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73歳の爺です。「若大将シリーズの解説」もう1ヶ月も前に、配信されていたのですか?知りませんでした。私は昭和25年生れですから、「若大将」映画。観ましたね~・・・ですからこの配信を見つけて、オ~ッと声が出ました。1ヶ月も前の配信にネッ! 私は「海の若大将」から映画館で観始めました。ビックリしましたね! まだ😮高校生になったばかりの頃でした。思春期で女の子を好きになる年頃でしたが、"加山雄三"の「若大将」を観たとたん惚れちゃったですよね!歌が良かった。歌謡曲、演歌、ロカビリー、学園ソング・・・音楽に なにか今一つ心が満たされないものが当時の若者には有ったと思います。 そこに、"加山"ソング。もう水を得た魚、私の中では"御三家"がふっ飛んでしまいました。大学生の生活の楽しさに、憧れました。後に花の大学生になりました。郊外の大学でしたが、幸いにして自動車通学、冬にはスキーにも行きました。 しかし、"田沼雄一"にはなれませんでした。今にして思えば、「若大将」は我々の世代の一つの理想形ですね! 「若大将」シリーズのリバイバル上映、観ましたね。28~29歳の頃でした家内と恋愛中で、二人で映画館🎥にて観直しても楽しい映画でした。10年位前でしたか、CSテレビ(日本映画専門チャンネル)で「若大将」シリーズ全作か放送された時、DVD録画📺🎥して全作品、持ってます。 何時でもどの作品でも好きな時に観られる。僕は、幸せだな~配信、ありがとうございました。
加山雄三(弾厚作)こそ日本が産んだ最大の自作自演自歌が完璧に出来るスーパースターだと思ってます。若大将シリーズは私はリアルタイムでは観て居ませんが永遠のマンネリズムを達成し続けた意味では男はつらいよや水戸黄門を超えた存在だとも感じてます。なんせ不幸になる人が出ない、大悪党も出て来ないメタファーとリアルを融合してる世界観が良いし😊最先端トレンドの発進地としての役割は当時の最高峰でしたしね。
加山さんかっこよかったあ!田舎の鼻垂れ小僧は憧れました!歌も上手いし、ヒット曲も多い!青大将との絡みがいつものお約束でした。良い時代でしたねえ😊
確かに「若大将」シリーズ」と「クレイジーシリーズ」を観た後は、子供心に多幸感一杯でした。東宝映画は私の情緒教育の源です。映画館が身近な遊び場でしたね。
学生時代にリバイバル上映に池袋まで通った年代ですドルショック以降の学生時代でした若大将のような面白い学生生活ではなかったのでスクリーンの中の若大将は憧れでした
何だか知らないが、江原さんと加山さんの件を見てて涙が出てきました。
若大将シリーズの大ファンで、全作観ていましたが、初めて聞くエピソードも多く、一気に視聴してしまいました。
30年生まれですが、あらゆる意味で自分の「原点」になったシリーズです。しかし、地方都市で育ったせいもあって映画館で全てを観てはおらず、その後のビデオやDVDは本当に有り難い思いで揃えました。いちど、広い芝生の庭にいっぱいエレキが並んだ、その向こうで加山さんが牛丼食ってる夢を見ましたが、思い出してもシュールな風景でした。
大好きな若大将シリーズ最高ですね。
多幸感ってキーワード良いなぁ
馬場さん。とても楽しい解説で素晴らしいです。私は昭和31年生まれですが、大学、銀座の若大将を映画館でリアルに見ています。当時面白いと笑って観た覚えがあります。このころは椿三十郎や社長、駅前、独立愚連隊西へ等楽しかったです。貴方が如何に若大将映画が好きが胸に迫り涙が出てきました。今後も楽しみにしております。有難うございます。
若大将シリーズ大好きなので今回のお話大変面白かったです。あの娘に、私も大好きです。本当に幸福感に溢れた昭和の楽しい映画でした。
馬場監督の映画から若大将シリーズに興味をもちましてDVDがレンタル開始されて改めて全部みました。世代ではなく生まれる前の作品でしたがとても楽しめました。若大将のお父さんとおばあちゃんのやりとりが本当におもしろかったです。田能久のお店のお肉を持ち出して大学の部員たちと食べるのですが便所の鉄フタを黙って使って肉を焼くシーンはおもしろかった。これでもかっていうくらいのワンパターンが心地よかったです。
かって 30年前後前に 小学館から「テレパル」というTV番組表雑誌が発刊されていて 毎号買っておりました。その中にホイチョイの馬場さんが連載で書かれていた「酒とビデオの日々」というコラムを楽しみにして読んでおりました。テレパルが休刊廃刊となってしまって、馬場さんの映画評を読むことができなくなってしまって 残念に思っていました。youtuberの時代になって、本人が語る形で復活していたとは全く知らず ひょんなキッカケでこの若大将映画評の回を見ることになりました。ありがとうございました。
銀座の若大将が一番好きです!絶対に東宝じゃなければ撮れない映画ですね、もう一本はハワイの若大将かな。
小学生の時、伯母に連れてってもらった『怪獣大戦争』の同時上映が『エレキの若大将』贅沢な2本立て。ゴジラも青大将もシェーしてました。若大将みたいな大学生活に憧れて現実に打ちのめされた世代です。スイスでアルファロメオ・ジュリアスパイダーを乗り回してスキーする大学生なんて夢の世界。曲は『走れドンキー』が大好きでした。
馬場先輩、これを待ってました。ありがとうございます。僕も「エレキの若大将」と「アルプスの若大将」が最高だと思います。大学からですが競技スキーを始めたのも、大学4年からヨットに夢中になったのも、グアムに住んでいる時カタマランとスクーバダイダイヴィングを始めたのも、みんな幼稚園児から見続けた若大将シリーズの影響大です。どうもありがとうございました。
裕次郎の時代にはスキーやヨットは手の届かない贅沢でしたが、加山雄三の時代では多くの大学生達がスキーやヨットを楽しんでいましたね。エレキ・ギターは高価でしたが、フォーク・ギターを弾きながら歌を歌う学生達も多かったし。
地方の映画館は2本立て3本立てで1日中入れ替え無しで上映していたので何本も併映映画として観ました子供だったのと田舎なのでキラキラしすぎてまさに絵空事でした今思い返すと随分贅沢で幸せなことだと思いますまた2本立て3本立てで若大将シリーズを上映して欲しいですね
来た〜❗️若大将大好きなシリーズ❗️レギュラーでは若大将と節子さんだけになりましたが。私もエレキ〜、アルプス〜が一押しですね。エレキの若大将で、加山雄三の人気爆発。アルプスの若大将はシリーズ最大のヒットで当時の東宝の東京オリンピックの記録に迫りました。
若大将の大ファンです!最後の2人が出会うシーン聞いていて拍手してしまいました!監督の好きな映画ほんとにマッチしてていつも楽しみにしております。いつかトークショーとか開いて欲しいです
素晴らしい❣
我が青春の若大将。歌の話が出て来た辺りから涙が出て来た。
私が初めて若大将映画を見たのは、1964年4歳の時「海の若大将」でした。この時は、若大将を見るのではなく「併映の東宝怪獣映画が見たい」でした。映画館に連れていってくれた20歳の叔母が加山さんファンでして、加山さんがスクリーンに現れるたびに ワーキャー黄色い声を上げてたなあ・・・そんな記憶です。その後、その叔母さん他に引率されて エレキ アルプス レッツゴー ゴーゴー リオを映画館で見ましたか。4歳の時は、加山さんってあんまり分からなかったと思いますが、小学校低学年になって多少大きくなっていきますと、段々分かってきました。エレキを弾いて 歌を歌って スポーツ万能 とってもカッコ良い人というのが脳内に定着しました。(その後大きくなってから 歌った歌は加山さん自身が作曲してることを知ってビックリしたものです) 1977年頃の池袋でのオールナイトリバイバル興行も、私の住んでいる地方(名古屋)にも波及してきました。1978年の高校三年生の夏に友達誘って 3週末連続オールナイト5本立て を見に行ったものです。誘った友達も いまいち加山さんのこと そんなに分かっていなくて 最初は行くのを渋っておりましたけれど。無理も無いでしょう。1960-1961年生まれ世代は、加山さんの全盛期は幼児の頃ですから。私みたいな幼少期に若大将体験があるのは、例外でしょうね。そんな友達2人を無理に連れていって 一緒に若大将映画を見たら その二人イッペンに若大将にハマってしまったものでしたwww 幼少期の頃には併映でクレージー映画、社長シリーズもあったかな その後大きくなってから これらの映画にもハマっていく私でありました。
馬場さんの主張、全くそのとおり。強!共感します。ひとつだけ、言います。エレキの若大将で、青大将がアンプの電源を切った時、急場をしのいだのは、ドラマー役の二甁正也さんでしたよね。
あの頃の東京下町ではほぼ怪獣ものととの二本立てだったので、ゴジラを見に行くとセットで見られる感がありました。初めて買ったレコードは君といつまでもです。
大学〜アルプスの若大将までのDVD持ってるけど、海・エレキ・アルプスの3部作が、ブルージーンズが出てたんで、特に好き。10年前、60の定年で大阪から茅ヶ崎に越して来たけど、僕にとっては、茅ヶ崎は、サザンでなくて、若大将ですわ。
『独立愚連隊西へ』の加山雄三にはびっくりしました。デビュー作なのに圧倒的な存在感。
いつも楽しい映像ありがとうございます。自分が中学(横浜市立戸塚中学校)の時の技術の先生が池端先生という方で、加山雄三さんの従兄弟でした。40年近く前の話ですがどことなく印象が似ておられました。先生お元気だろうか。
江原さんが付けた条件は、「セリフの無い役」と伺っておりました。加山さんに出演を秘匿しておくことも、条件だったのですね。「メッセンジャー」からも既に24年か。時の経過早すぎ。ホイチョイ映画「私をスキー・・・」にも中真千子さんが出演されたのも嬉しかったです。
1981年社会人になってようやく行くことが叶ったテアトル池袋のオールナイトで若大将シリーズや夏木陽介さんの青春ドラマシリーズを通し、伝説の館内での盛り上がりを体感できて感激したあの日が蘇ります。
昭和32年生まれです。若大将シリーズの入口は、小学2年「海の若大将」でした。加山さんの影響で大学からヨットを始め、今現在も乗っています。テアトル池袋のオールナイトも友人と観終わってから話していると、何の若大将だったか眠気もあってよくわからなくなっていたことも。笑ただ、いつも感じていたのは幸せ感でした。今日は加山さんの87歳の誕生日。茅ヶ崎市役所でエレキを持った加山さんの銅像の除幕式と茅ヶ崎市名誉市民の贈呈式がありました。加山さんの声が聴けて握手もでき、最高の一日でした。
当時は怪獣映画と組で上映されていたので、自然と小学生のファンが増えました。というか大人のファンは思ったよりも少なかったのかも知れませんね。海の若大将は僕が11歳のとき、加山さんはすでに29歳でした。
田波さんはクレージーの作戦シリーズ、植木等の無責任シリーズ、日本一シリーズも有りました。大好きでしたね。私の時代はゴジラ、若大将、無責任でした。
『若大将』シリーズ、大好きなので、馬場さんの話、とても楽しく聞かせていただきました。『エレキの若大将』(個人的に大好きな1本です)と『アルプスの若大将』はシリーズ中の2トップだと、僕も思います。
動画終盤のまさかのエピソードに胸が熱くなりました!私は東宝映画については、黒澤作品か歴史・戦記ものを中心に観ているので、江原達怡さんについても侍や軍人役の印象が強いです。とはいえ、典型的なサムライ・軍人ではなく、江原さんが持つ品の良さやナイーブさが醸し出されていましたね。
今回の動画は最高の出来なのではないでしょうか・・・37分目が離せず一気に見ました。
山口百恵世代のものです この映画をスクリーンで見た記憶はないのですが 中学生か高校生の頃だったと思いますが プロ野球ナイター中継が雨で中止とかの時に放送されていたのを見た記憶があります。多幸感とおっしゃっていましたが確かにそれは感じましたね。
若大将シリーズ待ってました。「リアリズムは採らない。」納得しました。若大将が初めて歌う歌も澄子はいきなり歌えましたもんね笑ハッピーでいい映画です。
ゴーゴー若大将では公園で歌ったら突然数組のカップルが同じ踊りを踊り出したしね。
確か、宝塚歌劇団の影響が合ったと思います。
待ってました!😁
馬場監督と同じ昭和29年生まれ。若大将を観て育ち、学生生活はああいうものと憧れ、テアトル池袋では毎土曜の夜にスクリーンにテープを投げていました。よくぞここまで若大将を語っていただきました。コアファンとして、できればもっと若大将映画を語り合いたいです。 有難うございました!!
田沼雄一:加山雄三石山進次郎:田中邦衛澄子さん:星由里子田沼久太郎:有島一郎田沼りき:飯田蝶子江口マネージャー:江原達よし
1982年、小5の頃にナイターの雨傘番組で「エレキの若大将」を初めて観て、その数年後の中2の秋にふとレンタルビデオ店で「エレキの若大将」が貸し出されてるのに気付き再び観てしまったことで、縦ノリ音楽とDCブランドの全盛期にベンチャーズなどの横ノリ音楽や三つボタンのアイビースタイルに傾倒して校内でも非常に変人的な人間になってしまいました(笑)そして未だにそのまんまだったりします。
あと個人的な思い出として、1995年にジャッキー・チェンが製作した香港映画「デッドヒート」に加山さんが出演されていて、当時仕事でこの映画の手伝いのために今はなき仙台ハイランドレースウェイに一週間詰めていた際にちょうど撮影の合間で暇を持て余していた加山さんに思い切ってお声が掛けし、5分ほどでしたが若大将シリーズの思い出や当時持っていたギターの話など色々お話できたのは今でも自分にとって大きな思い出です。
待望の「若大将」解説第二弾!!同世代や周囲に50~60年代の映画の話が出来る人がいないので本当に有難いです。※私は40代です。特に東宝の大ファンなので若大将以外の社長シリーズ、クレージー映画の解説も是非ともお願いします。特に藤本真澄氏、笠原良三氏などの知られざるエピソードなどほかにあればお願いいたします。ところで若大将シリーズに似たような設定で日活で小林旭主演の『暴れん坊』シリーズ(=銀座の次郎長)があるのですが、1作目「東京の暴れん坊」が1960年と「大学の若大将」より1年制作が早いと知って驚いた記憶があります。この辺りも何かご存知でしたらご教示いただけないでしょうか。今後とも動画を楽しみにしております。宜しくお願いします♪
良いですね〜! ありがとうございます✌
1984年だったと思いますが、小学館の「ビッグコミックスピリッツ」で連載していたホイチョイプロダクションの「気まぐれコンセプト」にて 若大将映画をパロディした作品が発表されましたね。あれは、とっても面白かったです。1984年ですと バブル前の頃ではありますが、その萌芽がタップリな時期だったと思います。そんな世相と 若大将映画が全盛期だった1960年代半ばの頃の志向考え方のミスマッチぶりを徹底的に突いておりましたね。1984年の頃にモテルのは、「若大将ではなくって青大将である」というのが その白眉でしょう。 この漫画にて触れられていたかなあ、ハワイの若大将では 作品の終わりに ヨットレースがありました。映画では、大学生のヨットレースのラジオ生中継がありましたが、これに大してホイチョイさん(馬場さん?)は、「ヨットレースのラジオ生中継番組なんて アリなの」ってことを脚注で指摘されていたと思います。その指摘から40年近く経過しまして、ヨットレースの生中継ラジオ番組には 私は遭遇したことないですなあwww
私の父は加山さんより1歳上ですが、家には加山さんのEPとLPがたくさんありました。大卒で俳優の二世の加山さんは、中卒で職人の父には眩しい存在だったのでしょう。母いわく、当時の職人はそれなりに良い収入だったので高いレコードもいっぱい買えたのかもしれません。
青山ユアーズ!なんて嬉しい単語!ありがとうございます😂
小学校の頃…昭和50年代の中盤あたりに、ゴールデン洋画劇場で若大将シリーズを何週かに渡って放送してましたが、思えばあれは『帰ってきた若大将』公開記念だったんでしょうね。若大将シリーズは良く東宝特撮と併映してたらしいので、男の子に人気があったのはそのせいもあるのかな?マタンゴと同時上映だったらしいですし(笑)
馬場さんは若大将シリーズ目指してましたよね。スピリッツでも大好きって言いまくっていた。加山さんが、二枚目スター上原謙の息子で、岩倉具視の血筋なので説得力があったよね。
↑のつべ上で語られていた江原さんとの出会いの話、これもまた小学館「テレパル」の「酒とバラとビデオの日々」に書かれていた話を つべにて直接に伺うことができて良かったです。若大将映画では、ちょっと頼りない感じもあった江原さんでした。ところがところが、カードライバーとしての腕前は凄くて、ゲーセンでは レーシングゲームでいつも最高点を更新していた話もありましたね。名刺交換されたら、事務所がお近くどうしだったとか、そんなことも書かれていたと思います。それから、江原さんがホイチョイの事務所にやってきて語られたという東宝映画の撮影現場での話とか そんな話を再構成されて ↑のつべで語っていただければなあ と思います。「メッセンジャー」ではセリフ無しを希望されたのも、俳優としては俳優らしい良き声を出せなくなってしまったからかなあ。そんな風に想像しております。「メッセンジャー」での カウンター越しでの 加山さんと江原さんのやり取り雰囲気が かっての若大将映画の雰囲気をもろ醸し出していたのは 素晴らしかったです
いやいや素晴らしいの一言につきます❤
子供の頃近所でやっていたゴジラシリーズの映画を見にいった時に何本か同時上映していて知りました中学時代は周りはフォーク一色なのに1人で加山さんのコピーをしていて変わり者扱いされてました池袋のオールナイトは私も行きましたね…青春でした!😊
若大将シリーズは、大大大好きな映画です。偉大なマンネリ作品です。その雰囲気に浸るだけで幸せにります。「なんなんだろう、この多幸感」とのご解説、完全に共感しました。「歌う若大将」も含めて全作コンプリートしていたと思っていましたが、「帰ってきた若大将」を観ていなかったような・・・?私は「アルプスの若大将」と「南太平洋の若大将」が好みです。オープニングの「タヒチの夕陽」は絶品ですね。本作では田久のシーンもとてもよく撮れていましたね。ちなみに、「私をスキーに連れって」も大好きです。イントロが素晴らしいですね。(北あけみさんの漫画に感動しました。上手い!)
若大将シリーズ、よく観ました、男前で頭も良い、スポーツ万能、歌も上手い、喧嘩も強い、男気があり面倒見も良い、実生活でそんな人に出会った事がない😮まさに夢を売る映画ですね!
若大将で東宝の看板スターになってしまった加山さんに、黒澤組からオファーが無くなってしまったことだけが残念でなりません。『椿三十郎』にせよ『赤ひげ』にせよ、あの役は加山さん以外に有り得ないというのに。
黒澤映画の典型的プロットである「青二才の成長物語」が『赤ひげ』を最後になくなってしまったので、加山雄三の出番も自ずからなくなってしまったのでしょうね。初期の青二才は藤田進(師は大河内傳次郎)、昭和30年代は三船敏郎(師が志村喬)、『椿三十郎』、『赤ひげ』では加山雄三(師が三船敏郎)といった感じかと。
小学校の時、若大将を見て慶応大学はパラダイスだと思った。慶応を受けなかったけど。若大将になりたかった。
小林旭、石原裕次郎、渡哲也と歌う映画スターを配信してきました。加山雄三が最後になりました。なぜ最後になったか?考えるにヒット曲が多くまたエレキがありますから、古希を過ぎた私には肉体的、リズム的観点から最後になりました。恋愛曲とエレキ曲と別けて配信しようと思います。まずエレキギターを購入しようと思います。リサイクルショップに行ってみます。映画は確か『アルプスの若大将』他3本だと思います。どう歌と映画を繋げて構成するか考えています。参考になりました。(新人類のユーチューバーです。安松辰)
23:00過ぎに「エレキバンドを率いて 日本初の武道館コンサート」を開いたと仰っております。日本初の武道館コンサートは、1966年のザ・ビートルズの日本公演でありますが、これは別として 二番目に武道館コンサートしたのは 誰 ってなりますと、色んな説が出てきます。加山さんというのも間違いではないと思いますが。加山さんが武道館でコンサートをやったのは、東宝映画「南太平洋の若大将」の日本武道館での柔道の試合のシーン撮影のために 観客エキストラを集めるために 撮影終了後にライブをやりますよ ってことですね。イトコの喜多嶋兄弟他をメンバーとしたザ・ランチャーズとともにライブをやりました。でも、この時の映像は無いし、スナップ写真が幾つか残っている程度でしょうか。この時のセトリも分かりませんです。
田波靖男さんの著書に(映画が夢を語れたとき)がありまして、これに若大将シリーズ、クレイジー、植木等の無責任シリーズの成り行きなどが事細かくスナップ写真付きで出版されてました。興味がある方にはお勧めの本ですね。
社長シリーズも是非!
馬場さんの熱い想いが伝わりました。楽しかったです。自分も一度、田波さんとお仕事させて頂いた時に、緊張しました。若大将と無責任男の脚本家ですもの。
若大将と特撮映画の同時上映作品ハワイの若大将とマタンゴ海の若大将とフランケンシュタイン対地底怪獣バラゴンエレキの若大将と怪獣大戦争。の三本でした。
マタンゴはハワイの若大将との二本立てだったんですか。マタンゴは記憶に残っていて、なぜこの映画を見たのか動機が分からず長年にわたり疑問でした。ハワイの若大将を見に行った時見たのですね。やっと50年来の疑問が解けました。ありがとうございます。しかし、ハワイの若大将の記憶が全く残っていません。
@@biger3742 さまご返信ありがとうございます。そう言われる方、結構多いですよ。当時のパンフレットもハワイ〜とマタンゴ両面から見れるリバーシブルになってます。私も少年の時は怪獣目当てに行ったもんです。今はどちらも大好きですよ。^_^
小学校の運動会の代休で地元の映画に行ったら館内は、地元の小学生達で満員全員のお目当てはフランケンシュタイン対バラゴン同時上映の、三橋達也さんの 国際秘密警察 火薬の樽 意外と面白いわ、星ゆり子さんの可愛さん、妖艶な水野久美さんボンドガール・若林映子さんの色気にノックダウン三本目が、始まると加山雄三さんが、地元の城ヶ島大橋の下を光進丸で走るシーンで大歓声海の若大将 で初めて加山さんを見ました。田舎のクソガキが初めて知った大学生活に憧れて、大学生になったけど加山さんのようなだ生活は、送れませんでした(泣)
あぁそういうこと(原点がこれでしたか)
いいですねえ、若大将の映画、子供の頃母に映画館(いわゆる三番館、3本建て)に見に連れて行ってもらって本当にかっこいいなあと思い憧れました。今でも通用するんだよな、スポーツ万能、美男美女が出てきて憎めない悪役も出てきてハッピーエンド。おまけにいい音楽。映画ってこう来なくっちゃあダメだね。マンネリズム?それがいいんだよ、水戸黄門だってマンネリズムであれだ続いたんだから、今見ても面白く鑑賞に堪えるのはスゴクない。観客を魅了する映画って、ヤッパリ映画そのもの。最近のゴジラ(これもマンネリズムの極致)見ていてもそう思った。
小学校の時ゴジラ映画を見に行ったら同時上映が若大将シリーズでした。地方の田舎映画館でしたからかなあ。
OTV特別付録、「加山雄三のフローチャート」は良かったです。あれが私をスキーに連れてっての原型だったのですね。日本のテレビアニメーションも最近になって、やっとブルジョワ寄りになりました。10:05お受験の親に聞かせたいです。
若大将シリーズの作中で、箱根駅伝出たり(^◇^;)京都まで行って自動車ラリー対決に出たりと(^◇^;)若大将のフィジカルには驚く事有りますね(^◇^;)そー言えば、私をスキーに連れてっての作中に。主人公の上司に田中邦衛さんが出て来て、上司の家に膨大な量のトロフィーを見て。青大将の面影を感じてしまう、熱を感じましたね(^◇^;)
私の好き😍な作品は「海の若大将」「エレキの若大将」「アルプスの若大将」です😄💓💕💕🎶🎶❗️加山雄三さんの歌も好き😍で、よくカラオケ🎤で歌っていました😊💓💕💕🎶🎶‼️
エレキの若大将が私のベストです。
怪獣映画と併映だった「ハワイ」「海」「エレキ」の3作はスクリーンで観ました。後はDVD。酒井和歌子さんに代わってからは知りません。加山雄三さんと星由里子さんとの共演で最初に観たのは「箱根山」。女子高生役でした。
素敵なお話ありがとうございました自分も中学生の頃から若大将というか、当時の東宝映画ファンです馬場監督よりは1世代下になるのかな上京した頃、ぴあを抱えて(確か200円割引された)浅草東宝のオールナイトで、若大将シリーズ含む東宝のシリーズ作品を何回か見ました今では好きな時に好きな作品が見れる、いい時代になりましたね
自分が幼稚園か小学1年生位に日曜日の午後あたりに、邦画劇場みたいな番組があって、よく加山さんの映画やクレージーの映画、あと兵隊やくざを観た記憶がありますね。50数年前の話ですけど、何か思い出しました。
加山雄三さんのスゴイところはテレビの生中継でプールで泳ぎながら「お嫁においで」を一曲歌い切った事です。音源はシングル盤に間違いないのですが生中継で泳ぎながら歌った人は他には居ないんじゃないのでしょうか。
私も若大将のだいファンです。小学2年生の時に「海の若大将」を見てからいまだに憧れています(もう66歳ですが)。自分は、大きくなったら京南大学に入るんだ!と親にも宣言してました。若大将は不滅、永遠です。夢です。加山さんが以前おっしゃっていました、「夢を持つことは、生きるための原動力。必ず夢は実現するとしんじよ」と。だから、今も夢を追いかけています。
私がまだ働きはじめの頃、10歳上の先輩が何かあるごとに「若大将」の話になっていたのを思い出しました。元気かなぁ?80年代の初頭はサブカルが開花し始めた頃で、若大将、植木等、ゴジラやウルトラシリーズ等々のリバイバルブームが起き、その時に若大将シリーズも何本か観ました、面白かったのですが、映像、音、風俗にハマる事が出来なかった記憶がありましたねできればですけど、毎回キレイに描いて下さってるホワイトボードを毎回、1分で構わないのでゆっくり見せて欲しい。今回は青大将でしたが、ヒライくんのコスプレも楽しみ
東宝のお嬢様の役割りが多かった藤山陽子氏とは30年前友人のカメラマンのアシスタントとして女性雑誌の撮影に立ち会ったことがありました。撮影場所は神戸南京街で食事をしながらインタビューをする形式で撮影が進行したのでしが、インタビュアーを差し置いてワタシが個人的に聞きたいことをしゃべりまくったことは今思い出しても冷や汗モノで良い思い出です。氏と一緒に収まった写真は宝物です…。
藤山陽子はとても美しかった。
日光の千手観音の境内に君といつまでもの石碑があります。ロケ地ですよね。
毎回楽しく視聴させていただいております.「若大将シリーズ」は日本映画史上見逃せませんが,機会があったら「百恵・友和シリーズ」も採り上げてみてください.全部で12本あるはずです.2人の共演の「変遷」みたいなものを解説していただければと思います.
東宝の砧撮影所のそばに「OAK(オーク)」とレストランカフェがありました。よく友人とお茶しに行ってましたが、見慣れた店の外観が映画の中に出てきたときにはどのシリーズか忘れましたが、びっくりしました。
ゴジラ対若大将・・実現して欲しかった
『エレキの若大将』でウルトラマンのスーツアクターだった古谷敏さんが『田能久』ですき焼食べているシーンがありますね。一瞬ですけど。
自分のなかに加山雄三と太宰治が居ると思っていました。昭和25年生まれ17才の時です😊
私も馬場監督と同じ昭和29年生まれですが、若大将にははまらず、池袋文芸座の地下で裕次郎映画のオールナイト上映を見たりしてました。若大将シリーズいまからでも見てみようかな。楽しい解説ありがとうございました。(^.^)
加山雄三が亡くなったら各局の追悼番組は若大将シリーズになるだろうと思う。
若大将が登場する数年前に、瀬木俊一主演の「若旦那は三代目」「若旦那大いに頑張る」という、若大将映画の基本となった作品がありますが、この2本と若大将の比較などを是非伺いたいですね。
中学時代に若大将と出会い、大学生になったら若大将になれると信じていました(笑)
私、馬場さんの後輩です。東宝の専務さん?が成蹊のOBで東南大学のイメージは慶応より成蹊にと聞いた事があります。私としてはフランキー堺の車掌シリーズも取り上げて下さい。楠トシエさんなんかお好きな女優さんなんでは?
エレキの若大将で人生変わりました。それまで加山さんは知らなかったけど、小学校の同級生の兄貴が出てるから見に行こうゴジラ見に行くついでにだったのにタイトルバックのエレキギターの音に衝撃を受けて、ゴジラも兄貴もふっとんでエレキギターを買って、アルプスの若大将見てスキー始めて、京南大学は実在しなかったので、浪人して加山さんと同じ慶應法学部政治学科に入ったがギター持って大学行ったり遊び過ぎて留年、若大将でなく青大将になっちまいましたちなみに兄貴は黒沢年男さんでした
俺がガキの頃祖父に連れられて映画館通いしてた頃は邦画だけでも週3本立てで上映されていたから年間150本くらい制作されていたはず 今の映画は一本に金掛けすぎなんだよ
今年の3月、照子役の中真千子さんが亡くなられたそうです。、、ショック!いよいよ僕もソロソロかな?
エレキの若大将で10週目で全員お揃いのスーツで登場したのには流石に笑った。優勝賞金で澄ちゃんの自動車修理代を捻出するんじなかったの?無駄遣いしちゃ駄目!(笑)
都会の私立大学で青春を謳歌するというそれまでの大学生の持つイメージを一変させた、大学レジャーランドの走りであり、ある意味受験生が大学は都会か地方か国立か 私立かの現在に続く問題提起の原点、功罪は大きい。当時の若者には憧れであったが今の時代当たり前になった。
伊丹十三監督をお願いいたします。
1956年生まれの自分が小学生時代、美男子の代名詞は、加山雄三と石原裕次郎。級友に祐一という名の秀才がいて、彼に頼み事するときには、「ねぇ、ゆうちゃん。君って足が長くていつもカッコいいね。女子はみんな、君のこと石原裕次郎か加山雄三みたいって言ってるよ。…ところで、昨日の宿題ちょっと見せてくれない?」なんて、猫撫で声で頼んで、断られると、「なんだよ、このドケチの伊藤雄之助がよお!」なんて悪態付いていました。
なんかさこのシリーズを加山が坊ちゃんでわがままで?、金持ちのブルジョアでっていうけど全然当時見てた私貸したらそんな風に見えてないですがね(もちろんリアルタイム劇場で見てましたけどね)。要は加山雄三の誠実さ、男らしさ、逃げない姿勢。 あと時たま誤解を受けるけど、その誠実さで、逃げない、受け入れる、そして何よりも友達思い。こんな素晴らしい人間はいないよね。金持ちドラ息子とかさ、どっからそういう偏見が出てくるのやらね。まったく理解できませんね。主の動画も
金持ちのドラ息子って青大将だよね。
若大将が柔道部のヤツってありましたヨネ‥‥‥‥‥‥‥‥何の若大将でしたっけ??
テアトルダイヤ@池袋でしたか?
73歳の爺です。
「若大将シリーズの解説」
もう1ヶ月も前に、配信されていたのですか?
知りませんでした。
私は昭和25年生れですから、「若大将」映画。
観ましたね~・・・
ですからこの配信を見つけて、オ~ッと声が出ました。1ヶ月も前の配信にネッ!
私は「海の若大将」から映画館で観始めました。
ビックリしましたね! まだ😮高校生になったばかりの頃でした。
思春期で女の子を好きになる年頃でしたが、"加山雄三"の「若大将」を観たとたん惚れちゃったですよね!
歌が良かった。歌謡曲、演歌、ロカビリー、学園ソング・・・音楽に なにか今一つ心が満たされないものが当時の若者には有ったと思います。
そこに、"加山"ソング。もう水を得た魚、私の中では"御三家"がふっ飛んでしまいました。
大学生の生活の楽しさに、憧れました。後に花の大学生になりました。
郊外の大学でしたが、幸いにして自動車通学、冬にはスキーにも行きました。
しかし、"田沼雄一"にはなれませんでした。
今にして思えば、「若大将」は我々の世代の一つの理想形ですね!
「若大将」シリーズのリバイバル上映、観ましたね。28~29歳の頃でした家内と恋愛中で、二人で映画館🎥にて観直しても楽しい映画でした。
10年位前でしたか、CSテレビ(日本映画専門チャンネル)で「若大将」シリーズ全作か放送された時、DVD録画📺🎥して全作品、持ってます。
何時でもどの作品でも好きな時に観られる。
僕は、幸せだな~
配信、ありがとうございました。
加山雄三(弾厚作)こそ
日本が産んだ最大の自作自演自歌が完璧に出来るスーパースターだと思ってます。
若大将シリーズは私はリアルタイムでは観て居ませんが
永遠のマンネリズムを達成し続けた意味では
男はつらいよや水戸黄門を超えた存在だとも感じてます。
なんせ不幸になる人が出ない、大悪党も出て来ない
メタファーとリアルを融合してる世界観が良いし😊
最先端トレンドの発進地としての役割は
当時の最高峰でしたしね。
加山さんかっこよかったあ!田舎の鼻垂れ小僧は憧れました!歌も上手いし、ヒット曲も多い!青大将との絡みがいつものお約束でした。良い時代でしたねえ😊
確かに「若大将」シリーズ」と「クレイジーシリーズ」を観た後は、子供心に多幸感一杯でした。東宝映画は私の情緒教育の源です。映画館が身近な遊び場でしたね。
学生時代にリバイバル上映に池袋まで通った年代です
ドルショック以降の学生時代でした
若大将のような面白い学生生活ではなかったのでスクリーンの中の若大将は憧れでした
何だか知らないが、江原さんと加山さんの件を見てて涙が出てきました。
若大将シリーズの大ファンで、全作観ていましたが、初めて聞くエピソードも多く、一気に視聴してしまいました。
30年生まれですが、あらゆる意味で自分の「原点」になったシリーズです。
しかし、地方都市で育ったせいもあって映画館で全てを観てはおらず、その後のビデオやDVDは本当に有り難い思いで揃えました。
いちど、広い芝生の庭にいっぱいエレキが並んだ、その向こうで加山さんが牛丼食ってる夢を見ましたが、思い出してもシュールな風景でした。
大好きな若大将シリーズ最高ですね。
多幸感ってキーワード良いなぁ
馬場さん。
とても楽しい解説で素晴らしいです。私は昭和31年生まれですが、大学、銀座の若大将を映画館でリアルに見ています。当時面白いと笑って観た覚えがあります。このころは椿三十郎や社長、駅前、独立愚連隊西へ等楽しかったです。貴方が如何に若大将映画が好きが胸に迫り涙が出てきました。今後も楽しみにしております。有難うございます。
若大将シリーズ大好きなので今回のお話大変面白かったです。あの娘に、私も大好きです。本当に幸福感に溢れた昭和の楽しい映画でした。
馬場監督の映画から若大将シリーズに興味をもちましてDVDがレンタル開始されて改めて全部みました。世代ではなく生まれる前の作品でしたがとても楽しめました。若大将のお父さんとおばあちゃんのやりとりが本当におもしろかったです。田能久のお店のお肉を持ち出して大学の部員たちと食べるのですが便所の鉄フタを黙って使って肉を焼くシーンはおもしろかった。これでもかっていうくらいのワンパターンが心地よかったです。
かって 30年前後前に 小学館から「テレパル」というTV番組表雑誌が発刊されていて 毎号買っておりました。その中にホイチョイの馬場さんが連載で書かれていた「酒とビデオの日々」というコラムを楽しみにして読んでおりました。テレパルが休刊廃刊となってしまって、馬場さんの映画評を読むことができなくなってしまって 残念に思っていました。youtuberの時代になって、本人が語る形で復活していたとは全く知らず ひょんなキッカケでこの若大将映画評の回を見ることになりました。ありがとうございました。
銀座の若大将が一番好きです!絶対に東宝じゃなければ撮れない映画ですね、もう一本はハワイの若大将かな。
小学生の時、伯母に連れてってもらった『怪獣大戦争』の同時上映が『エレキの若大将』
贅沢な2本立て。ゴジラも青大将もシェーしてました。
若大将みたいな大学生活に憧れて現実に打ちのめされた世代です。
スイスでアルファロメオ・ジュリアスパイダーを乗り回してスキーする大学生なんて夢の世界。
曲は『走れドンキー』が大好きでした。
馬場先輩、これを待ってました。ありがとうございます。僕も「エレキの若大将」と「アルプスの若大将」が最高だと思います。大学からですが競技スキーを始めたのも、大学4年からヨットに夢中になったのも、グアムに住んでいる時カタマランとスクーバダイダイヴィングを始めたのも、みんな幼稚園児から見続けた若大将シリーズの影響大です。どうもありがとうございました。
裕次郎の時代にはスキーやヨットは手の届かない贅沢でしたが、加山雄三の時代では多くの大学生達がスキーやヨットを楽しんでいましたね。エレキ・ギターは高価でしたが、フォーク・ギターを弾きながら歌を歌う学生達も多かったし。
地方の映画館は2本立て3本立てで1日中入れ替え無しで上映していたので何本も併映映画として観ました
子供だったのと田舎なのでキラキラしすぎてまさに絵空事でした
今思い返すと随分贅沢で幸せなことだと思います
また2本立て3本立てで若大将シリーズを上映して欲しいですね
来た〜❗️若大将大好きなシリーズ❗️レギュラーでは若大将と節子さんだけになりましたが。私もエレキ〜、アルプス〜が一押しですね。エレキの若大将で、加山雄三の人気爆発。アルプスの若大将はシリーズ最大のヒットで当時の東宝の東京オリンピックの記録に迫りました。
若大将の大ファンです!
最後の2人が出会うシーン聞いていて拍手してしまいました!
監督の好きな映画ほんとにマッチしてていつも楽しみにしております。
いつかトークショーとか開いて欲しいです
素晴らしい❣
我が青春の若大将。歌の話が出て来た辺りから涙が出て来た。
私が初めて若大将映画を見たのは、1964年4歳の時「海の若大将」でした。この時は、若大将を見るのではなく「併映の東宝怪獣映画が見たい」でした。映画館に連れていってくれた20歳の叔母が加山さんファンでして、加山さんがスクリーンに現れるたびに ワーキャー黄色い声を上げてたなあ・・・そんな記憶です。その後、その叔母さん他に引率されて エレキ アルプス レッツゴー ゴーゴー リオを映画館で見ましたか。4歳の時は、加山さんってあんまり分からなかったと思いますが、小学校低学年になって多少大きくなっていきますと、段々分かってきました。エレキを弾いて 歌を歌って スポーツ万能 とってもカッコ良い人というのが脳内に定着しました。(その後大きくなってから 歌った歌は加山さん自身が作曲してることを知ってビックリしたものです) 1977年頃の池袋でのオールナイトリバイバル興行も、私の住んでいる地方(名古屋)にも波及してきました。1978年の高校三年生の夏に友達誘って 3週末連続オールナイト5本立て を見に行ったものです。誘った友達も いまいち加山さんのこと そんなに分かっていなくて 最初は行くのを渋っておりましたけれど。無理も無いでしょう。1960-1961年生まれ世代は、加山さんの全盛期は幼児の頃ですから。私みたいな幼少期に若大将体験があるのは、例外でしょうね。そんな友達2人を無理に連れていって 一緒に若大将映画を見たら その二人
イッペンに若大将にハマってしまったものでしたwww 幼少期の頃には併映でクレージー映画、社長シリーズもあったかな その後大きくなってから これらの映画にもハマっていく私でありました。
馬場さんの主張、全くそのとおり。強!共感します。ひとつだけ、言います。エレキの若大将で、青大将がアンプの電源を切った時、急場をしのいだのは、ドラマー役の二甁正也さんでしたよね。
あの頃の東京下町ではほぼ怪獣ものととの二本立てだったので、ゴジラを見に行くとセットで見られる感がありました。初めて買ったレコードは君といつまでもです。
大学〜アルプスの若大将までのDVD持ってるけど、海・エレキ・アルプスの3部作が、ブルージーンズが出てたんで、特に好き。10年前、60の定年で大阪から茅ヶ崎に越して来たけど、僕にとっては、
茅ヶ崎は、サザンでなくて、若大将ですわ。
『独立愚連隊西へ』の加山雄三にはびっくりしました。デビュー作なのに圧倒的な存在感。
いつも楽しい映像ありがとうございます。
自分が中学(横浜市立戸塚中学校)の時の技術の先生が池端先生という方で、加山雄三さんの従兄弟でした。40年近く前の話ですがどことなく印象が似ておられました。先生お元気だろうか。
江原さんが付けた条件は、「セリフの無い役」と伺っておりました。加山さんに出演を秘匿しておくことも、条件だったのですね。「メッセンジャー」からも既に24年か。時の経過早すぎ。ホイチョイ映画「私をスキー・・・」にも中真千子さんが出演されたのも嬉しかったです。
1981年社会人になってようやく行くことが叶ったテアトル池袋のオールナイトで若大将シリーズや夏木陽介さんの青春ドラマシリーズを通し、伝説の館内での盛り上がりを体感できて感激したあの日が蘇ります。
昭和32年生まれです。
若大将シリーズの入口は、小学2年「海の若大将」でした。
加山さんの影響で大学からヨットを始め、今現在も乗っています。
テアトル池袋のオールナイトも友人と観終わってから話していると、何の若大将だったか眠気もあってよくわからなくなっていたことも。笑
ただ、いつも感じていたのは幸せ感でした。
今日は加山さんの87歳の誕生日。
茅ヶ崎市役所でエレキを持った加山さんの銅像の除幕式と茅ヶ崎市名誉市民の贈呈式がありました。
加山さんの声が聴けて握手もでき、最高の一日でした。
当時は怪獣映画と組で上映されていたので、自然と小学生のファンが増えました。というか大人のファンは思ったよりも少なかったのかも知れませんね。海の若大将は僕が11歳のとき、加山さんはすでに29歳でした。
田波さんはクレージーの作戦シリーズ、植木等の無責任シリーズ、日本一シリーズも有りました。大好きでしたね。私の時代はゴジラ、若大将、無責任でした。
『若大将』シリーズ、大好きなので、馬場さんの話、とても楽しく聞かせていただきました。『エレキの若大将』(個人的に大好きな1本です)と『アルプスの若大将』はシリーズ中の2トップだと、僕も思います。
動画終盤のまさかのエピソードに胸が熱くなりました!私は東宝映画については、黒澤作品か歴史・戦記ものを中心に観ているので、江原達怡さんについても侍や軍人役の印象が強いです。とはいえ、典型的なサムライ・軍人ではなく、江原さんが持つ品の良さやナイーブさが醸し出されていましたね。
今回の動画は最高の出来なのではないでしょうか・・・37分目が離せず一気に見ました。
山口百恵世代のものです この映画をスクリーンで見た記憶はないのですが 中学生か高校生の頃だったと思いますが プロ野球ナイター中継が雨で中止とかの時に放送されていたのを見た記憶があります。
多幸感とおっしゃっていましたが確かにそれは感じましたね。
若大将シリーズ待ってました。
「リアリズムは採らない。」納得しました。
若大将が初めて歌う歌も澄子はいきなり歌えましたもんね笑
ハッピーでいい映画です。
ゴーゴー若大将では公園で歌ったら突然数組のカップルが同じ踊りを踊り出したしね。
確か、宝塚歌劇団の影響が合ったと思います。
待ってました!😁
馬場監督と同じ昭和29年生まれ。若大将を観て育ち、学生生活はああいうものと憧れ、テアトル池袋では毎土曜の夜にスクリーンにテープを投げていました。よくぞここまで若大将を語っていただきました。コアファンとして、できればもっと若大将映画を語り合いたいです。 有難うございました!!
田沼雄一:加山雄三
石山進次郎:田中邦衛
澄子さん:星由里子
田沼久太郎:有島一郎
田沼りき:飯田蝶子
江口マネージャー:江原達よし
1982年、小5の頃にナイターの雨傘番組で「エレキの若大将」を初めて観て、その数年後の中2の秋にふとレンタルビデオ店で「エレキの若大将」が貸し出されてるのに気付き再び観てしまったことで、縦ノリ音楽とDCブランドの全盛期にベンチャーズなどの横ノリ音楽や三つボタンのアイビースタイルに傾倒して校内でも非常に変人的な人間になってしまいました(笑)そして未だにそのまんまだったりします。
あと個人的な思い出として、1995年にジャッキー・チェンが製作した香港映画「デッドヒート」に加山さんが出演されていて、当時仕事でこの映画の手伝いのために今はなき仙台ハイランドレースウェイに一週間詰めていた際にちょうど撮影の合間で暇を持て余していた加山さんに思い切ってお声が掛けし、5分ほどでしたが若大将シリーズの思い出や当時持っていたギターの話など色々お話できたのは今でも自分にとって大きな思い出です。
待望の「若大将」解説第二弾!!
同世代や周囲に50~60年代の映画の話が出来る人がいないので本当に有難いです。※私は40代です。
特に東宝の大ファンなので若大将以外の社長シリーズ、クレージー映画の解説も是非ともお願いします。
特に藤本真澄氏、笠原良三氏などの知られざるエピソードなどほかにあればお願いいたします。
ところで若大将シリーズに似たような設定で日活で小林旭主演の『暴れん坊』シリーズ(=銀座の次郎長)があるのですが、1作目「東京の暴れん坊」が1960年と「大学の若大将」より1年制作が早いと知って驚いた記憶があります。この辺りも何かご存知でしたらご教示いただけないでしょうか。今後とも動画を楽しみにしております。宜しくお願いします♪
良いですね〜! ありがとうございます✌
1984年だったと思いますが、小学館の「ビッグコミックスピリッツ」で連載していた
ホイチョイプロダクションの「気まぐれコンセプト」にて 若大将映画をパロディした作品が発表されましたね。あれは、とっても面白かったです。1984年ですと バブル前の頃ではありますが、その萌芽がタップリな時期だったと思います。そんな世相と 若大将映画が全盛期だった1960年代半ばの頃の志向考え方のミスマッチぶりを徹底的に突いておりましたね。1984年の頃にモテルのは、「若大将ではなくって青大将である」というのが その白眉でしょう。 この漫画にて触れられていたかなあ、ハワイの若大将では 作品の終わりに ヨットレースがありました。映画では、大学生のヨットレースのラジオ生中継がありましたが、これに大してホイチョイさん(馬場さん?)は、「ヨットレースのラジオ生中継番組なんて アリなの」ってことを脚注で指摘されていたと思います。その指摘から40年近く経過しまして、ヨットレースの生中継ラジオ番組には 私は遭遇したことないですなあwww
私の父は加山さんより1歳上ですが、家には加山さんのEPとLPがたくさんありました。
大卒で俳優の二世の加山さんは、中卒で職人の父には眩しい存在だったのでしょう。
母いわく、当時の職人はそれなりに良い収入だったので高いレコードもいっぱい買えたのかもしれません。
青山ユアーズ!
なんて嬉しい単語!
ありがとうございます😂
小学校の頃…昭和50年代の中盤あたりに、ゴールデン洋画劇場で若大将シリーズを何週かに渡って放送してましたが、思えばあれは『帰ってきた若大将』公開記念だったんでしょうね。
若大将シリーズは良く東宝特撮と併映してたらしいので、男の子に人気があったのはそのせいもあるのかな?
マタンゴと同時上映だったらしいですし(笑)
馬場さんは若大将シリーズ目指してましたよね。スピリッツでも大好きって言いまくっていた。加山さんが、二枚目スター上原謙の息子で、岩倉具視の血筋なので説得力があったよね。
↑のつべ上で語られていた江原さんとの出会いの話、これもまた小学館「テレパル」の「酒とバラとビデオの日々」に書かれていた話を つべにて直接に伺うことができて良かったです。若大将映画では、ちょっと頼りない感じもあった江原さんでした。ところがところが、カードライバーとしての腕前は凄くて、ゲーセンでは レーシングゲームでいつも最高点を更新していた話もありましたね。名刺交換されたら、事務所がお近くどうしだったとか、そんなことも書かれていたと思います。それから、江原さんがホイチョイの事務所にやってきて語られたという東宝映画の撮影現場での話とか そんな話を再構成されて ↑のつべで語っていただければなあ と思います。「メッセンジャー」ではセリフ無しを希望されたのも、俳優としては俳優らしい良き声を出せなくなってしまったからかなあ。そんな風に想像しております。「メッセンジャー」での カウンター越しでの 加山さんと江原さんのやり取り雰囲気が かっての若大将映画の雰囲気をもろ醸し出していたのは 素晴らしかったです
いやいや素晴らしいの一言につきます❤
子供の頃近所でやっていたゴジラシリーズの映画を見にいった時に何本か同時上映していて知りました
中学時代は周りはフォーク一色なのに1人で加山さんのコピーをしていて変わり者扱いされてました
池袋のオールナイトは私も行きましたね…
青春でした!😊
若大将シリーズは、大大大好きな映画です。偉大なマンネリ作品です。その雰囲気に浸るだけで幸せにります。
「なんなんだろう、この多幸感」とのご解説、完全に共感しました。
「歌う若大将」も含めて全作コンプリートしていたと思っていましたが、
「帰ってきた若大将」を観ていなかったような・・・?
私は「アルプスの若大将」と「南太平洋の若大将」が好みです。オープニングの「タヒチの夕陽」は絶品ですね。
本作では田久のシーンもとてもよく撮れていましたね。
ちなみに、「私をスキーに連れって」も大好きです。イントロが素晴らしいですね。
(北あけみさんの漫画に感動しました。上手い!)
若大将シリーズ、よく観ました、男前で頭も良い、スポーツ万能、歌も上手い、喧嘩も強い、男気があり面倒見も良い、実生活でそんな人に出会った事がない😮まさに夢を売る映画ですね!
若大将で東宝の看板スターになってしまった加山さんに、黒澤組からオファーが無くなってしまったことだけが残念でなりません。『椿三十郎』にせよ『赤ひげ』にせよ、あの役は加山さん以外に有り得ないというのに。
黒澤映画の典型的プロットである「青二才の成長物語」が『赤ひげ』を最後になくなってしまったので、加山雄三の出番も自ずからなくなってしまったのでしょうね。初期の青二才は藤田進(師は大河内傳次郎)、昭和30年代は三船敏郎(師が志村喬)、『椿三十郎』、『赤ひげ』では加山雄三(師が三船敏郎)といった感じかと。
小学校の時、若大将を見て慶応大学はパラダイスだと思った。慶応を受けなかったけど。若大将になりたかった。
小林旭、石原裕次郎、渡哲也と歌う映画スターを配信してきました。加山雄三が最後になりました。なぜ最後になったか?考えるにヒット曲が多くまたエレキがありますから、古希を過ぎた私には肉体的、リズム的観点から最後になりました。恋愛曲とエレキ曲と別けて配信しようと思います。まずエレキギターを購入しようと思います。リサイクルショップに行ってみます。映画は確か『アルプスの若大将』他3本だと思います。どう歌と映画を繋げて構成するか考えています。参考になりました。(新人類のユーチューバーです。安松辰)
23:00過ぎに「エレキバンドを率いて 日本初の武道館コンサート」を開いたと仰っております。日本初の武道館コンサートは、1966年のザ・ビートルズの日本公演でありますが、
これは別として 二番目に武道館コンサートしたのは 誰 ってなりますと、色んな説が出てきます。加山さんというのも間違いではないと思いますが。加山さんが武道館でコンサートをやったのは、東宝映画「南太平洋の若大将」の日本武道館での柔道の試合のシーン撮影のために 観客エキストラを集めるために 撮影終了後にライブをやりますよ ってことですね。イトコの喜多嶋兄弟他をメンバーとしたザ・ランチャーズとともにライブをやりました。でも、この時の映像は無いし、スナップ写真が幾つか残っている程度でしょうか。この時のセトリも分かりませんです。
田波靖男さんの著書に(映画が夢を語れたとき)がありまして、これに若大将シリーズ、クレイジー、植木等の無責任シリーズの成り行きなどが事細かくスナップ写真付きで出版されてました。興味がある方にはお勧めの本ですね。
社長シリーズも是非!
馬場さんの熱い想いが伝わりました。
楽しかったです。
自分も一度、田波さんとお仕事させて頂いた時に、緊張しました。
若大将と無責任男の脚本家ですもの。
若大将と特撮映画の同時上映作品
ハワイの若大将とマタンゴ
海の若大将とフランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン
エレキの若大将と怪獣大戦争。
の三本でした。
マタンゴはハワイの若大将との二本立てだったんですか。
マタンゴは記憶に残っていて、なぜこの映画を見たのか
動機が分からず長年にわたり疑問でした。
ハワイの若大将を見に行った時見たのですね。
やっと50年来の疑問が解けました。
ありがとうございます。
しかし、ハワイの若大将の記憶が全く残っていません。
@@biger3742 さま
ご返信ありがとうございます。
そう言われる方、結構多いですよ。
当時のパンフレットもハワイ〜とマタンゴ両面から見れるリバーシブルになってます。私も少年の時は怪獣目当てに行ったもんです。今はどちらも大好きですよ。^_^
小学校の運動会の代休で地元の映画に行ったら館内は、地元の小学生達で満員
全員のお目当てはフランケンシュタイン対バラゴン
同時上映の、三橋達也さんの 国際秘密警察 火薬の樽 意外と面白いわ、星ゆり子さんの可愛さん、妖艶な水野久美さん
ボンドガール・若林映子さんの色気にノックダウン
三本目が、始まると加山雄三さんが、地元の城ヶ島大橋の下を光進丸で走るシーンで大歓声
海の若大将 で初めて加山さんを見ました。
田舎のクソガキが初めて知った大学生活に憧れて、大学生になったけど加山さんのようなだ生活は、送れませんでした(泣)
あぁそういうこと(原点がこれでしたか)
いいですねえ、若大将の映画、子供の頃母に映画館(いわゆる三番館、3本建て)に見に連れて行ってもらって本当にかっこいいなあと思い憧れました。
今でも通用するんだよな、スポーツ万能、美男美女が出てきて憎めない悪役も出てきてハッピーエンド。おまけにいい音楽。映画ってこう来なくっちゃあダメだね。
マンネリズム?それがいいんだよ、水戸黄門だってマンネリズムであれだ続いたんだから、今見ても面白く鑑賞に堪えるのはスゴクない。
観客を魅了する映画って、ヤッパリ映画そのもの。最近のゴジラ(これもマンネリズムの極致)見ていてもそう思った。
小学校の時ゴジラ映画を見に行ったら同時上映が若大将シリーズでした。地方の田舎映画館でしたからかなあ。
OTV特別付録、「加山雄三のフローチャート」は良かったです。あれが私をスキーに連れてっての原型だったのですね。日本のテレビアニメーションも最近になって、やっとブルジョワ寄りになりました。
10:05お受験の親に聞かせたいです。
若大将シリーズの作中で、箱根駅伝出たり(^◇^;)京都まで行って自動車ラリー対決に出たりと(^◇^;)若大将のフィジカルには驚く事有りますね(^◇^;)
そー言えば、私をスキーに連れてっての作中に。
主人公の上司に田中邦衛さんが出て来て、上司の家に膨大な量のトロフィーを見て。
青大将の面影を感じてしまう、熱を感じましたね(^◇^;)
私の好き😍な作品は「海の若大将」「エレキの若大将」「アルプスの若大将」です😄💓💕💕🎶🎶❗️加山雄三さんの歌も好き😍で、よくカラオケ🎤で歌っていました😊💓💕💕🎶🎶‼️
エレキの若大将が私のベストです。
怪獣映画と併映だった「ハワイ」「海」「エレキ」の3作はスクリーンで観ました。
後はDVD。酒井和歌子さんに代わってからは知りません。
加山雄三さんと星由里子さんとの共演で最初に観たのは「箱根山」。女子高生役でした。
素敵なお話ありがとうございました
自分も中学生の頃から若大将というか、当時の東宝映画ファンです
馬場監督よりは1世代下になるのかな
上京した頃、ぴあを抱えて(確か200円割引された)浅草東宝のオールナイトで、若大将シリーズ含む東宝のシリーズ作品を何回か見ました
今では好きな時に好きな作品が見れる、いい時代になりましたね
自分が幼稚園か小学1年生位に
日曜日の午後あたりに、邦画劇場みたいな番組があって、よく加山さんの映画やクレージーの映画、あと兵隊やくざを観た記憶がありますね。
50数年前の話ですけど、何か思い出しました。
加山雄三さんのスゴイところはテレビの生中継で
プールで泳ぎながら「お嫁においで」を一曲歌い切った事です。
音源はシングル盤に間違いないのですが
生中継で泳ぎながら歌った人は他には居ないんじゃないのでしょうか。
私も若大将のだいファンです。小学2年生の時に「海の若大将」を見てからいまだに憧れています(もう66歳ですが)。自分は、大きくなったら京南大学に入るんだ!と親にも宣言してました。若大将は不滅、永遠です。夢です。加山さんが以前おっしゃっていました、「夢を持つことは、生きるための原動力。必ず夢は実現するとしんじよ」と。だから、今も夢を追いかけています。
私がまだ働きはじめの頃、10歳上の先輩が何かあるごとに「若大将」の話になっていたのを思い出しました。元気かなぁ?
80年代の初頭はサブカルが開花し始めた頃で、若大将、植木等、ゴジラやウルトラシリーズ等々のリバイバルブームが起き、その時に若大将シリーズも何本か観ました、面白かったのですが、映像、音、風俗にハマる事が出来なかった記憶がありましたね
できればですけど、毎回キレイに描いて下さってるホワイトボードを毎回、1分で構わないのでゆっくり見せて欲しい。今回は青大将でしたが、ヒライくんのコスプレも楽しみ
東宝のお嬢様の役割りが多かった藤山陽子氏とは30年前友人のカメラマンのアシスタントとして女性雑誌の撮影に立ち会ったことがありました。
撮影場所は神戸南京街で食事をしながらインタビューをする形式で撮影が進行したのでしが、
インタビュアーを差し置いてワタシが個人的に聞きたいことをしゃべりまくったことは今思い出しても冷や汗モノで良い思い出です。
氏と一緒に収まった写真は宝物です…。
藤山陽子はとても美しかった。
日光の千手観音の境内に君といつまでもの石碑があります。ロケ地ですよね。
毎回楽しく視聴させていただいております.
「若大将シリーズ」は日本映画史上見逃せませんが,機会があったら「百恵・友和シリーズ」も採り上げてみてください.全部で12本あるはずです.2人の共演の「変遷」みたいなものを解説していただければと思います.
東宝の砧撮影所のそばに「OAK(オーク)」とレストランカフェがありました。よく友人とお茶しに行ってましたが、
見慣れた店の外観が映画の中に出てきたときにはどのシリーズか忘れましたが、びっくりしました。
ゴジラ対若大将・・実現して欲しかった
『エレキの若大将』でウルトラマンのスーツアクターだった古谷敏さんが『田能久』ですき焼食べているシーンがありますね。一瞬ですけど。
自分のなかに
加山雄三と太宰治が居ると
思っていました。昭和25年
生まれ17才の時です😊
私も馬場監督と同じ昭和29年生まれですが、若大将にははまらず、池袋文芸座の地下で裕次郎映画のオールナイト上映を見たりしてました。
若大将シリーズいまからでも見てみようかな。楽しい解説ありがとうございました。(^.^)
加山雄三が亡くなったら各局の追悼番組は若大将シリーズになるだろうと思う。
若大将が登場する数年前に、瀬木俊一主演の「若旦那は三代目」「若旦那大いに頑張る」という、若大将映画の基本となった作品がありますが、この2本と若大将の比較などを是非伺いたいですね。
中学時代に若大将と出会い、大学生になったら若大将になれると信じていました(笑)
私、馬場さんの後輩です。東宝の専務さん?が成蹊のOBで東南大学のイメージは慶応より成蹊にと聞いた事があります。私としてはフランキー堺の車掌シリーズも取り上げて下さい。楠トシエさんなんかお好きな女優さんなんでは?
エレキの若大将で人生変わりました。それまで加山さんは知らなかったけど、小学校の同級生の兄貴が出てるから見に行こうゴジラ見に行くついでにだったのにタイトルバックのエレキギターの音に衝撃を受けて、ゴジラも兄貴もふっとんで
エレキギターを買って、アルプスの若大将見てスキー始めて、京南大学は実在しなかったので、浪人して加山さんと同じ慶應法学部政治学科に入ったがギター持って大学行ったり遊び過ぎて留年、若大将でなく青大将になっちまいました
ちなみに兄貴は黒沢年男さんでした
俺がガキの頃祖父に連れられて映画館通いしてた頃は邦画だけでも週3本立てで上映されていたから年間150本くらい制作されていたはず 今の映画は一本に金掛けすぎなんだよ
今年の3月、照子役の中真千子さんが亡くなられたそうです。、、ショック!
いよいよ僕もソロソロかな?
エレキの若大将で10週目で全員お揃いのスーツで登場したのには流石に笑った。優勝賞金で澄ちゃんの自動車修理代を捻出するんじなかったの?無駄遣いしちゃ駄目!(笑)
都会の私立大学で青春を謳歌するというそれまでの大学生の持つイメージを一変させた、大学レジャーランドの走りであり、ある意味受験生が大学は都会か地方か国立か 私立かの現在に続く問題提起の原点、功罪は大きい。当時の若者には憧れであったが今の時代当たり前になった。
伊丹十三監督をお願いいたします。
1956年生まれの自分が小学生時代、
美男子の代名詞は、
加山雄三と石原裕次郎。
級友に祐一という名の秀才がいて、
彼に頼み事するときには、
「ねぇ、ゆうちゃん。
君って足が長くていつもカッコいいね。
女子はみんな、君のこと
石原裕次郎か加山雄三みたいって言ってるよ。
…ところで、昨日の宿題ちょっと見せてくれない?」
なんて、猫撫で声で頼んで、
断られると、
「なんだよ、このドケチの
伊藤雄之助がよお!」
なんて悪態付いていました。
なんかさこのシリーズを加山が坊ちゃんでわがままで?、金持ちのブルジョアでっていうけど全然当時見てた私貸したらそんな風に見えてないですがね(もちろんリアルタイム劇場で見てましたけどね)。
要は加山雄三の誠実さ、男らしさ、逃げない姿勢。 あと時たま誤解を受けるけど、その誠実さで、逃げない、受け入れる、そして何よりも友達思い。こんな素晴らしい人間はいないよね。金持ちドラ息子とかさ、どっからそういう偏見が出てくるのやらね。まったく理解できませんね。主の動画も
金持ちのドラ息子って青大将だよね。
若大将が柔道部のヤツってありましたヨネ‥‥‥‥‥‥‥‥何の若大将でしたっけ??
テアトルダイヤ@池袋でしたか?