【織田信長と安土城】信長、安土に城を築き、琵琶湖を支配す
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- Опубликовано: 7 окт 2024
- moka studio2020です。この動画は琵琶湖物流の権益を巡る、信長と浅井長政・延暦寺との攻防、信長の琵琶湖の物流支配の戦略について解説した動画です。
この動画作成にあたり、NPO法人歴史資源開発機構様にご教示いただきました。詳細は、下記「オオヌマズの玉手箱」のサイトをご覧ください。
戦国時代の琵琶湖の水運は、主要な荷出港である勝野津・海津・塩津・朝妻湊を浅井長政が、荷揚げ港である坂本を延暦寺が押さえており、この経済的な拠点を掌握するには、両者を排除する必要がありました。信長と両者の対決は1570年から続き、1571年の延暦寺焼き討ち、1573年の浅井長政の滅亡により排除されました。これと相前後して坂本城・長浜城・大溝城を築き、明智光秀・木下藤吉郎・織田信澄を置き、自らは安土城を築城して湖上支配を完成させました。大溝城は、信長が1578年に高島郡支配を確実なものとし、若狭と琵琶湖とを結ぶ勝野津を掌握するために、甥の織田信澄に命じて、築かせた城です。勝野津と、乙女ヶ池と呼ばれる内湖に作られた水城で、大溝城は、内湖である乙女ヶ池を介して、琵琶湖と繋がっていました。城の縄張りは、明智光秀が行ったといわれており、琵琶湖の対岸には、信長の居城である安土城がありました。大溝城の完成により、坂本城、長浜城、安土城とともに、琵琶湖の湖上交通を支配するネットワークが完成しました。
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坂本城 織田信長が明智光秀に築かせた戦国時代の水城
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#安土城 #織田信長 #浅井長政 #戦国時代
私が小学校の頃のお爺さん先生(大正生まれ)が琵琶湖の定期船で通学しており船員が琵琶湖の水を丞ってヤカンでお茶を沸かしてサービスしていたと言ってました。
定期船も無くなり琵琶湖汚水が酷い頃でしたから大変興味深い話を聞かせて貰いました😊
貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございます。今では想像がつきませんが、船を使った移動や物資の運搬は、戦後間もなくまで、かなり行われていたようですね。
信長による琵琶湖支配の拠点形成の過程が手に取るように伝わってきますね。最後の「、はずでした」のナレーションがそそられます!
ありがとうございます。意味深な終わり方にしましたが、続編はいつできることやらです(笑)。
城と港から、琵琶湖の内水面交通の重要性が良く分かりました。
たった10分で、歴史の重要な部分を復元される、手腕に脱帽です。
過分なお言葉をいただき、恐縮です。これからもよろしくお願いします。
すごく勉強になりました。ありがとう😃地元若狭から滋賀へ旅に出たくなりました。
ご視聴ありがとうございます。この動画が自分としてはチャンネル内で1番出来のいい作品だと思うのですが、視聴回数は伸びず、逆に何でこの動画がこんなに見てもらえるの? と不思議な感じです。RUclipsは本当に難しいです(笑)。
素晴らしい動画だ!
信長は革命家だから既得権に嫌われたのでしょうね。
ご視聴ありがとうございます。既得権益層との衝突はいつの時代にもあったのでしょうが、信長の場合は、特に大きかったのかもしれませんね。
いつも見ていますが、いろんな知識が身に付き感謝しています。
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
いつも動画をありがとうございます!
とても楽しく解りやすいです😃
天下を目指す人は凄い事を考えてたんですね❗
ありがとうございます。この動画は大沼芳幸さんという、滋賀県の文化財保護行政のトップをされていた方のお書きになられたエッセイを、ご了解をいただき映像化させていただいたものですので、話の内容・構成がとても良かったことが大きいですね。
それぞれの城の役割、なるほど、と思いました。わかりやすくて、家族で一緒に観ました。
いつもありがとうございます。単独ではなく、戦略的に作られていたようですね。
今現在でも琵琶湖の対岸を結ぶ近江大橋・琵琶湖大橋の恩恵を物凄く感じるのに、今回ご紹介された北湖の四つの湊は当時としては計り知れない重要性があったんだと改めて思いました!
昔の物資輸送が船だったと言われても、鉄道やトラック輸送が当たり前の現在では想像するのが難しいですよね。琵琶湖中を丸子船が行きかう様子は壮観だったのでしょうね。
動画up有難うございます!
信長はスケールの大きな戦略家であると同時に経済人でもあったのですね。
すごく分かりやすい動画で勉強になりました!
いつもありがとうございます。そう言っていただけるととても嬉しいです。今回は大沼さんのストーリーがとても良かったことが大きいと思います。大沼さんの分析と考察が素晴らしいですね。これからもよろしくお願いします。
スケールが大きな構想ですね!琵琶湖を支配下に置いて、北と東から都に入る物資を握るという意味があったのですね。空から琵琶湖を見ると舟が行き交う大動脈だったのが実感できました。
なかなか想像するのが難しいですが、当時は丸子船が行きかっていたのでしょうね。それによる権益の争いは熾烈だったのではないでしょうか。
琵琶湖がこれだけ舟運で栄えていたとは知りませんでした。
現在の明石海峡は?も?船の往来がとても多いところですが、そんなイメージかな。
とておもおもしろくわかりやすかったです。
ありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。シナリオに滋賀県の文化財保護に携わって来られた大沼様にご協力いただき、著作を使わせていただきましたので、構成が良かったと思います。またチャンネルに遊びに来てくださいね。
地政学的視線で見る戦国時代も面白い。(^-^)
ご視聴ありがとうございます。視点が変わると違った面が見えてきて面白いですね。
六角とかいう恵まれた土地の割に勢力を広げられなかった家