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細野さん、優しいし、可愛らしい。教授の笑ってる声、話し方も優しい。涙が出てきます。教授良かったですね。細野さん、長生きしてください。いつまでもお元気で。
細野さんも幸宏さんも教授のいい所を潰さず片目を瞑ってあげる場面はすごく多かったと思います。教授も歳を重ねてそれが分かってきて、「若い頃の自分を殴ってやりたい」とか、「俺が悪かったのかな」とか素直に言うようになってすごく丸くなって人間的にも成長されて良かったですね。細野さんがお父さん代わりに見守ってくれたお陰です。
いいな~このトーク😊何回も聞いちゃう😂細野さん本当に優しくて聴いてて泣きそう2人がこんなふうに笑い合って話せる様になってホントに良かった🥲話し終わってお互い少し照れくさい気持ちになってる様な感じがまた良い😊
心に刺さった棘が解けた様に細野さんに対してすごく素直に自分の気持ちを語ってる教授。感動しました🥲🥲
仲悪かったって聞いてて、少し悲しかったけど、ここまで話せる間柄になっていたって分かって、よかった。本当に。
同じ目線ではなく俯瞰で観察できてる細野さんの器が若い頃から完成しすぎてる。
細野さんは本当に大人ですね。温かく見守るお父さんみたい。優しい高橋さんと3人だったからこそ、YMOは奇跡のバンドになったのね。
ずっと年下の私でも思ってた。坂本さんはきっと親子関係に何かあるのだろうと。大好きな坂本さんだけど、良い意味でも悪い意味でも少年のままだったから。やっと大人になれたって聞いて本当に嬉しい。その部分だけはね。他の傷付けてしまった人達は癒されたのかしら。。
教授のファミリーヒストリーの動画がアップされていて食い入る様に見ました。怖くて怖くてまともに顔もみれなかったというお父さんは、非常に厳しい方だった様ですが 生まれたばかりの教授を「抱っこしてる写真を見て心が和みました。YMO時代の教授の記事をノートに張って内心では息子の頑張りを褒めていたと知ってたまらず涙が溢れました。
細野さんはやっぱすごいわ。これが大人!だな歳を重ねるにつれ沁みる話だわ長生きしていただきたいです💖
細野さん大人だなあ
感動しました。時間を経て大人になって心から素直にお互いの意見を受け入れる2人。じゃあまたねって、今聞くと寂しくて涙が溢れてしまいました。
これぞオトナの会話。こんな話を当人を前に話せる間柄が羨ましい。
こういう年取って互いに分かり合えるの素敵だなあ~
5歳しか違わないけど、昔から細野さんだけお父さんって感じだったものね。みんな優しい人に当たるからね
大人になって、こういう話ができるっていうのは、なんだか素敵なことだと思う。だってそのときで二人は終わってないっていう証ですから。。尊敬するお二人のお話は、お二人の音楽を聴くことと同じくらい好きです、、
この2人の対談が聴けて本当に良かった。教授に対して【ファーザーコンプレックス】と直接、言えるのは細野さんだけ。
亀一さん超やり手編集者三島由紀夫を発掘、デビューさせた人です。細野外交官の御孫様で、タイタニックの生き残りなんて細野さんって、優雅な雰囲気があるけれど強運の持ち主。会うべきして会った2人✨
@@michisolaris594 YMOがあって良かった まさにYMOは邂逅 www.asahi-net.or.jp/~AH9Y-NKJM/NAIYO/comment/text_0-9.html
I know Im asking the wrong place but does anybody know a way to log back into an instagram account..?I was dumb lost the account password. I would appreciate any tips you can give me!
歳を重ねてここまで腹を割って話せるようになった事が本当に良かった…。教授も細野さんもお互い仲良くなれて嬉しかっただろうな。
素晴らしいですね、二人の会話。なぜだか、涙が出てきます。
これが99年か…HASYMOで「CUE」を演奏した後、幸宏と教授が感極まって泣きそうだったのはこういう確執もあったからなんだろうね。最初から細野さんはパパだったんだ、2人の。
素晴らしい この一言。YMOは細野さんで成り立ってた。 本当に素晴らしい。
青春時代に聞いた音楽は輝き続けるけど、この二人が共有する時間はもう叶わない。そう思うと寂しくてたまらない。教授、安らかに…
細野さん大人だなぁ。
細野さんは細野さんで、表に出さないだけで怒らないことは無かったらしく、教授とあからさまに距離を置いていたんだよね。だからこそ、教授もつっかかっていったと思う。
この対談ほど幸せになれる対談はないお互いがすごく良い関係
1980年前後当時は、細野さんが引っ張っていって、坂本さんが尖っていて、幸宏さんが緩衝していたからこそあのテンションが高く研ぎ澄まされた音楽ができたのだと思う。
細野さんの「つっかかってくる」がなんか面白い(笑)
細野さんと教授が、こうやって心開いてお話をしていることに涙がこぼれる。
坂本氏と細野氏とはティンパンアレイの頃から付き合いがあって、音楽だけがつなぐ「緩い関係」としか外側からは見えなかった。だからYMOの頃は「坂本龍一みたいな尖ったタイプの個性が、なんであんな種類の音楽を何年間も演り続けられてるんだろう?」とちょっと不思議な気がしてた。なるほどねぇ。ファーザー・コンプレックスか。細野氏が「峻厳でないお父さん役」で一歩引いた立ち位置で冷静に振る舞っていたから続いたのか。ユキヒロ氏が間にはいって緩衝材の役割を果たしていたのも大きかったろう。YMOを遙かに過ぎて2000年に至り、YMOのあの時代の自分を冷静に振り返れる年齢になったということでもあるのだろう。なんか、しみじみする話だな。
これホント泣ける。中学生のときからYMOファンだったから。幸宏さんが亡くなって尚更、ね。
これ聴けて良かったです。
たぶん… ですけど、細野晴臣さんは、知識、実力、生まれ育ちや人脈、全てにおいて圧倒的な存在感で、ほとんどのミュージシャンが、この人にはかなわないな… って、逆らえない雰囲気があるんでしょうね。坂本龍一さんは、勿論才能も実力もすごくて、自分は誰にも負けないぐらいの気概があって、それで、細野さんみたいな人から、勝てない圧力みたいなのを感じれば感じる程、坂本龍一さんの中の反発心みたいなのも燃えて、それが緊張感と化学反応を起こして、YMOという不世出のバンドの原動力になっていた。私はそんなふうに感じてました。
教授は今が一番幸せなんだろうな。ファンをやっていてすごく感じるな。
もう20年くらい前の対談のようだけど、昔からのファンとしては「よくぞここまで腹割って話せるようになってくれました(>_
こんにちは。宜しくお願いします。「突っかかる相手や方向が変わっただけ」 それはまさに的を射た表現です。それと、かつて坂本さんが反目し、離別し、今では「別に会ってまで和解したくはないな」と思う相手も多いと思いますよ。著名人とは因果な商売で、こういった経緯をいちいちカメラの前、マイクの前で言わなきゃいけないと言う。ひどい時には泣いたりする。一般人が一番です。
Aqua をBGM に話すから 泣いてまうやろ
教授も細野さんが音楽にスピリチュアルを持ち込みかけてるのがイヤだったとか言ってたけど、YMO外で全く共演してなかったわけでもないし、険悪と言われてた時期でもみんなでコンバットごっこして遊んだ話もあるし。本気でキライだったわけじゃないはず。基本はグループに束縛されてる状況に苛ついてたのが大きいような。細野さんには八つ当たりにも近かったのでは。メンバー間のいざこざってよくある話だけど、YMOの皆さんは充分オトナでしたよ。
よくあるロックバンドの険悪な関係みたいな俗人的な確執とは違うんですよね。教授が細野さんに反発していた理由は、表向きには音楽家としての思想の違い。本質は、"意地でも劣等感を感じまい"と抗う強烈なライバル意識にあったと思います。教授は細野さんの悪口を言い放った時には「もちろん尊敬してるよ、音楽家としては」と必ず口癖のように添えていた。結局のところ細野さんが看破していたように「ファーザーコンプレックス」がもっとも的確な例えだと思います。ちなみにこの雪解け対談の9年後に出版された教授の自伝では、とても穏やかな語り口で細野さんの功績を称えています。さらには「あの頃は常にYMOを仮想敵としてソロアルバムを作っていた。だからYMOが散開した瞬間、心にポッカリ穴が空いたような気分に襲われた」といった旨の発言もしており、今の良好な関係を知っているからこそ涙が出そうになりました。
これ凄いな。聴いてるだけでゾクゾクするし、それと同時に何故か緊張するw
確かに。
細野さん良いね。
このトークをを聞くと年を取るのも悪くないって思える
同感です
お二人共尊敬し感謝しております、長生きしてもっともっと作品を世に出して下さい!
5分ってこんなに短い時間なんだなって思います楽しくない時の5分ってすごく長いのに。
良い話だなぁ年月を経て丸くなってお互いリスペクト出来る 聴けて良かった
NYにて仕事でお世話になりましたが、自分みたいな若造にとても優しく話してくれて、尖っていたイメージは皆無でした。ともあれ、これはとても興味深い話ですね。
これは貴重だね。
いい話聴けた。ただそれだけ。生きるってこういう事なんだと思った。
仲悪い とか言いながら、散開後も3人は集まって、再生YMOのときの記者会見でも教授は細野・高橋 両氏に対して「2人は日本で一番のミュージシャン、これ以上の方々は今日本にいないので自分が日本で仕事をするとしたらこの2人とするしかない、いやホントです、コレ」と言ってましたね。
人としての好き嫌いと別の次元で、細野さんや幸宏さんへのリスペクトはあり続けたんでしょうね。
この会見で幸宏さんが教授のことを「坂本くんも大人になったんだな」と言っていたのも印象的でした。
お二人の素直なところが良いですね。
このお二人は天才であるが故に若い頃はとても尖っていらしゃったらしい。中を取り持つ幸宏さんが太鼓持ちをしていたと言っていた。 ドラマーだけにw
山田くん、この方に三枚差し上げて!👏👏👏…とにかく、ユキヒロさんが細野さんと教授の板挟みンなって、色々苦労しったんですもんね…😭そのせいか、ただでさえ細い体はますます痩せ細って…加藤和彦さんみたいにならなかったのが幸いです😭
2:20何回も全部聞いてから、ここに何回も戻ってくる。ありがとう。
当時は中学生でもその関係性を感じ取れた。でも今日この話を聞けて、自分の中に残っていたわだかまりも解けた気がする…。
聴いてるだけで笑顔になれる。何故か涙も出てくるけど。。
今までに聞いたYMOの対談の中で壱番ほっこりしました。
大変貴重なお話、アップありがとうございます。ここからNHKどてらYMOやSKETCHSHOWへのゲスト参加の流れになっていくんですね。
坂本さんのお父さんは、河出書房で編集をやっていた方で、あの三島由紀夫が書いた「仮面の告白」を編集し出版された方ですからね。まさにとても保守的な方だったんでしょう。それこそ保守の文学者と個人的なお付き合いは広かった様です。
この動画は昔見たけど、今になって見るとこのサムネは寂しいね…
当時は仲悪いのをネタにすることもあったよ。サンストで2人がゲストの時リスナーからの「2人とも仲良くしてください」って投稿を笑いながら読んだりしてたし。サンストで細野さんの特集やって絶賛したりしてたしね。
細野さん、優しい✨いつまでもお元気でいて欲しいです🙏
感動した…!
教授の音声だけ聞くとサウンドストリート思い出すなぁ。
二人とも実力・才能があって、いい意味で自己主張が強いから、若い頃は互いに引かなくて...って感じだったのかな。特に教授の方はライバル心みたいなものも強かったんでしょう。YMO以前に顕著な実績もなかったから。
加えてお父さんが偉大であってね。
角のとれない教授と掴みどころのない細野さん、そして一番病んでいるのに調整役に徹していた最年少の幸宏。スタート時点でアビーロード状態のYMOは年々日本の音楽史で特異点だったと思う。教授も立花ハジメや土屋正巳等気の置けない弟分を得て徐々にゆっくりと丸くなっていった。概ね40年位かかった。
立花ハジメは当時教授のこと歩く生殖器って本当のこと言ってしまって、ステージ上で教授に本気でぶん殴られた。w
@@ze4037さん「歩く生殖器」!?何すかその例え、面白すぎー!🤣
いい話。人生の話。
アップありがとう!あぁと得心したりそうだったのかと。楽しく聞きました!
坂本様、細野様とまたラジオで話してほしいなあ。("`д´)ゞ
僕も聴けて良かったです。nory holyさん、ありがとう!
貴重な音源のアップありがとうございました。堪能しました♬
「雪融け」「親の因果を断ち切る」「和解する」「自分探し」が良い事で、大げさに言えば、「現世における使命」みたいに位置付けされているけど、ケンカが続いていて、ケンカで終わる人生でなければ、一つ一つ物事を清算する必要はないと思うんです。坂本さんも細野さんとまた会う機会が増えたから和解した訳で。坂本さんと反目して袂を分かち、そのままになって、坂本さん自身、「別にいいや…」と思う相手は数え切れないと思いますよ。
教授のご尊父については某公共放送で詳しく語られてましたが、そのお仕事や人となりにはびっくりでしたね。三島由紀夫を発掘した人でもあったとは。その父親を持つという事がどれだけ教授が大変な思いだったのか、少しは分かった気がした。
この動画の後の広告で「風をあつめて」がちょうど流れてグッときました
細野さんが大人だからYMOは存続出来たんだな。
それだけではなく、最も険悪な時期でもユキヒロさんが間を取り持っていたのを忘れてはなりませんよその辺の事を「僕ドラマーだから太鼓持ちなんですよw」とか言いながら話してたのはいい思い出
解散したんですけど
@@オンリーワン-b4n あなた、それマジで言ってる?
@@gunsoviva1633 はぁ?解散して無いの?現実を理解して無いんだな解散はしないでしょ?
@@オンリーワン-b4n存続できた、というのは5年間、「散開」するまで存続できたということね。坂本龍一のメンタル的に3年目あたりでかなり危なかったのを、ユキヒロと細野さんでなんとかしたのよ。2013年に幸宏は「YMOはあと30年は続けます」と言ったので、公式には2043年まで存続するわけですけどね。
細野さんと教授の不仲の中、緩衝材的な役割を強いられてきたユキヒロさんが気の毒すぎる…(T^T)
と、いうか細野晴臣と坂本龍一っていう北極と南極みたいな日本音楽界の極の二人の間にしれっと存在してる時点でユキヒロさんも充分どうかしてるお方だと思います笑細野さん曰く、一番わからない、または謎みたいにユキヒロさんを評していた筈ですYMOって三人ともどうかしてます心配には及びません笑
そういえば2人だけってなかったな。いいね。
何でだろ…涙が零れる(苦笑)。
YMO名義で『雪解け』というテクノ演歌を作って欲しかった…
素晴らしい会話ですね😂
ソリトンSIDE-Bの坂本龍一スペシャル素晴らしかった
教授は細野さん以外でも90年代はじめ頃まで他人を見下したり態度が悪かったよね。単にプライドが高いのか人を見下していないと自尊心が保てないのか分からないけどかなり露骨だった。
私も昔からの坂本龍一の大ファンですが、ある時たまたま知り合いのレコード会社の方との会話で彼の話題になり「坂本龍一は人間として最悪だよ。あからさまに上には媚び諂い、下を見下す奴で本当に大嫌いだ!最低の人間だよ!」というのを聞かされたときは本当にショックでした。でも今でも大ファンです!
でも、明らかに媚びたYMOファンならともかく、YMOを知らないような一般人には優しいんじゃない? 例えば、民族音楽を取材に行って、アイヌとか沖縄の人には優しいんじゃないのかな。プロモーターとか出版、音楽関係には傲慢なような気がする。
@@中村耕太郎 お
ありがとうございました。
年取って丸くなったね、教授。ymoの頃札幌で話したことあるけど、サイン会で高校生くると舌打ちしてたよ。
クズやん
私は大学生の頃、教授がツアーで札幌に来ていて、握手してもらったことがある。YMOの頃は、とんがってたのかな。
@@chihiro1305 幸宏さんと細野さんがユニット組むくらいまでとんがってましたねぇ、再生の時なんかでMC4とか使った録音とかまだやってると2人を馬鹿にしてましたしね
写楽…
1949年(昭和24)、当時、大蔵省につとめていた平岡公威(きみたけ)に”長編小説を書かないか”と依頼に行ったのが河出書房の名物編集者・坂本一亀教授の父君だ平岡は熟考の挙げ句、”この一作に賭ける”と大蔵省を退官し、作家活動に入る3ヵ月後、世に出た小説は衝撃を持って当時の日本社会に迎えられた『仮面の告白』ーー平岡公威、ペンネーム”三島由紀夫”の事実上の文壇デビュー作である
ファンの想像以上に仲が悪かったんだろうなぁ。
坂本さんがおかしいな・・といっている理由。年上への反感とは別に、父親の厳しさを受け継いだからというのがあるはず。その場合は、厳しい姿勢を自然なものとして無意識に引き継いでいるのでつっかかった自覚がない。
ヒャー。仲がいいからバンドやっていたんだろうと、単純バカ的に、そう思っていました。ただ音楽だけが、彼らを結びつけていたんですね。
「親の因果を断ち切れずに亡くなる人が9割」…。
絶対に当たってる。
ほんとその通りですよ歳とったら分かる自分で分かってない人や分かろうとしない人が殆ど分かんなくても生きていけるからそして因果は子孫へ引き継がれてゆく
極端な例ですが、「子供に虐待する親は、有意な割合で子供時代に虐待されていた」的なのも、親の因果が断ち切れない典型例ですよね
ほんと、これ聞いたとき、嬉し泣きしました😂🎉😂喧嘩したとか🎉椅子蹴飛ばしたとか🎉レコーディングずらして録ってたとか🎉 当時YMOの情報少なかった😅やっぱり仲悪かったんだな😂年上が嫌いなんだなとわかった😅雪解け😅でも細野さん大好きなんだね‼️😊❤この裏には幸宏さんが絶対的に教授に言ってたと思う😂細野さんそんな人じゃないって😅😊😂
きっと子育てにも影響が出ていたのでは? と思います。坂本さんがアダルトチルドレンから脱した時からは、美雨ちゃんにとって優しいお父さんでいてあげられてたのかな。。
コーヒー☕飲みながら聞いてると参加してるようで、楽しく拝聴できました(人''▽`)
いわゆる「ポップス」の知識では絶対にかなわないとわかった時に藝大大学院卒というプライドが頭をもたげてきてややこしくなっていった、というのもあるような気はします。
NYに行った頃に出した著書「セルダムイリーガル」でもまだまだ細野さんの悪口言ってたよねYMOは細野さんが宗教にハマっておかしくなったとか、YMOの世界ツアーを監獄と形容したり。「村上春樹と村上龍が同じ部屋で小説書けないでしょ」だって。生意気だなぁ(笑)
W村上を引き合いに出した挑発発言なんてしてたんですね!知らなかった。😳
なんか良いですな細novaがあるのですから坂*novaも聞きたいな。
人間分析が鋭い。
年取る事は、悪くない。
チーム細野も筒美京平に代表される歌謡界に対峙して、自分達の自由な居場所を確保するためにツッパった結果、アルファから好きにやってと言われるまでに力を得た。その細野サンが、教授には対峙する壁だったんだろうなぁ。そうこうしてるうちに、小室哲哉が出て来て筒美を倒し、その小室が宇多田ヒカルに倒される。曲に対する創り手の裁量はアーティストに集中して自由なようだけど、業界自体は個人ではどうにもならないくらい隅々まで制御された巨大な装置になってるってのが・・音楽産業の完熟なのかなぁ・・今やゲームやダンスホールに取り込まれてる感も有るし。レコーディング・アートは、民主主義にも似た、戦後の非常に特殊な時期だったのかもなぁ。コンテンツから装置に、移って来てるのか。コンテンツって何だろ、夢なのか?
それは聴衆が貧しくなり飼い慣らされてしまった結果で、それに対する反発や、自由を求める改革は必ず起きますからご心配なく。
そうかぁ、そうなんだ、親と喪失感を乗り越えて大人になるのですね、
裏的なモノを一切知らないと、やり尽くした感があったから散開ねって思ってた。細野さんがいてこそのYMOだったんだな。教授のカリスマ性が目立っていたので、小さい頃はそればかり追ってたように思うなぁ。
そうそう、教授にばり話題と人気が集中して、細野さんとユキヒロさんにはそのお下がり、お余りしか回ってきてない…少なくとも、わたしにはそう思えました。
確か教授のお父様は、教授が学生運動やってるときお前が人を傷つけたり(人を殺したり?)したら 俺がお前を殺すみたいなことを言ってたんでしたっけ。
seldom illegalで教授は言ってましたね。共産党宣言を読めよ、みたいな事を言ったんでしたっけ?
若い頃の教授は確かに人殺してもおかしくなさそうなイメージありますねw
@@ナーシサス次元から来た人-d8uさん心に神を持たなかったであろう若かりし頃の教授なら、何人、いや、何十人●しててもおかしくなかった。それこそ細野さん、いや、ユキヒロさんもボッ●していたでしょう…😨
仲直りっていいよね!お互い才能あるから、ぶつかってたんだろ...あはは!
細野氏がいなかったら、ピアノのうまいスタジオミュージシャンで終わってたかもしれないけど、ファーストアルバムでYMOに先駆けて打ち込みもしてたし、功績がYMOに吸収されるのも嫌だったかもね。長い反抗期からこんな丸くなった教授、時代がかわったな。
まさに「ときぐすり」。時間が解決してくれたんですかね…
教授でも怖い人がいらっしゃるのですね。ター坊とアッコちゃんだけかと思っていたのですが。お父さま、か。
YMO時代に細野さんと教授が上手くいってないってのは分かってたけど(幸宏さん、ご苦労さまです(笑))、でもメンバーそれぞれは具体的にあまり言及はしなかった。なので今回、細野さんが「つっかかってきた」「僕は冷静に見てた」って言ってるのを聴いて、もの凄く、へぇ~~~~・・・!って思った。
細野さん、優しいし、可愛らしい。
教授の笑ってる声、話し方も優しい。
涙が出てきます。
教授良かったですね。
細野さん、長生きしてください。
いつまでもお元気で。
細野さんも幸宏さんも教授のいい所を潰さず片目を瞑ってあげる場面はすごく多かったと思います。教授も歳を重ねてそれが分かってきて、「若い頃の自分を殴ってやりたい」とか、「俺が悪かったのかな」とか素直に言うようになってすごく丸くなって人間的にも成長されて良かったですね。細野さんがお父さん代わりに見守ってくれたお陰です。
いいな~このトーク😊何回も聞いちゃう😂
細野さん本当に優しくて聴いてて泣きそう
2人がこんなふうに笑い合って話せる様になってホントに良かった🥲話し終わってお互い少し照れくさい気持ちになってる様な感じがまた良い😊
心に刺さった棘が解けた様に細野さんに対してすごく素直に自分の気持ちを語ってる教授。
感動しました🥲🥲
仲悪かったって聞いてて、少し悲しかったけど、ここまで話せる間柄になっていたって分かって、よかった。本当に。
同じ目線ではなく俯瞰で観察できてる細野さんの器が若い頃から完成しすぎてる。
細野さんは本当に大人ですね。温かく見守るお父さんみたい。優しい高橋さんと3人だったからこそ、YMOは奇跡のバンドになったのね。
ずっと年下の私でも思ってた。坂本さんはきっと親子関係に何かあるのだろうと。大好きな坂本さんだけど、良い意味でも悪い意味でも少年のままだったから。やっと大人になれたって聞いて本当に嬉しい。その部分だけはね。他の傷付けてしまった人達は癒されたのかしら。。
教授のファミリーヒストリーの動画がアップされていて食い入る様に見ました。
怖くて怖くてまともに顔もみれなかったというお父さんは、非常に厳しい方だった様ですが 生まれたばかりの教授を「抱っこしてる写真を見て心が和みました。
YMO時代の教授の記事をノートに張って内心では息子の頑張りを褒めていたと知ってたまらず涙が溢れました。
細野さんはやっぱすごいわ。
これが大人!だな
歳を重ねるにつれ沁みる話だわ
長生きしていただきたいです💖
細野さん大人だなあ
感動しました。
時間を経て大人になって心から素直にお互いの意見を受け入れる2人。
じゃあまたねって、今聞くと寂しくて涙が溢れてしまいました。
これぞオトナの会話。
こんな話を当人を前に話せる間柄が羨ましい。
こういう年取って互いに分かり合えるの素敵だなあ~
5歳しか違わないけど、昔から細野さんだけお父さんって感じだったものね。
みんな優しい人に当たるからね
大人になって、こういう話ができるっていうのは、なんだか素敵なことだと思う。だってそのときで二人は終わってないっていう証ですから。。尊敬するお二人のお話は、お二人の音楽を聴くことと同じくらい好きです、、
この2人の対談が聴けて本当に良かった。
教授に対して【ファーザーコンプレックス】と直接、言えるのは細野さんだけ。
亀一さん超やり手編集者
三島由紀夫を発掘、デビューさせた人です。
細野外交官の御孫様で、
タイタニックの生き残りなんて
細野さんって、
優雅な雰囲気があるけれど
強運の持ち主。
会うべきして会った2人✨
@@michisolaris594 YMOがあって良かった まさにYMOは邂逅 www.asahi-net.or.jp/~AH9Y-NKJM/NAIYO/comment/text_0-9.html
I know Im asking the wrong place but does anybody know a way to log back into an instagram account..?
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歳を重ねてここまで腹を割って話せるようになった事が本当に良かった…。
教授も細野さんもお互い仲良くなれて嬉しかっただろうな。
素晴らしいですね、二人の会話。なぜだか、涙が出てきます。
これが99年か…
HASYMOで「CUE」を演奏した後、幸宏と教授が感極まって泣きそうだったのはこういう確執もあったからなんだろうね。
最初から細野さんはパパだったんだ、2人の。
素晴らしい この一言。
YMOは細野さんで成り立ってた。 本当に素晴らしい。
青春時代に聞いた音楽は輝き続けるけど、この二人が共有する時間はもう叶わない。
そう思うと寂しくてたまらない。
教授、安らかに…
細野さん大人だなぁ。
細野さんは細野さんで、表に出さないだけで怒らないことは無かったらしく、教授とあからさまに距離を置いていたんだよね。
だからこそ、教授もつっかかっていったと思う。
この対談ほど幸せになれる対談はない
お互いがすごく良い関係
1980年前後当時は、細野さんが引っ張っていって、坂本さんが尖っていて、幸宏さんが緩衝していたからこそ
あのテンションが高く研ぎ澄まされた音楽ができたのだと思う。
細野さんの「つっかかってくる」がなんか面白い(笑)
細野さんと教授が、こうやって心開いてお話をしていることに涙がこぼれる。
坂本氏と細野氏とはティンパンアレイの頃から付き合いがあって、音楽だけがつなぐ「緩い関係」としか外側からは見えなかった。だからYMOの頃は「坂本龍一みたいな尖ったタイプの個性が、なんであんな種類の音楽を何年間も演り続けられてるんだろう?」とちょっと不思議な気がしてた。
なるほどねぇ。ファーザー・コンプレックスか。細野氏が「峻厳でないお父さん役」で一歩引いた立ち位置で冷静に振る舞っていたから続いたのか。ユキヒロ氏が間にはいって緩衝材の役割を果たしていたのも大きかったろう。
YMOを遙かに過ぎて2000年に至り、YMOのあの時代の自分を冷静に振り返れる年齢になったということでもあるのだろう。なんか、しみじみする話だな。
これホント泣ける。中学生のときからYMOファンだったから。幸宏さんが亡くなって尚更、ね。
これ聴けて良かったです。
たぶん… ですけど、
細野晴臣さんは、知識、実力、生まれ育ちや人脈、全てにおいて圧倒的な存在感で、
ほとんどのミュージシャンが、この人にはかなわないな… って、逆らえない雰囲気があるんでしょうね。
坂本龍一さんは、勿論才能も実力もすごくて、自分は誰にも負けないぐらいの気概があって、
それで、細野さんみたいな人から、勝てない圧力みたいなのを感じれば感じる程、坂本龍一さんの中の反発心みたいなのも燃えて、
それが緊張感と化学反応を起こして、
YMOという不世出のバンドの原動力になっていた。
私はそんなふうに感じてました。
教授は今が一番幸せなんだろうな。
ファンをやっていてすごく感じるな。
もう20年くらい前の対談のようだけど、昔からのファンとしては
「よくぞここまで腹割って話せるようになってくれました(>_
こんにちは。宜しくお願いします。「突っかかる相手や方向が変わっただけ」 それはまさに的を射た表現です。それと、かつて坂本さんが反目し、離別し、今では「別に会ってまで和解したくはないな」と思う相手も多いと思いますよ。
著名人とは因果な商売で、こういった経緯をいちいちカメラの前、マイクの前で言わなきゃいけないと言う。
ひどい時には泣いたりする。一般人が一番です。
Aqua をBGM に話すから 泣いてまうやろ
教授も細野さんが音楽にスピリチュアルを持ち込みかけてるのがイヤだったとか言ってたけど、YMO外で全く共演してなかったわけでもないし、険悪と言われてた時期でもみんなでコンバットごっこして遊んだ話もあるし。本気でキライだったわけじゃないはず。基本はグループに束縛されてる状況に苛ついてたのが大きいような。細野さんには八つ当たりにも近かったのでは。メンバー間のいざこざってよくある話だけど、YMOの皆さんは充分オトナでしたよ。
よくあるロックバンドの険悪な関係みたいな俗人的な確執とは違うんですよね。
教授が細野さんに反発していた理由は、表向きには音楽家としての思想の違い。
本質は、"意地でも劣等感を感じまい"と抗う強烈なライバル意識にあったと思います。
教授は細野さんの悪口を言い放った時には「もちろん尊敬してるよ、音楽家としては」と必ず口癖のように添えていた。
結局のところ細野さんが看破していたように「ファーザーコンプレックス」がもっとも的確な例えだと思います。
ちなみにこの雪解け対談の9年後に出版された教授の自伝では、とても穏やかな語り口で細野さんの功績を称えています。
さらには「あの頃は常にYMOを仮想敵としてソロアルバムを作っていた。だからYMOが散開した瞬間、心にポッカリ穴が空いたような気分に襲われた」といった旨の発言もしており、今の良好な関係を知っているからこそ涙が出そうになりました。
これ凄いな。聴いてるだけでゾクゾクするし、それと同時に何故か緊張するw
確かに。
細野さん良いね。
このトークをを聞くと年を取るのも悪くないって思える
同感です
お二人共尊敬し感謝しております、長生きしてもっともっと作品を世に出して下さい!
5分ってこんなに短い時間なんだなって思います
楽しくない時の5分ってすごく長いのに。
良い話だなぁ
年月を経て丸くなってお互いリスペクト出来る 聴けて良かった
NYにて仕事でお世話になりましたが、自分みたいな若造にとても優しく話してくれて、尖っていたイメージは皆無でした。
ともあれ、これはとても興味深い話ですね。
これは貴重だね。
いい話聴けた。ただそれだけ。
生きるってこういう事なんだと思った。
仲悪い とか言いながら、散開後も3人は集まって、
再生YMOのときの記者会見でも教授は
細野・高橋 両氏に対して
「2人は日本で一番のミュージシャン、これ以上の方々は今日本にいないので
自分が日本で仕事をするとしたらこの2人とするしかない、いやホントです、コレ」
と言ってましたね。
人としての好き嫌いと別の次元で、細野さんや幸宏さんへのリスペクトはあり続けたんでしょうね。
この会見で幸宏さんが教授のことを「坂本くんも大人になったんだな」と言っていたのも印象的でした。
お二人の素直なところが良いですね。
このお二人は天才であるが故に若い頃はとても尖っていらしゃったらしい。
中を取り持つ幸宏さんが太鼓持ちをしていたと言っていた。
ドラマーだけにw
山田くん、この方に三枚差し上げて!👏👏👏
…とにかく、ユキヒロさんが細野さんと教授の板挟みンなって、色々苦労しったんですもんね…😭
そのせいか、ただでさえ細い体はますます痩せ細って…加藤和彦さんみたいにならなかったのが幸いです😭
2:20
何回も全部聞いてから、ここに何回も戻ってくる。ありがとう。
当時は中学生でもその関係性を感じ取れた。
でも今日この話を聞けて、自分の中に残っていたわだかまりも解けた気がする…。
聴いてるだけで笑顔になれる。何故か涙も出てくるけど。。
今までに聞いたYMOの対談の中で壱番ほっこりしました。
大変貴重なお話、アップありがとうございます。ここからNHKどてらYMOやSKETCHSHOWへのゲスト参加の流れになっていくんですね。
坂本さんのお父さんは、河出書房で編集をやっていた方で、あの三島由紀夫が書いた「仮面の告白」を編集し出版された方ですからね。まさにとても保守的な方だったんでしょう。それこそ保守の文学者と個人的なお付き合いは広かった様です。
この動画は昔見たけど、今になって見るとこのサムネは寂しいね…
当時は仲悪いのをネタにすることもあったよ。
サンストで2人がゲストの時リスナーからの「2人とも仲良くしてください」って投稿を笑いながら読んだりしてたし。
サンストで細野さんの特集やって絶賛したりしてたしね。
細野さん、優しい✨
いつまでもお元気でいて欲しいです🙏
感動した…!
教授の音声だけ聞くとサウンドストリート思い出すなぁ。
二人とも実力・才能があって、いい意味で自己主張が強いから、若い頃は互いに引かなくて...って感じだったのかな。特に教授の方はライバル心みたいなものも強かったんでしょう。YMO以前に顕著な実績もなかったから。
加えてお父さんが偉大であってね。
角のとれない教授と掴みどころのない細野さん、そして一番病んでいるのに調整役に徹していた最年少の幸宏。スタート時点でアビーロード状態のYMOは年々日本の音楽史で特異点だったと思う。教授も立花ハジメや土屋正巳等気の置けない弟分を得て徐々にゆっくりと丸くなっていった。概ね40年位かかった。
立花ハジメは当時教授のこと歩く生殖器って本当のこと言ってしまって、ステージ上で教授に本気でぶん殴られた。w
@@ze4037さん
「歩く生殖器」!?何すかその例え、面白すぎー!🤣
いい話。人生の話。
アップありがとう!あぁと得心したりそうだったのかと。楽しく聞きました!
坂本様、細野様とまたラジオで話してほしいなあ。("`д´)ゞ
僕も聴けて良かったです。
nory holyさん、ありがとう!
貴重な音源のアップありがとうございました。
堪能しました♬
「雪融け」「親の因果を断ち切る」「和解する」「自分探し」が良い事で、大げさに言えば、「現世における使命」みたいに位置付けされているけど、ケンカが続いていて、ケンカで終わる人生でなければ、一つ一つ物事を清算する必要はないと思うんです。坂本さんも細野さんとまた会う機会が増えたから和解した訳で。
坂本さんと反目して袂を分かち、そのままになって、坂本さん自身、「別にいいや…」と思う相手は数え切れないと思いますよ。
教授のご尊父については某公共放送で詳しく語られてましたが、そのお仕事や人となりにはびっくりでしたね。三島由紀夫を発掘した人でもあったとは。その父親を持つという事がどれだけ教授が大変な思いだったのか、少しは分かった気がした。
この動画の後の広告で「風をあつめて」がちょうど流れてグッときました
細野さんが大人だからYMOは存続出来たんだな。
それだけではなく、最も険悪な時期でもユキヒロさんが間を取り持っていたのを忘れてはなりませんよ
その辺の事を「僕ドラマーだから太鼓持ちなんですよw」とか言いながら話してたのはいい思い出
解散したんですけど
@@オンリーワン-b4n
あなた、それマジで言ってる?
@@gunsoviva1633
はぁ?解散して無いの?
現実を理解して無いんだな
解散はしないでしょ?
@@オンリーワン-b4n存続できた、というのは5年間、「散開」するまで存続できたということね。
坂本龍一のメンタル的に3年目あたりでかなり危なかったのを、ユキヒロと細野さんでなんとかしたのよ。
2013年に幸宏は「YMOはあと30年は続けます」と言ったので、公式には2043年まで存続するわけですけどね。
細野さんと教授の不仲の中、緩衝材的な役割を強いられてきたユキヒロさんが気の毒すぎる…
(T^T)
と、いうか細野晴臣と坂本龍一っていう北極と南極みたいな日本音楽界の極の二人の間にしれっと存在してる時点でユキヒロさんも充分どうかしてるお方だと思います笑
細野さん曰く、一番わからない、または謎みたいにユキヒロさんを評していた筈です
YMOって三人ともどうかしてます
心配には及びません笑
そういえば2人だけってなかったな。
いいね。
何でだろ…涙が零れる(苦笑)。
YMO名義で『雪解け』というテクノ演歌を作って欲しかった…
素晴らしい会話ですね😂
ソリトンSIDE-Bの坂本龍一スペシャル素晴らしかった
教授は細野さん以外でも90年代はじめ頃まで他人を見下したり態度が悪かったよね。単にプライドが高いのか人を見下していないと自尊心が保てないのか分からないけどかなり露骨だった。
私も昔からの坂本龍一の大ファンですが、ある時たまたま知り合いのレコード会社の方との会話で彼の話題になり「坂本龍一は人間として最悪だよ。あからさまに上には媚び諂い、下を見下す奴で本当に大嫌いだ!最低の人間だよ!」というのを聞かされたときは本当にショックでした。でも今でも大ファンです!
でも、明らかに媚びたYMOファンならともかく、YMOを知らないような一般人には優しいんじゃない? 例えば、民族音楽を取材に行って、アイヌとか沖縄の人には優しいんじゃないのかな。プロモーターとか出版、音楽関係には傲慢なような気がする。
@@中村耕太郎 お
ありがとうございました。
年取って丸くなったね、教授。ymoの頃札幌で話したことあるけど、サイン会で高校生くると舌打ちしてたよ。
クズやん
私は大学生の頃、教授がツアーで札幌に来ていて、握手してもらったことがある。
YMOの頃は、とんがってたのかな。
@@chihiro1305
幸宏さんと細野さんがユニット組むくらいまでとんがってましたねぇ、
再生の時なんかでMC4とか使った録音とかまだやってると2人を馬鹿にしてましたしね
写楽…
1949年(昭和24)、当時、大蔵省につとめていた平岡公威(きみたけ)に”長編小説を書かないか”と
依頼に行ったのが河出書房の名物編集者・坂本一亀
教授の父君だ
平岡は熟考の挙げ句、”この一作に賭ける”と大蔵省を退官し、作家活動に入る
3ヵ月後、世に出た小説は衝撃を持って当時の日本社会に迎えられた
『仮面の告白』ーー平岡公威、ペンネーム”三島由紀夫”の事実上の文壇デビュー作である
ファンの想像以上に仲が悪かったんだろうなぁ。
坂本さんがおかしいな・・といっている理由。
年上への反感とは別に、父親の厳しさを受け継いだからというのがあるはず。
その場合は、厳しい姿勢を自然なものとして無意識に引き継いでいるのでつっかかった自覚がない。
ヒャー。仲がいいからバンドやっていたんだろうと、単純バカ的に、そう思っていました。ただ音楽だけが、彼らを結びつけていたんですね。
「親の因果を断ち切れずに亡くなる人が9割」…。
絶対に当たってる。
ほんとその通りですよ
歳とったら分かる
自分で分かってない人や
分かろうとしない人が殆ど
分かんなくても生きていけるから
そして因果は子孫へ引き継がれてゆく
極端な例ですが、「子供に虐待する親は、有意な割合で子供時代に虐待されていた」的なのも、親の因果が断ち切れない典型例ですよね
ほんと、これ聞いたとき、嬉し泣きしました😂🎉😂
喧嘩したとか🎉椅子蹴飛ばしたとか🎉レコーディングずらして録ってたとか🎉 当時YMOの情報少なかった😅
やっぱり仲悪かったんだな😂
年上が嫌いなんだなとわかった😅
雪解け😅でも細野さん大好きなんだね‼️😊❤この裏には幸宏さんが絶対的に教授に言ってたと思う😂細野さんそんな人じゃないって😅😊😂
きっと子育てにも影響が出ていたのでは? と思います。坂本さんがアダルトチルドレンから脱した時からは、美雨ちゃんにとって優しいお父さんでいてあげられてたのかな。。
コーヒー☕飲みながら聞いてると参加してるようで、楽しく拝聴できました(人''▽`)
いわゆる「ポップス」の知識では絶対にかなわないとわかった時に藝大大学院卒というプライドが頭をもたげてきてややこしくなっていった、というのもあるような気はします。
NYに行った頃に出した著書「セルダムイリーガル」でもまだまだ細野さんの悪口言ってたよね
YMOは細野さんが宗教にハマっておかしくなったとか、
YMOの世界ツアーを監獄と形容したり。
「村上春樹と村上龍が同じ部屋で小説書けないでしょ」だって。
生意気だなぁ(笑)
W村上を引き合いに出した挑発発言なんてしてたんですね!知らなかった。😳
なんか良いですな細novaがあるのですから坂*novaも聞きたいな。
人間分析が鋭い。
年取る事は、悪くない。
チーム細野も筒美京平に代表される歌謡界に対峙して、自分達の自由な居場所を確保するためにツッパった結果、アルファから好きにやってと言われるまでに力を得た。その細野サンが、教授には対峙する壁だったんだろうなぁ。そうこうしてるうちに、小室哲哉が出て来て筒美を倒し、その小室が宇多田ヒカルに倒される。曲に対する創り手の裁量はアーティストに集中して自由なようだけど、業界自体は個人ではどうにもならないくらい隅々まで制御された巨大な装置になってるってのが・・音楽産業の完熟なのかなぁ・・今やゲームやダンスホールに取り込まれてる感も有るし。レコーディング・アートは、民主主義にも似た、戦後の非常に特殊な時期だったのかもなぁ。コンテンツから装置に、移って来てるのか。コンテンツって何だろ、夢なのか?
それは聴衆が貧しくなり飼い慣らされてしまった結果で、それに対する反発や、自由を求める改革は必ず起きますからご心配なく。
そうかぁ、そうなんだ、親と喪失感を乗り越えて大人になるのですね、
裏的なモノを一切知らないと、やり尽くした感があったから散開ねって思ってた。細野さんがいてこそのYMOだったんだな。
教授のカリスマ性が目立っていたので、小さい頃はそればかり追ってたように思うなぁ。
そうそう、教授にばり話題と人気が集中して、細野さんとユキヒロさんにはそのお下がり、お余りしか回ってきてない…少なくとも、わたしにはそう思えました。
確か教授のお父様は、教授が学生運動やってるとき
お前が人を傷つけたり(人を殺したり?)したら 俺がお前を殺す
みたいなことを言ってたんでしたっけ。
seldom illegalで教授は言ってましたね。共産党宣言を読めよ、みたいな事を言ったんでしたっけ?
若い頃の教授は確かに人殺してもおかしくなさそうなイメージありますねw
@@ナーシサス次元から来た人-d8uさん
心に神を持たなかったであろう若かりし頃の教授なら、何人、いや、何十人●しててもおかしくなかった。
それこそ細野さん、いや、ユキヒロさんもボッ●していたでしょう…😨
仲直りっていいよね!
お互い才能あるから、ぶつかってたんだろ...
あはは!
細野氏がいなかったら、ピアノのうまいスタジオミュージシャンで終わってたかもしれないけど、ファーストアルバムでYMOに先駆けて打ち込みもしてたし、功績がYMOに吸収されるのも嫌だったかもね。長い反抗期からこんな丸くなった教授、時代がかわったな。
まさに「ときぐすり」。
時間が解決してくれたんですかね…
教授でも怖い人がいらっしゃるのですね。
ター坊とアッコちゃんだけかと思っていたのですが。お父さま、か。
YMO時代に細野さんと教授が上手くいってないってのは分かってたけど
(幸宏さん、ご苦労さまです(笑))、
でもメンバーそれぞれは具体的にあまり言及はしなかった。
なので今回、細野さんが「つっかかってきた」「僕は冷静に見てた」
って言ってるのを聴いて、もの凄く、へぇ~~~~・・・!って思った。