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この年まさにこの電車に乗って高校に通っていました懐かしい…この頃夕方黒崎に降り立つと人だらけ、河口屋も満席、ロッテリアも並んでるほど人が多かったですね、先日黒崎に行きましたら閑散としてましたね、またあの頃のように活性化すると良いですね
貴重な動画ありがとうございます。私が小学校入るか入らないか頃で、当時母と何度か映画を観に行っていた記憶が蘇ります。このチンチン電車が走っている風景など本当に懐かしいな~😭
いいものみせてもらったありがとう
八幡駅前に「渡り線」がありますね。筑鉄車が八幡駅前まで乗り入れていた名残で懐かしいです。すでに到津車庫はない時代ですね。
32年前まだ町が元気な頃でしたね...北九州八幡信用金庫の看板も泣けてくるし黒崎SOGOも健在!当時はまだ免許証を持ってませんでしたがこれは運転が大変そうですね😅東田バイパスも通ってなかったんで国道3号線の渋滞はかなりのものだったんでしょうね
北九州線廃止前までは大門から米町まで一方通行でした。そのため砂津から金田・中井方面に向かうドライバーにとっちゃ迂回しないといけないので不便だったようです。小倉駅前(小倉駅入口)のモノレール平和通駅への連絡通路も小倉駅延長で撤去されました。室町のダイエーもなくなってもちろんここはリバーウォーク・NHK北九州放送局になりました。
砂津車庫跡地での「チャチャタウン小倉」オープン 室町地区におけるリバーウォーク北九州誕生に伴う大規模な再開発 小倉都心部の一方通行解除 そして道路の拡幅と町並み変化の進捗が年々と進んでおり定点対比で大きく変化致しましたその一方で以前北九州線を走っていた電車たちは塗装は昔も懐かしの茶色系塗装にリバイバルされた以外往年の姿を留めております「北九州線車両保存会」という立派な団体によって常に美しい姿で保存されているのは往年時代を知る方々にとって大変喜ばしい限りであります
全国の中でも、一部区間でも残しておくべきだった路面電車路線だと感じます
普通鉄道に昇格すべきだったわな
黒崎駅前〜熊西は筑豊電鉄として存続しています
@@井川K 日本で有数のバスやマイカーに惨敗した私鉄路線と言ってもいいくらい。
@@井川K それをいうならとさでん交通も距離の規模からすると鉄道昇格してもおかしくない。高知市と安芸市の都市間私鉄として運行された経緯があるから。(残念ながら現在ごめん~安芸間は廃止されたが。)
元々西鉄北九州線は大阪の阪神電車を参考に都市間電車として開業した路線でありますその阪神電車は軌道線から後に鉄道線へ変更され大型電車へ切り替わりましたが同様に北九州線も本格的な鉄道線へ切り替えられれば天神大牟田線並みの高速電車に変身してたかも知れません
非常に懐かしい動画であります私は北九州生まれの北九州育ち地元北九州の西鉄北九州線はまさしく「生活必需品」の一つとして又趣味である路面電車マニアの大きなアイテムとして長年重宝させて頂きました動画は1992年当時で砂津〜折尾間17·8㌔のものでありますが1985年秋までは39·7㌔と日本一の路線長を樹立した時代もありました西鉄北九州線はその後黒崎駅前〜折尾間が最後まで残存致しましたが全て専用軌道となってしまいましたので本格的な路面電車のイメージはこの年限りでありました一方通行時代の交通事情やリバーウォーク北九州として2003年に生まれ変わる以前の小倉の町並み コムシティへ乗り入れる前の黒崎駅前駅 そして昭和·平成時代の風景全てが30年以上も前にタイムスリップしたように感じられます貴重な動画の御提供誠にありがとうございました
ダイエーも玉屋もある懐かしい・・・
冒頭の、自動車が一方通行で走っている中を逆走する区間にビックリ。
一つ左側の通りは逆方向の一方通行でした。色々と問題があったようで、今は普通の対面通行になっています。
1971年(昭和46年)に道幅の狭さを理由に電車通りを含めて一方通行にしたものと思われます因みに電車通りは全て門司方面(東行き)で八幡·戸畑方面へ向かう電車のみ西行きという変則的な通行でしたが(バスは浅香通り→小倉駅→平和通り→小文字通り(旦過橋→北九州市役所)→小倉城西側を北向き→大門と右折や左折を重ねて大門に出るまでに相当な大回りをしていました)1992年(平成4年)の電車廃止と共に一方通行規制が解除され普通の対面通行に戻った事でバスの運行ルートも通常通りに復帰致しました
黒崎あたりが懐かしい。当時、大都会でした。
電車時代の金田陸橋が懐かしいです
これ市販されてたビデオの映像じゃないかな。このビデオ見たことある。
北九州モノレールと西鉄北九州線が共存していた頃か。
7年余り(1985年1月9日〜1992年10月24日)は路面電車とモノレールが共存した時代です因みに福岡市では路面電車(福岡市内線)と福岡市地下鉄が共存したことはありませんでした(電車の全廃は1979年地下鉄の初期開業は1981年)
25分のところ、今はなきうちのばあちゃんの家が映っている
展望撮影の為に貸し切ったのかな?今は存在しないそうで、残念ですね。
ラーメン亭、ここのラーメン好きでよく食べてたおでんもうまかったなぁ
12:45 中尾ミエさんのご実家が右手にミエます。本の看板の本屋さんです。ホントです🎉
金田電停を出て大きな陸橋に差し掛かる手前右側に「こうのピアノ店」がありますがここが中尾ミエさんの実家だと聞いております
スマホで改めて検索した結果貴方がコメント致しました「中尾書店」が中尾ミエさんの実家でありました知人のお話しの判断をもとに返信いたしましたので誠に申し訳ございませんでした
モノレールが小倉駅へ延伸される前かな、電車通りを越える歩道橋がある。
北九州線廃止後の1998年春モノレールは大きな変化を迎えましたJR小倉駅ビルの大規模建替え(リニューアル )に伴い駅ビル内に路線延伸そして新駅(2代目小倉駅)の新規開業により300メートル程延長されかつての北九州線交差点(小倉駅前)で上空を横切る等廃止前と比較して大きな識別点となりました左手にある小倉駅(初代)は延長時に「平和通り(魚町商店街前)」と名称変更がなされました
軌道敷内通行禁止なんですね、違反車はいっぱいいますけど、広島だと軌道内で停車すると電車に煽られますね。
都電では2輪車だけ「軌道敷通行禁止」の区間が有ると思います。
この時代車道を横断する歩行者の多さにびっくりする
9:43 32:27 電車通りにある大きい交差点なのに信号がないのは危ない。
9:43 父の運転で、この反対車線で一時停止せず、警察に捕まった思い出が。40年以上前のことです。なんだか、のどかでいいですねぇ〜。
あなた方がコメント致しました通り32分27秒付近(上本町〜中央町間の勾配部分)に交通信号機のない比較的大きな交差点が映っております現在はこの交差点にも信号機が設置され「中央一丁目」と題した交差点へと化しました
青山学院大学文学部史学科の研修旅行で、北九州市の路面電車に乗った記憶があります
遠方から西鉄路面電車の御乗車ありがとうございました
主題とはズレますが、令和や平成末期では考えられないような路上駐車の多さが目を引きますね。大門から金田にかけてはパーキングメーターの如き路上駐車天国といった様相。そして信号のない場所で道路を横断する歩行者と車があわや接触レベルで接近しているシーンもあまりにも多い。この時代のドライバーの急停止&接触回避スキルは今よりかなり高いものが要求されたことでしょう。現代の感覚で散漫に運転してると一日に何回も事故りそうです。禁止されている軌道内を走行して右折する車や、信号が青に変わった直後に直進車に先駆けて拙速に右折していく車も散見されます。
貸切で各停すな
路面電車ならではの運転方法であったでしょう
この年まさにこの電車に乗って高校に通っていました懐かしい…この頃夕方黒崎に降り立つと人だらけ、河口屋も満席、ロッテリアも並んでるほど人が多かったですね、先日黒崎に行きましたら閑散としてましたね、またあの頃のように活性化すると良いですね
貴重な動画ありがとうございます。私が小学校入るか入らないか頃で、当時母と何度か映画を観に行っていた記憶が蘇ります。このチンチン電車が走っている風景など本当に懐かしいな~😭
いいものみせてもらった
ありがとう
八幡駅前に「渡り線」がありますね。筑鉄車が八幡駅前まで乗り入れていた名残で懐かしいです。すでに到津車庫はない時代ですね。
32年前
まだ町が元気な頃でしたね...
北九州八幡信用金庫の看板も
泣けてくるし
黒崎SOGOも健在!
当時はまだ免許証を持ってませんでしたが
これは運転が大変そうですね😅
東田バイパスも通ってなかったんで
国道3号線の渋滞はかなりのものだったんでしょうね
北九州線廃止前までは大門から米町まで一方通行でした。そのため砂津から金田・中井方面に向かうドライバーにとっちゃ迂回しないといけないので不便だったようです。
小倉駅前(小倉駅入口)のモノレール平和通駅への連絡通路も小倉駅延長で撤去されました。
室町のダイエーもなくなってもちろんここはリバーウォーク・NHK北九州放送局になりました。
砂津車庫跡地での「チャチャタウン小倉」オープン 室町地区におけるリバーウォーク北九州誕生に伴う大規模な再開発 小倉都心部の一方通行解除 そして道路の拡幅と町並み変化の進捗が年々と進んでおり定点対比で大きく変化致しました
その一方で以前北九州線を走っていた電車たちは塗装は昔も懐かしの茶色系塗装にリバイバルされた以外往年の姿を留めております
「北九州線車両保存会」という立派な団体によって常に美しい姿で保存されているのは往年時代を知る方々にとって大変喜ばしい限りであります
全国の中でも、一部区間でも残しておくべきだった路面電車路線だと感じます
普通鉄道に昇格すべきだったわな
黒崎駅前〜熊西は筑豊電鉄として存続しています
@@井川K 日本で有数のバスやマイカーに惨敗した私鉄路線と言ってもいいくらい。
@@井川K それをいうならとさでん交通も距離の規模からすると鉄道昇格してもおかしくない。高知市と安芸市の都市間私鉄として運行された経緯があるから。(残念ながら現在ごめん~安芸間は廃止されたが。)
元々西鉄北九州線は大阪の阪神電車を参考に都市間電車として開業した路線であります
その阪神電車は軌道線から後に鉄道線へ変更され大型電車へ切り替わりましたが同様に北九州線も本格的な鉄道線へ切り替えられれば天神大牟田線並みの高速電車に変身してたかも知れません
非常に懐かしい動画であります
私は北九州生まれの北九州育ち
地元北九州の西鉄北九州線はまさしく「生活必需品」の一つとして又趣味である路面電車マニアの大きなアイテムとして長年重宝させて頂きました
動画は1992年当時で砂津〜折尾間17·8㌔のものでありますが1985年秋までは39·7㌔と日本一の路線長を樹立した時代もありました
西鉄北九州線はその後黒崎駅前〜折尾間が最後まで残存致しましたが全て専用軌道となってしまいましたので本格的な路面電車のイメージはこの年限りでありました
一方通行時代の交通事情やリバーウォーク北九州として2003年に生まれ変わる以前の小倉の町並み コムシティへ乗り入れる前の黒崎駅前駅 そして昭和·平成時代の風景
全てが30年以上も前にタイムスリップしたように感じられます
貴重な動画の御提供誠にありがとうございました
ダイエーも玉屋もある懐かしい・・・
冒頭の、自動車が一方通行で走っている中を逆走する区間にビックリ。
一つ左側の通りは逆方向の一方通行でした。
色々と問題があったようで、今は普通の対面通行になっています。
1971年(昭和46年)に道幅の狭さを理由に電車通りを含めて一方通行にしたものと思われます
因みに電車通りは全て門司方面(東行き)で八幡·戸畑方面へ向かう電車のみ西行きという変則的な通行でしたが(バスは浅香通り→小倉駅→平和通り→小文字通り(旦過橋→北九州市役所)→小倉城西側を北向き→大門と右折や左折を重ねて大門に出るまでに相当な大回りをしていました)
1992年(平成4年)の電車廃止と共に一方通行規制が解除され普通の対面通行に戻った事でバスの運行ルートも通常通りに復帰致しました
黒崎あたりが懐かしい。当時、大都会でした。
電車時代の金田陸橋が懐かしいです
これ市販されてたビデオの映像じゃないかな。
このビデオ見たことある。
北九州モノレールと西鉄北九州線が共存していた頃か。
7年余り(1985年1月9日〜1992年10月24日)は路面電車とモノレールが共存した時代です
因みに福岡市では路面電車(福岡市内線)と福岡市地下鉄が共存したことはありませんでした(電車の全廃は1979年地下鉄の初期開業は1981年)
25分のところ、今はなきうちのばあちゃんの家が映っている
展望撮影の為に貸し切ったのかな?
今は存在しないそうで、残念ですね。
ラーメン亭、ここのラーメン好きでよく食べてた
おでんもうまかったなぁ
12:45 中尾ミエさんのご実家が右手にミエます。
本の看板の本屋さんです。
ホントです🎉
金田電停を出て大きな陸橋に差し掛かる手前右側に「こうのピアノ店」がありますがここが中尾ミエさんの実家だと聞いております
スマホで改めて検索した結果貴方がコメント致しました「中尾書店」が中尾ミエさんの実家でありました
知人のお話しの判断をもとに返信いたしましたので誠に申し訳ございませんでした
モノレールが小倉駅へ延伸される前かな、電車通りを越える歩道橋がある。
北九州線廃止後の1998年春モノレールは大きな変化を迎えました
JR小倉駅ビルの大規模建替え(リニューアル )に伴い駅ビル内に路線延伸そして新駅(2代目小倉駅)の新規開業により300メートル程延長されかつての北九州線交差点(小倉駅前)で上空を横切る等廃止前と比較して大きな識別点となりました
左手にある小倉駅(初代)は延長時に「平和通り(魚町商店街前)」と名称変更がなされました
軌道敷内通行禁止なんですね、違反車はいっぱいいますけど、広島だと軌道内で停車すると電車に煽られますね。
都電では2輪車だけ「軌道敷通行禁止」の区間が有ると思います。
この時代車道を横断する歩行者の多さにびっくりする
9:43 32:27 電車通りにある大きい交差点なのに信号がないのは危ない。
9:43 父の運転で、この反対車線で一時停止せず、警察に捕まった思い出が。
40年以上前のことです。
なんだか、のどかでいいですねぇ〜。
あなた方がコメント致しました通り32分27秒付近(上本町〜中央町間の勾配部分)に交通信号機のない比較的大きな交差点が映っております
現在はこの交差点にも信号機が設置され「中央一丁目」と題した交差点へと化しました
青山学院大学文学部史学科の研修旅行で、北九州市の路面電車に乗った記憶があります
遠方から西鉄路面電車の御乗車ありがとうございました
主題とはズレますが、令和や平成末期では考えられないような路上駐車の多さが目を引きますね。大門から金田にかけてはパーキングメーターの如き路上駐車天国といった様相。そして信号のない場所で道路を横断する歩行者と車があわや接触レベルで接近しているシーンもあまりにも多い。この時代のドライバーの急停止&接触回避スキルは今よりかなり高いものが要求されたことでしょう。現代の感覚で散漫に運転してると一日に何回も事故りそうです。禁止されている軌道内を走行して右折する車や、信号が青に変わった直後に直進車に先駆けて拙速に右折していく車も散見されます。
貸切で各停すな
路面電車ならではの運転方法であったでしょう