🔴【感動秘話】衝撃!!ww「それを聞いた海自一同すっ転ぶ勢いで敬礼した」おじいさんの前職に自衛隊員がビックリ!衝撃の事実が・・・!ww【海外の反応Lab】
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- Опубликовано: 3 окт 2024
- 【感動秘話】衝撃!!ww「それを聞いた海自一同すっ転ぶ勢いで敬礼した」おじいさんの前職に自衛隊員がビックリ!衝撃の事実が・・・!ww【海外の反応Lab】
皆さんは、日本が好きですか?
皆さんは、日本の良さを知っていますか?
これを自問自答した時、
「あー、自分って日本は好きだけど、あまり深く考えた事なかったな・・・」
日頃、TV・ニュースで取り上げられてない日本の素晴らしさをもっと知って頂きたい!
日本の良さを知ることで、日本人としての自信を取り戻して頂きたい!
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★記事引用 自衛隊で奏でた交響曲.com/
★画像引用 自衛隊で奏でた交響曲.com/
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私の母の叔父も戦艦大和乗組員でした、国に命を捧げた全ての英霊に対して敬礼を自衛官の方々はされてるのだと思います、私も同じ思いです。
大和に乗っていた方とお会いした事があります。
訪問看護で10何年前の仕事で明治時代生まれのご夫婦宅に伺っていて、明治生まれにしては背の高い方で昔は視力も2.0あったとかで大和の見張り台に立っていたとか何とかおっしゃられていました。とても気骨のある尊敬出来る方でした。
仕事柄、ロシアで捕虜として抑留されていた方とか、ジャングルでは何でも食べた方とか
色々な兵士としての戦争体験をお聴きする機会がありました。
そんな事があっての今の日本なのですね、
当時の日本や家族の為に命懸けで戦って下さった方々に感謝いたします。
その敬礼は、艦と運命を共にした2,740名の乗組員にも向けられているんだよね。
海自の方が海軍の先輩に敬礼するその姿に、日本人として涙モノの胸熱です。
マトを得ていないかも知れないけど、日本人にはまだまだ熱き魂を持った防人がいる。
そう考えただけで、嬉しさで泣けてくる。
これは、敬礼しざる得ないな。
だって、日本を守った英雄の一人だし。
世代が離れようと先代の労をねぎらう精神と行動力を持つ自衛官て誇らしいですよね✨
同志の息子が海自さんに決まった時、じいちゃん(よぼよぼ)に報告したらキリッとし「この國を頼む❗️」と敬礼・握手。
とても力強かったとの事。
海自衛隊にとっては 大和と聞いただけで 敬礼は 当然だと思います 憧れと 誇り❗大和に乗って戦った 最敬礼での 挨拶 わかります
陸自でも、敬礼しますよ。
私の祖父も大和の乗組員でした。武蔵、赤城の沈没時にも生き残り、最後に大和で沈められ、赤十字船に助けられたと、生前話していました。たくさんの戦友が亡くなったため、多くは語りませんでしたが。
日本人であれば敬礼だと思いますm(_ _)m
いくらなんでも脚色加えすぎでしょ
海上自衛官が「大和」って聞いただけで最敬礼はしないな
大和というと今の時代の人には歴史上の戦艦でもはや伝説級。
大和の元乗組員とあれば今風にいえばレジェンド。
国の為に命がけで戦ってくださった方々に感謝
そして今、命がけで日本を守ってくれている自衛隊に感謝。
自衛隊の方々が、かつての大戦を経験された大先輩に敬礼されるということは、国に命をかけられていたことに対してある意味共通した尊敬の気持ちがあるからだと感じました。
国民としてそんな気持ちで任務に当たられている自衛隊の皆さんの姿勢に感謝と同時に深い感慨を覚えました。
自衛隊は、国民が差さえなければなりませんね❗️9条改憲❗️このままでは英霊まで憲法違反にされてしまう❗️
この話を視聴する度に鳥肌が立つのと同時に胸の辺りが熱くなって、何故か涙が溢れてきます。
七十二歳の爺ですが、久しぶりに感動しました、ありがとうございました。
何度聞いても、真実の、いいお話だ。日本人なら何度でも聞きたい。
私の父親も海兵出身で大和と共に沈みましたが奇跡の生還しておりました。数年前に江田島に最後のあいさつしたいとの願いをきき、一緒に見学に行きました。案内の生徒に大和の元乗り組み員と告げると帰り道、教官らしき方がわざわざあいさつに出向いてくださりました。まさに海上自衛隊は海軍が作ったと言われるだけのことはありますね。
このお話凄く有名ですね。
海自の諸君のすっころぶ勢いの敬礼も素晴らしいですが、
新郎の祖父君の見事な答礼に涙です。
祖父から父へ、そして孫へと大和魂は生き続ける。
諸先輩の皆さん、若き男の子等に感謝申し上げる。
有難う。
大和に護衛機が付けられなかったのに日本のため頑張って頂いたのだからね。不甲斐ないなんて滅相もない
「それを聞いた海自一同すっ転ぶ勢いで敬礼した」これぞ、まさしく日本人が日本人であるための精神。
日本人に生まれ、日本🗾に住み良かった。
かっこいい。これぞ大和魂!おじいさん、海自の方、ありがとう。
素晴らしい、お話を有難う御座いました。
私も海軍には縁があります。
私が生まれ育ったのは当時、大日本帝国海軍の要港を眼下に見下ろす横須賀です。
大和、武蔵は日本が誇る戦艦でした。
当時の皆さんが死力を尽くされたお陰で今の私達が居るのです。
コメントを読んで賛同
何故、靖国神社へお参りしては行けないのかな
高石早苗議員の仰ることは正しいと思います
海自の皆さん培われた海軍魂を失っておりませんね。
これで日本も安泰と思いました。
素晴らしい出来事を有難う御座いました。
大和は日本人にとっての誇りであり魂に等しい存在ですよね。
日本の誇りをもって戦われた方々に、陸海空自衛隊の方々には心より感謝申し上げます。このお話を身が引き締まる思いで涙が出てしまいました。ありがとうございます。
涙ですね。 涙、涙
言葉は、入らないですね。 感謝です。
各自衛隊の中でも、海上自衛隊は帝国海軍の直系に当たる部門ですからね。
海上自衛隊の音楽隊が「軍艦行進曲(軍艦マーチ)」「宇宙戦艦戦艦ヤマト」
を必ず演奏するのはここに理由がある為です。
しかも、お爺様はあの戦艦大和からの生還者。
いわば生き字引とも言える方です。
敬礼をするのも無理も無いことでしょう。(聞いた瞬間ビビったでしょうね。)
でもね、自衛隊は日本の誇りです。
世界で一番人を助けた数が多い軍隊です。
こんな素晴らしい軍隊、世界中どこを探しても、どこにもありませんよ。
それが、日本国自衛隊なのです。
これからも日本のために頑張ってください。
今の海上自衛隊幹部候補生学校も旧海軍兵学校の庁舎をそのまま現在も使っています(確か去年築120年だったはず)し、カレーも旧海軍からの伝統を継承していますし、まさに現代海軍ですよね。
海上自衛隊の護衛艦
幹部の部屋には今でも「士官室」と書かれてるとか
在米日本人ですが、未だ国連が高潔だった頃、2年間国連のガイドを務めました。その時海上自衛隊の方々をご案内した時のお話です。前日彼等の上官の方がお付きの方とお二人でお見えになり、翌日海自の方々をご案内した時の事です。私が「昨日は「上官の方のお名前」をご案内させていただきました、とお伝えし、ガイドをしている最中に、又上官の方のお名前を口にした時、一人の方が、「貴女は簡単に「上官の方の名前」を言いますが、僕らにとっては神様の様な存在なのです」と言われ、私は「知らなかったとは言え、申し訳ございませんでした」とお詫びしたのを思い出します。
日本人に生まれて本当に良かった😊
今後も生かされた人生を大切にして生きていきます🥺
戦地へ向かった方々へ感謝をしなきゃね。
トラウトマン大佐 その通りです。戦犯だとか、人殺しだとか決めつけるのはおかしい。何が正しいのか、悪かったのか、それを考え子供に見せるべき。お金で解決出来ることじゃないと思いました。
そう遠くない未来に、海自幹部の方々を「海軍士官」と呼びたい。
私の亡くなった父も海軍でした。大和にも乗っていったこともあり、最後は妙高に乗ってレイテ島での激戦から生きて帰ってきた人でした。
私が小学校の時、よく海軍時代の話を聞かされました。
戦地の地獄絵図のような光景も聞きましたが、赤道越えるときの南十字星の綺麗だったこと、夜は甲板の上で寝てる時エンジンのグゥオーンと響く音が子守唄のようだった。
とか子供ながらに映像が浮かんでくるようでした。
父のことを思い出し、コメントしたくなりました。
吉田量行 様 お父様ご苦労様でした。
オレの祖父は陸軍のお偉いさんだったそうです
生かすために先に帰した部下の乗る船が撃沈されたことが一番の悔いだと聞いています><
オレは撃沈した者たちを恨みません、撃沈させた戦争そのものを恨んでいます、「戦争根絶」それがオレの願いです
@@みぞれ雪月花
罪を憎んで人を憎まず。
この精神はとても尊いものです。
私の祖父も海軍の軍人でしたが、足を負傷して丘に上がり乗っていた艦は二隻とも沈められましたが、何一つ米兵の文句は聞いた事がありません。もう、この世には居りませんが、そこはかとなく感じる偉大さは未だ忘れられません。
@@宮野善治郎-h6z 非戦闘時に沈没した敵乗組員を救助した帝国海軍の話もありますし、戦争が起きないことが一番とはいえ、万が一戦争になった時、先人に恥じない日本人で在りたいものですね
@@みぞれ雪月花
先祖が生き抜いてくれた上での我々の命。高潔な意思を引き継いでブレずに前向いて生きましょうや。😉
「すっ転ぶ勢いで敬礼」今ここに自分たちが存在するのも貴方のおかげという意識だったのだろうな。想像に難くない。
先の大東亜戦争において…命をかけてこの國を護って頂いた先人の方々に敬意を
そして現代…平和な日々を過ごさせておりますが…
先人の方々が残そうとしていただいた國家…
日本人としての精神を失った現代に生きる日本人…本当に申し訳ありません!
私の祖父は海軍大佐、父は海兵の75期です。また大叔父はゼロ戦に搭乗し、他の親戚も
陸軍の上層部にいたようです。そのせいか私にとって戦争は意外と身近な出来事です。
いくつになっても海兵だったことは父の誇りであり、私も同じ気持ちです。
戦争の只中にいた人達ですが、みんな常に世の中の平和を祈っていました。
いつか私も江田島に行ってみたいと思います。
感動しました。
戦後72年経っても大和は海自の方にとっては特別なのでしょうね。
でもそろそろ海上自衛隊に「大和」の艦名が
つけられたイージス艦を見てみたい今日この頃です。
今から10年以上前に呉の大和ミュージアムに行ったことがある。 ここの大和の模型は実に巨大で素晴らしい。
見ていると、そこに90歳は超えていると思われるお爺さんが海軍の制服のようなものを来て、両側を支えられ、大和の巨大な模型の前に座られ記念写真を撮られていた。死ぬ前に最後の力を振り絞って呉に来られたのだと思った。あまりに感動的な場面だったので今も思い出す。
しかし大和・武蔵の両艦船はそれまでの戦艦とは別なオーラを放っている。本当に美しい。そして武士のようなたたずまいを感じる。日本の礎となられた先人にただただ感謝!!
私も大和ミュージアムに行きました
正面の1/10の大和がありますが
「1/10でも大和でけー‼️」でした
海軍のこんな話しを聴くと感動します。陸軍も勿論大変な苦労があつたんです。兎に角普通の人が召集されて軍人として我が身を挺して日本国を我々子孫に引き続いでくれたのです。又私達も先代同様、日本国を守る義務を感じます。靖国神社は魂の宿る所して日本人は外国の干渉は排除して参るべきだと思います。
私の亡き父は、空母 「隼鷹」 (じゅんよう) の機関砲員として、マリアナ沖海戦などに出動したようです。
時に、戦艦 大和と帯同し台湾へ寄港しましま。
言葉では 言い表せない日本人としての 魂 の繋がりを感じます。
先大戦では、自国を思い、国民、家族の安泰、を願いながら散って逝かれた多くの方々に、
「敬礼」
素晴らしい‼️涙が出ました。先輩たる大和乗組員、沖縄特攻に片道の燃料で国のために死を覚悟で出撃した、その先輩に対し敬意の敬礼、感動、感動、感動です。やはり、自国は自国で守らなければならないと実感しました。
なんと素晴らしい伝統、というか、海軍魂が、脈々と続いている、自衛隊の皆様素敵です‼️
本当に偶然なのですが、この話の新郎の友達でこの披露宴に参列していた方とお話をした事があります。
正にこの話の通り急に直立不動で敬礼されていたそうです。
先達への畏敬の念を起こさせる光景だったそうです。
とにかく、海自に限らず、今の自衛隊がこうあってくれているのは、ひとえに旧軍の正しい訓練を受けてこられた方々が指導されたからこそでしょう。そしてそれを正しく受け止めてくれた、自衛官の方々の感性のたまものです。
大和、なんか日本の魂を感じます!
海上自衛隊の隊員が敬礼するのも自然な流れだと思います。
日本を守る為に戦った帝国海軍の士官が海上自衛隊の創設に関わってるので尊敬していると思います、反自衛隊の奴らと違って
僕個人の認識です
立花一成 の
日本を守る最強の盾、史上の矛、そして我が日本人が、尊敬し守る最強の戦士に栄えあれ、
日本が日本であるために、
ありがとうございます。
たまちゃん はゎ
やっばり自衛隊頼もしいね
この話、何度聞いて(見て)も涙が出ます。
私の祖父は私の父が生まれる前に空母赤城と共に沈みました。
父を宿していた祖母に「次は帰ってこれるか判らない。すまない。生まれてくる子を頼む。」と残し、帰らぬ人となりました。
現職自衛官がかつて命懸けで日本と国民の為に戦った先輩や英霊達に今でも敬意を抱いてくれている事が嬉しいです。
だから私も戦没者の孫として自衛官の方々には感謝と最大限の敬意しかありません。
おじいさん、見事な答礼、筋金入りだね。
自衛隊は日本の守りのかなめ。 国を守る諸兄の前に命を懸けて国を守った大先輩が現れたんだ。 総員で敬礼を持って敬意を表すのは自然だよ。 また、そういう自衛隊だからこそ我々は誇りに思うんだ。
介護福祉士です
施設で働いているのですが認知症の利用者がいて感情的になれば手が出ることもあり、普段の会話もままならない方ですが
大戦時の話をされるとしっかりとした面持ちで話されていました。
戦艦長門に乗船されてたとか
記憶を蝕む病気になっても日本の為に戦った誇りは忘れないんだなって感じました。
行事の余興で軍歌を歌ってあげると喜んで一緒に歌ってくれたのが印象です。
愛国行進曲は素晴らしいと思います
そうですか…未だに。
海軍で身に付いた事全てが青春だった方々の貴重なお話はしっかりと聞いて覚えておいて下さい。
もう聞けないかもしれない海軍の生の声を。🙏
「自分たちのふがいなさのおかげで今の海上勤務者が・・」という言い回しが、この話が真実という事の証拠のように思えます
本当に自衛隊の方々には、何か事が起きると直ぐに現場に
出動して対応して頂き、心強く感謝に🥲絶えません海外派遣も
手弁当で頭が下がります、お体に気を付けてくださいね
安心して国内にいます私からは、本当に有難う御座います
しかいえません
僕の祖父の友人だった人は、大和に乗る予定だったそうです。でも、何かの都合で間に合わず乗れなかったらしく、、、その後に終戦。
その人は祖父に「私も彼等と一緒に死ぬべきだった」と、よく言ってました。「死ぬべきだった」という一言に
色んな意味を感じます。
あっぱれ、見事な披露宴、双方に敬礼、そして英霊に゙敬礼
軍艦マーチをはじめ懐かしの名曲の数々を久し振りに聴きました。大感激でした。
子どもの頃演奏会などでリクエストがありますか?と言われるたびに「軍艦マーチ」を
お願いしていたのですがこの願いは一度として「OK」にはなりませんでした。多分、軍歌のレクエスト
には応じないように指導されていたのではないでしょうか?今回は軍歌をこころゆくまで
聞かせていただきました。.ありがとうございました。
涙、泪 、なみだで 読み取れ無いところが 多々でした。この方のような 犠牲 忍耐 努力 その他の
上に 今の私たちの 平和ボケの人生があるのですね。 私は 女性、正式な サリュート!の仕方も
判りませんが 全身全霊を持って 心からなる"サリュート"!!
真面目なお話だから、100%聞きます🎵
ヤマト・・・・この名は日本人の誇りを象徴しているし、
また帝国海軍の最後を象徴する悲劇の代名詞でもある。
ヤマトの名は今後も多くの日本人の心の奥に残ってゆくことだろう。
自分は元陸上自衛隊員ですがやはり感動しました
国守ご苦労様です。昔、海自のメル友が居ました。潜水艦に乗っていると言ってました。ある日突然音信不通
ある日突然ただいまメール
いつ居なくなるかも秘密
「頑張れ海中自衛隊!」とメールしたら「上手い!」っと返信
国守の大変さは並じゃ無い
Skywalker蛍 第二次大戦後、アメリカでの話、「陸軍」から航空隊を分離して「空軍」として独立させる、と言う論議を聞いたある提督がならば「海軍」から潜水艦部隊を独立させなければならないのか、と呟いたと言う。
この話を読む度に未だに背中に電気が走る様な感覚を持ちます。以前海自に居た時は江田島の第一術科学校には二度ほどお世話に成りましたので 大和の話はいつ読んでも良いですね。
ウチの祖父は体がよわくて軍人にはなれなかった人ですが、私が子供の頃、宇宙戦艦ヤマトがテレビで始まると、テレビの前で正座して宇宙戦艦ヤマトを一緒に見ました。
当然、祖父の横に正座させられて(笑)
大和は最後の戦いで沖縄に向かっている途中で終わった。
乗員たちは片道キップになる可能性が高いことは理解してたし。日本や沖縄のために、と無念の最後だったと思う。
沖縄の人たちは日本に捨てられたとか信じている人がいるが、これは米国やWGIPによる教育やプロパガンダ。目を覚まして欲しい。
よく、沖縄は捨て石にされたという連中がいるが、大和は、沖縄の海岸に座礁して砲台として沖縄を守るために出撃した。あまり知られてないが、実は、大和には沖縄県民の生活必需品、医薬品、女性の生理用品までがぎっしり詰まれていた。軍のみならず、県民への補給物資が満載だった。物資のないあの時代、日本中からかき集めたらしい。日本軍は、最後の最後まで沖縄県民を、その生活までも守ろうという意志があった。捨て石にする沖縄に帝国海軍最後の切り札を、そして特攻機の多くは沖縄戦で散っていった。そんな馬鹿なことをするはずがない。大和も特攻機も本土決戦のために残していたはずだ。まぎれもなく、沖縄も本土だった。 今の沖縄の状況が悲しい。犠牲になった沖縄島民の意志を汚してるように思える。
@@団塊外れ 今初めて知りました。貴重な情報有り難うございました。
@@団塊外れ 中央はともかく、前線の士官や将兵はそのつもりだったに違いないと信じています。ありがとうございました。
@@団塊外れ 最近自衛隊の訓練とか、面白半分で見始めたら段々
引き込まれちゃって、自分の知らない日本人の良さを学ぶのは
大切ですね。
平民だけど、この敬礼する気持分かるw
平民って言葉の意味わかって使ってらっしゃる?
2000年代の世、んなもんは通念化しているイメージで良いんだよ。テストでもあるまいに。
形骸化してねぇよ莫迦 てか知らねぇ言葉使うから恥かくんだ
あなた方のお陰で、今の日本が有り我々は日本人として生きていれます。ありがとうございます。そして、お疲れ様でした。
本当にこの方は、運良く還って来れたから、お孫さんも出来、その晴れの日に立ち会うことが出来たのだと思います。おじいさまは他の大勢の還って来れなかった戦友達の分まで祝って上げたかったのでしょう。世界中にこの不幸な戦争で、家族を失った方が沢山いるのです。
海上自衛隊はいまだに旧軍の、流れが色濃く残ってるからねぇ、うちら陸自もそれなりにあるけど海自はよくも悪くも残ってるね。
素晴らしい感動の話だけど、旧帝国海軍で最前線の戦闘を戦った将兵の方々にもし会ったら、全ての人に感動と尊敬の念をいだきます。
途中の絵の敬礼が、ちゃんとした海軍(海自)の敬礼なとこがじわる。
始めて見て、感動しました。
私の父は既に会他界していますが、海軍時代は長門と言う戦艦に乗船していたや、江田島の話をしてくれたことを思い出しました。
父の終戦の地は、三重県の尾鷲の基地だったと聞いています。
生前自宅に戦友が来ると、指先で手旗信号をしたり、モールスで何かの合図をしていました。
戦友との絆は凄く、日本国中戦友が亡くなると、役所を休んでまで葬式に行っていました。
その父も、私が26歳の時に殉職して、亡くなりました。
戦争の話はあまりしませんでしたが、軍隊手帳や戦友との思い出の写真は、数枚ありました。
父が亡くなってから、戦艦長門という船の写真を見ましたが、可也大きい船でした。
大和については、見たとは言っていましたが、乗船お話はしていませんでした。
そう言えば、軍艦が動く時は、「ピーピーピー」とか、笛が鳴ると言ってました。
海兵何期なのかは聞いたのでしょうが、忘れました。
父の葬式には、多くの知らない人が来てくれました。そして、やはり敬礼をしてもらいました。
今、父が生きていてば、大正生まれだったので、100歳近いと思います。
階級は、中尉だったと聞いたことが有ります。
以上が、私の父の思い出です。
いつ読んでも泣ける話だ
大和と聞いたら誰でもそうなりますよ。
こんにちは、戦艦大和は戦争を良く知らない世代でも知っている戦艦です。まさに日本を象徴する艦だと思います。その最期も大変悲劇的でしたがその最後の艦長の有賀大佐は私の 故郷の長野県出身者で有ることを誇りに思っています。残念ながら世界では今も紛争が絶えません、艦と共に海に沈んだ乗組員の方々は現代をどのように見ているのでしょうか。
こんばんは。祖父の私達世代が不甲斐なかったせいで~を読み、祖父へ、そんなこと無いですよ。貴方達、英霊の皆様が必死に戦って頂いたお陰で、現在の独立国日本がある事を痛感しています。誠に有り難う御座いました。感謝致します。と伝えたいです。祖父、英霊の皆様に、敬礼。
海上自衛隊に限らず、アメリカでも海軍は「常に忠誠を」を合言葉とし、また不名誉除隊でもない限り、辞めても退官しても海兵隊員の誇りを持っているそうです。
こういった結びつきは、陸軍や空軍には感じられません。
何が海の人達の絆を強くするのだろう。
自分の親族の近所に住んでいたお方の先祖様のお二人が大和に乗っておられた方でした。 一人は機関で勤務もう一人は分かりません。
ただ高校一年生の頃に家族で広島 呉に旅行しに行き大和ミュージアムに行きました、中に大和で亡くなられた方の名前が各都道府県で分けられており
奈良県にお二人の名前がありました。
直接の関わりはないもののこんか近くに大和の乗組員が居たことを誇りに思い、 奈良の旧名である大和は誇りです。
今の奈良県は唯一陸自の駐屯地がなく平和ボケした左団体等が多いのが英霊の方に申し訳ないです。
大和の出撃は神風特攻隊と同じこと。死地に向かえということだ。現役ならその恐ろしさをすぐに認識できる。その気骨に敬礼したのだろう。
大和の元乗組員ってだけで、最後の沖縄特攻時の乗組員とは言ってないよ。
大和の乗組員ってだけで十分尊敬に値するって話。
@@まさまさ-e9t 大和は日本海軍の象徴だから常に米国からターゲットにされていた。 それだけに海軍の精鋭が選ばれた。すべてに優れていなければなれなかった。ということ。
@@まさまさ-e9t
海自の方々は、大和の歩んだ歴史や壮絶な最期を知っているが故の最敬礼で応えたのではなかろうかと思われます。
海自は、旧海軍の伝統をこうも大切に引き継いでいる組織だけに、どう考えても我々一般人の様な薄っぺらい歴史の教科書ぐらいにしか教えてない筈はないとも思いますね。
@@koikechan11 最初のコメントにそう書けばいいのに。
素晴らしいお話有難う。小生は防衛大学第1期の応募者で残念ながら合格しませんでした。
実はその分息子が海上自衛官になり、今年2月に定年退職、海上2佐でした。今でも誇りに思っています。
戦後、護衛艦「雷」に英国のフォール卿が乗った時に海自の方が敬礼した際、
それは見事な答礼(後頭部が後ろに飛ぶくらいの勢いで背筋伸ばされていた)をしていたことを思い出す。
それがネイビーシップなんだろうと思う。
戦争に負けても帝国海軍の魂が途絶える事は無い。
呉のヤマトミュージアムに行ったことがあります。大和は最後、おとりとして作戦を決行。沈没していったと。
何千もの命が散っていったということです。自分たちの先祖を誇りに思います。
帝国海軍魂は海上自衛隊(実質海軍)に確実に引き継がれてますね
、
この当時の方達は、生きて帰ってきたことをすごく恥と感じていらっしゃる。不甲斐ないという言葉によく現れている。お孫さんの結婚式に出れたのに。それ程当時は戦争というものに真剣に向かい合っていたんだな。
このおじいさんに物申す。不甲斐ない?違いますぞ❗皆さまは徐々に劣勢となっても最期まで勇戦されたではありませんか?敗けはしたが日本海軍ここにありと世界に示された。だからこそ海上自衛隊もその名誉を汚さぬように日夜努力しその力を磨いているのですぞ‼
だからこそ海自に新しい誇りのために『大和』を建造してほしい
不甲斐ない❗と言われたのは、きっと、自分が生き残ったからからなのでは?
同じ思いをする人がいた事に、とても嬉しくて思わず涙しました。貴方様のお言葉に私も同感です!!
確かに敗戦こそしましたがこちらのおじいちゃんが不甲斐ないとは思えません、精一杯大日本帝国及びアジアを欧米の横暴から救うために戦い抜いた方を責めるなんてことはとても出来ません、英霊のご冥福を改めてお祈りします
Take unicorn 的 ,。
私が教わった先生は大和に乗っていたそうです。当時の私は大和と言われても連絡船のちょっと大型くらいにしか思っていませんでした。ど田舎ゆえ大きな船を見る機会は有りませんでした。成長して初めて偉大さが理解できました。
だから、自衛隊は格好いいんだよ~。定刻海軍の流れなんだもん、侍の流れなんだよ~。
大和って九州にも聞こえるくらいの大爆発起こして沈んだんだよな・・
猛烈な空襲を何度も喰らって最後は大爆発。
良くぞ生き残られた。大変な苦労をされたのでしょうね
+Yujiro Susumago 凄まじい戦いだったんでしょうね、、、現代人には、想像を絶する状況下をくぐり抜けてこられたんですね。先人の思いを無駄にしたくないですね。
Yujiro Susumago い
あれ?大爆発が起こる前に、乗員の殆どが救命ボートで退艦したはずなのでは?
で、逃げる際に連合軍に攻撃されていましたよね(非人道的行為のアメリカ)。
あと、いくら「元大和の乗員」の方でも、ここまで海上自衛官慌てて駆け寄り敬礼って言う事は先ずあり得ないですね。
作り話もいい加減にして欲しいですね。
基地祭や、一般公開時に必ず来る「元大和の乗員(昔はああだったこうだった、今の若い連中は羨ましいとか、不甲斐ないとか色々と難癖付けて来ます。)」の方には、皆辟易してますが。
過去は過去、今は今なので過去を今の自衛官に押し付けないで欲しいですね。確かに、過去が有るから今なのかも知れませんが、それはそれですよ。それよりも、人員削減や経費削減(今までは、私物で賄っていた服装等の装備が、これからは購入出来ない様に仕向け始めたので、益々現場の自衛官は苦労します。)、働き方改革を自衛隊や他の公務員に押し付けるので、マトモな仕事や訓練、修理等が出来ず、現場はかなり困っていますよ。
この山本って輩、どういう理由で否定や嘘八百を書く気持ちになったのだろうね? 単なるヤッカミ? 自信1000%あるなら、何か返答しろよ、山本。
@@chimieha
ほとんどの乗組員は戦艦特攻を知らされていなかったのでは?
我先にと逃げた乗組員も多数いたとの事ですが...
海軍の白い軍服は断然カッコいいですねえ。どんなしょぼくれた男でも立派に見えます!
海上自衛隊員のみならず日本国民全員がこうであってほしいけどね
この直立不動の敬礼は決して大和乗組員だからではない、日本のためにあの大戦を戦い生き延びた先輩に対しての敬意や尊敬いろんな気持ちを込めて敬礼している。
アジアを中心とした発展のためもあった大東亜共栄圏、日本への石油輸出禁止などをしたABCD包囲陣その中で戦った方々に感謝
「かくまでも 醜き国になりたれば ささげし人の ただに惜しまる」
石原慎太郎氏が国会で紹介した90歳超のある戦争未亡人の歌です。
英霊が今の日本を眺めたら、きっと泣き崩れるでしょう。
英霊に合わす顔などない。
@@あまごあまご 俺は泣いて謝るしかない。
こんな自分で申し訳ないと。
@@ああ-u6p3q
ああさん。
貴方が評価する「平和」と「豊かさ」ですが、次の文章を一読してもらえませんか?
読んでなお、同じ意見を述べられますか?
~ ~ ~
田中正明著 「国、亡ぼす勿れー私の遺言」 展転社 より
■カルタゴの滅亡に似た日本
(中略)
第二次ポエニ戦争で、カルタゴはローマと戦い大敗した。
その時ローマ帝国がカルタゴに突きつけた降伏文書は次の七項目から成っていた。
一、完全武装解除=商船を除いて全艦隊をローマに引き渡す。
二、本国以外の全ての植民地を放棄する。
三、カルタゴの安全はローマが保障する。
四、但し、カルタゴに駐留するローマ軍の給与・食糧等の費用はカルタゴが支出する。
五、脱走兵、捕虜をローマに引き渡す。
六、賠償金一万タレントをローマに支弁すること。
七、十四歳以上の男子100人を人質としてローマに送ること。
このローマがカルタゴに突きつけた七項目の降伏文書は、敗戦国日本に対するアメリカおよび連合軍が突きつけた降伏条件(日米安保条約を含む)と全く同じ条件である。
おそらくアメリカは、カルタゴに対するローマの手法を手本として、これに習ったに違いない。
但し、アメリカは、第七項にかわって「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争の罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)」を徹底するため、二年半にわたって極東国際軍事裁判を開廷した。
そして日本人の指導者二十五人を断罪(うち七名を処刑)した。
さらに戦争協力者と称して、実に二十一万人を公職から追放(パージ)した。
さらに連合軍と協力して「BC級戦犯」と称し、一旦帰宅した軍人・軍属約5,000人を投獄し、ロクな裁判もせずに、1,068人の命を奪っている。
賠償金は当時の金で4,780億円を支払っている。
カルタゴ以上の過酷な降伏条件であったといわねばならぬ。
カルタゴの興亡史を研究している津村忠臣氏(関西戦中派の会代表)は言う。
<第二次世界大戦において、日本が真珠湾を攻撃、大戦果をあげ、アメリカを驚愕させた。
カルタゴの英雄ハンニバルが象部隊を編成、スペインからフランスを経て、アルプスを越えてローマに進撃した。
大国ローマを恐怖のどん底に叩き込んだ。
ただ、勇将ハンニバル麾下のカルタゴ遠征軍は、ローマを中心とする連合軍に敗北する。
日本軍も三年半歳の戦争で、物量も兵力も尽き、アメリカを中心とする連合軍に敗れた。
第二次ポエニ戦争の緒戦とその結末が、なんと大東亜戦争と酷似していることか。
2,000年前の大国ローマとカルタゴ、50余年前のアメリカと日本の「対決と終末の状況」は、全く軌を一にしていないだろうか>
この両国の関係は、それ以後も、酷似した状態が続くのである。
■
かつて英雄ハンニバルを生んだカルタゴ民族は、もともと聡明で勤勉な民族であり、武勇にもすぐれていた。
しかし、軍備と交戦権を失った彼らは、もっぱら貿易と金儲けに走った。
当時カルタゴは、地中海のみならず、スペインを経て大西洋に進出し、アフリカの西海岸まで手を伸ばし、たちまち世界最高の貿易国にまで成長した。
だが、しかし、国防観念を失ったため、いつの間にか独立国家としての気概も、自存自衛の民族精神も失い、金儲けにうつつを抜かして、金で済むなら、金で済ましてしまおうという風潮を生んだ。
祖国防衛の意識=国家観念まで失ってしまったのである。
一方、勝ったローマの方は表面的には華やいでいたものの、勝者としての国際的責任と義務をかかえこみ、逆に財政赤字に苦しむ国家となった。
発展を続けるカルタゴを、ローマと同様、他の地中海諸国もこころよく思っていなかった。
カルタゴは外交も拙劣で友邦(同盟国)も作っていなかった。
経済繁栄に酔いしれて、傲慢になったカルタゴに対して、ローマは三たび戦争を仕掛けた。
シーレーンをおさえ、港湾を封鎖した。
第三次ポエニ戦争(前148年~前146年)である。
この戦争によってカルタゴは殲滅させられたのである。
しかも、カルタゴ民族はこの地上から消滅して、再び蘇生することはなかった。
永久に亡んでしまったのである。
~ ~ ~
田中正明氏(1911年~2006年)はもうお亡くなりになりました。
氏の指摘する通り、今の日本は第二のカルタゴになろうとしています。
アメリカは日本を弱体化させ、最終的には滅ぼすという目的の為に日本国憲法を押し付けたのです。
戦後日本で謳われた平和主義は「カルタゴの平和」に過ぎなかったのではないでしょうか。
@@ああ-u6p3q さん
平和ボケしてますが、戦争のない国ですから……
私の父親は、陸軍
叔父は、海軍で山城と眠ってます。
今の日本を見て……
難しいですね……
大和の姉妹艦、武蔵の艤装工事を行った第四ドッグが長崎県佐世保市にあり、今でも活躍していると聞いたので見に行って来た。その巨大さにびっくりした。300メートルは雄に越えていると思う。
先人の尊い犠牲の上に今日の日本があることに本当に感謝したい。しかし昨今の日本の腐敗は酷いものがあり、先人に申し訳ない気持ちで一杯になる。
この話は好きだ、また見に来てしまった
父方のじいさんは戦艦武蔵で戦死している
結構な軍族だったらしいから上官だったのかもしれない
俺が何度も見に来てしまうのはじいさんが見たいのかもしれないな
もう 何度此の場面を 見たでしょう.何度見ても 見飽きない。世が世なら 自分も昔海軍に入るはずだつたんですからね。ブラジルに移住して、夢は叶えられませんでしたが。
自分は陸自出身だが、大和にしろ、武蔵にしろ、昔の軍人さんには「かしらーなか」という思いだ❣️
海自らしい素敵なエピソードだと思います
私などは戦艦「大和」を幼心に覚えている戦中派です。
私も大日本帝国海軍の要地でありました横須賀で生まれ育ったのでひときわ関心が強いのです。
素晴らしいお話を有難う御座いました。
うちの親父も坊ノ岬海戦の先日まで大和の乗組員でした。
この方が『大和』ではなく、『ヒ86船団』を護衛していた『第五十一号海防艦』の生存者で商船学校出の予備士官であっても同じように敬意を払っていただけたら良いだろうなとつくづく思います。
十数年前、地元の港に一般公開できていた護衛艦を見物しに行った折、戦時中海防艦に乗り組んでいた方が懐かしそうに隊員に話しかけるところに出くわしたことがありますが、若い人は海自隊員であっても丁型海防艦のようなマイナーなフネは知らないらしく、残念そうな顔をされた高齢者のことが今でも思い出されます。
+legio33 コメントありがとうございます。そうなんですね、海防艦について調べてみます。命懸けで日本を護ってくださった、全ての方々に感謝が必要です。
海外の反応 La
坊ノ岬沖海戦の生き残り…確か全体の1割程度だったはず、よくぞ生きておられた(*`・ω・)ゞ
大和でなくても、当時の軍艦に乗っていた方へなら、誰にでも敬礼するんじゃないかな?
命焼肉氏
先達を敬う敬礼はあります
でもやっぱり大和はそれとは別、格というより大和乗員は枠が違うんですよ
陸自から見るとそこまで特別ではないのかも知れないけど
あの最後の出撃は海軍の特攻だから。はじめから帰還予定のない出撃。
他の戦艦とはそこが大きく違う。もちろん他の艦隊も命がけの戦いをした。
だが大和は命がけなんてものじゃない。命を捨てて日本を守ろうとした。
その点が大きく違うんだよ。
@@逸見エリカ-n2x 帝国海軍総旗艦で勤務経験あれば、格が違うようです。
親父も海軍但し、大和なぞという有名な船でなく2等駆逐艦栗と言う船団護衛専門の艦、但し、終戦まで生き残った艦。終戦後後、釜山で確認掃海中に触雷して沈没、でも親父は艦に乗ってたことを誇りにしてました
Tatsuya Hayashi
大和なぞ
とは、
貴様は國の名の艦を
決して沈んではならぬ艦を
なぞ、と言うか
だが、自分の乗る艦は我が子、家族、憧れの人ぞ
気持ちはわかる
季節、山、川、気象、國、全て欠けてはならぬ
艦艇全て、何もかも大事なものだということ、
駆逐艦や特務艦艇達だって
御国のために尽くし
奮励・努力した
自分の艦を誇りに思うのは当然だろう。
美味しいものは美味しい←これと同じ
ほう、うちの祖父は技術下士官だが上海事変に参戦した際一時期空母加賀に配属されていたよ。
深海提督改弐 大和みたいに有名じゃないけどって意味でしょう。
駆逐艦は脇役に思えるかも知れないけど
駆逐艦がいないと空母も戦艦も潜水艦の餌食になるんだよね
駆逐艦乗組員の技量次第で戦局が変わるんだ
脇役どころか主役級艦船なんだけどな
味の素出汁の素 WOWsやってわかった。
海戦は駆逐艦居ないと詰む場面が非常に多い。