阿波千年物語(19) 幻の伝承の郷、二千年の眠りから覚める卑弥呼の居城へ!!

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  • Опубликовано: 4 дек 2024

Комментарии • 10

  • @yoshiesaide7879
    @yoshiesaide7879 2 года назад +6

    よく調べられていますね。
    8:24からの説明で「右奥の橋は行者野橋」とありますが、正しくは「阿野橋」です。
    また、「建治寺」は、「こんじじ」と読みます。

    • @takaokamm
      @takaokamm  2 года назад +1

      失礼しました。行者野橋の南側をまっすぐ行って、なぜか阿野橋を見落として鬼籠野神社への道をつっ走って、養瀬トンネルまで行って???と思って引き返しました。(^^);

  • @メイ-t9s
    @メイ-t9s Год назад +2

    海先という地名は、昔は、海見と、先代?先台?だったそうです。それが一緒になって海先になったと、聞いたことがあります。

    • @takaokamm
      @takaokamm  Год назад +3

      13番札所大日寺の西の入田町日和田というところがありますが、地元の研究家の話では「その北に「海先」があり、そこは「海見(かいみ)」と「先代(先台?)(さきだい)」が合併して「海先(かいさき)」になったそうで、 海がここまで入り込んでいた。」ということです。 情報ソースはメイさんと同じかもしれませんね。(^^);

  • @朝日日章旗
    @朝日日章旗 5 месяцев назад +2

    素晴らしいですね。ご苦労さまです。ありがとうございます。毎回毎回、見てますよ。

  • @そやで
    @そやで 2 года назад +4

    なるほど、、、
    古代地形が現代とは違うから神話や伝承とは合致しない部分が出てくるのか。
    何で海からここまで内陸に入って生活をしてたんやろ?海の幸が貴重な食料では?と思ってました。
    古代の海岸線とは、いつごろの地形なんでしょう?
    縄文海進までは遡らんとは思うけど、、、(笑)
    それにしても今とは大分と違うもんですね。

    • @takaokamm
      @takaokamm  2 года назад +3

      実は縄文海進のときの海岸線です。もとデータは徳島県立博物館です。ただ、卑弥呼の時代に「海先」という地名であったということは、その頃でも海岸線はあまり後退してなかったのではと思います。

    • @そやで
      @そやで 2 года назад +2

      @@takaokamm さま
      ご返信ありがとうございます。
      驚きです!
      みさき?うみさき?が3世紀の地名であれば、海抜の低い土地が海まで繋がっているのかな?と、想像しています。
      或は、縄文時代の地名が3世紀まで現代のように残っている可能性は低いでしょうか?
      縄文時代には黒曜石で海外交易を行っていたようなので、ある程度の言語は発達していたと考えています。

  • @鷹の爪団員ジャステス
    @鷹の爪団員ジャステス 3 месяца назад +1

    徳島以外の高天原候補諸説🤔
    ①茨城県鹿島市
    鹿島神宮の近くに高天原地名が在る説
    ②奈良県御所市
    葛城山、旧名高天山説
    ③宮崎県高千穂
    天孫降臨の地説
    ④福岡県甘木
    邪馬台国九州説
    ⑤熊本県阿蘇
    火の国説
    ⑥長崎県壱岐
    天ヶ原の地名が在る説
    ⑦鳥取県
    氷ノ山、出雲にあった説
    ⑧群馬県
    犬穴、グンマー帝国領説
    ⑨イスラエルタガー高原
    発音が似ていると云う
    日ユ同祖論者に依る珍説の類説
    ⑩ギリシャオリンポス
    流れ石に首を傾げる話し説
    ⑪中国南部
    🐼が住人?動物王国説😂
    ⑫宇宙そのもの
    哲学的思考で神話を越えてる説