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先月亡くなった母が片貝育ちで軽便鉄道のことよく話してくれてました出発しちゃっても走って追いついて乗せてくれたとかのんびりした時代を生きてきたんだなと思いましたこの動画見せてあげたかったです
お母様の思い出話、素敵ですね。
九十九里鉄道の廃止後、列車は1両が近くにあった幼稚園に寄贈され残りは当時京成電鉄が計画していた遊覧鉄道に使用される予定で東金駅で保管されていた。結局、遊覧鉄道が作られなかったことで東金駅で保存されていた列車は廃車となり幼稚園に寄贈されていた列車は幼稚園移転の際に引き取った人が居て現在も千葉県内の何処かで保管されているらしい。
昔読んだ鉄道雑誌によると、駅構内で車両たちは朽ち果ててしまい、後に残骸は地面に埋めたと説明があった。
船橋ヘルスセンターと谷津遊園を結ぶ鉄道として 計画されていたそうですね。『旧西武山口線』のようなイメージを描いていたのかも。
どこかに保管されているなら見てみたかったですが、個人で保有されているものだと難しいかもしれませんね。
Z6III12bit 6K N-RAWまるで映画レベル
60のジジーですが、僕が東金市に引っ越して来たのが20歳の時、そう、もう40年前です。 若い時はバイクや車でよく海を見に行ったりしましたね。で、片貝県道沿いにシャレた遊歩道があるのを見て「九十九里町も酔狂な金の使い方するなぁ」とずっと思ってました。 まさかね、60のジジーがyoutube見る様になって九十九里に鉄道があっただなんて知ったのは2年位前でビックリ!!
自分も知らなかったので九十九里鉄道の知名度は低いと思います。それだけに新鮮な気持ちで楽しめましたが、もう少し遺構が残っているとよかったですね。まあ60年前の廃線なので仕方ないでしょうか。
私の地元、東金市及び九十九里町、そして九十九里鉄道を紹介していただきありがとうございます。私は、昭和32年生まれですが、一度だけ3-4才のとき九十九里鉄道に乗った記憶がありまして、確か、やや太めの女性の車掌さんだったのを覚えています。列車が発車する際、車掌さんが思いっ切りバシャンと扉を閉めていたのを思いだしました。1961年の廃線後、駅舎と廃車両は1970年代中頃まで放置されサンピアショッピングセンター及び東金駅東口ロータリー建設の際、破壊されそのまま埋められたそうです。私が子供の頃は、恰好の遊び場でした。運転席はなぜかハンドルが有りまして、多分非常用のブレーキだと思われます。動画4分頃、旧大網駅を通過するシーン、円形に杭が打たれた策がある場所が写っていますが、機関車方向転換用のターンテーブルの跡地です。スイッチバックになっているため機関車(蒸気機関車?)の向きが逆になってしまうので設けられたものと思われます。こちらの遺構も1970年代半ば頃まで現存していました。
九十九里鉄道の詳しい解説ありがとうございます!当時のことを知る人も少ないでしょうからぜひその思い出を大切なさってください(^^)
九十九里鉄道線(1926.11.25〜1961.2.28)東金駅ー堀上(ほりあげ)駅ー家徳(かとく)駅ー荒生(あらおい)駅ー西(にし)駅ー学校前(がっこうまえ)駅ー上総片貝(かずさかたかい)駅路線距離8.6㎞軌間762㎜全線単線非電化(ガソリンカー)
大正時代最後に開業した鉄道でした
駅の跡がほとんどわからないのが残念ですね。
わたらせ渓谷鐵道大間々駅近くの小さな博物館の裏に腕木式信号機がありますね。2年くらい前に確認しました。何故ここに…? は謎です。
大間々駅の近くにあるとは知りませんでした!
渋いところをついてきましたね。以前に廃線跡を歩いてみましたが、距離が長くはなく、未だに結構遺構が残っているので気軽に、でも密度の濃い廃線探索を楽しめる路線ですね。独特の単端式ディーゼルカーが見学できる形で残っていれば、より味わいがあったのでしょうが…
あとは車両や駅などが写真でもいいから見れる施設などがあれば良かったのですが、古すぎてあまり残っていないのかもしれませんね。
動画を観て自分も勉強になりました。鉄道網、交通網の発展や衰退を移り変わりを学べる大変素敵な動画です。それにしても九十九里の海は素晴らしいですね🌊
そうですね、鉄道の歴史を通して色々なことがわかりますよね。
動画配信、お疲れ様です毎回拝聴しておりますが、久しぶりの投稿となります。小生は八街住みなので東金駅から徒歩で散策したことあります。片貝漁港、変哲のない港ですが風情ありおすすめです。閑話休題。以前、いきたんさんが動画制作の方向性を模索されていた際、廃線や鉄道の歴史背景等をコメントさせていただいたことを思い出しました。今回拝聴して単に九十九里鉄道のみならず、東金の繁栄や御成街道の成り立ち等、実に奥深いものがあり感服いたした次第です。若い人達のニーズを考えると、新しいものに取り組まざるを得ないこと、ごもっともでこざいますが、こういった「味のある配信」が若い人達に伝わればいいなと思う次第です。長文失礼いたしました。
これはうれしいお言葉をありがとうございますm(_ _)m廃線跡の場合は歴史背景もわかるとより理解しやすいかと思うので自分なりに調べました。特に資料があったわけではありませんが、イワシがたくさん獲れることによって人や物が集まり、その輸送を補完する意味合いもあって鉄道が作られたのではないかと推察しました。このあたりはイワシ博物館や民俗博物館などがあれば詳しくわかるかもしれませんね。
地元東金が取り上げられるのは非常に嬉しいですね~😄
地元の方に見ていただけて嬉しいです!
九十九里浜は、鹿島灘とともに、関東最大クラスの砂浜の長さと海水浴場を擁します。そこにアクセスする唯一の鉄道という形で九十九里鉄道は昭和の初めころに敷設されました。昔の鉄道雑誌に九十九里鉄道が出ていました。その記事を見た私は驚きました。何とも言えない奇妙な車両の写真が載っていたからです。ボンネットバスのような貨車のような信じられない形やサイズの車両たちでした。廃止後20年くらいして私はここを訪れました。一部の線路は残っていました。廃線跡は道路などにもなっており、道幅や廃線跡特有のカーブが鉄道臭を放っていたのですぐにわかりました。漁師町の片貝(旧上総片貝駅跡のそば)で潮の香りをかぎながら、焼きハマグリを食べました。凄まじく驚異的なまでにおいしかったです。もし何らかの経緯で、九十九里鉄道が国鉄になっていたら、今でも、東京駅などから直通の観光特急列車や、夏季臨時海水浴直通列車などが運転されていた可能性が高いです。関東では、東の江の島駅のようになったかもしれません。当時もそういう妄想にかられました。
大正時代最後に開業した鉄道でしたが(1926年はほとんど大正15年だったから)
詳しい解説ありがとうございますm(_ _)mせめて駅や車両の写真などがどこかに展示されているとよかったのですけどね。
60年以上も前に廃止となると、普段この遊歩道を利用している人でもここがかかつて線路だったと認識している人は少なくなっているのでは?そう考えると廃線跡を残した九十九里町の判断は正解でしたね。
遊歩道化されたことで廃線跡というのがわかりますからね。
実は私数年前、この付近の建設現場に資材の運搬で訪れ、最後に登場した駐車場にも立ち寄りました。その際、九十九里鉄道のバスを見かけたため、なんとなくこの路線の存在は知っていました。あまり遺構は残っていないようですが、大網駅の腕木式信号機の存在は驚きました。ナローゲージの路線、今では本当に少なくなりましたが、昔は全国に存在したのかもしれませんね。勉強になる動画、ありがとうございました😄
自分もなかなか九十九里方面には行く機会がありませんでしたが、知らない土地にも意外な鉄道が走っていて驚きました。資料が少ないので十分な調査ができませんでしたが、いろんな歴史が感じられ個人的にも勉強になりました!
関東の腕木式信号機ですが、わたらせ渓谷鉄道の終点、間藤駅の先の旧国鉄足尾線の足尾本山駅に向かう途中にまだ残っていると思います。何年も前のことですが、廃線路跡を歩くイベントの際に間近で見ることができました。
1973年生まれの千葉県出身だが、九十九里鉄道の存在は初めて知った。
廃線になったのが早すぎて知名度は低いかと思います。
『旧大網駅』が スイッチバック構造だったので 非電化時代は 房総半島を一周しても 列車の向きが逆にならないというメリットはありました。九十九里鉄道は86年頃 クルマで廃線跡を辿って見ましたが 家徳付近の用水路を越える橋台と バス乗り場となっていた 広い旧上総片貝駅敷地の柵に古枕木を使っていた事くらいしか痕跡が見つけられませんでした。再整備された今 また行ってみようかな?
86年の時点でもあまり痕跡はなかったんですね。どこかに写真などてもあればイメージしやすいのですが、さすがに時間が経ちすぎましたかね。
千葉県には軽便鉄道の名残がもう一つあります。匝瑳市(旧八日市場市)にある八日市場駅からスタートして、総武本線と並走した後に国道296号線に沿って並走して最終的には八街まで向かいます。太平洋戦争時に鉄が不足したことでレールが調達されてしまい廃線となりましたが、その名残が国道296号線の一部になりました。八日市場駅側は線路と並行した細い道など現在でもはっきりとわかる名残りもあります。
九十九里鐵道はバス会社として存続してます。小湊鐵道と姉妹会社です。実は小湊鐵道の親会社。
鉄道はないけど社名には鉄道が付いたままというのがこだわりを感じます。
九十九里鉄道は1926年(大正15年)11月25日に開業。ということは軽便鉄道(ほとんどは1911~1924年に初開業)にしてはかなりの後発組であり、この時期に初開業なら1067mmにする方が多くなっていたはずですが。もし九十九里鉄道が開業当初から1067mmにしていたら廃止は10年遅かったかも知れません。もし1372mmで開業していたら東金から東金街道(現・国道126号)沿いに旧京成千葉駅(葭川公園付近にあった)まで延長されていた可能性もありそうで、京成に編入されていただろうし、1950年代末には都営地下鉄1号線(→浅草線)乗り入れに伴い京急に合わせ1435mm化されていたかも知れません。
確かに1067mmだったら違ったかもしれませんね。東金線から直通列車とか走ったかもしれません。おそらく当時の九十九里鉄道にそこまで財力が無かったのでしょう。
行先が港ではなく浜では通年利用が難しかったんでしょうね。観光用トロッコ鉄道として残せていたらよかったけど、当事はそんな考えはなかったのかと。
海水浴客の輸送は最初の目的とは違ったのであっさり廃線になったのかもしれませんね。
「単端式気動車」という、ユニークな車両が走っていたそうです。超ミニのボンネットバスといったスタイルで、そのボンネット(エンジン)がある方向にしか進めず、折り返しには数人の乗務員が車両を持ち上げて方向転換をしていたとか(その程度のミニ車両)。車体カラーは、九十九里浜の白い砂と太平洋の青緑にちなんだツートンカラーで、1961年の廃止にしては、明るくオシャレな配色だったようです。
2:34 だから東金線は東京~銚子の近道なのに成東でスイッチバックしなければならないのだ。
成東駅は西から入る構造だったらよかったと思いましたが、元々が貨物列車のためなんですよね。
随分歩きましたね😀海岸では、油断していると後ろから潮がやってくることがあるんですよ。マジか…言いたくなるのもやんぬるかな😆私が同じような経緯で存続する会社として記憶にあるのは、鞆鉄道(ともてつどう、広島県福山市)です。最後の定期0系こだまが福山始発だったので、前乗りで訪れたのを思い出しました😙廃線跡としては、中央線国分寺駅から伸びていた通称「下河原線」の廃線跡はよく整備されていて紹介しやすいと思います。一般道に見えて旧工部省の「工」の境界杭が残っていたり、ホームを模したモニュメントも作られており、自転車でも歩きでもお勧めです😉
下河原線の廃線跡は整備されているんですね、行ってみたいです!
以前読んだ本にあったんですが、使用していた車輌がガソリンカーだったため社員が頻繁に東京まで出てガスを購入するのが日課になっていたと聞いてます。
そこまで頻繁に東京まで行っていたとは驚きです。
九十九里鉄道は小湊グループですね。車両は幼稚園に1両寄贈されて残りは遊覧鉄道にするつもりでしたが実現出来なく東金駅付近に土に埋められたそうです。最後の運行日も数名しか乗車してなかったので当時は鉄道ファンは居なかった感じですね。(Wikipediaより)寂しい限りです。最後の方で多機能トイレと聞こえたのでアンジャッシュの渡部さんの事件で多目的トイレと言う呼び名はしなくなったのかな。でもWikipediaに載るぐらいだから有名だったのかも知れませんね。😊
本来なら海水浴ブームに乗ってもっと存続できたと思いますが、設備や車両が貧弱だったのが悔やまれますね。
家徳駅の少し東金側に橋台が少し残っているのが鉄道由来の人工物の唯一のものですね
そうでしたか!家徳駅付近にも遺構が残っているんですね。
海に行くのにバス乗ったとき、「片貝駅」っていう駅(バス停?)があって意味わからんかったけど、そういうことだったのか
かつて鉄道駅があった場所をバス停が引き継いでいるという感じですね。
九十九里町は国道も鉄道も両方ともない「ないない自治体」の1つです(千葉県では睦沢町も国道、鉄道ともない)。東金市は市そのものが内陸にあります。
そうなんですね、鉄道は残ってほしかったですね。
まぁ道路も整備されている地域だし、バスも充実してるでどうあがいても現在残っている可能性はなかったよね。なお廃線跡はいま用水路である。なので実は辿っていけるのである。
いつか歩いて全区間たどりたいですね。
関東の臨海学校は昭和から千葉県でしたが、現在は子供も少なく、臨海、林間も無いんですかね〜
臨海学校なら九十九里浜も良さそうですけど、今は臨海学校自体があまりないのかもしれませんね。
九十九里は396km、九十九里浜は66kmと6分の1しかありません(むしろ十六里半浜)。国道空白地帯の九十九里浜を通る千葉r30(主要地方道大原飯岡線)は千葉県道の最長路線です
実は全然九十九里ないんですね(^^;
小湊鉄道っぽい感じだったのかな?と思ったけど、どうやら違うようですねバスの塗装(今も残る)だけだったか
バスが同じように残っているのはありがたいですね。
廃線が古い時期で高度成長初期、近代化最優先ため車両保存等の意識はあまりなかった時代というのが残念ですよね。比較的近所なので何度かに分けて私有地立入禁止区域以外ほぼ全線遺構を歩きました。橋台跡も残っていたり、片貝県道から少し入ると天然ガス事業との兼ね合いもあって再開発されず、残っている部分が結構あります。
車両が保存されているとイメージしやすいですが、現在は廃線跡をたどるのが一番わかりやすい感じでしょうか。
九十九里鐵道バスは、アリオ蘇我で無料バスと間違えて最近乗ったけど、今だに運賃が現金払いのみなのに驚いた😅興味ないけど調べたら鐵道会社があったんですね…
そうですね、現金払いなのはいかにも地方路線という感じですね。
千葉県 房総地方で軽便鉄道か なんか想像できないな
おそらく当時の九十九里鉄道にはそんなに財力がなく、安価に作りたかったのかもしれません。
こちらの動画はご参考までに。草軽電鉄のシーンの後 上総片貝駅(多分)と東金駅・家徳駅のカットがあります。T型フォードのガソリンエンジンを動力源とした 単端式ガソリンカーは 意外にも客車や貨車を3両程度まで牽ける程 力持ちでした。ruclips.net/video/nehPrWfcvGY/видео.htmlsi=hJes1FCrHIbLTXWN
貴重な映像ですね!九十九里鉄道としっかり書いてあるので間違いないでしょう。車両の雰囲気は完全に前時代のものという感じですね。
子供の頃(80年代)、八街に住む祖父母の家行く時に、九十九里鉄道というバスを見かけた。聞いた事ない鉄道で、当時の私鉄百科なる本みてもそんな鉄道出てこず、長いこと、?…と自分の中ではミステリアスだった。
だいぶ昔に廃線になっているので知らない人も多いかと思います。自分も知りませんでした。
近所だ!!うれしー!!途中でホーム跡が残されている場所がありますよ!!
多分荒生駅のところだったはず!!
元スイッチバック駅成東で総武本線佐倉、銚子方面乗り換え。夜は東金行あり(^^)最終はE233系4両京葉線車両(^^)東金到着後大網へ回送。翌朝大網発成東行。成東折り返し京葉線直通東京行。東金は東京から65km以上。銚子、勝浦は51km以上。データイムは駅舎側に到着。下り(上り)は左側から右側に入線あり。
東金駅は駅舎側のホームしか使わない時間があるため、そのときは跨線橋が封鎖されていました。川越駅や取手駅などでも見られますが、東金駅でそこまでするのは意外でした。
田んぼの中の築堤跡に橋台が残ってる場所がありますね いつか見に行きたいと思ってるけどなかなか行けません
今回は橋台の場所がわからず通りすぎてしまったので、それはちょっと心残りです。
仮に高度成長期は乗り切ったとしても久留里線の例の区間と同じような運命が来ていたかもしれないですね。
そうですね、多少生き延びても廃線濃厚な気はします。
皆さん、おはようございます。九十九里鉄道はもし軽便鉄道じゃなくて普通鉄道として存続していたら国鉄に買収されて今頃JR九十九里線になっていたかも知れないですね。Mi-keの『想い出の九十九里浜』同じ考えですね。西武新宿線の南大塚が起点となって存在していたらしい旧西武安比奈線を調べてほしいです。
おっしゃる通り、普通鉄道だったら東金線からの直通などで便利になって長く存続したかもしれませんね。西武安比奈線も気になります。
片貝には歩いて成東駅から行ったことあるけど知らんかったな。千葉県の廃線後としては、取り上げるのを見ないけど新京成線に成れなかった津田沼から東側に伸びているのは痕跡いろいろ残っているから是非取り上げてみたらどうですか。
成東駅から片貝まで歩いたとは、なかなかの行動派ですね!津田沼の未成線は気になりますね。
茂原市立美術、郷土資料館に行けば、当時の軽便鉄道の客車が展示してますよ。
茂原市にあるんですね!
それは庁南茂原間人車軌道です
10月に初めて東金線乗車したことを思い出しつつ、動画と道路地図でルートを辿りました。石岡から鉾田まで結ぶ鹿島鉄道の時は地図で破線表示されてましたが、九十九里線は残念ながら表示なしでした。廃線跡がそのまま東金片貝25号線となったからなのかなぁ…🤔
さすがに時間が経ちすぎて道路地図には載せていないのでしょうね。
自動車免許をとったら自分も房総をゆっくり散策してみたいです☺
房総は車で走ると楽しいですよね!
湘南片瀬海岸のあの人の多さを見るともし九十九里に速達性と輸送力を持った鉄道があったらどうなっていたか想像してます。ちなみに東京都心から江ノ島までと都心から九十九里浜までとでは約20キロ九十九里浜の方が距離がありますが…。
千葉の廃線といえばこれ以外に成田鉄道がありますね廃線になったことで富里市から鉄道が消えました
14:20 近づきすぎましたかね
そうなんですよ(^^;
知らなかったです🎉
千葉の中でも知名度は低い鉄道かもしれません。
そうですね。
冒頭の209系の正面帯、酷いなぁ…
209系は使い倒している感がすごいですね(^^;
この路線はどっちにしろ無理だっただろうけど、軽便鉄道法は日本の鉄道史の汚点だよなあ。というか、この路線は地方鉄道法施行後に軌道法で開業したのか。そのくせ何故か特殊狭軌。意味が分からん。
開業したのは1926年(大正15年)11月25日と762mm(既存路線の延長を除く)にしてはかなり遅い方でした
軽便鉄道は産炭地の小規模炭鉱の運搬用としても利用されていたようですが結局、輸送力不足で後に国鉄規格で再敷設されたりしてますからね
建設当時にあまり資金力がなかったのかもしれませんね。
クイズの答えは、茂原ですね。(スイッチバック必要w)今日のは別れの上野駅13番線ですね。冬なのに海に行くんですねw今もあったら賑わっていたのでしょうか?
クイズ正解!海水浴だと夏だけ混んで冬はガラガラだったのかもしれませんね。
九十九里鉄道はバスでしか見た事がないな〜
やはり今だとバスのイメージなんですね。
ぺぇい!東金王国にようこそ!(白目)
東金は本当に久々に来ました!
やきに君
先月亡くなった母が片貝育ちで軽便鉄道のことよく話してくれてました
出発しちゃっても走って追いついて乗せてくれたとかのんびりした時代を生きてきたんだなと思いました
この動画見せてあげたかったです
お母様の思い出話、素敵ですね。
九十九里鉄道の廃止後、列車は1両が近くにあった幼稚園に寄贈され残りは当時京成電鉄が計画していた遊覧鉄道に使用される予定で東金駅で保管されていた。結局、遊覧鉄道が作られなかったことで東金駅で保存されていた列車は廃車となり幼稚園に寄贈されていた列車は幼稚園移転の際に引き取った人が居て現在も千葉県内の何処かで保管されているらしい。
昔読んだ鉄道雑誌によると、駅構内で車両たちは朽ち果ててしまい、後に残骸は地面に埋めたと説明があった。
船橋ヘルスセンターと谷津遊園を結ぶ鉄道として 計画されていたそうですね。
『旧西武山口線』のようなイメージを描いていたのかも。
どこかに保管されているなら見てみたかったですが、個人で保有されているものだと難しいかもしれませんね。
Z6III
12bit 6K N-RAW
まるで映画レベル
60のジジーですが、僕が東金市に引っ越して来たのが20歳の時、そう、もう40年前です。
若い時はバイクや車でよく海を見に行ったりしましたね。
で、片貝県道沿いにシャレた遊歩道があるのを見て「九十九里町も酔狂な金の使い方するなぁ」とずっと思ってました。
まさかね、60のジジーがyoutube見る様になって九十九里に鉄道があっただなんて知ったのは2年位前でビックリ!!
自分も知らなかったので九十九里鉄道の知名度は低いと思います。
それだけに新鮮な気持ちで楽しめましたが、もう少し遺構が残っているとよかったですね。
まあ60年前の廃線なので仕方ないでしょうか。
私の地元、東金市及び九十九里町、そして九十九里鉄道を紹介していただきありがとうございます。
私は、昭和32年生まれですが、一度だけ3-4才のとき九十九里鉄道に乗った記憶がありまして、確か、やや太めの女性の車掌さんだったのを覚えています。列車が発車する際、車掌さんが思いっ切りバシャンと扉を閉めていたのを思いだしました。
1961年の廃線後、駅舎と廃車両は1970年代中頃まで放置されサンピアショッピングセンター及び東金駅東口ロータリー建設の際、破壊されそのまま埋められたそうです。私が子供の頃は、恰好の遊び場でした。運転席はなぜかハンドルが有りまして、多分非常用のブレーキだと思われます。
動画4分頃、旧大網駅を通過するシーン、円形に杭が打たれた策がある場所が写っていますが、機関車方向転換用のターンテーブルの跡地です。
スイッチバックになっているため機関車(蒸気機関車?)の向きが逆になってしまうので設けられたものと思われます。
こちらの遺構も1970年代半ば頃まで現存していました。
九十九里鉄道の詳しい解説ありがとうございます!
当時のことを知る人も少ないでしょうからぜひその思い出を大切なさってください(^^)
九十九里鉄道線(1926.11.25〜1961.2.28)
東金駅ー堀上(ほりあげ)駅ー家徳(かとく)駅ー荒生(あらおい)駅ー西(にし)駅ー学校前(がっこうまえ)駅ー上総片貝(かずさかたかい)駅
路線距離8.6㎞
軌間762㎜
全線単線
非電化(ガソリンカー)
大正時代最後に開業した鉄道でした
駅の跡がほとんどわからないのが残念ですね。
わたらせ渓谷鐵道大間々駅近くの小さな博物館の裏に腕木式信号機がありますね。
2年くらい前に確認しました。
何故ここに…? は謎です。
大間々駅の近くにあるとは知りませんでした!
渋いところをついてきましたね。以前に廃線跡を歩いてみましたが、距離が長くはなく、未だに結構遺構が残っているので気軽に、でも密度の濃い廃線探索を楽しめる路線ですね。独特の単端式ディーゼルカーが見学できる形で残っていれば、より味わいがあったのでしょうが…
あとは車両や駅などが写真でもいいから見れる施設などがあれば良かったのですが、古すぎてあまり残っていないのかもしれませんね。
動画を観て自分も勉強になりました。
鉄道網、交通網の発展や衰退を移り変わりを学べる大変素敵な動画です。
それにしても九十九里の海は素晴らしいですね🌊
そうですね、鉄道の歴史を通して色々なことがわかりますよね。
動画配信、お疲れ様です
毎回拝聴しておりますが、久しぶりの投稿となります。
小生は八街住みなので東金駅から徒歩で散策したことあります。
片貝漁港、変哲のない港ですが風情ありおすすめです。
閑話休題。
以前、いきたんさんが動画制作の方向性を模索されていた際、廃線や鉄道の歴史背景等をコメントさせていただいたことを思い出しました。
今回拝聴して単に九十九里鉄道のみならず、東金の繁栄や御成街道の成り立ち等、実に奥深いものがあり感服いたした次第です。
若い人達のニーズを考えると、新しいものに取り組まざるを得ないこと、ごもっともでこざいますが、こういった「味のある配信」が若い人達に伝わればいいなと思う次第です。
長文失礼いたしました。
これはうれしいお言葉をありがとうございますm(_ _)m
廃線跡の場合は歴史背景もわかるとより理解しやすいかと思うので自分なりに調べました。
特に資料があったわけではありませんが、イワシがたくさん獲れることによって人や物が集まり、その輸送を補完する意味合いもあって鉄道が作られたのではないかと推察しました。
このあたりはイワシ博物館や民俗博物館などがあれば詳しくわかるかもしれませんね。
地元東金が取り上げられるのは非常に嬉しいですね~😄
地元の方に見ていただけて嬉しいです!
九十九里浜は、鹿島灘とともに、関東最大クラスの砂浜の長さと海水浴場を擁します。そこにアクセスする唯一の鉄道という形で九十九里鉄道は昭和の初めころに敷設されました。
昔の鉄道雑誌に九十九里鉄道が出ていました。その記事を見た私は驚きました。何とも言えない奇妙な車両の写真が載っていたからです。ボンネットバスのような貨車のような信じられない形やサイズの車両たちでした。
廃止後20年くらいして私はここを訪れました。一部の線路は残っていました。廃線跡は道路などにもなっており、道幅や廃線跡特有のカーブが鉄道臭を放っていたのですぐにわかりました。
漁師町の片貝(旧上総片貝駅跡のそば)で潮の香りをかぎながら、焼きハマグリを食べました。凄まじく驚異的なまでにおいしかったです。
もし何らかの経緯で、九十九里鉄道が国鉄になっていたら、今でも、東京駅などから直通の観光特急列車や、夏季臨時海水浴直通列車などが運転されていた可能性が高いです。関東では、東の江の島駅のようになったかもしれません。当時もそういう妄想にかられました。
大正時代最後に開業した鉄道でしたが
(1926年はほとんど大正15年だったから)
詳しい解説ありがとうございますm(_ _)m
せめて駅や車両の写真などがどこかに展示されているとよかったのですけどね。
60年以上も前に廃止となると、普段この遊歩道を利用している人でもここがかかつて線路だったと認識している人は少なくなっているのでは?
そう考えると廃線跡を残した九十九里町の判断は正解でしたね。
遊歩道化されたことで廃線跡というのがわかりますからね。
実は私数年前、この付近の建設現場に資材の運搬で訪れ、最後に登場した駐車場にも立ち寄りました。その際、九十九里鉄道のバスを見かけたため、なんとなくこの路線の存在は知っていました。あまり遺構は残っていないようですが、大網駅の腕木式信号機の存在は驚きました。ナローゲージの路線、今では本当に少なくなりましたが、昔は全国に存在したのかもしれませんね。勉強になる動画、ありがとうございました😄
自分もなかなか九十九里方面には行く機会がありませんでしたが、知らない土地にも意外な鉄道が走っていて驚きました。
資料が少ないので十分な調査ができませんでしたが、いろんな歴史が感じられ個人的にも勉強になりました!
関東の腕木式信号機ですが、わたらせ渓谷鉄道の終点、間藤駅の先の旧国鉄足尾線の足尾本山駅に向かう途中にまだ残っていると思います。
何年も前のことですが、廃線路跡を歩くイベントの際に間近で見ることができました。
1973年生まれの千葉県出身だが、九十九里鉄道の存在は初めて知った。
廃線になったのが早すぎて知名度は低いかと思います。
『旧大網駅』が スイッチバック構造だったので 非電化時代は 房総半島を一周しても 列車の向きが逆にならないというメリットはありました。
九十九里鉄道は86年頃 クルマで廃線跡を辿って見ましたが 家徳付近の用水路を越える橋台と バス乗り場となっていた 広い旧上総片貝駅敷地の柵に古枕木を使っていた事くらいしか痕跡が見つけられませんでした。
再整備された今 また行ってみようかな?
86年の時点でもあまり痕跡はなかったんですね。
どこかに写真などてもあればイメージしやすいのですが、さすがに時間が経ちすぎましたかね。
千葉県には軽便鉄道の名残がもう一つあります。
匝瑳市(旧八日市場市)にある八日市場駅からスタートして、総武本線と並走した後に国道296号線に沿って並走して最終的には八街まで向かいます。
太平洋戦争時に鉄が不足したことでレールが調達されてしまい廃線となりましたが、その名残が国道296号線の一部になりました。
八日市場駅側は線路と並行した細い道など現在でもはっきりとわかる名残りもあります。
九十九里鐵道はバス会社として存続してます。小湊鐵道と姉妹会社です。実は小湊鐵道の親会社。
鉄道はないけど社名には鉄道が付いたままというのがこだわりを感じます。
九十九里鉄道は1926年(大正15年)11月25日に開業。
ということは
軽便鉄道(ほとんどは1911~1924年に初開業)にしてはかなりの後発組であり、
この時期に初開業なら1067mmにする方が多くなっていたはずですが。
もし九十九里鉄道が開業当初から1067mmにしていたら廃止は10年遅かったかも知れません。
もし1372mmで開業していたら東金から東金街道(現・国道126号)沿いに旧京成千葉駅(葭川公園付近にあった)まで延長されていた可能性もありそうで、
京成に編入されていただろうし、
1950年代末には都営地下鉄1号線(→浅草線)乗り入れに伴い京急に合わせ1435mm化されていたかも知れません。
確かに1067mmだったら違ったかもしれませんね。
東金線から直通列車とか走ったかもしれません。
おそらく当時の九十九里鉄道にそこまで財力が無かったのでしょう。
行先が港ではなく浜では通年利用が難しかったんでしょうね。観光用トロッコ鉄道として残せていたらよかったけど、当事はそんな考えはなかったのかと。
海水浴客の輸送は最初の目的とは違ったのであっさり廃線になったのかもしれませんね。
「単端式気動車」という、ユニークな車両が走っていたそうです。超ミニのボンネットバスといったスタイルで、そのボンネット(エンジン)がある方向にしか進めず、折り返しには数人の乗務員が車両を持ち上げて方向転換をしていたとか(その程度のミニ車両)。
車体カラーは、九十九里浜の白い砂と太平洋の青緑にちなんだツートンカラーで、1961年の廃止にしては、明るくオシャレな配色だったようです。
2:34 だから東金線は東京~銚子の近道なのに成東でスイッチバックしなければならないのだ。
成東駅は西から入る構造だったらよかったと思いましたが、元々が貨物列車のためなんですよね。
随分歩きましたね😀
海岸では、油断していると後ろから潮がやってくることがあるんですよ。マジか…言いたくなるのもやんぬるかな😆
私が同じような経緯で存続する会社として記憶にあるのは、鞆鉄道(ともてつどう、広島県福山市)です。最後の定期0系こだまが福山始発だったので、前乗りで訪れたのを思い出しました😙
廃線跡としては、中央線国分寺駅から伸びていた通称「下河原線」の廃線跡はよく整備されていて紹介しやすいと思います。一般道に見えて旧工部省の「工」の境界杭が残っていたり、ホームを模したモニュメントも作られており、自転車でも歩きでもお勧めです😉
下河原線の廃線跡は整備されているんですね、行ってみたいです!
以前読んだ本にあったんですが、使用していた車輌がガソリンカーだったため社員が頻繁に東京まで出てガスを購入するのが日課になっていたと聞いてます。
そこまで頻繁に東京まで行っていたとは驚きです。
九十九里鉄道は小湊グループですね。車両は幼稚園に1両寄贈されて残りは遊覧鉄道にするつもりでしたが実現出来なく東金駅付近に土に埋められたそうです。最後の運行日も数名しか乗車してなかったので当時は鉄道ファンは居なかった感じですね。(Wikipediaより)寂しい限りです。最後の方で多機能トイレと聞こえたのでアンジャッシュの渡部さんの事件で多目的トイレと言う呼び名はしなくなったのかな。でもWikipediaに載るぐらいだから有名だったのかも知れませんね。😊
本来なら海水浴ブームに乗ってもっと存続できたと思いますが、設備や車両が貧弱だったのが悔やまれますね。
家徳駅の少し東金側に橋台が少し残っているのが鉄道由来の人工物の唯一のものですね
そうでしたか!家徳駅付近にも遺構が残っているんですね。
海に行くのにバス乗ったとき、「片貝駅」っていう駅(バス停?)があって意味わからんかったけど、そういうことだったのか
かつて鉄道駅があった場所をバス停が引き継いでいるという感じですね。
九十九里町は国道も鉄道も両方ともない「ないない自治体」の1つです
(千葉県では睦沢町も国道、鉄道ともない)。
東金市は市そのものが内陸にあります。
そうなんですね、鉄道は残ってほしかったですね。
まぁ道路も整備されている地域だし、バスも充実してるでどうあがいても現在残っている可能性はなかったよね。なお廃線跡はいま用水路である。なので実は辿っていけるのである。
いつか歩いて全区間たどりたいですね。
関東の臨海学校は昭和から千葉県でしたが、現在は子供も少なく、臨海、林間も無いんですかね〜
臨海学校なら九十九里浜も良さそうですけど、今は臨海学校自体があまりないのかもしれませんね。
九十九里は396km、
九十九里浜は66kmと6分の1しかありません
(むしろ十六里半浜)。
国道空白地帯の九十九里浜を通る
千葉r30(主要地方道大原飯岡線)は
千葉県道の最長路線です
実は全然九十九里ないんですね(^^;
小湊鉄道っぽい感じだったのかな?と思ったけど、どうやら違うようですね
バスの塗装(今も残る)だけだったか
バスが同じように残っているのはありがたいですね。
廃線が古い時期で高度成長初期、近代化最優先ため車両保存等の意識はあまりなかった時代というのが残念ですよね。比較的近所なので何度かに分けて私有地立入禁止区域以外ほぼ全線遺構を歩きました。橋台跡も残っていたり、片貝県道から少し入ると天然ガス事業との兼ね合いもあって再開発されず、残っている部分が結構あります。
車両が保存されているとイメージしやすいですが、現在は廃線跡をたどるのが一番わかりやすい感じでしょうか。
九十九里鐵道バスは、アリオ蘇我で無料バスと間違えて最近乗ったけど、今だに運賃が現金払いのみなのに驚いた😅興味ないけど調べたら鐵道会社があったんですね…
そうですね、現金払いなのはいかにも地方路線という感じですね。
千葉県 房総地方で軽便鉄道か なんか想像できないな
おそらく当時の九十九里鉄道にはそんなに財力がなく、安価に作りたかったのかもしれません。
こちらの動画はご参考までに。
草軽電鉄のシーンの後 上総片貝駅(多分)と東金駅・家徳駅のカットがあります。
T型フォードのガソリンエンジンを動力源とした 単端式ガソリンカーは 意外にも客車や貨車を3両程度まで牽ける程 力持ちでした。
ruclips.net/video/nehPrWfcvGY/видео.htmlsi=hJes1FCrHIbLTXWN
貴重な映像ですね!
九十九里鉄道としっかり書いてあるので間違いないでしょう。
車両の雰囲気は完全に前時代のものという感じですね。
子供の頃(80年代)、八街に住む祖父母の家行く時に、九十九里鉄道というバスを見かけた。聞いた事ない鉄道で、当時の私鉄百科なる本みてもそんな鉄道出てこず、長いこと、?…と自分の中ではミステリアスだった。
だいぶ昔に廃線になっているので知らない人も多いかと思います。
自分も知りませんでした。
近所だ!!うれしー!!
途中でホーム跡が残されている場所がありますよ!!
多分荒生駅のところだったはず!!
元スイッチバック駅
成東で総武本線佐倉、銚子方面乗り換え。
夜は東金行あり(^^)最終はE233系4両京葉線車両(^^)東金到着後大網へ回送。
翌朝大網発成東行。成東折り返し京葉線直通東京行。東金は東京から65km以上。銚子、勝浦は51km以上。データイムは駅舎側に到着。下り(上り)は左側から右側に入線あり。
東金駅は駅舎側のホームしか使わない時間があるため、そのときは跨線橋が封鎖されていました。
川越駅や取手駅などでも見られますが、東金駅でそこまでするのは意外でした。
田んぼの中の築堤跡に橋台が残ってる場所がありますね いつか見に行きたいと思ってるけどなかなか行けません
今回は橋台の場所がわからず通りすぎてしまったので、それはちょっと心残りです。
仮に高度成長期は乗り切ったとしても久留里線の例の区間と同じような運命が来ていたかもしれないですね。
そうですね、多少生き延びても廃線濃厚な気はします。
皆さん、おはようございます。
九十九里鉄道はもし軽便鉄道じゃなくて普通鉄道として存続していたら国鉄に買収されて今頃JR九十九里線になっていたかも知れないですね。
Mi-keの『想い出の九十九里浜』同じ考えですね。
西武新宿線の南大塚が起点となって存在していたらしい旧西武安比奈線を調べてほしいです。
おっしゃる通り、普通鉄道だったら東金線からの直通などで便利になって長く存続したかもしれませんね。
西武安比奈線も気になります。
片貝には歩いて成東駅から行ったことあるけど知らんかったな。
千葉県の廃線後としては、取り上げるのを見ないけど新京成線に成れなかった津田沼から東側に伸びているのは痕跡いろいろ残っているから是非取り上げてみたらどうですか。
成東駅から片貝まで歩いたとは、なかなかの行動派ですね!
津田沼の未成線は気になりますね。
茂原市立美術、郷土資料館に行けば、当時の軽便鉄道の客車が展示してますよ。
茂原市にあるんですね!
それは庁南茂原間人車軌道です
10月に初めて東金線乗車したことを思い出しつつ、動画と道路地図でルートを辿りました。
石岡から鉾田まで結ぶ鹿島鉄道の時は地図で破線表示されてましたが、九十九里線は残念ながら表示なしでした。廃線跡がそのまま東金片貝25号線となったからなのかなぁ…🤔
さすがに時間が経ちすぎて道路地図には載せていないのでしょうね。
自動車免許をとったら自分も房総をゆっくり散策してみたいです☺
房総は車で走ると楽しいですよね!
湘南片瀬海岸のあの人の多さを見るともし九十九里に速達性と輸送力を持った鉄道があったらどうなっていたか想像してます。ちなみに東京都心から江ノ島までと都心から九十九里浜までとでは約20キロ九十九里浜の方が距離がありますが…。
千葉の廃線といえばこれ以外に成田鉄道がありますね
廃線になったことで富里市から鉄道が消えました
14:20 近づきすぎましたかね
そうなんですよ(^^;
知らなかったです🎉
千葉の中でも知名度は低い鉄道かもしれません。
そうですね。
冒頭の209系の正面帯、酷いなぁ…
209系は使い倒している感がすごいですね(^^;
この路線はどっちにしろ無理だっただろうけど、軽便鉄道法は日本の鉄道史の汚点だよなあ。
というか、この路線は地方鉄道法施行後に軌道法で開業したのか。そのくせ何故か特殊狭軌。意味が分からん。
開業したのは1926年(大正15年)11月25日と762mm(既存路線の延長を除く)にしてはかなり遅い方でした
軽便鉄道は産炭地の小規模炭鉱の運搬用としても利用されていたようですが
結局、輸送力不足で後に国鉄規格で再敷設されたりしてますからね
建設当時にあまり資金力がなかったのかもしれませんね。
クイズの答えは、茂原ですね。(スイッチバック必要w)
今日のは別れの上野駅13番線ですね。
冬なのに海に行くんですねw今もあったら賑わっていたのでしょうか?
クイズ正解!
海水浴だと夏だけ混んで冬はガラガラだったのかもしれませんね。
九十九里鉄道はバスでしか見た事がないな〜
やはり今だとバスのイメージなんですね。
ぺぇい!
東金王国にようこそ!(白目)
東金は本当に久々に来ました!
やきに君