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宇喜多勢から少しの抵抗を受けた後、見事突破できたと思って猛スピードで羽柴勢を追うも備前の道中に伏せていた宇喜多の鉄砲隊から次々と強襲を受け退却。逆に宇喜多から追撃される羽目になる、がオチでは。
「殿、備前の百姓どもが沿道でわが軍を応援してくれておると聞きますぞ。 数か所に小屋を建てて水と握り飯まで用意してくれておるそうじゃ。」「ほう、領民あげてたいそうな気のつかいようじゃの、さては宇喜多め、明智にはかなわないとみて早々に羽柴を見限りおったか。」「と、殿、一大事でございます。百姓からもらった水を口にしたものが苦しんで次々と息絶えているとの知らせが…。」
秀吉は講和の後で高松城を囲んでいた堤を壊していったので、高松城周辺では大洪水が起こっており、毛利本隊も追撃しようにも大軍を回り道させねばならず、追撃しづらかったことは付け加えておきます。
秀吉に抜かりは無い 先ず高松城水攻めの為に築いた堤の一部を切って毛利の進路を泥沼化させているし岡山城に宇喜多勢を残している もし毛利軍が秀吉軍を追撃したとしても泥沼化の進路で足を取られ次に宇喜多軍の抵抗に遭う毛利が追撃してもしなくても山崎の合戦は予定通り行われ秀吉側の勝利だった事に変わりはないよ
清水宗治の切腹…高松城の開城…テンションは毛利側は下がっていたでしょうから追撃するだけのパワーはなかったでしょうね。
毛利軍は士気がだだ下がりだったでしょうから、追撃しようにもなかなか難しかったでしょうね。
実際のところ毛利側も余裕は無かったのだろうな
毛利元就の有名な言葉「毛利はこの上天下を望まず」毛利とはそう言う家 小早川隆景が毛利元就の考え方に忠実だっただけ
追撃はやらなくて正解だったけど、関ヶ原は打って出るべきだったかな。
本能寺の変では毛利一門相手に上手く立ち回ったけど豊臣秀吉の死後の関ヶ原合戦では毛利、吉川、小早川に裏切られたのも運命を感じます…
広家は一応輝元の意向が働いているので…
秀吉の与力の宇喜多は兵1万を動員出来たらしいので毛利も追撃すれば挟撃の危険が有った?したくても宇喜多が居るので出来なかったのかも?。
小早川隆景は過去に15000兵で宇喜多を攻めたものの宇喜多忠家率いる5000兵に本陣まで攻め込まれて大敗北となった「辛川崩れ」のトラウマがあっただろうね。因みに宇喜多は羽柴秀吉の陣立てにより備中高松城に参陣した兵が1万なので本気になれば領内からもっと動員できたはずです。
@@土佐まり 返信有り難う御座います。逸れは知りませんでした!新たなる情報有り難う御座いました。又何処かでお逢いしました時も良しなに御願い致します。
@@勝則高橋-q8m ついでに。宇喜多軍は直前の毛利との戦い(八浜合戦)で宇喜多春家と当時の宇喜多家のプリンス的存在だった宇喜多(与太郎)基家を失っており、秀吉軍と合流してから備中高松城攻めに至る一連の戦いは宇喜多勢にとっては「弔い合戦」の意味もあり士気も相当高かった。こういう相手を突破して追撃となると毛利勢もかなりの損害を覚悟せざるをえなかったはずです。
@@土佐まり 再度の情報有り難う御座いました。又何処かでお逢い致しましょう!🙇😄。
それができないからこの先余計な苦労を背負い込む羽目になる
追撃して勝てれば、それを材料に、水軍や土豪を取り込み返せる可能性があるし、運良く秀吉本人を撃てれば、宇喜多だってどう転ぶかわからない。ここは覚悟を決めて追撃する選択もあったのではないかと。追撃しない場合、毛利の行く末は織田家内のその後の状況に振り回される事になる。秀吉が勝ち残った場合にはこの件のよしみでいい条件で秀吉政権陣営に参加できる可能性もある。追撃する場合、毛利は主体的に活発に状況を動かしていかなければならなくなる。隆景自身の性格や、恵瓊などから得ている織田内の関係性、実際に追撃した場合の戦果のシミュレートなとから総合的に追撃しないと決断したのではないでしょうか。
まぁ追撃したとしたら、大山崎の合戦には秀吉は挑めなかったその後の時間経過で、織田方調略は意味をなくし毛利が息を吹き返し秀吉軍勢が崩壊する危険性すら発生する別に大規模な合戦をする必要性はなく、背後からプレッシャーをかけるだけでも十分だった気がする
追撃しても追いついて闘う必要はない。相手の嫌がる事をするのが定石でしょ。
遺言で領土拡張する気がないから、しないと思う。
その遺言があったのになんで東に勢力伸ばしていったんだろうね笑
調略に関しては毛利の諜報機関は当家と同じくらい、この時代屈指の高い能力があった。追撃も宇喜多の存在を差し引いてもやろうと思えば『可能』と私は考察します。が、講和を既に結んだ点や賢人隆景の先見性から『自重』した。結果的に正しい判断でしたね。
「あの殲滅好きの信長が途中で講和なんて何故?しかもそれほどきつくない条件で(宗治切腹と数ヶ国割譲)」と思ったかもですが、毛利も厳しかったのでしょう。
宇喜多が居るし、兵站的にもちょっと厳しいかも?(播磨の国人衆救えなかったのはこれらが要因ですし)隆景が反対したし、滅亡すらあり得たので悪い条件でもなかったからではないでしょうか?まさかあんなスピードで織田家筆頭に秀吉がなるとは思ってなかっただろうし
なるほど!!さすがは毛利の賢者ですな!!講和したかからってことにしたのは家のメンツの問題でもありような気もします「追撃も出来んぐらいヘロヘロだったの〜wダサい~」より「有利になれるところを捨ててまで約定を守った毛利さん、かっこいい〜」みたいな🤣この時代約束したからってのは通用しない気がします
吉川と小早川で意見対立してぐずぐずしてる間に畿内の情勢変化して史実より毛利がやばくなるかも?
講和を申し込まれた時、内心毛利はホッとしたのでは? 更に魔王信長討死を知ってもっと安堵したのかも?(武田の二の舞は避けられそう) 後は巧く立ち回りお家存続、勢力保全を図れば良し。
輝元が好きです。🎵
さおりさん、今回も、色白美人だよ!!小早川隆景が毛利元就の『領土保全に努め、天下を望むな!』という遺訓に従い、追撃を見送ったと認識していたが!!
こんばんは、さおりさん、お疲れ様です!このチャンネルの石高見える初めですね
播磨の別所も鳥取城も備中高松城も攻囲を解くための戦闘してない状況で国人衆とかの信頼も失ってただろうからなぁ。本能寺なかったら、各地で寝返りの連続で武田の二の舞になってたかもしれんしね。対峙してグズグズしてるのみても、戦闘して恨み買うより、負けでいいので講和したい。中央のことは手出ししないから好きにしてと考えてたんじゃないかと思う。
背を向ける秀吉の後を追う選択肢は勿論有りました。しかし後を追えば毛利対織田の全面戦争になります。織田の勢力は毛利側も知っていたでしょう。戦えば応仁の乱の様に長く泥沼の戦いになるのを小早川 隆景が恐れたのだと思います。
動員兵力が落ちてる上に山陰北九州への備えも必要で羽柴軍より兵数が劣る点、水攻めの後始末で東進に時間が掛かる点、羽柴と明智が争い織田家中が分裂してくれる事を願った点、等々が理由じゃないかね
隆景公の先見の明で素晴らしかった。追撃してても、してなくても最後の勝ち組は毛利だったでしょう
岡山に戻るまでが危険と分かっていたから、秀吉はダッシュで岡山まで帰ったんだろ。後は宇喜多が足止めぐらいしてくれる。
1日の進軍速度は柴田勝家の方が速かったとか、、、中国大返しは毛利にしろ、播磨諸侯にしろ、織田側にしろ、秀吉側の調略・根回しが凄すぎたと推察、、、
こんばんはです。
追撃が出来ればまた歴史が大きく変わりどうなったか見ものですが、失敗したら後で恐ろしい倍返しが、待ってたかも知れませんね。
案内人のさおりさん。好き(*´ω`*)
追撃?毛利が滅びます、秀吉、家康、柴田等次々と闘う力は毛利には無いですよ、
毛利にとって秀吉が明智光秀を討つ邪魔をしても意味がない。秀吉はすでに毛利の味方だが、明智が味方になるかはまだわからないからだ
まとめが残念!
宇喜多勢から少しの抵抗を受けた後、見事突破できたと思って猛スピードで羽柴勢を追うも備前の道中に伏せていた宇喜多の鉄砲隊から次々と強襲を受け退却。逆に宇喜多から追撃される羽目になる、がオチでは。
「殿、備前の百姓どもが沿道でわが軍を応援してくれておると聞きますぞ。
数か所に小屋を建てて水と握り飯まで用意してくれておるそうじゃ。」
「ほう、領民あげてたいそうな気のつかいようじゃの、さては宇喜多め、明智にはかなわないとみて早々に羽柴を見限りおったか。」
「と、殿、一大事でございます。百姓からもらった水を口にしたものが苦しんで次々と息絶えているとの知らせが…。」
秀吉は講和の後で高松城を囲んでいた堤を壊していったので、高松城周辺では大洪水が起こっており、毛利本隊も追撃しようにも大軍を回り道させねばならず、追撃しづらかったことは付け加えておきます。
秀吉に抜かりは無い 先ず高松城水攻めの為に築いた堤の一部を切って毛利の進路を泥沼化させているし岡山城に宇喜多勢を残している もし毛利軍が秀吉軍を追撃したとしても泥沼化の進路で足を取られ次に宇喜多軍の抵抗に遭う毛利が追撃してもしなくても山崎の合戦は予定通り行われ秀吉側の勝利だった事に変わりはないよ
清水宗治の切腹…高松城の開城…テンションは毛利側は下がっていたでしょうから追撃するだけのパワーはなかったでしょうね。
毛利軍は士気がだだ下がりだったでしょうから、追撃しようにもなかなか難しかったでしょうね。
実際のところ毛利側も余裕は無かったのだろうな
毛利元就の有名な言葉
「毛利はこの上天下を望まず」毛利とはそう言う家 小早川隆景が毛利元就の考え方に忠実だっただけ
追撃はやらなくて正解だったけど、関ヶ原は打って出るべきだったかな。
本能寺の変では毛利一門相手に上手く立ち回ったけど豊臣秀吉の死後の関ヶ原合戦では毛利、吉川、小早川に裏切られたのも運命を感じます…
広家は一応輝元の意向が働いているので…
秀吉の与力の宇喜多は兵1万を動員出来たらしいので毛利も追撃すれば挟撃の危険が有った?したくても宇喜多が居るので出来なかったのかも?。
小早川隆景は過去に15000兵で宇喜多を攻めたものの宇喜多忠家率いる5000兵に本陣まで攻め込まれて大敗北となった「辛川崩れ」のトラウマがあっただろうね。因みに宇喜多は羽柴秀吉の陣立てにより備中高松城に参陣した兵が1万なので本気になれば領内からもっと動員できたはずです。
@@土佐まり 返信有り難う御座います。逸れは知りませんでした!新たなる情報有り難う御座いました。又何処かでお逢いしました時も良しなに御願い致します。
@@勝則高橋-q8m ついでに。宇喜多軍は直前の毛利との戦い(八浜合戦)で宇喜多春家と当時の宇喜多家のプリンス的存在だった宇喜多(与太郎)基家を失っており、秀吉軍と合流してから備中高松城攻めに至る一連の戦いは宇喜多勢にとっては「弔い合戦」の意味もあり士気も相当高かった。こういう相手を突破して追撃となると毛利勢もかなりの損害を覚悟せざるをえなかったはずです。
@@土佐まり 再度の情報有り難う御座いました。又何処かでお逢い致しましょう!🙇😄。
それができないからこの先余計な苦労を背負い込む羽目になる
追撃して勝てれば、それを材料に、水軍や土豪を取り込み返せる可能性があるし、運良く秀吉本人を撃てれば、宇喜多だってどう転ぶかわからない。
ここは覚悟を決めて追撃する選択もあったのではないかと。
追撃しない場合、毛利の行く末は織田家内のその後の状況に振り回される事になる。秀吉が勝ち残った場合にはこの件のよしみでいい条件で秀吉政権陣営に参加できる可能性もある。
追撃する場合、毛利は主体的に活発に状況を動かしていかなければならなくなる。
隆景自身の性格や、恵瓊などから得ている織田内の関係性、実際に追撃した場合の戦果のシミュレートなと
から総合的に追撃しないと決断したのではないでしょうか。
まぁ追撃したとしたら、大山崎の合戦には秀吉は挑めなかった
その後の時間経過で、織田方調略は意味をなくし毛利が息を吹き返し
秀吉軍勢が崩壊する危険性すら発生する
別に大規模な合戦をする必要性はなく、背後からプレッシャーをかけるだけでも十分だった気がする
追撃しても追いついて闘う必要はない。相手の嫌がる事をするのが定石でしょ。
遺言で領土拡張する気がないから、しないと思う。
その遺言があったのになんで東に勢力伸ばしていったんだろうね笑
調略に関しては毛利の諜報機関は当家と同じくらい、この時代屈指の高い能力があった。追撃も宇喜多の存在を差し引いてもやろうと思えば『可能』と私は考察します。が、講和を既に結んだ点や賢人隆景の先見性から『自重』した。結果的に正しい判断でしたね。
「あの殲滅好きの信長が途中で講和なんて何故?しかもそれほどきつくない条件で(宗治切腹と数ヶ国割譲)」と思ったかもですが、毛利も厳しかったのでしょう。
宇喜多が居るし、兵站的にもちょっと厳しいかも?(播磨の国人衆救えなかったのはこれらが要因ですし)
隆景が反対したし、滅亡すらあり得たので悪い条件でもなかったからではないでしょうか?
まさかあんなスピードで織田家筆頭に秀吉がなるとは思ってなかっただろうし
なるほど!!さすがは毛利の賢者ですな!!
講和したかからってことにしたのは家のメンツの問題でもありような気もします「追撃も出来んぐらいヘロヘロだったの〜wダサい~」より「有利になれるところを捨ててまで約定を守った毛利さん、かっこいい〜」みたいな🤣
この時代約束したからってのは通用しない気がします
吉川と小早川で意見対立してぐずぐずしてる間に畿内の情勢変化して
史実より毛利がやばくなるかも?
講和を申し込まれた時、内心毛利はホッとしたのでは?
更に魔王信長討死を知ってもっと安堵したのかも?(武田の二の舞は避けられそう)
後は巧く立ち回りお家存続、勢力保全を図れば良し。
輝元が好きです。🎵
さおりさん、今回も、色白美人だよ!!小早川隆景が毛利元就の『領土保全に努め、天下を望むな!』という遺訓に従い、追撃を見送ったと認識していたが!!
こんばんは、さおりさん、お疲れ様です!このチャンネルの石高見える初めですね
播磨の別所も鳥取城も備中高松城も攻囲を解くための戦闘してない状況で国人衆とかの信頼も失ってただろうからなぁ。本能寺なかったら、各地で寝返りの連続で武田の二の舞になってたかもしれんしね。対峙してグズグズしてるのみても、戦闘して恨み買うより、負けでいいので講和したい。中央のことは手出ししないから好きにしてと考えてたんじゃないかと思う。
背を向ける秀吉の後を追う選択肢は勿論有りました。しかし後を追えば毛利対織田の全面戦争になります。織田の勢力は毛利側も知っていたでしょう。戦えば応仁の乱の様に長く泥沼の戦いになるのを小早川 隆景が恐れたのだと思います。
動員兵力が落ちてる上に山陰北九州への備えも必要で羽柴軍より兵数が劣る点、水攻めの後始末で東進に時間が掛かる点、羽柴と明智が争い織田家中が分裂してくれる事を願った点、等々が理由じゃないかね
隆景公の先見の明で素晴らしかった。追撃してても、してなくても最後の勝ち組は毛利だったでしょう
岡山に戻るまでが危険と分かっていたから、秀吉はダッシュで岡山まで帰ったんだろ。後は宇喜多が足止めぐらいしてくれる。
1日の進軍速度は柴田勝家の方が速かったとか、、、中国大返しは毛利にしろ、播磨諸侯にしろ、織田側にしろ、秀吉側の調略・根回しが凄すぎたと推察、、、
こんばんはです。
追撃が出来ればまた歴史が大きく変わり
どうなったか見ものですが、
失敗したら後で恐ろしい倍返しが、
待ってたかも知れませんね。
案内人のさおりさん。好き(*´ω`*)
追撃?毛利が滅びます、秀吉、家康、柴田等次々と闘う力は毛利には無いですよ、
毛利にとって秀吉が明智光秀を討つ邪魔をしても意味がない。秀吉はすでに毛利の味方だが、明智が味方になるかはまだわからないからだ
まとめが残念!