【解説】松江城 Matsue Castle

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  • Опубликовано: 8 фев 2025
  • 「松江城」は江戸時代、幕府の許可を得て造られた城です。
    1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」において功績のあった堀尾忠氏(ほりおただうじ)は、出雲国(現在の島根県東部)・隠岐国(現在の島根県隠岐郡)を与えられ、松江藩初代藩主となりました。そして父・堀尾吉晴とともに、「月山富田城」(がっさんとだじょう)に入城します。しかし月山富田城は中世の山城で不便が多く、松江に城を移すことにしました。
    1604年(慶長9年)になると堀尾忠氏は急死。息子の堀尾忠晴(ほりおただはる)が跡を継ぎますが、まだ幼かったため、堀尾吉晴(ほりおよしはる)が補佐し、松江城と城下町を建築していきました。1607年(慶長12年)に着工された松江城は、1611年(慶長16年)に完成します。堀尾忠晴には跡継ぎがなく、1634~1637年(寛永11~14年)の約3年間、京極忠高(きょうごくただたか)が藩主となりました。京極忠高は、氾濫を起こしていた斐伊川(ひいかわ)の治水を行なっています。また石見銀山の監督権が与えられ、松江藩歴代最大の領地を治めていました。
    京極忠高の治世のあとは松平直政(まつだいらなおまさ)が入城。このあと10代にわたって松平家が松江藩主を務めます。
    明治時代に入ると、廃城令により松江城の建造物は取り壊されていきました。松江城天守も民間に払い下げられることになり、解体が決定します。しかし勝部本右衛門(かつべもとうえもん)や高城権八(たかぎごんぱち)ら地元の有志が私財を投じたことによって、保存されることとなりました。
    1935年(昭和10年)に国宝指定を受けた松江城天守ですが、国宝指定基準の変更に伴って、重要文化財に指定されます。創建当時の天守であることが証明できず、国宝指定がなかなか認められませんでした。しかしその後の調査で天守の完成時期が明らかとなり、歴史的価値が見出されたため、2015年(平成27年)に再び国宝に指定されています。

Комментарии • 1

  • @starultrider
    @starultrider 28 дней назад

    無骨な感じが好きだな。