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行動を起こす0.5秒前には脚は動いている、意識は後追いだ。不思議な話しじゃなくてむしろ自然な話しに思う。これを不思議だと感じる人はよっぽど自我が強力で素直に生きてきた人に感じる。
ある人が「人間の意識というのは実は小さなもので、その外側に無限といっていいほどの無意識が広がっている」といいました。「なるほど、たしかにそうだ」と納得しました。先生のこのお話を聞くと、さらに「意識と無意識を分けることさえ難しい」ということがわかります。
養老先生に訊いてみたいのは、意識は自然のものなのかということ
なんか安心してお話が聞く事が出来る雰囲気を醸し出されます事ですね・・・
最近ですが先生の話に惹きつけられてる50過ぎのオバサンです。脳の不思議を考え出すと楽しいです!
初期仏教を勉強し 養老先生のお話をお聞きしていると、点と点が線で繋がっていく感じがしてとても面白いです。初期仏教で行われている 歩く瞑想 の重要性を再認識いたしました。
ピッチャーが投げたボールがバッターの前に到達するのが0.5秒です。この場合あらかじめストライクは打とうという意識があって、後は0.5秒前の意思に任せているのかな?
脳は動作を記憶しているのではないか?だから我々はいちいち面倒な動作を意識しないで済む。新しい情報が入ってきた時には新たな動作の構築に入ってそれを記憶する。その繰り返しですね。それをしないと複雑な場の場合は正常な動作が出来なくなってしまう。
養老先生 脳 宇宙 知識 歴史 科学 全ては人類の脳の共通認識からくると思います。 脳は小さいけど偉大なものと思います。
意識がフワフワしてる時があって、子供の頃から離人症状があります。誰かと会話をしている最中になる事もあれば、歩いている時に突然「あれ?私今脚を動かして本当に歩いているのかな?」と自分の体じゃないような不思議な感覚です。自分のことを第三者からの目線のような感じでとらえることもあります。意識についてもっと解明されたら、離人症の事ももっと色々分かるようになるのかな…
どこかでみた脳内にはいくつも意識がいて、状況によって優位が変動するって説を思い出した。簡単に言うと脳内会議がずっと行われていて行動と表層意識はその決定が反映されてるという話だったと思う。脳梁切除したてんかん患者の左右視の違いによる意識と行動の差とか、これ補強するようですごく興味深い。
いくつもいるのは意識ではなく無意識、前意識的なものでは?意識になるともうそれは識閾下から出てきてしまっているから
「意識は単なる脳の作用に過ぎない」と全て分かったつもりになるのではなく、意識はよく分からないとおっしゃっているところが良いと思いました。私は現実世界を超える非物質的な世界がまずあって、生きものはその「現れ」なのだと考えます。意識は身体から生じるという考え方によって意識を理解することは不可能だと考えます。
意識を俯瞰している、脳のモニターセンターみたいなのが、どこにどのようにして働いているのか、分からないんですね。意識というものも、よくわからない、なるほどですね。高度な人工頭脳を作ったら、それは意識を持つのか?ということが話題になっていますね。
整然とこれこれこうだからこうします、、みたいなのだけが意識ではないので、体の欲求(古い脳の)が先に有って、体はそれに従って動き、それにいわゆる意識が気付くのが0.5秒後ではないでしょうか?
最高です
決めない、とゆう事を決めたい
興味深い講演でした。報酬系からの行動が本能でPTSDからくる行動の抑止が意識と仮定して考えてみようと思いました。
つまり自分たちがそれぞれ生きているこのルートが1番効率の良いルートということか?
先生は80代ですが姿勢がいい。髪の毛はシルバーがかった白で艶があります。私の意識は先生の話しを聞きながら色々なことを考えてる。座って聞くのと寝ながら聞くのでも話しの受け止め方は違ってきます。意識とはやはり後付けなのかな… どちらでも結局のところいいし、同じ事みたいです。
脳の働きは、脳が遺伝的に働く部分と人が成長に伴って自分に有利なことは何かを総合的に判断する部分があるのだと自分は考えます。運動選手が予想外の結果を出したときに「自分を褒めてあげたい」ということがあります。この場合、自分を褒める自分と、自分に褒められる自分がいるということでしょう。脳は二重構造になっています。だから、先生の疑問である、「ストーカーをやりたい自分とそれを押しとどめたい自分がいる」というこは超能力でも何でもないです。人間の脳はそういう構造になっています。いつ帰るのを決めるのは、遺伝的な脳が決めるのではなく、もう一人の自分、つまり、経験でいつ帰ったらいいかを判断する脳が決めるのでしょう。
未練までも捨てねばならない悲しみはもはや空の中に生きていく
おお、中原中也みたいです。
意識値は物質の向自有だ
意識は選択をするためではなく、外交官としての働き(他者に説明する)の為に存在するという説が個人的には一番納得できましたが、仮にそうだとしても必ずしも「自分」はなくてもいい様な気がしますが、「自分」とは一体何なんでしょうね・・しかも選択の自由はないのに責任だけは問われるという理不尽な「自分」
社会システムを維持するために産まれた一種の虚構?
デジャブーてのはそういう原理が意識できた瞬間なのだろうか?
意識空間世界高次元とのつながり😂
諦めも意思なんですかね?幸せなんですかね?
以前別の動画で意識は後追いであると言うような主旨の動画を見てから少し考えて、意識は脳から見た身体知覚のインターフェース(境界面)であるという一応の見解に至りました。どれだけ有効な説なのかはわかりませんが“consiousness”, “interface”でググってみるとなんとなくそのような話も出てきます。結局は人間も現在私たちが作ろうとしているようなロボットやサイボーグがとんでもなく高いレベルで組み上がった機械の極地のようなものなのかなと思うときがあり、そこには機械と生物の厳密な境目はないのかなと思ったりします。
意識した瞬間に体を動かしても、その0.5秒前に脳が動いている測定結果が出た場合、「動かすぞと意識した0.5秒前に脳が働きだしている」という解釈の他にも「人は常に体を動かそうと意識した瞬間から0.5秒後に体が動き出すのだが、その意識をしたという記憶自体が常に0.5秒ぶんずれて記憶される仕組みになっているので、意識した瞬間に体が動いたと錯覚している」という解釈もあり得ないだろうか?だが真実がそのうちのどちらかであったとしても、どちらかであることを証明する方法はあるのだろうか?
記憶ではなく実験なので意識する前に無意識が脳波として測定した0.5秒後に意識上に上がってくる仕組みですそして意識が動かそうと決めて運動神経神経を伝って0.1秒後に足が動くこの時間の誤差を感じないように脳は遅延処理してます
宇宙から降り注ぐニュートリノの影響を全ての人は受けていると思います。受信機(人間)の構造は、出生までの半年間のニュートリノの影響により決まり、この地球上では、受信機(人体)の精度を磨くコトが大切だと思います。持っている観念の見直しやタグ付けされた感情の整理により、受信機の精度が上がり、受信範囲が大きくなる傾向があるように感じています。
利己的遺伝子説というのがあるように、自分で決めていると思っている選択も、実は自身の遺伝子による合理的な判断にとても左右されているとも考えられ、それは果たして自分の意思なのか、DNAの意思なのか定かではありません。異性に対しての思いも、生存競争に打ち勝つために、自身の遺伝子を残したいと思う一つの反応と考えることも可能ですし、“自分”の意識とは一体何なのか、定義の余地は如何様にもあります。おもろいっすよね
「意識は後追い」・・・では、脳は何を追ったのか?脳はフェイルセーフか?抑止は常に後追いである。先行する自然を、脳は追認するか否定するかというだけの機能に過ぎない。ところが、その機能がここまで発達した。やはり、意識は脳の外にあり、我々は五感覚の総体であるのかも知れない。感覚の一部が眠っていれば、夢の様な現象を見せるだろうし、臨死体験も説明がつく。さらに教育のあり方までも違ってくる。知識の蓄積よりも感覚を修練させることの方が想像力の育成には欠かせない。まさに手は外に現れた脳である。子供にスマホやPCはもっての外だ。笑 詩人ランボオが「見者の手紙」のなかで「感覚を耕す」という表現を使った。また「限度を超えて見る」とも言った。彼は十代にして、フランス文学の稀有な天才だった。意識が五感覚の総体だとすれば、意識は社会的な産物であり、自然界には存在しないということになる。
💓🤗
意識は脳に「命令」しているのではなく、無意識の脳の働きを都合よく「解釈」しているだけのようにみえる。意識は「止めることは可能」というのは興味深い。「止める」行為は生存に有利だから発達したのかな。意識より無意識が先に動くことから考えるに「意識が私自身」と捉えるよりも「意識・無意識含め私自身」と考える方がしっくりくる
フィードバック制御?0.5秒のラグは、しきい値比較のためのバッファ・・・みたいな?
養老さんはソクラテス的に生きたいのですね。
時間の概念が、間違ってるのではないでしょうか? 我々は時間は一方通行だと思い込んでますから
「我々には自由意思はない」ですねそう思うとなんだか悲しくなる気がいつもします笑自分は誰かに動かされているロボットのような感覚だから無意識も自分の中に漂うものであるよなと思うようにしています笑無意識の海から自分で意識という魚を識閾下から毎回釣り上げているんだと反射の無意識は生物として危機から逃げるために必要だったから淘汰されずにきたんだろうな…
意識(自我)が物質上の高度な組み合わせで発生するのであれば、脳細胞のシナプスマトリクスを半導体上の回路で模倣すれば機械でも意識が生まれることを意味する。でもそれはあり得ないと思う。
その論拠は?意識と言うものは定義できるのでしょうか。
模倣という事は、実際の脳と違う部分もあるという事ですよね。その違う部分が意識の発生にとって重要な所である可能性もあるんじゃないですか
例えば意識は大脳だけでなく、それ以外の古い脳にも有って、それは言葉以前の意識で本能的なものではないでしょうか。
インドの聖人が「誰が構うか」と謳いつつ、それでも人類が興味を示さないなら以降の発展が見込めないという、なかなか煩わしい分野。様々なカテゴリーで理不尽な出題をされている、その大本を辿りたいのかもしれませんね?
4:53意識は後追い
なるほど。だから記憶無くしても、無事に家に帰れてるのか。
What is man? ですね
身体の記憶だと思います😀足にある記憶?記憶が意識です♪
お酒を飲むと?脳の記憶、身体の記憶が曖昧になるからです😀
もう既に答えは出ていて、単なる物質としての身体が先、意識が後というだけですそれ以上でもそれ以下でもありませんし、なんら不思議でもありません身体は単なる物質(最小単位まで細分化すれば超ひも理論のいうひもの状態が違うだけ)なので外界からの入力に対して出力しているだけにすぎませんたとえば目に入った光を電気信号に変換して別の電気信号を応答するだけその物理学的現象に対して、後付けとして辻褄が合うよう意味づけを行う作用が意識ですだから意識は間違える(意識は幻想)まんま仏教の教えと一緒ですたとえば日本曹洞宗の開祖・道元禅師の「身心脱落」(心身でなく身心なのがミソ)がまさにこのことですで、なんでそんな意識なるものがあるか、というとそっちの方が生きるのに都合がよいからです例えば、人間の両目はカメラのレンズが2つ並んでいるだけに過ぎないので本来奥行き方向を認識できませんではなぜ奥行きがわかるか、というと脳がそう「錯覚」してくれているからですもし単なるレンズを通した画像として脳が認識していたら遠方の山と目の前の山の絵が区別がつかないことになり、遠方の山を避けるように道を歩かないといけなくなり、まともに生きることができませんそれを逆に利用したのがトリックアートですだから単なる2次元のTV画面(つまり奥行きがない)を見てもそこに写る映像に奥行きを感じられるように脳が錯覚を起こしてくれているわけですこれは視覚に限らず味覚、聴覚、嗅覚、触覚も同様ですまさに般若心経でいうところの無眼耳鼻舌身意ですちなみに心は記憶の辻褄合わせです心は脳内に蓄積された時間的に変容する記憶に対する作用です
人を科学していくと、仏教に突き当たる。量子力学もそう。ただ紀元前にはレンズとかが無かった為、難解な比喩を使わざるをえなくて、説明が分かり難いだけ。「人間の両目はカメラのレンズ・・・。」そう言った説明の仕方が出来なかった時代の仏教に、現代の科学がやっと追いついて来たように思うのは錯覚なのでしょうかね。
受動意識仮説で疑問なのは思索に対していい説明に成らない気がすることハイヤーマインド説が面白いいずれにしても脳で今やりつつある事の予測は行っていそう
@@高津芳久 手を伸ばそうと意識する前に、脳が指令を出している。脳は勝手に私の意識を予測していますね。脳に支配されるか、脳を支配するのかで,人の人生は大きく変わりそうですね。脳は怠け者ですから。主導権は意識の方に持たせないと単なる怠け者の人生になってしまいそうで怖いですね。
意識が物理現象に影響を与えるとしたらそれはどの様なメカニズムなのでしょうかでしょう。
「私」が動こうとする0、5秒前には、「私」を司ってると言われている脳は既に反応している。「私」の脳だけど、脳が先に反応。脳が「私」なら、動こうと思った「私※」は誰なのか…「私(脳)」が私をコントロールしていると思いきや、実は「私※」の仕業だったw「私」は自然の一部なので、「私※」は自然(宇宙)なのですかね?笑
松果体だと思います
蚊がブ~ンと飛んで来て、無意識にパチンとやります。一々、意識して手をこう動かしてこう打とうでは間に合いません。そのように本能的な意識(無意識?)は意識に優先します。意識が無くても体は動くのです。恋愛もそうです。大脳で考えて恋愛をしません。古い脳が本能的に判断します。意識されてる意識だけが人の行動を決めはしません。本当は古い本能的な意識が決めてるのを、後付けで大脳意識が理屈付けてるだけかもしれません。
言葉で考える意識と体を動かす意識は違うと思います。言葉が意識だとするとそれは0.5秒遅れるでしょう。しかし、体を動かす言葉にならない本能的な意識(無意識)も存在していて、言葉の意識の前に本能的に働いてると思います。はっきりと意識しているものだけを意識とするのは間違ってると思います。
これだと受け入れやすいです 得体が知れないのは、不思議すぎ 奇妙 どなた様でございましょうか?
意識するの前の無意識が行動を選択しているのではないか?根源的な反応というか、上手く説明しにくいけど、平たく言うと、咄嗟的な感覚が働くのではないか?生物学的な即応。微弱な脳内の信号の種類の違いが無意識的なもので、それが意識的行動の0.5秒前に発生するのかと。
別に無意識的なこともあるだろうか自由意志が無いとは言えなく無いか?例えば英語の4択問題を解くときは一つずつ論理的に考えて正解を選ぶよね?
意識とは処理する必要のない多重割込みの紐ずけのフェッチ処理
面白い❗昆虫は、心技一体かな?野生動物も、そうかな。人間は、万物の霊長なのか?それとも出来損ない?バランス悪い。
私の意識は止める事もできないのでは?
寝て待てばその答えが分かりそう
😃🌱💙🌸
宇宙の発生と意識の発生はイコールだと想いませんか?
他のところでも書きましたが、養老さんはP300(事象関連電位)のことを話されていますが、これは認知機能を表すものです。P300を用いた「うそ発見器」もあります。養老さんの「意識」の定義は狭すぎる感がします。 無意識という言葉は嘘。意識には階層性があって、その深層を無意識といっているだけのことです。五感を五識にするのは深層意識の世界です。さらに言えば、意識は感覚があってこそ成立するもの。「我感じる、ゆえに我あり」が真実。 胎児のときから、全く感覚がなければ意識は成立しない。意識は基本的には、感覚が作り上げた、自己と他を区別して認識する能力あるいは現象だと考えています。 線虫であっても嗅覚や触覚などはあり、意識はあると考えます。 なお、五感に対して五識がある、意識に対しては意感などありません。意識は五感で形成され、そして五感を五識にする能力を獲得した。そこまでなら、そう難しいことじゃありません。 父母が亡くなる前に、尋常ではない予感がした。「虫の知らせ」というものです。 絡合がそれを説明できるかもしれませんが仮説の領域。人間の心とか、人との結びつき。動物の世界でも、今解明されている王ラスαはたくさんんあるのでしょう。
受動意識仮説ですね。
意識、が ナンナノ か 解らなくても、 ソレ が、 宇宙 の ベース って 解っていれば イイジャンカ 。
🙄🌼💚🌱
養老孟司でもわからないか
ポカーンって感じで草
「意識」は存在しないのかもしれませんよ。定義もできないし、目の前にいる人の意識の有無も証明できないのですから。
多重人格者、性不一致者、過去の記憶をもって生まれた者、意識の無い状態で生まれ生命維持装置に繋がれ両親の介護によって生き永らえている人もいる。多重人格者に至っては、男女が混在した状態で意識が存在し、また能力の差が一つの脳内で際立っている。生命体の意識と思われることは、DNA遺伝子の生存意識が自動的に働く故に、エサを求める行動やDNA保存に相手を求める行動がDNAに組み込まれ、考える前に動き出すと考える事が出来るのではないか、また動作が先にあって目的が後に考えられることによって動作がスムーズに行われる結果に繋がっているとも考えられる。人間が己を自覚する意識と考えられる事象は、過去の記憶もって生まれた人物がいる事で、記憶の継承が行われていると見て取れ、多重人格者を鑑みれば男女の意識の存在があり、DNA遺伝子による男女の体に対して男と女としての意識は体を選別していないと思われる、よって性不一致が起きていると思われます。脳内に意識の宿る仮説小保方晴子氏の初期化細胞かと思われたSTAF細胞の刺激を与えると現れる現象に着目して意識の芽生えを仮設しました。生命が誕生し、脳内に神経細胞が分裂する時点で、神経細胞がSTAF細胞を励起させる特定のホルモンを分泌してSTAF細胞を具現化させたうえで神経細胞に結合し、STAF細胞に意識が定着したものと仮説が立つのではないか。多重人格者が生まれる事は神経細胞がストレスを受けてホルモンを放出したからSTAF細胞が具現化され、傷ついた神経細胞に結合し他の意識が定着したものと思われる。意識のない状態で生まれた状況は、神経細胞がホルモンを放出しなかったのか、またはSTAF細胞が出来なかった故に意識の定着が行われずに、DNA細胞が生命維持装置の補助を受けて生き永らえて居る、この結果はDNA細胞の生き永らえる為に考える前の行動にあたると思う。
無 ! siki自然宇宙消滅 ! 永遠
よろしくお願いいたします(._.)意識は無意識からの信号ですよね!無意識はエネルギーなので言語では説明できませんよね!無意識は人だけにあるのではなく、この世界全てが無意識の世界ですよね。私の思考は無意識からの信号です。私は宇宙(意識体)の仮想現実ですよね。人と言う物を通してエネルギー体をリアルに感じるシステムですよね。システムは完璧です、宇宙が完璧であるのはシステムだからです(^-^)/死も誕生もなく、そもそも何も始まってすらいないのです。あるのはエネルギーなのです!人は意識で生きているのではなく、エネルギーなのです。エネルギーは光ですよね!闇ではなく光です。この世界は闇ではなく光なのです。人が思う不安は何もなく、あるのは安心だけです!光には死は存在しなく、永遠なのです。輝き続ける永遠って凄いですよね!
Julius Jayne 氏の言葉が浮かんだ。無意識に右脳が神の声で左脳をうごかしているのか?
無意識が支配しているのは、当たり前ですよ~(笑)
行動を起こす0.5秒前には脚は動いている、意識は後追いだ。
不思議な話しじゃなくてむしろ自然な話しに思う。これを不思議だと感じる人はよっぽど自我が強力で素直に生きてきた人に感じる。
ある人が「人間の意識というのは実は小さなもので、その外側に無限といっていいほどの無意識が広がっている」といいました。「なるほど、たしかにそうだ」と納得しました。先生のこのお話を聞くと、さらに「意識と無意識を分けることさえ難しい」ということがわかります。
養老先生に訊いてみたいのは、意識は自然のものなのかということ
なんか安心してお話が聞く事が出来る雰囲気を醸し出されます事ですね・・・
最近ですが先生の話に惹きつけられてる50過ぎのオバサンです。脳の不思議を考え出すと楽しいです!
初期仏教を勉強し 養老先生のお話をお聞きしていると、
点と点が線で繋がっていく感じがしてとても面白いです。
初期仏教で行われている 歩く瞑想 の重要性を再認識いたしました。
ピッチャーが投げたボールがバッターの前に到達するのが0.5秒です。
この場合あらかじめストライクは打とうという意識があって、後は0.5秒前の意思に任せているのかな?
脳は動作を記憶しているのではないか?
だから我々はいちいち面倒な動作を意識しないで済む。
新しい情報が入ってきた時には新たな動作の構築に入ってそれを記憶する。その繰り返しですね。
それをしないと複雑な場の場合は正常な動作が出来なくなってしまう。
養老先生 脳 宇宙 知識 歴史 科学 全ては人類の脳の共通認識からくると思います。 脳は小さいけど偉大なものと思います。
意識がフワフワしてる時があって、子供の頃から離人症状があります。誰かと会話をしている最中になる事もあれば、歩いている時に突然「あれ?私今脚を動かして本当に歩いているのかな?」と自分の体じゃないような不思議な感覚です。
自分のことを第三者からの目線のような感じでとらえることもあります。
意識についてもっと解明されたら、離人症の事ももっと色々分かるようになるのかな…
どこかでみた脳内にはいくつも意識がいて、状況によって優位が変動するって説を思い出した。
簡単に言うと脳内会議がずっと行われていて行動と表層意識はその決定が反映されてるという話だったと思う。
脳梁切除したてんかん患者の左右視の違いによる意識と行動の差とか、これ補強するようですごく興味深い。
いくつもいるのは意識ではなく無意識、前意識的なものでは?
意識になるともうそれは識閾下から出てきてしまっているから
「意識は単なる脳の作用に過ぎない」と全て分かったつもりになるのではなく、意識はよく分からないとおっしゃっているところが良いと思いました。
私は現実世界を超える非物質的な世界がまずあって、生きものはその「現れ」なのだと考えます。意識は身体から生じるという考え方によって意識を理解することは不可能だと考えます。
意識を俯瞰している、脳のモニターセンターみたいなのが、どこにどのようにして働いているのか、
分からないんですね。意識というものも、よくわからない、なるほどですね。
高度な人工頭脳を作ったら、それは意識を持つのか?ということが話題になっていますね。
整然とこれこれこうだからこうします、、みたいなのだけが意識ではないので、体の欲求(古い脳の)が先に有って、体はそれに従って動き、それにいわゆる意識が気付くのが0.5秒後ではないでしょうか?
最高です
決めない、とゆう事を決めたい
興味深い講演でした。
報酬系からの行動が本能でPTSDからくる行動の抑止が意識と仮定して考えてみようと思いました。
つまり自分たちがそれぞれ生きているこのルートが1番効率の良いルートということか?
先生は80代ですが姿勢がいい。髪の毛はシルバーがかった白で艶があります。
私の意識は先生の話しを聞きながら色々なことを考えてる。座って聞くのと寝ながら聞くのでも話しの受け止め方は違ってきます。
意識とはやはり後付けなのかな… どちらでも結局のところいいし、同じ事みたいです。
脳の働きは、脳が遺伝的に働く部分と人が成長に伴って自分に有利なことは何かを総合的に判断する部分があるのだと自分は考えます。運動選手が予想外の結果を出したときに「自分を褒めてあげたい」ということがあります。この場合、自分を褒める自分と、自分に褒められる自分がいるということでしょう。脳は二重構造になっています。だから、先生の疑問である、「ストーカーをやりたい自分とそれを押しとどめたい自分がいる」というこは超能力でも何でもないです。人間の脳はそういう構造になっています。いつ帰るのを決めるのは、遺伝的な脳が決めるのではなく、もう一人の自分、つまり、経験でいつ帰ったらいいかを判断する脳が決めるのでしょう。
未練までも捨てねばならない悲しみは
もはや空の中に生きていく
おお、中原中也みたいです。
意識値は物質の向自有だ
意識は選択をするためではなく、外交官としての働き(他者に説明する)の為に存在するという説が個人的には一番納得できましたが、仮にそうだとしても必ずしも「自分」はなくてもいい様な気がしますが、「自分」とは一体何なんでしょうね・・しかも選択の自由はないのに責任だけは問われるという理不尽な「自分」
社会システムを維持するために産まれた一種の虚構?
デジャブーてのはそういう原理が意識できた瞬間なのだろうか?
意識空間世界
高次元とのつながり😂
諦めも意思なんですかね?幸せなんですかね?
以前別の動画で意識は後追いであると言うような主旨の動画を見てから少し考えて、意識は脳から見た身体知覚のインターフェース(境界面)であるという一応の見解に至りました。
どれだけ有効な説なのかはわかりませんが“consiousness”, “interface”でググってみるとなんとなくそのような話も出てきます。
結局は人間も現在私たちが作ろうとしているようなロボットやサイボーグがとんでもなく高いレベルで組み上がった機械の極地のようなものなのかなと思うときがあり、そこには機械と生物の厳密な境目はないのかなと思ったりします。
意識した瞬間に体を動かしても、その0.5秒前に脳が動いている測定結果が出た場合、「動かすぞと意識した0.5秒前に脳が働きだしている」という解釈の他にも「人は常に体を動かそうと意識した瞬間から0.5秒後に体が動き出すのだが、その意識をしたという記憶自体が常に0.5秒ぶんずれて記憶される仕組みになっているので、意識した瞬間に体が動いたと錯覚している」という解釈もあり得ないだろうか?
だが真実がそのうちのどちらかであったとしても、どちらかであることを証明する方法はあるのだろうか?
記憶ではなく実験なので意識する前に無意識が脳波として測定した0.5秒後に意識上に上がってくる仕組みです
そして意識が動かそうと決めて運動神経神経を伝って0.1秒後に足が動く
この時間の誤差を感じないように脳は遅延処理してます
宇宙から降り注ぐニュートリノの影響を全ての人は受けていると思います。
受信機(人間)の構造は、出生までの半年間のニュートリノの影響により決まり、この地球上では、受信機(人体)の精度を磨くコトが大切だと思います。持っている観念の見直しやタグ付けされた感情の整理により、受信機の精度が上がり、受信範囲が大きくなる傾向があるように感じています。
利己的遺伝子説というのがあるように、自分で決めていると思っている選択も、実は自身の遺伝子による合理的な判断にとても左右されているとも考えられ、それは果たして自分の意思なのか、DNAの意思なのか定かではありません。異性に対しての思いも、生存競争に打ち勝つために、自身の遺伝子を残したいと思う一つの反応と考えることも可能ですし、“自分”の意識とは一体何なのか、定義の余地は如何様にもあります。おもろいっすよね
「意識は後追い」・・・では、脳は何を追ったのか?脳はフェイルセーフか?抑止は常に後追いである。先行する自然を、脳は追認するか否定するかというだけの機能に過ぎない。ところが、その機能がここまで発達した。やはり、意識は脳の外にあり、我々は五感覚の総体であるのかも知れない。感覚の一部が眠っていれば、夢の様な現象を見せるだろうし、臨死体験も説明がつく。さらに教育のあり方までも違ってくる。知識の蓄積よりも感覚を修練させることの方が想像力の育成には欠かせない。まさに手は外に現れた脳である。子供にスマホやPCはもっての外だ。笑 詩人ランボオが「見者の手紙」のなかで「感覚を耕す」という表現を使った。また「限度を超えて見る」とも言った。彼は十代にして、フランス文学の稀有な天才だった。意識が五感覚の総体だとすれば、意識は社会的な産物であり、自然界には存在しないということになる。
💓🤗
意識は脳に「命令」しているのではなく、無意識の脳の働きを都合よく「解釈」しているだけのようにみえる。
意識は「止めることは可能」というのは興味深い。「止める」行為は生存に有利だから発達したのかな。
意識より無意識が先に動くことから考えるに「意識が私自身」と捉えるよりも「意識・無意識含め私自身」と考える方がしっくりくる
フィードバック制御?0.5秒のラグは、しきい値比較のためのバッファ・・・みたいな?
養老さんはソクラテス的に生きたいのですね。
時間の概念が、間違ってるのではないでしょうか? 我々は時間は一方通行だと思い込んでますから
「我々には自由意思はない」ですね
そう思うとなんだか悲しくなる気がいつもします笑
自分は誰かに動かされているロボットのような感覚
だから無意識も自分の中に漂うものであるよなと思うようにしています笑
無意識の海から自分で意識という魚を識閾下から毎回釣り上げているんだと
反射の無意識は生物として危機から逃げるために必要だったから淘汰されずにきたんだろうな…
意識(自我)が物質上の高度な組み合わせで発生するのであれば、
脳細胞のシナプスマトリクスを半導体上の回路で模倣すれば
機械でも意識が生まれることを意味する。
でもそれはあり得ないと思う。
その論拠は?意識と言うものは定義できるのでしょうか。
模倣という事は、実際の脳と違う部分もあるという事ですよね。その違う部分が意識の発生にとって重要な所である可能性もあるんじゃないですか
例えば意識は大脳だけでなく、それ以外の古い脳にも有って、それは言葉以前の意識で本能的なものではないでしょうか。
インドの聖人が「誰が構うか」と謳いつつ、それでも人類が興味を示さないなら以降の発展が見込めないという、なかなか煩わしい分野。様々なカテゴリーで理不尽な出題をされている、その大本を辿りたいのかもしれませんね?
4:53意識は後追い
なるほど。
だから記憶無くしても、無事に家に帰れてるのか。
What is man? ですね
身体の記憶だと思います😀足にある記憶?記憶が意識です♪
お酒を飲むと?脳の記憶、身体の記憶が曖昧になるからです😀
もう既に答えは出ていて、単なる物質としての身体が先、意識が後というだけです
それ以上でもそれ以下でもありませんし、なんら不思議でもありません
身体は単なる物質(最小単位まで細分化すれば超ひも理論のいうひもの状態が違うだけ)なので
外界からの入力に対して出力しているだけにすぎません
たとえば目に入った光を電気信号に変換して別の電気信号を応答するだけ
その物理学的現象に対して、後付けとして辻褄が合うよう意味づけを行う作用が意識です
だから意識は間違える(意識は幻想)
まんま仏教の教えと一緒です
たとえば日本曹洞宗の開祖・道元禅師の「身心脱落」(心身でなく身心なのがミソ)がまさにこのことです
で、なんでそんな意識なるものがあるか、というとそっちの方が生きるのに都合がよいからです
例えば、人間の両目はカメラのレンズが2つ並んでいるだけに過ぎないので本来奥行き方向を認識できません
ではなぜ奥行きがわかるか、というと脳がそう「錯覚」してくれているからです
もし単なるレンズを通した画像として脳が認識していたら遠方の山と目の前の山の絵が区別がつかないことになり、遠方の山を避けるように道を歩かないといけなくなり、まともに生きることができません
それを逆に利用したのがトリックアートです
だから単なる2次元のTV画面(つまり奥行きがない)を見てもそこに写る映像に奥行きを感じられるように
脳が錯覚を起こしてくれているわけです
これは視覚に限らず味覚、聴覚、嗅覚、触覚も同様です
まさに般若心経でいうところの無眼耳鼻舌身意です
ちなみに心は記憶の辻褄合わせです
心は脳内に蓄積された時間的に変容する記憶に対する作用です
人を科学していくと、仏教に突き当たる。量子力学もそう。
ただ紀元前にはレンズとかが無かった為、難解な比喩を使わざるをえなくて、説明が分かり難いだけ。
「人間の両目はカメラのレンズ・・・。」そう言った説明の仕方が出来なかった時代の仏教に、現代の科学がやっと追いついて来たように思うのは錯覚なのでしょうかね。
受動意識仮説で疑問なのは思索に対していい説明に成らない気がすること
ハイヤーマインド説が面白い
いずれにしても脳で今やりつつある事の予測は行っていそう
@@高津芳久 手を伸ばそうと意識する前に、脳が指令を出している。脳は勝手に私の意識を予測していますね。脳に支配されるか、脳を支配するのかで,人の人生は大きく変わりそうですね。
脳は怠け者ですから。主導権は意識の方に持たせないと単なる怠け者の人生になってしまいそうで怖いですね。
意識が物理現象に影響を与えるとしたら
それはどの様なメカニズムなのでしょうかでしょう。
「私」が動こうとする0、5秒前には、「私」を司ってると言われている脳は既に反応している。
「私」の脳だけど、脳が先に反応。脳が「私」なら、動こうと思った「私※」は誰なのか…
「私(脳)」が私をコントロールしていると思いきや、実は「私※」の仕業だったw
「私」は自然の一部なので、「私※」は自然(宇宙)なのですかね?笑
松果体だと思います
蚊がブ~ンと飛んで来て、無意識にパチンとやります。一々、意識して手をこう動かしてこう打とうでは間に合いません。そのように本能的な意識(無意識?)は意識に優先します。意識が無くても体は動くのです。
恋愛もそうです。大脳で考えて恋愛をしません。古い脳が本能的に判断します。意識されてる意識だけが人の行動を決めはしません。本当は古い本能的な意識が決めてるのを、後付けで大脳意識が理屈付けてるだけかもしれません。
言葉で考える意識と体を動かす意識は違うと思います。言葉が意識だとするとそれは0.5秒遅れるでしょう。しかし、体を動かす言葉にならない本能的な意識(無意識)も存在していて、言葉の意識の前に本能的に働いてると思います。はっきりと意識しているものだけを意識とするのは間違ってると思います。
これだと受け入れやすいです 得体が知れないのは、不思議すぎ 奇妙 どなた様でございましょうか?
意識するの前の無意識が行動を選択しているのではないか?根源的な反応というか、上手く説明しにくいけど、平たく言うと、咄嗟的な感覚が働くのではないか?生物学的な即応。微弱な脳内の信号の種類の違いが無意識的なもので、それが意識的行動の0.5秒前に発生するのかと。
別に無意識的なこともあるだろうか自由意志が無いとは言えなく無いか?例えば英語の4択問題を解くときは一つずつ論理的に考えて正解を選ぶよね?
意識とは処理する必要のない多重割込みの紐ずけのフェッチ処理
面白い❗昆虫は、心技一体かな?野生動物も、そうかな。人間は、万物の霊長なのか?それとも出来損ない?バランス悪い。
私の意識は止める事もできないのでは?
寝て待てば
その答えが分かりそう
😃🌱💙🌸
宇宙の発生と意識
の発生はイ
コールだ
と想い
ませ
ん
か
?
他のところでも書きましたが、養老さんはP300(事象関連電位)のことを話されていますが、これは認知機能を表すものです。P300を用いた「うそ発見器」もあります。
養老さんの「意識」の定義は狭すぎる感がします。
無意識という言葉は嘘。意識には階層性があって、その深層を無意識といっているだけのことです。五感を五識にするのは深層意識の世界です。
さらに言えば、意識は感覚があってこそ成立するもの。「我感じる、ゆえに我あり」が真実。 胎児のときから、全く感覚がなければ意識は成立しない。
意識は基本的には、感覚が作り上げた、自己と他を区別して認識する能力あるいは現象だと考えています。 線虫であっても嗅覚や触覚などはあり、意識はあると考えます。
なお、五感に対して五識がある、意識に対しては意感などありません。意識は五感で形成され、そして五感を五識にする能力を獲得した。
そこまでなら、そう難しいことじゃありません。
父母が亡くなる前に、尋常ではない予感がした。「虫の知らせ」というものです。 絡合がそれを説明できるかもしれませんが仮説の領域。
人間の心とか、人との結びつき。動物の世界でも、今解明されている王ラスαはたくさんんあるのでしょう。
受動意識仮説ですね。
意識、が ナンナノ か 解らなくても、 ソレ が、 宇宙 の ベース って 解っていれば イイジャンカ 。
🙄🌼💚🌱
養老孟司でもわからないか
ポカーンって感じで草
「意識」は存在しないのかもしれませんよ。定義もできないし、目の前にいる人の意識の有無も証明できないのですから。
多重人格者、性不一致者、過去の記憶をもって生まれた者、意識の無い状態で生まれ生命維持装置に繋がれ両親の介護によって生き永らえている人もいる。
多重人格者に至っては、男女が混在した状態で意識が存在し、また能力の差が一つの脳内で際立っている。
生命体の意識と思われることは、DNA遺伝子の生存意識が自動的に働く故に、エサを求める行動やDNA保存に相手を求める行動がDNAに組み込まれ、考える前に動き出すと考える事が出来るのではないか、また動作が先にあって目的が後に考えられることによって動作がスムーズに行われる結果に繋がっているとも考えられる。
人間が己を自覚する意識と考えられる事象は、過去の記憶もって生まれた人物がいる事で、記憶の継承が行われていると見て取れ、多重人格者を鑑みれば男女の意識の存在があり、DNA遺伝子による男女の体に対して男と女としての意識は体を選別していないと思われる、よって性不一致が起きていると思われます。
脳内に意識の宿る仮説
小保方晴子氏の初期化細胞かと思われたSTAF細胞の刺激を与えると現れる現象に着目して意識の芽生えを仮設しました。
生命が誕生し、脳内に神経細胞が分裂する時点で、神経細胞がSTAF細胞を励起させる特定のホルモンを分泌してSTAF細胞を具現化させたうえで神経細胞に結合し、STAF細胞に意識が定着したものと仮説が立つのではないか。
多重人格者が生まれる事は神経細胞がストレスを受けてホルモンを放出したからSTAF細胞が具現化され、傷ついた神経細胞に結合し他の意識が定着したものと思われる。
意識のない状態で生まれた状況は、神経細胞がホルモンを放出しなかったのか、またはSTAF細胞が出来なかった故に意識の定着が行われずに、DNA細胞が生命維持装置の補助を受けて生き永らえて居る、この結果はDNA細胞の生き永らえる為に考える前の行動にあたると思う。
無 ! siki自然宇宙消滅 ! 永遠
よろしくお願いいたします(._.)
意識は無意識からの信号ですよね!
無意識はエネルギーなので言語では説明できませんよね!
無意識は人だけにあるのではなく、この世界全てが無意識の世界ですよね。
私の思考は無意識からの信号です。
私は宇宙(意識体)の仮想現実ですよね。
人と言う物を通してエネルギー体をリアルに感じるシステムですよね。
システムは完璧です、宇宙が完璧であるのはシステムだからです(^-^)/
死も誕生もなく、そもそも何も始まってすらいないのです。
あるのはエネルギーなのです!
人は意識で生きているのではなく、エネルギーなのです。
エネルギーは光ですよね!
闇ではなく光です。
この世界は闇ではなく光なのです。
人が思う不安は何もなく、あるのは安心だけです!
光には死は存在しなく、永遠なのです。
輝き続ける永遠って凄いですよね!
Julius Jayne 氏の言葉が浮かんだ。無意識に右脳が神の声で左脳をうごかしているのか?
無意識が支配しているのは、当たり前ですよ~(笑)