パイセンのラジオ『棒読みについて考える』

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  • Опубликовано: 24 дек 2024

Комментарии • 6

  • @akihikomakino1606
    @akihikomakino1606 Год назад +1

    棒読みができません。それができない人に、魅力的な台詞回しはできないと思うのですが、どうでしょうか?素のない人に特別な状況下を生きることは(演じることは)できないと思うのですが。自分のない人に、他人を演じることができるとは思えません。

    • @satoshinaka
      @satoshinaka Год назад

      実は血パンダでは、演じるってそもそもなんだっけと考えていて、セリフが実はそもそもどんだけ重要なのかという模索の途上です。

    • @akihikomakino1606
      @akihikomakino1606 Год назад

      @@satoshinaka ありがとうございました

    • @akihikomakino1606
      @akihikomakino1606 Год назад

      @@satoshinaka しばらく前にワークショップで詩の朗読をした時に、講師の方に「役者さんの読み方だね』という講評を頂きました。詩の朗読と舞台のセリフの違いを表現することという観点から棒読みと絡めてご意見を頂けないでしょうか?

    • @satoshinaka
      @satoshinaka Год назад +1

      @@akihikomakino1606 その朗読のワークショップがどの様な状態の読みをよしとしているのかがわからないので、なんとも言いようがないですが、「役者」の読み方にも結構、年代やら通ってきた訓練によって傾向があるのと、セリフを言い慣れた人特有の「語って聞かせる」運びがあるので、それを勘付かれたものと推察します。演出の立場としては、棒読みは、テキストをあえて声に出す起点として利用したいところなので、読み手がどう鑑賞したかだけが、なんとなくわかれば良いですね。

    • @akihikomakino1606
      @akihikomakino1606 Год назад +1

      @@satoshinaka そうだと思います。
      そこでは自作の詩を発表し合うというものでした。ちょうどその頃詩のボクシングというものが流行っていました。
      そのワークショップでの発表では、全くそういう気持ちではなく、詩の朗読として声に出したつもりだったので、「嫌な癖がついていて長らく離れていても消えないものなのか」とがっかりした記憶があります。
      今度パイセンの朗読に初参加するので、その辺りを聞いてみようと思っています。