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いろんな人の人生の、世代の悩みに相談にのって、くれる、そんなお寺が、あったら、うれしいし、助かりますこれから温暖化とかいろんなことがおきる、かもしれない、そんな時代だから、助かります😃がんばってくださいよろしくお願いします😃
大愚和尚様、一年の初めにふさわしい素晴らしいお教えをいただき、ありがとうございました。そしてお教えの根本は日本社会全般における宗教、特に仏教に関わる問題から、一僧侶だった相談者のお立場にわたり、詰まるところは個人の『客観』と『主観』の問題であることと私は解釈いたしました。私自身も、最近になっては、自分の置かれた立場をよく自覚し、四方八方から自分をよく見据え、その認識の上に切磋琢磨していきたいと考えております。私はキリスト教の国に住んでいます。だから仕方がないのでキリスト教会に人生の何かを求めて見ました。日本のものでは新興宗教しかないからです。ですが、私の求めるものはそこにはありませんでした。その挙句、父祖の宗教、仏教に戻る決心をしたものでございます。和尚様、🐯の今年もまた、私たちをお導きください。
大愚和尚さまの厳しく正しい教えに頷くばかりです。元住職さまどうぞお元気に生き抜いて下さい。
「お寺を追われた住職」と聞いて、スティーブジョブズみたいだなと思いました。そして、住職という職を失っても「僧である」ことにはかわりなく、「役職にしがみつかずに生きる」こと、乗り越えていくことが大切なんだと分かりました。
そうですね。スティーヴ・ジョブスは仏教、特に禅宗に深く傾倒していたそうですよ。
大愚和尚様が、単に親切で慈愛に満ちた人生相談の方でないことがよくわかりました。ご自身でも自分の生き方、未来に向けての仏教伝道の在り方を見据えて、いろいろな現世のしくみを乗り越えていらしたのですね。そのような意識、ご体験からのお言葉は私自身の身をただすものばかりでした。 大きな仕組みが悪いばかりでは決してありませんでしょうが、現実に横たわる問題を乗り越えていくには、頭を使って信念を遂げるためのそれぞれの活動が必要ですね。 私は一般人ですが、仏教を学んでいるものとして、私も僧侶と同じ心持ちで生きていこうと思いました。 私の夫の実家がお寺でして、そこで生まれた義母一家はお寺の存続になかなかの苦労をしていたようです。 夫はそのことに心を痛め、仏教から、実家のお寺から離れておりましたが、この動画を夫にも見せたいと思います。 様々な嫌気がするような事情でも、見方を変えると、またこうして別な立場の方からのお話を伺うと、印象や理解が変わって見えます。 お寺も僧侶も一般人も何もかも、こうして学びあえることが次への進化のステップになりますね。 いつもながら、本当にありがとうございました。 どうかご相談者様とお母様もお幸せに暮らせますように。
ある意味、チャンスですね。ゼロからのスタート、楽しんで下さい。心は自然が癒してくれると思います。
僧侶とは厳しいですね。しかし、なんて優しいのでしょう。。こんな穏やかに、波風も立てずに、人にお話出来る様に私もなりたい🙏
地位や役職は人から与えられるものであり自分の技術や能力、学んだことは永久不変で誰にも奪えないもの地位や役職にこだわっていると、信頼を失ったときや状況が急変したときに全てを失う今のご時世、人に頼るだけではなく自分で考えることも必要ですね
過去にしがみつくな‼️って事。。今から何が出来るかですネ。。大愚和尚ありがとうございます✨捨てる勇気を持って、命の時間を大切に生きて行きます。
本当に厳しい、誤解されかねない、少し厄介な事柄についてこれだけ、一つ一つ丁寧に 誤魔化さずお伝えになる…心から尊敬します。私が自分のいる世界において、同業の方のこのようなのっぴきならない状況で、意見を求められても、中々こんな風に正面から、優しさを持って、見下した風にならずに答えられないです。。覚悟を持って生きることは一筋縄ではないと感じます。自分の『思い』だけでは成らないもよだと。全体を見えていないで、全体の中の自分を見ないで、受け身でいては、どの世界でもいずれ難しいと思います。前住職様におかれては、きっと…生きる根底を揺るがされる思いなのでしょう。僧侶であっても人ですものね。私も同じ認識なら…辛くて死にそうだと思います。。同情とかでなく、色々厳しいと察するに余りあります。どうか 生きて、和尚様の言葉を生きる力に変えてこの先を力強く歩いて行って欲しいと思いました。
和尚様。法律に関する現実的な社会の仕組、ご自分の体験談を通して立証し、詳しくまた順序よく限られた時間でわかりやすく説明し最後に結論と、大変説得力があります。穏やかな声と面持ちで、ゆっくりわかりやすく伝えて行く、しかも驕れていないこのプレゼン力は見事なものです。
詐欺師って誰ですか?ってかっこよすぎて痺れます
本質をズバッとですね!
私は、幼い頃、キリスト教の学校で学び、その教えは身についています。大愚さまの教えで、仏教の信義も教えていただき後年は、菩薩行を歩もうと思いました。身分、外面にこだわらず、仏性を全うできたらと思っています。
本当に大変な目にあい、生きる道標を失うような体験をされとても心苦しいと思います。災難が来る事が分かれば誰も対処出来たと思います。誰にもそんな前触れが分からないから災難に遭った時の後どうしてよいか迷い生きる喜びも失われ心ここに在らずの日々を淡々と過ごされた事と思います。対偶和尚様はそんな方々にも厳しくも生きる道また、自分の本道は何なのかを仏教を持って教えて下さる、とても理解できるお話でした。過ぎた事は及ばざるがごとし....もう返ってくる事のない過去に囚われず僧の道を極めて頂きたいと上から目線で申し訳ありません🙇♀️僧と生まれし者は何処までも僧と生きる私、自分自身はどのように生きればよいか、自分は何者か、和尚様の教えを聞きながら見つけて行きたいと思います。何かを捨てて行くと言う事は大切ですね。ありがとうございます😊🙏
勉強になりました。
とても厳しい解答であったので、私の背筋も伸びました。質問者の方は、恐らく私以上に、ショックを受けているのではないかと思います。私も歯科医院の院長として、考えるべきことがあると思いました。歯科医師として、また、経営者として、しっかりしないといけない。自分に自覚が足りないところがあるので、今年は、もっと勉強し、実行していきたいです。僧という職業は、これからも厳しい状況かもしれないけど、歯科だって、厳しいです。でも、希望と理想を持って、乗り越えていきます。大愚和尚のお話は、正月早々、自分にガツンとカツをいれることができ、ためになりました。ありがとうございます。相談者さんも、早く立ち直られることを願っています。
2022年は量子技術の第一年です。この革命的な新技術によって、医学も(歯科も含めて)今までの在り方は一切変わるでしょう。その結果多くの医師はメドベッドなどの登場により、仕事を失うでしょう。厳しくない職業などほとんどないはずです。私たちは後世の歴史に残る時を生きているのです。お釈迦様はこういう時にはどう心も持つかを教えていらっしゃいます。それは技術の変化などを超えるものです。
みなのためへの行い、ありがとうございます🙏
私も適応障害になり、死ぬ気で手に入れた管理職の役職を追われました。しかし、この話を聞き私は私の役割を全うする、役職は関係ないと気付きました。
前住職さまの、目覚めに期待しております。どうか腐らずにお釈迦様の教え、僧とはなにかを原点に帰られ、日本仏教の腐敗を止めていただきたい。今後のご活躍を期待しております。頑張ってください。
前住職様、どうか、生きてください。命ある限り、僧でいてください。生き示してください。明かりを灯して世間的に『住職』とカテゴライズされなくとも誰にも認められなくともどうか、お元気に生きていかれますようお祈り申し上げます。
あなたは優しい方ですね。
軍部の暴走への対応が契機で宗教法人法が出来た、と仰っておられました。やはりどんなに尊敬する方であっても、考えに相違はあるんだなあ、と思いました。
宗教法人法が出来た契機、と、宗教法人法が出来た目的、とは、違うと思いますので、考えの相違ではないのではないかな、とふと思いましたのでコメントさせていただきますね。ja.wikipedia.org/wiki/宗教法人法
僧であっても、人間の体をまとっているからには、やっぱり人間なんだと思いました~。
どんな職業でも同じだと思いますスタートする時に覚悟が無かったんですね腹をくくれていなかった本気でやっていなかった必要とされていなかったスタート地点に戻りやり直せばいいだけです生きているのですから頑張ってくださいね
私は僧侶ではありませんが、たいへん勉強になりました。「原点」を忘れるととんでもない事態になるということ、もともと、「諸法無我」であるだけに、自己の立つ立脚点を失えば、すべてを失うということ、恐ろしいほど理解できました。相談者さんもそうですが、柳ケ瀬で退職金を使い果たして家に火をつけて死んだという方の話は、まさに他山の石とすべきことでしょう。相談者さんは、まだお母さんがいらっしゃるのだから親孝行をされて、心の穏やかさを回復する「よすが」は残されています。死んだら何も回復できません。死んだ方の冥福をお祈りするばかりです。
今年も仏縁で少しだけ実践しようと思います。
住職という役職をはく奪されて、お寺を失っても、僧侶としての知恵と信念をもって今を生きる人達にお釈迦様の知恵を説いていくのがプロの僧侶なんですね。僧自身が厳しい現実を生きてお釈迦様の知恵を実践しないと、教えに説得力、リアリティが無いですものね。
にはぬな
お坊さんがお坊さんを説くって摩訶不思議な光景。お坊さんが弟子に教えを説くのは分かるけども
人を信用するなとは言わないが、人には善悪があると教えてきてくれたのは仏教であり道徳です。しかし、神、仏は今までの行いを全てご覧になっておられます。寺は形に過ぎません。住職さんがもし、何かを失った時に導きがあり、良い方向に人生が向く兆しかもしれません。
上手に言えませんが、江戸時代とかは、子供とかいろんな世代の方がお寺とかに相談に、行ってたみたぃですね。段々、時代が、変わって、お年寄りの意見が強くなってた、と、思います。お寺とかは、お年寄りのもの、っていう感じが、してました。わたしは、子供のころとか、説法が、好きでしたが、あまり聞かせてもらえなくてさみしかったです。今のお寺の方でも、せっかく、いろんな方とのつながりが、あるから、いろんな情報を、共有したら、いいんじゃないでしょうか?あまりお寺のことは、よくわからないですが。これから何が起こるかわからないから、仏教の教えを教えて、いただけたら、生き抜いていけるかもとか、思います‼️😀
大愚和尚って相談者さんの呼称にこだわりますよね。今回は頑なに〝前〟住職さんでしたね。
ご相談者自身、ペンネームを「前 住職」にされているので、そのまま呼称されているだけかと思いますよ。
どんな職業でも同じですスタートする時の覚悟が無かったんだと思いますはらをくくれていないからその様な結果になったのでしょうスタート地点からやり直せばいいだけの話です頑張ってくださいいくらでもやり直せます生きているのですから^_^
子供の頃は大人のお坊さんは全員が現在の大愚和尚様のような人ばかりだと思っていましたが、そんなわけないですね。私の父母は地方出身の次男次女で、お墓はそれぞれの長子が継ぎ、本人たちは特定の宗教にも属していませんでしたので、父が亡くなる前に夫婦2人で入るためにとあるお寺の永代供養の合同墓を購入して、今は父だけそこに入っています。ちなみに戒名は不要との遺言があったので位牌は俗名のままです。そこは元々真言宗の修行道場だったお寺で住職と息子さんの副住職がおられました。私はたまに1人でふらっとお参りに行っては、住職さんの飼っている犬やフェレット、半野良の猫などと触れ合うのを楽しみにしていました。けれどいつからか動物たちを見かけなくなり、お参りに来ている人もかなり少なくなっていて何故だろうと寂しく思っていました。母によると近年、管理を委託していたNPO法人と争って負け、住職不在のただの墓地(と言っては失礼ですが)になったようです。単立寺院というやつですね。それこそ前住職や前副住職は法要の時だけ通いでこられているとか。お寺のホームページを見たら確かにその辺の記述が変わっていました。そういうことかとなんだか複雑な気持ちになりました。お坊さんには一生プロのお坊さんでいてほしい。その生き様を見せて生きている私たちを導いていただきたいです。がんばれ前住職さん!私も精進しますので!
もはや無宗教的な世の中になりつつある中、和尚の動画は、本当に革新的で、毎回、有り難く拝見しています。私もお世話になっているお寺さんがあるのですが、どうやって御礼を返せばよいのでしょうか?
私なら、できるかぎり「お布施」(寄付)をしたいなと思います。
🤔🌾
僧であること、ですね。
いろんな人の人生の、世代の悩みに相談にのって、くれる、そんなお寺が、あったら、うれしいし、助かります
これから温暖化とかいろんなことがおきる、かもしれない、そんな時代だから、
助かります😃
がんばってください
よろしくお願いします😃
大愚和尚様、一年の初めにふさわしい素晴らしいお教えをいただき、ありがとうございました。
そしてお教えの根本は日本社会全般における宗教、特に仏教に関わる問題から、一僧侶だった相談者のお立場にわたり、詰まるところは個人の『客観』と『主観』の問題であることと私は解釈いたしました。
私自身も、最近になっては、自分の置かれた立場をよく自覚し、四方八方から自分をよく見据え、その認識の上に切磋琢磨していきたいと考えております。
私はキリスト教の国に住んでいます。だから仕方がないのでキリスト教会に人生の何かを求めて見ました。日本のものでは新興宗教しかないからです。ですが、私の求めるものはそこにはありませんでした。
その挙句、父祖の宗教、仏教に戻る決心をしたものでございます。
和尚様、🐯の今年もまた、私たちをお導きください。
大愚和尚さまの厳しく正しい教えに頷くばかりです。元住職さまどうぞ
お元気に生き抜いて下さい。
「お寺を追われた住職」と聞いて、スティーブジョブズみたいだなと思いました。
そして、住職という職を失っても「僧である」ことにはかわりなく、
「役職にしがみつかずに生きる」こと、乗り越えていくことが大切なんだと分かりました。
そうですね。スティーヴ・ジョブスは仏教、特に禅宗に深く傾倒していたそうですよ。
大愚和尚様が、単に親切で慈愛に満ちた人生相談の方でないことがよくわかりました。ご自身でも自分の生き方、未来に向けての仏教伝道の在り方を見据えて、いろいろな現世のしくみを乗り越えていらしたのですね。そのような意識、ご体験からのお言葉は私自身の身をただすものばかりでした。 大きな仕組みが悪いばかりでは決してありませんでしょうが、現実に横たわる問題を乗り越えていくには、頭を使って信念を遂げるためのそれぞれの活動が必要ですね。 私は一般人ですが、仏教を学んでいるものとして、私も僧侶と同じ心持ちで生きていこうと思いました。 私の夫の実家がお寺でして、そこで生まれた義母一家はお寺の存続になかなかの苦労をしていたようです。 夫はそのことに心を痛め、仏教から、実家のお寺から離れておりましたが、この動画を夫にも見せたいと思います。 様々な嫌気がするような事情でも、見方を変えると、またこうして別な立場の方からのお話を伺うと、印象や理解が変わって見えます。 お寺も僧侶も一般人も何もかも、こうして学びあえることが次への進化のステップになりますね。 いつもながら、本当にありがとうございました。 どうかご相談者様とお母様もお幸せに暮らせますように。
ある意味、チャンスですね。ゼロからのスタート、楽しんで下さい。心は自然が癒してくれると思います。
僧侶とは厳しいですね。しかし、なんて優しいのでしょう。。
こんな穏やかに、波風も立てずに、人にお話出来る様に私もなりたい🙏
地位や役職は人から与えられるものであり
自分の技術や能力、学んだことは永久不変で誰にも奪えないもの
地位や役職にこだわっていると、信頼を失ったときや状況が急変したときに全てを失う
今のご時世、人に頼るだけではなく自分で考えることも必要ですね
過去にしがみつくな‼️って事。。今から何が出来るかですネ。。大愚和尚ありがとうございます✨捨てる勇気を持って、命の時間を大切に生きて行きます。
本当に厳しい、誤解されかねない、少し厄介な事柄について
これだけ、一つ一つ丁寧に 誤魔化さずお伝えになる…心から尊敬します。
私が自分のいる世界において、同業の方のこのようなのっぴきならない状況で、意見を求められても、中々こんな風に正面から、優しさを持って、見下した風にならずに答えられないです。。
覚悟を持って生きることは一筋縄ではないと感じます。自分の『思い』だけでは成らないもよだと。
全体を見えていないで、全体の中の自分を見ないで、受け身でいては、どの世界でもいずれ難しいと思います。
前住職様におかれては、きっと…生きる根底を揺るがされる思いなのでしょう。
僧侶であっても人ですものね。
私も同じ認識なら…辛くて死にそうだと思います。。同情とかでなく、色々厳しいと察するに余りあります。
どうか 生きて、和尚様の言葉を生きる力に変えてこの先を力強く歩いて行って欲しいと思いました。
和尚様。法律に関する現実的な社会の仕組、ご自分の体験談を通して立証し、詳しくまた順序よく限られた時間でわかりやすく説明し最後に結論と、大変説得力があります。穏やかな声と面持ちで、ゆっくりわかりやすく伝えて行く、しかも驕れていないこのプレゼン力は見事なものです。
詐欺師って誰ですか?って
かっこよすぎて痺れます
本質をズバッとですね!
私は、幼い頃、キリスト教の学校で学び、その教えは身についています。大愚さまの教えで、仏教の信義も教えていただき
後年は、菩薩行を歩もうと思いました。身分、外面にこだわらず、仏性を全うできたらと思っています。
本当に大変な目にあい、生きる道標を失うような体験をされとても心苦しいと思います。
災難が来る事が分かれば誰も対処出来たと思います。誰にもそんな前触れが分からないから災難に遭った時の後どうしてよいか迷い生きる喜びも失われ心ここに在らずの日々を淡々と過ごされた事と思います。
対偶和尚様はそんな方々にも厳しくも生きる道また、自分の本道は何なのかを仏教を持って教えて下さる、とても理解できるお話でした。
過ぎた事は及ばざるがごとし....
もう返ってくる事のない過去に囚われず
僧の道を極めて頂きたいと上から目線で申し訳ありません🙇♀️
僧と生まれし者は何処までも僧と生きる
私、自分自身はどのように生きればよいか、自分は何者か、和尚様の教えを聞きながら見つけて行きたいと思います。
何かを捨てて行くと言う事は大切ですね。
ありがとうございます😊🙏
勉強になりました。
とても厳しい解答であったので、私の背筋も伸びました。
質問者の方は、恐らく私以上に、ショックを受けているのではないかと思います。
私も歯科医院の院長として、考えるべきことがあると思いました。
歯科医師として、また、経営者として、しっかりしないといけない。
自分に自覚が足りないところがあるので、今年は、もっと勉強し、実行していきたいです。
僧という職業は、これからも厳しい状況かもしれないけど、歯科だって、厳しいです。
でも、希望と理想を持って、乗り越えていきます。
大愚和尚のお話は、正月早々、自分にガツンとカツをいれることができ、ためになりました。
ありがとうございます。
相談者さんも、早く立ち直られることを願っています。
2022年は量子技術の第一年です。この革命的な新技術によって、医学も(歯科も含めて)今までの在り方は一切変わるでしょう。その結果多くの医師はメドベッドなどの登場により、仕事を失うでしょう。
厳しくない職業などほとんどないはずです。私たちは後世の歴史に残る時を生きているのです。
お釈迦様はこういう時にはどう心も持つかを教えていらっしゃいます。それは技術の変化などを超えるものです。
みなのためへの行い、ありがとうございます🙏
私も適応障害になり、死ぬ気で手に入れた管理職の役職を追われました。しかし、この話を聞き私は私の役割を全うする、役職は関係ないと気付きました。
前住職さまの、目覚めに期待しております。どうか腐らずにお釈迦様の教え、僧とはなにかを原点に帰られ、日本仏教の腐敗を止めていただきたい。今後のご活躍を期待しております。頑張ってください。
前住職様、どうか、生きてください。
命ある限り、僧でいてください。
生き示してください。
明かりを灯して
世間的に『住職』とカテゴライズされなくとも
誰にも認められなくとも
どうか、お元気に
生きていかれますよう
お祈り申し上げます。
あなたは優しい方ですね。
軍部の暴走への対応が契機で宗教法人法が出来た、と仰っておられました。やはりどんなに尊敬する方であっても、考えに相違はあるんだなあ、と思いました。
宗教法人法が出来た契機、と、宗教法人法が出来た目的、とは、違うと思いますので、考えの相違ではないのではないかな、とふと思いましたのでコメントさせていただきますね。ja.wikipedia.org/wiki/宗教法人法
僧であっても、人間の体をまとっているからには、やっぱり人間なんだと思いました~。
どんな職業でも同じだと思います
スタートする時に覚悟が無かったんですね
腹をくくれていなかった
本気でやっていなかった
必要とされていなかった
スタート地点に戻り
やり直せばいいだけです
生きているのですから
頑張ってくださいね
私は僧侶ではありませんが、たいへん勉強になりました。「原点」を忘れるととんでもない事態になるということ、もともと、「諸法無我」であるだけに、自己の立つ立脚点を失えば、すべてを失うということ、恐ろしいほど理解できました。相談者さんもそうですが、柳ケ瀬で退職金を使い果たして家に火をつけて死んだという方の話は、まさに他山の石とすべきことでしょう。相談者さんは、まだお母さんがいらっしゃるのだから親孝行をされて、心の穏やかさを回復する「よすが」は残されています。死んだら何も回復できません。死んだ方の冥福をお祈りするばかりです。
今年も仏縁で少しだけ実践しようと思います。
住職という役職をはく奪されて、
お寺を失っても、
僧侶としての知恵と信念をもって
今を生きる人達にお釈迦様の知恵を説いていくのが
プロの僧侶なんですね。
僧自身が厳しい現実を生きて
お釈迦様の知恵を実践しないと、
教えに説得力、リアリティが無いですものね。
にはぬな
お坊さんがお坊さんを説くって摩訶不思議な光景。お坊さんが弟子に教えを説くのは分かるけども
人を信用するなとは言わないが、人には善悪があると教えてきてくれたのは仏教であり道徳です。しかし、神、仏は今までの行いを全てご覧になっておられます。寺は形に過ぎません。住職さんがもし、何かを失った時に導きがあり、良い方向に人生が向く兆しかもしれません。
上手に言えませんが、
江戸時代とかは、子供とかいろんな世代の方がお寺とかに相談に、行ってたみたぃですね。
段々、時代が、変わって、
お年寄りの意見が強くなってた、と、思います。
お寺とかは、お年寄りのもの、っていう感じが、してました。
わたしは、子供のころとか、説法が、好きでしたが、
あまり聞かせてもらえなくてさみしかったです。
今のお寺の方でも、せっかく、いろんな方とのつながりが、あるから、
いろんな情報を、共有したら、いいんじゃないでしょうか?
あまりお寺のことは、よくわからないですが。
これから何が起こるかわからないから、
仏教の教えを教えて、いただけたら、
生き抜いていけるかもとか、思います‼️😀
大愚和尚って相談者さんの呼称にこだわりますよね。今回は頑なに〝前〟住職さんでしたね。
ご相談者自身、ペンネームを「前 住職」にされているので、そのまま呼称されているだけかと思いますよ。
どんな職業でも同じです
スタートする時の覚悟が無かったんだと思います
はらをくくれていないから
その様な結果になったのでしょう
スタート地点から
やり直せばいいだけの話です
頑張ってください
いくらでもやり直せます
生きているのですから^_^
子供の頃は大人のお坊さんは全員が現在の大愚和尚様のような人ばかりだと思っていましたが、そんなわけないですね。
私の父母は地方出身の次男次女で、お墓はそれぞれの長子が継ぎ、本人たちは特定の宗教にも属していませんでしたので、父が亡くなる前に夫婦2人で入るためにとあるお寺の永代供養の合同墓を購入して、今は父だけそこに入っています。
ちなみに戒名は不要との遺言があったので位牌は俗名のままです。
そこは元々真言宗の修行道場だったお寺で住職と息子さんの副住職がおられました。
私はたまに1人でふらっとお参りに行っては、住職さんの飼っている犬やフェレット、半野良の猫などと触れ合うのを楽しみにしていました。
けれどいつからか動物たちを見かけなくなり、お参りに来ている人もかなり少なくなっていて何故だろうと寂しく思っていました。
母によると近年、管理を委託していたNPO法人と争って負け、住職不在のただの墓地(と言っては失礼ですが)になったようです。
単立寺院というやつですね。
それこそ前住職や前副住職は法要の時だけ通いでこられているとか。
お寺のホームページを見たら確かにその辺の記述が変わっていました。
そういうことかとなんだか複雑な気持ちになりました。
お坊さんには一生プロのお坊さんでいてほしい。その生き様を見せて生きている私たちを導いていただきたいです。
がんばれ前住職さん!私も精進しますので!
もはや無宗教的な世の中になりつつある中、和尚の動画は、本当に革新的で、毎回、有り難く拝見しています。私もお世話になっているお寺さんがあるのですが、どうやって御礼を返せばよいのでしょうか?
私なら、できるかぎり「お布施」(寄付)をしたいなと思います。
🤔🌾
僧であること、ですね。