Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
動画をアップしていただきましてありがとうございます。壱岐国博物館良いですよね。お気をつけて!
ありがとうございます。週末、壱岐の博物館を楽しんできます。
見てたら まんが日本むかし話の「鬼と小娘」ってのを思い出しました。あの話だと岡山県南の集落が鬼に襲われていて鬼が嫌いなヒイラギの苗木を県北の集落に貰いに行くストーリーだったのですがヒイラギの生垣って防御施設としては今で言うところの有刺鉄線みたいに使われていたみたいですね~つい脳内で防御陣地を構築しながら視聴してましたwついさっき気づいたのですが、来年は自分とカミさん銀婚式みたいなのでそれにかこつけて遺跡探訪を織り込んだ旅行をヤンウェンリーもかくやな感じで策謀してみたいですね!吉野ヶ里といえば、某有名RUclipsrが吉野ヶ里公園前で海鮮丼屋をやってるみたいですね
ヒイラギの生垣。そんなことを私も聞いたことがあります。防御陣地を構築しながら視聴。私と同じく兵法家気質があるかも。時代が異なりますが、世の中に城好きが多いのも理解できます。いろいろシミュレートすると楽しいです。遺跡探訪。いいですね。博物館。温泉。レストランまであったら最高です。
湯築城の内堀土塁が堀の外側にありますね。資料館で防御上どうなのかって聞いたけど納得のいく返事ではなかったです。
しまった。愛媛に行った時に行こうか迷ったのですが、行っておけば良かった。まさか、湯築城もそういう構造になっていたとは! いろいろ考えるヒントが隠されている気がします。情報ありがとうございます。
次は壱岐ですね😊動画も楽しみですが、現場の中継もして欲しいですw
現地にいる時、私は限りなく普通の観光客です。(^^) たまには動画も撮影しようかな。以前、古墳の上で何か話そうとしたら「古墳です」くらいのことしか言えませんでした。(^^;
@@takedaharuki さんわかりますwww私も取材といいながら現地の動画溜め込んでますがほとんど使えませんからねw気をつけて楽しんでください😀
@@mousou ありがとうございます。
@mousou歴史、日本古代史を愛するものとして、結果的にであれ、少額であれ、お金を受け取って対価を渡さず、返金もしない、そのような不誠実な行動をとるような方にのうのうと情報発信してもらいたくありません。純粋な楽しみだったものが、見るたびにモヤモヤした気持ちを抱く対象に変わってしまった精神的苦痛は、金額の多寡では片付けられない問題です。お金を払ってもあなたの本を買いたいという熱心に応援する気持ちを持っていた人間に、そういう思いをさせているのです。今後も活動されるなら、しっかりと対応してください。
大気圏突入…。「少佐!ハルキー少佐!助けて下さい!!」と叫びながら落ちたクレータに環濠集落が出来たとか?壱岐には気おつけて行ってらっしゃいませ。
大気圏突入。クラウン無駄死にしちゃいましたね。ありがとうございます。週末、壱岐を楽しんできます。
外土塁の構造が正しいなら、外敵用というよりも浸水を防ぐための堤防だったんじゃなかろうかとふと思った有明海の干満差は6mで、台風など来た日には海岸沿いにあった吉野ケ里への影響も大きかったんじゃなかろうかと予備知識なしの単なる思い付きですが来週台風逸れてくれると良いですね
いえいえ。お見事です。水害対策の説もあります。たぶん、同じ集落の環濠でも場所によって用途が異なり、集落によっても用途が異なり、このコメント欄で挙がった意見は、結構、どこの環濠では当たっているような気がします。
外部の低地から見えにくくした?とか中央部に引き込んでから囲んでから叩く?とかを想像しました。不思議ですね。
遮蔽の意味。確かにあるかも知れません。そして、中央に引きずり込んでから叩くというのは面白いです。古代史小説を私が書くことがあったら、そのネタ使いたいです。まさに銀英伝のヤン・ウェンリーかも。
えっと、昔からサイカチドキ遺跡を訪ねると疑問でした。近くに方形周溝墓もあります。山梨の古墳を先日訪ねたのですが、其処は方形周溝墓と円形周溝墓がありました。円墳は、円形周溝墓の流れかな?と又、同じように釈迦堂博物館を尋ねたのですが、土偶の企画展をやってました。土偶の髪型を想像復元を見ると、江戸時代の髷を連想したり、瞬間浮かんだ縄文のビーナスの方はオカッパの子供達を、昔の人達の髪型とかやっぱり似て来るのかな?弥生に成ってからは、と言うか古墳の埴輪の巫女達他も髷を結ってるものは多いとすると、卑弥呼も髷を結っていた可能性も考えました。さて、コチラも如何なものか?
サイカチドキ遺跡。関西からだと遠いので一度行ったくらいです。山梨の古墳めぐり。充実してますね。釈迦堂博物館。今、ネットで見ました。凄い博物館ですね。近くさえ行ったことがない場所。こちらが行くのはいつになるやら。
@@takedaharuki そうそう、矢張り縄文土器と土偶で特に気になるのが、ご存知釣り手土器、正にイサナミの尊と迦具土の神の神話を思わせるのは宗像教授の話通り。土器等も、また、井戸尻遺跡や尖石遺跡、金生遺跡に行きたくなります。
ああ、焼けちゃいましたねwwwww(^_^;) 環濠集落はやっぱり城塞遺跡なんですね。でも吉野ヶ里遺跡は不思議です。監獄と言うのは腑に落ちます。でも本当に復元は正確なのかは「?」なんですよね。まるで行田市の忍城が水攻めにあったかのごとき土塁。
一見地味に見えて、教科書など復元図が塗り替わる問題だったりします。どういう解釈が妥当なのか、広く見聞し、答えを見つけたいです。水対策といのも、確かにと思うところもあります。
濠の土を集落の外側に盛って射手を守るための塹壕や積み上げた土嚢のような遮蔽物にしたのではないかなと思いました。理由は吉野ケ里遺跡の写真の濠と土塁に段差があるのを見て「これもう少し広ければ人が立てるな」と思ったからです。その場合、柵は全撤去もしくは間隔をあけて視界と射線を確保する必要があるのですが柵の復元は想像によるものなので大きな矛盾点にはならないと思います。
土塁と壕の間の段差。確かにこれがあればその可能性もありかも。隙間のない柵についてはほぼあり得ないというのが多くの意見です。提唱者自身が撤回しているくらいなので。いったん、白紙にして考えると、いろいろ想像が膨らみます。考古学的に断片的な情報しかありませんが、みんな意見、いろいろ参考になります。
ろう城の際は補給が不案内になるので、堀に侵入した敵を射て退け、戦闘が落ち着いた際に矢を回収して再利用するなど考えられませんかね?敵は堀の外の高い土塁から矢を射るので矢は集落側の盾などに残り、集落側が射た矢は土塁か堀に侵入した敵に残る。敵が減ったのを望楼から見計らって矢の回収を指示するなど。侵入した敵が逃げ難い利点も。矢の飛距離?威力?で上回りたいなら、土塁より高い射台を設けてそこから矢を射ていたかも?
矢の再利用はあったと思います。今、ふと思ったのは、近代の火縄銃登場以降の弾除けとしての塹壕。矢避けとして掘った可能性はないのかなと、少し過りました。
「へぇっ!」と思って、吉野ケ里歴史公園のHPとかを見直したら、おっしゃる通り、「倭人伝に寄せている」⇒「かなり盛っている」印象に変わりました。①深い濠とその前後に穴や木片が見つかったので、防衛上「高い土塁」と「密集した高い柵」があったと考察して復元した、的な解説がありますね。「外土塁と柵」を高く復元したのは、②濠は深いけど水が無かったから濠の外の守りを増強した、とは言いますが、実は「楼閣・見張り台」を高く造りたかったから、という下心を感じます。②今回の見直しで、一つ勉強になった事⇒吉野ヶ里歴史公園の遺跡の復元は、「実際に発掘された遺跡を保護する為、その上に30~50㎝の盛り土を被せてから復元してある」って事でした。埋め戻しってこういう事だったのですね。
おっしゃる通り、ちょっと持ってる感があります。隙間のない板塀については提唱者が反省している話を聞いたことがあります。外土塁については今も意見が分かれています。外側に掘り上げた土自体は見つかっているので。土塁とまでは確認できていないので意見が分かれています。「30~50㎝の盛り土を被せてから復元」。なるほどです。確かにそうしないと遺跡の上の復元はできないです。
ありがとうございます。吉野ヶ里であれほどの防御施設が必要な状況だったのなら、奴国や伊都国にもそれなりの環濠があっても良さそうなものだけど、今のところそのような物は見当たらない。出雲、吉備、丹波といった地域にも大規模なものは見つかっていないはず。何か不思議な気がしますね。
確かに、弥生後期の奴国に環濠集落らしきものがないのが不思議です。一方で、伊都国は今宿五郎江遺跡が環濠集落らしく、少し注目しています。どこにあって、どこにないか、どの時代にあって、どの時代にないか、その法則性を探ることで、用途が見えてきそうな気がします。これからもこの手の遺跡をどんどん見ていきたいです。
そうですね。何か法則性を見出せれば面白いですね。
特殊器台ーー😂って高温焼成?! 対人で意味のなさそうな防御機構は野生動物対策だったりしないですかね。。。ないかな笑 次はなんと壱岐に行かれるんですね!私まだ行ったことないんです。いいなぁすごいなぁ活動量半端ないです!しかしまたもやどこに行くかわからないノロノロ台風ガーー😖来ないで台風の舞を、いや祈りをおくります😅
特殊器台を還元炎焼成してみました。(^^) 外土塁は野生動物対策で、内濠は集落内の排水という説もあります。確かに理に適っていると思います。30年前に壱岐に行った時、実は台風でえらい目に遭いました。まさか今回もとちょっとドキドキしています。
しばらくは雨の予報が続いてますよね私も困ってます。ところで冒頭のコント、焼成温度だけじゃなくて酸化還元反応を考えないと、色がどうなるか分からないかと。うっかり赤か金色になれば面白くなりそうですが。環濠の位置がおかしい話は、たしかに20年以上前に聞いた記憶があります。私の第一印象もまさに監獄でした。あるいは奴隷を住まわせておく施設なのかなあと。住むのは住民と奴隷が一緒でも、脱走防止という目的なのかもと思いました。最近思うのは、考えても正解は出ないんじゃないかなと。唐突ですがベルリンの壁ってありましたよね。あれ素人は誤解しやすいんですが、「外」の民が「中」に逃げ込まないように「外」の政府が設置したものです。こんなの文献が無ければ思いつかないですよね。
酸素を十分に供給したら高温でも確かに備前焼のように赤くなりますね。この外土塁の件。私と同じように20年以上に前に聞いている人がいるというのは何か嬉しいです。たぶん、正解は難しいと私も思います。環濠内の土器に「奴隷収容所」って墨書きでもしていない限り。ベルリンの壁。なるほどです。ベルリンの壁はちょうと私が学生の頃に崩壊しました。その頃、私はマスターキートンという漫画を読んでいて、いろいろ考えさせられました。
弥生遺跡のV字型の溝は基本的には地下水を排水するためのものです。竪穴式住居は穴ですから雨が降ると井戸のように水が湧いて住めなくなってしまいます。なのて竪穴式住居の床下まで地下水が上がってこないように溝を掘って、地下の水を排水しているのです。これらをついでに防御壁に利用しているのでしょう。
排水のためとする説は有力な説の一つだと思います。一方で古墳時代には廃棄されるという点から考えると、まだ、他にも理由があるようにも思えます。
吉野ケ里の復元がけちょんけちょんなのは聞いたことがありましたwで最近(数年単位)になって水城が原因なのではないかなどと考えるようになりました。水城というのは福岡平野の南の外れにあって、表向きは畿内ヤマト王権が白村江の戦いの敗戦を受けて造ったものとされ、水城の”北”側に水を貯める土塁(表向き)なわけです。朝鮮や中華帝国が攻めてくるとしたら北からなわけですから、土塁(水城)の北側に水を貯めて守るというのは一見理にかなっています。ところが困ったことにこの水城、土塁(水城)の”北”側だけでなく”南”側も水を貯めるのです。高低差から川の水を”南”側にいったん貯めて、その”南”側の水を”北”側に流して北側にも水を貯める、という理に適っていないことをやってるのが本当なのですね。北からくる敵を向かい討つのに南側に水を貯めるというのは、まったく意味が分からないわけです。この水城、本当は畿内ヤマト王権がつくったものではなく、福岡平野にあった奴国が作ったと考えるのが妥当なのですね。南の狗奴国という驚異がありますので、福岡平野の南に”南”からの脅威から守るために土塁(水城)の南側に水を貯める水城を作って守りを固めたものなのです。それを畿内ヤマト王権が白村江の戦いの後、突貫工事で大幅改修して”南”側に貯めてた水を”北”側に貯めるようにして、北からの脅威に対抗しようというした、と考えるのが妥当だろうと思うわけです。ところがアホな日本の考古学者は、水城は何が何でも畿内ヤマト王権が一から作り上げたモノにしなければならないという忖度精神を発揮して、元は奴国が作ったものなどとは口が裂けても言えないわけです。そうすると”南”側に水を貯めるという理に適っていないことの理由がどうやっても説明できない。そこで吉野ケ里の環濠です。ほら昔の人はアホだから内側に守りにくい作りをしてたのですよ、水城もこれと一緒なのですよ、という理由付けができるわけですねw どちらがアホなのかw(などという妄想をしていますw)
水城。おっしゃるとおりです。南側にもちょっとした水壕があります。水城くらいの規模になると、もしかしたら、水運みたいな、交通手段的なものが頭を過ります。私も空想が尽きないです。いまだに壕についてあれこれ考え続けています。また、今回、結構、コメント欄で多くの意見を得ることができました。
@@takedaharuki 私の戯言も参考の一つになったのでしたら幸いです♪w
大塚・歳勝土遺跡の濠と土塁の写真、私も撮影していましたので確認しました。吉野ケ里ほど露骨ではないですが、確かに外の土塁の方が高くて攻めやすいつくりだと感じます。どうしてこうなった感ありありです。
大塚・歳勝土遺跡でも考えさせられました。決して想像の産物ではなく、可能性の範囲程度ではありますが、考古学的な根拠も提示されているので、いろいろ考えさせられます。こういう謎を心に持ち続けながら、遺跡を見て回ると、いつか答えを見つけられるのではないかと、淡い期待をしています。また、環濠集落を見学する時、ここの環濠はこうなんだとか、いろいろ比較できるようになりました。
私は、吉野ヶ里遺跡の環濠は、南島渡来の人々によって築かれたものと解釈しています。よって、それは、戦時対応というよりも増水や暴風といった自然災害に備えたものと観ています。傾斜のある木柵は、風避けのため。V字型の溝は、水路のように見えます。現地で実物を見たわけでもないので、あくまでも想像の範囲ですが・・・。
吉野ヶ里遺跡では朝日遺跡では逆茂木は防御の施設ではなく、水害対策の施設といった説が確か出てました。そのあたり、もしかしたら、あるかも知れませんね。私自身はいろいろなコメントを見て、場所毎で用途が違ったり、意外と多用途だったのではないかと考えたりしています。水害対策にも使えるけど、攻められた時は壕に身を隠して矢を射たりとか。
台風が来てるようなのでお気をつけて(笑)
ありがとうございます。晴れることを祈るばかりです。
面白いですね、きっと人食い鳥が弥生時代にはいて、高い所にある柵に止まらせ、人を見かけてそこからやってきたところを 逆茂木で串刺しになってそれを掘りに捨てていたのです冗談はさておき もしかしたら弥生環濠集落は 呪いから集落を守るように作られていたのかと思いました
聖域という説があります。確かにそれなら邪気や呪いをはじくだけで良く、実用性より見栄えということなります。「光る君へ」を見ているせいか、呪いというと、伊周を思い出してしまいます。(^^)
攻め手が柵を乗り越えたときに、守り手からは無防備になるのかもしれない。そこを守り手が矢で射たとかかなぁ、と思いました。
@@北島正隆-d5x なるほど あんな高い所から 水を巡らした堀に飛び降りるしかない、堀を超えたら逆茂木がある。すると堀の中にも逆茂木があると敵は全滅ですね べトコン的な巧妙さです
@@ancientJapanesehistorywithMAP さん堀に落ちた敵兵が「一旦退却」と思ってもそれを許さない、ということにもなりますね。堀の底に竹槍を埋めておけば、敵はぎょっとなり柵の上で動きが止まるでしょう。そこを狙い撃ちにしたかもですね。
墓制変化が吉野ヶ里の支配者が入れ替わった事を意味するのではという話とこの変な構造は関係するのかもしれませんね。
社会の変遷と墓制と集落の構造。確かにそれらには因果関係があるような気がします。また、変遷にともなって環濠の意味も変遷しているかも知れません。
こんにちは。今回も興味深かったです。 少し話はそれますが、「全国的に古墳時代の開始と共に、環濠は埋められた」がホントなら、ヤマト王権の指示で積極的に埋めたのか、維持を止めて自然と埋まっていったのか、どうなのでしょう?最近の台風は予測が難しく困りますね。
ありがとうございます。意図的に環濠を埋めたり、環濠集落自体を破棄するような遺跡の報告書を見た記憶があります。環濠は使用しないとなると邪魔でしかないので、すぐに埋めたのかも知れません。印象としては、なんとなく止めたというよりは、不要としっかり認識して止めた気がします。また、大和王権の領域内で反乱を企てない限り、無用の長物とも言える存在になったので、自分たちでそう判断したと予想します。きっと、大和王権の領域内においては、豪族居館をちょっとした溝と柵で守れれば十分な時代になったのかも。
一番外側に土塁や塀なのは防風林的な壁かも?台風で毎年植木が痛めつけられてなんか風防ぐ壁欲しいと思ってる人間の思い付きでした
外にあると視界も含めて遮ってしまうので、確かに遮蔽の意味を感じ、防風林とも通じるものがあるかも。実際のところ、古代の人って防風林として植林を行っていたか。意外と行っていそうで、それはそれで興味のある問題です。
ジオラマ好きなら壱岐国博物館はたまらんでしょうな。気をつけて行ってらっしゃいませ
そうです。まさにあのジオラマ見たさに行くと言っても過言ではないです。昔、あのジオラマの写真をネットで集めて印刷し、小冊子にしたことがあります。あのコミカル系のジオラマ。歴博とか出雲にもあって、それらは既におさえました。あとは本陣といったところです。(^^)
あのジオラマの顔モデルは地元の方から公募したそうです。表情豊かで善きです。壱岐は何食べても美味しいし良いトコですね。
@@keiwatanabe7419 どおりでリアルな顔です。芸能人っぽい顔も混じっていたような。今回はちゃんとした夕食が出るホテルを予約しました。楽しみです。
こんにちは!またまた吉野ケ里何回も観させていただきました😚確かに、戦国時代の城も堀→石垣の並びで防御が成り立つので、V字堀と石垣が逆な吉野ケ里は防御面が意味がなく不自然なので、本来は逆で現代人の想像復元によるものかなと思いますね(¯―¯٥)なお、次回は一支國ですね!1度も行ってなく、以前職場の人から人面石ストラップをお土産でもらい、原の辻、カラカミ遺跡、双六古墳あたりにはいつか絶対行きたいと思ってましたので羨ましいです😚
先月の九州旅行の余韻で、また関連動画作ってしまいました。壱岐に以前行った時は仮小屋みたいなところで展示で、まだ、遺跡整備どころか発掘中だったので、今の観光しがいのある設備を見るのが楽しみです。
@@takedaharuki そうなんですね〜w旅動画スゴく楽しみです😚
@@takedaharuki 一支國旅行準備前に度々失礼します(¯―¯٥)先ほどたまたま遺跡の調べ物していたら、10/19(土)筑後川流域の装飾古墳一斉一般公開情報ありましたので一応お知らせいたしました(¯―¯٥)日田のガランドヤ1号墳やうきは市の珍敷塚古墳のカエル壁画はかなりレアみたいですねw
@@隆一西 情報ありがとうございます。珍塚は昔、船の絵を見たことがあります。壱岐の次は日田を考えていたけど、微妙なタイミング。
@@takedaharuki そうなんですね〜😚なお、ガランドヤ古墳は今月だけでなく来月〜来年3月までの月1公開あるみたいですね(¯―¯٥)11/17、12/15、R7年1/19、2/16、3/16のいずれも日曜日ですw
マジンガーも宇宙へ出てしまいましたが二期はあるのでしょうか?相変わらずのフットワークの軽さですね。壱岐ですか?台風がヤバそうな気がします。
台風と重なりそうでドキドキです。重なったら、家に引き籠って動画作りです。(^^;
今回は17号と18号のダブル台風でしたが、仮面ライダーV3を思い出した同志はいないか?こんなに台風が多いと、環濠集落には水が溜まって大変なことになりそうにも思いますが。外側の土塁は洪水対策だったのでしょうか?
17号&18号だと多分DBを連想するかも?本郷はIQ600?の超天才科学者だけど一文字はカメラマンなのに高度な改造手術出来るのか?と子供心に悩んだ記憶があります。
@@トミヤマサキオ V3。確かに驚きの誕生でした。物心がつき、最初に本放送を見た仮面ライダーがV3でした。
@@北島正隆-d5x 環濠集落に見ずが溜まらないようにするには、環濠より外に土塁が最適とのことです。水害対策説では。
ジャブローに降下する訳ですね。ただジャブローを落とすには少なすぎかと。(笑)スマホで調べると、標高7メートルから20メートル。伊勢遺跡100メートル・纒向遺跡70メートル・唐子鍵50メートルぐらいだったと記憶。満潮時の海水面との関係かも?半島の南西部の岩礁地帯で海面の高低差10メートルのようですから、有明海の形状から複雑な満潮が発生するのかも?眼前に海が広がっていた感じですかね。
吉野ヶ里遺跡。当時、かなり海が近かったと聞きます。あのあたり、貝塚とかも結構内陸にありますね。
@@takedaharuki 師匠。台風考慮したら、旅行は万全の態勢でお願いします。パラグライダー持参したら、無料で帰宅できるかも?(諸説あり)台風等の最大海面高さに対応した高さ?で、船からの攻撃を想定してるのかも?(諸説あり)(笑)
この時期に壱岐から流されると出雲方面に向かってしまう気もします。
@@トミヤマサキオ 恐ろし過ぎ。でも、まだ、日本にたどり着くだけましかも。
@@trinitydisconnect ありがとうございます。とりあえず、年も年なので、無理をしないを目標にしたいです。
吉野ヶ里は 実は刑務所で脱獄者を監視していたと(笑) 背景の池 緑色で藻がはびこっているようなので 濾過した方が良いのでは(笑)
吉野ヶ里は広大な割りに、掃除は行き届いている方かも。いつも、行くのが真夏になってしまうので、池の藻に気づいていなかった……(^^)
冒頭から爆笑でした!
ありがとうございます。こういうのが大好きで、つい、冒頭の茶番を入れてしまいます。(^^)
纒向の宮殿を筆頭に、削平されてしまっていた古墳の復元とか、どれだけ真実に近いのか疑問を感じるものが多いですね。じゃあお前が考えろ、と言われても困りますが。
纒向の宮殿も、果たしてあのとおりなのだろうかと私もよく考えます。確か柱穴が全部見つかってなかったはず。
位置的に見て何処を守るかで見れば不自然ですが呉の前線基地で考えれば納得出来るかも知れません北九州を狙ってたかも?後は海沿いで水害を防いだかも?
外土塁があった場合、水害対策は有力な説です。何を何から守ったか、いろいろ考えさせられます。濠は何重かあり、それぞれで用途が異なったり、集落毎でも用途が異なったりするかも知れません。つくづく古代史は奥が深いです。
@@takedaharuki オープニングは懐かしいインベーダーゲームのような?
@@dry301 いつかそのネタやるかも。
こんばんは いつも楽しませてもらってます、ちなみに私はマジンガーZ、デビルマン推しですこの前他の動画で環濠や柵戦いの為よりも猪🐗熊 鹿🦌など避けの役割があったのかもって言ってました、どうでしょうか
ありがとうございます。デビルマンもはまってました。今でもデビルマンを歌いながら動画作ることもあります。獣害対策。確かにあるように思えます。ただ、今回の動画作成で調べている時、弥生の環濠集落が存在する範囲が決まっていて、獣害対策ならどこでもなければおかしいみたいな意見もありました。いろいろ考えさせられます。あぁいう意見もあれば、こういう意見もあったり。でも、当時は熊や狼が普通にいたから、結構、切実な問題のような気もします。
鉄人28号からリアルな世代です。操縦があんなに簡素で巨体が動く不思議!
@@きゅーぴーたろう ジャイアントロボもあの曖昧な命令で動くところが魅力的でした。「行け、ジャイアントロボー」。今の時代になって考えると、優れたAIが搭載されている気がします。
番外編ですが、キャシャーン ライディーン も好きでしたぁ懐かしい……
@@あれあれ-i8u 見たいたものが全く同じ。私も大好きでした。(^^)
あれ? 吉野ヶ里遺跡の環壕って、対人戦闘への防御目的ではなく、獣や泥棒からの防御目的なのではないでしょうか?古墳の周溝も同様に土塁や柵などなく、獣や人の立ち入りを防ぐ結界の目的だろうと理解していました魏志倭人伝には倭には武具がないと書かれてますし、倭人は盗みや争いをしない様に書かれてますので、この時代の北部九州には戦闘文化はないと捉えています倭国大乱と女王卑弥呼の共立は、黄金の国ジパングと同類の、旅行記の脚色だろうと。西洋のアマゾネスも同様でしょう。実態は単なる巫女ですよ
一説として獣害対策というのは一理ある説です。古墳の周濠のいろいろな説があります。聖域とか土取りとか。遺跡は長い時代のものだから、戦傷痕のある遺骨が出ると、年中戦っていたように解釈されがちだけど、大半の時代は平和だったかも知れませんね。たぶん、現実問題、そうだと思います。
魏志倭人伝の「争いがない」というのは、訴訟ごとがないという意味のようです。「其俗、國大人皆四五婦、下戸或二三婦。婦人不淫、不妒忌。不盗竊、少諍訟。」「兵用矛・楯・木弓。木弓短下長上、竹箭或鐵鏃或骨鏃。」という一文もあるので、武器はあったようです。また、「其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歷年、乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼。」ともありますから倭国乱と言われるほど、争いごとは多かったようです。
よく焼けたようで(笑)
還元炎焼成する相棒。(^^)
吉野ケ里が檻なら大和が卑弥呼を軟禁してたとかだったら面白いのに
ドラマになりそうな展開。奴婢1000人と一緒に軟禁される卑弥呼。でも、外に姿を見せなかった卑弥呼は似た状態にあったとも言えるかも。
波動砲とATフィールドはどっちが強いのだろう?(動画に関係なくてすみません)
内側が低く外側が高いというのは、研究者さんたちは意見が分かれてるようですが、例えば自衛隊のようなプロから見るとどう見えるのでしょうか?
ATフィールドはもしかしたら物理的な限度がないかも。(^^)
たぶん。自衛隊の人から見ても違和感があると思います。古今東西に例がないわけではないけれど、極めて稀な構造なので。
ATフィールド展開してるんだから落下時の空気の圧縮熱通さないのでは?(本編に関係してねえw壱岐かあ親戚いるから行き たいな(ぁお祭りの時期(8月1週目或いは12月3週目)にいって神楽(国指定重要無形民俗文化財)見たいなあ特に神相撲
確かに機体から少し離れたところにATフィールドを張り、それを棒とかで支えながら地球に降りていけば、安全に大気圏突入できたかも。(^^; 親戚が壱岐にいるとは! 淡路島より全然小さいから珍しいかも。
お待ちしておりました‼︎ズサ━━━━⊂(><。⊂⌒`つ≡≡≡━━━━!!
ありがとうございます。-(^^)-
動画をアップしていただきましてありがとうございます。壱岐国博物館良いですよね。お気をつけて!
ありがとうございます。週末、壱岐の博物館を楽しんできます。
見てたら まんが日本むかし話の「鬼と小娘」ってのを思い出しました。あの話だと岡山県南の集落が鬼に襲われていて鬼が嫌いなヒイラギの苗木を県北の集落に貰いに行くストーリーだったのですが
ヒイラギの生垣って防御施設としては今で言うところの有刺鉄線みたいに使われていたみたいですね~つい脳内で防御陣地を構築しながら視聴してましたw
ついさっき気づいたのですが、来年は自分とカミさん銀婚式みたいなのでそれにかこつけて遺跡探訪を織り込んだ旅行をヤンウェンリーもかくやな感じで策謀してみたいですね!
吉野ヶ里といえば、某有名RUclipsrが吉野ヶ里公園前で海鮮丼屋をやってるみたいですね
ヒイラギの生垣。そんなことを私も聞いたことがあります。防御陣地を構築しながら視聴。私と同じく兵法家気質があるかも。時代が異なりますが、世の中に城好きが多いのも理解できます。いろいろシミュレートすると楽しいです。遺跡探訪。いいですね。博物館。温泉。レストランまであったら最高です。
湯築城の内堀土塁が堀の外側にありますね。
資料館で防御上どうなのかって聞いたけど納得のいく返事ではなかったです。
しまった。愛媛に行った時に行こうか迷ったのですが、行っておけば良かった。まさか、湯築城もそういう構造になっていたとは! いろいろ考えるヒントが隠されている気がします。情報ありがとうございます。
次は壱岐ですね😊
動画も楽しみですが、現場の中継もして欲しいですw
現地にいる時、私は限りなく普通の観光客です。(^^) たまには動画も撮影しようかな。以前、古墳の上で何か話そうとしたら「古墳です」くらいのことしか言えませんでした。(^^;
@@takedaharuki さん
わかりますwww
私も取材といいながら現地の動画溜め込んでますがほとんど使えませんからねw
気をつけて楽しんでください😀
@@mousou ありがとうございます。
@mousou
歴史、日本古代史を愛するものとして、
結果的にであれ、少額であれ、お金を受け取って対価を渡さず、返金もしない、そのような不誠実な行動をとるような方にのうのうと情報発信してもらいたくありません。
純粋な楽しみだったものが、見るたびにモヤモヤした気持ちを抱く対象に変わってしまった精神的苦痛は、金額の多寡では片付けられない問題です。
お金を払ってもあなたの本を買いたいという熱心に応援する気持ちを持っていた人間に、そういう思いをさせているのです。
今後も活動されるなら、しっかりと対応してください。
大気圏突入…。
「少佐!ハルキー少佐!助けて下さい!!」
と叫びながら落ちたクレータに環濠集落が出来たとか?
壱岐には気おつけて行ってらっしゃいませ。
大気圏突入。クラウン無駄死にしちゃいましたね。ありがとうございます。週末、壱岐を楽しんできます。
外土塁の構造が正しいなら、外敵用というよりも浸水を防ぐための堤防だったんじゃなかろうかとふと思った
有明海の干満差は6mで、台風など来た日には海岸沿いにあった吉野ケ里への影響も大きかったんじゃなかろうかと
予備知識なしの単なる思い付きですが
来週台風逸れてくれると良いですね
いえいえ。お見事です。水害対策の説もあります。たぶん、同じ集落の環濠でも場所によって用途が異なり、集落によっても用途が異なり、このコメント欄で挙がった意見は、結構、どこの環濠では当たっているような気がします。
外部の低地から見えにくくした?とか中央部に引き込んでから囲んでから叩く?とかを想像しました。
不思議ですね。
遮蔽の意味。確かにあるかも知れません。そして、中央に引きずり込んでから叩くというのは面白いです。古代史小説を私が書くことがあったら、そのネタ使いたいです。まさに銀英伝のヤン・ウェンリーかも。
えっと、昔からサイカチドキ遺跡を訪ねると疑問でした。
近くに方形周溝墓もあります。
山梨の古墳を先日訪ねたのですが、其処は方形周溝墓と円形周溝墓がありました。
円墳は、円形周溝墓の流れかな?と
又、同じように釈迦堂博物館を尋ねたのですが、土偶の企画展をやってました。
土偶の髪型を想像復元を見ると、江戸時代の髷を連想したり、瞬間浮かんだ縄文のビーナスの方はオカッパの子供達を、昔の人達の髪型とかやっぱり似て来るのかな?
弥生に成ってからは、と言うか古墳の埴輪の巫女達他も髷を結ってるものは多いとすると、卑弥呼も髷を結っていた可能性も考えました。
さて、コチラも如何なものか?
サイカチドキ遺跡。関西からだと遠いので一度行ったくらいです。山梨の古墳めぐり。充実してますね。釈迦堂博物館。今、ネットで見ました。凄い博物館ですね。近くさえ行ったことがない場所。こちらが行くのはいつになるやら。
@@takedaharuki そうそう、矢張り縄文土器と土偶で特に気になるのが、ご存知釣り手土器、正にイサナミの尊と迦具土の神の神話を思わせるのは宗像教授の話通り。
土器等も、また、井戸尻遺跡や尖石遺跡、金生遺跡に行きたくなります。
ああ、焼けちゃいましたねwwwww(^_^;)
環濠集落はやっぱり城塞遺跡なんですね。でも吉野ヶ里遺跡は不思議です。監獄と言うのは腑に落ちます。でも本当に復元は正確なのかは「?」なんですよね。まるで行田市の忍城が水攻めにあったかのごとき土塁。
一見地味に見えて、教科書など復元図が塗り替わる問題だったりします。どういう解釈が妥当なのか、広く見聞し、答えを見つけたいです。水対策といのも、確かにと思うところもあります。
濠の土を集落の外側に盛って射手を守るための塹壕や積み上げた土嚢のような遮蔽物にしたのではないかなと思いました。
理由は吉野ケ里遺跡の写真の濠と土塁に段差があるのを見て「これもう少し広ければ人が立てるな」と思ったからです。
その場合、柵は全撤去もしくは間隔をあけて視界と射線を確保する必要があるのですが柵の復元は想像によるものなので大きな矛盾点にはならないと思います。
土塁と壕の間の段差。確かにこれがあればその可能性もありかも。隙間のない柵についてはほぼあり得ないというのが多くの意見です。提唱者自身が撤回しているくらいなので。いったん、白紙にして考えると、いろいろ想像が膨らみます。考古学的に断片的な情報しかありませんが、みんな意見、いろいろ参考になります。
ろう城の際は補給が不案内になるので、堀に侵入した敵を射て退け、戦闘が落ち着いた際に矢を回収して再利用するなど考えられませんかね?
敵は堀の外の高い土塁から矢を射るので矢は集落側の盾などに残り、集落側が射た矢は土塁か堀に侵入した敵に残る。
敵が減ったのを望楼から見計らって矢の回収を指示するなど。
侵入した敵が逃げ難い利点も。
矢の飛距離?威力?で上回りたいなら、土塁より高い射台を設けてそこから矢を射ていたかも?
矢の再利用はあったと思います。今、ふと思ったのは、近代の火縄銃登場以降の弾除けとしての塹壕。矢避けとして掘った可能性はないのかなと、少し過りました。
「へぇっ!」と思って、吉野ケ里歴史公園のHPとかを見直したら、おっしゃる通り、「倭人伝に寄せている」⇒「かなり盛っている」印象に変わりました。
①深い濠とその前後に穴や木片が見つかったので、防衛上「高い土塁」と「密集した高い柵」があったと考察して復元した、的な解説がありますね。
「外土塁と柵」を高く復元したのは、②濠は深いけど水が無かったから濠の外の守りを増強した、とは言いますが、実は「楼閣・見張り台」を高く造りたかったから、という下心を感じます。
②今回の見直しで、一つ勉強になった事⇒吉野ヶ里歴史公園の遺跡の復元は、「実際に発掘された遺跡を保護する為、その上に30~50㎝の盛り土を被せてから復元してある」って事でした。埋め戻しってこういう事だったのですね。
おっしゃる通り、ちょっと持ってる感があります。隙間のない板塀については提唱者が反省している話を聞いたことがあります。外土塁については今も意見が分かれています。外側に掘り上げた土自体は見つかっているので。土塁とまでは確認できていないので意見が分かれています。「30~50㎝の盛り土を被せてから復元」。なるほどです。確かにそうしないと遺跡の上の復元はできないです。
ありがとうございます。
吉野ヶ里であれほどの防御施設が必要な状況だったのなら、奴国や伊都国にもそれなりの環濠があっても良さそうなものだけど、今のところそのような物は見当たらない。
出雲、吉備、丹波といった地域にも大規模なものは見つかっていないはず。
何か不思議な気がしますね。
確かに、弥生後期の奴国に環濠集落らしきものがないのが不思議です。一方で、伊都国は今宿五郎江遺跡が環濠集落らしく、少し注目しています。どこにあって、どこにないか、どの時代にあって、どの時代にないか、その法則性を探ることで、用途が見えてきそうな気がします。これからもこの手の遺跡をどんどん見ていきたいです。
そうですね。何か法則性を見出せれば面白いですね。
特殊器台ーー😂って高温焼成?! 対人で意味のなさそうな防御機構は野生動物対策だったりしないですかね。。。ないかな笑 次はなんと壱岐に行かれるんですね!私まだ行ったことないんです。いいなぁすごいなぁ活動量半端ないです!しかしまたもやどこに行くかわからないノロノロ台風ガーー😖来ないで台風の舞を、いや祈りをおくります😅
特殊器台を還元炎焼成してみました。(^^) 外土塁は野生動物対策で、内濠は集落内の排水という説もあります。確かに理に適っていると思います。30年前に壱岐に行った時、実は台風でえらい目に遭いました。まさか今回もとちょっとドキドキしています。
しばらくは雨の予報が続いてますよね私も困ってます。
ところで冒頭のコント、焼成温度だけじゃなくて酸化還元反応を考えないと、色がどうなるか分からないかと。うっかり赤か金色になれば面白くなりそうですが。
環濠の位置がおかしい話は、たしかに20年以上前に聞いた記憶があります。私の第一印象もまさに監獄でした。あるいは奴隷を住まわせておく施設なのかなあと。住むのは住民と奴隷が一緒でも、脱走防止という目的なのかもと思いました。
最近思うのは、考えても正解は出ないんじゃないかなと。
唐突ですがベルリンの壁ってありましたよね。あれ素人は誤解しやすいんですが、「外」の民が「中」に逃げ込まないように「外」の政府が設置したものです。こんなの文献が無ければ思いつかないですよね。
酸素を十分に供給したら高温でも確かに備前焼のように赤くなりますね。この外土塁の件。私と同じように20年以上に前に聞いている人がいるというのは何か嬉しいです。たぶん、正解は難しいと私も思います。環濠内の土器に「奴隷収容所」って墨書きでもしていない限り。ベルリンの壁。なるほどです。ベルリンの壁はちょうと私が学生の頃に崩壊しました。その頃、私はマスターキートンという漫画を読んでいて、いろいろ考えさせられました。
弥生遺跡のV字型の溝は基本的には地下水を排水するためのものです。竪穴式住居は穴ですから雨が降ると井戸のように水が湧いて住めなくなってしまいます。なのて竪穴式住居の床下まで地下水が上がってこないように溝を掘って、地下の水を排水しているのです。これらをついでに防御壁に利用しているのでしょう。
排水のためとする説は有力な説の一つだと思います。一方で古墳時代には廃棄されるという点から考えると、まだ、他にも理由があるようにも思えます。
吉野ケ里の復元がけちょんけちょんなのは聞いたことがありましたw
で最近(数年単位)になって水城が原因なのではないかなどと考えるようになりました。水城というのは福岡平野の南の外れにあって、表向きは畿内ヤマト王権が白村江の戦いの敗戦を受けて造ったものとされ、水城の”北”側に水を貯める土塁(表向き)なわけです。朝鮮や中華帝国が攻めてくるとしたら北からなわけですから、土塁(水城)の北側に水を貯めて守るというのは一見理にかなっています。ところが困ったことにこの水城、土塁(水城)の”北”側だけでなく”南”側も水を貯めるのです。高低差から川の水を”南”側にいったん貯めて、その”南”側の水を”北”側に流して北側にも水を貯める、という理に適っていないことをやってるのが本当なのですね。北からくる敵を向かい討つのに南側に水を貯めるというのは、まったく意味が分からないわけです。
この水城、本当は畿内ヤマト王権がつくったものではなく、福岡平野にあった奴国が作ったと考えるのが妥当なのですね。南の狗奴国という驚異がありますので、福岡平野の南に”南”からの脅威から守るために土塁(水城)の南側に水を貯める水城を作って守りを固めたものなのです。それを畿内ヤマト王権が白村江の戦いの後、突貫工事で大幅改修して”南”側に貯めてた水を”北”側に貯めるようにして、北からの脅威に対抗しようというした、と考えるのが妥当だろうと思うわけです。
ところがアホな日本の考古学者は、水城は何が何でも畿内ヤマト王権が一から作り上げたモノにしなければならないという忖度精神を発揮して、元は奴国が作ったものなどとは口が裂けても言えないわけです。そうすると”南”側に水を貯めるという理に適っていないことの理由がどうやっても説明できない。
そこで吉野ケ里の環濠です。ほら昔の人はアホだから内側に守りにくい作りをしてたのですよ、水城もこれと一緒なのですよ、という理由付けができるわけですねw どちらがアホなのかw
(などという妄想をしていますw)
水城。おっしゃるとおりです。南側にもちょっとした水壕があります。水城くらいの規模になると、もしかしたら、水運みたいな、交通手段的なものが頭を過ります。私も空想が尽きないです。いまだに壕についてあれこれ考え続けています。また、今回、結構、コメント欄で多くの意見を得ることができました。
@@takedaharuki 私の戯言も参考の一つになったのでしたら幸いです♪w
大塚・歳勝土遺跡の濠と土塁の写真、私も撮影していましたので確認しました。吉野ケ里ほど露骨ではないですが、確かに外の土塁の方が高くて攻めやすいつくりだと感じます。どうしてこうなった感ありありです。
大塚・歳勝土遺跡でも考えさせられました。決して想像の産物ではなく、可能性の範囲程度ではありますが、考古学的な根拠も提示されているので、いろいろ考えさせられます。こういう謎を心に持ち続けながら、遺跡を見て回ると、いつか答えを見つけられるのではないかと、淡い期待をしています。また、環濠集落を見学する時、ここの環濠はこうなんだとか、いろいろ比較できるようになりました。
私は、吉野ヶ里遺跡の環濠は、南島渡来の人々によって築かれたものと解釈しています。よって、それは、戦時対応というよりも増水や暴風といった自然災害に備えたものと観ています。傾斜のある木柵は、風避けのため。V字型の溝は、水路のように見えます。
現地で実物を見たわけでもないので、あくまでも想像の範囲ですが・・・。
吉野ヶ里遺跡では朝日遺跡では逆茂木は防御の施設ではなく、水害対策の施設といった説が確か出てました。そのあたり、もしかしたら、あるかも知れませんね。私自身はいろいろなコメントを見て、場所毎で用途が違ったり、意外と多用途だったのではないかと考えたりしています。水害対策にも使えるけど、攻められた時は壕に身を隠して矢を射たりとか。
台風が来てるようなのでお気をつけて(笑)
ありがとうございます。晴れることを祈るばかりです。
面白いですね、きっと人食い鳥が弥生時代にはいて、高い所にある柵に止まらせ、人を見かけてそこからやってきたところを 逆茂木で串刺しになってそれを掘りに捨てていたのです
冗談はさておき もしかしたら弥生環濠集落は 呪いから集落を守るように作られていたのかと思いました
聖域という説があります。確かにそれなら邪気や呪いをはじくだけで良く、実用性より見栄えということなります。「光る君へ」を見ているせいか、呪いというと、伊周を思い出してしまいます。(^^)
攻め手が柵を乗り越えたときに、守り手からは無防備になるのかもしれない。そこを守り手が矢で射たとかかなぁ、と思いました。
@@北島正隆-d5x なるほど あんな高い所から 水を巡らした堀に飛び降りるしかない、堀を超えたら逆茂木がある。
すると堀の中にも逆茂木があると敵は全滅ですね べトコン的な巧妙さです
@@ancientJapanesehistorywithMAP さん
堀に落ちた敵兵が「一旦退却」と思ってもそれを許さない、ということにもなりますね。
堀の底に竹槍を埋めておけば、敵はぎょっとなり柵の上で動きが止まるでしょう。そこを狙い撃ちにしたかもですね。
墓制変化が吉野ヶ里の支配者が入れ替わった事を意味するのではという話とこの変な構造は関係するのかもしれませんね。
社会の変遷と墓制と集落の構造。確かにそれらには因果関係があるような気がします。また、変遷にともなって環濠の意味も変遷しているかも知れません。
こんにちは。今回も興味深かったです。 少し話はそれますが、「全国的に古墳時代の開始と共に、環濠は埋められた」がホントなら、
ヤマト王権の指示で積極的に埋めたのか、維持を止めて自然と埋まっていったのか、どうなのでしょう?
最近の台風は予測が難しく困りますね。
ありがとうございます。意図的に環濠を埋めたり、環濠集落自体を破棄するような遺跡の報告書を見た記憶があります。環濠は使用しないとなると邪魔でしかないので、すぐに埋めたのかも知れません。印象としては、なんとなく止めたというよりは、不要としっかり認識して止めた気がします。また、大和王権の領域内で反乱を企てない限り、無用の長物とも言える存在になったので、自分たちでそう判断したと予想します。きっと、大和王権の領域内においては、豪族居館をちょっとした溝と柵で守れれば十分な時代になったのかも。
一番外側に土塁や塀なのは防風林的な壁かも?
台風で毎年植木が痛めつけられてなんか風防ぐ壁欲しいと思ってる人間の思い付きでした
外にあると視界も含めて遮ってしまうので、確かに遮蔽の意味を感じ、防風林とも通じるものがあるかも。実際のところ、古代の人って防風林として植林を行っていたか。意外と行っていそうで、それはそれで興味のある問題です。
ジオラマ好きなら壱岐国博物館はたまらんでしょうな。
気をつけて行ってらっしゃいませ
そうです。まさにあのジオラマ見たさに行くと言っても過言ではないです。昔、あのジオラマの写真をネットで集めて印刷し、小冊子にしたことがあります。あのコミカル系のジオラマ。歴博とか出雲にもあって、それらは既におさえました。あとは本陣といったところです。(^^)
あのジオラマの顔モデルは地元の方から公募したそうです。表情豊かで善きです。
壱岐は何食べても美味しいし良いトコですね。
@@keiwatanabe7419 どおりでリアルな顔です。芸能人っぽい顔も混じっていたような。今回はちゃんとした夕食が出るホテルを予約しました。楽しみです。
こんにちは!またまた吉野ケ里何回も観させていただきました😚確かに、戦国時代の城も堀→石垣の並びで防御が成り立つので、V字堀と石垣が逆な吉野ケ里は防御面が意味がなく不自然なので、本来は逆で現代人の想像復元によるものかなと思いますね(¯―¯٥)なお、次回は一支國ですね!1度も行ってなく、以前職場の人から人面石ストラップをお土産でもらい、原の辻、カラカミ遺跡、双六古墳あたりにはいつか絶対行きたいと思ってましたので羨ましいです😚
先月の九州旅行の余韻で、また関連動画作ってしまいました。壱岐に以前行った時は仮小屋みたいなところで展示で、まだ、遺跡整備どころか発掘中だったので、今の観光しがいのある設備を見るのが楽しみです。
@@takedaharuki そうなんですね〜w旅動画スゴく楽しみです😚
@@takedaharuki 一支國旅行準備前に度々失礼します(¯―¯٥)先ほどたまたま遺跡の調べ物していたら、10/19(土)筑後川流域の装飾古墳一斉一般公開情報ありましたので一応お知らせいたしました(¯―¯٥)日田のガランドヤ1号墳やうきは市の珍敷塚古墳のカエル壁画はかなりレアみたいですねw
@@隆一西 情報ありがとうございます。珍塚は昔、船の絵を見たことがあります。壱岐の次は日田を考えていたけど、微妙なタイミング。
@@takedaharuki そうなんですね〜😚なお、ガランドヤ古墳は今月だけでなく来月〜来年3月までの月1公開あるみたいですね(¯―¯٥)11/17、12/15、R7年1/19、2/16、3/16のいずれも日曜日ですw
マジンガーも宇宙へ出てしまいましたが二期はあるのでしょうか?
相変わらずのフットワークの軽さですね。壱岐ですか?台風がヤバそうな気がします。
台風と重なりそうでドキドキです。重なったら、家に引き籠って動画作りです。(^^;
今回は17号と18号のダブル台風でしたが、仮面ライダーV3を思い出した同志はいないか?
こんなに台風が多いと、環濠集落には水が溜まって大変なことになりそうにも思いますが。外側の土塁は洪水対策だったのでしょうか?
17号&18号だと多分DBを連想するかも?
本郷はIQ600?の超天才科学者だけど一文字はカメラマンなのに高度な改造手術出来るのか?と子供心に悩んだ記憶があります。
@@トミヤマサキオ V3。確かに驚きの誕生でした。物心がつき、最初に本放送を見た仮面ライダーがV3でした。
@@北島正隆-d5x 環濠集落に見ずが溜まらないようにするには、環濠より外に土塁が最適とのことです。水害対策説では。
ジャブローに降下する訳ですね。ただジャブローを落とすには少なすぎかと。(笑)
スマホで調べると、標高7メートルから20メートル。伊勢遺跡100メートル・纒向遺跡70メートル・唐子鍵50メートルぐらいだったと記憶。
満潮時の海水面との関係かも?
半島の南西部の岩礁地帯で海面の高低差10メートルのようですから、有明海の形状から複雑な満潮が発生するのかも?
眼前に海が広がっていた感じですかね。
吉野ヶ里遺跡。当時、かなり海が近かったと聞きます。あのあたり、貝塚とかも結構内陸にありますね。
@@takedaharuki 師匠。
台風考慮したら、旅行は万全の態勢でお願いします。パラグライダー持参したら、無料で帰宅できるかも?(諸説あり)
台風等の最大海面高さに対応した高さ?で、船からの攻撃を想定してるのかも?(諸説あり)(笑)
この時期に壱岐から流されると出雲方面に向かってしまう気もします。
@@トミヤマサキオ 恐ろし過ぎ。でも、まだ、日本にたどり着くだけましかも。
@@trinitydisconnect ありがとうございます。とりあえず、年も年なので、無理をしないを目標にしたいです。
吉野ヶ里は 実は刑務所で脱獄者を監視していたと(笑)
背景の池 緑色で藻がはびこっているようなので 濾過した方が良いのでは(笑)
吉野ヶ里は広大な割りに、掃除は行き届いている方かも。いつも、行くのが真夏になってしまうので、池の藻に気づいていなかった……(^^)
冒頭から爆笑でした!
ありがとうございます。こういうのが大好きで、つい、冒頭の茶番を入れてしまいます。(^^)
纒向の宮殿を筆頭に、削平されてしまっていた古墳の復元とか、どれだけ真実に近いのか疑問を感じるものが多いですね。じゃあお前が考えろ、と言われても困りますが。
纒向の宮殿も、果たしてあのとおりなのだろうかと私もよく考えます。確か柱穴が全部見つかってなかったはず。
位置的に見て何処を守るかで見れば不自然ですが呉の前線基地で考えれば納得出来るかも知れません北九州を狙ってたかも?
後は海沿いで水害を防いだかも?
外土塁があった場合、水害対策は有力な説です。何を何から守ったか、いろいろ考えさせられます。濠は何重かあり、それぞれで用途が異なったり、集落毎でも用途が異なったりするかも知れません。つくづく古代史は奥が深いです。
@@takedaharuki オープニングは懐かしいインベーダーゲームのような?
@@dry301 いつかそのネタやるかも。
こんばんは いつも楽しませてもらってます、ちなみに私はマジンガーZ、デビルマン推しです
この前他の動画で環濠や柵戦いの為よりも猪🐗熊 鹿🦌など避けの役割があったのかもって言ってました、どうでしょうか
ありがとうございます。デビルマンもはまってました。今でもデビルマンを歌いながら動画作ることもあります。獣害対策。確かにあるように思えます。ただ、今回の動画作成で調べている時、弥生の環濠集落が存在する範囲が決まっていて、獣害対策ならどこでもなければおかしいみたいな意見もありました。いろいろ考えさせられます。あぁいう意見もあれば、こういう意見もあったり。でも、当時は熊や狼が普通にいたから、結構、切実な問題のような気もします。
鉄人28号からリアルな世代です。
操縦があんなに簡素で巨体が動く不思議!
@@きゅーぴーたろう ジャイアントロボもあの曖昧な命令で動くところが魅力的でした。「行け、ジャイアントロボー」。今の時代になって考えると、優れたAIが搭載されている気がします。
番外編ですが、キャシャーン ライディーン も好きでしたぁ
懐かしい……
@@あれあれ-i8u 見たいたものが全く同じ。私も大好きでした。(^^)
あれ? 吉野ヶ里遺跡の環壕って、対人戦闘への防御目的ではなく、獣や泥棒からの防御目的なのではないでしょうか?
古墳の周溝も同様に土塁や柵などなく、獣や人の立ち入りを防ぐ結界の目的だろうと理解していました
魏志倭人伝には倭には武具がないと書かれてますし、倭人は盗みや争いをしない様に書かれてますので、この時代の北部九州には戦闘文化はないと捉えています
倭国大乱と女王卑弥呼の共立は、黄金の国ジパングと同類の、旅行記の脚色だろうと。西洋のアマゾネスも同様でしょう。実態は単なる巫女ですよ
一説として獣害対策というのは一理ある説です。古墳の周濠のいろいろな説があります。聖域とか土取りとか。遺跡は長い時代のものだから、戦傷痕のある遺骨が出ると、年中戦っていたように解釈されがちだけど、大半の時代は平和だったかも知れませんね。たぶん、現実問題、そうだと思います。
魏志倭人伝の「争いがない」というのは、訴訟ごとがないという意味のようです。
「其俗、國大人皆四五婦、下戸或二三婦。婦人不淫、不妒忌。不盗竊、少諍訟。」
「兵用矛・楯・木弓。木弓短下長上、竹箭或鐵鏃或骨鏃。」という一文もあるので、武器はあったようです。
また、「其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歷年、乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼。」ともありますから
倭国乱と言われるほど、争いごとは多かったようです。
よく焼けたようで(笑)
還元炎焼成する相棒。(^^)
吉野ケ里が檻なら大和が卑弥呼を軟禁してたとかだったら面白いのに
ドラマになりそうな展開。奴婢1000人と一緒に軟禁される卑弥呼。でも、外に姿を見せなかった卑弥呼は似た状態にあったとも言えるかも。
波動砲とATフィールドはどっちが強いのだろう?(動画に関係なくてすみません)
内側が低く外側が高いというのは、研究者さんたちは意見が分かれてるようですが、例えば自衛隊のようなプロから見るとどう見えるのでしょうか?
ATフィールドはもしかしたら物理的な限度がないかも。(^^)
たぶん。自衛隊の人から見ても違和感があると思います。古今東西に例がないわけではないけれど、極めて稀な構造なので。
ATフィールド展開してるんだから
落下時の空気の圧縮熱
通さないのでは?(本編に関係してねえw
壱岐かあ
親戚いるから
行き たいな(ぁ
お祭りの時期(8月1週目或いは12月3週目)にいって
神楽(国指定重要無形民俗文化財)見たいなあ
特に神相撲
確かに機体から少し離れたところにATフィールドを張り、それを棒とかで支えながら地球に降りていけば、安全に大気圏突入できたかも。(^^; 親戚が壱岐にいるとは! 淡路島より全然小さいから珍しいかも。
お待ちしておりました‼︎ズサ━━━━⊂(><。⊂⌒`つ≡≡≡━━━━!!
ありがとうございます。-(^^)-