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まさに今の僕の状況ですね。上位私大と呼ばれるところに入学したものの、第一志望だった国立のことが忘れられず、割りきろうと思ってもどこかでやはり学歴を気にする自分がいる。もはや現代の病気ですねこれは。
学歴コンプレックス…。確かに自分にもある。私の場合、ゲームにも参加出来なかった境遇▪環境とかのコンプレックスもある。人より優れた所だけでなく、人より劣った所がある自分。それを、受け止めて誇りを持つのが、本当のプライドだと思う。最近、立ち読みしていたビジネス本で知った。マンガ▪宇宙兄弟での名言で、ジャンケンのグー、チョキ、パーのように人には色んなタイプがいるけど、その中で、誰が一番強いタイプなのかを、知ってる人はいない。たしか…こんな感じの言葉だったと思う。
高校の頃、「方丈記」読んで沁みたな、大学の頃、「箴言集」読んで面白かったな。得るもの守るものが上限無しの自己実現だけなら苦痛だろう。僕はアトムを否定しない、同情しない、揶揄しない。きっと彼は得るもの守るものが他人になったとき変わるのかもしれない。なんとも照れ臭く分けわからん「愛」っていうことかな。僕は理系で難関大学卒ではありません。
学術的な事を考えると、選べる環境に感謝ですね。本当によく考えさせられる話でした。学びを変える事って言う決断は、一からやり直す事ですから、それはそれでとても尊いですよね。願わくば多くの学びを連ねていきたいです。
自分の中で好きで得意なことに全力を捧げていれば全て解決すると思います。社会の中で求められていることに影響されて自分が得意でないところや好きになれないことを頑張っていると、どうしても、それが大好きでたまらない人たちには敵わない。だけど、自分が本当に好きなこと、得意なことに自信を持ってやり続けていれば、少なくともやりたくないものよりは上達するし、自分より凄い人がいても、自分が好きなことなら続けられる。そういった「社会の影響」ってのがコンプレックスだと思います。自分も私大の付属で、ビジネスのエリートになりたかった時期があったけれど、高校の時点で向いてないと思って文学部に行きました。今は自分の好きなことに没頭して勉強しています。専攻どうしようかな、、
若い頃、僕の周りにもアトム君はいたし、僕自身がアトム君だったこともある。自尊心とかプライド、コンプレックス。何かモヤモヤへばり付いて離れてくれないものだった。なのに、いつの間にか、溶けてなくなっていた。いつかなあ、多分、青年から「おっさん」変体した頃?「満足」がすべての尺度になって、今に至ってます。今も、青年の中にアトム君をみかけることもあるけれど、他の青年より一層、見守り、寄り添ってる自覚があったりします。
ある職業や企業が利得を守るために参入障壁として学歴や資格を設けてるだけで、その椅子取りゲームに学問が利用されてる構造は心底下劣だと思うんですが
アトム君にはまだ哲学が足りなかったのでしょうか。学歴差別は今の世の中には”確実”に存在しますが、その実態がとても空虚なもので有る事に気付いた時笑い飛ばせる境地に立てると思います。哲学がアトム君の人生の糧、救いになってくれている事を願います。
「文系理系」という二元論が、こういう価値観を生み出してるな〜という気もします。本来は、人間を相手にする人文学/自然を相手にする自然科学、みたいな研究対象の違いであり、横並びのはず。なのに、できる側/できない側という、人自体の上下関係に紐づいてしまった。もうちょっと言えば、数学できる人と数学できない人みたいな。そしてそれが固着化してしまい、その事実にみんなが無自覚になっていった。。特に日本はその価値観が強いっぽいですね。文理の枠組みをもう一度解体できれば、物事の見方、それを学ぶ人の見方が多元化できるかもしれないなあ〜 豪胆に生きられるように心がけよっと。
海外だと文系、理系みたいにすっぱりわけないで、もっと細かく入り組んでるらしいねその方が自由に学問を学べそう
頑張った結果コンプレックスになる。頑張らなくてもコンプレックスになる。そいつらが邪魔をして現在や、これから先を生きるのを邪魔してくる。でも、現在を目一杯頑張っていくしかない。
哲学って現代の社会ではほとんど実用性が無いからある意味過酷な現実から逃避する手段にもなるよね
だんだん学歴社会じゃなくなっていくかもしれないですが、何かの学問を学びたくなったときに、だいたいその道の知識のある人が友達に何人かいるというのはやっぱり不動のメリットだと思いますね。
自分にも学歴コンプがありました。ただ今思えば学歴コンプに囚われたせいで逆に多くのことを見逃してたと思います。今は学歴よりもそのことに後悔しています。アトムくんが今、肩の力を抜いて生きてることを祈っています。
東大落ち慶應生は東大コンプがひどいと聞いたことあります。
話おもしろいなあ「学歴(など)は社会の中での自分の立ち位置を決めるゲーム」←おもしろい考え!エリートはエリートの目線がある大したことないのに(脳内で)学歴コンプ自称してた自分が恥ずかしい
そもそも生きていること自体ゲーム。ベルクソンの考えからすると人間も植物も動物も生命の流れの通過点にしか過ぎない。事物だから生きようと一生懸命留まろうとしてるけど、俯瞰してみればみーんな同じ生命の仲間!
「なんで哲学に」ではなく「なんで理系から」にブチ切れたんだろな。理系で挫折してるから。
親の学歴が高いとコンプレックスを感じるのかも知れないですね。
「自分の限界が どこまでかを 知るために僕は生きてる訳じゃない」という歌がありましたが,それでも枠の中で自分を追い込んでしまう.続きは「読書会サークルで」
不細工な人よりそこそこ整った顔の人の方が容姿にコンプレックスがあって整形に手を出しやすい傾向にあるのと同じような感じなんですかね🤔
地方国公立理系大学院出身で博士号持ってても,東大・早慶出身の連中の中にはリアルに相手にしてくれないのがいて,腹が立つ事はあるよ.でもそれは一部の人間で,大概の人は自分のやってることやできることをちゃんと評価してみてくれます.日本国内でしか通用しない評価基準の世界に生きている人ほど学歴で判断する人が多い印象.
早慶文系より明らかにすごいと思うけど。
ここでそれ言ったらだめー
うぅー沁みます
学習歴が大事です。学歴があっても暗愚な人間はいますから。
大学院の話し好き
アトム君の柔らかいところに刺さっちゃったのか
会社でも、同じ仲間のはずなのに俺が、私の方がってでも、一番大切なのは、自分自身だし。世間の評価や、他人に評価じゃないですよね。私は、わたし。
アトムくんはその後みんなに「おれ実はこーであーでこーだったんだ。だからついキレちゃったんだ。なんかごめんだったね。」って詫び入れたのかなー?悪いことしたなー、って思ったら素直に、ごめんねって言えないような人間なら、いくら学歴や地位や名誉があったとしても、人に好かれないと思うんだよな。哲学以前に保育園のせんせに教わったことを思い出さなきゃだめなんじゃねーのかなー。勉強できても友達できねーだろうなー。孤独だよなーそうゆう人は。ことしのクリスマスはねおみんさんのライブ配信参加かーw
アトム君何故哲学に変更したのか私は全然推測出来なかったけれどこの分析すごいですね!さらにアトム君の中に人生に対する誠実さを見抜いたのも鋭いです
涙が出ます。
奥が深い😊 やはり貴方は面白い🤣
ネオさんが高校の先生だったらなあ。。
ゲームのルールは変わってきているようです。
最後何言ってるかわからんのでその人ももつと勉強が必要ですね!
理系はお金がかかりますが、話しを聞いてると金銭面ではなさそうですね。でも転職した会社の歓迎会で「前の会社どこなの?何で辞めたの?」とか聞かれる方が嫌だと思いますよ。自分が聞かれたら、嫌だなと思うことは、聞かない事にしています。
なんかいい話でした。なんかなんとなくだけどw
専門外から見ると、哲学科では、哲学者、哲学史の研究はしているが哲学の研究はしていない印象を受けるのですが、実際はどうなのでしょうか。
純粋な意味での哲学は学部ではなく大学院から、みたいな話は聞いた事があります。また学科単位だと、哲学科は哲学史など、倫理学科が哲学研究に近いとも聞きました。
旧帝落ちなので国立コンプビンビンのギンギンなのですが、ちょっと楽になったかもネオ様ありがとう
よかった!
プライベートゾーンが下ネタにしか見えない
本当の闇をしらんな
哲学科だと気にならないのかもしれませんが、例えば物理学科で、物理学者、物理学史の研究のみを行い、物理学の研究をしていなかったらおかしいです。(そもそも、あり得ないと思う)
学歴とか学力とか勝ち組だとか、くだらねーと思ってた俺の感覚はやっぱ間違って無かった笑
真剣にやってるから怒れるってのは分かるけど、その姿勢は学問に合ってないと思うな教授とかのレベルだと真剣にやるのは当たり前で、呼吸するように学問をやってるわけだから、当たり前の事(なんでその学問をやってるか)を言われても切れないでしょ?努力に値する報いが無いのは当たり前だよ、学問を享受することが幸せなんだから。だから、アトムくんみたいに結果とかを重視して分野を変えたりする人は、ただただ楽しくてひたすらにやってる人には勝てないし、そう言う事を含めて学問には向いてないって思った。向いてる人は周りとか関係なく続けるからね。勿論、悪いことって言ってるわけじゃなく、こう言うマインドの人は学問よりビジネスの方が向いてると思うよ。まあ、アトムくんはそこまで物質主義ではないのかも知れないけど。どのみち、物質主義とアカデミックは相入れないし、理論系ほどそうあるべきだとは思うね。
キレる人怖い…
痛いとこ付きますね
哲学をやるために大学院に行く意味が分かりません。ソクラテスやプラトンが大学や大学院に行ったでしょうか。実験装置が必要な学問とも思えません。
それ言ったら文系全般が概ねそうなってしまう。確かに哲学する、という事だけで考えたら大学院行く必要無いけど、その道の先人が身近に居てある種、強制的に論文書かされて研究発表させられて、、、そういう環境は結構得難いと思う。もちろんガチで哲学するやで!って人なら、働きながらでも何しながらでも大丈夫だろうけど。それと自分の中だけで完結させてokなのか、それを世に問いたいのか、こんなトコロでも変わるかな。
椅子取りゲームに負けただけってことでしょう?頭いいのに変なの?洗脳??自分で新しい椅子取りゲーム作ってはやらせる方法考えたり、革命考えればいいのに。組織に認められることばっかり考えてても。規制の権威を超えれる頭脳あるのに?あとは、外国の大学行くとか、東大じゃないとと思うのが、世界が狭いと思う。
早稲田やな
まさに今の僕の状況ですね。上位私大と呼ばれるところに入学したものの、第一志望だった国立のことが忘れられず、割りきろうと思ってもどこかでやはり学歴を気にする自分がいる。もはや現代の病気ですねこれは。
学歴コンプレックス…。確かに自分にもある。私の場合、ゲームにも参加出来なかった境遇▪環境とかのコンプレックスもある。
人より優れた所だけでなく、人より劣った所がある自分。
それを、受け止めて誇りを持つのが、本当のプライドだと思う。
最近、立ち読みしていたビジネス本で知った。マンガ▪宇宙兄弟での名言で、ジャンケンのグー、チョキ、パーのように人には色んなタイプがいるけど、その中で、誰が一番強いタイプなのかを、知ってる人はいない。
たしか…こんな感じの言葉だったと思う。
高校の頃、「方丈記」読んで沁みたな、大学の頃、「箴言集」読んで面白かったな。得るもの守るものが上限無しの自己実現だけなら苦痛だろう。僕はアトムを否定しない、同情しない、揶揄しない。きっと彼は得るもの守るものが他人になったとき変わるのかもしれない。なんとも照れ臭く分けわからん「愛」っていうことかな。僕は理系で難関大学卒ではありません。
学術的な事を考えると、選べる環境に感謝ですね。本当によく考えさせられる話でした。
学びを変える事って言う決断は、一からやり直す事ですから、それはそれでとても尊いですよね。
願わくば多くの学びを連ねていきたいです。
自分の中で好きで得意なことに全力を捧げていれば全て解決すると思います。社会の中で求められていることに影響されて自分が得意でないところや好きになれないことを頑張っていると、どうしても、それが大好きでたまらない人たちには敵わない。だけど、自分が本当に好きなこと、得意なことに自信を持ってやり続けていれば、少なくともやりたくないものよりは上達するし、自分より凄い人がいても、自分が好きなことなら続けられる。そういった「社会の影響」ってのがコンプレックスだと思います。自分も私大の付属で、ビジネスのエリートになりたかった時期があったけれど、高校の時点で向いてないと思って文学部に行きました。今は自分の好きなことに没頭して勉強しています。専攻どうしようかな、、
若い頃、僕の周りにもアトム君はいたし、僕自身がアトム君だったこともある。自尊心とかプライド、コンプレックス。何かモヤモヤへばり付いて離れてくれないものだった。なのに、いつの間にか、溶けてなくなっていた。いつかなあ、多分、青年から「おっさん」変体した頃?「満足」がすべての尺度になって、今に至ってます。今も、青年の中にアトム君をみかけることもあるけれど、他の青年より一層、見守り、寄り添ってる自覚があったりします。
ある職業や企業が利得を守るために参入障壁として学歴や資格を設けてるだけで、
その椅子取りゲームに学問が利用されてる構造は心底下劣だと思うんですが
アトム君にはまだ哲学が足りなかったのでしょうか。
学歴差別は今の世の中には”確実”に存在しますが、その実態がとても空虚なもので有る事に気付いた時笑い飛ばせる境地に立てると思います。
哲学がアトム君の人生の糧、救いになってくれている事を願います。
「文系理系」という二元論が、こういう価値観を生み出してるな〜という気もします。本来は、人間を相手にする人文学/自然を相手にする自然科学、みたいな研究対象の違いであり、横並びのはず。なのに、できる側/できない側という、人自体の上下関係に紐づいてしまった。もうちょっと言えば、数学できる人と数学できない人みたいな。そしてそれが固着化してしまい、その事実にみんなが無自覚になっていった。。特に日本はその価値観が強いっぽいですね。
文理の枠組みをもう一度解体できれば、物事の見方、それを学ぶ人の見方が多元化できるかもしれないなあ〜 豪胆に生きられるように心がけよっと。
海外だと文系、理系みたいにすっぱりわけないで、もっと細かく入り組んでるらしいね
その方が自由に学問を学べそう
頑張った結果コンプレックスになる。頑張らなくてもコンプレックスになる。そいつらが邪魔をして現在や、これから先を生きるのを邪魔してくる。でも、現在を目一杯頑張っていくしかない。
哲学って現代の社会ではほとんど実用性が無いからある意味過酷な現実から逃避する手段にもなるよね
だんだん学歴社会じゃなくなっていくかもしれないですが、何かの学問を学びたくなったときに、だいたいその道の知識のある人が友達に何人かいるというのはやっぱり不動のメリットだと思いますね。
自分にも学歴コンプがありました。ただ今思えば学歴コンプに囚われたせいで逆に多くのことを見逃してたと思います。今は学歴よりもそのことに後悔しています。
アトムくんが今、肩の力を抜いて生きてることを祈っています。
東大落ち慶應生は東大コンプがひどいと聞いたことあります。
話おもしろいなあ
「学歴(など)は社会の中での自分の立ち位置を決めるゲーム」←おもしろい考え!
エリートはエリートの目線がある
大したことないのに(脳内で)学歴コンプ自称してた自分が恥ずかしい
そもそも生きていること自体ゲーム。ベルクソンの考えからすると人間も植物も動物も生命の流れの通過点にしか過ぎない。事物だから生きようと一生懸命留まろうとしてるけど、俯瞰してみればみーんな同じ生命の仲間!
「なんで哲学に」ではなく「なんで理系から」にブチ切れたんだろな。理系で挫折してるから。
親の学歴が高いとコンプレックスを感じるのかも知れないですね。
「自分の限界が どこまでかを 知るために僕は生きてる訳じゃない」という歌がありましたが,それでも枠の中で自分を追い込んでしまう.続きは「読書会サークルで」
不細工な人よりそこそこ整った顔の人の方が容姿にコンプレックスがあって整形に手を出しやすい傾向にあるのと同じような感じなんですかね🤔
地方国公立理系大学院出身で博士号持ってても,東大・早慶出身の連中の中にはリアルに相手にしてくれないのがいて,腹が立つ事はあるよ.でもそれは一部の人間で,大概の人は自分のやってることやできることをちゃんと評価してみてくれます.日本国内でしか通用しない評価基準の世界に生きている人ほど学歴で判断する人が多い印象.
早慶文系より明らかにすごいと思うけど。
ここでそれ言ったらだめー
うぅー沁みます
学習歴が大事です。学歴があっても暗愚な人間はいますから。
大学院の話し好き
アトム君の柔らかいところに刺さっちゃったのか
会社でも、同じ仲間のはずなのに俺が、私の方がって
でも、一番大切なのは、自分自身だし。
世間の評価や、他人に評価じゃないですよね。
私は、わたし。
アトムくんはその後みんなに「おれ実はこーであーでこーだったんだ。だからついキレちゃったんだ。なんかごめんだったね。」って詫び入れたのかなー?
悪いことしたなー、って思ったら素直に、ごめんねって言えないような人間なら、いくら学歴や地位や名誉があったとしても、人に好かれないと思うんだよな。
哲学以前に保育園のせんせに教わったことを思い出さなきゃだめなんじゃねーのかなー。勉強できても友達できねーだろうなー。孤独だよなーそうゆう人は。
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アトム君何故哲学に変更したのか
私は全然推測出来なかったけれど
この分析すごいですね!
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涙が出ます。
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ネオさんが高校の先生だったらなあ。。
ゲームのルールは変わってきているようです。
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理系はお金がかかりますが、話しを聞いてると金銭面ではなさそうですね。でも転職した会社の歓迎会で「前の会社どこなの?何で辞めたの?」とか聞かれる方が嫌だと思いますよ。自分が聞かれたら、嫌だなと思うことは、聞かない事にしています。
なんかいい話でした。なんかなんとなくだけどw
専門外から見ると、哲学科では、哲学者、哲学史の研究はしているが哲学の研究はしていない印象を受けるのですが、実際はどうなのでしょうか。
純粋な意味での哲学は学部ではなく大学院から、みたいな話は聞いた事があります。
また学科単位だと、哲学科は哲学史など、倫理学科が哲学研究に近いとも聞きました。
旧帝落ちなので国立コンプビンビンのギンギンなのですが、ちょっと楽になったかも
ネオ様ありがとう
よかった!
プライベートゾーンが下ネタにしか見えない
本当の闇をしらんな
哲学科だと気にならないのかもしれませんが、例えば物理学科で、物理学者、物理学史の研究のみを行い、物理学の研究をしていなかったらおかしいです。(そもそも、あり得ないと思う)
学歴とか学力とか勝ち組だとか、くだらねーと思ってた俺の感覚はやっぱ間違って無かった笑
真剣にやってるから怒れるってのは分かるけど、その姿勢は学問に合ってないと思うな
教授とかのレベルだと真剣にやるのは当たり前で、呼吸するように学問をやってるわけだから、当たり前の事(なんでその学問をやってるか)を言われても切れないでしょ?
努力に値する報いが無いのは当たり前だよ、学問を享受することが幸せなんだから。
だから、アトムくんみたいに結果とかを重視して分野を変えたりする人は、ただただ楽しくてひたすらにやってる人には勝てないし、そう言う事を含めて学問には向いてないって思った。向いてる人は周りとか関係なく続けるからね。
勿論、悪いことって言ってるわけじゃなく、こう言うマインドの人は学問よりビジネスの方が向いてると思うよ。
まあ、アトムくんはそこまで物質主義ではないのかも知れないけど。
どのみち、物質主義とアカデミックは相入れないし、理論系ほどそうあるべきだとは思うね。
キレる人怖い…
痛いとこ付きますね
哲学をやるために大学院に行く意味が分かりません。ソクラテスやプラトンが大学や大学院に行ったでしょうか。実験装置が必要な学問とも思えません。
それ言ったら文系全般が概ねそうなってしまう。
確かに哲学する、という事だけで考えたら大学院行く必要無いけど、その道の先人が身近に居て
ある種、強制的に論文書かされて研究発表させられて、、、そういう環境は結構得難いと思う。
もちろんガチで哲学するやで!って人なら、働きながらでも何しながらでも大丈夫だろうけど。
それと自分の中だけで完結させてokなのか、それを世に問いたいのか、こんなトコロでも変わるかな。
椅子取りゲームに負けただけってことでしょう?頭いいのに変なの?洗脳??
自分で新しい椅子取りゲーム作ってはやらせる方法考えたり、革命考えればいいのに。組織に認められることばっかり考えてても。
規制の権威を超えれる頭脳あるのに?
あとは、外国の大学行くとか、東大じゃないとと思うのが、世界が狭いと思う。
早稲田やな