【鶴橋】大人気の焼肉屋3選 

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  • Опубликовано: 27 окт 2024

Комментарии • 3

  • @hiroshiyoshitake4576
    @hiroshiyoshitake4576 10 месяцев назад +1

    ホルモン焼は、もともとはやきとり屋で売られてた。明治時代初頭にはやきとり屋でホルモン焼は売られてた。焼肉屋が最初に出来たのは東京です

    • @たや-i7f
      @たや-i7f 2 месяца назад +1

      そうなんですね!これ作ったの私のお父さんです

    • @hiroshiyoshitake4576
      @hiroshiyoshitake4576 2 месяца назад

      モツ(ホルモン)のメッカは東京です。歴史も古いです。江戸の終りから明治にかけて盛んでした。ホルモン焼は大阪だけの呼び名です。大阪以外ではモツ煮込み、もつ焼き、モツの串焼きなど、モツと呼んでいます。
      大阪なら、どて煮、どて焼が大正時代から食べられています。
      浅草のホッピー通り
       浅草の伝法院西側に、「ホッピー通り」というストリートがあります。
      昼間からホッピーを飲む人で混雑する飲兵衛の聖地。ズラリと並ぶ居酒屋の名物は、ホッピーと煮込みです。このストリート、別名「煮込み通り」ともいいます。
       この内臓肉の煮込みは、150年以上前から存在する東京の伝統食。記録に残る動物の内臓料理としてはかなり古い部類に入ります。
       古い資料ですと、坪井正五郎『工商技芸看板考』(1887年刊)に、明治維新の頃に富士山藤次郎という人が、品川で牛の煮込屋を開業したとあります。
       進斎年光『浮世繁昌穴さがし』(1871年刊)には、天秤棒で煮込みを売り歩く振り売りの姿が描かれています。
       これらの資料には煮込みの具体的な姿は描かれていません。煮込みの姿が明らかになるのは、1884年の服部誠一『東京新繁昌記初編』においてです。
       そこに描かれた煮込みは、「弁慶」のような串に刺さった煮込みでした。