師やってOKのスタンス】を隠しきれない説明でした。やはり結論がそうでした。
私は、女性牧師を認めない単立教会の一員です。今じゃ珍しいのかな、原理主義(福音派です)ただ、クラウドチャーチと同じシステム(説教の後、昼拝で牧師もみんな交えて想いのままに語り合います)やってて充実感はありますね。
ちなみに日曜学校は女性の先生OK。
私は、どっちつかずです。でも私も育った教会がそうなので固定概念がかかっているでしょう。
深く考えなくていい、と思ってましたが。
ただ、今女性牧師で大きな教会、救われる魂が与えられる話を聞くと普通にハレルヤ!素晴らしいと思います。そして感じる問題。
この問題に悩みがあったので(立場が違うので)この動画をきっかけに正面から聖書に、イエス様に向き合わなければならないと感じました。
ありがとうございます。
今回動画で??を何個も感じましたね。1つだけ挙げますが
罪で夫が支配するようになったが(創世記⒊16)元々は対等の関係。
だから女性も牧師OK?
対等?そりゃ一心同体だから(夫婦は)そうでしょう。
ここでは役割の話をしてる、飛躍してると感じました。
今は罪の世界(主が助ける為呪ってくださった、ガラテヤ⒊22)です。主が呪われたのです。そして主が夫が妻を支配すると【宣言】されたのです。
教会の形は、夫婦の形として説明されています。
そして役割を創造の初めから【支配】と夫婦の関係の【従う】を徹底されています。このたった2つの聖句箇所から考察しても、教会を支配されるのはキリスト。そしてリーダー的役割(牧師?長老?リーダー?名前が問題ではない)
を男性に任されているなと感じます。エペソ⒌22-33
夫婦は一心同体です。ただ、聖書はしっかりとお互いの役割を明記しています。
上も下もないのは当たり前です。だって、⒌21には【お互い支え合う】とありますからね。ほぼ触れてなかった監督の話にも【第一テモテ3】1人の妻の夫とあるのを思い出しました。
ただ、女性が牧師で堂々と支配(いい意味で)治めている教会があるならば、主はそれを許している。そこを聖書と照らし合わせどう考えるのか。
私の課題です。立場が変わるのか。
死ぬまで勉強不足だと思いますが、硬い食物を食べれるようにはなりたいです。誇らず、【主の民の仲間作り】を中心として福音を伝える管となればと願うばかりです。
女性牧師についての3回シリーズ、お疲れさまでした。
何とも歯切れの悪い結末のような感じが否めないですね。
小林さんの、聖書に「牧師」という言葉がないので、誰がやっても関係ないという前提が紹介されていますが、それが小林さんの結論なら、そもそもこのシリーズをやる意味があったのでしょうか?
「その前提で」とその後いろいろ話されますが、何の意味もなさないですよね。
私は、「牧師」は、神からの霊的指導者としての役割をし、聖書を通して神の御言葉の神髄を語ったり、洞察を与えたり、共に祈りあい、霊性を深めていくような働きをなさっているなら、神が用いておられる存在だと思います。
的外れな牧師がいることもわかっていますが、そのような人たちをもって全ての牧師も一緒くたに否定するのは、いかがなものかと思います。
良き牧師になっていただくように、祈りましょう。
また、「先生」と呼ばれることも、イエス様は言葉尻を取って、そう呼ばれてはいけないと言っているのでしょうか?当時の律法学者たちを示して、あのような存在になるな、ということが主題ではないでしょうか。「先生」と呼ばれていても、謙遜で、イエス様のように仕える姿勢を持っておられる方は、私は立派な先生だと思います。
これも、先生のために祈るべきです。
それと、もう一点、「人の上に立ちたいという思いで教師や牧師になるべきではない」と言われていますが、私は反対です。なぜなら、その思いは神が用いられるからです。
その動機が間違っているなら、神が矯正され訓練され、真っ当な教師や牧師に導かれるはずです。誰が完全に心が変えられなければ、行動してはならないと決めたのですか?キリスト者を迫害していたパウロが、なぜ神に用いられたのですか?
小林さんたちも同じではないのですか?全てをわかっていて行動する人間なんていないのです。それは神からの賜物を閉じ込めておく考え方だと思います。
さて、今回の女性の牧師や教師について、見解を宣べさせていただきます。
創世記2章15~17節に、男性アダムだけの時に、神はエデンの園での過ごし方という御言葉を与えられました。その中に「善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたがたは必ず死ぬ。」とあります。
その後、アダムの助け手としての女性エバが創造されます。
そして、創世記3章2節に女が蛇に言った言葉に「園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」とありますが、「触れてもいけない。」などとは神は言われていません。
「食べてはならない。」という神の律法に対して、「触れてはいけない。」という口伝律法的な言葉を話しています。この律法主義的な考えにサタンは攻撃を仕掛けるのです。
神の御言葉に寄らず、人の言葉に寄ったことのなんと脆いことでしょうか。思い知らされることです。
この時の御言葉の伝わり方を考えてみましょう。
男性アダムは神から御言葉、つまり霊的指導を与えられました。
女性エバは男性アダムから神からの霊的指導の言葉を聞かされたことでしょう。
もちろん、これ以外にも神との言葉のやり取りはあったかもしれませんが、こんなに大事な命令を、再度、神がもしエバにも直接話したのなら、そのような記述がなされるはずです。
そこで、賢いサタンである蛇は、霊的に弱そうな女性エバに攻撃を仕掛け、見事に罪が入ってきたのです。
この時の罪の入り方は、女性エバそして、エバから男性アダムという順番です。
このことから、神からの霊的指導は、まず男性アダムに託されていることがわかります。
罪が入ってから後も、神はまず男性アダムに呼びかけています。
これは男女の優劣ではありません。神の示される順番なのです。
このことから言えるのは、霊的指導はまず男性に与えられるのであり、女性から男性に霊的指導を授けることを、神は推奨していません。
だからこそ、Ⅰコリント14:34のような御言葉が、聖書に用いられているのです。
イエス様も12使徒を全て男性から選ばれました。
私は、女性が牧師や教師になることを、1ミリも否定はしません。
しかし、男性が女性牧師から霊的指導を受けるのは、避けた方がよいのではないかと思います。
男性牧師は男性にも女性にも霊的指導を行い、女性牧師は女性のみに霊的指導を行うのが望ましいのではないかと思われます。
いずれにしても、「牧師」は霊的指導者として立派な先生になっていただくことが前提であり、そのことについても祈っていくことが大事なことと思います。
下のコメント見ても、あーじゃらこーじゃら文句つけてるやつがいるが、その人達は自分の家庭で本当に妻や娘たちから愛されているのだろうか?
少なくとも この2人の対話者は、 娘からも妻からも愛されるキャラだと思う。愛される❤人生❤🎉。
牧師 エペソ4:11
And He personally gave some to be apostles, some prophets, some evangelists, some pastors and teachers
牧師 あるよ聖書に。
ないと言うならば、世界中の牧師と対談してみてよ。
女性は、男性に教えてはならないよ。
みなさん大好きなエペソ4:11のギリシャ語は「羊飼い」です。
@@seisholab
牧師と言う日本語訳を否定したいけど、pastor は否定しないと言う事?
@andrewgd1858 「牧師」という名前の特別な役職については聖書に記述がないということを言っています。英語の話はここではしていません。なお、英語でもpastorではなく、shepherds の方が適切な翻訳だとは思います。
私は、基本的に牧師は男性で、
例外的に女性が牧師への召命を受ける場合がある
と思っております。
牧師に関しては、
女性牧師の是非を問うということだけでなく、
偽牧師問題が存在していますが、
女性の場合、召命なく「やりたいから牧師をする」という行為は、
非常に危険だと思います。
危険である理由ですが、
聖書には女性牧師を禁じていると思われる聖句が複数あり、
女性が召命なく牧師になった場合、
神様から「あなたは命じられたわけではないのに、なぜ聖書が禁じている牧師になったのか」と
問われかねません。
私は膨大な数の名誉と金儲けが動機で牧師になった男性たちを知っている。そういう人たちが 十字軍 やったりしてきたよ。 今までの歴史を見ても。
@@ゆるきゅん
名誉と金儲けのために牧師になるなんて、ひどい話ですね。
そういう人たちは、疑いようがない偽牧師ですね。
名誉と金儲けのために牧師になるなんて、ひどい話ですね。
そういう人たちは、疑いようがない偽牧師ですね。
すみません、、少し分からないのですが、男性が牧師になる場合は召命は必要ないのでしょうか?。
ノーベル平和賞を受賞した
アメリカのマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師に関してのエピソードですが、
学校からの帰り道、野原にいた時に雷が落ちてきて、
次は自分に雷が落ちると思い、
雷が落ちる前に
「神様、私は牧師になりますから、どうぞ赦してください。」
とお祈りして、牧師になった。
ということなので、召命ではなく、
このように自ら決意して牧師になるケースもあるようです。
この場合、
キング牧師が牧師になることを
神様も望んでおられたので、
良い結果がもたらされたのだと思います。
女性牧師反対です。聖書をどう捉えるかというのは色々あると思いますが、あくまでありのまま受け入れるべきだと思います。
このようなことが議論になること自体が驚きです。50年は遅れています。私は大学、大学院で聖書学を学んだものです。聖書には現代の価値観と合わない記述がたくさん出てきます。①「女はだれでも祈ったり、預言をしたりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります」(第一コリント11章5節)。あなたの教会では、女性の出席者はかぶり物をするように教えていますか?②「未婚者とやもめに言いますが、皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう」(第一コリント7章8節)。あなたの教会では、結婚する人に「できればしないほうがいいよ」と教えていますか?③「奴隷たち、・・・肉による主人に従いなさい。・・・喜んで仕えなさい」(エフェソ6章5~7節)。もしあなたの教会に反社会組織に囲われている人が来ても、「主人に喜んで仕えなさい」といって助けを拒みますか?④「妻を離縁して他の女を妻にする者はだれでも、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる」(マルコ10章11~12節)。あなたの教会では、再婚する人に「姦通の罪を犯していますよ」と教えますか?⑤「父、母、子供、兄弟、姉妹を・・・・憎まないなら、わたしの弟子ではありえない」(ルカ14章26節)。あなたの教会では、洗礼を受ける人に家族を憎むよう教えますか?⑥「律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が義とされるのです」(ローマ2章13節)。この場合の律法とは、まぎれもなく旧約律法のことですが、あなたの教会では旧約律法を守るよう教えていますか?パラパラと聖書をめくっただけで、多くの点で現代の価値観と合わない点が出てきます。離婚する人が増えている今、②を取り扱うことは困難です。国際的に奴隷が禁止されている今、③を矛盾なく読むのはもはや不可能です。同様に「教会で女性は黙っていなさい」という教えを、そのまま現代の牧会現場に持ち込むことは、適切ではありません。「女性がリーダーになってうまくいかない云々」といわれていますが、もはや差別であると感じます。聖書は、書いた人の思想、書かれた社会状況、伝承の経緯、編集した人や教会の思想が強く作用します。もしそれをすべて無視して書かれたとおりにしなければ・・・というならば、礼拝堂はかぶり物をかぶった人でいっぱいになると思います。