「貞観政要」とは?家康が見据えた関ヶ原の戦い後の世 天下泰平を生きる武士の姿 本多忠勝の遺言 乱世から次の時代へ 「早わかり歴史授業67 徳川家康シリーズ35」日本史

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 22 авг 2024
  • ㉟豊臣秀吉が天下統一を果たした後、豊臣家臣たちは朝鮮出兵へ。このとき家康は、国内の戦乱が治まったことで、戦国時代から次の時代を生きる武士たちの在り方を考えていた。これまで武功を上げることが武士の仕事だったが、これからは学問に励み、国を安定して治めることが役目だと考えたのである。そこで家康は「貞観政要」という本を印刷し、家臣に読ませた。そして乱世から天下泰平の次の時代を生きる武士の姿を学ばせたのである。それが関ヶ原の戦い後、徳川政権になった後に大きな影響を及ぼすことになった。今回の動画では、その教えを忠実に実行した徳川四天王の本多忠勝の遺言などの史料を紹介しながら、戦国末期に徳川家康が示した天下泰平の世を生きる武士の姿を紹介する。
    〇本多忠勝
    戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。通称は平八郎。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。
    〇徳川 家康は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名・天下人。安祥松平家9代当主で徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖。旧称は松平 元康(まつだいら もとやす)。戦国時代に終止符を打ち、朝廷より征夷大将軍に任せられ、1603年、260年間続く江戸幕府を開いた。三英傑のひとりである。
    関連再生リスト  シリーズ「天下人 徳川家康」
    • 【戦国時代】早分かり歴史授業④
    シリーズ「天下人 徳川家康 」
    1徳川家康の誕生秘話と清康の悲劇 家康の祖父・松平清康が見た『是』の字の夢
    • 森山崩れ 松平一族の命運を分けた清康の悲劇 ...
    2家康の誕生と松平氏の危機 とんでもない危機の中で英雄は誕生していた!
    • 徳川家康の誕生と松平氏の危機 とんでもない危...
    3家康は神の生まれ変わりだった!天下を平和にするために… 徳川家康の生誕伝説
    • 【伝説】徳川家康の誕生とともに消えた真達羅大...
    4徳川家康 影武者説の真実『徳川の歴史から消された異母兄弟』、少年時代の竹千代を難病から命懸けで救った『侍女・お松の悲話』
    • 【伝説】徳川家康 影武者説の真実『徳川の歴...
    5戦国の名軍師・太原雪斎と徳川家康の出会いがその後に運命を変えた 家康の人質時代 なぜ家康は3回改名したのか
    • 徳川家康の人質時代 教育、元服、改名 今川義...
    6徳川家康の人質から自立 桶狭間の戦いから大樹寺の戦い、そして岡崎城主へ
    • 信長との桶狭間の戦いの敗戦から岡崎城主へ 徳...
    7織田信長と徳川家康の清州同盟 愛知県から三英傑が誕生した理由
    • 織田信長と徳川家康の清州同盟 信長はなぜ家康...
    8家康ついに!今川氏と決別 人質奪還計画!妻と子どもたちを救え
    • 家康、今川氏と決別!質奪還計画とは「早わかり...
    9【前編】徳川家康の苦難 三河一向一揆~家臣団の分裂と結束~
    • 徳川家康の苦難 三河一向一揆~家臣団の分裂と...
    10【後編】三河一向一揆の収束と和睦 三河統一 戦国大名へ 家康はなぜ野戦に強かったのか?一揆で許された家臣の結束と忠義 • 三河一向一揆の収束と和睦 三河統一 戦国大名...
    11井伊直政、直虎の命運と家康の遠江進出 井伊家滅亡から再興へ
    • 家康の浜松進出と井伊直政、直虎の命運 井伊家...
    12姉川の戦い 将軍足利義昭の信長包囲網 浅井長政と朝倉義景との戦い
    • 姉川の戦い 信長包囲網 浅井長政、朝倉義景と...
    13戦国最強 武田信玄との三方ヶ原の戦い 徳川家康の大敗は結果的には勝利だった!?
    • 三方ヶ原の戦い 戦国最強 武田信玄と徳川家康...
    14長篠の戦い 悲劇の英雄 鳥居強右衛門の逆転劇 織田・徳川連合軍と武田勝頼軍の戦い
    • 長篠の戦い①織田信長・徳川家康連合軍と武田勝...
    15長篠の戦い 屏風絵の秘密 信長、秀吉、家康、勝頼、名将たちはどこで何してた?武田勝頼の過ち 武田家臣が死を覚悟した甲冑
    • 長篠の戦い②信玄の死、武田家滅亡のはじまり ...
    16長篠の戦い最終決戦!合戦屏風絵に描かれた武田軍の最期の勇姿
    • 長篠の戦い③武田軍の最期の勇姿  合戦屏風に...
    17信康自刃事件 織田信長の圧力?家康の長男・ 信康はなぜ粛清されたのか 徳川家を揺るがした事件を家忠日記から分析
    • 信康自刃事件 織田信長の圧力?家康の長男・ ...
    18本能寺の変 【最新研究】明智光秀の謀反の真相 織田信長はなぜ殺さたのか 通説を覆す最新研究を紹介「敵は本能寺にあり」ではなかった!
    • 本能寺の変① 明智光秀の謀反の真相 織田信長...
    19本能寺の変 【最新研究】明智光秀の信長打倒の裏に正親町天皇の存在が?通説を覆す最新研究を紹介
    • 本能寺の変② 黒幕は?明智光秀の謀反の裏に正...
    20本能寺の変 このとき徳川家康は何を?信長の暗殺に家康が関わっていたのか!家康の不可解な行動を解説
    • 本能寺の変③【伊賀越え】信長の暗殺に家康は関...
    21信長の死後 羽柴秀吉と徳川家康の勢力争い 武田家の旧領、甲斐・信濃を抑え五カ国大名へ
    • 信長の死後 豊臣秀吉と徳川家康の勢力争い 武...
    22清洲会議 秀吉の織田家乗っ取り計画 大河ドラマ麒麟がくるの「麒麟」とは?平和の象徴 麒麟を連れてくるのは光秀、信長、秀吉、家康?
    • 清洲会議 豊臣秀吉の織田家乗っ取り計画 大...
    23秀吉 織田家を手中に!恐るべし策略 信長への恩を仇に… 天下人を渡り歩いた数奇な茶器・初花とは?
    • 賤ヶ岳の戦い 信長の恩を仇に…豊臣秀吉 織田...
    24織田家 滅亡寸前!秀吉に追い詰められる信長の次男・信雄…救いの手を差し伸べた家康!小牧・長久手の戦いへ…
    • 小牧長久手の戦い① 織田家 滅亡寸前!豊臣秀...
    25小牧・長久手の戦い② 後の天下人 羽柴秀吉と徳川家康が争った唯一の戦!小牧山の攻略が勝敗のカギ…
    • 小牧長久手の戦い②豊臣秀吉と徳川家康が争った...
    26小牧・長久手の戦い③ 秀吉の三河中入り作戦!戦に勝利した家康が秀吉に臣従した狙いは?
    • 小牧長久手の戦い③ 豊臣秀吉の三河中入り作戦...
    27豊臣秀吉 天下統一へ 天皇・朝廷の力を利用し日本を治めた 家康の臣従と徳川四天王誕生の背景
    • 豊臣秀吉の天下統一と家康の臣従 天皇・朝廷の...
    28天下人・秀吉のずば抜けた政治力 検地をした恐ろしい狙い!大名の軍事力を丸裸に…太閤検地、刀狩令、惣無事令、石高制など秀吉の国づくりとは!
    • 豊臣秀吉の政治力 検地をした恐ろしい狙い!大...
    29秀吉の朝鮮出兵の背景 衝撃のサン・フェリペ事件、ポルトガルの脅威、外国に売買された日本奴隷の存在、伴天連の追放令
    • 豊臣秀吉の朝鮮出兵の背景 外国に売られた日本...
    30秀吉の朝鮮出兵と関白・豊臣秀次の切腹事件 二つの悲劇が招いた豊臣家臣の分断と関ヶ原の戦い
    • 豊臣秀吉 最大の失策 朝鮮出兵と関白・豊臣秀...
    31明智光秀は生きていた?天海=光秀の真相!戦国史最大の謀反 本能寺の変を起こした光秀の謎に迫る…家康の側近・天海と明智の関係
    • 天海=光秀の真相!明智光秀は生きていた?戦国...
    32秀吉が最も恐れた徳川家康の政治力 関東移封へ 家康はどのように三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五カ国を治めたのか!
    • 豊臣秀吉が最も恐れた徳川家康の政治力 五カ国...
    33東京の原点!徳川家康の江戸まちづくり基礎 なぜ世界最大級の都市に?決め手は水運、上下水道、塩だった
    • 徳川家康の江戸開発 なぜ江戸は世界最大級の都...
    34江戸の発展は利根川の流れを変えたから?徳川家康の凄すぎる人材抜擢
    • 衝撃の不正!一族を粛清 大久保長安事件 家...
    35関ヶ原の戦いの背景 徳川家康が示した天下泰平の世を生きる武士の姿「貞観政要」とは? 本多忠勝の遺言 乱世から次の時代へ
    • 「貞観政要」とは?家康が見据えた関ヶ原の戦い...
    36関ヶ原の戦い目前!秀吉の死後に台頭した石田三成と豊臣家臣の分裂
    • 秀吉の死後、関ヶ原の戦い目前!石田三成の台頭...
    37関ヶ原の戦いが起きた理由!豊臣家失墜を危惧した石田三成と徳川家康の台頭 秀吉の死後に崩壊した五大老五奉行制とは
    • 関ヶ原の戦いが起きた理由!豊臣家失墜を危惧し...
    38関ヶ原の戦いへ 石田三成と上杉景勝の罠?徳川家康が激怒した直江状とは
    • 関ヶ原の戦いへ 石田三成と上杉景勝の罠?徳川...
    39関ヶ原の戦い 西軍結成の鍵「内府違いの条々」大谷吉継はなぜ石田三成の味方したのか?
    • 関ヶ原の戦い 西軍結成の鍵「内府違いの条々」...
    40関ヶ原の戦い前哨戦 伏見城の戦い 玉砕した鳥居元忠の覚悟と細川ガラシャの死 東軍の士気を上げた二つの悲劇「早わかり歴史授業72 徳川家康シリーズ40」日本史
    • 伏見城の戦い 玉砕した鳥居元忠の覚悟と細川ガ...
    41関ヶ原の戦い なぜ決戦の舞台は関ヶ原だったのか?豊臣家臣を操った家康の支配力 影の立役者 村越茂助とは
    • 関ヶ原の戦い なぜ決戦の舞台は関ヶ原だったの...
    42上田合戦 真田信繁に敗れ?徳川秀忠 関ヶ原の戦いで遅刻 家康激怒!
    • 上田合戦 真田信繁に敗れ徳川秀忠 関ヶ原の戦...
    43関ヶ原の戦い 最終決戦!大谷吉継の首を守った名将とは!三成の敗因 島津の進言無視 小早川が味方にならず…
    • 関ヶ原の戦い 最終決戦!大谷吉継の首を守った...
    44関ヶ原の戦い新説と終結後 敗戦の将 石田三成の逃亡 実は小早川秀秋は裏切っていなかった?
    • 関ヶ原の戦い新説と終結後 敗戦の将 石田三成...
    45関ヶ原の戦い後の領地分配と浪人問題 大坂の陣の火種とは 豊臣秀頼と徳川幕府の対立
    • 関ヶ原の戦い後の領地分配と浪人問題 大坂の陣...
    46なぜ大阪の陣に?日本を分断した豊臣と徳川の権力関係
    • 大坂の陣の背景① 日本を分断した豊臣と徳川の...
    47大坂の陣の背景 家康が恐れた豊臣の軍資金と民衆の人気
    • 大坂の陣の背景② 家康が恐れた豊臣の財力と民...
    48大坂の陣の引き金 豊臣滅亡の分岐点 腹黒い家康の策略 方広寺鐘名事件 豊臣の重臣・片桐且元の悲劇
    • 方広寺鐘名事件 徳川VS豊臣 大坂の陣 腹黒...
    49大坂の陣参戦 戦国時代終焉を望まなかった大坂城5人衆とは 真田信繁 関ヶ原敗戦後の極貧生活の脱却へ
    • 打倒!徳川ではなかった?大坂の陣 参戦理由 ...
    50大阪冬の陣 難攻不落の大坂城をどのように攻め落としたのか!家康の仕寄作戦とは
    • 大阪冬の陣 難攻不落の大坂城を家康はどのよう...
    51大阪冬の陣 屏風絵解説!徳川軍が敗戦した真田丸の激戦とは
    • 大坂冬の陣 屏風絵解説!なぜ真田は勝てたのか...
    52大阪冬の陣終結と和睦の決裂理由!なぜ夏の陣が起きたのか?豊臣滅亡の最終局面
    • 最大の過ち 大坂冬の陣の終結と和睦の決裂理由...
    53戦国最後の戦 大坂夏の陣 徹底解説 実は単なる野戦ではなかった真田信繁の策略とは
    • 戦国最後の戦 大坂夏の陣 徹底解説 実は単な...
    54大坂夏の陣最終決戦!細密に描かれた屏風絵 真田信繁と毛利勝永の奮戦 本多忠勝の息子・本多忠朝の討死の悲しすぎる原因
    • 大坂夏の陣最終決戦!敗戦の中 家康を追い詰め...
    55戦国の最後 大坂夏の陣終結 清々しい真田信繁の最期 悲痛な豊臣秀頼と淀殿の最期
    • 大坂夏の陣終結 真田信繁の最期 悲痛な豊臣秀...
    #日本史 #戦国時代 #教育 #授業

Комментарии • 61

  • @user-jm7ux4zu4v
    @user-jm7ux4zu4v 3 года назад +8

    市橋先生の話は、分かりやすく一番好きです

  • @user-co4uy9zu1s
    @user-co4uy9zu1s 3 года назад +12

    榊原康政の「老臣権を争うは亡国の兆し」
    と言う言葉が全てを物語ってると思う

  • @user-fe4gk5cx9j
    @user-fe4gk5cx9j 3 года назад +9

    今、一番楽しみなRUclipsです!!

  • @TheSeamew
    @TheSeamew 3 года назад +4

    今回も、ありがとうございました。またまた、次回が楽しみです。

  • @user-fc6ok3sm1s
    @user-fc6ok3sm1s 3 года назад +10

    徳川家康について知れば知るほど偉大な人物というのがわかる。子供の時には秀吉なきあとで天下を掠め取ったジジイとしか習わなかったので。

  • @user-xp9qx8xj3m
    @user-xp9qx8xj3m 2 года назад +2

    流石 神君家康公 凄すぎる🎵
    今の日本の礎を作った人は凄いですね⁉️

  • @tacyu5595
    @tacyu5595 3 года назад +4

    小説やテレビドラマ・映画などの影響は大きいですね。
    起きた事件の背景を知ることに、わくわく感をともなった好奇心が刺激されます。

  • @koyamasouta
    @koyamasouta 3 года назад +10

    小和田先生の本を読んだ時衝撃が走りました、歴史ってこんなに思いっていたことと違うのかと、
    そして今、RUclipsで市橋先生を知り、凄まじ衝撃が、僕らの市橋先生、もー、感動、もー目から剥がれる鱗が足りません、、こう解釈することで、、なんか全てが、、凄い!
    感動です、愛知万歳、三河万歳、名古屋に来てよかった^_^、意味不明なコメントすいません、ありがとうございます😭

    • @funazushi8
      @funazushi8 3 года назад +1

      「目から剥がれる鱗が足りません」←いいね!×∞

  • @phoenixgold3593
    @phoenixgold3593 3 года назад +22

    しかし、徳川が目指した正しい治世については、ほとんど知られていないような気がします。古だぬき、抜け目のない、諸大名を隠密を使って徹底的に監視したとか、どうも悪いイメージが先行しています。なぜですかね。要は徳川の善政の部分を隠したい奴らがいるみたい。でも、国づくりと共に人づくりも素晴らしい。仏様が選んだだけのことはある人のような気がします。他にも多くの武将がいたが、信長、秀吉、家康~ひょっとしたら日本という国そのものが彼らを選び役割をはたさせた、そんな気もしますよ。冷静な目で日本見ていた外国人なら、この平和国家日本の凄さに呆れたでしょうね。あの戦国から太平の世としたのですからね。

  • @user-ss2nk2qq1v
    @user-ss2nk2qq1v 3 года назад +1

    わかりやすい。わかりやすいです。会社経営にも、ヒントになります。ありがとうございます。

  • @user-xp2qb8vf3h
    @user-xp2qb8vf3h 3 года назад +6

    家康は三成は好ましいと思っていたと思いますよ。だから直江兼続や似た人は称賛していますから。
    この動画でお陰様で三河武士や家康が天下を狙っていたのか?は本当に良くわかりました。清康→家康は戦国時代の『タッチ』ですね。
    三河武士は高い理想を求めるのが本来は不得手なはずだと個人的には思っていました。清康の動画で氷塊しました。
    話しを元に戻して家康の名前占いしたら天下統一を狙っていた名前でした。密やかに野心が有ったのだな、と思います。名前を次々変えて具合の良い名前に落ち着いたのが
    徳川家康だったのだと思います。その間、神仏にも天下を取るためには!と祈り続けていたのだと思いますよ。そして色々閃いて行ったのだと思います。
    本当は三成と家康は息の合う関係なのだと思います。秀吉、三成も家康が野心を隠して天下を取ろうとしている事は分かっていたのだと思います。
    必然的に家康は三成を潰す必要があっただろうし、三成も豊臣の安泰の為に最大の癌の家康は潰す必要を感じていたのだと思います。
    お互い認め合っていたはずですよ。でもお互いの立場が許さなかったのだと思います。家康も関ヶ原のあと三成を大将の器だと言っている話しを何かで見ました。
    出来る事なら三成は殺したくなかったと思います。家康ほどの情報収集に卓越した人が子孫が津軽に名前を変えて仕えていた事を把握していなかったとは思えないです。
    東北の最北端なら天下を揺るがす事も無いだろう、と思ったのだと感じます。分かって見逃していたと思いたいですね。
    本当は秀頼も殺したくなかったと思いますよ。淀君にも人生の流転や儚さに同情していたのだと思います。
    天下の為には豊臣が力を持った状態では乱れるから泣く泣く滅したのだと思います。大坂の陣の前段階もかなり譲歩案を出してますし、
    写経も膨大に書いて、たまに南無徳川家康とか書いているので、心底やりたくない最期の仕事だったはずです。
    とてもタヌキ爺いとは考えられないです。
    全ては天下の為に狡猾さも演技で仕方なくしていたのだろうと思います。

  • @user-cy4mp9iw8f
    @user-cy4mp9iw8f 2 года назад

    今回の先生の話、現代の自分の勤務先を思い浮かべながら聞かせて頂きました。仕事をするのにお金や恩賞だけを目当てに動いていては長く続きません。やはり人間の取る行動の根底にある意味哲学が必要かと考えさせられました。

  • @タカ丸師匠
    @タカ丸師匠 3 года назад +16

    浜崎さん綺麗だなあー

  • @user-nv2cg1wz5z
    @user-nv2cg1wz5z 3 года назад +6

    家康公は凄いなぁ、今の日本を見たらどう思われるだろうか。

  • @user-ei6eb6dw6b
    @user-ei6eb6dw6b 3 года назад +3

    先生の話を聞きながら^ ^
    友里さんの可愛いい顔を見つめる^ ^
    これが最高です♪

  • @mokomokojigu1
    @mokomokojigu1 3 года назад +4

    毎週楽しみにしています🤗
    家康は新しい時代の武士達のあるべき姿をこの時期に考えていたんですね。😀
    それを実行に移す優秀な家臣もいて日本文化や和の精神の原形になっていったのかなあって感慨深いです😄

  • @aki-oz5hs
    @aki-oz5hs 3 года назад +5

    石田三成ファンとしては次回がものすごく楽しみです。

    • @history-channel
      @history-channel  3 года назад +5

      三成について詳しく紹介します。優秀な故に最終的に不運な役回りになってしまったのかなと感じています。次回もよろしくお願いします。

    • @pontarou01
      @pontarou01 3 года назад

      佐竹 義宣に「三成が居なければ生きる意味が無い」とまで言われてますね。
      津軽為信も三成の恩に報いる為に遺児を匿っています。

  • @pontarou01
    @pontarou01 3 года назад +2

    石田三成の子孫の方々がTVに出られたとき、お顔が三成にソックリだったのでビックリした。

  • @user-mo5bt1ru4t
    @user-mo5bt1ru4t 10 месяцев назад

    良いなー忠勝

  • @collcool8426
    @collcool8426 3 года назад +2

    給料とか誰が考えたんやろって思ったが、家康の見方が変わる話だったと思うし、これを、中学とか高校の教育でやる事により、社会がもっとわかりやすくなると思います。

  • @user-zf5qv4zg9r
    @user-zf5qv4zg9r 3 года назад +4

    いつも楽しみに拝見しております。
    関ヶ原の合戦回はスペシャルで1時間番組でお願いします。

  • @biohazard2jp
    @biohazard2jp 3 года назад +8

    徳川家康の清濁併せ呑む性格が好きなんですよ私

  • @user-sk6sq7yf1i
    @user-sk6sq7yf1i 3 года назад +8

    待ってましたよ先生!
    一週間が長く感じましたw

    • @history-channel
      @history-channel  3 года назад +4

      週一更新で、申し訳ないです。次回もよろしくお願いします!

    • @user-sk6sq7yf1i
      @user-sk6sq7yf1i 3 года назад +2

      @@history-channel
      いえいえ、大満足しております。

  • @tarouwakamatsu3579
    @tarouwakamatsu3579 3 года назад +1

    先生面白いです

  • @user-uq8yg9ro5m
    @user-uq8yg9ro5m 3 года назад +4

    三浦按針がエリザベス女王からの贈り物、大砲や鉄砲、南蛮鎧などを献上して、家康はそれを関が原で活用したなどの話があるみたいですが、徳川に詳しい市橋先生はどういう見解なのか、見て見たいです!

  • @user-fg9es1wp4e
    @user-fg9es1wp4e 3 года назад +6

    国を治める方策として、儒教・朱子学・貞観政要の考え方は肝要だと思いますが、家康の精神的根底にはやはり「欣求浄土(=争いのない平和な国づくり)」にあったとおもいます。家康のこの精神を理解出来ない者は、たとえ親藩、家門、譜代、外様であっても遠ざけられたり、疎んじられています。この「欣求浄土」の精神がいつも家康の心の中に「大黒柱」として存在していたのです。これが一族、家臣に継承されて、265年の長き「平和な泰平の世」の礎になっているのです。国家も武家も民家も全て家の中心である「大黒柱」がしっかりしていないとその家は永続できません。今回の忠勝の「総まくり」の遺言は将にこのことの証左になると思います。あらためて、家康の「欣求浄土(表現は色々ありますが)」の大黒柱的精神に心服しています。現代の混沌とする全ての分野においても基本的精神として看過することの出来ない命題だと思います。あと、この教室ものすごく勉強になります、感謝です! それと、お二人の絶妙な掛け合い とっても楽しいです。時として「抱腹絶倒」…救急車もの です。ありがとうございます!

  • @asukas.7141
    @asukas.7141 3 года назад

    戦国時代、個人の忠義忠節が信じにくいからこそ、親族や昔から使えていた家の子供が大事にされてたんでしょうね😃

  • @user-lo7lh3vv2o
    @user-lo7lh3vv2o 3 года назад +5

    夜中に途中から聴き出して面白くて眠れなくなりました
    『諸説ある』時代から、偶然見つけた満洲から苦労して帰って来た方々の話し、戦後処理など今まで思いもしなかった情報に一喜一憂(少しオーバー笑)
    ドラマも軍国主義時代は嫌いでしたが、今はどうして世界大戦になったのか知りたいと言うか、あえて言えば戦国時代、武士、男性(ごめんなさい)繋がるようで、心理的な事も含めて、また明治、大正と考え方も事項も変化するでしょうが
    田中角栄元総理が『今は戦争体験者がいるが戦争を知らない世代になったら(怖い?)』と
    私は右でも左でも暇でも無いです
    ただ小泉、阿部元総理は何か『軽い』なと、私と同世代だからでしょうか? 私より100倍は頭も良いし勉強もされた方ですが
    『戦後生まれ』と言いたいのです
    市橋先生もですね(笑)
    中田敦彦さんが『近代史はサラッと習った、不思議だった』みたいな動画(私も思ってました)
    (私、何を言おうとしているのかなぁ?)
    あっ、最近まで中3の孫にスマホ(ゲーム、youtube)ばかり!と叱ってましたが、今は私もその身です(笑)孫も調べれば分かる時代です
    、歴史の試験勉強は家族で問題出しあったり(RUclipsのおかげで盛り上がります)ワタシでさえ半年で知識量アップ(覚えはできない)
    今の子供達も上手に情報を得て行くと思いますし、その中から思慮深い人が出て来るのを期待します
    『歴史』 大切ですね❣️
    市橋先生❣️これからも良い動画をお願いします🤲 石田三成氏〜楽しみにしてます♪
    すみません🙏寝不足で長々意味不明で😅

    • @history-channel
      @history-channel  3 года назад +1

      いつもコメントありがとうございます。寝不足、気をつけてください😀

  • @zn6450
    @zn6450 3 года назад +6

    市橋先生、友里さんお疲れ様です。
    貞観政要・・読んでみたいです。現代語訳版だと文庫か何かになっているんでしょうか??

    • @user-ih2li1yh4n
      @user-ih2li1yh4n 3 года назад +2

      徳間書店から発刊されています。呉 兢/著、守屋 洋/訳の本です。解説も付記されて理解しやすいと思います。一度じっくり読んでみてほしい書です。(ISBN4-19-241999-8  1900円)です。

    • @zn6450
      @zn6450 3 года назад

      @@user-ih2li1yh4n ISBNまで教えていただき、ありがとうございます。書店、なければ楽天で探してみます。

  • @dignity9315
    @dignity9315 3 года назад +7

    豊臣秀次切腹事件が無ければ、秀吉死後の内輪揉めの争いはマシになってたんでしょうかね…

    • @user-yv3ut1fg3n
      @user-yv3ut1fg3n 3 года назад +7

      豊臣家臣でも秀次家臣だった人の多くは徳川につきました

  • @user-my1ny3hz6p
    @user-my1ny3hz6p 10 месяцев назад

    日本での木板刷りは、もっと早くからなされています。例えば、蓮如の文明板三帖和讃などがあります。

  • @73moto
    @73moto 3 года назад +1

    徳川家康は武家諸法度で外様大名を押さえ付けたが毛利輝元が祖父毛利元就が朝廷から朝臣の官位を貰い朝廷に献金を続けたいの願いに武家諸法度では大名は朝廷との接触は禁止だったが保守好みの家康は特例で毛利の朝廷に対しての献金は認められたが後に吉田松陰の勤皇運動に繋がり吉田松陰の松下村塾生徒から倒幕運動になってしまった。

  • @harumachiizayoi281
    @harumachiizayoi281 3 года назад +1

    西軍勝っていても、内紛し戦国時代がまた百年続く三成を軽く見るわけでないですが、秀頼を立てても三成さんの元で全て丸く収まるとは思えない、いろいろあるけれど江戸幕府で長い間平和を続けられ国の内紛がないのと文化や識字率の高さから(ほかにも要因はあるだろが)植民地化されなかったので家康でよかったと思う。
    伊達、島津など言っては悪いが相当食わせ物です、三成さんでは悪いけれど役不足の感はあります、ただ人として見たときはまた別でまじめな人だとおもいます。

  • @user-oe3xp1dj8h
    @user-oe3xp1dj8h 3 года назад

    関ヶ原も幻の城の玉城に秀頼が出向いてれば士気が高まり戦況は変わったかもってテレビでやってました💦

  • @user-zj8ck5pd6q
    @user-zj8ck5pd6q 3 года назад

    今まで一番凄い、天が味方したのがわかる、しかしそれを一番実行したのが石田三成だつた、歴史の皮肉だね

  • @user-ro6kc1sz2e
    @user-ro6kc1sz2e 3 года назад +1

    本多忠勝はお手本のような武将やな

  • @ymd8520
    @ymd8520 3 года назад +1

    そんなに早く関原行かんで大丈夫です😅👍❗️もっといろんなやりましょう👍❗️でも一週間かよ😂❗️

  • @user-ep7py2xn7e
    @user-ep7py2xn7e 3 года назад

    家康シリーズ32がふたつになっていませんか?
    前回が32だったので、今回は33では?

    • @history-channel
      @history-channel  3 года назад

      ご指摘ありがとうございます。修正します。

  • @kwskkws
    @kwskkws 8 месяцев назад

    現代人が豊臣を裏切った家康が悪いみたいな言い方するのは何重にもおかしいってことなんだな。。
    家康が天下取って泰平の世の中にしたから初めて出てきた価値観で下剋上の象徴である豊臣を擁護することは矛盾なんだ

  • @obusuma3653
    @obusuma3653 3 года назад +3

    統治能力、軍歴から見て石田三成に勝ち目はないんだが

  • @user-zj8ck5pd6q
    @user-zj8ck5pd6q 3 года назад

    現実は大老で大身内政の執行官、野心がおきても、普通其れを隠すために形っくつたとも考えられる

  • @user-yv3ut1fg3n
    @user-yv3ut1fg3n 3 года назад +2

    家康はうまく洗脳してた?としか

  • @metboos506
    @metboos506 Год назад

    今の日本のお役人さんに惣まくりの爪の垢を煎じて飲ませても治らないすね。

  • @user-ck9wx9be4h
    @user-ck9wx9be4h 9 месяцев назад

    !り