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弥生飛鳥のゆっくり歴史解説
Япония
Добавлен 19 июн 2020
弥生時代-奈良時代にかけての歴史遺産を解説するチャンネルです。古墳で興奮できる人間がつくっています。
【ゆっくり解説】古墳解説第8回 武蔵府中熊野神社古墳
皆さんこんにちは。
東京都府中市に所在する、まるで宇宙船のような上円下方墳「武蔵府中熊野神社古墳」について解説しました。
【目次】
0:00 はじめに
0:41 所在地について
1:51 名称について
6:02 武蔵府中熊野神社古墳・概要
8:57 版築と掘込地業
10:50 出土品と築造年代
12:22 被葬者像
13:30 おわりに
武蔵府中熊野神社古墳は、7世紀中頃の築造とされている終末期古墳で、最大の特徴は全国で数少ない上円下方墳だということです。動画内では確認されている上円下方墳は6基だとしましたが、他にも4基ほど上円下方墳ではないかと云われている古墳があります。それでも日本に17万基あるうちの10基ですから、非常に珍しい形です。
南武蔵、多摩川沿いの府中という立地を絡めて考えると、被葬者像や背景などが色々と見えてきて大変おもしろかったです。
ご視聴ありがとうございました。
カンパして下さったら嬉しいです。大変喜びます。
ほしいものリスト:www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/3KT7YMN6GDZS0?ref_=wl_share
【利用させて頂いたサイト様・参考資料等】
・ニコニ・コモンズ様 : commons.nicovideo.jp/
・ゆっくり素材 :www.nicotalk.com/charasozai_sky.html
・ゆっくりムービーメーカー: manjubox.net/ymm4/
・武蔵府中熊野神社古墳.文化遺産オンライン.bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/192672
・青木敬.2016."なぶんけんブログ(133)古代の地盤改良&...
東京都府中市に所在する、まるで宇宙船のような上円下方墳「武蔵府中熊野神社古墳」について解説しました。
【目次】
0:00 はじめに
0:41 所在地について
1:51 名称について
6:02 武蔵府中熊野神社古墳・概要
8:57 版築と掘込地業
10:50 出土品と築造年代
12:22 被葬者像
13:30 おわりに
武蔵府中熊野神社古墳は、7世紀中頃の築造とされている終末期古墳で、最大の特徴は全国で数少ない上円下方墳だということです。動画内では確認されている上円下方墳は6基だとしましたが、他にも4基ほど上円下方墳ではないかと云われている古墳があります。それでも日本に17万基あるうちの10基ですから、非常に珍しい形です。
南武蔵、多摩川沿いの府中という立地を絡めて考えると、被葬者像や背景などが色々と見えてきて大変おもしろかったです。
ご視聴ありがとうございました。
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【利用させて頂いたサイト様・参考資料等】
・ニコニ・コモンズ様 : commons.nicovideo.jp/
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・武蔵府中熊野神社古墳.文化遺産オンライン.bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/192672
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【ゆっくり解説】古墳解説第7回 雄略天皇陵
Просмотров 2,9 тыс.3 месяца назад
皆さんお久しぶりです、弥生飛鳥の妹です。この度兄がチャンネル1年4カ月放置しご迷惑をおかけして申し訳ございません。 【目次】 0:00 はじめに 0:57 雄略天皇陵の概要 4:46 魔改造について 6:02 雄略天皇について 7:54 真の雄略天皇陵 10:54 おわりに 今回解説するのは古市古墳群の隅っこにある雄略天皇陵についてです。 島泉丸山古墳と島泉平塚古墳という2つの古墳を無理やりくっつけようとしたものの、くっきりと分かれている前方後円墳擬き。これらを1つの雄略天皇陵として扱ってるのは中々面白いと思ったので取り上げることにしました。 雄略天皇といえば古代の存在自体が胡散臭い天皇ズの中で、実在性が非常に高い天皇でして、日本史の授業でも名前が出てきたのを覚えています。(倭の五王の話で必ず出てきます) そんな偉大な天皇がこんな古墳に?というのは誰もが思うことで、魔改造したくなる気...
【ゆっくり解説】古墳解説第6回 西殿塚古墳
Просмотров 4,3 тыс.Год назад
今年度初投稿です。 【目次 0:00 はじめに 0:32 西殿塚古墳の概要 2:16 現在の様子 4:53 西殿塚古墳の特徴 7:32 出土品と築造年代 8:46 被葬者編 手白香皇女 14:46 崇神天皇説 16:53 台与説 18:23 被葬者まとめ 今回解説するのは西殿塚古墳です。色々と悩みながら作ってたら最終的に手白香皇女の解説パートの割合が多くなってしまいました。西殿塚の本当の被葬者じゃないのにな…(暗黒微笑) 箸墓古墳の次に造られた巨大古墳ということで、やはり相当に謎に満ちた古墳であり、そこがまた魅力的だと思ってます。こんなに大きくて美しい古墳を造った先祖様達はさぞ誇らしかったことでしょう。 ご視聴感謝です。 Twitterもどうぞよろしくお願いします。 twitter : yayoi_asuka334 カンパして下さったら嬉しいです。 ほしいもの...
【ゆっくり解説】古墳解説第5回 誉田御廟山古墳(応神天皇陵)
Просмотров 4,8 тыс.Год назад
今年初投稿です。 【目次】 0:00 はじめに 0:41 概要・名称 2:01 概要・規模 4:17 陪塚について 7:40 誉田断層と墳丘 9:13 出土品と築造時期 9:54 被葬者は応神天皇? 12:45 応神天皇の実在性 14:08 さいごに 今回解説するのは日本で2番目にデカい古墳、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)です。 大阪府羽曳野市に所在するこの古墳は、古くから応神天皇の御陵として誉田八幡宮と共に信仰の地として現在に至りました。全国に古墳はたくさんありますが、このように現在まで存続しているのは応神陵と聖徳太子の御陵だけではないでしょうか? このような歴史のある貴重な古墳を解説するには少々力不足な点があり、上手く纏めきれず 申し訳なく思ってます。結構調べたので、そのうち人物解説に手を出すかもしれません。 ご視聴感謝です。 Twitterもどうぞよろしくお願いします。 twit...
【ゆっくり解説】古墳解説第4回 処女塚古墳/西求女塚古墳/東求女塚古墳
Просмотров 1,9 тыс.2 года назад
皆さんお久しぶりです、弥生飛鳥の妹です。この度兄がチャンネル一年放置しご迷惑をおかけして申し訳ございません。 【目次】 0:00 はじめに 0:39 莵原処女の伝説 2:55 処女塚古墳 5:30 東求女塚古墳 7:00 西求女塚古墳 10:06 周辺紹介 今回解説するのは神戸市東部、処女塚古墳(おとめづかこふん)と東西にある求女塚古墳(もとめづかこふん)の計三基と莵原処女の伝説についてです。 個人的には、変な古墳の名前ランキングの5本の指に入ると思ってる古墳です。 物流の大都会神戸の海沿いという立地にある3基の古墳は、三者三様の破壊を受けています。交通の要衝という立地条件を選んで築造された昔の人たちは、発展しすぎて古墳が削られるという未来を予想できたでしょうか? 変わった名前を持つに至った経緯も含めて、全く予想できないと思います。 歴史のそういった予測できなかったことの積み上げなん...
【ゆっくり解説】古墳の形・11選
Просмотров 9 тыс.3 года назад
今回解説……どっちかというと紹介ですが、古墳の形状についてやらせてもらいました。古墳=前方後円墳をイメージですが、八角墳などをはじめとしたマイナーな形が沢山ございます。少しでも知ってくださる人がいればいいなと思い、投稿いたしました。古墳に光あれ! 【目次】 0:00 はじめに 0:55 円墳・方墳 1:55 前方後円墳 4:00 前方後方墳 5:02 帆立貝式古墳 6:06 双円墳・双方墳・双方中円墳 7:39 八角墳 9:33 六角墳・上円下方墳 四隅突出墳はちょっと別カテゴリーかなと思ったので自分の判断で出しませんでした。 熱心な四隅突出墳ファンの皆さんには申し訳ないです。 前回の投稿から10カ月もあけてしまい大変申し訳ございませんでした。 以後最低でも月に一回は投稿していきますので、今後ともよろしくお願いいたします。 次回は西殿塚古墳を予定していて、おそらく10/20までには投...
【ゆっくり歴史解説】古墳解説第3回【神武天皇陵】
Просмотров 48 тыс.4 года назад
今回解説するのは神武天皇陵です。 古墳か?といわれると微妙なので古墳解説でやるか迷いましたが、まあそこは見逃してください。 【目次】 0:00 はじめに 0:37 記紀と神武天皇 4:56 神武天皇陵 6:41 神武天皇陵と洞村の歴史 16:17 周辺紹介 神武天皇は本当に居たのか、古代に造られた神武天皇陵と今の神武天皇陵は同じものなのか、今となっては知ることは出来ませんが、そこがまた面白いpointだと思います。 個人的には、神武天皇は1〜3世紀くらいに実在した人物で、エピソードについては色んな人の実績を合体させて創ったものだと思ってます。知らんけど。皆さんは如何思われますか? 【訂正】×建国記念日→○建国記念の日 建国されたという事象そのものを記念する日、と解釈できるように敢えて「の」を入れたそうです。大変失礼しました。 twitter : yayoi_...
【ゆっくり歴史解説】古墳解説第2回 黒塚古墳/椿井大塚山古墳
Просмотров 33 тыс.4 года назад
今回解説する古墳は所謂「出現期古墳」と称される古いもので、三角縁神獣鏡が出土した古墳の代表格として有名なものです。城にされていたり、某国鉄に石室を荒らされたりと、エピソードは豊富で動画にしやすかったです。 あと、動画内で渋谷向山古墳(景行天皇陵)は奈良県で一番大きい古墳と紹介していますが、これは誤りです。奈良県一位は見瀬丸山古墳が正しいです。 ゆっくりゆっくり作っていたら二か月経っていました。素直に謝罪です。 前回予告していた神武天皇陵は、あとは動画にするだけの状態なので間もなく公開できると思います。多分。 twitter : yayoi_asuka334 ほしいものリスト: www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/3KT7YMN6GDZS0?ref_=wl_share 【利用させて頂いたサイト様等】 ・甘楽の音楽工房様: amachamus...
3分で分かる邪馬台国論争
Просмотров 22 тыс.4 года назад
邪馬台国論争について基本的な部分について解説しました。 3分で全てを解説出来ないのは分かりきっていましたが、全てを1つの動画にすると分かりにくくなりそうなので、シリーズ化し小出しにしていく所存です。 twitter : yayoi_asuka334 【利用させて頂いたサイト様等】 ・甘楽の音楽工房様: amachamusic.chagasi.com/index.html ・ニコニ・コモンズ様 : commons.nicovideo.jp/ ・ゆっくり素材 :www.nicotalk.com/charasozai_sky.html ・ゆっくりムービーメーカー: manjubox.net/ymm4/ ・いらすとや様: www.irasutoya.com/
【ゆっくり歴史解説】古墳解説第1回 箸墓古墳
Просмотров 103 тыс.4 года назад
奈良県桜井市にある全長約280mの前方後円墳「箸墓古墳」の解説動画になります。 初投稿でこの動画を選んだのは、やはり古墳時代の幕開けを飾る初の巨大古墳だという点と、昔からよく訪問している箸墓古墳の美しさに惹かれたからです。この動画が、皆様に古墳や歴史について興味を深めてくださる場になればいいなと思っています。 31秒 概要解説 1:07 築造年代について 2:17 被葬者について 2:52 倭迹迹日百襲姫命と箸墓伝説について 6:00 卑弥呼について 8:02 発掘調査について 9:50 池の水を抜く某番組について 11:39 周辺紹介 twitter : yayoi_asuka334 良かったらフォローしてくださいお願いします 【利用させて頂いたサイト様等】 ・甘楽の音楽工房様: amachamusic.chagasi.com/index.html ・Mu...
府中の上円下方墳の解説待ってました。 昭和時代のこの古墳は石で保護されておらず、本当にただの小山の様な古墳でした。 いつの間にかこの様に石で保護されていましたが、石で保護する意味は何かあるのでしょうか? 作られた時代の形を再現したとも考え難いですね。 小山の時の古墳を写真で撮っておけば良かったと今では後悔してます。
以前穿った見方をした考えをしましたが、西殿塚は2つの方形壇があり、当時にしては巨大であり、また、東殿塚が上座にあることから、こう考えました。 まず西殿塚に卑弥呼が埋葬される。 卑弥呼弓は「俺は偉かったんだから、卑弥呼よりは上座に眠る。」とし、東殿塚を建築し、卑弥呼弓は東殿塚に埋葬された。 台与は死後親しかった、尊敬する卑弥呼の墓で眠りたいとする。その後、卑弥呼と台与の功績(を多くの人が認識して以前の西殿塚よりも大きい墳丘に改変し)より素晴らしい2人の墓を豪華にした。 西殿塚と東殿塚があの位置で存在する理由になかなか合点がいかなくて。箸墓は倭迹迹日百襲姫に違いはないと思います。ただ難点は近隣の環濠集落は、邪馬台国だったとするには余りに貧相ですからねぇ。。。
貧相って 奈良盆地は広範囲にわたって様々な集落があったんだからそれらを総称してヤマトと言ったんじゃないの? 纒向も唐古・鍵遺跡も多遺跡も坪井大福遺跡も布留遺跡も奈良盆地にあるよね
いや、そう思いたいんですよ。 ただね、集落にいた人とか規模が確か合わないんですよ。普通なら、箸墓≒卑弥呼と考えてもよいけど、それも合わないし、(因みに西殿塚も現状では合わないので後に改変したと考えると魏志倭人伝に沿ってきて話が面白いなと思うわけで)魏志倭人伝には、卑弥弓呼の存在もあって、そのあたりは熊襲じゃない?という話も出てくる訳で。 確かに古代の奈良、岡山は密接に関連していて、箸墓の縮尺墳が岡山にはあるので、確かになーなんて思う訳ですが、それは紀元前とか紀元1,2世紀とかそんなところで纏向とか唐子鍵とかとの関連があるから箸墓の縮尺墳があるんでしょう。でも、それは天皇の純系というか、別枠なんじゃないかな?卑弥呼は純系ではないのではないか?とする考えに私も賛成ではあります。 神武東征から大和朝廷になったとかあるけど、卑弥呼はそれ以前の話だから卑弥呼は九州という人もいるくらいだし。 しかし、西殿塚の時期に2人祀る意味があるか?というのと、なんで東殿塚という上座的墳墓があるんだ?という話がやっぱり不思議なんですよ。上に書いたのは私の妄想なので、実際には西殿塚を発掘でもしなきゃ分からないんでしょうけどね。 すべて総称して大和というなら、なぜ纏向だけに、あれだけの遺構があるかも不思議ですね。纏向が中心といえばそれまででしょうが、卑弥呼が纏向にいたとするには少し残っているものが足りないでしょう。唐子鍵は少し遠いと思いますね…纏向は2世紀の墳丘墓もいくつかありますが、それから見えることがあれば、また進展はするのでしょうけど。 西殿塚と東殿塚でそんな話があったら面白いなと思ったのですが、それがあれば疑問点が解決するなとも思ったわけですね。
初代神武天皇が存在しなかったなどとする説はあまりにも暴論です。 神武天皇は紀元前60年に橿原神宮で即位されました。 神武天皇は紀元前107年に生まれ45年に63歳で崩御され畝傍山北稜に葬られました。
箸墓古墳の被葬者は第7代孝霊天皇の皇女。倭母母曽毘売命です。 倭母母曽毘売命は紀元115年に生まれ198年に84歳で崩御されました。 二代目女王卑弥呼は第10代崇神天皇の皇女の豊鋤入毘売命です。 豊鋤入毘売命は紀元185年に生まれ248年に崩御され築山古墳に葬られました。 三代目女王卑弥呼は第11代垂仁天皇の皇女の倭毘売命です。 倭毘売命は紀元224年に生まれ306年に84歳で崩御され伊勢神宮の倭毘売命陵に葬られました。
カーン!が入ってないやん
-114514点…
岡ミサンザイ古墳、もうウン十年前の学生だった頃 付近に住んでました😆
魔改造に対する説明不足で、根本的な原因に1歩も達していない。日本書紀も読んでいないことがよく分かる。
だいあく天皇 かと思った
大塚山が雄略陵かな?と思ってました。この古墳地形図で見ると大規模に削平されていて雄略没後雄略を恨む皇族によって陵墓が壊されるという事件が記紀に記載されています。中世の城跡なら後円部を本丸に使うでしょうから、あそこまで削平はしないと思います。後年村があったのは平坦に削平されたからだと思います。壕もあるので使い勝手が良かったのかな。
めっちゃ久しぶり もっとペース上げてください
この動画見れてよかったです。
まってました😂 凄く嬉しい
菟道稚郎子とかも魔改造古墳ですね
おお~お久しぶりです!!新作動画ありがたいです。嬉しいですね!!!
神武天皇陵も二千年も経ったら地形変わるやろで新造したし、当時の感覚だと体裁のが大事ですからね 他にも造った陵墓参考地あるし 土器編年なんかなかった時代やからしゃーないけど
方墳だったのはしりませんでした、、
ーコメです
誉田八幡宮はとてもシンプルな神社なのですが、こちらへ行くと次の朝、心身共に軽くなります。不思議な神社です。
卑弥呼の墓以前に、この箸墓古墳が記紀・万葉集に書かれた箸墓なのかは確実とは言えない。
古事記の中に素戔嗚尊がいきなり高天原の天照大神の行在所に現れて当たり散らかして田圃の畔を壊し生駒ノ皮をはいで機織り中の天照大神の妹の機織り小屋に投げ込んだら下敷きになり機織りの道具尖ったヒでホト(女陰)を突き刺して亡くなった機織り娘は天照の妹君・・・・丹生都比売神(にうつひめ神)ともいい、「稚日女尊」(わかひめにみことjとは、日本神話の最高神である天照大御神の和魂(にぎみたま)、または妹神という説がある。 稚日女尊という名前は「稚(わか)くて、みずみずしい、太陽の神様」という意味だ。 機織りの道具で女院をついて亡くなるという伝説の意はわからないが、卑弥呼の墓でる意味はシャーマンであり亡くなった日巫女(卑弥呼)の後継者「台与」孝霊天皇の皇女ともいえ荒れるヤマトトトビモモソヒメの死因の箸でホトを継いであなくなるという霊的な意味合いが分ればほぼ確定できる
おそらく、秀吉政権時代に伏見城が大打撃を受けた慶長伏見地震も影響ありますよね(¯―¯٥)
コメントありがとうございます。 慶長伏見地震といえば、やはり高槻の今城塚古墳の墳丘崩壊が有名ですよね。どの地震が各々どれ位のダメージを与えたか特定は困難ですが、ゼロとは言い切れないと思います。
天皇陵が好きで、いくつか行きましたが、神武天皇陵は、他と違って、オーラがあり、自然と頭が下がりました。不思議です。死ぬまでには、もう一度行きたいです。
二つ塚古墳の被葬者が誰かも気になる。
当時は北九州筑紫平野には邪馬台国があり卑弥呼、孫の台与、ニギハヤヒなどがいた。一方南九州には熊本に狗奴国があり景行、その子の武内宿禰、その子の応神=神武がいた。そうすると宮崎は当時は邪馬台国側ですから宮崎から出発したのは狗奴国側の神武ではなく邪馬台国側の崇神かニギハヤヒではないでしょうか。
邪馬台国奈良説は国策だね。国と宮内庁が日本の国の始まりを全て3世紀にしたいから。ゆえに宮内庁が主要な古墳群を管理し発掘をさせないのは、奈良説に都合が悪い出土品を出させない為。毎年国は莫大な発掘予算を奈良平野に使っている無駄。何か少しでも発掘したら大々的にマスコミに発表させる欺瞞。魏志に書いてある。卑弥呼の墓は円墳だと。箸墓古墳は前方後円墳では?邪馬台国の東の海の向こうに別種の倭人の国々があると。奈良盆地の東は鈴鹿山地では?対立戦争した狗奴国が南にあったと。奈良盆地の南は吉野熊野の険しい山間地では?朝鮮半島の帯方郡から邪馬台国まで12000里だと。北部九州の奴国まで既に10000里。とても奈良盆地まで行けない。邪馬台国連合はまさに北部九州の筑後川流域にあったはず。東の宇佐地方まで支配し、その中心は朝倉川添遺跡~久留米高良祇園山遺跡辺りでは。対立戦争した南の狗奴国はまさに熊本の菊池川流域でその中心は山鹿の方保田東原遺跡群にあった。奈良盆地の遺跡群は北部九州の邪馬台国と同時代に存在した東の海の向こうの別種の倭人の国々で鉄ではなく銅鐸文化の牧歌的な国々だった。後年、九州勢力が鉄の武力で東征し初代ヤマト王権を樹立した。間違いない。
天照大神と、鬼道に長けた卑弥呼女王とは、別人です。 又、天照大神は、神話上の創作された女神でしかない。伝説や妄想から出た創り神。
箸墓古墳には、邪馬台国の卑弥呼女王は、眠っていません。 鬼道に長けた卑弥呼女王様は、九州の阿蘇山が見える地の、何処かに眠っています。
この動画の洞村が、気になりおおくぼまちづくり館に洞村の歴史探索に。 解説おばさんは、橿原神宮建設に当りどれだけ無念で残念かて、同和地区の気持ち押し売りてした。(笑)史実が、ただ知りたいだけなのに他に2村も移転でしたがここだけ資料館、同和パワーすげー税金チュウチュウですかね。知らんけど(笑)
コメントありがとうございます。 洞村移転の件は天皇制を批判する立場の方からはこの上ない格好の材料になっていたので、「同和地区(被差別部落)」という面が強調されるのも仕方ないのかもしれませんね…。コメント下さった内容は私も共感出来ます。 その一方で、未だに部落差別をする人や揶揄する人(流石に極少数だと思いますが…)、差別された嫌な思い出をお持ちの方がいらっしゃることを考えると、大久保の資料館のような施設がまだまだ必要なのだとも思います。
鬼(乱世)退治をしたのは、太郎(吉備津彦)ではなく、孝霊の長女(百襲姫)だったと推測する。 沖縄奄美の鬼伝説では、鬼退治は女性の力(女性性器)に関わる。 三輪山伝説は、女性の宗教的霊力が否定された比喩ではないか。
大変勉強になりました。ただ自分の考えとしては、西殿塚古墳が、箸墓古墳のあとにできたのなら、その被葬者の候補として、大彦、孝元天皇(卑弥呼の弟)開化天皇も、臺与に加えて、挙げても良いのか、とも考えています。ただし、日本書紀に、天皇の埋葬場所が、書いてある事を考えると、大彦または、臺与、の可能性が高いと考えます。卑弥呼の死後、孝元天皇、開化天皇の二人が立った後に、臺与が,女王になったと考えています。
生贄100人が出る所じゃないと卑弥呼の墓とは言えないと思ってる
その条件だと九州の祇園山古墳が1番卑弥呼の墓に近いかもしれませんね。
写真を見た瞬間箸墓古墳かと思った。似ている。
アブラハムの神に洗脳され過ぎなのよね 日本の神は人を作っていない なので神だの人だのの境界はあやふや、我々はみんな神の子孫
卑弥呼ちゃんは かわいい女の子だったんですか?
多分そうだと思います。知らんけど。
FGOの巨乳痴女卑弥呼ちゃまなら忠誠を誓います
卑弥呼が貰った鏡は青龍三年銘方格規矩四神鏡でしょうね。 何で百枚なのかと言えば、倭が百余国に分かれて争っていた情報が魏にあったからでは。 「みんなにくれてやれ」とお土産として持たされたのでしょう。 曹叡が没し曹芳が即位した景初三年・正始元年の銅鏡は、卑弥呼が没する前に送った使者が貰ったものでしょう。 重篤の曹叡が死力を振り絞って景初三年鏡を量産させて卑弥呼の使者へ下賜する…なんて無いですからね。
卑弥呼の後継者は戦乱を招いた男王でしょう。 彼が西殿塚古墳の主で、伊予未十六也の台与が東殿塚古墳の主かも知れませんね。 戦乱を招いた理由は中央集権化を狙った為で、先代卑弥呼に準ずる規模の古墳もそうして握った権力を振るっての事と思えば一応の説明はつくのでは。 台与の方は戦乱の反動で巨大な古墳を造る訳にはいかないでしょうし。
2:14における奴国は伊都国の20倍の人口を持つ大国なので、大雑把とはいえ伊都の20倍の大きさの楕円で表示されるべきで、次の不弥国はその20倍の楕円の端から考えなければならない筈ですが、諸説ある邪馬台国論争で人口と面積まで考慮したものってあまり見かけないですよね。
神武天皇陵…気にした事無かったけど、そりゃありますよね。 紀元前で九州から東征を始めるのだから、素直に考えれば大陸から亡命して来て衰退期の縄文日本を弥生時代化させた渡来集団でしょうね。 同時期に滅ぼされた殷の面々が東方に新天地を求め、稲と蚕を握りしめて瑞穂予定地まで泳いで来たとかはあり得そう。
りわかりやすい動画ですね これだけ聞いてると倭迹迹日百襲姫命イコール卑弥呼に思えてきます 倭人伝の記載は 近畿から九州の一部まで邪馬台国だとすればすっきりする?
箸で●ナヌーやり過ぎて死んだのですか…?…
当時の1年は田植えから稲刈りまで
古墳あるあるですが、西殿塚古墳もどこから入ればいいか悩む古墳でした。私はたしかコンビニ横の農道を通っていきました。 個人的には箸墓は伝承どおり倭迹迹日百襲姫命と思っているので、西殿塚は台与では無いだろうと思ってます。
動画楽しく拝見しました!西殿塚は考古学的には大和王権の2代目の古墳という重要なポジションであるにも関わらず、記紀に被葬者伝承が残っていないのが被葬者論争をより難しくしている点ですよね~(箸墓、行燈山、渋谷向山は事実かどうかはさておき被葬者伝承はあるので) あと、細かい点で恐縮ですが、10:34~の系譜 敏達-舒明 じゃなくて 敏達-押坂彦人大兄-舒明 じゃないですかね?
コメントありがとうございます。 桜井茶臼山やメスリ山古墳と同様に、立地や規模の割りに特に扱われていないというのが謎ですね。前代の箸墓と扱いが違い過ぎる…… すみません、完全に私のミスです。敏達-押坂彦人大兄-舒明でした。ご指摘ありがとうございます。
行ってみるとわかるけど辺鄙な場所にあるから拝所に行くのが大変な立地 最寄駅の柳本駅からでも歩いて30分かかる
17:16「伊代ってまだ16の・・・」 松本伊代が16歳だったのは1981年の話で40年以上前ですがww
「伊代はまだ テテッテテッテ 50だから〜」って最近聞いたので、今は50歳でしたねw
卑弥呼の次なんだから男王の墓でも良くない?
古墳の大きさは権威権力の大きさの指標でもあります ならば歴史に名を残した偉人か、天皇家ではないから歴史に残らなかった偉人のどちらかではないかと 卑弥呼の次のうまく国をまとめられなかった王が巨大古墳を作ってもらえるほどの何かをなしたとは思えないので除外されるのではないでしょうか
巫女のような特性を持った女性・・・ なるほど、じゃあ被葬者は霊夢ですね(名推理)
おっそうだな(適当)
まってました! 西殿塚古墳、こんな背景があったのですね!? 興味深いですね!😃
子供の頃に西求塚古墳の近くに住んでました。未だ整備される前でいつも中で遊んでましたね。(笑)
こんにちは。紀元前660年の奈良県はほとんどが奈良湖ばかりで住める状態では無いです。畝傍山は島みたいなものです。また、記紀には筑紫の日向ではありません。竺紫の日向と書いてあり場所が違います。徳島の高千穂神社からです。橿原神宮も明治時代に創建で神紋は柏紋ですが徳島には樫原神社(延喜式式内社)神紋は天皇の十六菊花紋です。徳島には神武天皇即位の碑、神武天皇銅像、いわれ彦幼少名佐野の神社佐野神社があります。