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私はかつて奈良中央郵便局に勤務していて、仕事柄奈良市内や県内の色んな地名を覚えました。昔平城京を造営する時、全国から派遣された造営人夫の派遣元の国から採られたとされている地名が奈良盆地の至る所に今も点在しています(国毎のベースキャンプみたいなものだったんでしょうね)。美濃庄・丹後庄・伊豆七条・上総(かんさ)・阿波・筑紫・丹波市(たんばいち)・備前・武蔵・三河・石見(いわみ)・但馬・豊前・出雲・大隅・吉備・飛騨・薩摩・土佐…etc.
なるほど!以前より「どうして全国の地名が奈良のいろんなところの地名になってるんだろう?」と不思議に思っていました。ありがとうございます♪
一千年以上前、色んな場所の人が平城京のために尽力されたのですね。千葉や伊豆から歩いて来たと思うと泣けます
奈良の怖い地名。不毛田川:ふけたがわ(穴闇:なぐらの近くに有ります)大和川の支流。堤防の外側の低湿地帯を流れ、周囲は大和川増水時に遊水地となります。この川のほとりは水が豊かで何かの作物を植えたくなるけれど、大和川が増水すれば全て水没する不毛の地という意味でしょう。
元奈良市民ですが初めて知った地名もありました。とても参考になり面白かったです。
香具山は地名は香久山だね。小学校なども香久山小学校。万葉集だと万葉仮名で記されているから、香久山も香久山もある。他県だけどややこしいのがありますね。例えば福岡の「太宰府市」は「だざいふし」ですが、遺跡は大宰府跡(だいざいふあと)。太政大臣も「だいじょうだいじん」だし、神祇官と太政官(だいじょうかん)ですから。初瀬は「はせ」と読みます。初瀬川に沿って長く谷が続くので「長谷」の字があてられたのではないかと思います。生田は「おいだ」。外山は「とび」、磐余は「いわれ」と桜井の難読地名。ほとんど記紀には出てくる地名です。今は初瀬ダムがありますが、相当深い谷が続いていたと想像できます。吉隠は「よ・なばり」で切るべきで、名張の里の入り口という意味か。壬申の乱のとき、大海人皇子(天武天皇)は吉野からこの里に入り、近江勢を避けて尾張に向かった。春日野は飛火野とは別の場所です。東大寺南大門の東、東塔跡の南側の広い芝生地で昔は県営春日野運動場(球場)と春日野プールがありました。東大寺学園が移転する前、現東大寺ミュージアムにあったころ、学校グラウンドとして借りて使用していた場所です。今は春日野園地。恋の窪は全部違います。奈良)には「くぼ」(「久保」をあてることもあります)とつく地名が多く、あることに共通しているとだけ。イメージチェンジのために命名したんでしょうね。
レイムとマリサのやりとりは実にいいですね。聞いていて気持ちが良い。
桜井市大豆越(まめごし)、東吉野村大豆生(まめお)、マメな地名は他にもあります桜井市には忍阪(おっさか)があり、近くには男坂橋(おさかばし)があるので元はどっちかなんだろうと思っていますちなみに東吉野村木津は『こつ』と読みます、京都府の木津(きづ)と同じ漢字で読み方が違い、東吉野村鷲家(わしか)には木津(キヅ)姓の住民がいます←ややこしい
忍海は、そのあたりに住んでいた渡来人が海をしのんで(忍んで)つけたとの説を聞いたことがあります。
狐井の話は可愛すぎる🦊
9:26 忌部は自分が住む市の隣の市にもあります。少し標高が高い地域になり、水源地でもありますが、近くにパワースポットと呼ばれる神社もあり、この動画で由来を聞くと(自分の隣の市の場所)納得できる場所です。10:24 宇那手という地名は自分が住む市にもあります(同じく、うなてと読んだり、うなでと読んだりします)。大きな川から農地に水を引いて農業が盛んな土地でもあるので、由来は似た感じなのかも?参考になる動画です。
歌姫町とかもありますよ。平城京の雅楽衆(古代の歌姫)が住んでいた土地が由来と伝承されています。
いつの間にか◯暴の事務所が無くなってた😅
狐井の井戸はコンコンと湧いているのだろうなぁ。
大豆山町の近所に住んでいますが、由来は知りませんでした。奈良町界隈の町名は由来の書かれた看板があり、不審ヶ辻子町もあったと思います。私は新薬師寺か白毫寺の方に教えていただきました。
奈良の地名面白いけれど難読なのが多いですね。都祁とか多武峯とか宀一山とか。個人的に好きなのは雷神を捕まえたという伝説がある雷丘です。
生駒の元地名は往馬往馬大社富雄川、竜田川は丘陵地の谷底を流れる小さめの川なんで大雨の時は氾濫してたんではないかな現在人が多く住んでるのは丘陵地だし
@@はゆたはなは 富雄丸山古墳古墳からは巨大な蛇行剣も発掘されましたね。また近所にはヤマタノオロチ伝承でもあるデンデラコの祭りもあったり。奈良盆地の水害防止の意味で蛇行剣を祭祀に使ったりしてたかも?
役行者によって鬼から人間になった人の子孫が実際にいらっしゃいますね😊
ごきじょさんかな?
桜井の吉隠(よなばり)と、その先、榛原を超えて三重に入ると名張市がありますが、この2つも関係してるんでしょうか、、、あと、耳成山。畝傍(うねび)山、香久山は、大和三山として有名ですが(高校の教科書でも)、耳成高校は、畝傍高校と一緒になり(前の県知事のt機の方針で)、今はなくなりましたね、、香久(山)高校という学校は元々ないですけど、(香久山は一番人家が少ない所にありますから、、)忌部町の南隣が雲梯町と動画で説明してましたが、忌部町の北隣は曽我町ですよね(あの蘇我馬子、蝦夷、入鹿の蘇我氏ですよね)、、ここら辺りは昔(飛鳥とか)を感じさせてくれる地名が多いですよね。あと余談ですが、この忌部町と蘇我町の境のところに先日、神奈川のスーパー「ロピア」がオープンしましたね。 ロピアは北海道のイトーヨーカドー撤退店にもどんどん出店を決めてますが、奈良県にも進出意欲旺盛ですよね。 桜井市にも出てきましたね。 古の地にロピアが、、、なんで、関係ないですが書いておきます。
楽しく拝見いたしました。とてもよく検証されてますね、凄い😊御所市の蛇穴は仰る通り渡来人が多く住んでいて、蛇がとぐろを巻く意味の「さらき」の字を当てたという一つの説らしいと聞きました。
恋の窪の直ぐ横には佐保川が流れてますし昔から湿地帯だったみたいです。『コイ』は古い言葉で川を表す言葉のようで、川から流れた肥沃な湿地帯→肥えた窪地から来た地名かと。平成元年についた名前って事ですが、それより前からその名前で呼んでいた記憶なんで、読み方が同じで違う漢字変更しただけじゃないかなと思います。追記父に確認したところ、昔(終戦直後)は水田で特に住所的なものはなく『市街』と呼んでいたそうです。宅地化されてから父の知人が住んでおり、その時から『コイノクボ』と呼んでるそうです。ただし以前の表記がどうだったかは覚えてないとの事。
奈良は修学旅行でも行って無いし、京都には散々行ったけど奈良には人生一度も行って無いなぁ。京都に比べると派手さ無いけど、色々調べて行ってみたくなった。
奈良は本当に素晴らしいです。是否訪れてみてください。大阪府民なのでよく足を運びます
大阪府民です。学生時代を過ごした京都も好きですが、人生終盤になって断然奈良派になりました。奈良は本当に素晴らしいです。移住したいくらいです。
元奈良市民です。暴論ですが京都の代わりは幾らでもあるけど、奈良の代わりはない。歴史を感じたいなら断然奈良。奈良から見れば京都は新しい街。京都の小洒落た雰囲気を味わいたいなら金沢でも神戸でも横浜でも同じ。歴史は奈良には敵わない。京都の大阪に対する「京都は歴史があります」マウントは奈良から見れば小学生が幼稚園児にマウントを取ってるようなもの。奈良はそれを笑顔で見守る大人。奈良から見れば京都は赤ちゃん。
@@actriot6767 確かにおっしゃる通りですね。日本史の基盤は奈良からです。とても素晴らしい遺跡も、観光客が少なくてゆっくり廻れます。奈良公園周辺は大変ですが、数えきれない史跡が他にもたくさんあります。学生時代から歴史が好きでしたので、とても幸福感味わいながら足を運んでいます。
やめときなはれ 奈良県民、京都生まれ京都育ちより
耳成山 確か耳成駅から少し離れた場所にあるよね大和三山の一つあとは畝傍山と香久山親戚がJR香久山の近くに住んでた
狐井近鉄の工場があるところですね。昔、大陸から渡来した人たちがこの地に住み着き、日本にはまだなかった技術である井戸を築いたことから築井と呼ばれるようになりいつしか狐井に変わった、と、狐井城山古墳の説明書きに書いてあったような気がします。
富山県南砺市に蛇喰(じゃばみ)の地名が有ります。
穴虫は穴師と同意で鉱山関係者に関する地名でもありますよ。この辺りは昔から様々な鉱物が採れたと言われてた場所です。
今でも紙やすり用にガーネットを採掘してたかと…近くに加工場があるんで。
@@rittoboymamomamo_1 金剛砂ですね、古い伝承で崇神天皇がこの砂で剣を磨いたという話も伝わっていました。また穴虫地域から葛下川へ流れるすがる川というのがありますが、このすがるとは古語でジガバチを意味します。ジガバチは土に穴を掘って生息する虫。一般には三輪山から見て太陽が沈む場所で穴虫と呼ばれてますが、本来はすがる=ジガバチが恐らく由来です。三輪山の麓にも穴師という地名がありますが、同じ意味ですね。
読み方はストレートだなwあ、あなむし!?今でも川砂をふるいにかけたら採れるのかな!?
@@トミヤマサキオおお、すがる川の名前の由来はそれか!長年の疑問が解けた、サンクス!!
御所市には忍海をはじめ、船路や櫛羅(くじら)など水にまつわる地名が残っています。現在は小川がわすかに流れる場所だけど、太古の昔は水が豊富だったのかも知れませんね😊
4:26 「腕」は普通に「かいな」で変換できますね。相撲の世界では うで ではなく かいな と呼ぶみたいです。だから「腕力」は「わんりょく」ではなく「かいなぢから」って言ってた。
桜井には「忍阪」「外山」「豊前」「多武峰」「大豆越」等々、難読地名が多い。ところで、「豆」が付く地名は頭に「大」が付くのが多いですね。吉野に「大豆生」て所もあるし。これは地名のルールなんでしょうかね。そうなると、「小豆島」はルールに反してるか。
昔、南京終町をなんきんおわりまちと言っていた人いました
北京終もあるからペキン…‥!?ッて言ってた人も‥南京終の方が一番地域で浸透していると思う。
うん、読んだ
聞いた事ない笑っ
@@rewq1932 地元民はわかるけど他府県民がこの付近を通って見たらほとんどの人がそう読んでしまいますね...
うん元住民ですが小学生の頃そう読んで笑いを取っている小学生がいましたよ。
吉隠は吉野の隠れ里というお話もあります。
榛原に住んでいますが、車であの辺を通る時にまさに隠れ里だなって思います。
忌部は島根県にもある地名ですね面白いです
元興寺の妖怪→がこぜ前鬼と後鬼の五人の子供と謂れる子孫が修験道修行者の為に五軒の宿坊を開いた五鬼熊家、五鬼継家、五鬼童家五鬼上家、五鬼助家で現在は五鬼助家[現当主は61代目]のみ残る
奈良県在住。ですが、読めない、知らない、土地が、ほとんどでした😆
前鬼後鬼夫婦の子孫の方、五鬼助(ごきじょ)さんが宿坊を営んでおられるそうですね。
奈良市民です。奈良県中部にある下北山村、前鬼集落にある宿坊「小仲坊(おなかぼう)」を営んでおられます。個人的には3年に2度はお世話になっていますが、日本に残された数少ない秘境です。🍀
吉隠(よなばり)は隣の三重の名張(なばり)と関係ありそうですがどうなんでしょう
「蛇喰」とくれば「蛇穴」という地名もある読み方は「蛇喰」より難しい難読地名だけど由来は別に怖くもなんともないですね
「とびひの」なのか「とぶひの」なのかどっちやねん!って思う。わしはずっと「とびひの」って読んでたけど
蛇喰夢子「バス停はJAHAMIなのですね・・・・」
御所市には、櫛羅(くじら)という地名もありますよ…天理市には苣原(ちしゃわら)って集落も。あと、奈良市だったら三碓(みつがらす)も。ま、橿原市自体も漢字表記だと初見殺しに近いし、何なら斑鳩町や平群(へぐり)町ってのも、ある意味難読だからなぁ…誰です?御所(ごせ)市も初見じゃ読めんって言ったのは。
普通に読めば「ごしょ」だからなw
愛知県の一部の人は「ごそ」!?と読みそうだ。名古屋市に御器所と書いて「ごきそ」という駅もある。
長野市の大豆島(まめじま)、横浜市港北区の大豆戸(まめど)も何か関係あるのかな…
慈悲忍辱ですね!餅飯殿は、準地元住民ながら最近まで漢字は知らなかった。ひらがな表記されていることが多いから。
載っけから天理ラーメン食いたくなる地名に草ボーボー(笑)
玄昉バラバラ事件に関する地名で、佐紀盾列古墳群の中にあるマ○塚の話も出てくるかと思ったが…落ちてきたモノがモノだし、古墳のあだ名だからこの動画ではスルーかな。
昔、生琉里が‥??読めんかった‥これ、ふるさとってわかってなんとなくそうやなぁみたいな感じ‥山陵も無理やり読んでたけどどこをみささぎって読めるのかなって思った
三碓 ←これ読めなかったなぁ
三碓はみつがらすと読みます。いまは奈良市西部の住宅地です。この地名はむかしこの土地に三つの唐臼(からうす)があったという伝説からきています。ここも富雄川が流れていますし近くに富雄丸山古墳もある古代から開けた土地だったようです。
干飯って、なんかの戦争のお話で見た記憶ある。
地名にはなってないけど、平城宮跡の近くに「マラ塚」って古墳あるんだよなぁ。(一説には道鏡のっぽいけど。)
大豆生(まめお)とか😊
折角悔い改めた鬼を人間にしたのに鬼って名前につける役小角ひどくね?それか鬼側から「鬼だった事を生涯忘れないように」って事だったりするのかな。
耳成山は心霊スポット
御所に長いこと住んでますけど、兵庫や薩摩とか神武天皇社や厳島神社とかどこかで聞いたことある地名や神社などがあるだけで何も怖いトコなんてないですよー^^
肘塚や眉目とか現代では絶対そんな事有り得無いのに、誰かが「のぉのぉ!聞いたか!〇〇の〇〇さんが空に飛ばされて〜」って言いふらして広まったんだろうなと思うと面白いなwwどっかのホラ吹きの逸話が歴史や地名になるなんて😂
恐らく現代で言うバラバラ○人が起こったんでしょうね、、
三輪さん行く手前に大豆越(まめごし)って地名有るけど大豆山と関係あるのかな~?
奈良市民です。奈良の地名の由来と解説、ありがとうございます。😊2:55 餅飯殿(もちいどの)町の説明で「理源大師」とあるのは、後世の諡(おくりな)で、僧名は聖宝(しょうぼう)です。彼は、東大寺に住みながら仏教の研鑽に励み、後に東大寺東南院(現在の東大寺本坊)を創設するなど、大きな功績がありました。また、霊山を抖擻(とそう)修行する事を好み、今の大峯山、山上ヶ岳への修行路を再興したり、吉野川の六田(むた)に渡し舟を置いた等の事績も伝えられており、後に京都の山科にある醍醐寺を開創しました。今も餅飯殿町の商店街中程にある、スーパーマーケットの入居したビル1階には、弁財天社と理源大師聖宝を祀る御堂が存在し、毎年7月7日、東大寺の僧侶により法要が行われております。なお余談ですが、3:20 大峰山山頂と書かれた写真を使用されていますが、これは全く違う山の写真です。☝️厳密に言えば、奈良の大峰山脈に「大峰山」と言う山は無く、現代の「山上ヶ岳(1719m)」が古来からの山岳信仰の中心であった「金の御嶽」「金峯山」です。😌🍀
那智山も山(mountain)ではないからね。
@@hobiorxさんそれは、西国三十三所巡礼の第一番札所である「青岸渡寺」の山号ですね。🍀
その通り。国道の道路標識がかつて、那智山nachi-mountainと併記されていました。誰かに指摘されたのか?現在はnachi-sanに訂正されました。(笑)
黒髪山が乗ってない時点で調べ不足…
深泥池が強過ぎる😂
奈良県の場合、京都の様には怖いのは無いですね。。普通です単なる難読地名と言うだけですね
奈良の恋の窪、以前からありましたよー 。。。。40年前に同級生が住んでいて、恋のライバルでしたが住所が可愛くって羨ましかったので覚えています。 この恋の窪辺りも「ド田」といわれる田舟が行き交う湿地で、コイはカワの意だそうです。。。 ゾッとする地名でしたら、 生駒市、神武東征の地の近くに「蛇喰」という地名があります。蛇信仰の神が負けた時につけられた説があります。
ニンニク船長
奈良県にコワすぎるところなんか無い!!と言いたいところだがコワすぎるところがあるからヤバいなw口に出すのもはばかられるんで言わないけど。
普通に喋って貰った方が、最後まで聞きやすいと思います💦
奈良県御所市蛇穴が出てくるかなと思ったら出てこなかった。
穴闇…穴虫…例え由来は嫌なものじゃなかったとしてもここは嫌だなー住所に穴闇とか書きたくない😂奈良は穴って付く地名が多いの??
個人的には穴闇だな。絶対に住みたくない。
この地名は見るからにヤバい…土地柄もヤバそう…
それはアンタッチャブルな理由…
耳成きたーー♪───O(≧∇≦)O────♪
人気企画www😂
「恋の窪」という地名の由来にはいくつかの説がありますが、最も有名なのは以下のような説です。昔、ある女性が深く愛した人を待ち続け、その恋が実らずに悲しみのあまり泣き続けた結果、その涙が窪地(くぼち)を作ったという伝説です。この伝説から、「恋の窪」という地名がつけられたとされています。この窪地は、恋の深さや切なさを象徴しているとされ、その地名は人々に恋愛の儚さや情熱を思い起こさせるものとなっています。また、別の説として、恋愛に関連する場所として人々が集まった結果、その地が自然に「恋の窪」と呼ばれるようになったとも言われています。どちらにせよ、恋愛に関する情緒的な背景がこの地名には込められていると考えられます。
いい加減にこんなシリーズ辞めたらどうや。こわすぎるとか失礼過ぎると思わんのか?
動画見てその感想ならみなけりゃええだけやろ。失礼なのはお前だ
奈良県民だがなんとも思わんよ
あれ俺のコメント消した?確かに失礼極まりないチャンネルなのでブロックしますね。さよなら
@@マンジュシュリー 別に思わない人はそれで良いんだよ。わざわざ言わなくても。
面白くて良いよやめないで 穴闇は取り上げない方がよかったけど
楽しい動画でした^ ^
子どもがやってたクイズ、日本で一番汚らしいところ「北奈良市」。そんな地名は有りません。奈良市の北は京都府です。
奈良市民です。奈良市の北側にある奈良坂をゆるゆると越えると、そこはもう京都府木津川市なんですよね。でも、旧山城國南部にある有名寺院(浄瑠璃寺、岩船寺、海住山寺、笠置寺など)は、歴史上、そして地理的に京よりも南都との繋がりが深いのは、面白いことです。🍀
奈良市住みですが、毎日奈良市と京都府木津川市を行ったり来たりしています。イオンモール高の原は店内に県境があります。
私はかつて奈良中央郵便局に勤務していて、仕事柄奈良市内や県内の色んな地名を覚えました。昔平城京を造営する時、全国から派遣された造営人夫の派遣元の国から採られたとされている地名が奈良盆地の至る所に今も点在しています(国毎のベースキャンプみたいなものだったんでしょうね)。美濃庄・丹後庄・伊豆七条・上総(かんさ)・阿波・筑紫・丹波市(たんばいち)・備前・武蔵・三河・石見(いわみ)・但馬・豊前・出雲・大隅・吉備・飛騨・薩摩・土佐…etc.
なるほど!
以前より
「どうして全国の地名が奈良のいろんなところの地名になってるんだろう?」と不思議に思っていました。
ありがとうございます♪
一千年以上前、色んな場所の人が平城京のために尽力されたのですね。千葉や伊豆から歩いて来たと思うと泣けます
奈良の怖い地名。不毛田川:ふけたがわ(穴闇:なぐらの近くに有ります)大和川の支流。堤防の外側の低湿地帯を流れ、周囲は大和川増水時に遊水地となります。この川のほとりは水が豊かで何かの作物を植えたくなるけれど、大和川が増水すれば全て水没する不毛の地という意味でしょう。
元奈良市民ですが初めて知った地名もありました。とても参考になり面白かったです。
香具山は地名は香久山だね。小学校なども香久山小学校。万葉集だと万葉仮名で記されているから、香久山も香久山もある。他県だけどややこしいのがありますね。例えば福岡の「太宰府市」は「だざいふし」ですが、遺跡は大宰府跡(だいざいふあと)。太政大臣も「だいじょうだいじん」だし、神祇官と太政官(だいじょうかん)ですから。初瀬は「はせ」と読みます。初瀬川に沿って長く谷が続くので「長谷」の字があてられたのではないかと思います。生田は「おいだ」。外山は「とび」、磐余は「いわれ」と桜井の難読地名。ほとんど記紀には出てくる地名です。今は初瀬ダムがありますが、相当深い谷が続いていたと想像できます。
吉隠は「よ・なばり」で切るべきで、名張の里の入り口という意味か。壬申の乱のとき、大海人皇子(天武天皇)は吉野からこの里に入り、近江勢を避けて尾張に向かった。
春日野は飛火野とは別の場所です。東大寺南大門の東、東塔跡の南側の広い芝生地で昔は県営春日野運動場(球場)と春日野プールがありました。東大寺学園が移転する前、現東大寺ミュージアムにあったころ、学校グラウンドとして借りて使用していた場所です。今は春日野園地。恋の窪は全部違います。奈良)には「くぼ」(「久保」をあてることもあります)とつく地名が多く、あることに共通しているとだけ。イメージチェンジのために命名したんでしょうね。
レイムとマリサのやりとりは実にいいですね。聞いていて気持ちが良い。
桜井市大豆越(まめごし)、東吉野村大豆生(まめお)、マメな地名は他にもあります
桜井市には忍阪(おっさか)があり、近くには男坂橋(おさかばし)があるので元はどっちかなんだろうと思っています
ちなみに東吉野村木津は『こつ』と読みます、京都府の木津(きづ)と同じ漢字で読み方が違い、東吉野村鷲家(わしか)には木津(キヅ)姓の住民がいます←ややこしい
忍海は、そのあたりに住んでいた渡来人が海をしのんで(忍んで)つけたとの説を聞いたことがあります。
狐井の話は可愛すぎる🦊
9:26 忌部は自分が住む市の隣の市にもあります。少し標高が高い地域になり、水源地でもありますが、
近くにパワースポットと呼ばれる神社もあり、この動画で由来を聞くと(自分の隣の市の場所)納得できる場所です。
10:24 宇那手という地名は自分が住む市にもあります(同じく、うなてと読んだり、うなでと読んだりします)。
大きな川から農地に水を引いて農業が盛んな土地でもあるので、由来は似た感じなのかも?参考になる動画です。
歌姫町とかもありますよ。
平城京の雅楽衆(古代の歌姫)が住んでいた土地が由来と伝承されています。
いつの間にか◯暴の事務所が無くなってた😅
狐井の井戸はコンコンと湧いているのだろうなぁ。
大豆山町の近所に住んでいますが、由来は知りませんでした。
奈良町界隈の町名は由来の書かれた看板があり、不審ヶ辻子町もあったと思います。私は新薬師寺か白毫寺の方に教えていただきました。
奈良の地名面白いけれど難読なのが多いですね。都祁とか多武峯とか宀一山とか。個人的に好きなのは雷神を捕まえたという伝説がある雷丘です。
生駒の元地名は往馬
往馬大社
富雄川、竜田川は丘陵地の谷底を流れる小さめの川なんで大雨の時は氾濫してたんではないかな
現在人が多く住んでるのは丘陵地だし
@@はゆたはなは 富雄丸山古墳古墳からは巨大な蛇行剣も発掘されましたね。また近所にはヤマタノオロチ伝承でもあるデンデラコの祭りもあったり。
奈良盆地の水害防止の意味で蛇行剣を祭祀に使ったりしてたかも?
役行者によって鬼から人間になった人の子孫が実際にいらっしゃいますね😊
ごきじょさんかな?
桜井の吉隠(よなばり)と、その先、榛原を超えて三重に入ると名張市がありますが、この2つも関係してるんでしょうか、、、
あと、耳成山。畝傍(うねび)山、香久山は、大和三山として有名ですが(高校の教科書でも)、耳成高校は、畝傍高校と一緒になり(前の県知事のt機の方針で)、今はなくなりましたね、、香久(山)高校という学校は元々ないですけど、(香久山は一番人家が少ない所にありますから、、)
忌部町の南隣が雲梯町と動画で説明してましたが、忌部町の北隣は曽我町ですよね(あの蘇我馬子、蝦夷、入鹿の蘇我氏ですよね)、、ここら辺りは昔(飛鳥とか)を感じさせてくれる地名が多いですよね。
あと余談ですが、この忌部町と蘇我町の境のところに先日、神奈川のスーパー「ロピア」がオープンしましたね。 ロピアは北海道のイトーヨーカドー撤退店にもどんどん出店を決めてますが、奈良県にも進出意欲旺盛ですよね。 桜井市にも出てきましたね。 古の地にロピアが、、、なんで、関係ないですが書いておきます。
楽しく拝見いたしました。とてもよく検証されてますね、凄い😊
御所市の蛇穴は仰る通り渡来人が多く住んでいて、蛇がとぐろを巻く意味の「さらき」の字を当てたという一つの説らしいと聞きました。
恋の窪の直ぐ横には佐保川が流れてますし昔から湿地帯だったみたいです。
『コイ』は古い言葉で川を表す言葉のようで、川から流れた肥沃な湿地帯→肥えた窪地から来た地名かと。
平成元年についた名前って事ですが、それより前からその名前で呼んでいた記憶なんで、読み方が同じで違う漢字変更しただけじゃないかなと思います。
追記
父に確認したところ、昔(終戦直後)は水田で特に住所的なものはなく『市街』と呼んでいたそうです。
宅地化されてから父の知人が住んでおり、その時から『コイノクボ』と呼んでるそうです。
ただし以前の表記がどうだったかは覚えてないとの事。
奈良は修学旅行でも行って無いし、京都には散々行ったけど奈良には人生一度も行って無いなぁ。京都に比べると派手さ無いけど、色々調べて行ってみたくなった。
奈良は本当に素晴らしいです。是否訪れてみてください。大阪府民なのでよく足を運びます
大阪府民です。
学生時代を過ごした京都も好きですが、人生終盤になって断然奈良派になりました。
奈良は本当に素晴らしいです。
移住したいくらいです。
元奈良市民です。暴論ですが京都の代わりは幾らでもあるけど、奈良の代わりはない。歴史を感じたいなら断然奈良。奈良から見れば京都は新しい街。京都の小洒落た雰囲気を味わいたいなら金沢でも神戸でも横浜でも同じ。歴史は奈良には敵わない。京都の大阪に対する「京都は歴史があります」マウントは奈良から見れば小学生が幼稚園児にマウントを取ってるようなもの。奈良はそれを笑顔で見守る大人。奈良から見れば京都は赤ちゃん。
@@actriot6767
確かにおっしゃる通りですね。日本史の基盤は奈良からです。
とても素晴らしい遺跡も、観光客が少なくてゆっくり廻れます。
奈良公園周辺は大変ですが、数えきれない史跡が他にもたくさんあります。学生時代から歴史が好きでしたので、とても幸福感味わいながら足を運んでいます。
やめときなはれ 奈良県民、京都生まれ京都育ちより
耳成山 確か耳成駅から
少し離れた場所にあるよね
大和三山の一つ
あとは畝傍山と香久山
親戚がJR香久山の近くに住んでた
狐井
近鉄の工場があるところですね。
昔、大陸から渡来した人たちがこの地に住み着き、
日本にはまだなかった技術である井戸を築いたことから
築井と呼ばれるようになり
いつしか狐井に変わった、
と、狐井城山古墳の説明書きに書いてあったような気がします。
富山県南砺市に蛇喰(じゃばみ)の地名が有ります。
穴虫は穴師と同意で鉱山関係者に関する地名でもありますよ。この辺りは昔から様々な鉱物が採れたと言われてた場所です。
今でも紙やすり用にガーネットを採掘してたかと…近くに加工場があるんで。
@@rittoboymamomamo_1 金剛砂ですね、古い伝承で崇神天皇がこの砂で剣を磨いたという話も伝わっていました。
また穴虫地域から葛下川へ流れるすがる川というのがありますが、このすがるとは古語でジガバチを意味します。ジガバチは土に穴を掘って生息する虫。一般には三輪山から見て太陽が沈む場所で穴虫と呼ばれてますが、本来はすがる=ジガバチが恐らく由来です。
三輪山の麓にも穴師という地名がありますが、同じ意味ですね。
読み方はストレートだなwあ、あなむし!?今でも川砂をふるいにかけたら採れるのかな!?
@@トミヤマサキオおお、すがる川の名前の由来はそれか!長年の疑問が解けた、サンクス!!
御所市には忍海をはじめ、船路や櫛羅(くじら)など水にまつわる地名が残っています。
現在は小川がわすかに流れる場所だけど、太古の昔は水が豊富だったのかも知れませんね😊
4:26 「腕」は普通に「かいな」で変換できますね。
相撲の世界では うで ではなく かいな と呼ぶみたいです。
だから「腕力」は「わんりょく」ではなく「かいなぢから」って言ってた。
桜井には「忍阪」「外山」「豊前」「多武峰」「大豆越」等々、難読地名が多い。
ところで、「豆」が付く地名は頭に「大」が付くのが多いですね。吉野に「大豆生」て所もあるし。これは地名のルールなんでしょうかね。そうなると、「小豆島」はルールに反してるか。
昔、南京終町をなんきんおわりまちと言っていた人いました
北京終もあるからペキン…‥!?ッて言ってた人も‥南京終の方が一番地域で浸透していると思う。
うん、読んだ
聞いた事ない笑っ
@@rewq1932 地元民はわかるけど他府県民がこの付近を通って見たらほとんどの人がそう読んでしまいますね...
うん元住民ですが小学生の頃そう読んで笑いを取っている小学生がいましたよ。
吉隠は吉野の隠れ里というお話もあります。
榛原に住んでいますが、車であの辺を通る時にまさに隠れ里だなって思います。
忌部は島根県にもある地名ですね
面白いです
元興寺の妖怪→がこぜ
前鬼と後鬼の五人の子供と謂れる子孫が
修験道修行者の為に五軒の宿坊を開いた
五鬼熊家、五鬼継家、五鬼童家
五鬼上家、五鬼助家で
現在は五鬼助家[現当主は61代目]のみ残る
奈良県在住。ですが、読めない、知らない、土地が、ほとんどでした😆
前鬼後鬼夫婦の子孫の方、五鬼助(ごきじょ)さんが宿坊を営んでおられるそうですね。
奈良市民です。
奈良県中部にある下北山村、前鬼集落にある宿坊「小仲坊(おなかぼう)」を営んでおられます。
個人的には3年に2度はお世話になっていますが、日本に残された数少ない秘境です。🍀
吉隠(よなばり)は隣の三重の名張(なばり)と関係ありそうですがどうなんでしょう
「蛇喰」とくれば「蛇穴」という地名もある
読み方は「蛇喰」より難しい難読地名だけど
由来は別に怖くもなんともないですね
「とびひの」なのか「とぶひの」なのかどっちやねん!って思う。
わしはずっと「とびひの」って読んでたけど
蛇喰夢子「バス停はJAHAMIなのですね・・・・」
御所市には、櫛羅(くじら)という地名もありますよ…天理市には苣原(ちしゃわら)って集落も。あと、奈良市だったら三碓(みつがらす)も。
ま、橿原市自体も漢字表記だと初見殺しに近いし、何なら斑鳩町や平群(へぐり)町ってのも、ある意味難読だからなぁ…誰です?御所(ごせ)市も初見じゃ読めんって言ったのは。
普通に読めば「ごしょ」だからなw
愛知県の一部の人は「ごそ」!?と読みそうだ。
名古屋市に御器所と書いて「ごきそ」という駅もある。
長野市の大豆島(まめじま)、横浜市港北区の大豆戸(まめど)も何か関係あるのかな…
慈悲忍辱ですね!
餅飯殿は、準地元住民ながら最近まで漢字は知らなかった。ひらがな表記されていることが多いから。
載っけから天理ラーメン食いたくなる地名に草ボーボー(笑)
玄昉バラバラ事件に関する地名で、佐紀盾列古墳群の中にあるマ○塚の話も出てくるかと思ったが…落ちてきたモノがモノだし、古墳のあだ名だからこの動画ではスルーかな。
昔、生琉里が‥??読めんかった‥これ、ふるさとってわかってなんとなくそうやなぁみたいな感じ‥
山陵も無理やり読んでたけどどこをみささぎって読めるのかなって思った
三碓 ←これ読めなかったなぁ
三碓はみつがらすと読みます。いまは奈良市西部の住宅地です。この地名はむかしこの土地に三つの唐臼(からうす)があったという伝説からきています。ここも富雄川が流れていますし近くに富雄丸山古墳もある古代から開けた土地だったようです。
干飯って、なんかの戦争のお話で見た記憶ある。
地名にはなってないけど、平城宮跡の近くに「マラ塚」って古墳あるんだよなぁ。(一説には道鏡のっぽいけど。)
大豆生(まめお)とか😊
折角悔い改めた鬼を人間にしたのに鬼って名前につける役小角ひどくね?
それか鬼側から「鬼だった事を生涯忘れないように」って事だったりするのかな。
耳成山は心霊スポット
御所に長いこと住んでますけど、兵庫や薩摩とか神武天皇社や厳島神社とかどこかで聞いたことある地名や神社などがあるだけで何も怖いトコなんてないですよー^^
肘塚や眉目とか現代では絶対そんな事有り得無いのに、誰かが「のぉのぉ!聞いたか!〇〇の〇〇さんが空に飛ばされて〜」って言いふらして広まったんだろうなと思うと面白いなww
どっかのホラ吹きの逸話が歴史や地名になるなんて😂
恐らく現代で言うバラバラ○人が起こったんでしょうね、、
三輪さん行く手前に大豆越(まめごし)って地名有るけど大豆山と関係あるのかな~?
奈良市民です。
奈良の地名の由来と解説、ありがとうございます。😊
2:55 餅飯殿(もちいどの)町の説明で「理源大師」とあるのは、後世の諡(おくりな)で、僧名は聖宝(しょうぼう)です。
彼は、東大寺に住みながら仏教の研鑽に励み、後に東大寺東南院(現在の東大寺本坊)を創設するなど、大きな功績がありました。
また、霊山を抖擻(とそう)修行する事を好み、今の大峯山、山上ヶ岳への修行路を再興したり、吉野川の六田(むた)に渡し舟を置いた等の事績も伝えられており、後に京都の山科にある醍醐寺を開創しました。
今も餅飯殿町の商店街中程にある、スーパーマーケットの入居したビル1階には、弁財天社と理源大師聖宝を祀る御堂が存在し、毎年7月7日、東大寺の僧侶により法要が行われております。
なお余談ですが、3:20 大峰山山頂と書かれた写真を使用されていますが、これは全く違う山の写真です。☝️
厳密に言えば、奈良の大峰山脈に「大峰山」と言う山は無く、現代の「山上ヶ岳(1719m)」が古来からの山岳信仰の中心であった「金の御嶽」「金峯山」です。😌🍀
那智山も山(mountain)ではないからね。
@@hobiorxさん
それは、西国三十三所巡礼の第一番札所である「青岸渡寺」の山号ですね。🍀
その通り。国道の道路標識がかつて、那智山nachi-mountainと併記されていました。誰かに指摘されたのか?現在はnachi-sanに訂正されました。(笑)
黒髪山が乗ってない時点で調べ不足…
深泥池が強過ぎる😂
奈良県の場合、京都の様には怖いのは無いですね。。普通です単なる難読地名と言うだけですね
奈良の恋の窪、以前からありましたよー 。。。。40年前に同級生が住んでいて、恋のライバルでしたが住所が可愛くって羨ましかったので覚えています。 この恋の窪辺りも「ド田」といわれる田舟が行き交う湿地で、コイはカワの意だそうです。。。 ゾッとする地名でしたら、 生駒市、神武東征の地の近くに「蛇喰」という地名があります。蛇信仰の神が負けた時につけられた説があります。
ニンニク船長
奈良県にコワすぎるところなんか無い!!と言いたいところだがコワすぎるところがあるからヤバいなw
口に出すのもはばかられるんで言わないけど。
普通に喋って貰った方が、最後まで聞きやすいと思います💦
奈良県御所市蛇穴が出てくるかなと思ったら出てこなかった。
穴闇…穴虫…
例え由来は嫌なものじゃなかったとしてもここは嫌だなー
住所に穴闇とか書きたくない😂
奈良は穴って付く地名が多いの??
個人的には穴闇だな。絶対に住みたくない。
この地名は見るからにヤバい…
土地柄もヤバそう…
それはアンタッチャブルな理由…
耳成きたーー♪───O(≧∇≦)O────♪
人気企画www😂
「恋の窪」という地名の由来にはいくつかの説がありますが、最も有名なのは以下のような説です。
昔、ある女性が深く愛した人を待ち続け、その恋が実らずに悲しみのあまり泣き続けた結果、その涙が窪地(くぼち)を作ったという伝説です。この伝説から、「恋の窪」という地名がつけられたとされています。この窪地は、恋の深さや切なさを象徴しているとされ、その地名は人々に恋愛の儚さや情熱を思い起こさせるものとなっています。
また、別の説として、恋愛に関連する場所として人々が集まった結果、その地が自然に「恋の窪」と呼ばれるようになったとも言われています。どちらにせよ、恋愛に関する情緒的な背景がこの地名には込められていると考えられます。
いい加減にこんなシリーズ辞めたらどうや。こわすぎるとか失礼過ぎると思わんのか?
動画見てその感想ならみなけりゃええだけやろ。失礼なのはお前だ
奈良県民だがなんとも思わんよ
あれ俺のコメント消した?確かに失礼極まりないチャンネルなのでブロックしますね。さよなら
@@マンジュシュリー 別に思わない人はそれで良いんだよ。わざわざ言わなくても。
面白くて良いよやめないで 穴闇は取り上げない方がよかったけど
楽しい動画でした^ ^
子どもがやってたクイズ、日本で一番汚らしいところ「北奈良市」。そんな地名は有りません。奈良市の北は京都府です。
奈良市民です。
奈良市の北側にある奈良坂をゆるゆると越えると、そこはもう京都府木津川市なんですよね。
でも、旧山城國南部にある有名寺院(浄瑠璃寺、岩船寺、海住山寺、笠置寺など)は、歴史上、そして地理的に京よりも南都との繋がりが深いのは、面白いことです。🍀
奈良市住みですが、毎日奈良市と京都府木津川市を行ったり来たりしています。イオンモール高の原は店内に県境があります。