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蜀・姜維監督「私のミスです」九回同点打で痛恨の引き分け。先発・張翼が粘投も…成都スポーツweb版10月19日(木)12: 18配信「CSファイナルS・第2戦、蜀2-2魏」(18日、狄道ドーム) 蜀は痛恨の引き分け。魏がアドバンテージ1勝を含めて、2勝0敗1分となった。 2-1と1点リードの九回裏、先発の張翼の続投が裏目に出た。先頭の四番鄧艾に四球を与え犠打で二塁に進まれると、二死で迎えた七番陳泰に甘く入ったスライダーをはじき返され、これが三遊間を破る痛恨の同点適時打となった。この日138球目の投球だった。 その後、試合は両チームとも攻め手を欠き、規定により十二回引き分けに終わった。 姜維監督は八回にも1点を失っていた張翼の九回の続投について、七回の時点で球数が100球を超えていた本人から「傷をつけないまま、良い形でマウンドを降りたい」と降板の申し入れがあったことを明かしたが「行ってこい」と背中を押したという。 「早い回で(魏の先発)王経くんを攻略して良い流れだったから、そのままの勢いで行きたかったんだけどね。私のミスです」と肩を落とした。 クライマックスシリーズでの下剋上を目指す蜀にとっては、引き分けは負けとほぼ同義と言っていい。1試合目で中継ぎ陣を消耗していた台所事情があるとはいえ、一戦必勝が求められるチャレンジャーという立場の蜀にとっては、手痛いミスとなった。
張翼にとっての北伐とは、涼州を奪取することではなく魏軍を叩いて蜀漢への脅威を減らす「国防」だったのでしょうね。自分のなかでちょっとキャラが陸遜とかぶっています。
まさしくそんなイメージです。そうか、そう表現すれば良かった(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 石原寛治「満洲がまさにそれ😗
蜀漢が厳しい状態になってからの登場で割りを食っている人物の一人ですね、有能であり諸葛亮からも信頼されていた。北伐に関しては諸葛亮でさえできなかったのを自分や姜維クラスでできるとは思っていなかっただろうし、現実もちゃんと見れていたのでしょう。
いつも楽しく拝見しています^ ^孔明や姜維にこき使われまくっていたイメージが強かったですが、軍人としての資質が評価された上だったことが知れて、あの過重労働の訳がとても良く分かりました苦笑
姜維と廖化と張翼が最後まで最前線にいるという、人材不足の顕著な例( ;∀;)
どの武将もそれぞれで誇り高いな。ただ姜維の晩年は個人の理念が優位すぎたか?時代の前後を行ったり来たりすると、復習も兼ねて助かる。
段谷の敗退で、大人しく身を引けばまだ姜維の名誉は保たれたのかもしれないですが、泥を被ろうと最後の最後まで諦めないのが姜維という人物だから、まぁ、張翼も大変だっただろうなぁ…(笑)
張翼は張飛の子供かと思ってましたわw
張翼・廖化・王平はマジで無双武将化して欲しいとずっと思ってる
張嶷、馬忠も追加で。
最後まで諦めないで戦って壮絶な最後か。趙雲、張飛、関羽たちに比べると派手さはないが蜀のためにがんばったんだな。キョウイは最初の頃はよかったが最後のほうは周りが見えてなかったというか悪い言い方すると暴走してた気がしてかなり残念な武将になった感じが。
横山三国志こそが三国志とも言える世代にとって、張翼といえば人材不足の蜀にあって張嶷と並び、張昭・張紘の「江東の二張」ばりの活躍ですが、「どっちがどっちだっけ…?」面長の張嶷、丸顔の張翼。そして剣閣で合流する際に髭が白くなった張翼を見て年取った!と実感。
老齢ながら最前線で戦う人物が多い印象の蜀漢はそれだけ人材不足が際立っているように見えますが、凡将と言われる廖化含め、長命の将軍は希少だったと思われます。実際槍や矛をとって肉弾戦をすることもなく、戦場指揮や軍略を練り兵士を使うのが将軍です。そして最も必要なものが軍務経験です。周瑜や陸遜、司馬懿、諸葛亮や孫策、孫堅等設定がバグった麒麟児出ない限り、軍事では経験が物を言うのです。人材不足というより彼らより優れた軍事経験者がいなかっただけでは?事実、鍾会は蜀の人材は皆壮士で有能な人物が多かったと言っています。まあ姜維に比肩する人物はいなかったみたいですが。
魏と蜀の国力・人口の差を考えたら、頼りは守りやすい地形のみだ。 長平の戦いで廉頗が守りに徹したように、蜀も守りに徹するべきだった。 北伐は軍事訓練の延長ぐらいでよかったのだ。 張翼も同様の立ち位置だったのだろう。 本気で北伐をやろうとした姜維のロマンもわかるけどね。
名前だけ見た時は張飛の息子か親族かと思ってしまいましたね、諱も飛と翼だから関係有りそうと思ってしまいまた
確かに、不思議な縁を感じてしまう名前だな🤔
張姓は現代の中国も含め珍しくない姓ですが、最初そう思うのも無理ないですよね😅
夏侯覇も入れて欲しい。ゴランライドウも!馬岱馬謖は滅亡を早めたような気がする。
積極策の姜維と消極策の張翼の分裂が結果として蜀を弱体化させたんですよね。張翼については家の格だと蜀漢の中でも許靖・鄧芝の次に来る人じゃないかなあ?(三公出してるしね)仮にそうだとしたら益州出身者では一番上なんですよね。
ですね。でも、それほどの家格や支持基盤を持っていても、姜維を越えれなかったというのがちょっと疑問。やっぱり実績の面で姜維が圧倒的だったのかしらん?🤔
まあ家柄からして張翼の本質は儒+法系文官だろうし、軍事面では対羌との戦場だった天水四姓の方が一枚も二枚も上でしょう
@@KOUMEI_NO_WANADA 家柄に関しては『昔はすごかった』の類で現在は(没落したとは言えないが)「まあ普通🙂」といったレべルですね・・・と渡邊氏の『人事の三国志』の巻末付録表では表記してありました(責任転嫁。家柄評価黒三角”▲”って競馬新聞かよ笑)個人的には考廉以後の経歴を見るに後漢エリートルートを蜀漢でも再現したい・・・という蜀漢エリート実験の第一期生に選ばれた感がありますね(この辺が孔明の『荊州閥がヘゲモニーを握りつつも益州人士もうまく取り込みたい戦略(※)』の一環なのかもしれません)※他に北伐の際留守内政を一手に引き受ける丞相府留府の長官に益州人士張裔を抜擢するなどがこれ。ただ以後丞相府は荊州閥が占拠することとなっていく
@@KOUMEI_NO_WANADA 征服者側のグループに属した姜維と非征服者側の張翼の立場の違い、それと当時の蜀漢の組織で北伐消極派が積極派の姜維の上になるのは難しいかと思います。費禕にしても北伐は現実的に困難だと言ってますが理念自体に反対しているわけではありませんので。
@@kappanouen さん私も『人事の三国志』持ってます~。で、その本でも益州出身者かつ劉備時代から従っている名門枠って張翼ともう一人しかいないんですよね(汗益州の三公クラスって蜀郡趙氏(趙温)くらいしか思いつかない…… (他にいたかな?)まあ蜀がかわいそうになるので(笑)、"〇"バンバンついてる魏と一緒にしないでくださいということで。
張翼は259年には廖化と共に車騎将軍に任命されている。
左右車騎将軍カッコいい
張翼は最初劉璋の配下だったのでしょうか。それとも入蜀時に仕えたのでしょうか。最初は趙雲配下で魏軍に対し一騎で立ちふさがった時の副将だったような気がします。最期はクーデターの中で亡くなってしまいましたが、流石にこれらの事態は張翼といえども予想出来なかったのでしょうね。🥲
劉璋政権での活躍の記録はない、はず…なので劉備政権下から仕事を始めたって感じなのかなぁと
張翼本人は面倒臭い存在ですが在地豪族の彼が持つ部曲は末期蜀漢軍に於いて重要な戦力なので。
諸葛亮が死んでからの話はあまり詳しくないけど、こうして見たら面白いですね。まあ、個人の考えの違いもあるでしょうが、益州派閥と荊州派閥の考え方の違いもあるでしょうね。それらを最低でも表面的にはまとめ上げて大きな問題を起こさなかった諸葛亮の手腕が卓越していましたが。費禕にせよ、単に反対していたわけではなく諸葛亮がいなくなって大規模な軍を起こしつつ統治をするのが難しいくて北伐が国是であることは理解していたようなんで、バランスを取るってのは相当難しいんでしょうね。
せめて呉と共闘できるように交渉出来る人間がいればな。中原の勢力を切り崩して勢力差を拮抗させないと地方の蜀と呉は滅ぼされるのが時間の問題になる。
共闘路線は諸葛瑾と蒋琬の時期でギリ、って感じですもんねぇ。その後はもう普通に関係最悪だし、呉は内輪揉めでそれどころじゃなくなるし、なんなら諸葛瞻らの蜀漢次世代主流派は孫呉侵攻を唱えるし、うーむ(๑´•.̫ • `๑)
張嶷とかもやって欲しいです。
ちょっと前の解説ですが、どうぞ!ruclips.net/video/IPP_Utkpy-I/видео.htmlsi=P9BRRN-pp7lOsdzd
張とか李とか劉とか、はいて捨てるほどいる姓だと、同姓でも何の関係もないことも多いな。
張翼。武官としての能力は高い。本人は文官になりたかったとのこと。タイプ的に魏に多い。楽進、李典のような感じ。
こんにちは。ビデオの作成に使用できるトピックについていくつかアイデアがあります。 私の意見では、三国時代に加えて、漢、楚、あるいは春秋の戦国時代についてのビデオを作成することができます。 これらのトピックがあれば、ビデオを作成するためのトピックがないことを心配する必要はありません (翻訳ツールを使用しているため、表現が間違っていて申し訳ありません)
(`・ω・´)nice!!
@@KOUMEI_NO_WANADA まあ、私は西洋人ではありません、アジア人です、ただ日本語がわからないだけです
反対しようが従軍させるキチクキョウイ…しかし有力な武将も少ない中貴重だったのだろう
この2人はお互いが降将という共通点もある。
使う側からしたら理想的な人材
個人的にはコイツの名前(張翼)が張飛の字が『張益徳』から『張翼徳』に演義で変化したことについて何らかのカギを握ってると勝手に思ってる😗
いつの間にかごっちゃになっちゃった説
@@KOUMEI_NO_WANADA 個人的にはコイツと張嶷の名前とエピソードの組み合わせがごっちゃになる😗
一番乗り。劉備の代から仕えた自身より諸葛亮による第一次北伐の際に降ってきた姜維が出世し、政権を握り、北伐を主導する様は、彼の目にどう映っただろう。そして、蜀、姜維もろとも滅ぶ瞬間、その胸中にどんな思いが胸中をよぎったのか。
費禕がもっと政権基盤をがっちりと構築できていれば、張翼と姜維の立場も逆転したのかなぁ…いや、でも姜維の軍才は群を抜いてるし…ぐぬぬ(笑)
蜀漢の領土が益州中心のみになった時点で人材不足になったことにどこからか人材の確保があれば北伐や内政の人事負担などが変わっていたかもしれません張翼は北伐には消極にも関わらず、姜維に従っていたのは軍人としての使命感ですかね話が変わりますが、11/4に神戸市で三国志祭が開始されますもし、主催者からオファーがあれば出展しますか?
出展できる物品がない…まだ書いてる小説も途中…(笑)何も出来ないへっぽこ野郎ではありますが、何かしらのオファーがあれば是非とも伺いたいですねぇ。
姜維と言う関わったら破滅するヤンデレ
名将達が落ちたあと支えたのが趙翼だったのかな知りませんでした面白かったです
鍾会の解説動画よろしくお願いします!
リクエストありがとうございます!
このチャンネルに鍾会の乱の動画があるので、ご覧になってはいかが。
@@武闘派のび太 鍾会の動画の紹介というわけですね🙂✨
@@kappanouen そうです!鍾会単独の解説動画です!😊
彼の最期の断末魔は「姜維の大バカヤロー!!!」だったに違いない
登山家然り姜維然り、孔明が見出だした人物は尽くやらかしてる。孔明の人物眼のなさは劉備没後の最大の敗因と言えると思う。まあそれも根本を辿れば蜀の人材の薄さだけど。
馬謖は南中平定や第一次北伐など、大規模な戦略を諸葛亮とともに組み立てた大戦略家としての面がありますが、実戦経験がほぼ皆無の状態で名将「張郃」の相手をさせられてしまったという不運がどうにも惜しい(´ . .̫ . `)姜維に関しても除質や王経との決戦での大勝は諸葛亮の北伐を上回るほどの大戦果であり、その軍才は誰しもが認めるところでしたが、それほどの大勝を挙げてもなお魏軍は増援と防衛が行えたという、この圧倒的な国力差には絶望しか抱けない…(´ . .̫ . `)また蜀漢の人材の殆どは諸葛亮の起用を受けており、劉備が拒んでもなお抜擢した劉巴や蒋琬の例を見る限り、諸葛亮の人物鑑定眼も相当なものがあったと思いますよ🐎
なんか能書家に挙げられているらしいね張翼さん張昭と同族という話も
三国志は張姓が多いんだよなぁ…(笑)
姜維や張翼が蜀滅亡時でも先陣を担うあたり蜀の人材不足が如実に表れている。蜀の存在意義の為にも北伐はやるしかなく国力差が数倍離れている魏に挑むのは無理ゲーレベル。以前曹真や司馬昭をやったように相方である曹休や司馬師をやってほしいです。
最近ゲームでも有能な1人として認識出来た名将やっぱ蜀は武人優秀なんだけど内政がな(^o^;
陳祗が居なくなってからの空白がなぁ…
2
蜀・姜維監督「私のミスです」九回同点打で痛恨の引き分け。先発・張翼が粘投も…
成都スポーツweb版
10月19日(木)12: 18配信
「CSファイナルS・第2戦、蜀2-2魏」(18日、狄道ドーム)
蜀は痛恨の引き分け。魏がアドバンテージ1勝を含めて、2勝0敗1分となった。
2-1と1点リードの九回裏、先発の張翼の続投が裏目に出た。先頭の四番鄧艾に四球を与え犠打で二塁に進まれると、二死で迎えた七番陳泰に甘く入ったスライダーをはじき返され、これが三遊間を破る痛恨の同点適時打となった。この日138球目の投球だった。
その後、試合は両チームとも攻め手を欠き、規定により十二回引き分けに終わった。
姜維監督は八回にも1点を失っていた張翼の九回の続投について、七回の時点で球数が100球を超えていた本人から「傷をつけないまま、良い形でマウンドを降りたい」と降板の申し入れがあったことを明かしたが「行ってこい」と背中を押したという。
「早い回で(魏の先発)王経くんを攻略して良い流れだったから、そのままの勢いで行きたかったんだけどね。私のミスです」と肩を落とした。
クライマックスシリーズでの下剋上を目指す蜀にとっては、引き分けは負けとほぼ同義と言っていい。1試合目で中継ぎ陣を消耗していた台所事情があるとはいえ、一戦必勝が求められるチャレンジャーという立場の蜀にとっては、手痛いミスとなった。
張翼にとっての北伐とは、涼州を奪取することではなく魏軍を叩いて蜀漢への脅威を減らす「国防」だったのでしょうね。自分のなかでちょっとキャラが陸遜とかぶっています。
まさしくそんなイメージです。そうか、そう表現すれば良かった(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 石原寛治「満洲がまさにそれ😗
蜀漢が厳しい状態になってからの登場で割りを食っている人物の一人ですね、有能であり諸葛亮からも信頼されていた。
北伐に関しては諸葛亮でさえできなかったのを自分や姜維クラスでできるとは思っていなかっただろうし、現実もちゃんと見れていたのでしょう。
いつも楽しく拝見しています^ ^
孔明や姜維にこき使われまくっていたイメージが強かったですが、軍人としての資質が評価された上だったことが知れて、あの過重労働の訳がとても良く分かりました苦笑
姜維と廖化と張翼が最後まで最前線にいるという、人材不足の顕著な例( ;∀;)
どの武将もそれぞれで誇り高いな。
ただ姜維の晩年は個人の理念が優位すぎたか?
時代の前後を行ったり来たりすると、復習も兼ねて助かる。
段谷の敗退で、大人しく身を引けばまだ姜維の名誉は保たれたのかもしれないですが、泥を被ろうと最後の最後まで諦めないのが姜維という人物だから、まぁ、張翼も大変だっただろうなぁ…(笑)
張翼は張飛の子供かと思ってましたわw
張翼・廖化・王平はマジで無双武将化して欲しいとずっと思ってる
張嶷、馬忠も追加で。
最後まで諦めないで戦って壮絶な最後か。趙雲、張飛、関羽たちに比べると派手さはないが蜀のためにがんばったんだな。
キョウイは最初の頃はよかったが最後のほうは周りが見えてなかったというか悪い言い方すると暴走してた気がしてかなり残念な武将になった感じが。
横山三国志こそが三国志とも言える世代にとって、張翼といえば人材不足の蜀にあって張嶷と並び、
張昭・張紘の「江東の二張」ばりの活躍ですが、「どっちがどっちだっけ…?」
面長の張嶷、丸顔の張翼。そして剣閣で合流する際に髭が白くなった張翼を見て年取った!と実感。
老齢ながら最前線で戦う人物が多い印象の蜀漢はそれだけ人材不足が際立っているように見えますが、
凡将と言われる廖化含め、長命の将軍は希少だったと思われます。
実際槍や矛をとって肉弾戦をすることもなく、戦場指揮や軍略を練り兵士を使うのが将軍です。そして最も必要なものが軍務経験です。
周瑜や陸遜、司馬懿、諸葛亮や孫策、孫堅等設定がバグった麒麟児出ない限り、軍事では経験が物を言うのです。
人材不足というより彼らより優れた軍事経験者がいなかっただけでは?
事実、鍾会は蜀の人材は皆壮士で有能な人物が多かったと言っています。
まあ姜維に比肩する人物はいなかったみたいですが。
魏と蜀の国力・人口の差を考えたら、頼りは守りやすい地形のみだ。 長平の戦いで廉頗が守りに徹したように、蜀も守りに徹するべきだった。 北伐は軍事訓練の延長ぐらいでよかったのだ。 張翼も同様の立ち位置だったのだろう。 本気で北伐をやろうとした姜維のロマンもわかるけどね。
名前だけ見た時は張飛の息子か親族かと思ってしまいましたね、諱も飛と翼だから関係有りそうと思ってしまいまた
確かに、不思議な縁を感じてしまう名前だな🤔
張姓は現代の中国も含め珍しくない姓ですが、最初そう思うのも無理ないですよね😅
夏侯覇も入れて欲しい。ゴランライドウも!馬岱馬謖は滅亡を早めたような気がする。
積極策の姜維と消極策の張翼の分裂が結果として蜀を弱体化させたんですよね。
張翼については家の格だと蜀漢の中でも許靖・鄧芝の次に来る人じゃないかなあ?(三公出してるしね)
仮にそうだとしたら益州出身者では一番上なんですよね。
ですね。でも、それほどの家格や支持基盤を持っていても、姜維を越えれなかったというのがちょっと疑問。やっぱり実績の面で姜維が圧倒的だったのかしらん?🤔
まあ家柄からして張翼の本質は儒+法系文官だろうし、軍事面では対羌との戦場だった天水四姓の方が一枚も二枚も上でしょう
@@KOUMEI_NO_WANADA 家柄に関しては『昔はすごかった』の類で現在は(没落したとは言えないが)「まあ普通🙂」といったレべルですね・・・と渡邊氏の『人事の三国志』の巻末付録表では表記してありました(責任転嫁。家柄評価黒三角”▲”って競馬新聞かよ笑)
個人的には考廉以後の経歴を見るに後漢エリートルートを蜀漢でも再現したい・・・という蜀漢エリート実験の第一期生に選ばれた感がありますね(この辺が孔明の『荊州閥がヘゲモニーを握りつつも益州人士もうまく取り込みたい戦略(※)』の一環なのかもしれません)
※他に北伐の際留守内政を一手に引き受ける丞相府留府の長官に益州人士張裔を抜擢するなどがこれ。ただ以後丞相府は荊州閥が占拠することとなっていく
@@KOUMEI_NO_WANADA 征服者側のグループに属した姜維と非征服者側の張翼の立場の違い、それと当時の蜀漢の組織で北伐消極派が積極派の姜維の上になるのは難しいかと思います。費禕にしても北伐は現実的に困難だと言ってますが理念自体に反対しているわけではありませんので。
@@kappanouen さん
私も『人事の三国志』持ってます~。
で、その本でも益州出身者かつ劉備時代から従っている名門枠って張翼ともう一人しかいないんですよね(汗
益州の三公クラスって蜀郡趙氏(趙温)くらいしか思いつかない…… (他にいたかな?)
まあ蜀がかわいそうになるので(笑)、"〇"バンバンついてる魏と一緒にしないでくださいということで。
張翼は259年には廖化と共に車騎将軍に任命されている。
左右車騎将軍カッコいい
張翼は最初劉璋の配下だったのでしょうか。それとも入蜀時に仕えたのでしょうか。
最初は趙雲配下で魏軍に対し一騎で立ちふさがった時の副将だったような気がします。
最期はクーデターの中で亡くなってしまいましたが、流石にこれらの事態は張翼といえども予想出来なかったのでしょうね。🥲
劉璋政権での活躍の記録はない、はず…
なので劉備政権下から仕事を始めたって感じなのかなぁと
張翼本人は面倒臭い存在ですが在地豪族の彼が持つ部曲は末期蜀漢軍に於いて重要な戦力なので。
諸葛亮が死んでからの話はあまり詳しくないけど、こうして見たら面白いですね。
まあ、個人の考えの違いもあるでしょうが、益州派閥と荊州派閥の考え方の違いもあるでしょうね。
それらを最低でも表面的にはまとめ上げて大きな問題を起こさなかった諸葛亮の手腕が卓越していましたが。
費禕にせよ、単に反対していたわけではなく諸葛亮がいなくなって大規模な軍を起こしつつ統治をするのが難しいくて北伐が国是であることは理解していたようなんで、バランスを取るってのは相当難しいんでしょうね。
せめて呉と共闘できるように交渉出来る人間がいればな。中原の勢力を切り崩して勢力差を拮抗させないと
地方の蜀と呉は滅ぼされるのが時間の問題になる。
共闘路線は諸葛瑾と蒋琬の時期でギリ、って感じですもんねぇ。
その後はもう普通に関係最悪だし、呉は内輪揉めでそれどころじゃなくなるし、なんなら諸葛瞻らの蜀漢次世代主流派は孫呉侵攻を唱えるし、うーむ(๑´•.̫ • `๑)
張嶷とかもやって欲しいです。
ちょっと前の解説ですが、どうぞ!
ruclips.net/video/IPP_Utkpy-I/видео.htmlsi=P9BRRN-pp7lOsdzd
張とか李とか劉とか、はいて捨てるほどいる姓だと、同姓でも何の関係もないことも多いな。
張翼。
武官としての能力は高い。
本人は文官になりたかったとのこと。
タイプ的に魏に多い。
楽進、李典のような感じ。
こんにちは。ビデオの作成に使用できるトピックについていくつかアイデアがあります。 私の意見では、三国時代に加えて、漢、楚、あるいは春秋の戦国時代についてのビデオを作成することができます。 これらのトピックがあれば、ビデオを作成するためのトピックがないことを心配する必要はありません (翻訳ツールを使用しているため、表現が間違っていて申し訳ありません)
(`・ω・´)nice!!
@@KOUMEI_NO_WANADA まあ、私は西洋人ではありません、アジア人です、ただ日本語がわからないだけです
反対しようが従軍させるキチクキョウイ…
しかし有力な武将も少ない中貴重だったのだろう
この2人はお互いが降将という共通点もある。
使う側からしたら理想的な人材
個人的にはコイツの名前(張翼)が
張飛の字が『張益徳』から『張翼徳』に演義で変化したことについて何らかのカギを握ってると勝手に思ってる😗
いつの間にかごっちゃになっちゃった説
@@KOUMEI_NO_WANADA 個人的にはコイツと張嶷の名前とエピソードの組み合わせがごっちゃになる😗
一番乗り。劉備の代から仕えた自身より諸葛亮による第一次北伐の際に降ってきた姜維が出世し、政権を握り、北伐を主導する様は、彼の目にどう映っただろう。そして、蜀、姜維もろとも滅ぶ瞬間、その胸中にどんな思いが胸中をよぎったのか。
費禕がもっと政権基盤をがっちりと構築できていれば、張翼と姜維の立場も逆転したのかなぁ…いや、でも姜維の軍才は群を抜いてるし…ぐぬぬ(笑)
蜀漢の領土が益州中心のみになった時点で人材不足になったことに
どこからか人材の確保があれば北伐や内政の人事負担などが変わっていたかもしれません
張翼は北伐には消極にも関わらず、姜維に従っていたのは軍人としての使命感ですかね
話が変わりますが、11/4に神戸市で三国志祭が開始されます
もし、主催者からオファーがあれば出展しますか?
出展できる物品がない…
まだ書いてる小説も途中…(笑)
何も出来ないへっぽこ野郎ではありますが、何かしらのオファーがあれば是非とも伺いたいですねぇ。
姜維と言う関わったら破滅するヤンデレ
名将達が落ちたあと支えたのが趙翼だったのかな知りませんでした面白かったです
鍾会の解説動画よろしくお願いします!
リクエストありがとうございます!
このチャンネルに鍾会の乱の動画があるので、ご覧になってはいかが。
@@武闘派のび太 鍾会の動画の紹介というわけですね🙂✨
@@kappanouen そうです!鍾会単独の解説動画です!😊
彼の最期の断末魔は「姜維の大バカヤロー!!!」だったに違いない
登山家然り姜維然り、孔明が見出だした人物は尽くやらかしてる。孔明の人物眼のなさは劉備没後の最大の敗因と言えると思う。まあそれも根本を辿れば蜀の人材の薄さだけど。
馬謖は南中平定や第一次北伐など、大規模な戦略を諸葛亮とともに組み立てた大戦略家としての面がありますが、実戦経験がほぼ皆無の状態で名将「張郃」の相手をさせられてしまったという不運がどうにも惜しい(´ . .̫ . `)
姜維に関しても除質や王経との決戦での大勝は諸葛亮の北伐を上回るほどの大戦果であり、その軍才は誰しもが認めるところでしたが、それほどの大勝を挙げてもなお魏軍は増援と防衛が行えたという、この圧倒的な国力差には絶望しか抱けない…(´ . .̫ . `)
また蜀漢の人材の殆どは諸葛亮の起用を受けており、劉備が拒んでもなお抜擢した劉巴や蒋琬の例を見る限り、諸葛亮の人物鑑定眼も相当なものがあったと思いますよ🐎
なんか能書家に挙げられているらしいね張翼さん
張昭と同族という話も
三国志は張姓が多いんだよなぁ…(笑)
姜維や張翼が蜀滅亡時でも先陣を担うあたり蜀の人材不足が如実に表れている。蜀の存在意義の為にも北伐はやるしかなく国力差が数倍離れている魏に挑むのは無理ゲーレベル。
以前曹真や司馬昭をやったように相方である曹休や司馬師をやってほしいです。
リクエストありがとうございます!
最近ゲームでも有能な1人として認識出来た名将
やっぱ蜀は武人優秀なんだけど内政がな(^o^;
陳祗が居なくなってからの空白がなぁ…
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