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市橋先生の話は、分かりやすく一番好きです
今、一番楽しみなRUclipsです!!
今回も、ありがとうございました。またまた、次回が楽しみです。
今回の先生の話、現代の自分の勤務先を思い浮かべながら聞かせて頂きました。仕事をするのにお金や恩賞だけを目当てに動いていては長く続きません。やはり人間の取る行動の根底にある意味哲学が必要かと考えさせられました。
小和田先生の本を読んだ時衝撃が走りました、歴史ってこんなに思いっていたことと違うのかと、そして今、RUclipsで市橋先生を知り、凄まじ衝撃が、僕らの市橋先生、もー、感動、もー目から剥がれる鱗が足りません、、こう解釈することで、、なんか全てが、、凄い!感動です、愛知万歳、三河万歳、名古屋に来てよかった^_^、意味不明なコメントすいません、ありがとうございます😭
「目から剥がれる鱗が足りません」←いいね!×∞
毎週楽しみにしています🤗家康は新しい時代の武士達のあるべき姿をこの時期に考えていたんですね。😀それを実行に移す優秀な家臣もいて日本文化や和の精神の原形になっていったのかなあって感慨深いです😄
榊原康政の「老臣権を争うは亡国の兆し」と言う言葉が全てを物語ってると思う
わかりやすい。わかりやすいです。会社経営にも、ヒントになります。ありがとうございます。
流石 神君家康公 凄すぎる🎵今の日本の礎を作った人は凄いですね⁉️
小説やテレビドラマ・映画などの影響は大きいですね。起きた事件の背景を知ることに、わくわく感をともなった好奇心が刺激されます。
徳川家康について知れば知るほど偉大な人物というのがわかる。子供の時には秀吉なきあとで天下を掠め取ったジジイとしか習わなかったので。
石田三成ファンとしては次回がものすごく楽しみです。
三成について詳しく紹介します。優秀な故に最終的に不運な役回りになってしまったのかなと感じています。次回もよろしくお願いします。
佐竹 義宣に「三成が居なければ生きる意味が無い」とまで言われてますね。津軽為信も三成の恩に報いる為に遺児を匿っています。
家康は三成は好ましいと思っていたと思いますよ。だから直江兼続や似た人は称賛していますから。この動画でお陰様で三河武士や家康が天下を狙っていたのか?は本当に良くわかりました。清康→家康は戦国時代の『タッチ』ですね。三河武士は高い理想を求めるのが本来は不得手なはずだと個人的には思っていました。清康の動画で氷塊しました。話しを元に戻して家康の名前占いしたら天下統一を狙っていた名前でした。密やかに野心が有ったのだな、と思います。名前を次々変えて具合の良い名前に落ち着いたのが徳川家康だったのだと思います。その間、神仏にも天下を取るためには!と祈り続けていたのだと思いますよ。そして色々閃いて行ったのだと思います。本当は三成と家康は息の合う関係なのだと思います。秀吉、三成も家康が野心を隠して天下を取ろうとしている事は分かっていたのだと思います。必然的に家康は三成を潰す必要があっただろうし、三成も豊臣の安泰の為に最大の癌の家康は潰す必要を感じていたのだと思います。お互い認め合っていたはずですよ。でもお互いの立場が許さなかったのだと思います。家康も関ヶ原のあと三成を大将の器だと言っている話しを何かで見ました。出来る事なら三成は殺したくなかったと思います。家康ほどの情報収集に卓越した人が子孫が津軽に名前を変えて仕えていた事を把握していなかったとは思えないです。東北の最北端なら天下を揺るがす事も無いだろう、と思ったのだと感じます。分かって見逃していたと思いたいですね。本当は秀頼も殺したくなかったと思いますよ。淀君にも人生の流転や儚さに同情していたのだと思います。天下の為には豊臣が力を持った状態では乱れるから泣く泣く滅したのだと思います。大坂の陣の前段階もかなり譲歩案を出してますし、写経も膨大に書いて、たまに南無徳川家康とか書いているので、心底やりたくない最期の仕事だったはずです。とてもタヌキ爺いとは考えられないです。全ては天下の為に狡猾さも演技で仕方なくしていたのだろうと思います。
先生の話を聞きながら^ ^友里さんの可愛いい顔を見つめる^ ^これが最高です♪
いつも楽しみに拝見しております。関ヶ原の合戦回はスペシャルで1時間番組でお願いします。
待ってましたよ先生!一週間が長く感じましたw
週一更新で、申し訳ないです。次回もよろしくお願いします!
@@history-channel いえいえ、大満足しております。
石田三成の子孫の方々がTVに出られたとき、お顔が三成にソックリだったのでビックリした。
浜崎さん綺麗だなあー
熟女?
家康公は凄いなぁ、今の日本を見たらどう思われるだろうか。
給料とか誰が考えたんやろって思ったが、家康の見方が変わる話だったと思うし、これを、中学とか高校の教育でやる事により、社会がもっとわかりやすくなると思います。
しかし、徳川が目指した正しい治世については、ほとんど知られていないような気がします。古だぬき、抜け目のない、諸大名を隠密を使って徹底的に監視したとか、どうも悪いイメージが先行しています。なぜですかね。要は徳川の善政の部分を隠したい奴らがいるみたい。でも、国づくりと共に人づくりも素晴らしい。仏様が選んだだけのことはある人のような気がします。他にも多くの武将がいたが、信長、秀吉、家康~ひょっとしたら日本という国そのものが彼らを選び役割をはたさせた、そんな気もしますよ。冷静な目で日本見ていた外国人なら、この平和国家日本の凄さに呆れたでしょうね。あの戦国から太平の世としたのですからね。
三浦按針がエリザベス女王からの贈り物、大砲や鉄砲、南蛮鎧などを献上して、家康はそれを関が原で活用したなどの話があるみたいですが、徳川に詳しい市橋先生はどういう見解なのか、見て見たいです!
先生面白いです
良いなー忠勝
国を治める方策として、儒教・朱子学・貞観政要の考え方は肝要だと思いますが、家康の精神的根底にはやはり「欣求浄土(=争いのない平和な国づくり)」にあったとおもいます。家康のこの精神を理解出来ない者は、たとえ親藩、家門、譜代、外様であっても遠ざけられたり、疎んじられています。この「欣求浄土」の精神がいつも家康の心の中に「大黒柱」として存在していたのです。これが一族、家臣に継承されて、265年の長き「平和な泰平の世」の礎になっているのです。国家も武家も民家も全て家の中心である「大黒柱」がしっかりしていないとその家は永続できません。今回の忠勝の「総まくり」の遺言は将にこのことの証左になると思います。あらためて、家康の「欣求浄土(表現は色々ありますが)」の大黒柱的精神に心服しています。現代の混沌とする全ての分野においても基本的精神として看過することの出来ない命題だと思います。あと、この教室ものすごく勉強になります、感謝です! それと、お二人の絶妙な掛け合い とっても楽しいです。時として「抱腹絶倒」…救急車もの です。ありがとうございます!
徳川家康の清濁併せ呑む性格が好きなんですよ私
戦国時代、個人の忠義忠節が信じにくいからこそ、親族や昔から使えていた家の子供が大事にされてたんでしょうね😃
市橋先生、友里さんお疲れ様です。貞観政要・・読んでみたいです。現代語訳版だと文庫か何かになっているんでしょうか??
徳間書店から発刊されています。呉 兢/著、守屋 洋/訳の本です。解説も付記されて理解しやすいと思います。一度じっくり読んでみてほしい書です。(ISBN4-19-241999-8 1900円)です。
@@市橋章男 ISBNまで教えていただき、ありがとうございます。書店、なければ楽天で探してみます。
夜中に途中から聴き出して面白くて眠れなくなりました『諸説ある』時代から、偶然見つけた満洲から苦労して帰って来た方々の話し、戦後処理など今まで思いもしなかった情報に一喜一憂(少しオーバー笑)ドラマも軍国主義時代は嫌いでしたが、今はどうして世界大戦になったのか知りたいと言うか、あえて言えば戦国時代、武士、男性(ごめんなさい)繋がるようで、心理的な事も含めて、また明治、大正と考え方も事項も変化するでしょうが田中角栄元総理が『今は戦争体験者がいるが戦争を知らない世代になったら(怖い?)』と私は右でも左でも暇でも無いですただ小泉、阿部元総理は何か『軽い』なと、私と同世代だからでしょうか? 私より100倍は頭も良いし勉強もされた方ですが『戦後生まれ』と言いたいのです市橋先生もですね(笑)中田敦彦さんが『近代史はサラッと習った、不思議だった』みたいな動画(私も思ってました)(私、何を言おうとしているのかなぁ?)あっ、最近まで中3の孫にスマホ(ゲーム、youtube)ばかり!と叱ってましたが、今は私もその身です(笑)孫も調べれば分かる時代です、歴史の試験勉強は家族で問題出しあったり(RUclipsのおかげで盛り上がります)ワタシでさえ半年で知識量アップ(覚えはできない)今の子供達も上手に情報を得て行くと思いますし、その中から思慮深い人が出て来るのを期待します『歴史』 大切ですね❣️市橋先生❣️これからも良い動画をお願いします🤲 石田三成氏〜楽しみにしてます♪すみません🙏寝不足で長々意味不明で😅
いつもコメントありがとうございます。寝不足、気をつけてください😀
豊臣秀次切腹事件が無ければ、秀吉死後の内輪揉めの争いはマシになってたんでしょうかね…
豊臣家臣でも秀次家臣だった人の多くは徳川につきました
日本での木板刷りは、もっと早くからなされています。例えば、蓮如の文明板三帖和讃などがあります。
徳川家康は武家諸法度で外様大名を押さえ付けたが毛利輝元が祖父毛利元就が朝廷から朝臣の官位を貰い朝廷に献金を続けたいの願いに武家諸法度では大名は朝廷との接触は禁止だったが保守好みの家康は特例で毛利の朝廷に対しての献金は認められたが後に吉田松陰の勤皇運動に繋がり吉田松陰の松下村塾生徒から倒幕運動になってしまった。
関ヶ原も幻の城の玉城に秀頼が出向いてれば士気が高まり戦況は変わったかもってテレビでやってました💦
西軍勝っていても、内紛し戦国時代がまた百年続く三成を軽く見るわけでないですが、秀頼を立てても三成さんの元で全て丸く収まるとは思えない、いろいろあるけれど江戸幕府で長い間平和を続けられ国の内紛がないのと文化や識字率の高さから(ほかにも要因はあるだろが)植民地化されなかったので家康でよかったと思う。伊達、島津など言っては悪いが相当食わせ物です、三成さんでは悪いけれど役不足の感はあります、ただ人として見たときはまた別でまじめな人だとおもいます。
今まで一番凄い、天が味方したのがわかる、しかしそれを一番実行したのが石田三成だつた、歴史の皮肉だね
家康シリーズ32がふたつになっていませんか?前回が32だったので、今回は33では?
ご指摘ありがとうございます。修正します。
本多忠勝はお手本のような武将やな
そんなに早く関原行かんで大丈夫です😅👍❗️もっといろんなやりましょう👍❗️でも一週間かよ😂❗️
現代人が豊臣を裏切った家康が悪いみたいな言い方するのは何重にもおかしいってことなんだな。。家康が天下取って泰平の世の中にしたから初めて出てきた価値観で下剋上の象徴である豊臣を擁護することは矛盾なんだ
現実は大老で大身内政の執行官、野心がおきても、普通其れを隠すために形っくつたとも考えられる
統治能力、軍歴から見て石田三成に勝ち目はないんだが
今の日本のお役人さんに惣まくりの爪の垢を煎じて飲ませても治らないすね。
家康はうまく洗脳してた?としか
!り
市橋先生の話は、分かりやすく一番好きです
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今回も、ありがとうございました。またまた、次回が楽しみです。
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小和田先生の本を読んだ時衝撃が走りました、歴史ってこんなに思いっていたことと違うのかと、
そして今、RUclipsで市橋先生を知り、凄まじ衝撃が、僕らの市橋先生、もー、感動、もー目から剥がれる鱗が足りません、、こう解釈することで、、なんか全てが、、凄い!
感動です、愛知万歳、三河万歳、名古屋に来てよかった^_^、意味不明なコメントすいません、ありがとうございます😭
「目から剥がれる鱗が足りません」←いいね!×∞
毎週楽しみにしています🤗
家康は新しい時代の武士達のあるべき姿をこの時期に考えていたんですね。😀
それを実行に移す優秀な家臣もいて日本文化や和の精神の原形になっていったのかなあって感慨深いです😄
榊原康政の「老臣権を争うは亡国の兆し」
と言う言葉が全てを物語ってると思う
わかりやすい。わかりやすいです。会社経営にも、ヒントになります。ありがとうございます。
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小説やテレビドラマ・映画などの影響は大きいですね。
起きた事件の背景を知ることに、わくわく感をともなった好奇心が刺激されます。
徳川家康について知れば知るほど偉大な人物というのがわかる。子供の時には秀吉なきあとで天下を掠め取ったジジイとしか習わなかったので。
石田三成ファンとしては次回がものすごく楽しみです。
三成について詳しく紹介します。優秀な故に最終的に不運な役回りになってしまったのかなと感じています。次回もよろしくお願いします。
佐竹 義宣に「三成が居なければ生きる意味が無い」とまで言われてますね。
津軽為信も三成の恩に報いる為に遺児を匿っています。
家康は三成は好ましいと思っていたと思いますよ。だから直江兼続や似た人は称賛していますから。
この動画でお陰様で三河武士や家康が天下を狙っていたのか?は本当に良くわかりました。清康→家康は戦国時代の『タッチ』ですね。
三河武士は高い理想を求めるのが本来は不得手なはずだと個人的には思っていました。清康の動画で氷塊しました。
話しを元に戻して家康の名前占いしたら天下統一を狙っていた名前でした。密やかに野心が有ったのだな、と思います。名前を次々変えて具合の良い名前に落ち着いたのが
徳川家康だったのだと思います。その間、神仏にも天下を取るためには!と祈り続けていたのだと思いますよ。そして色々閃いて行ったのだと思います。
本当は三成と家康は息の合う関係なのだと思います。秀吉、三成も家康が野心を隠して天下を取ろうとしている事は分かっていたのだと思います。
必然的に家康は三成を潰す必要があっただろうし、三成も豊臣の安泰の為に最大の癌の家康は潰す必要を感じていたのだと思います。
お互い認め合っていたはずですよ。でもお互いの立場が許さなかったのだと思います。家康も関ヶ原のあと三成を大将の器だと言っている話しを何かで見ました。
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東北の最北端なら天下を揺るがす事も無いだろう、と思ったのだと感じます。分かって見逃していたと思いたいですね。
本当は秀頼も殺したくなかったと思いますよ。淀君にも人生の流転や儚さに同情していたのだと思います。
天下の為には豊臣が力を持った状態では乱れるから泣く泣く滅したのだと思います。大坂の陣の前段階もかなり譲歩案を出してますし、
写経も膨大に書いて、たまに南無徳川家康とか書いているので、心底やりたくない最期の仕事だったはずです。
とてもタヌキ爺いとは考えられないです。
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友里さんの可愛いい顔を見つめる^ ^
これが最高です♪
いつも楽しみに拝見しております。
関ヶ原の合戦回はスペシャルで1時間番組でお願いします。
待ってましたよ先生!
一週間が長く感じましたw
週一更新で、申し訳ないです。次回もよろしくお願いします!
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いえいえ、大満足しております。
石田三成の子孫の方々がTVに出られたとき、お顔が三成にソックリだったのでビックリした。
浜崎さん綺麗だなあー
熟女?
家康公は凄いなぁ、今の日本を見たらどう思われるだろうか。
給料とか誰が考えたんやろって思ったが、家康の見方が変わる話だったと思うし、これを、中学とか高校の教育でやる事により、社会がもっとわかりやすくなると思います。
しかし、徳川が目指した正しい治世については、ほとんど知られていないような気がします。古だぬき、抜け目のない、諸大名を隠密を使って徹底的に監視したとか、どうも悪いイメージが先行しています。なぜですかね。要は徳川の善政の部分を隠したい奴らがいるみたい。でも、国づくりと共に人づくりも素晴らしい。仏様が選んだだけのことはある人のような気がします。他にも多くの武将がいたが、信長、秀吉、家康~ひょっとしたら日本という国そのものが彼らを選び役割をはたさせた、そんな気もしますよ。冷静な目で日本見ていた外国人なら、この平和国家日本の凄さに呆れたでしょうね。あの戦国から太平の世としたのですからね。
三浦按針がエリザベス女王からの贈り物、大砲や鉄砲、南蛮鎧などを献上して、家康はそれを関が原で活用したなどの話があるみたいですが、徳川に詳しい市橋先生はどういう見解なのか、見て見たいです!
先生面白いです
良いなー忠勝
国を治める方策として、儒教・朱子学・貞観政要の考え方は肝要だと思いますが、家康の精神的根底にはやはり「欣求浄土(=争いのない平和な国づくり)」にあったとおもいます。家康のこの精神を理解出来ない者は、たとえ親藩、家門、譜代、外様であっても遠ざけられたり、疎んじられています。この「欣求浄土」の精神がいつも家康の心の中に「大黒柱」として存在していたのです。これが一族、家臣に継承されて、265年の長き「平和な泰平の世」の礎になっているのです。国家も武家も民家も全て家の中心である「大黒柱」がしっかりしていないとその家は永続できません。今回の忠勝の「総まくり」の遺言は将にこのことの証左になると思います。あらためて、家康の「欣求浄土(表現は色々ありますが)」の大黒柱的精神に心服しています。現代の混沌とする全ての分野においても基本的精神として看過することの出来ない命題だと思います。あと、この教室ものすごく勉強になります、感謝です! それと、お二人の絶妙な掛け合い とっても楽しいです。時として「抱腹絶倒」…救急車もの です。ありがとうございます!
徳川家康の清濁併せ呑む性格が好きなんですよ私
戦国時代、個人の忠義忠節が信じにくいからこそ、親族や昔から使えていた家の子供が大事にされてたんでしょうね😃
市橋先生、友里さんお疲れ様です。
貞観政要・・読んでみたいです。現代語訳版だと文庫か何かになっているんでしょうか??
徳間書店から発刊されています。呉 兢/著、守屋 洋/訳の本です。解説も付記されて理解しやすいと思います。一度じっくり読んでみてほしい書です。(ISBN4-19-241999-8 1900円)です。
@@市橋章男 ISBNまで教えていただき、ありがとうございます。書店、なければ楽天で探してみます。
夜中に途中から聴き出して面白くて眠れなくなりました
『諸説ある』時代から、偶然見つけた満洲から苦労して帰って来た方々の話し、戦後処理など今まで思いもしなかった情報に一喜一憂(少しオーバー笑)
ドラマも軍国主義時代は嫌いでしたが、今はどうして世界大戦になったのか知りたいと言うか、あえて言えば戦国時代、武士、男性(ごめんなさい)繋がるようで、心理的な事も含めて、また明治、大正と考え方も事項も変化するでしょうが
田中角栄元総理が『今は戦争体験者がいるが戦争を知らない世代になったら(怖い?)』と
私は右でも左でも暇でも無いです
ただ小泉、阿部元総理は何か『軽い』なと、私と同世代だからでしょうか? 私より100倍は頭も良いし勉強もされた方ですが
『戦後生まれ』と言いたいのです
市橋先生もですね(笑)
中田敦彦さんが『近代史はサラッと習った、不思議だった』みたいな動画(私も思ってました)
(私、何を言おうとしているのかなぁ?)
あっ、最近まで中3の孫にスマホ(ゲーム、youtube)ばかり!と叱ってましたが、今は私もその身です(笑)孫も調べれば分かる時代です
、歴史の試験勉強は家族で問題出しあったり(RUclipsのおかげで盛り上がります)ワタシでさえ半年で知識量アップ(覚えはできない)
今の子供達も上手に情報を得て行くと思いますし、その中から思慮深い人が出て来るのを期待します
『歴史』 大切ですね❣️
市橋先生❣️これからも良い動画をお願いします🤲 石田三成氏〜楽しみにしてます♪
すみません🙏寝不足で長々意味不明で😅
いつもコメントありがとうございます。寝不足、気をつけてください😀
豊臣秀次切腹事件が無ければ、秀吉死後の内輪揉めの争いはマシになってたんでしょうかね…
豊臣家臣でも秀次家臣だった人の多くは徳川につきました
日本での木板刷りは、もっと早くからなされています。例えば、蓮如の文明板三帖和讃などがあります。
徳川家康は武家諸法度で外様大名を押さえ付けたが毛利輝元が祖父毛利元就が朝廷から朝臣の官位を貰い朝廷に献金を続けたいの願いに武家諸法度では大名は朝廷との接触は禁止だったが保守好みの家康は特例で毛利の朝廷に対しての献金は認められたが後に吉田松陰の勤皇運動に繋がり吉田松陰の松下村塾生徒から倒幕運動になってしまった。
関ヶ原も幻の城の玉城に秀頼が出向いてれば士気が高まり戦況は変わったかもってテレビでやってました💦
西軍勝っていても、内紛し戦国時代がまた百年続く三成を軽く見るわけでないですが、秀頼を立てても三成さんの元で全て丸く収まるとは思えない、いろいろあるけれど江戸幕府で長い間平和を続けられ国の内紛がないのと文化や識字率の高さから(ほかにも要因はあるだろが)植民地化されなかったので家康でよかったと思う。
伊達、島津など言っては悪いが相当食わせ物です、三成さんでは悪いけれど役不足の感はあります、ただ人として見たときはまた別でまじめな人だとおもいます。
今まで一番凄い、天が味方したのがわかる、しかしそれを一番実行したのが石田三成だつた、歴史の皮肉だね
家康シリーズ32がふたつになっていませんか?
前回が32だったので、今回は33では?
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本多忠勝はお手本のような武将やな
そんなに早く関原行かんで大丈夫です😅👍❗️もっといろんなやりましょう👍❗️でも一週間かよ😂❗️
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家康が天下取って泰平の世の中にしたから初めて出てきた価値観で下剋上の象徴である豊臣を擁護することは矛盾なんだ
現実は大老で大身内政の執行官、野心がおきても、普通其れを隠すために形っくつたとも考えられる
統治能力、軍歴から見て石田三成に勝ち目はないんだが
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家康はうまく洗脳してた?としか
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