Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
素晴らしい動画有り難うございます、中学生の時財田から大多羅まで利用していました、車両や駅舎のイラスト描いています
ご視聴ありがとうございます現役時に乗っていたんですね。うらやましいです。
ケーブルカーだとへなちょこな軌間ありますね😉
ご視聴ありがとうございます青函トンネル記念館ですね。
@@haisentetsudouryou あと、御岳山が1,049mm、高尾山が1,000mmみたいです😉
面白かったです。地元なので廃線跡ほぼ全線歩いた事あります😃
ご視聴ありがとうございます。
2:26 大師駅はここから百間川を渡って鳥坂山を登ったところにあるゴロゴロ大師参りが一時大流行したために命名されました。今となってはなんじゃその名前の付け方は?ですが、その頃は人家も少ない田舎だったので、もしかしたら駅から大師が見えたかもしれませんね。近くの関公会堂にある薬師堂は「大師堂」とも呼ばれ、鳥坂山まで登れない人が参っていたみたいです。金比羅さんの代参が参拝代行サービスなら、こちらは仏様の出張サービスですね。
ご視聴ありがとうございます由来についてご教示ありがとうございます。確認しましたが、百閒川の向こうとは結構離れていますね。
🏫小学校時代📘塾の国語テキストに、🚇️この西大寺鉄道の紹介文章載ってました(🌊堤防の高さ迄上がらず、水量少ない時間に、閘門を開けて列車を走らせていた、🇯🇵日本(や🗺️世界)で、かなり珍しい特殊な鉄道路線)。
ビンジウォッチありがとうございます。水量少ない時間に、閘門を開けて。。。初耳です。どこの川だったのでしょうね.
@@haisentetsudouryou 🏞️百間川(旧山陽道も、🚇️西大寺鉄道と同じく、閘門を開けて人や車が往来していた)。←🏞️百間川そのものが、昔、ほとんど水量(水位)ゼロに近かった(☔大雨増水時以外の日)。🌉現在の山陽道は、きちんと🏞️百間川に橋が架かっています。
なお「西大寺市」なる駅名は岡山市に合併される前には独立自治体だったという意味も含まれていたのではとも思います。さて保存されているキハ7は現役当時のままのカーゴデッキ付なのは嬉しい限りです。米や野菜、自転車までも積み込んでいた当時の光景が偲ばれます。さてユニークな話と言いますのは、昭和9年に新製したキハ100は大型のボギー車でしたが、昭和26年にこれを真ん中で切断してキハ8、キハ10の二両の単車に生まれ変わらせるという芸当を行ったというものです。そして会社自体は当時系列会社であった両備バスに合併し、経営合理化として広谷と森下の交換設備撤去等を行っていきましたが、国鉄赤穂線の延伸で廃止に追い込まれたという次第でした。なお一方で天満屋バスターミナル行きのバスを増便して会社自体の生き残りを図っていたことも作用したのでは、という見方もあるようです。創業の地に敬意を表したのでしょうか、現在も両備ホールディングスの登記上の本社所在地はこの旧西大寺駅跡になっています。以上今回も失礼しました。
ご視聴ありがとうございます914mmゲージは九州の特に軌道に多いですからね。熊本から持ってきたというのはうなずけます。西大寺「市」ですが、後からできた方が自治体の「市」をつける例は松山市でしょうか。もっともこれは伊予鉄が後からできた国鉄に譲った訳ですが。。。
両備グループの話で出ていました
ご視聴ありがとうございます
西大寺鉄道、時代は流れても。 川の中の橋脚跡は、時代の語り部でしょうか。
ご視聴ありがとうございます今まで廃線跡を見てきて、やはり橋台は一番残りやすいですね。
「西大寺」、正式な名称は「観音院」と言いますがこちらで毎年2月に行われる〈会陽(=えよう)」は全国的にも有名な「はだか祭」です。この輸送にまさに〈オールスターキャスト〉で大活躍したのが当路線でした。なお旅客輸送はDC化されていましたがこの大輸送にあたっては無動力の客車扱いでSL牽引されていたという裏話もあります。さて軌間が914㎜という珍しいものですが、これに関して一つ面白い説がありますのでご紹介します。開業時の車両は全てオリジナルですが、財田~森下~後楽園と延伸開業していくに連れて車両不足が生じて来ました。そこで増備という流れになるわけですが、これを新製ではなく、後に熊本電鉄となる菊地軌道から購入しているのです。タイミング的に菊地軌道の改軌・電化後のことなので真偽のほどはわかりませんが、話がうまく出来上がっていたのでは、という説です。あながち外れではないだろうと思いますけど。なおDCは全てオリジナル車でした。DCについてもユニークな話がありますが、項を改めます。
広告載せるな
Yadayo ! 😜
素晴らしい動画有り難うございます、中学生の時財田から大多羅まで利用していました、車両や駅舎のイラスト描いています
ご視聴ありがとうございます
現役時に乗っていたんですね。うらやましいです。
ケーブルカーだとへなちょこな軌間ありますね😉
ご視聴ありがとうございます
青函トンネル記念館ですね。
@@haisentetsudouryou あと、御岳山が1,049mm、高尾山が1,000mmみたいです😉
面白かったです。地元なので廃線跡ほぼ全線歩いた事あります😃
ご視聴ありがとうございます。
2:26 大師駅はここから百間川を渡って鳥坂山を登ったところにあるゴロゴロ大師参りが一時大流行したために命名されました。
今となってはなんじゃその名前の付け方は?ですが、その頃は人家も少ない田舎だったので、もしかしたら駅から大師が見えたかもしれませんね。
近くの関公会堂にある薬師堂は「大師堂」とも呼ばれ、鳥坂山まで登れない人が参っていたみたいです。
金比羅さんの代参が参拝代行サービスなら、こちらは仏様の出張サービスですね。
ご視聴ありがとうございます
由来についてご教示ありがとうございます。確認しましたが、百閒川の向こうとは結構離れていますね。
🏫小学校時代📘塾の国語テキストに、🚇️この西大寺鉄道の紹介文章載ってました(🌊堤防の高さ迄上がらず、水量少ない時間に、閘門を開けて列車を走らせていた、🇯🇵日本(や🗺️世界)で、かなり珍しい特殊な鉄道路線)。
ビンジウォッチありがとうございます。
水量少ない時間に、閘門を開けて。。。初耳です。どこの川だったのでしょうね.
@@haisentetsudouryou 🏞️百間川(旧山陽道も、🚇️西大寺鉄道と同じく、閘門を開けて人や車が往来していた)。←🏞️百間川そのものが、昔、ほとんど水量(水位)ゼロに近かった(☔大雨増水時以外の日)。
🌉現在の山陽道は、きちんと🏞️百間川に橋が架かっています。
なお「西大寺市」なる駅名は岡山市に合併される前には独立自治体だったという意味も含まれていたのではとも思います。
さて保存されているキハ7は現役当時のままのカーゴデッキ付なのは嬉しい限りです。米や野菜、自転車までも積み込んでいた当時の光景が偲ばれます。
さてユニークな話と言いますのは、昭和9年に新製したキハ100は大型のボギー車でしたが、昭和26年にこれを真ん中で切断してキハ8、キハ10の二両の単車に生まれ変わらせるという芸当を行ったというものです。
そして会社自体は当時系列会社であった両備バスに合併し、経営合理化として広谷と森下の交換設備撤去等を行っていきましたが、国鉄赤穂線の延伸で廃止に追い込まれたという次第でした。
なお一方で天満屋バスターミナル行きのバスを増便して会社自体の生き残りを図っていたことも作用したのでは、という見方もあるようです。
創業の地に敬意を表したのでしょうか、現在も両備ホールディングスの登記上の本社所在地はこの旧西大寺駅跡になっています。
以上今回も失礼しました。
ご視聴ありがとうございます
914mmゲージは九州の特に軌道に多いですからね。熊本から持ってきたというのはうなずけます。
西大寺「市」ですが、後からできた方が自治体の「市」をつける例は松山市でしょうか。もっともこれは伊予鉄が後からできた国鉄に譲った訳ですが。。。
両備グループの話で出ていました
ご視聴ありがとうございます
西大寺鉄道、時代は流れても。
川の中の橋脚跡は、時代の語り部でしょうか。
ご視聴ありがとうございます
今まで廃線跡を見てきて、やはり橋台は一番残りやすいですね。
「西大寺」、正式な名称は「観音院」と言いますがこちらで毎年2月に行われる〈会陽(=えよう)」は全国的にも有名な「はだか祭」です。
この輸送にまさに〈オールスターキャスト〉で大活躍したのが当路線でした。
なお旅客輸送はDC化されていましたがこの大輸送にあたっては無動力の客車扱いでSL牽引されていたという裏話もあります。
さて軌間が914㎜という珍しいものですが、これに関して一つ面白い説がありますのでご紹介します。
開業時の車両は全てオリジナルですが、財田~森下~後楽園と延伸開業していくに連れて車両不足が生じて来ました。
そこで増備という流れになるわけですが、これを新製ではなく、後に熊本電鉄となる菊地軌道から購入しているのです。
タイミング的に菊地軌道の改軌・電化後のことなので真偽のほどはわかりませんが、話がうまく出来上がっていたのでは、という説です。
あながち外れではないだろうと思いますけど。
なおDCは全てオリジナル車でした。
DCについてもユニークな話がありますが、項を改めます。
広告載せるな
Yadayo ! 😜