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【訂正】24:36 江戸の人口が100人を超えた江戸中期(18世紀)、ロンドン、パリの人口はそれぞれ60万人くらいでした。
😊良い発言ありがとうございます
FBでシェアするときに慌ててこの訂正文をコピーしましたが、よく見ると「100人」と書かれていますw。100万人ですよねw😆
以前、徂徠豆腐の演目を落語で聞きましたが素晴らしかったですね。講談の演目にもなってますね。とにかく、私は赤穂浪士の物語である忠臣蔵がたまらなく好きです。日本人であるならば誰もがこの物語で泣ける感性を持っていると信じます。南部坂の別れとか名場面が数々ありますよね。今の若者にも響きます必ず。見てない方は見るべきです。日本人の感性を確認しましょう。
茂木先生のお話しは内容が広いのに聞くたび深まっていくので、どれ程の知識をお持ちなのか不思議です。飽きる事なく魅了されてしまいます。
江戸時代の経済発展を、否定しないといけなかった明治時代と戦後の日本を骨抜きにしたかった米国の思惑によって作られた戦後の教育改革がよくわかります。
素晴らしい。荻生徂徠の人物紹介、中江藤樹も熊沢蕃山も。現代学校教育だけでは誰も知りませんよ。茂木先生ありがとうございます。
とうとう来ました、荻生徂徠。江戸時代の日本の国々は、独立採算。とても自由だったんですね❤
茂木先生本日も気持ちいい講義ありがとうございます
荻生徂徠を題材にした落語「徂徠豆腐」を聞いた際、感動の余り目頭が熱くなりました。日本における儒学が他国の形式の真似事ではなく、江戸時代の身分制度の中にありながら、身分制を超越した人と人との自由な交流が許される土壌にあった、と言う事を強く認識しました。
何故?あの江戸時代ってこれほど高い知性の上に成り立っていたのだ🎉😂やっぱり茂木先生!座布団千枚‼️❤❤❤
知性ではなくて、人々が出し合った知恵だね。
@@3tt-n さん嫌な性格🤢
茂木先生の解説、説明凄いわかりやすく論点を説明して聞きやすくて凄く勉強になります。日本史、世界史の茂木先生の視点の古代からの解説を配信して下さい。
こういう勉強したかった。今できてよかった。
小学生の頃、TVで時代劇ばかりを観ていました。四十七士の名前を本気で全員覚えようとしました。父が私を泉岳寺に連れて行ってくれた時は感動しました。まさかー教科書には掲載されていなかった、なんて。私の日本史の知識は時代劇で形成されていたのでしょうかー。
浅野内匠頭は朝廷の使者を下座に迎えるという幕府の室町幕府由来のやり方に抗議する為に吉良を切りつけたとする説が正しいと思います。室町幕府以来、吉良の家系が朝廷を軽んじるやり方を仕切っていたのです。当時、多くの者は裏ではその事を知っていたからこその名誉の切腹です。ただ公儀の手前、朝廷を蔑ろにしている事への抗議とは記録に残せなかったのです。
徳川にしては、家系図を改竄して朝廷から幕府を開いてもらったと言う後ろめたさがあるし,血筋では吉良の方が上。従うしかなかったのでは
歴史は学べば学ぶほど奥が深く、眼に見えないものも物凄く関係して来るのですね。学生時代のテストの為の歴史は私には歴史では無かった様に感じます。歴史を学ばさせて頂き楽しくワクワクしております。有り難う御座います😊
江戸時代に対する思い違いは西洋に憧れる(日本は遅れている!)日教組の偏向教育と間抜けな時代劇ドラマの性ですね
それもあるかも知れませんが、1つは明治政府のプロパガンダ(江戸幕府を潰してるので)と、2つ目は太平洋戦争後のアメリカの政策(日本人を眠らせておくため)ではないでしょうかね。
ありがとうございます。にっぽん国も財務省に改革を提案する、官僚、政治家が出て来ますように。南無~!
家康は”朱子学”で統治を行おうとしたけど、大塩平八郎や吉田松陰など陽明学を勉強した。陽明学は”実践”を伴い世界を変えていた。一方、松平定信や鳥居庸蔵は頑固な朱子学者であった。朱子学は上からの統治を円滑に円滑にするための”方便”だった。
「日本を取り戻す!」の意味が分かってきました!!今日も素晴らしいお話をありがとうございました!!!
茂木先生の講義は、ほんとに魅力的で、楽しく学べます、
当シリーズ中で今回のお話、最高でした。話が右に振れようが左に振れようが戻ろうが、早く先に進むことより、ポイントを漏れることなく学びたいです。
理性と本能の最高のバランスが真の知性です。
えぇぇ〜江戸の認識大きく変わりました💦誤解してました。すごい文化だったのですね……驚いた🤔余りに素晴らしい講義なので、もう一度聞きます🙏次回もお願いします。
ある研究者が様々な文献を渉猟したところ、浅野内匠頭が気を病んでいたのは確かなようで、幕府の取り調べの役人が「それなりの理由があったのでは?」といくら聞いても「思う処があった」と言い張るのみだったらしい。正当な理由があれば喧嘩両成敗になる可能性はあったけど、内匠頭も自分の行動を正当化できないと思ったのだろう。歌舞伎の演目になったのは、事件から50年経ってからで、エピソードは創作が多いんだろうけど、なぜか胸を打つんだよな。荻生徂徠の裁きは、法と情(忠義の心)を両立させた点が素晴らしい。被害者の吉良上野介は地元では結構いいお殿様で、領民から慕われていたみたいだ。なんだか可哀想だよね。
久保田藩(秋田藩。藩主は佐竹氏)は 新田開発に励みましたよ!。申し渡し石高 二十万石でしたが、新田開発等で実石高 八十万石有ったらしいです。
今も知識だけの頭でっかちの人々が多い世の中、知行合一は大事ですね。茂木先生、いつも解り易く教えて下さり有難うございます🙏
もぎ先生、ありがとうございます。
話を聞いて荻生徂徠の生き方良いですね〜
もともと歴史には興味がなかったんですけど、茂木先生の話には感動します。
江戸時代は本当に自由でしたね。ですが規律はきちんとありました。すばらしい文明だと改めて思います。
ん〜 素晴らしい内容。勉強になります。国学の回、期待してます。
やはり積極財政ですね、財務省は経済を窮地に追い込んで戦争したいのですかね。
頭がおかしい。
庶民感覚を持って政治家が必要だと言うことですね2世議員はダメだと歴史から学べますね
小名木さんの説明では、朝廷の使者が下座の問題等で、根底には、朝廷(浅野)と幕府(吉良)の権威と実権のメンツと解説があったような・・・
我が家の檀那寺である千手院正楽寺の付近に熊沢蕃山の隠遁の地があります。地名も蕃山(しげやま)です。先生の赤穂事件の簡素な説明に感心しました。
当時の武士の精神力はすごいですね。自分なら痛い痛い切腹よりも一瞬で終われる斬首の方を希望します。中には「切腹いやだな(涙)」と思う武士もいたのかな?茂木先生の講義はずっと聴いていられます。
ですよね。仲代達也主演「切腹」を思い出した。
切腹は名誉。後世に武士として名が残り、子孫が続きます。斬首は罪人として罰せられ、子孫が辱めを受ける。死ぬのにも手続きがいるんですね。
すばらしい。わかりやすい解説である。
赤穂藩は室町時代のしきたりを踏襲する吉良に反発し幕府に裁きを委ねようと強硬手段に討って出たが喧嘩両成敗と成らず赤穂藩の言い分を言える場を作ってもらえなかった天皇の使者の座席の扱いが鎌倉以前の逆なのを山鹿素行に習って居たので正そうとしたのが裏目に出た
吉良の方が血筋上,徳川も従うしかなかったのでは
@@マヤ平 朱子学の悪影響
荻生徂徠さんは、自分の考え方をまとめた"政断"と言う名の"政治を断ずる"と言う書籍の中で、やっぱり"経済が大事"と言っているって素晴らしくも凄いことですね。そもそも"経済"と言う言語は"経世済民"と言って、人々の暮らしを楽にして人々の苦しい生活を救済するのが、"経済"なんだと、なまじっか"経済"と略してしまったが為に言葉本来の意味を忘れてしまい、今の日本は、"経済"、つまり"経世済民"の真反対の意味の政治をしています。だから、これに逆行する政策は止めるべきであって、例えば当時は"参勤交代"と言う制度があって、半年毎に殿様が国元と江戸を往復していて、これには物凄い経費が掛かっていた。それで結果的に農民の高負担になるから、参勤交代は止めるべきだと…、武士もなるべく田畑を耕せと…、どんどん新しい商品作物を開発して、今で言うところの国内総生産(GDP)を上げなさいと言うことを言っているのが、荻生徂徠さん…。これは今で言うところの"積極財政"であり、江戸時代の日本は、かなりの経済発展を遂げていたと言います。まさに今の岸田自民党は、江戸幕府の政治を研究そして勉強するべきですね…。
荻生徂徠、ええ話や。
来年の大河ドラマでは、恐らく田沼意次さんは、良いイメージで出てくるように思っています。楽しみです。
いや~、面白かった。学のない私ですが、震えるほどおもしろかった。
わかりやすい解説ありがとうございます😀昔から赤穂浪士の討入の話がなんか嫌いでした。昔は年末にテレビで必ずやってましたよね😅
昭和7年生まれの母が私が小学生の頃、学校で封建制は悪かった、農民は苦しかったと習ってくると、そんなことないと言っていたのを覚えています。母は安政生まれの母の祖母に育てられていろんな話を聞いていたようです。アメリカさんに負けてからそんなこと言うようになったけど、地主には地主の仕事があって、小作は面倒なことはお任せして米だけ作っていればよかったので、あれはあれでうまく回っていたと言ってました。
徂徠豆腐 笑い泣き
『これ、テロです』、吹きましたw😂
有難うございます。
茂木先生と宇山先生の共著を熟読中です。徳川鎖国時代以外は概ね納得です。しかし思うのですが、茂木先生らの「日本を取り戻す」の日本はいつの時代の日本なんですかね⁉️
徂徠豆腐の話になるとは😄ひさびさに落語ききたくなりました🪭
吉良上野介は、地元の愛知県では名君だったという話があるようですが…。群馬県にも知行地があって、こちらでは大分意地悪だったという話が伝わっているようです地元民が灌漑のために、用水路をこの飛び地の中を通したかったが許さなかったそうです
この分野で、いつか茂木先生と石平先生が、対談してほしいです。
今国民助けて欲しいです😢
知らない人物がたくさん出てくて面白いです。
ありがとうございました。
世界史選択で日本史を知らなかったので勉強になった。😂日本も捨てたもんじゃないですね。
いつもありがとうございます❤。歴史を学べる幸せに感謝しています。m(_ _)m先生のご意見で荻生徂徠の計らいが赤穂浪士仇討ち後の名誉の切腹に繋がった事を知りました。当時、300藩体制で幕府は機能していたんですね。私は吉良上野介と浅野内匠頭の衝突については「皇道忠臣蔵」の説明で理解しています。吉良上野介と浅野内匠頭。幕府は参勤交代。ただ京都御所で大名が天皇におめどうりが叶うと天皇派となり兵をあげる可能性もある。それらを牽制したかった。その為に京都御所を幕府側が焼いたという話しもあって御所再建は赤穂藩に任せられていた。当時、幕府の高家となった吉良は禁中並公家諸法度で天皇には公家しか面会させない等…天皇家を軟禁状態に置く。つまり幕府は参勤交代時に京都御所を通過する大名が天皇に面会出来ないように牽制した。朝廷の使者としての役目を使わされた浅野内匠頭。幕府側が1度ならず2度にわたり…朝廷の使者を下座としてしまう。そのしきたりが守られていない事に尊皇の浅野家が暴挙に出た。…。その100年後には朝廷の使者は上座になりましたが…。そんな歴史観でもよろしいでしょうか。ありがとうございます✨
荻生徂徠「経世済民」、財務省「増税」。
財務省はカルトです。
豆腐 おからの話は日本的。海外にもあるのかな?
徂徠豆腐は好きな噺のひとつです。
赤穂事件は人が情で動き、感動の源は理窟でなく情であることをしめす。
忠孝一致 vs 忠ならんとすれば孝ならず孝ならんとすれば忠ならず
浅野内匠頭は事件翌日には詮議決定し江戸城平川門より召し出され田村右京太夫屋敷で部屋も与えられずに庭先にて切腹!このスピード感には驚嘆しますね!虎ノ門事件の難波大作もスピード感ある結審!竹橋事件!515事件!226事件!玉音盤奪取事件!裁く側の思想信条は法の外にあるんですね!
分かりやすい説明ありがとうございます
茂木さんと一緒に酒飲みたい🍶
恐れ入ります茂木先生大好きで他の動画もほとんど観ております今年に入って、体調はいかがでしょうか?お太りになられ肝臓も心配です。
たしかに肉体と感情は繋がってますね
その時代に戻りたくなりました 県ごとに分かれて自分の好きな政策の県に住めるといいな~と思います 昔テレビでは赤穂浪士の話は吉良に浅野が騙されて刃傷になったものばかりでした衣服が正装ではなかったとか 日にちも間違えて教えられ一日で畳替えをしたとかそのことを私は はっきり覚えてるのですが あれはテレビの中の話だけでしょうか?
理論物理学者で陰陽師の末裔の保江邦夫さんは、赤穂藩には陰陽師が多すぎて、反幕府勢力が問題だった。そこで、藩のお取り潰しの策として、赤穂浪士の事件が起きた。 と解説しています。 何か朝廷との不都合な事情があったのでしょうか?
とても勉強になりますが、司会の人がちょっと弱いのでうまく引き出せてなくて残念です。
陽明学を実践したのは大塩平八郎、山田方谷、河井継之助です。
草木国土 悉皆成仏 アイデンティティ ですから
浅野内匠頭は天皇側と将軍側の上座と下座がひっくり返されているのが我慢ならなくていざこざになったという小名木さんの話は天皇贔屓の偏った見方だったかな?
年貢が重税がとか日本昔話で度々出てきてその影響も大きそうです。前に調べたら、近代に作られたのものや、改変されたものが意外ととても多いので、そこらへんは吟味して信用した方が良いと思ってます。
赤穂事件は浪士たちに仇討ちを唆したシナリオライターやパトロンが居るような気がするんですけどね。幕府や細川の動きにどうも腑に落ちない部分があるんですが。
優れたブレーンたちを登用して福祉政策の拡充と経済成長の両輪を実現し、身勝手な大規模テロにも対処した、知れば知るほど徳川綱吉って名君中の名君だと思います
私の母方の祖父 明治生まれ東大卒です。大学の末裔です。私が8才時に他界しました。赤穂浪士の事は聞かされていました。が内容に疑問が。幼児期から忠臣蔵は何回も見せられていました。美化している事は事実だと思います。
松の廊下は山鹿そごうの教えを受けた巧みの上と天皇の勅使と将軍の席次で意見合わなかった‼️本来なら将軍がお迎えの立場
忠臣蔵や白虎隊に感動しなくなったことは、朱子の毒が少しづつ抜けてきている証左でしょう。同時に文句ばかりで行動に出ない、陽明学も共に薄れた弊害が出ているようにも見えます。大塩平八郎、緒方洪庵についての先生の評価をお聞きしたい。
山鹿素行の話がないと討ち入りの陣太鼓に繋がらない。吉良を斬ったのは同じペア組んで二年目ですよね?
書を捨て待ちに出よう
藤樹さん です 地元 帰ってきました
王陽明のエピソードを聞いていて養老孟司さんを思い浮かべました
実践、実学の陽明学
戦前の日本史の教科書を読んでみたいです。もしかすると戦後教育の歪みの一端がわかるかもしれないですね
なぜか『赤穂浪士』の本は持ってました。持ってる本が少なかったから、同じ本を何度も繰り返し読んでました。今日のお話はイメージが違い過ぎてショック…。
家をおからって言うんだろうと、わたしの涙が準備万端で『おから』と聞きポロッとなったあと『落語』って…。ええぇぇええ〜っ!
赤穂の殿様がもの覚えが悪く心を病んでいたということだけで、殿中で刀を抜いたりするものだろうか?
徂徠豆腐の話、美味しんぼに似た話を思い出した。
赤穂事件について、史実は正確には知りませんが、少なくとも「忠臣蔵」は、もともと単純な仇討ちの話ではなく、山鹿素行や尊王思想が背景ですよね。上座・下座の話です。よくご存じの方も多いと思うので私が言うまでもないかもしれませんが、小名木さんが説明されています。ruclips.net/video/W5AvZCkdQCo/видео.html ruclips.net/video/gapjzA3KhUk/видео.html山鹿素行との関係としては、このあたり:ruclips.net/video/9wjXU_SXVaU/видео.html私の理解としては、江戸時代には皇室と幕府の関係が微妙だったので、忠臣蔵で尊王思想を婉曲的に表現し、それが不満のはけ口にもなり、人気になり、幕府も黙認。明治~戦前には、婉曲でもなく尊王思想の表現となったが、戦後、尊王思想が抜かれて単純な仇討ち物語になり、それでも痛快で人気だったものが、現代人は何が良いのかわからず、知られなくなっていくという…。ちなみに私の歴史の先生は忠臣蔵が好きだったので、授業で赤穂事件のこと、滔々と語ってくださいました(上記のような話はなかった気がしますが…)山鹿素行のことなど、次回以降に収録済みでしたらすみません…!
あー江戸時代の人情政治、えぇなぁ。
徳治主義は日本人にとって、良きイデオロギー
山鹿素行も出て来るかな。
各藩は独立していた?じゃあなんで参勤交代を断れなかったんだよ?
なんか 銀英伝のヤンウェンリーの首から下が要らない人 みたいな言説思い出した
江戸の人口が100万人に達した時のパリ、ロンドンは10万人は超えていたのでは❓️
ご指摘ありがとうございます。コメント欄で訂正しました。
問題は深刻開国と明治維新で人口爆発からの食糧不足自給自足が不可能になった
とても勉強になりました。だだ、仇討ちが江戸時代に全面的に禁止されていたような説明は間違っています。許可制で各藩で認められていました。親族のみですが。忠臣蔵は公式の敵討の許可を受けない行為なので、公的には処罰されて当然ですが、そこに至るまでの背景が少し説明不足に感じます。赤穂浪士はただのテロではないと思います。この動画だけしか知らない方に大きく偏った知識を与えてしまいます。なぜ、日本人がつい先年まで赤穂浪士に感動したのか、荻生徂徠がなぜ情状酌量したのか、理解できなくなってしまいます。勤王の先生のお立場からしても、奇妙に感じます。
成田の東勝寺・宗吾霊堂近くに住む者です!その一角に木内惣五郎さまのお墓と佐倉惣五郎御一代記館なる博物館?があります。打続く凶作と重税の中、農民の窮状を幕府に訴えるが聞き入れられず、当時禁じられていた将軍に直訴し、本人のみならず家族幼子まで打首?この様な話があるので、水飲み百姓など農民はさぞ貧困と重労働で苦しい生活をしていたのかと?福岡県であった5人の庄屋か中心で行った、筑後川感慨事業なども藩は金も出せずにいたなど小説で読み、本当に大変だなと?高遠藩藩主で後の会津松平家の祖保科正之高などは、ほんの一部特別なのだと?
凄いぜ、江戸時代!ありがとうございました。
昔と今の国家や国民のあまりの落差に、日本を取り戻すなんてできないのでは、と思ってしまう。というか、日本や日本人てもうないんじゃないのか、とすら思う😢
参勤交代は積極財政的であって、それを無駄としてやめるのは緊縮財政。参勤交代実施するからには効能があってのことだし計算は簡単じゃない。自給作物から商品作物への切り替えは、それだけでは供給能力のゼロサムであって、財政政策は直接関係ない。強いて言えば切り替えにかかる負担という支出増があるけど。ゼロサム上の負担増は実質的な緊縮。参勤交代にかけた労力を作物に向け替えるのも発想はゼロサムで、というか参勤交代産業業界は職を失って、設備は無駄になってということならむしろマイナスサムであるし。新興産業は効率面未熟なのでカバーできるだけ黒字なわけないしで。たぶんだけど結局金出すべきは、従来の産業こそにであって、工夫に必要な財源を確保して供給能力に余裕が生まれることで余力で勝手に市民が「自由に」新産業開拓するでしょう。これならばプラスサムゲーム。権力者主導で産業開拓して闇以外見たことない。結局マイナスサムが成長する(ようにみえる)のは捨て石(奴隷等)の効能だ。本当に奴隷制度は終わったのだろうかというね。余力の範囲外のものを財源にしようと思えば、強奪や奴隷というカードになるから。
赤穂の浪士達の潜伏先は、旗本達の住む武家屋敷だった。とか松平は吉良と因縁の関係だった。とかそこから考えると吉良の暗殺に内匠頭を使い、失敗したので口封じ、今度は浪士を集めて仇討ちを名目に再度暗殺計画。最後は全員口封じ。という感じでしょうか?え?違うの?
吉良の暗殺に内匠頭を使い・・という時点で違うと思う。年も年だしほっといてもその内死ぬし、それでも今すぐ暗殺したいならもう少しスマートな方法はあるような気はする。
蘭学洋書はご禁制だったように思います。
【訂正】24:36 江戸の人口が100人を超えた江戸中期(18世紀)、ロンドン、パリの人口はそれぞれ60万人くらいでした。
😊良い発言ありがとうございます
FBでシェアするときに慌ててこの訂正文をコピーしましたが、よく見ると「100人」と書かれていますw。100万人ですよねw😆
以前、徂徠豆腐の演目を落語で聞きましたが素晴らしかったですね。講談の演目にもなってますね。とにかく、私は赤穂浪士の物語である忠臣蔵がたまらなく好きです。日本人であるならば誰もがこの物語で泣ける感性を持っていると信じます。南部坂の別れとか名場面が数々ありますよね。今の若者にも響きます必ず。見てない方は見るべきです。日本人の感性を確認しましょう。
茂木先生のお話しは内容が広いのに聞くたび深まっていくので、どれ程の知識をお持ちなのか不思議です。飽きる事なく魅了されてしまいます。
江戸時代の経済発展を、否定しないといけなかった明治時代と戦後の日本を骨抜きにしたかった米国の思惑によって作られた戦後の教育改革がよくわかります。
素晴らしい。荻生徂徠の人物紹介、中江藤樹も熊沢蕃山も。現代学校教育だけでは誰も知りませんよ。茂木先生ありがとうございます。
とうとう来ました、荻生徂徠。江戸時代の日本の国々は、独立採算。とても自由だったんですね❤
茂木先生本日も気持ちいい講義ありがとうございます
荻生徂徠を題材にした落語「徂徠豆腐」を聞いた際、感動の余り目頭が熱くなりました。日本における儒学が他国の形式の真似事ではなく、江戸時代の身分制度の中にありながら、身分制を超越した人と人との自由な交流が許される土壌にあった、と言う事を強く認識しました。
何故?あの江戸時代ってこれほど高い知性の上に成り立っていたのだ🎉😂やっぱり茂木先生!座布団千枚‼️❤❤❤
知性ではなくて、人々が出し合った知恵だね。
@@3tt-n さん
嫌な性格🤢
茂木先生の解説、説明凄いわかりやすく論点を説明して聞きやすくて凄く勉強になります。日本史、世界史の茂木先生の視点の古代からの解説を配信して下さい。
こういう勉強したかった。今できてよかった。
小学生の頃、TVで時代劇ばかりを観ていました。四十七士の名前を本気で全員覚えようとしました。父が私を泉岳寺に連れて行ってくれた時は感動しました。まさかー教科書には掲載されていなかった、なんて。私の日本史の知識は時代劇で形成されていたのでしょうかー。
浅野内匠頭は朝廷の使者を下座に迎えるという幕府の室町幕府由来のやり方に抗議する為に吉良を切りつけたとする説が正しいと思います。室町幕府以来、吉良の家系が朝廷を軽んじるやり方を仕切っていたのです。当時、多くの者は裏ではその事を知っていたからこその名誉の切腹です。ただ公儀の手前、朝廷を蔑ろにしている事への抗議とは記録に残せなかったのです。
徳川にしては、家系図を改竄して朝廷から幕府を開いてもらったと言う後ろめたさがあるし,血筋では吉良の方が上。従うしかなかったのでは
歴史は学べば学ぶほど奥が深く、眼に見えないものも物凄く関係して来るのですね。学生時代のテストの為の歴史は私には歴史では無かった様に感じます。歴史を学ばさせて頂き楽しくワクワクしております。有り難う御座います😊
江戸時代に対する思い違いは西洋に憧れる(日本は遅れている!)日教組の偏向教育と間抜けな時代劇ドラマの性ですね
それもあるかも知れませんが、1つは明治政府のプロパガンダ(江戸幕府を潰してるので)と、2つ目は太平洋戦争後のアメリカの政策(日本人を眠らせておくため)ではないでしょうかね。
ありがとうございます。にっぽん国も財務省に改革を提案する、官僚、政治家が
出て来ますように。南無~!
家康は”朱子学”で統治を行おうとしたけど、大塩平八郎や吉田松陰など
陽明学を勉強した。陽明学は”実践”を伴い世界を変えていた。
一方、松平定信や鳥居庸蔵は頑固な朱子学者であった。
朱子学は上からの統治を円滑に円滑にするための”方便”だった。
「日本を取り戻す!」の意味が分かってきました!!
今日も素晴らしいお話をありがとうございました!!!
茂木先生の講義は、ほんとに魅力的で、楽しく学べます、
当シリーズ中で今回のお話、最高でした。話が右に振れようが左に振れようが戻ろうが、早く先に進むことより、ポイントを漏れることなく学びたいです。
理性と本能の最高のバランスが真の知性です。
えぇぇ〜江戸の認識大きく変わりました💦誤解してました。すごい文化だったのですね……驚いた🤔
余りに素晴らしい講義なので、もう一度聞きます🙏次回もお願いします。
ある研究者が様々な文献を渉猟したところ、浅野内匠頭が気を病んでいたのは確かなようで、幕府の取り調べの役人が「それなりの理由があったのでは?」といくら聞いても「思う処があった」と言い張るのみだったらしい。正当な理由があれば喧嘩両成敗になる可能性はあったけど、内匠頭も自分の行動を正当化できないと思ったのだろう。
歌舞伎の演目になったのは、事件から50年経ってからで、エピソードは創作が多いんだろうけど、なぜか胸を打つんだよな。
荻生徂徠の裁きは、法と情(忠義の心)を両立させた点が素晴らしい。
被害者の吉良上野介は地元では結構いいお殿様で、領民から慕われていたみたいだ。なんだか可哀想だよね。
久保田藩(秋田藩。藩主は佐竹氏)は 新田開発に励みましたよ!。
申し渡し石高 二十万石でしたが、新田開発等で実石高 八十万石有ったらしいです。
今も知識だけの頭でっかちの人々が多い世の中、知行合一は大事ですね。茂木先生、いつも解り易く教えて下さり有難うございます🙏
もぎ先生、ありがとうございます。
話を聞いて荻生徂徠の生き方良いですね〜
もともと歴史には興味がなかったんですけど、茂木先生の話には感動します。
江戸時代は本当に自由でしたね。ですが規律はきちんとありました。すばらしい文明だと改めて思います。
ん〜 素晴らしい内容。勉強になります。
国学の回、期待してます。
やはり積極財政ですね、財務省は経済を窮地に追い込んで戦争したいのですかね。
頭がおかしい。
庶民感覚を持って政治家が必要だと言うことですね
2世議員はダメだと歴史から学べますね
小名木さんの説明では、朝廷の使者が下座の問題等で、根底には、朝廷(浅野)と幕府(吉良)の権威と実権のメンツと解説があったような・・・
我が家の檀那寺である千手院正楽寺の付近に熊沢蕃山の隠遁の地があります。
地名も蕃山(しげやま)です。先生の赤穂事件の簡素な説明に感心しました。
当時の武士の精神力はすごいですね。自分なら痛い痛い切腹よりも一瞬で終われる斬首の方を希望します。中には「切腹いやだな(涙)」と思う武士もいたのかな?茂木先生の講義はずっと聴いていられます。
ですよね。仲代達也主演「切腹」を思い出した。
切腹は名誉。後世に武士として名が残り、子孫が続きます。
斬首は罪人として罰せられ、子孫が辱めを受ける。
死ぬのにも手続きがいるんですね。
すばらしい。わかりやすい解説である。
赤穂藩は室町時代のしきたりを踏襲する吉良に反発し幕府に裁きを委ねようと強硬手段に討って出たが喧嘩両成敗と成らず赤穂藩の言い分を言える場を作ってもらえなかった
天皇の使者の座席の扱いが鎌倉以前の逆なのを山鹿素行に習って居たので正そうとしたのが裏目に出た
吉良の方が血筋上,徳川も従うしかなかったのでは
@@マヤ平 朱子学の悪影響
荻生徂徠さんは、自分の考え方をまとめた"政断"と言う名の"政治を断ずる"と言う書籍の中で、やっぱり"経済が大事"と言っているって素晴らしくも凄いことですね。
そもそも"経済"と言う言語は"経世済民"と言って、人々の暮らしを楽にして人々の苦しい生活を救済するのが、"経済"なんだと、なまじっか"経済"と略してしまったが為に言葉本来の意味を忘れてしまい、今の日本は、"経済"、つまり"経世済民"の真反対の意味の政治をしています。
だから、これに逆行する政策は止めるべきであって、例えば当時は"参勤交代"と言う制度があって、半年毎に殿様が国元と江戸を往復していて、これには物凄い経費が掛かっていた。それで結果的に農民の高負担になるから、参勤交代は止めるべきだと…、武士もなるべく田畑を耕せと…、どんどん新しい商品作物を開発して、今で言うところの国内総生産(GDP)を上げなさいと言うことを言っているのが、荻生徂徠さん…。
これは今で言うところの"積極財政"であり、江戸時代の日本は、かなりの経済発展を遂げていたと言います。
まさに今の岸田自民党は、江戸幕府の政治を研究そして勉強するべきですね…。
荻生徂徠、ええ話や。
来年の大河ドラマでは、恐らく田沼意次さんは、良いイメージで出てくるように思っています。楽しみです。
いや~、面白かった。学のない私ですが、震えるほどおもしろかった。
わかりやすい解説ありがとうございます😀
昔から赤穂浪士の討入の話がなんか嫌いでした。昔は年末にテレビで必ずやってましたよね😅
昭和7年生まれの母が私が小学生の頃、学校で封建制は悪かった、農民は苦しかったと習ってくると、そんなことないと言っていたのを覚えています。母は安政生まれの母の祖母に育てられていろんな話を聞いていたようです。アメリカさんに負けてからそんなこと言うようになったけど、地主には地主の仕事があって、小作は面倒なことはお任せして米だけ作っていればよかったので、あれはあれでうまく回っていたと言ってました。
徂徠豆腐 笑い泣き
『これ、テロです』、吹きましたw😂
有難うございます。
茂木先生と宇山先生の共著を熟読中です。徳川鎖国時代以外は概ね納得です。しかし思うのですが、茂木先生らの「日本を取り戻す」の日本はいつの時代の日本なんですかね⁉️
徂徠豆腐の話になるとは😄
ひさびさに落語ききたくなりました🪭
吉良上野介は、地元の愛知県では名君だったという話があるようですが…。
群馬県にも知行地があって、こちらでは大分意地悪だったという話が伝わっているようです
地元民が灌漑のために、用水路をこの飛び地の中を通したかったが許さなかったそうです
この分野で、いつか茂木先生と石平先生が、対談してほしいです。
今国民助けて欲しいです😢
知らない人物がたくさん出てくて面白いです。
ありがとうございました。
世界史選択で日本史を知らなかったので勉強になった。😂日本も捨てたもんじゃないですね。
いつもありがとうございます❤。歴史を学べる幸せに感謝しています。m(_ _)m
先生のご意見で荻生徂徠の計らいが赤穂浪士仇討ち後の名誉の切腹に繋がった事を知りました。
当時、300藩体制で幕府は機能していたんですね。私は吉良上野介と浅野内匠頭の衝突については「皇道忠臣蔵」の説明で理解しています。
吉良上野介と浅野内匠頭。
幕府は参勤交代。ただ京都御所で大名が天皇におめどうりが叶うと天皇派となり兵をあげる可能性もある。それらを牽制したかった。
その為に京都御所を幕府側が焼いたという話しもあって御所再建は赤穂藩に任せられていた。
当時、幕府の高家となった吉良は禁中並公家諸法度で天皇には公家しか面会させない等…天皇家を軟禁状態に置く。つまり幕府は参勤交代時に京都御所を通過する大名が天皇に面会出来ないように牽制した。
朝廷の使者としての役目を使わされた浅野内匠頭。幕府側が1度ならず2度にわたり…朝廷の使者を下座としてしまう。そのしきたりが守られていない事に尊皇の浅野家が暴挙に出た。…。
その100年後には朝廷の使者は上座になりましたが…。
そんな歴史観でもよろしいでしょうか。ありがとうございます✨
荻生徂徠「経世済民」、財務省「増税」。
財務省はカルトです。
豆腐 おからの話は日本的。海外にもあるのかな?
徂徠豆腐は好きな噺のひとつです。
赤穂事件は人が情で動き、感動の源は理窟でなく情であることをしめす。
忠孝一致 vs 忠ならんとすれば孝ならず孝ならんとすれば忠ならず
浅野内匠頭は事件翌日には詮議決定し江戸城平川門より召し出され田村右京太夫屋敷で部屋も与えられずに庭先にて切腹!このスピード感には驚嘆しますね!虎ノ門事件の難波大作もスピード感ある結審!竹橋事件!515事件!226事件!玉音盤奪取事件!裁く側の思想信条は法の外にあるんですね!
分かりやすい説明ありがとうございます
茂木さんと一緒に酒飲みたい🍶
恐れ入ります
茂木先生大好きで他の動画もほとんど観ております
今年に入って、体調はいかがでしょうか?お太りになられ肝臓も心配です。
たしかに肉体と感情は繋がってますね
その時代に戻りたくなりました 県ごとに分かれて自分の好きな政策の県に住めるといいな~と思います 昔テレビでは赤穂浪士の話は吉良に浅野が騙されて刃傷になったものばかりでした
衣服が正装ではなかったとか 日にちも間違えて教えられ一日で畳替えをしたとか
そのことを私は はっきり覚えてるのですが あれはテレビの中の話だけでしょうか?
理論物理学者で陰陽師の末裔の保江邦夫さんは、赤穂藩には陰陽師が多すぎて、反幕府勢力が問題だった。
そこで、藩のお取り潰しの策として、赤穂浪士の事件が起きた。 と解説しています。
何か朝廷との不都合な事情があったのでしょうか?
とても勉強になりますが、
司会の人がちょっと弱いのでうまく引き出せてなくて残念です。
陽明学を実践したのは大塩平八郎、山田方谷、河井継之助です。
草木国土 悉皆成仏 アイデンティティ ですから
浅野内匠頭は天皇側と将軍側の上座と下座がひっくり返されているのが我慢ならなくていざこざになったという小名木さんの話は天皇贔屓の偏った見方だったかな?
年貢が重税がとか日本昔話で度々出てきてその影響も大きそうです。前に調べたら、近代に作られたのものや、改変されたものが意外ととても多いので、そこらへんは吟味して信用した方が良いと思ってます。
赤穂事件は浪士たちに仇討ちを唆したシナリオライターやパトロンが居るような気がするんですけどね。
幕府や細川の動きにどうも腑に落ちない部分があるんですが。
優れたブレーンたちを登用して福祉政策の拡充と経済成長の両輪を実現し、身勝手な大規模テロにも対処した、知れば知るほど徳川綱吉って名君中の名君だと思います
私の母方の祖父 明治生まれ東大卒です。大学の末裔です。私が8才時に他界しました。赤穂浪士の事は聞かされていました。が内容に疑問が。幼児期から忠臣蔵は何回も見せられていました。美化している事は事実だと思います。
松の廊下は山鹿そごうの
教えを受けた巧みの上と
天皇の勅使と将軍の席次で
意見合わなかった‼️本来なら
将軍がお迎えの立場
忠臣蔵や白虎隊に感動しなくなったことは、朱子の毒が少しづつ抜けてきている証左でしょう。
同時に文句ばかりで行動に出ない、陽明学も共に薄れた弊害が出ているようにも見えます。
大塩平八郎、緒方洪庵についての先生の評価をお聞きしたい。
山鹿素行の話がないと討ち入りの陣太鼓に繋がらない。吉良を斬ったのは同じペア組んで二年目ですよね?
書を捨て待ちに出よう
藤樹さん です 地元 帰ってきました
王陽明のエピソードを聞いていて養老孟司さんを思い浮かべました
実践、実学の陽明学
戦前の日本史の教科書を読んでみたいです。もしかすると戦後教育の歪みの一端がわかるかもしれないですね
なぜか『赤穂浪士』の本は持ってました。
持ってる本が少なかったから、同じ本を何度も繰り返し読んでました。
今日のお話はイメージが違い過ぎてショック…。
家をおからって言うんだろうと、わたしの涙が準備万端で『おから』と聞きポロッとなったあと『落語』って…。
ええぇぇええ〜っ!
赤穂の殿様がもの覚えが悪く心を病んでいたということだけで、殿中で刀を抜いたりするものだろうか?
徂徠豆腐の話、美味しんぼに似た話を思い出した。
赤穂事件について、史実は正確には知りませんが、少なくとも「忠臣蔵」は、もともと単純な仇討ちの話ではなく、山鹿素行や尊王思想が背景ですよね。上座・下座の話です。
よくご存じの方も多いと思うので私が言うまでもないかもしれませんが、
小名木さんが説明されています。
ruclips.net/video/W5AvZCkdQCo/видео.html
ruclips.net/video/gapjzA3KhUk/видео.html
山鹿素行との関係としては、このあたり:
ruclips.net/video/9wjXU_SXVaU/видео.html
私の理解としては、
江戸時代には皇室と幕府の関係が微妙だったので、忠臣蔵で尊王思想を婉曲的に表現し、それが不満のはけ口にもなり、人気になり、幕府も黙認。
明治~戦前には、婉曲でもなく尊王思想の表現となったが、
戦後、尊王思想が抜かれて単純な仇討ち物語になり、それでも痛快で人気だったものが、現代人は何が良いのかわからず、知られなくなっていくという…。
ちなみに私の歴史の先生は忠臣蔵が好きだったので、授業で赤穂事件のこと、滔々と語ってくださいました(上記のような話はなかった気がしますが…)
山鹿素行のことなど、次回以降に収録済みでしたらすみません…!
あー江戸時代の人情政治、えぇなぁ。
徳治主義は日本人にとって、良きイデオロギー
山鹿素行も出て来るかな。
各藩は独立していた?じゃあなんで参勤交代を断れなかったんだよ?
なんか 銀英伝の
ヤンウェンリーの首から下が要らない人 みたいな言説思い出した
江戸の人口が100万人に達した時のパリ、ロンドンは10万人は超えていたのでは❓️
ご指摘ありがとうございます。コメント欄で訂正しました。
問題は深刻
開国と明治維新で人口爆発からの食糧不足
自給自足が不可能になった
とても勉強になりました。だだ、仇討ちが江戸時代に全面的に禁止されていたような説明は間違っています。許可制で各藩で認められていました。親族のみですが。忠臣蔵は公式の敵討の許可を受けない行為なので、公的には処罰されて当然ですが、そこに至るまでの背景が少し説明不足に感じます。赤穂浪士はただのテロではないと思います。この動画だけしか知らない方に大きく偏った知識を与えてしまいます。なぜ、日本人がつい先年まで赤穂浪士に感動したのか、荻生徂徠がなぜ情状酌量したのか、理解できなくなってしまいます。勤王の先生のお立場からしても、奇妙に感じます。
成田の東勝寺・宗吾霊堂近くに住む者です!
その一角に木内惣五郎さまのお墓と佐倉惣五郎御一代記館なる博物館?
があります。
打続く凶作と重税の中、農民の窮状を幕府に訴えるが聞き入れられず、当時禁じられていた将軍に直訴し、本人のみならず家族幼子まで打首?
この様な話があるので、水飲み百姓など農民はさぞ貧困と重労働で苦しい生活をしていたのかと?
福岡県であった5人の庄屋か中心で行った、筑後川感慨事業なども藩は金も出せずにいたなど小説で読み、本当に大変だなと?
高遠藩藩主で後の会津松平家の祖保科正之高などは、ほんの一部特別なのだと?
凄いぜ、江戸時代!
ありがとうございました。
昔と今の国家や国民のあまりの落差に、日本を取り戻すなんてできないのでは、と思ってしまう。というか、日本や日本人てもうないんじゃないのか、とすら思う😢
参勤交代は積極財政的であって、それを無駄としてやめるのは緊縮財政。参勤交代実施するからには効能があってのことだし計算は簡単じゃない。
自給作物から商品作物への切り替えは、それだけでは供給能力のゼロサムであって、財政政策は直接関係ない。
強いて言えば切り替えにかかる負担という支出増があるけど。ゼロサム上の負担増は実質的な緊縮。
参勤交代にかけた労力を作物に向け替えるのも発想はゼロサムで、
というか参勤交代産業業界は職を失って、設備は無駄になってということなら
むしろマイナスサムであるし。新興産業は効率面未熟なのでカバーできるだけ黒字なわけないしで。
たぶんだけど結局金出すべきは、従来の産業こそにであって、工夫に必要な財源を確保して供給能力に余裕が生まれることで
余力で勝手に市民が「自由に」新産業開拓するでしょう。これならばプラスサムゲーム。
権力者主導で産業開拓して闇以外見たことない。結局マイナスサムが成長する(ようにみえる)のは捨て石(奴隷等)の効能だ。
本当に奴隷制度は終わったのだろうかというね。
余力の範囲外のものを財源にしようと思えば、強奪や奴隷というカードになるから。
赤穂の浪士達の潜伏先は、旗本達の住む武家屋敷だった。とか
松平は吉良と因縁の関係だった。とか
そこから考えると
吉良の暗殺に内匠頭を使い、失敗したので口封じ、今度は浪士を集めて
仇討ちを名目に再度暗殺計画。最後は全員口封じ。という感じでしょうか?
え?違うの?
吉良の暗殺に内匠頭を使い・・という時点で違うと思う。年も年だしほっといてもその内死ぬし、それでも今すぐ暗殺したいならもう少しスマートな方法はあるような気はする。
蘭学洋書はご禁制だったように思います。