信忠が堺に出向いていたら、光秀は本能寺の変という暴挙を行わなかったはずです。光秀が謀反を起こした一番の理由は、信長、信忠が共に京都にいたからだと言われています。信忠が敢えて逃げず京の出入り口の封鎖はされているはずと思ったというからには、光秀の有能さは皆に知れてもいたわけですね。(実際はできてなかったけれど)黒人の弥助は、”信長King of Zipangu"には登場してました。明智光秀としては、信長(信忠も含め)の首級をあげられなかったことが、一番の敗因ですよね。その決定的な印があれば、様子見だった武将達ももっと早く光秀側に付いたかもしれません。秀吉の”殿は生きている!”という偽情報も偽りと分かったから。
信長秀吉家康全員「あ、明智?」なんで?ってなってるの面白すぎる光秀不憫ですね同情はしないけど
こんなに早く解説動画が見れるなんて❣️
確かに織田信長が凄すぎて息子にスポットライトが全然当たってないのは残念😂
いやはや、今回の大河ドラマできりゅうさんの動画を知ってホントに勉強になってます😳✨NHKの歴史物の番組とか面白くてよく見ますが、やはりこう言う話はしないですから🥹💕
歴史にIFはないとはいえ、やはり信忠が生き残る世界線てのは想像を捗らせますね
真面目に歴史を勉強しておけば良かった…と後悔してます。が3人さんのお陰で楽しくなりました❤
討ち死にを選んだ信忠、直接ではないけど敵の陣地の伊賀を抜けてでも生き延びようとした家康
これで織田徳川両家の明暗が別れてしまったのも凄い
この戦いで信忠の小姓であった下方弥三郎のエピソードが信忠の将としての才覚も感じられるので好きです。
「嫡男信忠も亡くなった」と本能寺の変(信長)ではついで感のある情報しか出ないことがほとんどですが天下人を継ぐ男として信忠の誇りを感じる緊迫した場面での行動がしれて良かったです。
二条御所の話、全然知りませんでした。一緒に本能寺に宿泊していて一緒に討ち死にしたのかとずっと思ってました。きりゅうさん、ありがとうございます。
毎回、端的に短い時間で解説してくださるので、この番組のファンです。
織田信忠、いやーーーー、いいですねぇ。信長にスポットライト当てるのではなく、織田信忠くんに注目するとは、流石です。年が若く、織田信忠が名君であったのかは解りませんが、「妙覚寺よりは防ぎやすい二条御所に入って戦う」「決死の覚悟で門から討って出て戦い、三度までも光秀勢を押し戻した」という点からいっても、父に劣らずの名将であったことは間違いなような感じがします。信長、信忠両方が京都にいるという事が、明智光秀が謀反をおこす直接的な動機だったんだろなーと思います。
今回の本能寺、見ごたえが有りました❗信長さんの家康さんへの想いの深さLoveなのか?ああぁ切ない😢光秀が居てガッカリ🙍⤵取れるものなら誰もが天下を欲しかった時代と言うのも有ったのでしょうか❓
光秀最期の11日間解説も楽しみにしてます🤗
みっちゃん11日天下話知ってます。だってみっちゃん大好き歴女だもん
信長の息子で一番出来の良いとされた信忠が亡くなってしまったのが織田家の不幸でしたね。生きていたら秀吉が天下を取れたかどうかですね。
昨日はおサルよりも光秀の方がひどく感じたのは家康と信長の間に入ってきたからかな。
信忠の言及があったのは良かった
信忠の最後の話、
ナカナカ面白でした。🍡
信忠が信長と一緒に討たれたのが致命傷で、織田家は衰退してしまったんですよね。信忠が生きていれば、秀吉も天下をとれなかったかもしれないですよね。
24歳で甲州攻めの総司令官を務めあげたり、パパに負けず劣らずの才覚
信忠が家康の接待で堺に行っていたら、光秀は謀反自体思いとどまったかもしれませんし、信長が討たれた場合でも、神君伊賀越えの主人公は(織田幕府の創始者)信忠だったかも?(笑)
しかしながら、討ち死に決意とか、追い腹切るとか、誇り高さを示して後世名を残そうとした人より手段を択ばず生き残って大事を成した人の方が後世有名になっているのが皮肉ですね。
自分たちも世俗の価値観に振り回されないようにしなくてはですね。
信忠君は逃げればいいのに、お父さんを助けに駆け付けようとして撃たれるという所が泣かせるんですよね
今日も楽しく拝見しました✨
ドラマでは独裁者的で無残な事も多くやってきた信長ですが、きりゅうさんのお話で実際には慕う人も多かったように思えました。だから、現在好きな戦国武将に選ばれているんでしょうね
光秀〜最期の11日間〜
ですねわかります。
信忠は信長の愛妻生駒吉乃の方が産んだ子供。目に入れても痛くない溺愛ぶりだったせいか武将としては、お坊ちゃまに育ってしまった感がします。父の死を乗り越えて頑張るより、父に殉じて死を選ぶ道を選択してしまった。織田家の終わりの始まり。
光秀の11日やってください!
信長さんの子どもたちのその後ももっと知りたーい!
真っ赤な衣で始まり、真っ赤な衣で終わった信長。岡田君の信長大河が見たい!
寝巻が血に染まってくアイデアは最初からあったのかもしれませんね
@@pomelove9502そうだね、おかださんの信長さんの、浴衣が真っ赤なっても、戦ったシーンは、もう凄い、凄かったな
正直、最初に信長が深手を負ってから戦いが始まったのは無理があるように感じましたが、
相撲の回想シーンが散々繰り返された後で最後に真っ赤な信長が現れた時に、
「こんな信長は初めて見た!あゝそうなのか!この為に最初に信長を刺したのか!」
と思いました🤔
もしかしたら、必要以上に武田軍が赤かったのと合わせて、後の家康軍の主力「赤備え」部隊に引き継がれていくのかもしれないですね☝🏼
今川義元や瀬名達の「王道」と同時に、信玄・勝頼・信長の「覇道」も抱きかかえて、「神君・家康公」を誕生させるのかもしれないなと思いました😉
@@地方都市住民Y.M
元々井伊の赤備えは武田家臣団山縣の旧家臣団を井伊直政家臣団に組み込まれて井伊の赤備えが誕生
詳しくは「赤備え」で調べると色々出て来ます
@@yukosugihara9778
ありがとうございます🙏🏼
そうですね☝🏼😉
武田から継承した赤備え(新参の井伊直政が率いた外人部隊とも言える)は有名ですが、本作では元々の武田軍も全軍を「赤」で描いたり(史実では無い)、その「赤」が象徴する物に「信長」も加えたりして描いたりしています。
その「赤い信玄(勝頼)と信長」の二人を「覇道だ!」と批評した「王道派・今川義元」、彼と彼由来の人々の「淡い色シリーズ」と対照的に描かれている気もします。
果たして本作の家康は、「覇道派」 の継承者にしてラスボスの「豊臣秀吉」と競い合う「王道派」の継承者として描かれるのか、それとも「清濁合わせ飲む」ように「王道を得る手段として覇道も飲み込む」事ができる稀有な存在として描かれるのか。
そうした妄想が膨らむ「真っ赤な信長」でした。
麒麟がくるの信忠は、なかなかのやり手なイメージでしたね。小山田信茂を処断した信忠の役者さんはいい演技でしたよ。
あの信忠が生きてたら、秀吉も出しゃばれなかったろうなぁ。奇妙丸、残念💦
麒麟がくるじゃなかった。真田丸でした💦お詫びせずに訂正致します😅
昔「おんな風林火山」というドラマが好きだったのですが、信忠様が逃げ延びるチャンスがあったのは知りませんでした。
松姫のためにも、生き延びてほしかった…😢
昨日呉座先生のYou Tubeライブ見てたら呉座先生もライブチャットしてる歴史マニア達も
信忠と信長が一緒に京にいたから、明智光秀が突発的にやったんだろうと。昨日の大河でも明智光秀そのようなこというてましたし
信長だけ討ったって信忠生き残ってたら、意味がないから
本当にたまたま、二人が京にいたから本能寺の変があっただけで、信忠堺にいたら
そもそも本能寺の変なんてなさそうっすもんね。
織田信忠がもし生きていたら 歴史は変わっていたんですね。感動します。
毎回説明がわかりやすい!!😊
歴史にifはないけれど、こうしたら助かったのかな、とかは考えてしまいますね。
そしてifを考えると実際の歴史への理解も深まる気もします😊
二条城、美しくて大好きなのでこんな血みどろの戦いがあったとは…
信忠は織田家当主としては信長を見殺しにしてでも逃げなければいけなかった……
信長、信忠が共に寡兵で京都に居たからこそ光秀が謀反を実行した。このドラマでも光秀のセリフを注意深く聞いていると理解できます。現当主を討っておかないと下克上は成立しないので。
昨日どうする家康版本能寺の変観てました。おかださんの、信長さんの、アクションシーンがめっちゃめっちゃ格好良かったです。おかださんの、信長さんは、凄いアクションシーンも、あったから、凄い演技だったです。ちなみに私みっちゃん大好きだけど今回どうする家康の、みっちゃん役人は、やっぱり苦手だけど、我慢して観てたけど、家康さんへのあの発言は、演技とはいえもうヤダー状態なりました🐰おかださん信長さん役格好良かったから、信長さんロスなりました
もしも、信忠が逃げ切っていたら、その後の展開はかなり面白いことになっていたかも。
本能寺の変のあとの光秀は、失策続きだったようですね。
😢ぐっ、凄く、わかりやすい説明…哀しいかなぁ😢
登場人物をしぼらなきゃならないから省略される人物がたくさんでてきますよね。
この織田信忠だけじゃないですよね。
私の父方の先祖は織田家に仕える国人領主でした。
本能寺の変では信忠公を守り、妙覚寺あるいは二条御新造で壮絶な討ち死にを遂げたと伝わっています。
平重盛と織田信忠が長生きしたら今も近畿のどこかが首都になってると思う!
光秀は野心にあふれた獰猛な武将だったと思いますが、戦国時代の中ではこれが正統派であり間違ってはいません。梯子を外された11日間の彼の苦悩は思うだけで辛い。ここはそっとしておいてあげたい・・・
てっきり明智軍が二手に分かれて同時に本能寺と二条城を攻めたのかと思ったけど、ちょっとタイムラグがあったんだね
こんな話を聞くと織田信忠を主人公にした大河も見てみたい気になります。信長ではない、嫡男信忠の目からみた戦国、そして最後。そんな大河を本当に見たいです。
弥助は生き残ったとは聞いてましたが、宣教師に返されたとは知りませんでした。
あと光秀が仲間や援軍を増やせなかったのは麒麟がくるの時みたいに、結局みんなスルーしてしまったからでしょうか?SNSでは《是非に及ばず》無かったが《やれんのか!キンカン頭っ》のセリフがトレンドに上がってました。いつもと少し違った本能寺の変でしたが、これはこれで良かったと思います。
来週の伊賀越えは、予告だけ見るとなんか昔の水戸黄門のような時代劇ぽい内容に感じたのは私だけでしょうか。
光秀11日楽しみにしてます!細川さんが助けなかったのが不思議に思う点あり、その辺のお話も聞きたいです。
いつもありがとうございます
明智光秀最期の11日
期待しています❣️
逃げて討たれた勝頼よりも、(越前から)逃げて生き延びた父のことを思ってほしかった。
「信長が京へ来た」ということで 信忠も「出迎えに 戻った(戻らなければいけなかった)」という 気づかいに 当時の権力者間に (親子と言えども)ある 緊張感を感じさせられます。武田も徳川も(事情があるとはいえ) 後継者が死に追いやられてますからね。
信忠が堺に出向いていたら、光秀は本能寺の変という暴挙を行わなかったはずです。光秀が謀反を起こした一番の理由は、信長、信忠が共に京都にいたからだと言われています。信忠が敢えて逃げず京の出入り口の封鎖はされているはずと思ったというからには、光秀の有能さは皆に知れてもいたわけですね。(実際はできてなかったけれど)黒人の弥助は、”信長King of Zipangu"には登場してました。明智光秀としては、信長(信忠も含め)の首級をあげられなかったことが、一番の敗因ですよね。その決定的な印があれば、様子見だった武将達ももっと早く光秀側に付いたかもしれません。秀吉の”殿は生きている!”という偽情報も偽りと分かったから。
清須会議の映画やいろんな歴史小説で三男の信孝は頼りなく描かれているので信忠も同じダメダメちゃんかと思っていました。この動画で信忠の功績と厚い人望が知れて良かったです。歴史は本当にエンターテイメントですねー色んな想像が膨らむから幾通りものストーリーができる😊私は光秀同情派なので光秀の11日天下の動画を心待ちしてます❤
信孝よりも、次男の信雄(本当は信孝のほうがお兄ちゃん)がよりダメダメに描かれてません?
16:27
古沢脚本とかしましさん解説のお陰で超有名武将の嫡男も優秀だったことがわかりなんだか嬉しい。腹心の裏切り、本能寺の守りの手薄、信忠の急な京入り、織田親子の遺体が見つからない等々家臣をも信じない専制君主信長の最期には疑問しかないです。好奇心旺盛だった信長と16,17世紀に奴隷として海外へ連れていかれた日本人の存在を考えると一度きりの人生、光秀、秀吉と謀って信長は海外に渡り、信忠が太平の世を創る予定が秀吉の裏切りに遭ったか、秀吉、家康のフィクサーとして生き続けていたのかもと思わずにはいられません‼昨今の否定する事実がない新説を受入れる流れは単なる1視聴者にも物事を多角的に見て柔軟に捉える姿勢を提示しているようで世論に影響のあるNHK制作陣の意気込みが感じられていいですね
信忠が信長と一緒に討ち死にをしたのは知っていましたが、この時点で家督を譲られていたのは不勉強ながら知りませんでした。
今日Yahoo!ニュースのコメントで、今回の大河は敦盛も是非に及ばずもなくて史上最悪な信長の死だったとゆうのを読みました。
そういえば、本当に信長は死に際に敦盛を舞い『是非に及ばず』と言ったのか…
誰も見てないやん😅
これも作り話なんでしょうか😂
光秀空白の11日とかお話あったら観たいですね😊
かしまし歴史いつも楽しみにしています😊きりゅうさんのお話しがすごく勉強になります~もっといろんな武将のお話し詳しく知りたいです。今回、嫡男と五男はでてきましたが~二男、三男、四男もいたってことですよね~その方たちはどうなったんでしょうか?お時間あったら教えて下さい_(._.)_
信長が子供のころを回想し、教師に暴力を振るうシーンは、信長が可哀想でもあり印象的でした。
「是非に及ばず」や「人間五十年」の舞いがなかったですね。それが真実かもしれませんが、本能寺の変のイメージが変わって行くのも現代の反映なのかな。
敦盛は元々桶狭間前に歌った歌
いつの間にか本能寺バージョンになってしまった😗
今日も楽しい解説ありがとうございます😁信忠さん所の家臣は殿ともに討ち死にして殿の最後のお供をする潔い家臣だったみたいですが家康さんの所の身代わりになってでも殿を逃がそうとする家臣の方がいいですね~。😊
どっちも忠義の家臣であるのは間違いないと思いますが😊
信忠が生きていれば、織田家はもっと続いていたかもしれなかったと思うと残念ですね。
このとき死んだ面々に毛利新介が居るのがぐっときます。お家の開運戦で大殊勲を挙げたころから早20余年、織田家の盛衰とリンク度強めの人生でした。
信忠くんは優秀だったみたいだけど、たくさんいたであろう他の兄弟はその後どうしたのか、教えてください❗️
弥助も気になります。北野武の映画では副島淳くんが演じているようで、楽しみです😃
信忠は逃げる余地があったのに…。信長が信忠の立場だったら逃げの一択だったように思います。明智光秀も最初は信忠の方まで手を回していなかったということは、案外何にも考えずに信長を倒すことだけを目的にやっちゃったのかも。ということは信長憎しの怨恨説?
本能寺の変の前日に信長と信忠が父子で酒を酌み交わしていたのですね。。😢
どのような事が語られたのか…信長と信忠の親子を題材としたドラマも見てみたいと思いました。
詳しい解説、ありがとうございました🙏❣️ 信忠の事は、恥ずかしながら、よく知らなかったのでとても参考になりました🤗
難攻不落で知られた高遠城を織田家当主信忠軍が半日で落城させた勢いであっという間に武田が滅んでしまったため、勝頼は真田領からすでに和睦していた上杉へ逃げるルートに行けなかった
どうする家康では忖度して勝頼を織田軍に討たせた設定にしていましたが、現実は織田信忠軍が「疾きこと風の如く」を超える「動くこと雷霆の如し」の速度だったため、徳川軍の付け入るスキはなかったということでした
優秀な信忠が生き残っていたら織田の支配は揺るがず、もしかして部下に優しい二代目として善政を敷いていたかもしれない
きりゅうさんの言う通り歴史にIFはないんですが、もし信忠が一部の手勢とともに即座に馬で必死に逃げたなら生き残る可能性は高かったと思います。
そうなれば、後の太閤秀吉や徳川幕府もなかったかもしれませんね。
信忠の籠もった二条御所には
信長の弟織田長益もいたらしいですね
彼の見事(?)な逃げ上手っぷりが好きなんですが
今回の大河じゃ出番ナシかな
有楽斎は、葵徳川三代で補完出来ますw
有楽町に名を残す男
本能寺の変の際、信忠が逃げ込んだ二条城には信長の弟である長益(後の有楽斎)も逃げ込んでいたが、長益は安土を経て岐阜に無事に逃れられました。
長益と一緒に信忠は岐阜に逃れられたと思いますか? コメント下さい。
昨日の本能寺の変がまだ消化できず、何度も見直しています。信長さん、家康に討ってほしかったよね。でも、望みが叶ってしまったら、今までの報いは受けないから、明智軍の名もなき忍びに後ろから刺されるところが本当に酷い。そして、信忠くんも、そんな討ち死してるのに、そこを描かないのも、また今回の家康の思いをメインにした作品らしいですね!
一にも二にも逃げて可能性を探すべきだったような気もしますけど武田攻めのとき結構イケイケタイプでしたしね信忠っち。
どこぞの有楽斎と違ってあっぱれ過ぎるでしょ?信忠さん、確かに惜しいな。
勝頼公の本懐ここにあり。
「三日天下」と言われるけれども、『絵本太閤記』は11段。という事は、江戸次代にすでに「11日」が定説だったんでしょうね。
構成が変わって三人のアップも見れて楽しかったです。
教えた頂きたいと思いますが、平安時代に亡骸を呪詛の道具に使われていたと何かの本で書いていかのを覚えているのですが、それも亡骸が見られないようにしたのですか?
変な質問ですいません
ドラマでは刺されてもなかなか死なない信長様でしたが いろいろ回想とかあるからロングバージョンになったのかなと それでも信忠とか弥助とかはカットしてるんだなと あと北川景子が美しかったなと
信長さんが寝ているときに初めに襲った忍びみたいな人って誰だったのですか?
あれ松潤にみえたけれど、信長さんの妄想なのかよくわからなかったのですが、、
もし?は無いですが、でも、もし、ノブタダ君が一旦引いて 体制を整えて明智討伐したら 秀吉の天下も家康の幕府も無かったのかも?って思っちゃいますね😢
戦国の武将が滅びる時は、かなりの確率で首があがるはずです。信長の亡骸も信忠のそれも見つからないなんて… そんな偶然あるのか?って思います。
この両人の生死不明は、その後の光秀に相当不利に働き、秀吉の天下となりました。光秀の運の無さというか、天の意思としか思えません。本当に不思議です。
流石の古沢氏も弥助は出せなかったか(笑)
大河では無視為れがちなのでファンタジー大河では出して欲しかった(涙)
息子よ パパの所可愛くて笑った
むかーし何かで、信忠に比べ信康の優秀ぶりを信長が恐れて処分した、という話を聞いた事がありました。なので信忠は大した人物ではない(失礼)との印象があったので、今回の話を聞いて思い直しました。
あれだけ、家康の内情も忍者を使ってお見通しだった信長が、
光秀の内情を知らなかったというのが疑問。信忠も諜報組織を
使っていれば、粟田口、逢坂峠の様子もわかっていそうなはず。
(信長生存説)
ドラマで何回も信長が寝所に刺客に襲われるシーンがあり、
何回目かに信長が刺客を倒し、床の扉を開いたように見えたシーンが
あったと思いますが、これは信長、生存説があるのかと思わせました。
「俺の代わりができるのか」という台詞から、信長は密かに生き延びて、
海を渡る、欧州生存説で行くのか思いました。
(次回予想)
伊賀越えでは本多正信が再登場する。伊賀の服部半蔵、大鼠が知らない相手に
取り抑えられてしまうので、相手は甲賀忍者か。甲賀忍者を本多正信が
雇い、家康を助けるのでは。ブラタモリでは甲賀忍者が伊賀越えを
助けたことが強調されていました。
(御斎峠)
伊賀越えでは御斎峠(オトギトオゲ)という場所がよく出てきますが、
御斎峠は多羅尾から伊賀にでる街道の途中にあり、緩やかな
登り坂から急な崖に出て、伊賀盆地を見渡せる場所にあります。
6/4小川城から伊勢湾に出る行程で、伊勢盆地を見渡せる御斎峠に
出て、伊賀の軍勢の流れを確認したかったのではないでしょうか。
(天王山の戦いと洞ケ峠(ホラガトオゲ))
天王山近くの西国街道の北の山の稜線に沿って走る街道を
地元では太閤道と言ってちょと知れたハイキングコースになっています。
秀吉の軍もこの道を通って、まず、天王山を占拠し、秀吉の旗指物を
明智軍を出し抜いて揚げて、有利に立ったということです。
洞ヶ峠は奈良方面から来た筒井順慶が秀吉、光秀の両軍のどちらが
優勢か見定めてから、秀吉軍に加勢したというような話もあります。
信念を持たずに形勢をうかがって、いつでも優勢なほうに荷担できるように、
待機する狡猾な態度を「洞ヶ峠を決め込む」というそうです。
戦国と関係ありませんが洞ヶ峠にはタクシーの幽霊話があり、
京都の深泥池(ミゾロガイケ)と同様に女の人を洞ヶ峠で降ろしたら
消えていて、シートが濡れていたというような話が地元ではあるようです。
織田有楽「わーこんかいもでばんなかったぞーうれしいなー。」
こんなに
子供がいるのに
何故
秀吉天下なのか
朝廷からの
お墨付きがあれば
棟梁になれるかな
光秀も朝廷に
いっぱい手紙書いてるのに😅
手紙じゃお腹一杯にならないしー
着物買えないしー遊びに行けないしー
マメな連絡よりお金頂戴が公家というか朝廷
信忠、優秀なのかそうじゃないのか判断に苦しみますね。光秀が本能寺と同時に妙覚寺を攻めてこないなら計画的とは判断できない、それなら十分逃げおおせると思わなかったのかな?実際信忠に随行していた織田有楽斎は脱出に成功していますからね。
信忠の立場では父・信長より織田家存続が第一であり、それは信長だって同じことでしょう、信長があの世から俯瞰して信忠を見ていたら「なぜ逃げない」と叫んでいたかもしれませんね。
親が討ち死にしてのこのこ逃げ去る選択は当時のプライドの塊の武士としては選択しずらいのではないでしょうか?
このドラマのサルくらい計算高くてプライド低いのであれば簡単にできるでしょう
@@nakaiti3780 さん
そういう見方もありますが、では信長が信忠の立場だったら信忠と同じ行動をしたでしょうか?
@@jacksparow8100 信長が伝説どおり親の葬式で狼藉をしたのであれば、合理的に行動するでしょうが当時のエピは信頼性が低いのでどうでしょう?
信忠と信長は性格がだいぶ違うのは確かでしょう
信忠が持っていた数万の家臣団は、本能寺の変時に、どうなっていて、その後、どうなったのか?分かっていましたらご教示お願いします。
質問です。信長、信忠、五坊丸の遺体は無事回収されてお墓に入れられたのですか?
弥助の宣教師に戻ってからの話ってないのかな?
パパは、越前から家臣を置き去りにしてとっとと逃げてるので、チャンスがあればチャレンジすべきでしたね。
『歴史にifはない』とのことですが。。都市伝説で『信長と光秀はこっそりバチカンに行っていた』という、Ifを飛び越えてて、これこそファンタジーな話が巷では囁かれていますが😂 お3人様がその話を聞いてどう思われるか聞いてみたいです😂
信忠くん、信長さんが京都にくる予定を知らなかったんでしょうか?
たとえ信長さんを討てたとしても、誰もが認める後継者の信忠くんも殺さなければ毛利や上杉・長宗我部を攻める軍団に逃げ込まれてしまい、織田家は再びまとまって光秀君では対抗できなくなるでしょう。やはり、信長さんはおろか信忠くんも一緒に殺せる千載一遇のチャンスだった (さらに近くに四国攻めの兵力しかおらず、他の兵力は各地で敵と対峙していて簡単には畿内に駆け付けられない) から光秀くんも動いたんだと思います。
迅速かつ正確な判断で全力で逃げたとしても捕まらなかったかは微妙ですが、信忠くんの潔さが織田家の運命を変えた気がしますね。対して信長さんには「ここ!」という時は運を天に任せてでも、逃げる即断ができる強さがあったのかもしれません
知ったから戻った。元々は信長から家康一行の堺案内を頼まれて一緒に出発、途中信長が本能寺へと聞いて家康一行に訳を話、信長の許しを得て京都に戻った
動画の冒頭できりゅうさんもお話していますよ
@@yukosugihara9778 そうですね。
ただ後継者の信忠くんに案内を命じるほど重要視してた接待と思うので、いくら怖いパパが来るとはいえいきなり役目ほっぽり出すのは違和感を覚えます。信長さんが怒ったとも書かれてないので、信長さんが急遽呼びつけたか、最初から信長さんに会ってから家康くんと合流する予定だったのか、信忠くんの側に急いで直接話したい大事な理由があったのか…いずれも資料とは異なりますが、こんな風に考えてしまいました
光秀の11日とか、B級映画とかでありそう
すみません、今回のスピンオフでもいいかなと思いました
どうする信長をみて少し気になったのは、信長は身長170cmくらいで江戸時代よりは背が少し高いが平均160cm以下だと思われる戦国時代当時では大男だったらしいので松潤家康よりやや背が低く見えた岡田信長、演技力は満点だけどその辺が気になった
こんばんは
コレトー ~最期の11日間~
信長がモザンビークに落ち延びたという伝説はないのでしょうか。モザンビークで信長の首塚が発見されたとか。
LINEスタンプに「どうする家康」できましたね。欲しいんだけどLINE交換してる人に大河ドラマにハマってる人がいません。このノリがわかってもらえません。誰かに「俺の白兎」って言いたい
余談ですが BSで『大奥』の再放送がはじまりましたが 第一話が『徳川吉宗』であっているのでしょうか 最終話が吉宗だったから違うのではと
長益が自害勧めたらしいが、奴は長生きして許せれねえな
昨日の本能寺の恋はすごかったわ😅(笑)
信長がなんと、今回初めてヤンデレ状態で家康に恋してたとはw(ヤンデレ)
ジャニーズ。
信長も危機管理がなってないな。せめて息子は別行動させなね。
信長も自分がこれされても信忠は生き残ってくれるだろうと思ったからこそ自害したのであって せっかくの時間稼ぎを生かせなかった信忠はやはり日頃の訓練が足りなかったとしか言いようがない 「謀反が起きたら安土に避難」 これをつねに肝に銘じてくれないと
織田有楽斎はどっかに隠れていたとか?
結果的にどうするの光秀は遠隔で家康に操られたようなもんに見えたです
家康間接黒幕説
築山殿事件は、信忠よりも信康が優秀であることを危惧した信長の思惑によるという説もありますね。
その説だと、信忠は凡庸だったのかな?すぐ下の弟よりはとましな程度だったのかないう印象ですが、十分才能ある武将だったようですね。
ただ、親父が日本史の中でもトップクラスのオーラを放ちまくっているから、どうしたって影に隠れてしまいますよね。
信長の光が強すぎるから、その分影は濃くなって、信忠くんの存在感が見えないんだと思います。
織田有楽斎が信忠に討ち死にを勧めて、自分だけは逃げ延びたも聞いたことがあるのですが、それは俗説ですか?
長益叔父に逃がしてもらえませんでした。でも、長益叔父は逃げのびています。
つまり…?
史上最低という批評も出ている「どうする家康」本能寺の変については「あまりにも有名」というより「あまりにも酷すぎ」て言及できないのだと思う。
テレビは、おもしろくありませんでした。😢ペラペラペラペラ。うすっぺらーい、お話しでございました。ネットでも酷評でしたねえ。😅なんとかならんのですかね。あの脚本😂きりゅうさんもお疲れ様です。