We areからオフコース を聴いて鈴木さんはロックぽい屈折した歌詞の曲ばかりで彼のキャラクターと思っていたけどそういうことだったのですね。自分のポジションに悔しさを感じていたこともあるでしょうけど 何せデビューからずっと小田さんと対等な関係だったのですから。オフコースを脱退した最初のアルバムを聴いてその明るさに驚いた記憶があります。
よく調べているとは思うけど、間違ってるところも。「メンバーの脱退が相次ぎ」というのは嘘。鈴木しか脱退していない。また、小田を中心に売ろうとしたのは、マネージャーの上野氏の戦略であり、その方針に鈴木が納得できなかったため。このあたりは山際淳司の書いたドキュメンタリー「Give up」に描かれている。解散発表の前からいわゆる「匂わせ」は行われており、アルバム「We are」その次は「Over」、続けると「We are over」(ぼくたちは終わった)という形で意思表示はされていた。4人で活動再開したのは、活動期間の間に残りメンバー3名が、音楽でメシが食えるような土台やツテを作ってほしかったから。小田以外の作品が取り上げられているのも、収入確保の面から。
鈴木康博と小田和正の不仲説みたいな記事が書かれた雑誌を1984年頃、本屋で立ち読みした記憶がありますが、内容はあまり憶えてませんでした。二人に何か有ったんだな、ぐらいの認識です。そういう事だったんですね、初めて知りました。オフコースは小田さんの作られた曲も、鈴木さんが作られた曲も好きでした。鈴木さん作では、個人的に1977年の「ジャンクション」収録の「潮の香り」が最高峰です。確か、1985年か1986年のミュージックフェアにゲスト出演した際にこの曲、歌いました。深夜のラジオで初めて聴いて一発で気に入り、レコード店で収録アルバムを探してミュージック・テープで購入し、後にLPも入手したほど。他には「のがすなチャンスを」も大好きなナンバーなので、鈴木さんの才能も凄く堪能してました。「I LOVE YOU」の♪あゝ早く9月になれば・・・♪は当時から謎なフレーズでしたが、これも初めて知り、ガッテンしました。 また、小田さんの子供嫌い(苦手?)は1979年頃に姉が買って来た雑誌「セブンティーン」で読んだ財津和夫との対談でも触れられていました。財津:「まだ結婚しないわけ?」小田:「やっぱり財津と同じじゃない?」「子供の泣き声とか、耐えられる自信がない」と、確かこんなやりとりでしたね。
鈴木さんの声も独特の声で,声だけで「ヤっさんだ!」って分かります(かつてコカコーラのCMでノンクレジットだったときとか)。鈴木さんのいるオフコースのサウンドとコーラスが好きだった者としては,その後のオフコースは正直物足りなかったです。ライブでの「SAVE THE LOVE」や「一億の夜を越えて~のがすなチャンスを」の世界は鈴木さんのいるオフコースならではです。
懐かしくてついみてしまいました。私は所謂yass派と言われていたファンで解散後鈴木康博さんのファンクラブに入っていました。
会報やコンサートでポツリポツリと解散のキッカケや経緯をお話して下さる事あり…この動画で「居場所が無くなった」と表現されていますが
当日のYassさんの言葉では「皆役割分担が決まっちゃって俺はギターが効いたロックっぽい曲書いて、オダが作った曲でコーラスキメて…みたいなの」
「レコード会社もそういうのばかり要求するから、今俺がやりたい音楽ってのをオフコースにいたら出来ないんだ…と悩んでしまった」と仰ってました。
他にも色んな要素があったと思いますが私の中ではコレがオフコースの解散理由だと思ってます。
「さよなら」のヒット後にレコード会社とオフコース側との対立もあったそうですね。ヤスさん脱退あとも対立が止まらず、東芝時代の最後に出たアルバム
「YES-YES-YES」も
レコード会社側が一方的に出したからか、小田さんメインの作品しかなかったとか。
@@yb4wyt7k1y
アルバム『YES-YES-YES』は
“A面コレクション”ってなってましたからね😅
『ロンド』は入ってないから
結果的に小田さんの曲だけになる
訳ですよね…
ジャケットも写真も
TV『NEXT』で撮ったと思われる様な
写真だったから
取り敢えずアリ物を集めて作った
感がありました💦
We areからオフコース を聴いて鈴木さんはロックぽい屈折した歌詞の曲ばかりで彼のキャラクターと思っていたけどそういうことだったのですね。自分のポジションに悔しさを感じていたこともあるでしょうけど 何せデビューからずっと小田さんと対等な関係だったのですから。オフコースを脱退した最初のアルバムを聴いてその明るさに驚いた記憶があります。
鈴木さんが語った言葉を書き起こしたのをどこかで読みましたが、あれを読むと、オフコースの路線変更に乗れなかった鈴木さんの心のうちというか深層心理は、小田さんも自分と一緒の方向に行って欲しかったのに、他の3人の方に軸を合わせた事がとてもショックだったのではないかという風に感じました。
鈴木さんが小田さんの事を思って書いたという「明日の風に吹かれて」という曲の歌詞は、ほんとに小田さんのことを大好きだったんだなというのが感じ取れて泣けて来ますね。
両雄並び立たずというのか、ヤスさんはボーカリストであり作詞作曲もする
才能のある方ですから、小田さんの曲ばかりがA面になるのは内心複雑だった
はず。オフコースを脱退したと聞いた時は、「ああ、やっぱり」と思いました。
ただ、ヤスさんが脱退して四人になってからのオフコースは、サウンドにやはり
厚みがなくなったと感じていました。オフコース時代の曲「時に愛は」など
ギターソロの掛け合いの曲が好きでしたから。
小田和正は小田和正、オフコースはオフコース。
僕にとっては別の存在。
そして小田さんのソロを積極的に聴く事はあまりないけど、オフコースは今でも懐かしさと新鮮さを感じながら聴いています。
そして個人的にだけど、小田さんが一番輝いていたのはやっさんのいた頃のオフコース時代だと感じているかな。ロックテイストの曲でシャウトする小田さんの色気も、スパーンと抜けてくるハイトーンのやっさんも実に魅力的だった。
やっさんの「恋を抱きしめよう」のギターソロがめちゃめちゃカッコ良いいんよねぇ・・・
小田さんとヤスさんが通学時に金沢八景の乗り換えの道でハモっていた歌声は有名だったそうです。わたしはヤスさんの歌も好きで「通りすぎた夜」「美しい思い出に」「潮の香り」「雨よ激しく」。また短期間で良いので2人のオフコースを見たいです。
それプラス私の一押しは「いくつもの星の下で」
小田和正さんの歌は大好き。でも鈴木さんがいた頃のサウンドこそ最高でした!
どちらか片方では無く、小田さん鈴木さんお二人の声が揃って奏でる音が一番好きでした。
小田さんの声はキャッチーでパワフルで多くの人を魅了しますが、鈴木さんの穏やかな声が混ざることで、より違う物に変身します。
また、高音といえば小田さんが脚光を浴びますが、私は鈴木さんの当時のファルセットは、日本のポップス界随一だと思っていて、あんな美しくて力強い裏声は、今でもあまりいないと思ってます。
@@杉原徹郎 小田和正の
沢山の楽曲は
素晴らしいけど頑張りすぎて
体壊れないように、してください
@@南木洋子-v1g 無理です
同意。別に小田派でもヤス派でもない。
二人のコーラスが好きなんだ。
5:55 NHK-FMの番組でヤスさんからのメッセージに思わず涙したのは、小田さんではなくて司会の阿部渉アナウンサーなんだけどね。
鈴木さんのライブ行ったことがあります。鈴木さんの曲好きなんですよね~
確かに、オフコースは小田さんのイメージが強くなりましたよね。そのなかで、追加のバンドメンバーもその小田さんのバンドを作るイメージで増えていきましたからね。となると鈴木さんは自分の居場所を見つけるのは難しくなったのはなんか納得がいきました。
鈴木さんの優しい声が好きだったな~
原キー、原キーよく言われるけど、オフコース時代から下げて歌ってる曲もある。先日30年ぶりにライブ行きましたが、あの年齢で今でもこれだけ歌えるのは凄いとしか言えない。
私のオフコースは、大好きな杉田二郎ちゃんと事務所も同じで活動もラジオもという時期で2人のハモリは素晴らしくすぐ夢中になり、日本青年館のLIVEによく行きました。鈴木康博さんのソロが大好きでアルバムも名曲が多く、このまま2人でと願っていましたが私のオフコースは終わりました。いまでも、康博ファンです🙂
私の青春にオフコースは欠かせない存在です。小田さんも好きですが、やっぱりオフコースです。
みなさん揃った姿が観たい、聴きたいです。
お子さんに関してはご夫婦にしかわからないことがありますよね。毎日小田さんの生声が聴けるなんて幸せだと思います🍀。
シングルのA面がYES、NO。B面が愛の終わる時。
最初に聴いた時は、YES、NOが好きでしたが、愛の終わる時を何度も聴いている間に、B面の愛の終わる時の方が好きに成ってしまいました。
松尾さんは、せつなくて、が好きです。
1982年の日本武道館アリーナ席で聴いた、OVERは最高でした。
鈴木さんと小田さん、出逢いは電車の中だったんですね。
ビートルズのポールとジョージはバスの中。
乗り物で出逢うなんて素敵な出逢いですね
よく調べているとは思うけど、間違ってるところも。「メンバーの脱退が相次ぎ」というのは嘘。鈴木しか脱退していない。また、小田を中心に売ろうとしたのは、マネージャーの上野氏の戦略であり、その方針に鈴木が納得できなかったため。このあたりは山際淳司の書いたドキュメンタリー「Give up」に描かれている。解散発表の前からいわゆる「匂わせ」は行われており、アルバム「We are」その次は「Over」、続けると「We are over」(ぼくたちは終わった)という形で意思表示はされていた。4人で活動再開したのは、活動期間の間に残りメンバー3名が、音楽でメシが食えるような土台やツテを作ってほしかったから。小田以外の作品が取り上げられているのも、収入確保の面から。
鈴木さんの愛の終わる時、夜は二人で、好きです。
小田さんの、愛の中ヘも好きです。
小田さん阿部アナに「何でお前が泣くんだよ」って言ってましたよね。
グループでは、『両雄並び立たず』なんだよね。
遅かれ早かれそういう運命にあったのだと思う。
ずっと聴いていると、二人の曲の目指す方向がちょっと違うのが良く分かる。
鈴木さんの良さが、大人になってからとっても実感できました。
中学時代はかなり小田和正に傾倒していたけど、今は鈴木さんの曲調が大好きです!
オフコースは、やっぱり2人が揃っていた時代ばかり聴いてしまう😂
ふ~ん。
小田さんの才能は素晴らしいですが、小田さん+鈴木さんという組み合わせの頃の小田さんの曲のほうが私は好きです。
好みの問題ですけど。小田さんがソロになった時にあ、オフコースとは違うんだなと思いました。
サザンとKUWATA BANDの差はよくわかりませんでしたが、オフコースと小田さんのソロはちょっと違うな、と。
確かに。ビートルズはビートルズで、ジョンもポールもソロになったらビートルズと違うように、オフコースも同じですね。
サザンとKUWATA BANDは音楽性が全く違うよ。もし違いがわからなければその原因のひとつは桑田が歌い分けできていないということだろうけど。
@@peliatanbidani8573
コメントありがとうございます。
桑田さんに関しては、好きですがファンというほどでなく、それほど思い入れがなく聞いてるから、差を感じないのかなと。
オフコースは私の青春で、めちゃくちゃ聞き込んでいました。
オフコースと小田さんの差も、普通の人には感じにくいのかもなあ、という比喩で出しました。
本当に桑田さんの事がわかる人にはもちろん違いがわかるのだと思います。
@チョコ大好き 部外者は黙ってね
小田さんはソロになってからも確かに優れていますけど、ぬくもりというか、洗練され研ぎ澄まされた何かが消えてしまったと思いました。小田さんはズバ抜けた才能だけどその才能はメンバーに支えられていましたね。
オフコースは色褪せない。
そう思う。
私今52ですが、中学の頃ギターを始めるきっかけがオフコースでした。ヤスさんが弾いていたAR300に憧れましたね。人生初めてのコンサートもオフコース…夏から夏までがまだ発表されてない時ライブで初めて聴いたのを覚えてます。
デビュー曲からネクストまで…全部歌える位好きでした。4人になってから少し聴いていたものの…自然とオフコースから離れて行きました。でも4人時代の曲も好きな曲が多いです。当時はエレキギターから始めたのと、他のロック音楽に関心が移ったのですが、今でも時折RUclipsでコピーバンドを見たり、音源を聴いては唄ってます。
色んな音楽を経て改めてオフコースを聴くとアレンジが素晴らしいなとつくづく思います。ギターを始めるきっかけとなったオフコースのおかげで私は今もギターを続けてます。
解散の要因やお話は私は一切知りませんでした。当時は情報も乏しく中高生だったので…初めて知りました。ファンでしたが知りませんでした。
AR、頑張って買いましたー!
今更ながら、yassさんとのレベルの違いに絶望感😂
ヤッさんのARは500CSだった様に記憶してます。TULIPの安部さんも愛用してましたね。
当時とても買える金額では無かった😢
社会人になりやっと買えたのがAR100
6個のコントローラーとフレットのインレイが羨ましかったなぁ。
AR100は今でもトラブル無く音が出るのが素晴らしいです。
時々SAVE THE LOVEのイントロを弾いて当時に浸っています。
ついついARに反応してしまい余計な横槍すいませんでした。
@@999aquamarine1 500なんですね。現在ARは発売されてないので、中古も古すぎてちょっと…って感じなので形が似たフジゲンのエキスパートライズっていうモデルを持ってます。現在もあれば売れるモデルだと思うんですけどね。
小田・鈴木の頃のオフコースが好きです。かといって、今さらオフコースを再結成してほしいとは思いません。…でもふたりでハモって歌うのを聞いたら、泣いちゃうかもなあ(笑)。
良い。
同感です😊
僕も再結成は望んでません。
オフコース時代の音を越える事は出来ないと思うし
再現する事すら難しいのではないかと…
それでも
二人でステージに上がったら
やっぱり泣くとは思います😅
@@takashiichikawa5152 そうだと思います。
仮に再結成するのであれば、5人で10曲全て新曲のアルバム作って、新曲10曲+αのLIVEツアーやって、それで、終了。
俺だったら、そうするかも。
でも、彼等は、やらないでしょう。
決して彼等のようではなく
@@takashiichikawa5152 私も同じです。私もきっと泣いてしまいますね。
5人のオフコースは望んでいないけど、小田さんと鈴木さんふたりのオフコースはもう一度、聴きたい…
ヤスさんの曲、歌声は勿論オフコースとしての要素の大部分ですが、私は彼のギターが本当に素晴らしいと思っています。いくつもの星の下でや、夜は二人でなど、まだまだきりがない程心に残るギターソロが有ります。テクニックも最高レベルだし、とにかく忘れられないメロディなんです。
当時、日本のプロギタリストで、ギタリスト・ヤスさんのファン多かったです!
至高のギタリストですよね。
@@BB-jf4km そうですよね!
@@シュタインステルガー ホントに至高のギタリストです!
@@tac3506 この話題になって、ついつい『夜は二人で』の映像を視てきました。改めて鈴木さんのギターの音色に痺れます。
鈴木さんのリードボーカルは曲よかったからね
めちゃめちゃアルバムのアクセントになってた
オフコースを知ったのは鈴木さんが抜けた活動休止期間中でした。親にお小遣いを値上げしてもらって過去に販売されたLPを毎月1枚買って擦り切れるほど聴いていました。他のバンドはあまり知りませんが、ハーモニーの美しいバンドは見当たりません。
小田さんの曲「君のこと」は、やっさんのことを歌ったんだってね。
「僕らと呼べる、君のことをいま、心から誇りに思う」
長い時間をかけて、なんとか心の折り合いが付いたんだろうと思います。
鈴木さんへの想いをたくさんの歌にして、小田さんはいつか二人でまたステージに立つ夢を諦めていないというメッセージを送り続けてますね
「空が高すぎる」から「東京の空」へ、いつか想いが届きますように
オフコースの活躍当時は軟派な曲だと揶揄されたり女性ファンに人気があったから他のグループにも嫉妬まがいの批判みたいのがあった。チューリップはオフコースが解散を噂される時期に解散したら小田さんが入って欲しいと言ってたからこそ今も解散せずに残っている。オフコース、2人のときはフォーク感があるが、バンドになってサウンドが厚みをました分完成度上がった今聞いても色褪せない曲ばかり、別のグループは良い曲だが昭和や世相がちらつく。小田さんの才能は突出していた、それは今でも一線で活躍しているの証。小田さん頑固で真っ直ぐだから揉めたらややこしい、昔比べれば丸くなった。今の時代ならもうちょと自由にできるが、昭和はしがらみもあり、妥協じゃなく鈴木さんは自分の音楽を取って抜けることにした。その決断が二人が後悔してないければ良いと思う。1ファンの自分には解らいこと。鈴木さんのいたオフコースは最高なのはたしか。
過去のアルバム聞き返すとスリーアンドトゥまではとても楽しそうな雰囲気でライヴもやられてましたね
小田さんと鈴木さんのバランスが良かった
でもWe areから小田さんの比重が大きくなって
でもどんどん洗練もされて人気もうなぎ登りになって
皮肉なもんだなと
両雄並び立たず
小田さんが最近ディモンティーの高岸に見える。ヤッさん一番背が高くてイケメン。のがすなチャンスをとか美しい思い出にが好きだった。ソロも素敵だがオフコースが好きだったんだよ。
小田さんの曲だっとしても、それをもっときれいに作ったのはヤスさんのギターとコーラスだった。
5人体制になったとき、小田さんは本当に嬉くて楽しそうだった。特に清水さんのことが可愛くてしょうがないように見えた。実質解散の日、スタッフや他のメンバーは打ち上げがあったのに、小田さんだけ帰ったらしいけど、乾杯してサヨナラする気分にはなれなかったんだろうな。
小田さんは凄いけど、私の中ではオフコースは康さんとの2人。潮の香りとか良い曲沢山あるよねー。2人でオフコースと思ってます。
潮の香り大好きです
学生時代。机に『オフコース』と書いただけで鳥肌がった。オフコース。青春を、ありがとう。
鈴木さんの曲やギターはイギリスのキャメルやアメリカのボストンの影響も感じられオーケストレーションが見事でした。
再結成はすべきではないような気がする。しないでしょうしね。
あのオフコースはあの時のオフコース。あの時だったからこそのオフコースですよ。
そしてそれは私たちの心の中にずっと居ますからね。それで十分じゃないですか?
そうですね。ただ、願わくばステージの上で、一度だけでいいから共演してほしいと思っています。
君は君の歌 うたえ
僕はこの想いを 調べにのせて
とあるけど、5人になったあたりから、ヤスさん居場所がないと感じはじめたんじゃないかしら
あと、4人になってから解散するまで数年活動したけど、ヤスさん抜きではバランス取れなくて、シミジンが体調崩してギブアップしたんだと思う。
「いくつもの星の下で」が自分の人生のテーマソングだと思ってます。
わかる
ヤスさんが抜けた時点で、もうオフコースではなかった。
バンド名を変えるべきだと当時から思ってました
@@木村勇-f4w バンド名変えて無理です
ふーん
@@木村勇-f4w 部外者はかんけーねーな。決めるのは本人たち
@@吉津明子 あんたのコメント最高!
オフコースのピアノカバーさせて頂いていますが、オフコースと言えば小田和正さん・・・これは私もその1人です。「さよなら」以前の2人時代の楽曲は小田さんと鈴木さんの両方好きで特に2人の美しいハーモニーはとても心地良かったです。鈴木さんが脱退後の小田さんの曲風は、かなり暗い感じになったように感じていました。やはり鈴木さんが一緒に居てこそ小田さんの曲風がオフコースの感じになるのかな・・・メンバー五人が元気であるうちに1日だけでも良いので再結成して欲しい・・・と願っています😊
鈴木さんがいたからどう言うこと。常識知れよ?
オフコースの再結成有るわけ無い、考えが甘い
オフコースは、二人も五人も四人も、オフコース。
鈴木は自分で辞めたし、グループは解散してるし。
再結成なんてない。
再結成はカッコ悪い。
メンバー全員死ぬまで再結成なぞ、無い。
@@吉津明子 ナイス!
@@佐藤浩一-y4n 有り難うございます❓️
「NEXTのテーマ」の歌詞、
当時の小田さんの
鈴木さんに対する想いなんでしょうね。
アルバムNextの
オリジナルの2曲は、
ヤスさんと小田さんの
それぞれのそれまでの想いが綴られてる感じがします
ヤッさんに名古屋で小田さんがメッセージを送ったお返しにNHKラジオでコメントを返したんだよね。
それを聞いて涙ぐんで感動しちゃって。はオフコース好きのNHKアナ(渦中の人)。
皆二人のオフコースを最後に見たいのは同感ですが、誰か大物が引き合わせ役をしないと無理でしょうね。
全く二人にその気はない様には思えないのですが…中々二人でやろう!とは言え無いんでしょうね。
え?ということは小田氏よりもあのアナの方が泣いてたということですか?
それかアナにもらい泣きしたとか。。
ソロになった鈴木さんは田舎の小さなライブハウスに出演するなど手づくりの音楽活動されていますよね
松尾さんとジローさんがかつて所属したジャネットがコンテストでふきのとうを破って優勝した時のことは忘れられないなぁ
小田さんが笑っていいともに出演なさってタモリさんとの微妙な空気の中で友だちの輪を繋げたのはおもしろかった
オフコース今でもずーっと聴いている
鈴木さん自身も素晴らしい曲を作っていて小田さんみたいな特長はないけど凄く歌が上手い方だからね~解散はしょうがないかもな🤔
金沢文庫の同郷の小田さん❗中学生の時に見た武道館コンサートのビデオ❗それから40年、小田さんのファンです‼️
「言葉にできない」の歌で吹いている松尾さんのハーモニカーを扱う、松尾さんのハーモニカーのレベルの高さに、改めてその音色の美しさに驚かされながら「あ」今ハーモニカーが入って来た。松尾さんだと思って聴いていると楽しいです。
@水澤秀成 なんだ、それ。
松尾さんのハーモニカ良いですね
ここで言われているのは表面上、二人の関係性だけを語っていますが、、一番はレコード会社が仕掛けたものとして言われています。それに翻弄され二人の間に深い溝ができてしまったということが真相のようです。
@チョコ大好き いやいやレコード会社は売れることが大事でしょう
ただシングルA面小田さん23曲、鈴木さん1曲(それもアルバムに未収録)はなんぼ何でもね
個人的には「一億の~」とか「素敵なあなた」とかシングルA面にしても良かったのではとは思います
いくらなんでも、小僧はない。常識外れだよ、まともなコメント書けよ
@@bugutsu9775 あたり。
@チョコ大好き 稼ぐのが当たり前。売るのが当たり前。会社なんだから。
死ぬ前に小田鈴木の生ハーモニーを聴きたい❗️
小田さんヤスさんのハーモニーが好き。
ブルガリアヨーグルトのCM を聴いた
時は、女声?と思ったくらい透明感が
衝撃的だった
ヤスさんのエレキギターは、何回聴い
ても新しい。色褪せないし、忘れない。
2人のオフコースから5人のオフコースの時期に友人に毎日、聞かされ好きになりました。女性に対する気持ちもオフコース感満載で純粋な恋愛を求めてましたが現実は純粋な女性は少なかったギャップを思い出します
鈴木さんの曲も好きでした。特に「潮の香り」。今日(10/29)鈴木さんのライブに行きます。小さなホールなので楽しみです。
オフコースは小田和正さんと鈴木康博さんの二人がいたから成立していました。鈴木康博さんが脱退した後は、小田和正バンドになったと思っています。。。
オダコースw
@@田中一郎-v4e なにそれ。
私にとってのオフコースは小田さんと鈴木さんです。
確かに、小田さんが、中心の、
オフコースだったと
思いますが、アルバムに、
入れる曲は、自分の曲を
減らして、いたように、思います。
リーダーとして、メンバーの事を、
大切に思っていたと
思います。
そうだな、配慮はあったよな。きっと。わからないけれど、、、
アルバムの曲数に関しては
『over』で完全にバランスが崩れてますね💦
小田さん5曲、ヤスさん2曲
松尾さん1曲…
これはちょっと極端じゃないかなぁと思いました😅
@@takashiichikawa5152 たしかに、
あの頃、歌詞も曲も一切出て来なかったと鈴木さん。
小田さんの最近出た本の中で、鈴木さんコメントされてますね。
出来る事はサウンドに力注いだと。
曲数が少ない理由みたいですね。
再結成する必要はないけどもう一度二人で歌う機会は作りなよ。大瀧詠一さんが亡くなった時にそのうちまた一緒にやろうと思っていた細野晴臣さんがしまったと思ったように片方が欠けてしまっては遅いんだから。ただ二人の気持ちもわかるからファンが望むであろう昔の曲は1曲もやる必要ない。懐メロやるんじゃ意味がないと考えている二人なんだから今の時代の新曲を作って演奏して欲しい。私は4人時代になってしかライブに行けなかったが後の3人には待ってもらってとにかく二人で共演できる機会をと思う。クリスマスの約束とかのゲスト鈴木康博だっていいしオフコースの名前も必要ないんだから小田&ヤスなんてグループ名だって何だっていいじゃない。あと動画内では確執と言てるけどファンは確執なんてないと知ってるからね。小田さんは事務所、レコード会社の方針からとはいえずっとヤスさんに申し訳ないと負い目を感じていたしヤスさんは自分が抜けてもバンドの存続を望んでたし。小田さんの声も曲も好きで良い曲ばかりだと思うけどアルバムを繰り返して聞くと飽きるし飽和感があるんだよね。ヤスさんの曲と交互に来ると飽きずに心地良く繰り返し聞いていられるからバランス良かったんだよ。
鈴木康博と小田和正の不仲説みたいな記事が書かれた雑誌を1984年頃、本屋で立ち読みした記憶がありますが、内容はあまり憶えてませんでした。二人に何か有ったんだな、ぐらいの認識です。そういう事だったんですね、初めて知りました。オフコースは小田さんの作られた曲も、鈴木さんが作られた曲も好きでした。鈴木さん作では、個人的に1977年の「ジャンクション」収録の「潮の香り」が最高峰です。確か、1985年か1986年のミュージックフェアにゲスト出演した際にこの曲、歌いました。深夜のラジオで初めて聴いて一発で気に入り、レコード店で収録アルバムを探してミュージック・テープで購入し、後にLPも入手したほど。他には「のがすなチャンスを」も大好きなナンバーなので、鈴木さんの才能も凄く堪能してました。「I LOVE YOU」の♪あゝ早く9月になれば・・・♪は当時から謎なフレーズでしたが、これも初めて知り、ガッテンしました。
また、小田さんの子供嫌い(苦手?)は1979年頃に姉が買って来た雑誌「セブンティーン」で読んだ財津和夫との対談でも触れられていました。財津:「まだ結婚しないわけ?」小田:「やっぱり財津と同じじゃない?」「子供の泣き声とか、耐えられる自信がない」と、確かこんなやりとりでしたね。
「潮の香り」最高ですね、当時高校生でギター初めて4年目くらいでしたが転調が多くただレコードに合わせて弾くだけで
精いっぱいでした。やっさんのロックぽいソロギターがある曲も好きだけど、「ロンド」のような落ち着いた雰囲気の曲もいいと思う。
『さよなら』の大ヒットの後、
『生まれ来る子供たちのために』や『I LOVE YOU』はカップリングとして、
『愛の終わる時』や『夜はふたりで』をメインでシングル発売されてたら、
オダコースにならなかったかも?しれないですね。
当時は「両A面」という概念?はほとんど無かったですし、
アルバムも「We are」の頃からかレコード会社の小田メインごり押しが
小田さんの透き通った声も良いけど、ヤスさんの甘い声の方が好きだったなぁ。
オフコース大好きだった。でも『さよなら』あたりから何か自分が求めていた『オフコース』と違う気がしてきてあまり聞かなくなっていった。
鈴木さんが脱退の時に、「やっぱり‥‥」と「終わった‥‥」という気持ちが残った。それ以降のオフコースは知りません。その時から僕にとってはオフコースは過去だけのバンドになってしまいましたから。
数年前に松尾さんが出したアルバムに、小田さんがゲストで参加していたらしいですね☺️そしてヤスさんの50年+2年の記念ライブに、松尾さんがゲスト出演したと、何気に繋がっている所が良いですね😁
因みにヤスさんのソロファーストアルバムには、大間さんや清水さんが係わってるんですよね☺️
オフコースの曲はギターソロになるといきなりハードになる印象があります。当時からギターの人は違う音楽がしたいんだろうなと思っていました。
鈴木さんの声も独特の声で,声だけで「ヤっさんだ!」って分かります(かつてコカコーラのCMでノンクレジットだったときとか)。鈴木さんのいるオフコースのサウンドとコーラスが好きだった者としては,その後のオフコースは正直物足りなかったです。ライブでの「SAVE THE LOVE」や「一億の夜を越えて~のがすなチャンスを」の世界は鈴木さんのいるオフコースならではです。
小田さんは、歌が上手い、歌唱力がある・・・と言うよりは、独特な味のあるボーカル・・・だと、私は思いますね。
ヤスさんは、間違いなく歌が上手い。という枠に入るようなボーカルだと思っています。
ヤスさんのギター、特にアコギの技術、奏でる音は、スタジオミュージシャンに引けを取らない程だと、昔から
感じて聴いていました。
勝ち負け・・・ではありませんが、小田さんに負けないくらいの名曲は沢山ありますよ!ヤスさんは。。。
きかせて 哀しいくらい
小田さんが主線律歌っている名曲だが、間に入れる鈴木さんのコーラスが何か聞いていて全て持っていかれる感覚が、いつもある。
もしこれが映画のワンシーンなら鈴木さんが唄うワンフレーズが主役かと。
鈴木さんは歌が上手いボーカリストだと私も思います。
今年のクリスマスの約束の放送はないのですが、最後のクリスマス🎄の約束は、オフコースであって欲しい、、
まー、小田さんも最初の頃は普通に歌っていたんだけど、徐々に自分の声の美しさに気付いて、自分の声を生かせる曲作りになっていって、どんどん小田さんだけが目立つようになっていった。
鈴木さんとしたら忸怩たるものがあっただろうな。
「言葉にできない」は小田さんから鈴木さんへのラブレターじゃなかったっけ?
そうですね。この曲聞く度に涙がでます💧
二人で活躍していると思っていたら、いきなり5人での「さよなら」大ヒットにびっくりした。オフコースのLPを何枚も買った。
その後、当選したチケットで武道館ライブに行ったが、ハードスケジュールのせいか当時の音響技術のせいか、小田さんのキーが下がっていて全くハモれていなかった…。
「オフコースの❛売り❜のハモりが全くできてないって何よ!」と憤慨しながら帰ったことも、今となっては懐かしい。
結成初期の4人、3人時代は知らないが、二人時代の曲が好きかな。
鈴木さんのライブ情報を受け取れるようにしているのだが、なかなか日程合わず残念。
中学、高校、大学とオフコースと小田さんの曲をずっと聞いていた。
小田さんは今も健在だけど「We are」や「Over」の頃は勢いがあるね。
鈴木さんのソロアルバムで「Acoustic」とか「あなたに明日を」とか聞いてみると、いい曲でやっぱりうまいなぁ~と思うけど、メジャーなヒット曲にはならないだろうなとも思う。
4人のオフコースの時にそれぞれがソロ活動をしたことがあったけど、鈴木さんもオフコースと並行してソロ活動をできれば、また違った展開があったのだろうか。
イベント的に共演して欲しい気もするけど、15年も前ならともかく今やっても新しいものを生み出せそうに見えないからやらない方がいい。
「小田和正の声」云々ではなくて、お互いの個性のぶつかり合いがバンドを形成していくのではないのでしょうか?
もし、小田和正の声を前面に出していくのであれば、そのように割り切ってやっていくしかありませんね。
過去を振り返れば
オフコースのヒット曲は5人体制の時期に集中していて
残念ながら4人になってからはヒットなし。
やはりヤッさんの力は大きかった。
今になってわかったことだけどね。
なかなか、入手しにくいですが、1989年に出版された、鈴木康博さん著「時代を超えて、今」という本、かなり赤裸々にオフコース解散時のことが語られています。小田さんの曲の中で鈴木さんが気に入ってた曲が「ひとりで生きてゆければ」だったのは少し意外でした。
「言葉に出来ない」は名曲バラードですが鈴木康博さんが消えて行ったような感じでした…。
オフコースは永遠に忘れません❤
小田さんのキャラもアレだからなあ~でも多分、1番の理解者がヤッさんなんだろうし…
だから再結成は無いと理解しつつも、お互い後期高齢者なんだから、サラッと金沢八景の街中とかで1曲演る動画を上げるのも良いのでは?イタズラっぽくw
オフコースはヤスさんがいてのオフコースだったと思います。
小田さんの楽曲が中心だったけど、ヤスさんの曲もあったからこそのオフコースです。
クリスマスの約束で、ヤスさんと共演してほしいと、いつも思っています。
一度だけでいいので。
はあ。
小田和正、いまだにガラケー使ってるんだけど、待ち受け画面は、5人の写真と、5人の集合写真の6枚がランダムに表示されるようにしているらしいですね。
小田さんの、オフコースちょうど結成50年の武道館ライブで、その日の待ち受けが集合写真だった、って言って想いを馳せて涙流していてすごい印象的だった。
小田さんは今もうiPhone使ってますよ
二人の時のオフコースは俺の青春でもありました。再結成は見てみたいですが遅すぎる気持ちもあります。思い出は美しいく、たまに振り返るだけが良いかも😔
ヤスさんは、小田さんにもっと声に勢いをつけたら?とアドバイスしたとか。【さよなら】と【言葉にできない】はヤスさんをイメージした歌ときいています。
懐かしく聞かせて頂きました😋ありがとうございます。
良いね。
もう花は要らないが、
私にとってのオフコースでした。
でももう花はいらない。ですよね😊
@@loveliesbleeding様
こんばんは。
こだわりますねえ。
@チョコ大好き様
おはようございます。
私の中でオフコースは、
three&twoで完結した様に思います。
@@loveliesbleeding あたり、あんた、いちいち細かいよね~
@@平唱尊 性格が細かいんだな。
稲垣潤一さんかデビューした当時、稲垣潤一さんの雨のリグレットを聴いた瞬間に「オフコースの歌に曲といいそっくり!」と驚きました。
直ぐに調べでみたら、オフコースの松尾さんが稲垣潤一さんの為に作曲したんですね。
オフコースの曲にそっくりな稲垣潤一さんの、雨のリグレットは松尾さんらしさがでていて好きです。
因みに作詞は 湯川れい子さんです。
潮の香り♪大好きです。はるか昔の艶やかな夏の日が、頭の中に蘇ります。
小田和正、鈴木康博、武藤敏史のトライアングルで作り上げた「ワインの匂い」がオフ・コースのピークでしたね。
武藤さん 亡くなられたのですね…
残念。
へえ、そうなんだ。
あんたの主観だろ。
@@田中一郎-v4e これについては、あんたと同じ。残念です。
小田さんの色が強くなりすぎてて、鈴木さんの居場所がなくなるのはわかる。でも鈴木さんが出ていった後の小田さんの歌は
完成度が高すぎる硬い曲ばかりになった。軽く上澄みをさらっとすくったような曲がなくなった。
でも売れた
ファンは皆知ってる話だよね。鈴木さんはその後すぐソロデビューした。
オフコースが解散した頃に、鈴木さんが出した本の中で書かれてますよね。
まあ小田さんは読んで無いだろうけど。
@@QTX1234 ソロ活動と同時に郷ひろみに「素敵にシンデレラコンプレックス」の曲を提供しました!
TOYOTAカローラのCMソングでした!
@@yoshiichi242 鑑定団のエンディングテーマ
スプライトのCMソング
バンダイ時代がゲームミュージックも有るそうですが、ゲームは遣らないので聞いたことは多分無いです?
僕等の時代、言葉にできない、僕等がいたなどヤスさんへの思いを伝えてた曲をつくったのにね。
そうだな。共感、
鈴木さん脱退後の最初のシングル「君が、嘘を、ついた」を聴いたとき、「オフコース」というバンドでこれをやる必要ないよなと直感で幼いながらも感じとったのを思い出した。
バンドとソロだといろいろと違ってくるのかもね
作詞作曲の印税が多く入ってきてメンバー内でも給料の違いが大きくなったのかな
最初に買ったレコードは鈴木康博のALONE
cdはオフコースのNEXTでした
5人集まったって、昔のようなハーモニーは今のYassには無理。
良い思い出にしておきましょう。
小田さんが声が出てる方が奇跡に近いんだよ。
七十過ぎにはホセ・カレーラスはオペラからは引退したし、プラシド・ドミンゴはバリトンに転向した。
@@QTX1234 あのハイトーンが小田和正の人気を支えているが、声変わりしていないのが奇跡です!
あたり!
@@QTX1234 小田も声はもう出てないよ。YES-YES-YESなんか高いとこ出てないじゃん。
声なんか出てなくてもやはり5人のオフコースの曲を聞きたい。
これからも小田和正さんの ”応援隊 “ ですよーっ🎵🎼🎸🙋🙋🙋ずーっと いつまでーも😉🎈
5人時代のオフコースは、ハーモニーやギターの音が素晴らしいです。
アルバムもクオリティーが高く、擦り切れるように聴いたものです。
サヨナラって40年以上前の歌なのか。 今聞いてもまったく古臭さを感じない。
鈴木脱退後、ソロデビュー第一弾の「愛をよろしく」は、鈴木康博の最高傑作だ。
良い曲ですよね。好きです。軽いし切れている。でも、最近のアルバムも素晴らしいですよ。
Sincerelyはとてもいいアルバムでした!その次のHelloAgainも良かった。オフコース時代も隠れた(私的には全く隠れてませんが)Yass名曲多数ですよね
シティウーマンもカッコ良くて好きだけど。
あと郷ひろみの「素敵にシンデレラコンプレックス」もヤッサンじゃなかったっけ?
@@天草五郎-s2k 郷さんに提供してトヨタカローラのCMで使われ、その後セルフカバーもされていますね。
これも良い曲です。
ドラマの主題歌でしたね
nextのテーマのようにまた、そこから一緒に歩き出して欲しいな~
オフコースほどのビッググループとかで、よく主力メンバーの確執が取り沙汰されるけど、そうだったとして、離れてしまうとお互いパッとしなくなるようなことがあるのは、どこの集団でもよくあることだね
7分2秒、「ありふれた幸せに背を向け.........」初期のころからのオフコースを知っている人は、「あっ」と思いましたよね?
声を張り上げ泣いてみるのもいいさ♪
1人で生きてゆければ…
名曲"ひとりで生きてゆければ"ですね。
ヤッさんが脱退した直後に彼がリリースしたレコードは確かオフコースと同じ東芝EMIからだったんだよね。
あったり~!
でも、
そのすぐ後に4人のオフコースは、新田さんと武藤さんの作ったFUN HOUSEに行っちゃったけどね。
売れる曲を作れる才能が開花したのは小田さんの方だったのは事実だけど、
体制・サウンド的な1+1+3のバランスが崩れた時点でバンドは終わった。
小田和正さんと鈴木康博さんは
イルカさんの旦那さんの告別式かな、再会して何か会話を交わしてたと日曜朝のラジオ番組でイルカさんが話されてました。さすがに内容までは分からなかったそうですが
大ヒットしてから、周りが求める物と、それぞれが目指す物にずれが生じてしまったんですね。
小田さんの歌声は、とにかく無二の歌声で、コーラスには不向きでは?と、当時思っていました。
まぁ、解散理由なんて今更だし、ご本人達が消化できているなら、それでいいこと。
願わくば、1ライブでも「オフコース」して欲しいです。
Hope to see them again..