どら焼きの本質

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  • Опубликовано: 5 фев 2025
  • どら焼きの本質
    あなたはどら焼きがお好きだと思います。
    「まあ、好きだけど、もっと他に好きな物は
    ありそう。」
    「嫌いじゃない。」
    「大好き♡」
    その好きさ加減はさまざまでも、好きである
    ことには変わりがない。
    食べて美味しい。
    また、食べることで一種の達成感を覚える。
    食べなくても生きていけるが、食べると人生
    がさらに充実する気がする。
    喜びを倍増させる。
    なにかこう、パワーがある。
    まず、どら焼きは最高に美味しいものなの
    でしょうか。
    「それはもちろん。」
    「こんな美味しい物はない。」
    そう言ってパクパク食べるのはドラえもん
    くらいのものではないのか。
    甘味で言うと、たとえばカステラはカステラ、
    あんこはあんこだけで成り立つお菓子の方が
    美味しいのではないか。
    また、どら焼きはその銅鑼の形をしている
    ところからどら焼きとなっているのは、間違い
    のないところだと思いますが、あの銅鑼型の
    カステラ状のケーキは、それだけで美味しいのか。
    もちろん、私はあえて言っています。
    どら焼きは美味しいし、満足させるし、独自の
    パワーを内蔵する。
    独特の魅力もある。
    だからこそ、ドラえもんも大好物。
    しかし、もしかすると、どら焼きの本質とは、味
    そのものではないのではないか。
    また、満腹するかどうかも問われてはいない
    のではないか。
    ふとそう思ったからです。
    どら焼きは、挟みます。
    サンドイッチです。
    あの銅鑼状のカステラ状のケーキ
    たぶん、本家のカステラを使ったのでは、とくに
    最近のカステラはしっとり系が主流なので、
    どら焼きをサンドイッチ扱いで手でもって食べる
    には、少し湿りがすぎる。
    ある程度の硬さが求められる。
    もっとも、とくに最近はなんでもありなので、
    どら焼きも一説ではもともと本物の銅鑼で
    焼いたクレープ状のものとして、それに餡を
    包んで、食べる。
    義経と弁慶が最初にやった、という説もある
    ところから、義経焼き・弁慶焼きなどとして
    売り出している向きもあるかもしれません。
    であれば、皿に置いてくろもじや小さいフォーク
    で切って刺して口にもっていく、などとする
    場合もありえます。
    もっとも、そうなると、
    「そんなのどら焼きじゃない!」
    「ただのクレープじゃん」
    とクラシックなどら焼きのみをどら焼きとして
    認めるというどら焼き原理主義者の
    そんな原理主義者はどら焼き愛好者という
    平和な存在の中にはいないと思いますが
    いや、
    反発もあるかも、というのは余計な空想です。
    幻想ですね。
    幻想から脱して、あらためてどら焼きを見る。
    やはりサンドイッチです。
    カステラ状の銅鑼型ケーキ2枚であんこを
    はさんだ
    これをトーストでバターとともにあんをはさんだ
    小倉トーストという名古屋の傑作がありますが
    あれもサンドイッチですね
    どちらも断面図が好ましい。
    そして、形状で言うと、どら焼きの断面図が
    紡錘形であり、その柔らかな曲面がなんとも
    魅力的です。
    ふっくらと優美
    しっとりとして、いくらでも眺めていて飽きない。
    食べ物なので食べることもできるが、もしか
    すると食べなくてもいいくらい。
    いつまでも眺めていたい。
    実は私はここに1つの宇宙を見出します。
    もはや甘味を超えている。
    傑作であることには間違いない。
    これ以上の形状はない。
    完結している。
    完成している。
    どら焼きに本質を見出そうというのはどこか
    間違っているでしょうか。
    あなたはどう思いますか。
    ちょっと考えてみてください。

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