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45:24「初期のマグネトフォンにしては音が良好に過ぎる」- 1941年6月10日の「テープ録音・新技術の博覧会」とは「初期」ではなく、新方式のマグネトフォンのデモンストレーションということかもですね(Wikipedia 独語(英語)版の、動画で言及されていた RRG のエンジニア Walter Weber の項目に、ベルリンでの新方式マグネトフォンのデモンストレーションに関する記述がありました。ただし(年がなく承前で)1940年の6月10日のように読めるのですが、1941年のことを指しているということでよさそうに思われます)。この新方式(交流バイアス法)によって劇的に音質が向上し、かつ、放送用のマグネトフォンに採用されたのは1942年になってから、ということのようですので(君塚、2012『テープレコーダーの技術系統化調査』)、時系列的にも辻褄は合うような気がいたします。※ 別のサイト(Museum of Magnetic Sound Recording)には「一部にリヒャルト・シュトラウスやフルトヴェングラーを含む約 250 のステレオ録音テープの存在が知られていた」とありました。うーん。
檜山先生の1988年11月3日の放送、リアルタイムで聞いていました。ブラームスの第一の録音は度肝を抜かれました。エアチェックして、テープが切れるまで何度も聞いていました。全てが懐かしいです。
個人感情を抑えて中立な表現に徹しておられて感服です。私はRRGのステレオ録音に興味があります。自称・ブライトクランク研究家の主人は、当面は自分で処理したオリジナル・ブライトクランクで我慢するそうですが「1940年代のステレオ録音を是非聴きたい」と申しております。
動画アップからかなりしてから拝見しました。凄すぎる。凄い動画です。個人的なことながら、わたくし日本史を大学院まで研究しておりました。古文書やら記録やらと格闘していたあの時代の個人的な記憶が…。結論はもはやどちらでもよいのですが、演奏会の会場にいた人やもちろんオケのメンバー、さらに切符のもぎりの方にまでいろいろ想いをはせました。どちらの結論にせよ、祖父母の年齢にあたるであろう録音のスタッフにも。徳岡さん、ありがとうございました。
驚きの興味深いお話し、楽しく聞かせていただきありがとうございました。録音が1940年12月にせよ、1945年1月23日にせよ、演奏そのものの特徴を楽しむというのはその通りですね。両時代の音楽の歴史的背景が分かって逆に得をした気分になりました。ロシア語版Wikipediaでは、Аджемов, Константин Христофорович >コンスタンチン・クリストフォロヴィチ・アジェモフ(1911年3月21日(現4月3日)、モスクワ - 1985年6月9日、モスクワ) - ソビエトのピアニスト、教師、音楽学者、音楽評論家、ソビエト連邦名誉芸術家(1984年)、教授、美術史博士。国籍はアルメニア。とあり、>1941年から1958年まで、全ユニオン・ラジオの交響曲放送の編集者を務めた。1955年からは「録音の夕べ」、1959年からは「ピアノ演奏についての対話」という、自身が創設したサイクルの番組の司会を25年以上務めた。とも書かれ、受賞歴に>ロシア連邦芸術功労者(1984年09月01日)[3]>名誉勲章(1966.10.14)>モスクワ防衛勲章>メダル「1941-1945年の大祖国戦争における勇敢な労働に対して とあるので『将校』という肩書を持っていても不自然ではありません。更に、www.mosconsv.ru/ru/person/9038↑ の記述では、↓>1941 ~ 1958 年 - 全連合ラジオの交響楽放送の編集者。>25年以上にわたり、「レコーディングの夕べ」(1955年~)、「ピアノ演奏についての対話」(1959年~)の番組を放送し、その中には、セルゲイ・プロコフィエフ、ドミトリー・ショスタコーヴィチ、アレクサンドル・ハチャトゥリアン、T.N.の音楽に関する番組も含まれている。その中には、S.S.プロコフィエフ、D.ショスタコーヴィチ、A.I.カレニコフ、D.B.カバレフスキー、K.N.イグムノフ、A.B.ゴールデンヴァイザー、V.V.ソフロニツキー、D.F.オイストラフ、J.I.ザク、M.I.グリンベルク、N.A.オブホヴァ、A.V.ネジダノヴァ、E.G.ギレルズなどの作品がある。↑ この番組に編集者の立場・能力を生かしてドイツからの接収録音の放送がされていた可能性がありますし、>K.H.アドジェモフの演奏分野での功績は大きい。ベートーヴェン、ラフマニノフ、ドビュッシー、リスト、メドトナーの作品の録音が「メロディア」からリリースされている。↑ メロディア社とも親密な関係がある以上、レコード・リリースの選曲・演奏家の選定に関する経営戦略の計画立案に参画する立場にもあったのでしょう。>出典:Lotosh E.S., Skanavi V.M. K.H. Adjemov // Moscow Conservatory. 起源から現代まで。1866-2006. Biographical Encyclopaedic Dictionary. М., 2007. С.10.↑ 経歴からすると、かなりこの人の可能性が大きいと思います。仮にこの人が膨大なドイツの録音素材・資料・機材等の接収に関わっていたとして、その接収という名の泥棒=犯罪の情報はドイツ人に恨まれるに決まっているので本人自身のキャリアからは汚点として抹消されているでしょうからゴルバチョフのグラスノスチの時代に調べればなんとかなったのでしょうけれど、こんなマニアックなことを調査をする人は多分いなかったと思います。
お話の興味深さに、長尺の動画でもついつい最後まで視てしまいます。😊今回の件は、WFの全録音の中でも、ドキュメント性の高いものだけに、まさに青天の霹靂でした。しかし53:10〜のご意見に賛同します。それで改めて思い起こした事ですが…リースやヘッカーの著作からの、自分なりのイメージは、鬼気迫る戦時中や戦後のベルリン盤の様な演奏スタイルでした。しかしNHKFMで最初に聴いた時の印象は、熱演ではあるけれども、全体の造型はむしろ端正で、どんなに熱をおびても、常に自分を見失わない客観性さえ感じました。その後何度聴いても、その印象は変わりませんでした。その意味でドキュメント性は別として、戦後のベルリン盤に比べて、愛聴盤にはならなかったのですが…😅12:10の一番元の記述は、リースの評伝ですね。もはや手元に確認出来る資料が全く無いので、かつての記憶で書いていますが、リースで間違いないです。スキー事故でスイスで療養中の時、ウィーンから?のラジオ放送で、WFが最近指揮したブルックナーの「第7」がある、と言う話を聞いて、唯一ラジオがある喫茶店に包帯でぐるぐる巻きのまま出掛けた、何かそんな内容でしたね。明記はされてはいませんが、私はこれは部分的なエアチェック音源しか残っていない、1941年2月のBPO定演の事だろう。本来は全曲を続けてテープに録音したのではないか?と勝手な想像をしたものです。やがては「新発見録音」「未発表録音」として、世に出て来るのを期待していました。3、40年くらい昔のWFファンには、そんな夢や希望がありましたね。😅
はじめまして。チャンネル登録しました。クルト・リースの本を確認したところ、47章(208~212ページ)に載っていました。
情報をありがとうございます😊
德岡さんの素晴らしい論述に感謝します。要するに、このトピックの検証プロセスは、素晴らしい旅でした。
?Blue97 wrote 日文?
@@atm-naokimusic😂
ブルックナーの交響曲第7番をラジオで聴いたというエピソードはサム・H・白川 『フルトヴェングラー 悪魔の楽匠 上巻』(アルファベータ)の380~381ページで紹介されています。出典はクルト・リース『フルトヴェングラー 音楽と政治』(の原書)とあります。リースの邦訳(みすず書房 1997年 新装版)では 第47章 208~212ページです。
どうもありがとうございます。両著とも手元にありますので、確認してみます。
クレメンス・クラウス指揮の、さまよえるオランダ人、ラ・ボエーム、外套、平和の日、ナクソス島のアリアドネ、アラベラ、ばらの騎士などの戦前戦中のオペラ録音についてもいつでもよいので、ライブで話題にしていただけるとありがたいです。意外とオペラの全曲録音が残っていて驚いています。いくつかは音質が良いものも含まれているそうです。
素晴らしい解説、感謝します。以前フルトヴェングラー資料室を読んでたら、1944年7月22、24日にバイロイトにおいてフルトヴェングラーがマイスタージンガーを同音楽祭oを指揮して演奏し、この44年の録音はマグネトフォンによってステレオで収録した(W・ワーグナーの証言)という記述があって仰天しました。今においてもその音源は発見されてないんですが、もし見つかったらという夢物語は想像するだけでも楽しいですよね。
前の動画で、録音の存在は知られていて、多くのエピソードが語られてるにも関わらず、なぜ長くレコード化されなかったことが不思議だと言うお話をされていたことを思い出しました。今回の動画を見て、実はずっと専門家の間では演奏日時に疑問があった証拠なのかなと思いました。徒然草236段に後ろ向きに背中合わせに置かれた狛犬の話があります。ある聖人が深い由縁があるはずと感動していたら、子供のいたずらだったというオチ。音楽はそのままの演奏で評価しないといかんですね。
素晴らしい解説ありがとうございます。ブラームス1番はソ連に接収されなかったとのことですが、それに関連して質問させてください。クレメンス・クラウス ウィーンフィルの戦中録音がいくつかありますが、これらはソ連に接収されなかったのでしょうか?特に1945年のライブ音源は音質がとても良いと思っています(ローマの泉、 ダフニスとクロエ第2組曲、 ニューイヤーコンサートからの数曲等々)ので接収されなかったのかと。
フランクフルトにあるDRA(ドイツ放送アーカイヴ)には今でも相当数のテープ音源が保管されているようです。当時すでにマグネトフォンは盛んにダビングが行われ、ドイツの地方局、ヨーロッパの友好国の放送局にテープが送られていました。というわけでTahraがCD化した、フルトヴェングラー以外の指揮者も含めて、そのいくつかはDRA、そしてバイエルン放送協会、オーストリア放送協会に残されていた音源からレコード・CDになったものもあります。昨夜ご紹介したフルトヴェングラーの指揮したブルックナーの第九(1944/10/7)も、1990年台には各地に複数のコピーテープの存在が知られ、DGが初CDするにあたり、どの音源を使用するか比較試聴まで行われたそうですが、結局LP製作時と同じバイエルン放送のテープがCD化に使われました。マグネトフォンは本当に高性能で、一回くらいのダビングでは音の劣化がなく、どれがオリジナルなのかを見極めるのも難しいそうです。というわけで、大戦中の音源は全てがソ連に持ち去られたわけではないようです。
@@atm-naokimusic お忙しいところ詳細に教えてくださりありがとうございました。クラウス /ウィーンフィルのライブ録音はフルトヴェングラーのライブ録音と共に私にとって宝物のような物ですので、接収されずに残っていたのは何だか嬉しいです。クラウスは空襲のさなか唯一疎開せずウィーンに留まった指揮者だそうですので、戦中録音をいつも感慨深く聴いております。
1944年の「魔弾の射手」聴き直しました。徳岡さんがおっしゃるとおりで、この年代のフルトヴェングラー演奏にしては、明るさもあって溌剌とした印象を受けました。
フルトヴェングラーのブラームスとは関係がないのですが、最後に紹介されていた1944年カラヤンのブル8の4楽章ステレオ録音。音質もさることながら、演奏そのものが素晴らしいです。弦楽と管のまろやかにブレンドされた響きに引き込まれました。全曲聴いてみたいものです。今夜のライブも楽しみにしております。
ありがとうございます。今日は佐藤英先生の論文に従い、大戦末期のドイツ帝国放送の音楽番組についてお話しします。
ステレオ録音と言えばどうしても1954年にラインを置いて考えがちで、それ以前はすべてモノラルだと決めつけてしまいますが、今回の発見とアプローチは面白いですね。世界中の全フルトヴェングラー好きには、大注目の話題。ぜひ見つかる(達成される)といいですね。
はい、商業レコードとしてのステレオ録音は1954年あたりが開発・実用ラインだと思います。それ以前は1930年台の『偶発ステレオ』を除けば、ナチスドイツが1940年台に開発しており、それがかろうじてカラヤンのブルックナー8番の「終楽章のみ」、ギーゼキングの「皇帝」で今もCDで聴くことができます。素晴らしいクオリティです。フルトヴェングラーは… どうでしょうね
@@atm-naokimusic ハイテク技術を積極的に取り入れ実用していたナチス。 そのナチスはフルトヴェングラー好きが多ったですし、期待は膨らみますね。 きっと(フルトヴェングラーのステレオ録音)あるでしょう!
1940年代のドイツ AEG FT4 Magnetophon Ampex製世界初のテープレコーダーだそうです。さすが秒速76cm、ものすごくテープ送りが速い。ruclips.net/video/mBSesMQzs-I/видео.html
貴重な映像です。ありがとうございます。これはすごい…
音質の違い…当時の電源事情は影響してないでしょうか…。
45:24「初期のマグネトフォンにしては音が良好に過ぎる」- 1941年6月10日の「テープ録音・新技術の博覧会」とは「初期」ではなく、新方式のマグネトフォンのデモンストレーションということかもですね(Wikipedia 独語(英語)版の、動画で言及されていた RRG のエンジニア Walter Weber の項目に、ベルリンでの新方式マグネトフォンのデモンストレーションに関する記述がありました。ただし(年がなく承前で)1940年の6月10日のように読めるのですが、1941年のことを指しているということでよさそうに思われます)。
この新方式(交流バイアス法)によって劇的に音質が向上し、かつ、放送用のマグネトフォンに採用されたのは1942年になってから、ということのようですので(君塚、2012『テープレコーダーの技術系統化調査』)、時系列的にも辻褄は合うような気がいたします。
※ 別のサイト(Museum of Magnetic Sound Recording)には「一部にリヒャルト・シュトラウスやフルトヴェングラーを含む約 250 のステレオ録音テープの存在が知られていた」とありました。うーん。
檜山先生の1988年11月3日の放送、リアルタイムで聞いていました。ブラームスの第一の録音は度肝を抜かれました。エアチェックして、テープが切れるまで何度も聞いていました。
全てが懐かしいです。
個人感情を抑えて中立な表現に徹しておられて感服です。
私はRRGのステレオ録音に興味があります。
自称・ブライトクランク研究家の主人は、当面は自分で処理したオリジナル・ブライトクランクで我慢するそうですが「1940年代のステレオ録音を是非聴きたい」と申しております。
動画アップからかなりしてから拝見しました。凄すぎる。凄い動画です。
個人的なことながら、わたくし日本史を大学院まで研究しておりました。古文書やら記録やらと格闘していたあの時代の個人的な記憶が…。
結論はもはやどちらでもよいのですが、演奏会の会場にいた人やもちろんオケのメンバー、さらに切符のもぎりの方にまでいろいろ想いをはせました。どちらの結論にせよ、祖父母の年齢にあたるであろう録音のスタッフにも。
徳岡さん、ありがとうございました。
驚きの興味深いお話し、楽しく聞かせていただきありがとうございました。
録音が1940年12月にせよ、1945年1月23日にせよ、演奏そのものの特徴を楽しむというのはその通りですね。両時代の音楽の歴史的背景が分かって逆に得をした気分になりました。
ロシア語版Wikipediaでは、
Аджемов, Константин Христофорович
>コンスタンチン・クリストフォロヴィチ・アジェモフ(1911年3月21日(現4月3日)、モスクワ - 1985年6月9日、モスクワ) - ソビエトのピアニスト、教師、音楽学者、音楽評論家、ソビエト連邦名誉芸術家(1984年)、教授、美術史博士。国籍はアルメニア。
とあり、
>1941年から1958年まで、全ユニオン・ラジオの交響曲放送の編集者を務めた。1955年からは「録音の夕べ」、1959年からは「ピアノ演奏についての対話」という、自身が創設したサイクルの番組の司会を25年以上務めた。
とも書かれ、
受賞歴に
>ロシア連邦芸術功労者(1984年09月01日)[3]
>名誉勲章(1966.10.14)
>モスクワ防衛勲章
>メダル「1941-1945年の大祖国戦争における勇敢な労働に対して
とあるので『将校』という肩書を持っていても不自然ではありません。
更に、
www.mosconsv.ru/ru/person/9038
↑ の記述では、↓
>1941 ~ 1958 年 - 全連合ラジオの交響楽放送の編集者。
>25年以上にわたり、「レコーディングの夕べ」(1955年~)、「ピアノ演奏についての対話」(1959年~)の番組を放送し、その中には、セルゲイ・プロコフィエフ、ドミトリー・ショスタコーヴィチ、アレクサンドル・ハチャトゥリアン、T.N.の音楽に関する番組も含まれている。その中には、S.S.プロコフィエフ、D.ショスタコーヴィチ、A.I.カレニコフ、D.B.カバレフスキー、K.N.イグムノフ、A.B.ゴールデンヴァイザー、V.V.ソフロニツキー、D.F.オイストラフ、J.I.ザク、M.I.グリンベルク、N.A.オブホヴァ、A.V.ネジダノヴァ、E.G.ギレルズなどの作品がある。
↑ この番組に編集者の立場・能力を生かしてドイツからの接収録音の放送がされていた可能性がありますし、
>K.H.アドジェモフの演奏分野での功績は大きい。ベートーヴェン、ラフマニノフ、ドビュッシー、リスト、メドトナーの作品の録音が「メロディア」からリリースされている。
↑ メロディア社とも親密な関係がある以上、レコード・リリースの選曲・演奏家の選定に関する経営戦略の計画立案に参画する立場にもあったのでしょう。
>出典:Lotosh E.S., Skanavi V.M. K.H. Adjemov // Moscow Conservatory. 起源から現代まで。1866-2006. Biographical Encyclopaedic Dictionary. М., 2007. С.10.
↑ 経歴からすると、かなりこの人の可能性が大きいと思います。仮にこの人が膨大なドイツの録音素材・資料・機材等の接収に関わっていたとして、その接収という名の泥棒=犯罪の情報はドイツ人に恨まれるに決まっているので本人自身のキャリアからは汚点として抹消されているでしょうからゴルバチョフのグラスノスチの時代に調べればなんとかなったのでしょうけれど、こんなマニアックなことを調査をする人は多分いなかったと思います。
お話の興味深さに、長尺の動画でもついつい最後まで視てしまいます。😊
今回の件は、WFの全録音の中でも、ドキュメント性の高いものだけに、まさに青天の霹靂でした。
しかし53:10〜のご意見に賛同します。それで改めて思い起こした事ですが…
リースやヘッカーの著作からの、自分なりのイメージは、鬼気迫る戦時中や戦後のベルリン盤の様な演奏スタイルでした。
しかしNHKFMで最初に聴いた時の印象は、熱演ではあるけれども、全体の造型はむしろ端正で、どんなに熱をおびても、常に自分を見失わない客観性さえ感じました。
その後何度聴いても、その印象は変わりませんでした。その意味でドキュメント性は別として、戦後のベルリン盤に比べて、愛聴盤にはならなかったのですが…😅
12:10の一番元の記述は、リースの評伝ですね。
もはや手元に確認出来る資料が全く無いので、かつての記憶で書いていますが、リースで間違いないです。
スキー事故でスイスで療養中の時、ウィーンから?のラジオ放送で、WFが最近指揮したブルックナーの「第7」がある、と言う話を聞いて、唯一ラジオがある喫茶店に包帯でぐるぐる巻きのまま出掛けた、何かそんな内容でしたね。
明記はされてはいませんが、私はこれは部分的なエアチェック音源しか残っていない、1941年2月のBPO定演の事だろう。
本来は全曲を続けてテープに録音したのではないか?
と勝手な想像をしたものです。
やがては「新発見録音」「未発表録音」として、世に出て来るのを期待していました。
3、40年くらい昔のWFファンには、そんな夢や希望がありましたね。😅
はじめまして。チャンネル登録しました。
クルト・リースの本を確認したところ、47章(208~212ページ)に載っていました。
情報をありがとうございます😊
德岡さんの素晴らしい論述に感謝します。要するに、このトピックの検証プロセスは、素晴らしい旅でした。
?Blue97 wrote 日文?
@@atm-naokimusic😂
ブルックナーの交響曲第7番をラジオで聴いたというエピソードはサム・H・白川 『フルトヴェングラー 悪魔の楽匠 上巻』(アルファベータ)の380~381ページで紹介されています。出典はクルト・リース『フルトヴェングラー 音楽と政治』(の原書)とあります。
リースの邦訳(みすず書房 1997年 新装版)では 第47章 208~212ページです。
どうもありがとうございます。両著とも手元にありますので、確認してみます。
クレメンス・クラウス指揮の、さまよえるオランダ人、ラ・ボエーム、外套、平和の日、ナクソス島のアリアドネ、アラベラ、ばらの騎士などの戦前戦中のオペラ録音についてもいつでもよいので、ライブで話題にしていただけるとありがたいです。意外とオペラの全曲録音が残っていて驚いています。いくつかは音質が良いものも含まれているそうです。
素晴らしい解説、感謝します。以前フルトヴェングラー資料室を読んでたら、1944年7月22、24日にバイロイトにおいてフルトヴェングラーがマイスタージンガーを同音楽祭oを指揮して演奏し、この44年の録音はマグネトフォンによってステレオで収録した(W・ワーグナーの証言)という記述があって仰天しました。今においてもその音源は発見されてないんですが、もし見つかったらという夢物語は想像するだけでも楽しいですよね。
前の動画で、録音の存在は知られていて、多くのエピソードが語られてるにも関わらず、なぜ長くレコード化されなかったことが不思議だと言うお話をされていたことを思い出しました。今回の動画を見て、実はずっと専門家の間では演奏日時に疑問があった証拠なのかなと思いました。
徒然草236段に後ろ向きに背中合わせに置かれた狛犬の話があります。ある聖人が深い由縁があるはずと感動していたら、子供のいたずらだったというオチ。音楽はそのままの演奏で評価しないといかんですね。
素晴らしい解説ありがとうございます。ブラームス1番はソ連に接収されなかったとのことですが、それに関連して質問させてください。クレメンス・クラウス ウィーンフィルの戦中録音がいくつかありますが、これらはソ連に接収されなかったのでしょうか?特に1945年のライブ音源は音質がとても良いと思っています(ローマの泉、 ダフニスとクロエ第2組曲、 ニューイヤーコンサートからの数曲等々)ので接収されなかったのかと。
フランクフルトにあるDRA(ドイツ放送アーカイヴ)には今でも相当数のテープ音源が保管されているようです。当時すでにマグネトフォンは盛んにダビングが行われ、ドイツの地方局、ヨーロッパの友好国の放送局にテープが送られていました。というわけでTahraがCD化した、フルトヴェングラー以外の指揮者も含めて、そのいくつかはDRA、そしてバイエルン放送協会、オーストリア放送協会に残されていた音源からレコード・CDになったものもあります。昨夜ご紹介したフルトヴェングラーの指揮したブルックナーの第九(1944/10/7)も、1990年台には各地に複数のコピーテープの存在が知られ、DGが初CDするにあたり、どの音源を使用するか比較試聴まで行われたそうですが、結局LP製作時と同じバイエルン放送のテープがCD化に使われました。マグネトフォンは本当に高性能で、一回くらいのダビングでは音の劣化がなく、どれがオリジナルなのかを見極めるのも難しいそうです。というわけで、大戦中の音源は全てがソ連に持ち去られたわけではないようです。
@@atm-naokimusic お忙しいところ詳細に教えてくださりありがとうございました。クラウス /ウィーンフィルのライブ録音はフルトヴェングラーのライブ録音と共に私にとって宝物のような物ですので、接収されずに残っていたのは何だか嬉しいです。クラウスは空襲のさなか唯一疎開せずウィーンに留まった指揮者だそうですので、戦中録音をいつも感慨深く聴いております。
1944年の「魔弾の射手」聴き直しました。徳岡さんがおっしゃるとおりで、この年代のフルトヴェングラー演奏にしては、明るさもあって溌剌とした印象を受けました。
フルトヴェングラーのブラームスとは関係がないのですが、最後に紹介されていた1944年カラヤンのブル8の4楽章ステレオ録音。音質もさることながら、演奏そのものが素晴らしいです。弦楽と管のまろやかにブレンドされた響きに引き込まれました。全曲聴いてみたいものです。今夜のライブも楽しみにしております。
ありがとうございます。今日は佐藤英先生の論文に従い、大戦末期のドイツ帝国放送の音楽番組についてお話しします。
ステレオ録音と言えばどうしても1954年にラインを置いて考えがちで、
それ以前はすべてモノラルだと決めつけてしまいますが、
今回の発見とアプローチは面白いですね。
世界中の全フルトヴェングラー好きには、大注目の話題。
ぜひ見つかる(達成される)といいですね。
はい、商業レコードとしてのステレオ録音は1954年あたりが開発・実用ラインだと思います。それ以前は1930年台の『偶発ステレオ』を除けば、ナチスドイツが1940年台に開発しており、それがかろうじてカラヤンのブルックナー8番の「終楽章のみ」、ギーゼキングの「皇帝」で今もCDで聴くことができます。素晴らしいクオリティです。フルトヴェングラーは… どうでしょうね
@@atm-naokimusic
ハイテク技術を積極的に取り入れ実用していたナチス。
そのナチスはフルトヴェングラー好きが多ったですし、
期待は膨らみますね。
きっと(フルトヴェングラーのステレオ録音)あるでしょう!
1940年代のドイツ AEG FT4 Magnetophon Ampex製世界初のテープレコーダーだそうです。
さすが秒速76cm、ものすごくテープ送りが速い。
ruclips.net/video/mBSesMQzs-I/видео.html
貴重な映像です。ありがとうございます。これはすごい…
音質の違い…当時の電源事情は影響してないでしょうか…。