事故車両の修理はどこまでできるのか?【テセウスの船】

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Комментарии • 6

  • @松岡健一郎
    @松岡健一郎 Год назад +1

    初めまして。
    どこまでが修理なのか考える中で、
    テレビでやってたリフォームの番組のことを思い出しました。
    「柱だけ残して、後は壊して作って、もうこれはリフォームじゃないやろー」
    と僕は思っていました。
    確かに僕からみたらそう見えるかもしれませんが、
    その家の持ち主の方には、全く違って見えたのかもしれないと思いました。
    それが修理なのかどうかを決めるのは、オーナーさんが修理だ!といえば、
    きっとそれは修理なんだと思います。
    バイクを道具としてだけでなく、
    自分の分身のように大切にする人にだけ起こる不思議な現象なのかもしれませんね。
    とても素敵なお話で感激しました😊

  • @t-rex3641
    @t-rex3641 Год назад +3

    全てのパーツが入れ替わってしまったのなら、それはもうオリジナルではないのかもしれない。
    でもね、この子を直してやりたいと思う気持ちがあればオリジナルの魂は新しいボディに宿るのではないかとオーナーさんは信じているんだと思う。
    私はこの考え方が好き。

  • @succeed908
    @succeed908 Год назад +1

    これは難しい話ですよねぇ。
    事故ではないですし車に限った自分の考えですが、免許取った時に初めて乗った車がAE86でした。
    自分が乗りたくて乗ってた車ではないのですが(某漫画みたい)、オイル上がりが激しくて修理する事になったのですが、周りにはAE92後期エンジンに載せ替えたら?って意見が多くて、それの方が速くなるしえぇやん!って思いかけたんですが、やはりフレーム(ボディ)とエンジンは一心同体であろうとの思いが強くて、O/Hすることにしました。
    圧縮上げたりしてノーマルよりは速くなったのですが、僕的には速いとか遅いとかよりオリジナルがよかったんですよねぇ。
    でもこれがカスタムになるとパイセンさんのように全てがオリジナルでなくても気にならないんですよね(笑)
    今年から所有したカブに限っては、自分が所有してからはいつまでもキレイなままで乗りたいと思って、気に入らん外装は全て新品にしました!
    これから付ける傷や汚れは自分と付き合ってくれた証拠やと思って愛でていきます!
    長々コメントすいません。
    でもこの議題?は難しいです(笑)

  • @uzride
    @uzride Год назад +1

    こんにちは。面白いお話しでした。
    僕は連続性がキーだと思います。
    人間も細胞レベルでは新陳代謝により入れ替わりが行われているし、臓器移植を行っても全体としての個人の連続性は保たれています。
    バイクも部品交換や移植をしても、その個体としての連続性は変わらない。つまり同じもの。
    オリジナル部品で新たに再構築をしたものと置き換えたなら、連続性はなくなり、それはクローンでありコピーであると思います。
    連続性を判断するのは本人でありバイクのオーナーです。

  • @kawakami2477
    @kawakami2477 Год назад +2

    どこまでが修理って、難しい事を、、、。修理は無理ですよって言った人の気持ちは、修理代でもう一台買えますよって意味だと思うし、絶対直すって言った人の気持ちはミラーひとつでも引き継げば思い入れのある前のバイクの復活では無いでしょうか?そんな絶対白黒つけないと気持ち悪いって話じゃなくて、どっちの人の言うこともわかるでいいんじゃないでしょうか?特に二輪車四輪車の売買に係わった事のある人たちは冷静に費用対効果で発言するし、なんか普通の意見で、お役にたてずすいませんwあとテセウスの船は知らないんで、どっちがオリジナル?って事なら残存パーツで組み立てられたほうだと思います。もう一台(一艘?)はレプリカですね。

    • @pieseng
      @pieseng  Год назад +2

      コメントありがとうございます♪
      物理的や合理性で考えると新車を買った方が安いですし、まあ自分もあれだけ語っておいてそう思いますww
      逆に人の思いで考えるとボルト一本でもとなるとなるのかも知れないし...
      難しいですよね
      テセウスの船のご意見もありがとうございます!