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古楽器の柔らかな音が好きです。今回の解説を聞いて、現代楽器との違いについての知ることができました。ありがとうございます。私は音楽を聴くと共に演奏者や指揮者の表情を見ると、より感情移入できます。バッハの曲はNetherland Bach SocietyのRUclipsで楽しんでいます。
天国のバッハが、古楽器ならイギリスで私の好きな、あのソロイスツや日本の、あのコレギウムを聞けば「私が地上で生きていた当時のサウンドだ」と、そしてリヒターのモダン楽器を聞けば「こんな音が欲しかった、わが魂の音楽表現よ!」と、いずれにしても絶賛していることでしょう。
バッハは楽器の特性よりも音楽の構造を重要視して作ったのですね。それは、私に伝わりました。ポピュラー音楽を中心に演奏してきましたが、クラシックに魅せられてバッハに出会いシンフォニアの構造の素晴らしさに感動しました。古楽器のように聴こえるように、ノンレガートで基本弾くことをすすめる先生が案外多く、とても滑稽に感じる曲もありました。私はこの多重な流れの中に、一瞬できるメイジャー7コードや♭9の響きがたまらなく美しく感じ電子ピアノでストリングスで弾いたりオルガン音色で弾いてみたりして楽しんでいました。それが車田さんのおっしゃる通りどんな音色で弾いてもその流れや響きの美しさはそれぞれの音色で輝きました。ピアノで弾くのはとても大変ですが、練習すれば喜びは大きくなります。
私も一度は「バッハは古楽器で演奏しないとダメなのか…」と悩んだことがあります。手の大きさの問題で古楽器が演奏できないから。悩んだりいろいろな演奏を聴いたりした挙句、結論は、ほんとうに素晴らしい作曲家はどんな楽器で演奏しても素晴らしい作品を作った人だと考えるようになりました。バッハは音楽の構造をあれこれ試みた人、その通りだと思います。バッハを演奏するといつも建築・論理学・数学が思い浮かびます。耳から入る音の並びが脳裏に図形として浮かぶ曲があります。
本質を突いたレクチャーで、繰り返し視聴しています。好奇心は進歩への推進力ですが、それによって導かれた発見が、排除の環境を作ってしまうとは。研究の分野では常に「何が正しいか」という論争が軸になりますが、これが音楽の分野で展開されるのは抵抗があります。クラシック音楽界の危機感が打った「次の一手」だったかも知れない古楽器演奏ですが、音楽の地平線をより広くすることに貢献して欲しいです。車田さんからの「聴く人」への力強いメッセージ、嬉しいです。
バッハの曲は古楽器で演奏すると良さがわかることもありますけれど、現代楽器のほうがよりわかる曲もあると思います。バッハの頭の中では、当時の楽器の限界を超えた音楽があったのではないかと感じてしまいます。もちろんジョンダウランドの曲ようにリュートでなければ本当の良さがわからない曲もありますが。音律についてはポップスでもJacob collierのように、敢えて平均率を外した音程できれいなハーモニーを作る人もいますね。
最近フラウト トラヴェルソをやることになり、今回のお話はとても心に響きました。楽器が、とか、運指が、とか、調律が、とかじゃなくて、作曲家が何を表現したかったのか、そこを見失いがちでした。ありがとうございました。
長3度のとらえかたについて着目するとルネサンス音楽の始まりにまで議論が及んでいってもはや哲学になってしまうので難しいですよね〜
はえー勉強になりますわー古楽器で聴いてみたくなりました!
当時の作曲家たちが現代の楽器に触れたら きっと大喜びすることでしょうし、作曲の意欲が増すことでしょう😂💐🍺美味そう👍
わたしは、想像ですが、バッハにしてもモーツァルトにしても、当時の楽器を前提に作曲したわけではないんじゃないかな?と思ってます。もちろん作曲するに際して直接的には当時の楽器で演奏されたときの響きをイメージしたでしょうが、より伸びやかで艶やかな音、当時の楽器が苦手とする音も無理なく出せる楽器が将来普及することも想定して、そのような楽器で一層輝きを増すような音楽をつくる、ということも意識の中にあったのではないかな?と思ってます。すくなくともそう思わなかった、と断定するのは無理がある。なぜなら、当時は今と違って、楽器自体日々改良され進化していたのですから。こんごどんな楽器が普及していくか?くらいはとうぜん関心があったと思います。そのときに輝きを損なうような曲をつくろうだなどと思うはずがありません。そういう意味で、「当時の響き・作曲家が聴いた響き」を追求するのを無意味とはいいませんが、それだけがめざすべき最終回答ではないのではないか?と思います。とくにバッハやモーツァルトの鍵盤楽器作品は、現代のピアノでの演奏によって、チェンバロなどの当時の楽器による演奏とはまた異なる輝きを感じます。
ミントーンを初めて伺いました。ミサ曲改めて聴いてみたいと思っております。私はバッハを聴く時古楽器であるとこに拘りを持っていませんでした。当時の音の再現?より彼が音楽として思っていただろう音は現代楽器の方ではないか?などと常々感じでいたからです。ブランデンブルクの5番のフルートは当時のトラベルソより相応しいのではないか?少年合唱のソプラノより女性合唱ではないか・・というようなこともです。もちろんハーノンコールやレオンハルトの偉業を否定するものではありません。リヒターに感動しバッハの声楽を聴くようになった私としては、実際にマタイを演奏したときはあれ程の人数で行われなかったでしょうが、かれの演奏はバッハの精神を表すのに相応しいと思えました。この解説も貴著なお話しでした。
20:08~、瓶ビールは美味しいですね。メインの音楽のお話はいつも興味深いですが、ドイツの飲み物などのご紹介も興味深いです。2024/3/31
バッハという作曲家の信じられない程の深さと高さを考えるなら、 古楽器でも現代楽器でも、彼の全てを表現し尽くすことはできないと感じる。 それぞれの時代が努力を尽くして、 彼の音楽を解釈し解釈し続けてもなお、 まだ彼の神秘が残る。 それが バッハの世界。なお、リヒターを理解するのはキリスト教とか 聖書の理解がないと苦しいかも。 リヒターは 牧師の子であり、 神学的な解釈がとてもきちんとしているから。
演奏スタイルの解釈は時代によってどんどん変わりますから、今後もどんどん新たな解釈に基づいた演奏が出てくると思っています。リヒターをおすすめする理由は精神性はもちろんですが、実は当時の歌手のレベルが非常に高かったという事もあります😊😊
私は単純に「約300年位前の音楽はこんな響きだった?」という感じで初めての古楽器演奏を楽しんでいました。それが、今はバロックは古楽器が主流、という感じすらあるのですね。当時の楽器に相応しい表現法とか技法があったことは興味深いことです。同時に当時の作曲家たちも楽器の進歩には大賛成だったようですから、あまり古楽器にこだわらなくても良いのでしょう。グレングールドのブランデンブルク協奏曲第5番とかも、彼らしくて面白いですよー。
さっそくカールリヒターのバッハ ロ短調ミサ キリエ 聴いてみました😊
リヒターのマタイ、レオンハルトのマタイ、メンゲルベルクのマタイ、この三枚を持っていました😊世界三大マタイです(笑)
自分はバッハのカンタータやマタイ受難曲を聴く時は、結構厳しめに、この指揮者分かってないなぁとか勝手に思いながら聴いています。実は全然まと外れであるかもしれません。でも平均律とかパルティータに関してはどんな演奏も面白く聴く事が出来ます。ジャズにアレンジしたジャック・ルーシェのプレイバッハなど、もしかしてバッハが聴いたらニヤニヤするんじゃないかなぁなんて思いながら聴いています。
車田さん、こんにちは。わたしも国立音大でしたが、私のいた「科」は儲からないという事でついに数年前廃止になりました。トホホ。ところで中間音律で録音したcdですが「J・S・バッハ:チェンバロ作品集~イタリア協奏曲」(渡邊順生)今では廃盤になってますがアマゾンに中古の在庫があるようです。私が若いときに購入しましたcdですが、いまでも時々聞きます。よい演奏です。もしかしたらもっていらっしゃるかも。他にもアナログ録音の中に、平均律とはちがう響きをもったものが多数あります。Harmonia Mundi ハルモニア・ムンディ:レーベル名それではまた。
当時の洋式を忠実に再現するなら、古楽器以外の選択はないです。モダンでやりたい人はやればいいと思いますけど、ゾワゾワしてきて聴けないです。楽器は重要じゃないのは、別の楽器の選択もあるということであって、知りもしないモダン楽器でご自由にって意味合いではないと考えます。モダン楽器でやるならば、相当のセンスが必要です。
イ・ムジチ合奏団の四季からクラシックに入りましたが、当時はアーノンクールの演奏に強烈なアレルギーを感じたのを思い出します。イ・ムジチのただただ美しい演奏に慣れた耳には正直醜悪にしか聞こえませんでした。しかし、逆に当時の大編成のオーケストラやモダン楽器のピアノで演奏するモーツァルトは自分には真面目過ぎて聞こえ、モーツァルトはつまらないという固定観念を抱いていました。それを打ち壊してくれたのがホグウッドのレコードやフォルテピアノの演奏でした。ただ、それから何十年も経った今となっては、当時あれだけ拒否反応を感じたアーノンクールの「四季」もむしろ穏当に聞こえるようになりました。不思議なものです。ピアノは今でもフォルテピアノの方が好きです。スタインウェイの音色が畑で栽培された野菜だとしたら、フォルテピアノは山菜のようなえぐみがあって、そこが好きです。また、音量も出ないので雄弁過ぎない所も好きです。
私はずぶの(この部分なおしました)素人ですが、音楽の本質に関しては眞に車田さんの仰る通りだと思います。しかし、音の響きも聴く側/音楽を受け取る側にとっては、その「受け取り」が違ってくるのではないでしょうか? 私は、個人的には、例えば、リヒテルによる古楽にビブラートをふんだんにかけた演奏、又はアリアに現代オペラのようなビブラートをかけた歌い方をされると、バッハは「止めろ、やめろ!俺の歌はそんなふうに演奏したり、歌ったりするつもりで書いたんじゃあない!」と言いそうな気がするんです。 ビル クリステイのジュリアードでのSt John を聴きに行ったことがありますが、若いソプラノ歌手を手で押さえていたのを覚えています。 やっぱり、古楽を現代楽器で演奏、歌うことには相当の「聴く側」の理解と演奏者のアジャストメントが必要なんではないでしょうか?
コメントありがとうございます!僕も古楽器は好きでよく聴きますが、現代楽器も良く聴きます!好きな方を楽しんでいただければ良いと思いますよ!
どちらでも演奏家の力量で小さな問題です😂💐
弦楽器ですと、例えばストラディバリウスを使用している演奏家もいらつしやいますが、「古楽器による演奏」とはあまり言わないという印象です。これらは実は随分と改造されて(ボディーがもともとのままで、ほかを改造している)、現代楽器と言って差し支えない状態ということなのかな、と理解しております。逆に、昔ながらの形を残すような修繕に抑えている弦楽器ならば、古楽器と呼びうるのだととりあえず理解しております。
平均律や純正調の調律のはなしで前から疑問に思っていることですが、曲の途中で自由な転調を可能にするために平均律が作り出されたというはなし、これは理解できます。しかし弦楽器やトロンボーンのような演奏中であっても微妙なピッチの調整が可能な楽器を除き、木管楽器などそもそも一つの律でしか調律できないはずの楽器は、純正律にしろ、ミーントーンにしろ特定の一つの調でしか演奏できないわけですよね。他の調で演奏すると、その時点で純正律やミーントーンの調律から外れるわけですから。そうすると曲の途中の転調以前に、そういう楽器は平均律が考案される以前は一つの調でしか演奏できなくなってしまい、他の調の曲は純正律、ミーントーンの調律の響きでは演奏不可となってしまいます。しかし実際にはバロック時代にはいろんな調の曲があるわけですが、これはどう理解すればいいのでしょうか?それからバッハの平均律クラヴィーア曲集の原題のDas Wohltemperirte ClavierのWohltemperirteとはミーントーンのことでしょうか?
レオンハルト、アーノンクール、サヴァールが演奏するバッハはすばらしいですね。リヒターは偉大な演奏家ですが、初心者にはちょっとハードルが高いと思います。バッハを聴き始めの頃、リヒターの「マタイ受難曲」を最後まで聴き通せずギブアップした苦い過去があります(笑)。
コメントありがとうございます!マタイはさすがに最初の聴くにはちょっと長いかもしれませんね・・・・^_^;
音律の歴史を説明する時のBGMが《WTC》という皮肉😯
古楽器の音色に最近ハマってます(╹◡╹)とてもとても楽しく興味深く拝見しました♪👏👏👏👏👏カンパーイ🍻🥂❣️
🍺🍺
平均律とミーントーンの話はとても面白かったです.ロ短調ミサ曲の冒頭を今度聞き比べしてみます.それから,リヒターの演奏は楽器を超えた精神性にあるとのご指摘は本当に共感できます.いろいろ聞き比べをしましたが,マタイ受難曲はリヒターが現在でも最高だと思っています.
ありがとうございます!リヒターを超える演奏はなかなか出てきませんね。あの時代はソリストも良かったですし、何よりも声にしっかりとした精神のエネルギーというかパワーが宿っていますね。
チェンバロとピアノの違いは単に古楽器と現代楽器との違い以上の差異があるように思います。私はバッハ作品の鑑賞力についてはあまり自身がないのですが、平均律クラヴィーア曲集に限って、ピアノ演奏で聞き続けていると初めは美しい音で快いのですが、やがてどの曲も同じような音楽に聞こえてきて集中できなくなり、眠ってしまいます。チェンバロの演奏では、曲が変わるたびに千変万化の印象を受けます。もっともフーガを良く鑑賞するほどの鑑賞力はありませんけど。他方、チェンバロの場合は音色がうるさく感じられる場合もあります。しかし今のところこの曲集を聞きたいときはいつもチェンバロの方を選びますね。
コメントありがとうございます‼️ピアノとチェンバロは音の出し方が違うので表現方法も変わってきますね。フーガだと音を伸ばせるオルガンも面白いです‼️
私はズブの素人/門前のジジイなのですが、息子の一人がNYでガンバ弾きをしています。たった今は、ドイツのケーテンでのバッハーアベルコンクールに、前回の金賞受賞者(アメリカ人として、また日本人として初めて)として招かれています。だから、古楽についてはまた聞きとか、うちでの仲間(殆どがJuilliardとかヨーロッパの音楽院で勉強した仲間)との演奏会の練習などを見聞きしてきました。車田さんの仰るように、音楽は好みなんですが、今は、少なくともアメリカでは、古楽演奏者の中には「リヒターの”マタイ受難曲”」を重く語る人はいません。 2013年からは佐藤秀介さんが オランダ バッハササイエテイー オーケストラのコンサートマスターをしておられます。「リヒターの”マタイ受難曲”」をお好きな方々は、是非一度ruclips.net/video/3k4Ph-H5ZO4/видео.html をお聴き下さい。(私の好み)現代オーケストラでの現代楽器による演奏のようなきらびやかさはありませんが、心にしみる音楽です。私も女房も息子がJuliard の古楽科に入るまではマタイ受難曲などには全く興味はありませんでした。Juliard 415 によるこの曲を聴きに来い言われてリンカーンセンターの椅子に座った時も、二人で絶対に2時間半寝通すと思っていました。が、1秒たりとも瞼が閉じませんでした。 女房と二人でビックラポンでした。 これがバッハなんだと、その時に感じました。今では、例えば、バッハのソロ バイオリンを聴く時には、パールマンは聴きません。アマンデーン べイヤー (amandine beyer) を聴いています。 現代演奏の全てにビブラートを死ぬほどかける、というのがとても聴きづらくなったのです。 ただ、プッチーニのアリアのビブラートは絶対に必要だと思っています。ともかく、聴き比べをしてみて下さい。車田さんには、ちょっと失礼をしてしまいました!
コメントありがとうございます!ぜひお好きな演奏を楽しんで下さい☺️
車田さん、返コメ(?)有難う御座いました。同時に、部分的に車田さんの仰っているのと違うみたいなコメントになり、済みませんでした。他のビデオも、引き続き楽しんでおります。今後とも不ラシック音楽の普及にご尽力下さい!
ありがとうございます!
ありがとうございます❤いつも楽しく聴いています❤
ピリオド奏法について永年違和感を感じてきました。たしかにホグウッドやコープマンのリズミカルな演奏には魅力があります。しかし、量子論における「粒子」と「波」の議論のように、リズムを構成するものは単に躍動感だけではないのです。優れたモチーフそれ自体がひとつのリズム足りえることに気付くべきです。それさえ理解していれば、モダン楽器でテンポを落として演奏しても素晴らしい効果を出せることは、カール・リヒターやクレンペラー等の演奏が証明しています。
バッハの時代はピアノがまだないんですよね。ドイツのオルガン製作者が試作をしたものをバッハが試奏したという記録があるそうです。以前一度だけ古楽器のコンサートに行ったことがあります。当時は今のように音がうるさくないから未熟な音や楽器でも充分聞こえたそうですね、タイムスリップした感がありました。CDも購入しました。
コメントありがとうございます❗
自分は10年ほどチェロを弾いてましたが、ビルスマーとか鈴木秀実さんとか良く分かりません。ガット弦でダウンチューニングまでは分かりますが、エンドピン外して股にこっぱさむ必要があるのか?バロックボウなんて使う必要があるのか?未だにヨーヨーマの1981年版が最高のバッハだと思ってます。
僕もヨーヨーマの無伴奏チェロのCDを持っています。バロックチェロの詳しい奏法は分かりませんが、チェロ奏者だったアーノンクールはチェロの弓の持ち方のままガンバを弾いてましたね😊😊!案外弾ければ良いと思っていたのかも・・
21世紀に生きる我々の感性で感じる音楽もあるはずと考えています。あの時代に帰って聞いてきたのならともかく、「こうであったにちがいない」 ですからね。ある種のわざとらしさを感じるお仕着せがましい表現はどうも生理的に受け付けません。
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古楽器の柔らかな音が好きです。今回の解説を聞いて、現代楽器との違いについての知ることができました。ありがとうございます。私は音楽を聴くと共に演奏者や指揮者の表情を見ると、より感情移入できます。バッハの曲はNetherland Bach SocietyのRUclipsで楽しんでいます。
天国のバッハが、古楽器ならイギリスで私の好きな、あのソロイスツや日本の、あのコレギウムを聞けば「私が地上で生きていた当時のサウンドだ」と、そしてリヒターのモダン楽器を聞けば「こんな音が欲しかった、わが魂の音楽表現よ!」と、いずれにしても絶賛していることでしょう。
バッハは楽器の特性よりも音楽の構造を重要視して作ったのですね。それは、私に伝わりました。
ポピュラー音楽を中心に演奏してきましたが、クラシックに魅せられてバッハに出会いシンフォニアの構造の素晴らしさに感動しました。
古楽器のように聴こえるように、ノンレガートで基本弾くことをすすめる先生が案外多く、とても滑稽に感じる曲もありました。
私はこの多重な流れの中に、一瞬できるメイジャー7コードや♭9の響きがたまらなく美しく感じ電子ピアノでストリングスで弾いたりオルガン音色で弾いてみたりして楽しんでいました。それが車田さんのおっしゃる通りどんな音色で弾いてもその流れや響きの美しさはそれぞれの音色で輝きました。ピアノで弾くのはとても大変ですが、練習すれば喜びは大きくなります。
私も一度は「バッハは古楽器で演奏しないとダメなのか…」と悩んだことがあります。手の大きさの問題で古楽器が演奏できないから。悩んだりいろいろな演奏を聴いたりした挙句、結論は、ほんとうに素晴らしい作曲家はどんな楽器で演奏しても素晴らしい作品を作った人だと考えるようになりました。
バッハは音楽の構造をあれこれ試みた人、その通りだと思います。バッハを演奏するといつも建築・論理学・数学が思い浮かびます。耳から入る音の並びが脳裏に図形として浮かぶ曲があります。
本質を突いたレクチャーで、繰り返し視聴しています。好奇心は進歩への推進力ですが、それによって導かれた発見が、排除の環境を作ってしまうとは。研究の分野では常に「何が正しいか」という論争が軸になりますが、これが音楽の分野で展開されるのは抵抗があります。クラシック音楽界の危機感が打った「次の一手」だったかも知れない古楽器演奏ですが、音楽の地平線をより広くすることに貢献して欲しいです。車田さんからの「聴く人」への力強いメッセージ、嬉しいです。
バッハの曲は古楽器で演奏すると良さがわかることもありますけれど、現代楽器のほうがよりわかる曲もあると思います。バッハの頭の中では、当時の楽器の限界を超えた音楽があったのではないかと感じてしまいます。もちろんジョンダウランドの曲ようにリュートでなければ本当の良さがわからない曲もありますが。音律についてはポップスでもJacob collierのように、敢えて平均率を外した音程できれいなハーモニーを作る人もいますね。
最近フラウト トラヴェルソをやることになり、今回のお話はとても心に響きました。楽器が、とか、運指が、とか、調律が、とかじゃなくて、作曲家が何を表現したかったのか、そこを見失いがちでした。
ありがとうございました。
長3度のとらえかたについて着目するとルネサンス音楽の始まりにまで議論が及んでいってもはや哲学になってしまうので難しいですよね〜
はえー勉強になりますわー
古楽器で聴いてみたくなりました!
当時の作曲家たちが現代の楽器に触れたら きっと大喜びすることでしょうし、作曲の意欲が増すことでしょう😂💐
🍺美味そう👍
わたしは、想像ですが、バッハにしてもモーツァルトにしても、当時の楽器を前提に作曲したわけではないんじゃないかな?と思ってます。もちろん作曲するに際して直接的には当時の楽器で演奏されたときの響きをイメージしたでしょうが、より伸びやかで艶やかな音、当時の楽器が苦手とする音も無理なく出せる楽器が将来普及することも想定して、そのような楽器で一層輝きを増すような音楽をつくる、ということも意識の中にあったのではないかな?と思ってます。すくなくともそう思わなかった、と断定するのは無理がある。なぜなら、当時は今と違って、楽器自体日々改良され進化していたのですから。こんごどんな楽器が普及していくか?くらいはとうぜん関心があったと思います。そのときに輝きを損なうような曲をつくろうだなどと思うはずがありません。
そういう意味で、「当時の響き・作曲家が聴いた響き」を追求するのを無意味とはいいませんが、それだけがめざすべき最終回答ではないのではないか?と思います。
とくにバッハやモーツァルトの鍵盤楽器作品は、現代のピアノでの演奏によって、チェンバロなどの当時の楽器による演奏とはまた異なる輝きを感じます。
ミントーンを初めて伺いました。ミサ曲改めて聴いてみたいと思っております。
私はバッハを聴く時古楽器であるとこに拘りを持っていませんでした。当時の音の再現?より彼が音楽として思っていただろう音は現代楽器の方ではないか?などと常々感じでいたからです。ブランデンブルクの5番のフルートは当時のトラベルソより相応しいのではないか?少年合唱のソプラノより女性合唱ではないか・・というようなこともです。もちろんハ
ーノンコールやレオンハルトの偉業を否定するものではありません。
リヒターに感動しバッハの声楽を聴くようになった私としては、実際にマタイを演奏したときはあれ程の人数で行われなかったでしょうが、かれの演奏はバッハの精神を表すのに相応しいと思えました。
この解説も貴著なお話しでした。
20:08~、瓶ビールは美味しいですね。
メインの音楽のお話はいつも興味深いですが、ドイツの飲み物などのご紹介も興味深いです。2024/3/31
バッハという作曲家の信じられない程の深さと高さを考えるなら、 古楽器でも現代楽器でも、彼の全てを表現し尽くすことはできないと感じる。 それぞれの時代が努力を尽くして、 彼の音楽を解釈し解釈し続けてもなお、 まだ彼の神秘が残る。 それが バッハの世界。
なお、リヒターを理解するのはキリスト教とか 聖書の理解がないと苦しいかも。 リヒターは 牧師の子であり、 神学的な解釈がとてもきちんとしているから。
演奏スタイルの解釈は時代によってどんどん変わりますから、今後もどんどん新たな解釈に基づいた演奏が出てくると思っています。リヒターをおすすめする理由は精神性はもちろんですが、実は当時の歌手のレベルが非常に高かったという事もあります😊😊
私は単純に「約300年位前の音楽はこんな響きだった?」という感じで初めての古楽器演奏を楽しんでいました。それが、今はバロックは古楽器が主流、という感じすらあるのですね。当時の楽器に相応しい表現法とか技法があったことは興味深いことです。同時に当時の作曲家たちも楽器の進歩には大賛成だったようですから、あまり古楽器にこだわらなくても良いのでしょう。グレングールドのブランデンブルク協奏曲第5番とかも、彼らしくて面白いですよー。
さっそくカールリヒターのバッハ ロ短調ミサ キリエ 聴いてみました😊
リヒターのマタイ、レオンハルトのマタイ、メンゲルベルクのマタイ、この三枚を持っていました😊世界三大マタイです(笑)
自分はバッハのカンタータやマタイ受難曲を聴く時は、結構厳しめに、この指揮者分かってないなぁとか勝手に思いながら聴いています。実は全然まと外れであるかもしれません。でも平均律とかパルティータに関してはどんな演奏も面白く聴く事が出来ます。ジャズにアレンジしたジャック・ルーシェのプレイバッハなど、もしかしてバッハが聴いたらニヤニヤするんじゃないかなぁなんて思いながら聴いています。
車田さん、こんにちは。
わたしも国立音大でしたが、私のいた「科」は儲からないという事でついに数年前廃止になりました。トホホ。
ところで中間音律で録音したcdですが
「J・S・バッハ:チェンバロ作品集~イタリア協奏曲」(渡邊順生)
今では廃盤になってますがアマゾンに中古の在庫があるようです。
私が若いときに購入しましたcdですが、いまでも時々聞きます。よい演奏です。もしかしたらもっていらっしゃるかも。
他にもアナログ録音の中に、平均律とはちがう響きをもったものが多数あります。
Harmonia Mundi ハルモニア・ムンディ:レーベル名
それではまた。
当時の洋式を忠実に再現するなら、古楽器以外の選択はないです。モダンでやりたい人はやればいいと思いますけど、ゾワゾワしてきて聴けないです。楽器は重要じゃないのは、別の楽器の選択もあるということであって、知りもしないモダン楽器でご自由にって意味合いではないと考えます。モダン楽器でやるならば、相当のセンスが必要です。
イ・ムジチ合奏団の四季からクラシックに入りましたが、当時はアーノンクールの演奏に強烈なアレルギーを感じたのを思い出します。イ・ムジチのただただ美しい演奏に慣れた耳には正直醜悪にしか聞こえませんでした。しかし、逆に当時の大編成のオーケストラやモダン楽器のピアノで演奏するモーツァルトは自分には真面目過ぎて聞こえ、モーツァルトはつまらないという固定観念を抱いていました。それを打ち壊してくれたのがホグウッドのレコードやフォルテピアノの演奏でした。
ただ、それから何十年も経った今となっては、当時あれだけ拒否反応を感じたアーノンクールの「四季」もむしろ穏当に聞こえるようになりました。不思議なものです。ピアノは今でもフォルテピアノの方が好きです。スタインウェイの音色が畑で栽培された野菜だとしたら、フォルテピアノは山菜のようなえぐみがあって、そこが好きです。また、音量も出ないので雄弁過ぎない所も好きです。
私はずぶの(この部分なおしました)素人ですが、音楽の本質に関しては眞に車田さんの仰る通りだと思います。しかし、音の響きも聴く側/音楽を受け取る側にとっては、その「受け取り」が違ってくるのではないでしょうか? 私は、個人的には、例えば、リヒテルによる古楽にビブラートをふんだんにかけた演奏、又はアリアに現代オペラのようなビブラートをかけた歌い方をされると、バッハは「止めろ、やめろ!俺の歌はそんなふうに演奏したり、歌ったりするつもりで書いたんじゃあない!」と言いそうな気がするんです。 ビル クリステイのジュリアードでのSt John を聴きに行ったことがありますが、若いソプラノ歌手を手で押さえていたのを覚えています。 やっぱり、古楽を現代楽器で演奏、歌うことには相当の「聴く側」の理解と演奏者のアジャストメントが必要なんではないでしょうか?
コメントありがとうございます!僕も古楽器は好きでよく聴きますが、現代楽器も良く聴きます!好きな方を楽しんでいただければ良いと思いますよ!
どちらでも演奏家の力量で
小さな問題です😂💐
弦楽器ですと、例えばストラディバリウスを使用している演奏家もいらつしやいますが、「古楽器による演奏」とはあまり言わないという印象です。これらは実は随分と改造されて(ボディーがもともとのままで、ほかを改造している)、現代楽器と言って差し支えない状態ということなのかな、と理解しております。
逆に、昔ながらの形を残すような修繕に抑えている弦楽器ならば、古楽器と呼びうるのだととりあえず理解しております。
平均律や純正調の調律のはなしで前から疑問に思っていることですが、曲の途中で自由な転調を可能にするために平均律が作り出されたというはなし、これは理解できます。しかし弦楽器やトロンボーンのような演奏中であっても微妙なピッチの調整が可能な楽器を除き、木管楽器などそもそも一つの律でしか調律できないはずの楽器は、純正律にしろ、ミーントーンにしろ特定の一つの調でしか演奏できないわけですよね。他の調で演奏すると、その時点で純正律やミーントーンの調律から外れるわけですから。そうすると曲の途中の転調以前に、そういう楽器は平均律が考案される以前は一つの調でしか演奏できなくなってしまい、他の調の曲は純正律、ミーントーンの調律の響きでは演奏不可となってしまいます。しかし実際にはバロック時代にはいろんな調の曲があるわけですが、これはどう理解すればいいのでしょうか?
それからバッハの平均律クラヴィーア曲集の原題のDas Wohltemperirte ClavierのWohltemperirteとはミーントーンのことでしょうか?
レオンハルト、アーノンクール、サヴァールが演奏するバッハはすばらしいですね。
リヒターは偉大な演奏家ですが、初心者にはちょっとハードルが高いと思います。
バッハを聴き始めの頃、リヒターの「マタイ受難曲」を最後まで聴き通せずギブアップした苦い過去があります(笑)。
コメントありがとうございます!マタイはさすがに最初の聴くにはちょっと長いかもしれませんね・・・・^_^;
音律の歴史を説明する時のBGMが《WTC》という皮肉😯
古楽器の音色に最近ハマってます(╹◡╹)
とてもとても楽しく興味深く拝見しました♪👏👏👏👏👏
カンパーイ🍻🥂❣️
🍺🍺
平均律とミーントーンの話はとても面白かったです.ロ短調ミサ曲の冒頭を今度聞き比べしてみます.それから,リヒターの演奏は楽器を超えた精神性にあるとのご指摘は本当に共感できます.いろいろ聞き比べをしましたが,マタイ受難曲はリヒターが現在でも最高だと思っています.
ありがとうございます!リヒターを超える演奏はなかなか出てきませんね。あの時代はソリストも良かったですし、何よりも声にしっかりとした精神のエネルギーというかパワーが宿っていますね。
チェンバロとピアノの違いは単に古楽器と現代楽器との違い以上の差異があるように思います。私はバッハ作品の鑑賞力についてはあまり自身がないのですが、平均律クラヴィーア曲集に限って、ピアノ演奏で聞き続けていると初めは美しい音で快いのですが、やがてどの曲も同じような音楽に聞こえてきて集中できなくなり、眠ってしまいます。チェンバロの演奏では、曲が変わるたびに千変万化の印象を受けます。もっともフーガを良く鑑賞するほどの鑑賞力はありませんけど。他方、チェンバロの場合は音色がうるさく感じられる場合もあります。しかし今のところこの曲集を聞きたいときはいつもチェンバロの方を選びますね。
コメントありがとうございます‼️ピアノとチェンバロは音の出し方が違うので表現方法も変わってきますね。フーガだと音を伸ばせるオルガンも面白いです‼️
私はズブの素人/門前のジジイなのですが、息子の一人がNYでガンバ弾きをしています。たった今は、ドイツのケーテンでのバッハーアベルコンクールに、前回の金賞受賞者(アメリカ人として、また日本人として初めて)として招かれています。だから、古楽についてはまた聞きとか、うちでの仲間(殆どがJuilliardとかヨーロッパの音楽院で勉強した仲間)との演奏会の練習などを見聞きしてきました。
車田さんの仰るように、音楽は好みなんですが、今は、少なくともアメリカでは、古楽演奏者の中には「リヒターの”マタイ受難曲”」を重く語る人はいません。 2013年からは佐藤秀介さんが オランダ バッハササイエテイー オーケストラのコンサートマスターをしておられます。
「リヒターの”マタイ受難曲”」をお好きな方々は、是非一度ruclips.net/video/3k4Ph-H5ZO4/видео.html をお聴き下さい。(私の好み)
現代オーケストラでの現代楽器による演奏のようなきらびやかさはありませんが、心にしみる音楽です。
私も女房も息子がJuliard の古楽科に入るまではマタイ受難曲などには全く興味はありませんでした。Juliard 415 によるこの曲を聴きに来い言われてリンカーンセンターの椅子に座った時も、二人で絶対に2時間半寝通すと思っていました。が、1秒たりとも瞼が閉じませんでした。 女房と二人でビックラポンでした。 これがバッハなんだと、その時に感じました。
今では、例えば、バッハのソロ バイオリンを聴く時には、パールマンは聴きません。アマンデーン べイヤー (amandine beyer) を聴いています。 現代演奏の全てにビブラートを死ぬほどかける、というのがとても聴きづらくなったのです。 ただ、プッチーニのアリアのビブラートは絶対に必要だと思っています。
ともかく、聴き比べをしてみて下さい。
車田さんには、ちょっと失礼をしてしまいました!
コメントありがとうございます!ぜひお好きな演奏を楽しんで下さい☺️
車田さん、返コメ(?)有難う御座いました。同時に、部分的に車田さんの仰っているのと違うみたいなコメントになり、済みませんでした。
他のビデオも、引き続き楽しんでおります。今後とも不ラシック音楽の普及にご尽力下さい!
ありがとうございます!
ありがとうございます❤
いつも楽しく聴いています❤
ピリオド奏法について永年違和感を感じてきました。たしかにホグウッドやコープマンのリズミカルな演奏には魅力があります。しかし、量子論における「粒子」と「波」の議論のように、リズムを構成するものは単に躍動感だけではないのです。優れたモチーフそれ自体がひとつのリズム足りえることに気付くべきです。それさえ理解していれば、モダン楽器でテンポを落として演奏しても素晴らしい効果を出せることは、カール・リヒターやクレンペラー等の演奏が証明しています。
バッハの時代はピアノがまだないんですよね。ドイツのオルガン製作者が試作をしたものをバッハが試奏したという記録があるそうです。以前一度だけ古楽器のコンサートに行ったことがあります。当時は今のように音がうるさくないから未熟な音や楽器でも充分聞こえたそうですね、タイムスリップした感がありました。CDも購入しました。
コメントありがとうございます❗
自分は10年ほどチェロを弾いてましたが、ビルスマーとか鈴木秀実さんとか良く分かりません。ガット弦でダウンチューニングまでは分かりますが、エンドピン外して股にこっぱさむ必要があるのか?バロックボウなんて使う必要があるのか?
未だにヨーヨーマの1981年版が最高のバッハだと思ってます。
僕もヨーヨーマの無伴奏チェロのCDを持っています。バロックチェロの詳しい奏法は分かりませんが、チェロ奏者だったアーノンクールはチェロの弓の持ち方のままガンバを弾いてましたね😊😊!案外弾ければ良いと思っていたのかも・・
21世紀に生きる我々の感性で感じる音楽もあるはずと考えています。
あの時代に帰って聞いてきたのならともかく、「こうであったにちがいない」 ですからね。
ある種のわざとらしさを感じるお仕着せがましい表現はどうも生理的に受け付けません。
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