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31:20 説明文の1俵が40石となっておりますが誤りで、正確には100俵40石です。お詫びして訂正します
一俵で40石だと、昔のヒトが極端な少食になっちゃうもんね❤
栃木県芳賀郡民の私も、二宮尊徳さんが取り上げられて嬉しいです😂!この方がこちらに来ていなかったら、今この世に生を受けてない栃木県民も多いはず。今は真岡市となりましたが、芳賀郡には二宮町があり、イチゴの生産高日本一でした。町名の由来はもちろん桜町に長年住んでた二宮尊徳さんからです!
小田原が地元だから金次郎像は常日頃見てるなぁ。取り上げて貰えて嬉しい。
数少ない神奈川の偉人。超絶尊敬してます。
元相馬市民です。天明の飢饉以降の大恐慌状態の中村藩の藩政改革及び民生復興のために二宮額はのお弟子さんたちのお世話になってました。その後天保以降の中村領で餓死者だしてません。私も井宮損得の事績や著作二宮学派の資料を読んでみたのですが、マッチョで吝嗇で根性論の金次郎というよりは、実験、実線派の経済学者でしたねー。そして生産調整の失敗当の失敗もきっちりしてますしその反省も生かしてます。残念なのはまだ統計学以前の時代なので断片的な帳簿しか烏山領、中村領にわずかに保存されているのみでした。思想家でも経営学者でもなく経済学の先駆者としての二宮尊徳と二宮学派の話があればもっと良かったと思います。
うちのご先祖様も、報徳社を立てて近所の人たちと頑張ってたそうです。尊徳取り上げてくれてありがとうです!
これ、修身や軍国主義じゃなくて普通に立派な人じゃないか!道徳の教科書にのせるべきだな
GHQの仕業で二宮金二郎の話は封印されました。
相手を弱体化させるために世代かけて日本の美徳を侵略して、それが悲しいかな成功してるんすよ
いや、道徳の教科書に普通に載ってた記憶あるぞ
俺らが子供の頃にこの教えを与えてくれたら、現状も変わってただろうに。
それは戦後日本の教育界が続けてきた、「人権は個々人が生来持っているもので国家に帰属するようなものではありません、国が人権の為に義務(勤労、納税等)を求めるのは軍国主義そのものであり、国家による人権侵害という犯罪なのです。つまり国が私達に義務を課す事はできません。そして国には私たちを守る義務と責任があると憲法に定められています。私達が国に対して何の義務も責任も負わず、只々自己のためだけに権利を求めるのは人権が保証している権利なのです。」という彼らが言う文明的で現代的らしい世界中で日本にしかないガラパゴス人権主義にそぐわないから無理でしょうね。
二宮尊徳は孔子の教えを忠実に実行した人と自分は捉えています。数々の困難にも負けず、愚直に突き進みたくさんの人々の尊敬と信頼を勝ち得た事は、現代こそもっと知られるべきと思いますね。
立派な人だなぁ……まさに日本の偉人よ。
背景の花火、晩夏的で良いですね。
山あり谷ありの二宮尊徳の人生をゆっくりと聞けてよかった。自分の人生が逆境続きなので色々と考えさせられました。
先日墓所のある報徳二宮神社 にお参りに行きました。後々祭られて神様になってしまうのも凄いです。
知ってるようで知らない、知ってるようで誤解している。二宮尊徳、本物の偉人ですね。
ありがとうございます!
今の日本だけではなく、世界中に必要な人物であり思想です。幕末から明治にかけて、このような偉人が多數輩出されたから、日本が世界的に成長出来たのでしょう。
二宮尊徳の動画良かったです。偉人シリーズとして制作を続けてほしいぁ。
二宮金次郎の個性豊かな弟子たちのその後さらには、神格化され、国家にその思想が回収され、修身の教科書に載るまでの過程も気になります
私が子供だった頃、校庭の二宮金次郎の銅像と、理科室の人体模型は、夜の学校を走り回るツートップとして子供たちの間で名を馳せていた。二宮金次郎の功績を知った今となっては、ネタにするなんておこがましいにも程があるなぁ。
地元の偉人を取り上げて頂きありがとうございます。自分の母校では今でも銅像が置いてあります。小学生の頃はクラスの全員に読むようにと二宮金二郎の漫画が全員分置いてありました。
とっても可愛くて性格も頭も良かった小学校時代の同級生の女の子が苗字が二宮だったので男子からお前は二宮金次郎だからあだ名はニノキンな、と言われそれ以降中学になってもニノキンと呼ばれてました。皆んなから好かれていた女子なのでイジメとかではなかったけど本人はどう思っていたかな〜?と、数十年ぶりに思いを馳せてしまいました。(動画、いつもとっても楽しく拝見させていただいています❣)
冒頭2分で高評価ボタンを押しました。
二宮金次郎少年の像が読んでいるのは、儒学四書のひとつである『大学』であるとされているのは解説にあるとおりです。『大学』の根幹をなす教えに、「格物→致知→誠意→正心→"修身"→斉家→治国→平天下」の八条目があります。身を修めれば(修身)家をととのえる(斉家)ことができる。→家をととのえる(斉家)ことができれば、国を治められる(治国)といった具合に、個人の修養がやがて天下泰平(平天下)に至るとの教え、勉学の道筋を示す教えです。二宮尊徳翁は生涯をかけてこの教えを実践し、感化を及ぼした偉人といえます。薪を背負って勉学に励む金次郎少年、これが修身教育の象徴とされたのには相応しい背景があったわけです。これを時代遅れとして撤去し、修身の教えをも誤解して捨て去ってしまうなど、まったく愚かなことであると言わざるを得ませんね。
四書(論語・孟子・大学・中庸)のひとつと聞くと、この『大学』も大部(長編)なのだろうと思われるかも知れませんが、元々『大学』と『中庸』は五経のひとつである『礼記』49篇中の一篇だったものを南宋の朱熹(朱子)が独立させ、以降「四書」と称されるようになった経緯があり、『論語』や『孟子』に比べかなりコンパクトな書です。むかしの寺子屋はじめ少年教育では、まずこの『大学』から学び始めるのが慣例でした。とはいえその内容は子供がすんなりと理解できるような生易しいものではないですし、刻本には今のように丁寧な注釈も付いていなかった時代です。(普通はまず漢字が読めない・意味がわからない)日々の仕事に追われながら、これらを独学で勉強した・しようと決意した金次郎少年には頭が下がります。
音読しても1時間あれば読めちゃいますね。何回も読んで体に覚えさせないといけませんが。
こちらの動画を見て、今日、栃木県真岡市の二宮尊徳資料館に行ってきました。天保の時代、金治郎さんが6月(現代だと7月?)にナスを食べたら秋ナスの味がした、それで田畑を見回ったら稲や雑草に勢いがない、そこで農民に飢饉の可能性を伝えて粟やヒエや芋を植えさせた。その年は天保の飢饉だったが、桜町は金治郎さんの指導のおかげで餓死者が1人も出なかった...と紹介されたエピソードが凄かったです。主さんの伊能忠敬動画でも、忠敬が事前に米を買い集めて天明の飢饉に佐原村を救った話がありましたが、この人たち超能力者ですか。伺った資料館の周辺の田んぼは稲が瑞々しく生え揃っていて、とても美しかったです。金治郎さんも草葉の陰でお喜びでしょう。今年も豊作でありますようにお祈りいたします。とても楽しい小旅行でした。機会をありがとうございました。
二宮金次郎、大河ドラマに向いているぞ二度目の奥さん14才ってフェリペ2世じゃないか!
高野長英の奥さんも結婚当時それくらいだった気がしますよ。
桜町は後に二宮町になったようですね。由来はもちろん二宮尊徳。隣町であった地元の殿様もアドバイス貰ってたためか小学校には二宮金次郎の石像がありました
小学生時代の遠足で、地元近くにあった二宮尊徳資料館(真岡市)に行った覚えがあります。戦前の過剰な教育は廃止されたとはいえ、地元を救ってくれた恩人ですので、もう一度広く知られて欲しいですね。
今年の春にいきものがかりロケ地巡りのついでに二宮尊徳記念館を訪問しましたが、四半世紀以上過ごしてる同県出身の偉人ながら初めて功績を知りました。横浜市民向けの歴史教育授業で新田開発の吉田勘兵衛は出てたが二宮尊徳は名前すら出なかったかな?改めて動画を見て素晴らしい方だなぁ…と感じるし、児童虐待とかイチャモン付いて減る一方なのが勿体ないです。
今で言う、マイクロファイナンスの考え方だね。尊徳さん、世が世ならノーベル平和賞受賞してても不思議ではないよね。
桜町の陣屋跡と資料館に3回くらい行きました。こんなすごい人のことをほとんど知らなかったことにがっかりしました。
外の花火が綺麗✨
私の子供の頃の小学校にも、二宮金次郎さんの像がありました。歌も歌ってました。今こそほしい像と思います。親も、訳分からない親も増え、先生達は、神経壊れる状態です。謙虚な心が無い最近の日本人、悲しいです。謙虚で真面目な仕事人を育てないと、人の役に立つ人を育てないといけないですね、物質と飽食の日本、情け無いです。今こそ二宮金次郎さんがいると思います。
道徳の人とかいうと古めかしい響きがありますが、「コスパとタイパに優れたスーパーコンサルタント」とか銘打てば、若い人にももっと受け入れられませんかね。
報徳思想とかコスパやタイパから一番遠い場所にあると思うが…
@@ゴンベエ-c1l 彼自身の若いころの、捨てられた稲を休耕田で育てたり、多忙な中如何に効率的に学ぼうと努力したエピソードは、コスパ・タイパと呼べなくもないかなと。私も、報徳思想は愚直に頑張るというイメージがありましたが、分度という明確な目標を設定し、時間を区切って解決しようという姿勢は、かなり科学的なアプローチだと今回の動画をみて思いました。
アップロードされた翌日(9月4日)は、二宮金次郎の誕生日だったみたいですね。今回の解説に補足で地元の静岡県掛川市にも二宮尊徳のゆかりがあります。二宮尊徳の「報徳」を現代につなげ、道徳と経済の調和した社会を目指す全国組織の本社の大日本報徳社があり、国重要文化財である大講堂を始め明治期中心に建てられた仰徳記念館・仰徳学寮・冀北学舎等の見学が出来ます。二宮尊徳の高弟の岡田良一郎により、報徳の理念に基づき地域の産業発展を推進するため「勧業資金積立組合(後の掛川信用金庫)」として明治12年(1879年)に日本最古の信用金庫が設立されました。現在は静岡県全体の信金が経営不振で隣接と店舗統合して島田掛川信用金庫になりました。二宮尊徳の銅像も静岡県の小中高の公立学校の全てに設置されたり、2012年に静岡県で開催された「全国お茶まつり」に合わせ、「お茶のまち掛川」をPRするために誕生したマスコットキャラクター・茶のみやきんじろう、が誕生しました。神奈川県小田原市にある二宮尊徳を祀る報徳二宮神社にも関わりがあり4月5日の例祭に使われる山車を掛川市の隣接自治体の静岡県周智郡森町が2017年の大鳥居再建事業のときに譲渡しました。
歩きスマホが問題になってる現代では肩身が狭い銅像
地元小田原では悲しいくらい評価されてない人小田原辺りの保守的思考を体現してるともいえる小田原在住者が北関東に行った際「小田原から来た」と言って尊徳様の小田原?と聞かれ尊徳って誰?と思うくらいにわかってない恥ずかしい話ですが事実です
そんなすごい人だったんだ
対外ODAとかの事業にも教訓になるハナシ。
江戸時代の農村の経営コンサルタントと言えば二宮金次郎が何した人か分かりやすいかな?
金治郎さんの生家の隣町に住んで居ます仕事で行った旧家に、金治郎さんの弟子のお公家さんの御軸が掛けられて居たりその方は90代の方でしたが,うちのお婆さんが娘の頃、二宮先生が裏の庄屋さんの家に呼ばれ,村の改革の相談などに来て居ると、お酒の支度や、お酌を頼まれたりして居た等,様々な話を教えて下さいました生誕の土地なので、金治郎さんにまつわる品々を,戦後、地域の連携を深めようと展覧会を行った際、興味深い物が多く出展され、先生が常に身につけて居た、煙草入れがとても素敵で、目玉に展示されたら性善説で鍵など付けず出展されていて誰か持って行ってしまい、家宝として皆に見せてあげたいと出してくれた人が,とても気の毒だったと言っていました😢そんな事をしてしまうくらい金治郎さんは熱烈に、地元の人には更に大きな存在だったのかも知れないです芝刈りへ行った山は、パワースポットと地元では、知る人ぞ知る話しでとても気持ちの良い場所です。芝刈り後に休憩しながら,腰掛け石に座って、大学を読んで居る金治郎像が有ります。金治郎さんの時代には、芝を背負う背負子しょいこは,小田原地区では使用されていなかったとの事です。その場所の、少し先は水源地で、辺りは、綺麗に整備されて居ます。その山の近くのエリアは,山奥にしてバブル時代?の、高級別荘地です私に子供が出来て『タカ』と言う響きが好きで,その音の名前を付けました初めて、栢山の尊徳記念館に見学に行くとタカノリ(尊徳)の名の金治郎さんはじめ名前に『たか』の字のついた、金治郎さん一門の方々が多く,とても嬉しい偶然でした! 実家の父が相馬の出身で、その偶然も金治郎さんを身近に感じられました(相馬へは,金治郎さんは行かれていないんですけどね😅)栢山の生家と,隣の資料館は見応えが有りますよ🌟ウプ主様🌟神回をありがとうございます(追伸・初めの奥さんは,金治郎さんとの子供を、幼い内に病気で亡くしてしまったショックが離婚の最大な理由の様ですネ2番目の奥さんは,服部家に勤めて居た村役の娘で、服部家が前の奥さんの事に責任を感じ、後妻のなみさんは、金治郎さんを見知って居たので,この縁談を了承したそうです。金治郎さんへの、藩の妬みは酷いですよね😢一番の理解者の、殿様の死去で、金治郎さんは,その墓前で身を投げ出し大泣きされたそうです)
盗まれた煙草入れ、これに限らず家宝はその家にあってこそ宝物となり得るんだよね。そこの家系の方が「この煙草入れは尊徳先生が我が家にこのような由緒で云々」と説明できなければ、ただの古い煙草入れに過ぎない。盗んだ赤の他人では証人にはなれない。たとえ煙草入れの実物が現存していても、盗まれた事実が明らかな以上まともに展示も売買もできず、一般社会には出てこないので、由緒正しき財産が事実上消滅したも同然。対馬の盗難仏像その他もそうだけど、早く元の持ち主に返してあげて欲しいです。
銅像がまだ小学校にあった世代だけど、こんな歌があったのか、知らなかった。、、て、今でもこの像、たくさんあるんですか!
二宮金次郎の門弟には志賀直道(志賀直哉の祖父)も居た。
敗戦後戦前の全否定をして失ったものはとても大きいと思います。戦後の米軍進駐軍のごり押しが如何に馬鹿げたものが多かったかもう一度洗い流すべ時が党の昔に来ていると思います。それをやらないのは今生きている日本人の最大の大罪の一つやと思います。
二宮金二郎こと二宮尊徳、確かに最近は徳という話は聞かなくなりましたね。損得ばかりを気にする連中が増えましたね。
今よりさらに閉鎖的な社会で凄すぎる。。。農民風情に年貢の量を制限されるなんて武士にとっちゃ全細胞で否定したい事柄だろう
荒木又右衛門、清水次郎長、国定忠治、八百屋お七。芝居や浪曲とかで有名で、江戸時代の人だけど、なんで有名なのかよくわからない人の解説もお願いします。
自分の母校には、銅像ではなく石像がありました。親の転勤で異なる自治体の小学校3つ行きましたが、いずれも中庭のようなところでややうつむき気味に、熱心に御本を読んでおりました。最後に通った、つまり卒業した母校は、阪神淡路大震災に伴う校舎の亀裂や落剝による校内一部立ち入り禁止、旧校舎の耐震設備の脆弱さ、付属池田小学校事件を受けての構造物の見通しにおける問題提起、少子化などの理由からほぼ全面的な建て替え・区画変更を行い、それと共に金次郎さんはいなくなってしまいましたが。
金次郎は大人になると身長180cmになっていました今度拝領妻の解説をリクエストします時代劇になっていましたが実在はどうたったのか?
そういえば昔二宮町ってあったなぁと思い出す元栃木県民でした
いつの頃からか、あちこちの小学校で、二宮金次郎像が夜中に校庭を走っているという噂話も生まれましたね。
今の政治家や官僚に聞かせたい!
特に岸田には
人のお話しを聞くお耳からつくってあげないといけないでしょ(笑)
あなたが報徳思想をためし、かまどから市政を豊かにして、岸田さんに見せつけた方がよっぽど良いと思いますけど。
「ミジンコ」から「シロナガスクジラ」まで何かしか物事は繋がっておりますね(*-ω-)👍✨
苦労の連続な人生だったんだなあ・・しかし故郷に帰れなくするとかなんという陰湿な嫌がらせだ。それでも武士か
歩きスマホ禁次郎
今こんな像作ったら即虐待を美化してるって非難轟々だろうな…
二宮金次郎は、他の銅像のような立ち姿ではない銅像だから、一般的な立ち姿の二宮金次郎像を建てればいいのでは? 下野のその場所は、真岡市の二宮地域に当たります。
二宮には成人した二宮尊徳像がありますね。
1900年(明治33年)近隣にできた栃木県第三中学校(現:真岡高校)の校訓は「至誠」です。
歩きながら勉学に勤しんだから偉いわけじゃない❗️時間がないと嘆くのではなく、時間を作って勉学に勤しむくらい勤勉なんだよ😊
こうして青少年期の金次郎は、時代は違えどはだしのゲンの主人公みたいな感じだな。
大河ドラマになって欲しい。二宮和也主演で。
同感です。見たい!
最近の日本では徳なんて使われない気がする。得は良く使われるけど。
自分は得しか考えないけど、政治家や公務員にだけは滅私奉公といった徳を要求するのが日本人。
昭和、平成と、民政制圧の道具にされてきて、大嫌いな人が多いと思う。私も二の金は大嫌いで、知る必要もなかった。武士の家計簿、関東にも居たじゃないか、真の勇者とは何ぞと改心しました。真実を教えてくださり、感謝します。
手本は二宮金次郎、ですな。
現代の評価の下落はあくまで封建時代の村落共同体の倫理道徳だから、民主主義時代の都市市民とは相性悪いのも原因かな。もちろん都市と地方バランスよくやってくのが理想なんだろうけど、現代で公のため自由抑圧的な政策は地方ですら当時以上に民からの反発が強そう結局村の顔役ぐらいが適当だったんだろうなとは思う、ある意味戦前の政府が持ち上げすぎたのか
お、元祖歩きスマホの人。そりゃぁこんな勤勉な人がモデルにいたら、進駐軍も日本人が再び目覚めると都合が悪いから何だかんだと言いがかりをつけて失脚させるでしょうよ。今やこの様な思想の人は減った。今一度考え方を見直す必要があるかもね。
二官尊徳か今回は
小田原生まれですが、(母方の先祖は、大久保の殿様に唐津から付いてきたそうです。父方はもっと昔から地元らしい)どちらも、代々百姓です。いつもこの話を聞くたびに、残念に思います。一所懸命に努力を重ねる人を貶める。狭量の、妬み嫉み。 武士って何なのよ。幕末の、官軍の東進時、小田原からも打って出る人たちがいたんですが、自分たちに不利になるからと背後から殺してしまったとか、小田原藩は、江戸防衛の要であり、幕府の米蔵もあった。 今では、旧城内に、二宮神社なるものがある。結婚式場も有る、w?
確かに徳を大切にはしているがそれには実践が必要だと、まるで陽明学のようだ。行動力が山田方谷に似ているところがある
日本人が今最も見直さなきゃいけない人ではないでしょうかね。自民党の「今だけ、金だけ、自分だけ」で腐った世の中を見直してみる事大事じゃないかな?
一円融合❤現代の日本政治家 官僚 を取り巻くコックローチ達に説きたいデスね😂
今の時代、ブラックと叩かれるだけよ世は刻々と変化して一瞬も止まらない
うん、そう言えば、二宮金次郎を二宮尊徳と言って、笑われた憶えあるな~、後で、同一人物やんけ(# ゚Д゚)てなった(;´∀`)
二宮尊徳が、(頭のおかしい)天才だってことはよく分かった。常人は真似できないし、また真似する必要は無いことに留意して見るのが吉。
来た来た
銅像じゃなくて、石像でしたよ。うちでは。
桜町があった現真岡市二宮地区の二宮金次郎銅像が盗難に遇いました。地元の人の犯行ではないと思うけど、もしそうだったら本当に恩知らずな行為です😢
14の嫁って犯罪やん
上級国民の求める理想的な奴隷
Thanksありがとうございます。大変励みになります
31:20 説明文の1俵が40石となっておりますが誤りで、正確には100俵40石です。お詫びして訂正します
一俵で40石だと、昔のヒトが極端な少食になっちゃうもんね❤
栃木県芳賀郡民の私も、二宮尊徳さんが取り上げられて嬉しいです😂!この方がこちらに来ていなかったら、今この世に生を受けてない栃木県民も多いはず。
今は真岡市となりましたが、芳賀郡には二宮町があり、イチゴの生産高日本一でした。町名の由来はもちろん桜町に長年住んでた二宮尊徳さんからです!
小田原が地元だから金次郎像は常日頃見てるなぁ。取り上げて貰えて嬉しい。
数少ない神奈川の偉人。超絶尊敬してます。
元相馬市民です。天明の飢饉以降の大恐慌状態の中村藩の藩政改革及び民生復興のために二宮額はのお弟子さんたちのお世話になってました。その後天保以降の中村領で餓死者だしてません。
私も井宮損得の事績や著作二宮学派の資料を読んでみたのですが、マッチョで吝嗇で根性論の金次郎というよりは、実験、実線派の経済学者でしたねー。
そして生産調整の失敗当の失敗もきっちりしてますしその反省も生かしてます。残念なのはまだ統計学以前の時代なので断片的な帳簿しか烏山領、中村領にわずかに保存されているのみでした。思想家でも経営学者でもなく経済学の先駆者としての二宮尊徳と二宮学派の話があればもっと良かったと思います。
うちのご先祖様も、報徳社を立てて近所の人たちと頑張ってたそうです。
尊徳取り上げてくれてありがとうです!
これ、修身や軍国主義じゃなくて
普通に立派な人じゃないか!
道徳の教科書にのせるべきだな
GHQの仕業で二宮金二郎の話は封印されました。
相手を弱体化させるために世代かけて日本の美徳を侵略して、それが悲しいかな成功してるんすよ
いや、道徳の教科書に普通に載ってた記憶あるぞ
俺らが子供の頃にこの教えを与えてくれたら、現状も変わってただろうに。
それは戦後日本の教育界が続けてきた、
「人権は個々人が生来持っているもので国家に帰属するようなものではありません、国が人権の為に義務(勤労、納税等)を求めるのは軍国主義そのものであり、国家による人権侵害という犯罪なのです。つまり国が私達に義務を課す事はできません。
そして国には私たちを守る義務と責任があると憲法に定められています。私達が国に対して何の義務も責任も負わず、只々自己のためだけに権利を求めるのは人権が保証している権利なのです。」
という彼らが言う文明的で現代的らしい世界中で日本にしかないガラパゴス人権主義にそぐわないから無理でしょうね。
二宮尊徳は孔子の教えを忠実に実行した人と自分は捉えています。数々の困難にも負けず、愚直に突き進みたくさんの人々の尊敬と信頼を勝ち得た事は、現代こそもっと知られるべきと思いますね。
立派な人だなぁ……まさに日本の偉人よ。
背景の花火、晩夏的で良いですね。
山あり谷ありの二宮尊徳の人生をゆっくりと聞けてよかった。
自分の人生が逆境続きなので色々と考えさせられました。
先日墓所のある報徳二宮神社 にお参りに行きました。後々祭られて神様になってしまうのも凄いです。
知ってるようで知らない、知ってるようで誤解している。
二宮尊徳、本物の偉人ですね。
ありがとうございます!
今の日本だけではなく、世界中に必要な人物であり思想です。
幕末から明治にかけて、このような偉人が多數輩出されたから、日本が世界的に成長出来たのでしょう。
二宮尊徳の動画良かったです。偉人シリーズとして制作を続けてほしいぁ。
二宮金次郎の個性豊かな弟子たちのその後
さらには、神格化され、国家にその思想が回収され、修身の教科書に載るまでの過程も気になります
私が子供だった頃、校庭の二宮金次郎の銅像と、理科室の人体模型は、夜の学校を走り回るツートップとして子供たちの間で名を馳せていた。
二宮金次郎の功績を知った今となっては、ネタにするなんておこがましいにも程があるなぁ。
地元の偉人を取り上げて頂きありがとうございます。
自分の母校では今でも銅像が置いてあります。
小学生の頃はクラスの全員に読むようにと二宮金二郎の漫画が全員分置いてありました。
とっても可愛くて性格も頭も良かった小学校時代の同級生の女の子が苗字が二宮だったので
男子からお前は二宮金次郎だからあだ名はニノキンな、と言われ
それ以降中学になってもニノキンと呼ばれてました。
皆んなから好かれていた女子なのでイジメとかではなかったけど
本人はどう思っていたかな〜?と、数十年ぶりに思いを馳せてしまいました。
(動画、いつもとっても楽しく拝見させていただいています❣)
冒頭2分で高評価ボタンを押しました。
二宮金次郎少年の像が読んでいるのは、儒学四書のひとつである『大学』であるとされているのは解説にあるとおりです。
『大学』の根幹をなす教えに、「格物→致知→誠意→正心→"修身"→斉家→治国→平天下」の八条目があります。
身を修めれば(修身)家をととのえる(斉家)ことができる。→家をととのえる(斉家)ことができれば、国を治められる(治国)といった具合に、個人の修養がやがて天下泰平(平天下)に至るとの教え、勉学の道筋を示す教えです。
二宮尊徳翁は生涯をかけてこの教えを実践し、感化を及ぼした偉人といえます。
薪を背負って勉学に励む金次郎少年、これが修身教育の象徴とされたのには相応しい背景があったわけです。
これを時代遅れとして撤去し、修身の教えをも誤解して捨て去ってしまうなど、まったく愚かなことであると言わざるを得ませんね。
四書(論語・孟子・大学・中庸)のひとつと聞くと、この『大学』も大部(長編)なのだろうと思われるかも知れませんが、元々『大学』と『中庸』は五経のひとつである『礼記』49篇中の一篇だったものを南宋の朱熹(朱子)が独立させ、以降「四書」と称されるようになった経緯があり、『論語』や『孟子』に比べかなりコンパクトな書です。
むかしの寺子屋はじめ少年教育では、まずこの『大学』から学び始めるのが慣例でした。
とはいえその内容は子供がすんなりと理解できるような生易しいものではないですし、刻本には今のように丁寧な注釈も付いていなかった時代です。(普通はまず漢字が読めない・意味がわからない)
日々の仕事に追われながら、これらを独学で勉強した・しようと決意した金次郎少年には頭が下がります。
音読しても1時間あれば読めちゃいますね。
何回も読んで体に覚えさせないといけませんが。
こちらの動画を見て、今日、栃木県真岡市の二宮尊徳資料館に行ってきました。
天保の時代、金治郎さんが6月(現代だと7月?)にナスを食べたら秋ナスの味がした、それで田畑を見回ったら稲や雑草に勢いがない、そこで農民に飢饉の可能性を伝えて粟やヒエや芋を植えさせた。その年は天保の飢饉だったが、桜町は金治郎さんの指導のおかげで餓死者が1人も出なかった...と紹介されたエピソードが凄かったです。
主さんの伊能忠敬動画でも、忠敬が事前に米を買い集めて天明の飢饉に佐原村を救った話がありましたが、この人たち超能力者ですか。
伺った資料館の周辺の田んぼは稲が瑞々しく生え揃っていて、とても美しかったです。金治郎さんも草葉の陰でお喜びでしょう。今年も豊作でありますようにお祈りいたします。
とても楽しい小旅行でした。機会をありがとうございました。
二宮金次郎、大河ドラマに向いているぞ
二度目の奥さん14才ってフェリペ2世じゃないか!
高野長英の奥さんも結婚当時それくらいだった気がしますよ。
桜町は後に二宮町になったようですね。由来はもちろん二宮尊徳。隣町であった地元の殿様もアドバイス貰ってたためか小学校には二宮金次郎の石像がありました
小学生時代の遠足で、地元近くにあった二宮尊徳資料館(真岡市)に行った覚えがあります。戦前の過剰な教育は廃止されたとはいえ、地元を救ってくれた恩人ですので、もう一度広く知られて欲しいですね。
今年の春にいきものがかりロケ地巡りのついでに二宮尊徳記念館を訪問しましたが、四半世紀以上過ごしてる同県出身の偉人ながら初めて功績を知りました。横浜市民向けの歴史教育授業で新田開発の吉田勘兵衛は出てたが二宮尊徳は名前すら出なかったかな?
改めて動画を見て素晴らしい方だなぁ…と感じるし、児童虐待とかイチャモン付いて減る一方なのが勿体ないです。
今で言う、マイクロファイナンスの考え方だね。
尊徳さん、世が世ならノーベル平和賞受賞してても不思議ではないよね。
桜町の陣屋跡と資料館に3回くらい行きました。こんなすごい人のことをほとんど知らなかったことにがっかりしました。
外の花火が綺麗✨
私の子供の頃の小学校にも、二宮金次郎さんの像がありました。歌も歌ってました。今こそほしい像と思います。親も、訳分からない親も増え、先生達は、神経壊れる状態です。謙虚な心が無い最近の日本人、悲しいです。謙虚で真面目な仕事人を育てないと、人の役に立つ人を育てないといけないですね、物質と飽食の日本、情け無いです。今こそ二宮金次郎さんがいると思います。
道徳の人とかいうと古めかしい響きがありますが、「コスパとタイパに優れたスーパーコンサルタント」とか銘打てば、若い人にももっと受け入れられませんかね。
報徳思想とかコスパやタイパから一番遠い場所にあると思うが…
@@ゴンベエ-c1l 彼自身の若いころの、捨てられた稲を休耕田で育てたり、多忙な中如何に効率的に学ぼうと努力したエピソードは、コスパ・タイパと呼べなくもないかなと。私も、報徳思想は愚直に頑張るというイメージがありましたが、分度という明確な目標を設定し、時間を区切って解決しようという姿勢は、かなり科学的なアプローチだと今回の動画をみて思いました。
アップロードされた翌日(9月4日)は、二宮金次郎の誕生日だったみたいですね。
今回の解説に補足で地元の静岡県掛川市にも二宮尊徳のゆかりがあります。
二宮尊徳の「報徳」を現代につなげ、道徳と経済の調和した社会を目指す全国組織の本社の大日本報徳社があり、国重要文化財である大講堂を始め明治期中心に建てられた仰徳記念館・仰徳学寮・冀北学舎等の見学が出来ます。
二宮尊徳の高弟の岡田良一郎により、報徳の理念に基づき地域の産業発展を推進するため「勧業資金積立組合(後の掛川信用金庫)」として明治12年(1879年)に日本最古の信用金庫が設立されました。現在は静岡県全体の信金が経営不振で隣接と店舗統合して島田掛川信用金庫になりました。
二宮尊徳の銅像も静岡県の小中高の公立学校の全てに設置されたり、2012年に静岡県で開催された「全国お茶まつり」に合わせ、「お茶のまち掛川」をPRするために誕生したマスコットキャラクター・茶のみやきんじろう、が誕生しました。
神奈川県小田原市にある二宮尊徳を祀る報徳二宮神社にも関わりがあり4月5日の例祭に使われる山車を掛川市の隣接自治体の静岡県周智郡森町が2017年の大鳥居再建事業のときに譲渡しました。
歩きスマホが問題になってる現代では肩身が狭い銅像
地元小田原では悲しいくらい評価されてない人
小田原辺りの保守的思考を体現してるともいえる
小田原在住者が北関東に行った際「小田原から来た」と言って
尊徳様の小田原?と聞かれ尊徳って誰?と思うくらいにわかってない
恥ずかしい話ですが事実です
そんなすごい人だったんだ
対外ODAとかの事業にも教訓になるハナシ。
江戸時代の農村の経営コンサルタントと言えば二宮金次郎が何した人か分かりやすいかな?
金治郎さんの生家の隣町に住んで居ます
仕事で行った旧家に、金治郎さんの弟子の
お公家さんの御軸が掛けられて居たり
その方は90代の方でしたが,うちのお婆さんが娘の頃、二宮先生が裏の庄屋さんの家に呼ばれ,村の改革の相談などに来て居ると、お酒の支度や、お酌を頼まれたりして居た等,様々な話を教えて下さいました
生誕の土地なので、金治郎さんにまつわる品々を,戦後、地域の連携を深めようと
展覧会を行った際、興味深い物が多く出展され、先生が常に身につけて居た、煙草入れがとても素敵で、目玉に展示されたら
性善説で鍵など付けず出展されていて
誰か持って行ってしまい、家宝として
皆に見せてあげたいと出してくれた人が,とても気の毒だったと言っていました😢そんな事をしてしまうくらい
金治郎さんは熱烈に、地元の人には更に
大きな存在だったのかも知れないです
芝刈りへ行った山は、パワースポットと
地元では、知る人ぞ知る話しで
とても気持ちの良い場所です。芝刈り後に休憩しながら,腰掛け石に座って、大学を読んで居る金治郎像が有ります。金治郎さんの時代には、芝を背負う背負子しょいこは,小田原地区では使用されていなかったとの事です。その場所の、少し先は水源地で、辺りは、綺麗に整備されて居ます。
その山の近くのエリアは,山奥にして
バブル時代?の、高級別荘地です
私に子供が出来て『タカ』と言う響きが好きで,その音の名前を付けました
初めて、栢山の尊徳記念館に見学に行くと
タカノリ(尊徳)の名の金治郎さんはじめ名前に『たか』の字のついた、金治郎さん
一門の方々が多く,とても嬉しい偶然でした!
実家の父が相馬の出身で、その偶然も
金治郎さんを身近に感じられました
(相馬へは,金治郎さんは行かれていないんですけどね😅)
栢山の生家と,隣の資料館は見応えが有りますよ🌟
ウプ主様🌟神回をありがとうございます
(追伸・初めの奥さんは,金治郎さんとの子供を、幼い内に病気で亡くしてしまったショックが離婚の最大な理由の様ですネ
2番目の奥さんは,服部家に勤めて居た
村役の娘で、服部家が前の奥さんの事に
責任を感じ、後妻のなみさんは、金治郎さんを見知って居たので,この縁談を了承したそうです。金治郎さんへの、藩の妬みは
酷いですよね😢一番の理解者の、殿様の死去で、金治郎さんは,その墓前で身を投げ出し大泣きされたそうです)
盗まれた煙草入れ、これに限らず家宝はその家にあってこそ宝物となり得るんだよね。そこの家系の方が「この煙草入れは尊徳先生が我が家にこのような由緒で云々」と説明できなければ、ただの古い煙草入れに過ぎない。盗んだ赤の他人では証人にはなれない。たとえ煙草入れの実物が現存していても、盗まれた事実が明らかな以上まともに展示も売買もできず、一般社会には出てこないので、由緒正しき財産が事実上消滅したも同然。
対馬の盗難仏像その他もそうだけど、早く元の持ち主に返してあげて欲しいです。
銅像がまだ小学校にあった世代だけど、こんな歌があったのか、知らなかった。
、、て、今でもこの像、たくさんあるんですか!
二宮金次郎の門弟には志賀直道(志賀直哉の祖父)も居た。
敗戦後戦前の全否定をして失ったものはとても大きいと思います。戦後の米軍進駐軍のごり押しが如何に馬鹿げたものが多かったかもう一度洗い流すべ時が党の昔に来ていると思います。それをやらないのは今生きている日本人の最大の大罪の一つやと思います。
二宮金二郎こと二宮尊徳、確かに最近は徳という話は聞かなくなりましたね。
損得ばかりを気にする連中が増えましたね。
今よりさらに閉鎖的な社会で凄すぎる。。。
農民風情に年貢の量を制限されるなんて武士にとっちゃ全細胞で否定したい事柄だろう
荒木又右衛門、清水次郎長、国定忠治、八百屋お七。芝居や浪曲とかで有名で、江戸時代の人だけど、なんで有名なのかよくわからない人の解説もお願いします。
自分の母校には、銅像ではなく石像がありました。親の転勤で異なる自治体の小学校3つ行きましたが、いずれも中庭のようなところでややうつむき気味に、熱心に御本を読んでおりました。
最後に通った、つまり卒業した母校は、阪神淡路大震災に伴う校舎の亀裂や落剝による校内一部立ち入り禁止、旧校舎の耐震設備の脆弱さ、付属池田小学校事件を受けての構造物の見通しにおける問題提起、少子化などの理由からほぼ全面的な建て替え・区画変更を行い、それと共に金次郎さんはいなくなってしまいましたが。
金次郎は大人になると身長180cmになっていました
今度拝領妻の解説をリクエストします
時代劇になっていましたが実在はどうたったのか?
そういえば昔二宮町ってあったなぁと思い出す元栃木県民でした
いつの頃からか、あちこちの小学校で、二宮金次郎像が夜中に校庭を走っているという噂話も生まれましたね。
今の政治家や官僚に聞かせたい!
特に岸田には
人のお話しを聞くお耳からつくってあげないといけないでしょ(笑)
あなたが報徳思想をためし、かまどから市政を豊かにして、
岸田さんに見せつけた方がよっぽど良いと思いますけど。
「ミジンコ」から「シロナガスクジラ」まで何かしか物事は繋がっておりますね(*-ω-)👍✨
苦労の連続な人生だったんだなあ・・しかし故郷に帰れなくするとかなんという陰湿な嫌がらせだ。それでも武士か
歩きスマホ禁次郎
今こんな像作ったら即虐待を美化してるって非難轟々だろうな…
二宮金次郎は、他の銅像のような立ち姿ではない銅像だから、一般的な立ち姿の二宮金次郎像を建てればいいのでは?
下野のその場所は、真岡市の二宮地域に当たります。
二宮には成人した二宮尊徳像がありますね。
1900年(明治33年)近隣にできた栃木県第三中学校(現:真岡高校)の校訓は「至誠」です。
歩きながら勉学に勤しんだから偉いわけじゃない❗️
時間がないと嘆くのではなく、時間を作って勉学に勤しむくらい勤勉なんだよ😊
こうして青少年期の金次郎は、時代は違えどはだしのゲンの主人公みたいな感じだな。
大河ドラマになって欲しい。
二宮和也主演で。
同感です。見たい!
最近の日本では徳なんて使われない気がする。得は良く使われるけど。
自分は得しか考えないけど、政治家や公務員にだけは滅私奉公といった徳を要求するのが日本人。
昭和、平成と、民政制圧の道具にされてきて、大嫌いな人が多いと思う。私も二の金は大嫌いで、知る必要もなかった。武士の家計簿、関東にも居たじゃないか、真の勇者とは何ぞと改心しました。真実を教えてくださり、感謝します。
手本は二宮金次郎、ですな。
現代の評価の下落はあくまで封建時代の村落共同体の倫理道徳だから、民主主義時代の都市市民とは相性悪いのも原因かな。
もちろん都市と地方バランスよくやってくのが理想なんだろうけど、現代で公のため自由抑圧的な政策は地方ですら当時以上に民からの反発が強そう
結局村の顔役ぐらいが適当だったんだろうなとは思う、ある意味戦前の政府が持ち上げすぎたのか
お、元祖歩きスマホの人。
そりゃぁこんな勤勉な人がモデルにいたら、進駐軍も日本人が再び目覚めると都合が悪いから何だかんだと言いがかりをつけて失脚させるでしょうよ。
今やこの様な思想の人は減った。今一度考え方を見直す必要があるかもね。
二官尊徳か今回は
小田原生まれですが、(母方の先祖は、大久保の殿様に唐津から付いてきたそうです。父方はもっと昔から地元らしい)
どちらも、代々百姓です。
いつもこの話を聞くたびに、残念に思います。一所懸命に努力を重ねる人を貶める。狭量の、妬み嫉み。 武士って何なのよ。
幕末の、官軍の東進時、小田原からも打って出る人たちがいたんですが、自分たちに不利になるからと背後から殺してしまったとか、小田原藩は、江戸防衛の要であり、幕府の米蔵もあった。
今では、旧城内に、二宮神社なるものがある。結婚式場も有る、w?
確かに徳を大切にはしているがそれには実践が必要だと、まるで陽明学のようだ。行動力が山田方谷に似ているところがある
日本人が今最も見直さなきゃいけない人ではないでしょうかね。自民党の「今だけ、金だけ、自分だけ」で腐った世の中を見直してみる事大事じゃないかな?
一円融合❤現代の日本政治家 官僚 を取り巻くコックローチ達に説きたいデスね😂
今の時代、ブラックと叩かれるだけよ
世は刻々と変化して一瞬も止まらない
うん、そう言えば、二宮金次郎を二宮尊徳と言って、笑われた憶えあるな~、
後で、同一人物やんけ(# ゚Д゚)てなった(;´∀`)
二宮尊徳が、(頭のおかしい)天才だってことはよく分かった。
常人は真似できないし、また真似する必要は無いことに留意して見るのが吉。
来た来た
銅像じゃなくて、石像でしたよ。うちでは。
桜町があった現真岡市二宮地区の二宮金次郎銅像が盗難に遇いました。地元の人の犯行ではないと思うけど、もしそうだったら本当に恩知らずな行為です😢
14の嫁って犯罪やん
上級国民の求める理想的な奴隷
ありがとうございます!
ありがとうございます!
Thanksありがとうございます。大変励みになります