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私の先祖もここの地で西軍として参加した模様ですが、何とか生き延びて故郷には帰れませんでしたが、生き倒れた地の住民に親切にしてもらい 家康から武士を捨てるのなら生かすと言われて その地に住み着いたようです。
へー興味深い、ちょいちょい西軍参加の末裔の方のコメント嬉しい。
各テレビ局のドキュメント番組より遙かに出来が素晴らしい、というか主さんのセンスと努力の賜物。good🎉
恐れ入ります。これからも精進します。
豊久の逃げながらの想い、ものすごく崇高で尊敬してしまう。まさに侍。どうか安らかに眠って欲しい...。
豊久は合戦中に一度、義弘を見失い、泣きながら心配したという記録が残っていて、そういう背景も考察し、落ち延びているときの気持ちを私も想像してみました。
毎回感興する動画、ありがとうございます。エンディングのビートカッコいい
ありがとうございます。
今もその勇猛果敢さで名を遺す武将の最期には胸が熱くなります。これからもその伝説は語り継がれるのでしょうね。
動画内容のクオリティが高い。無料で観れるなんて有難すぎます。当時の人々に想いをはせ、現状を鑑み、涙が出そうな内容でした。薩摩は教育カリキュラムがしっかりしており、武士道を極め日本人自身が誇りに思える、日本人特有の人間性を育む事が出来ていたんだと思います。話は反れますが人間が怖いと感じる周波数を発する場所というのがいわゆる曰く付きの場所という事が多いらしいです。動画の最初に鈴が出てきた時はビックリしました。師匠、さすが…何者なんですか、貴方は。最近は動画より製作者自身に興味を持ってます。お身体ご自愛下さい。
ありがとうございます。いえ、私は一介の旅人でございます。動画を見ていただき、感謝でございます。
他のRUclipsrさんのところで お会い出来て嬉しかったです☺️
(^▽^)/
いつもこのチャンネルを拝見している者です。島津豊久は自分の地元の宮崎県宮崎市佐土原の殿様でもありました。関ヶ原から270年後の西南戦争の時は、豊久の子孫にあたる島津啓次郎という方が西郷さんを守りながら命を落としました。家臣は主君を守るためいつの世も命を落とすのですね。
西南戦争もいつか動画にしたいし、鹿児島や宮崎も行かなくては。。と思ってます。
@@怪奇な歴史研究室 是非是非お願いします。因みに佐土原だと江戸時代に江戸に木材を運ぶ途中で嵐に遭い、木材を投げ捨てた責任を取って武士が自害した佐土原十六烈士の墓があります。多分主さんはお好きな類だと思います。
おぉ!私の母の実家が宮崎市佐土原町で祖母が暮らしてました。高校生の時に祖母宅に行き歴史資料館行って島津啓次郎を知りました。彼は若くして欧米に行き世界最先端の先進国を学びながら、帰国後は幕末の遺産である武士の最後に身を投じる西郷隆盛に同行、西郷の生きて次の時代を担えという説得に応じず城山まで西郷に同行し命を落としてます。彼の心境には今も興味があります。ちなみに知られてませんが宮崎は西南戦争忌み地がけっこうあるようです。
佐土原島津は、宮崎の誇りです!!家久・豊久公に率いられた“佐土原衆”は九州や朝鮮の役でも大いに活躍したげなど!
島津の退き口は捨てがまり戦法という異常なまでの忠誠心とその精神力からなせる技術によって必ず追ってを防いで見せるという文字通り決死の戦いで、生き延びた義弘も薩摩に帰るまではかなり消耗していたくらいには大変な撤退戦だったと知って島津の強さは島津家がというより島津に仕える者達の強さに支えられた強さなんだと思いました。
そうですね、あと義弘のカリスマ性がすごすぎる、と思いました。
島津豊久の明確な最期というのは今だに分かってないみたいですね。関ケ原戦後に三年間、諸国で豊久の行方と安否を探らせた逸話に、豊久がどれだけ慕われて惜しまれたかが窺えます。そんな島津家が時を経て徳川家を打倒するというのも凄い因果を感じます。
そう、とても数奇な因果です。
財は三代で消え去り、義は人の世が続く限り語り継がれる。今回も心晴れやかな漢達の生き様を堪能させていただきました。
素晴らしい動画をありがとうございます。かつての武士の生き様に敬意をいだきました。ちょっぴり長めの動画を本当にありがとうございます。また次の動画を楽しみにお待ちしております。しがないイチ戦闘員より
ありがとうございます。その敬意が届き、きっと供養になることでしょう。
今回もまた、朽ち消えていく貴重な史跡の記録をありがとうございます。動画を拝見しながら、力強くとも儚いつわものたちに想いを馳せたいと思います。
それが供養にもなると思います
毎回楽しみにしております。名もなき兵士達に思いを馳せると、悲しい切ない気持ちでいっぱいに成って心が痛みます。今も相変わらず戦の世の中です。今の日本も既に形を変えての戦の最中。忘れ去られて、捨てられた方達はご家族達はと思うと 今普通に息をしていることへの感謝です。
ありがとうございます。きっとその想いが兵士たちの供養になるでしょう。
ありがとうございます。そう思ってもらえましたら、私も慰められます。
今回もありがとうございました😮
私は鹿児島出身で小さい頃に、おじいちゃんの自宅に母と親戚とよく集まり墓参りした後みんなでワイワイしていました。おじいちゃんの自宅の入口に島津の家紋が入っていたのを動画を見てふと思い出しました。ひょっとしたらご先祖をたどれば侍だったのかなと思いコメントさせて頂きました!いつも興味深い動画ありがとうございます😊楽しみにしています!
それは関係あったのでしょうね、島津家の家臣だったとか。
島津の武の逸話はどれも強烈過ぎますね…
とある古戦場跡地に程近い所に住んでおります。霊などの体験はなく、周囲からも聞き及んではおりませんが、深夜に起きていると誰もいないのに玄関や廊下のセンサーライトが突然点灯する事があります。その度に「落武者さんが通った」と思う事にしています。全く無関係かも知れませんが😅いつも興味深い動画と考察をありがとうございます😊
おお、それはこわいけど、武者もお散歩してるだけかもしれませんね。
今回の動画は一際ドラマチックに感じました。私もこの時代の武士だったら、激しく戦い、生きるために、生き延びるために走り続けたのだろうかと思うと胸が熱くなる気がします。
今回も貴重な動画をありがとうございます。「逃げて天下に武名を轟かせたのは、島津だけである」この言葉は一族の元祖歴史オタクだった叔父(故人)の言葉でした。思えば、鳥居元忠の独断による島津の入城拒否が、関ヶ原になり、巡り巡って鳥羽・伏見の戦、戊辰戦争となって徳川幕府の命取りとなった・・・・歴史とは皮肉に満ちているようです。
そう、退却したのに勝利したみたいな雰囲気だせてる武将て島津くらい…逃げているときも数十人で落ち武者狩りを蹴散らし、大阪で人質だった妻を救出したりと、ほんとすごい…そこまで動画にすると本格的に長くなるのでやめました。
地元に来てくださりありがとうございます。関ヶ原地域には五輪塔が沢山点在しており、合戦後に戦死者の遺族が供養のために持ち込んできたみたいです。またお越しください。
おお、地元。あれはやはりひっそりとご遺族が持ち込んだものなのですかね。
豊久氏の話に胸がいっぱいになりました 大事なものを守りたいという強い一念を感じます 島津の精神は今もなお語り継がれていますね、これから先も語り継がれることをのぞみます
島津豊久は関ヶ原の戦いの話を聞いて、一気に好きになった。
そう、かっこよすぎ、、
島津豊久と聞いてドリフターズが真っ先に頭に浮かんだ
やっぱり
現在の警察組織は薩摩藩がそのベースとなっています。不祥事に揺れる鹿児島県警・・・島津豊久のような気高い命がけの心で改革をしてもらいたいものです。
警察は賤業武士と一緒にしては失礼
まったくですねえ
だから腐り切ってんのか警察組織ってぇ
@@hideyukik-578🧠🤏
川路大警視(初代警察庁長官)は薩摩藩の出身ですねこの人が警察の基礎を作りました
戦闘で亡くなった方々の魂と人間の争いに駆り出されて命を落とした多くの馬達、動物達の魂の冥福を祈ります。
そう、お馬さんもたくさん命を落としているんですよね。
そうですよね😭馬だけじゃないですその近辺にいた動物達も被害者ですよね😭
島津製作所の創業者のご先祖様は、直接の血縁は無いですが義弘が京都に来た時に世話をし、それに感謝して300石と家名を与えたそうですね。社章に島津家の家紋を使っているみたいです。
あーそういう事なんですね!知らんかった、ありがとうございます。
コメ欄でも取り上げられてますが、私も漫画「ドリフターズ」で島津豊久を知った1人です。ただ、ここ数年作者様の体調不良により話の進行が滞りがちなのが心配な作品でもあります。で、この豊久らの尽力で『島津の退き口』と有名な敵中突破による退却という形でのダイナミック帰還を行った義弘ですが、薩摩への道中に大阪で人質となっていた妻の救出も併せて行った上での帰還というエピソードも知られていますね。
そうですね、あと、立花宗茂とのエピソードとか。そこまでやると超長い動画になるのでやめました。。
大河ドラマで「篤姫」をやった後に家族旅行で鹿児島へ行き、島津家を観て来ました。景色も良く素晴らしい所でした。関ヶ原の合戦で、その様な結末があった事を今知りました。有難うございます。東軍・西軍のどちらにつくか、ギリギリまで悩んだ武将は沢山いたかと思います。究極の選択で運命が決まってしまう。その時代を生きた方々に敬意を払いたいと思います。
毛利家は静観しました、ですが、どっちつかずのそういう家は家でけっこう残念な処分になってたりします。
@@怪奇な歴史研究室 様毛利家の代わりに毛利元就の三男である小早川隆景が裏切ってくれたから東軍が勝てたので、ある意味、毛利の戦略(お家芸)と捉えれば納得出来るかもです。参加しなかった佐竹の左遷に比べれば、出向いただけマシかと。
元気でいてくれてありがとうございます
恐れ入ります
私は服部康成(関ヶ原の戦いで西軍諸将を寝返らす役割を担った)の子孫なのですが、大学受験浪人時代に関ヶ原で裏切ったうちの1人の子孫の方が経営されている会社で働いていました😂
なんという因果!
その会社は、うちの先祖が明治維新まで仕えていた大名家のご子孫が経営されている会社だと思います。
今回も素晴らしい!!兵どもが夢のあと男のロマン毎回配信されると速攻で拝見しております。感謝ですこれは見ずにはいられません。お体お気をつけて!!ありがとう!!
私も霊というのは残留思念だと思っている派です。意識の話はなるほど~と思いました。そして私は愛知県北西部に越して10年ほど経っており、関ケ原は何度も行っています。特に畑の真ん中にある合戦の中心の地に立つと当時の兵たちと魂がシンクロするような気持になります。1ヶ月ほど前にも行ったばっかりで、その時甲冑博物館に寄りました(2年ほど前はなかった思います)たとえ歴史書に名も載っていないような兵士の物であっても、レプリカではない当時使っていた本物…と思うと厳かな気持ちになりました。
武具のつないでる紐がしっかりしていて、これは新しい紐にしたのですよね?と甲冑館できいたのですが、それも当時の紐らしく、すごいなと思いました。
私はよく山に登るのですが、学生時代お盆の時期に静岡県のとある霊山に登ってしまい、山頂は友人と私しかいないのに人の声がはっきり聞こえました。あれは一体なんだったのか今でも謎ですが、幽霊とかは時期も関係があるかもと思っています。
今回もとても良かったです🙏島津豊久さんの話で泣けました😭
ありがとうございます。豊久は合戦中に義弘を見失い、心配し泣きながら探したという記録があり、そういう事も含めて、彼の気持ちを考察してみました。
いつも楽しみに拝見しています。鬼薩摩・捨てがまり戦術、島津豊久とは、部下にとっては命の懸け甲斐があった方なのでしょうね。戦国時代であるからこそ、命の重みと生き方をより強く感じられるのではないかと思いました。動画途中の語りに、思わず眼から汗が…😢
ありがとうございます!
うおおおおお、ありがとうございます。
毎回楽しみにしています 最後の血痕が残る本物の武具が現存していたのはマジで驚いた霊体験ですが 裏が墓場のマンションに住んでいた時金縛りにあい耳を舐められたことがあります 人間とほぼ同じ感触でしたよブチ切れたが声が出ないから頭の中でめちゃくちゃ文句を言ったら消えた その他にも少し霊体験はあるからお化けはいるんだろうなあと何となく思っているよく疲れで金縛りになると言うけど あれとは感覚が全く違って いきなりバシッ!と固まって意識はかなりはっきりする 霊体験がない人が霊を信じないと思うのも無理はないかなと
耳をペロンて舐めるお化け、お茶目ですね!かわいい。
今回の動画も大変興味深い内容でした、次回も楽しみにしております😊
私も 歴史が好きなので 拝聴してます とても分かりやすく解説されて これからも 色んな動画を楽しみにしております
いつも素晴らしい動画を有難う御座います、次の動画もたのしみにしています。
若い頃歴史小説を読み耽り一人で関ヶ原古戦場をうろうろしてました、やはり島津と島左近が凄く魅力的でした🎵
薩摩の兵児です。郷土の志士豊久公終焉の地を到達頂き感謝いたします。今、早田ひなさんの知覧の事にも準じて、先人は家族・郷土を守る戦いでした。平和は訪れました。感謝です。
薩摩も行ってきました
冒頭の解説素晴らしいです!
暑いので身体きをつけて。楽しみにしてます🎵
先祖が島津家の家臣だったので今回は神回
武者の霊はまだ見たことがありませんが、子供の頃、もんぺ姿の女性が子供の手を引いて逃げ惑う姿を何度も見ました。いつも防空壕の穴に入って消えてしまいました。住んでいたあたりは、昭和20年に空襲にあった場所でした。そういえば、霊能力があるタレントが、同じ市内の某駅で空襲に逃げ惑う霊をたくさん見たとか言ってましたね。
武者の霊は、けっこう昔なので、もう成仏しているのかもですね。
昔、越して間もない部屋で真っ昼間なのに室内で音が聞こえ、ご近所に話をしても何の返答もなく新居に引越す時にご近所3名が「自○があった所で言えなくて」と言われた時は衝撃でした。関ヶ原に行ったのにここは知りませんでした。ありがとうございました🍃
私もなんか変な嫌な場所だな、と感じてたら、そこが後日やっぱり火事になったとか。地元で、そう感じてたところが、あそこ事件あったところだよと、あとから聞いて、ああやっぱり、と思うとかそういうことがあって、わかるようになりました。
昭和の頃にNHKで放送されたクイズ面白ゼミナールたったかで、島津豊久の鎧が登場したことがありました。槍で突かれた跡がはっきりと残っていると鈴木健二氏が語っていたことがありました。私が小5の頃に放送してた大河徳川家康で日本史に感化され、理科算数大好きなのが歴史大好きになってしまったくらいの衝撃でした。豊久の鎧はどうなったんだろうと、見ながらふと思いました… 同時に感化され過ぎず、理科と算数にもっと軸足を残してたら…と思う50代独り身おっさんの夢物語でした…
なんか豊久も陣羽織とかも残っているとか。。
むずい事は分かりませんが、夏場、縁側の南部風鈴の音波振動は、魔除けに違いない、と思っています。歴史の裏舞台のドラマに、いつも勇気もらってます!
琉球王国を征服し、イギリスとも戦い、徳川幕府をも倒す。そんな最強伝説の影で遠く離れた地で無念にも亡くなった勇敢な薩摩武士達もいた事を知ることができて良かったです。
私も島津豊久さんの話で何故か涙が止まらなくなりました、島津家の話しは篤姫しか知らなかったのでこんな鹿児島から離れた遠い地で自刀するのは無念だったと思います、九州の男は熱いのですね!余談ですが私の母方は毛利です、積極的に戦わなかったから生き残れたのかも知れませんね、もしかして
毛利も長州なので、その後、薩摩とともに激しく徳川幕府と戦う事になります。長州も長州で高杉晋作とか色々アツイ男がいますよね。
いつもありがとうございます😊豪雨、熱中症にお気をつけてください😊
毎回楽しみに動画を拝見したおります!動画の選曲もドキドキさせられたり、ミステリアスな作りが大好きです。そして、考察力も素敵です!!歴史には興味のない私ですが、勉強して見たくなります。
ありがとうございます。完全に独自な動画ですが、何卒宜しくお願い致します。
今回も素晴らしい動画をありがとうございます。個人的に、関ケ原=島津の退却戦というほどの大事なので、取り上げてくださって嬉しい限りです。故司馬遼太郎さんが薩摩を訪れ取材した際、地元の方は現代に至っても、泣きながら退却戦を想うのだという行を読んだことがあります。尚、偶然か、奈良県桜井市の三輪山の神様の御ひざ元のお寺には、義弘さんを助けたとの伝えがあります、、、不思議な感じです。
立花宗茂も義弘と落ちている道中会っていますが、力を合わせ九州へ帰りました。立花宗茂は父の仇のボロボロの状態の義弘に会いましたが、攻撃しなかった。
そうなんですよね!島津の兄さん達もですが、宗茂さんも大変尊敬できる方で、器が大きいというか、徳人ですよね。そして、別件なのですが、、、此処は!と感じ入った場所がありまして、、、静岡県富士宮市の芝川にある西山本門寺さんはご存じでしょうか?信長公の首塚があるという伝えがあり、数か月前にやや半信半疑で訪れたのですが、御首か、御遺髪か、何かしらの御形見となるなるようなものはあるのではなかと感じられました。もしご興味があれば、いつか、ご参考までに…でした。いつもご取材&ご返信までありがというございますm(__)m
空間を磁気テープのように人の想いが焼き付くのか、ならば何時かは薄れ消えていくのだろうか・・・
時間経つと消えるといいますからね。仏教でも四十九日は現世を彷徨うとされますが、それはまだ思念が強くある期間とか。。
やっぱり人の思いって残りますよ。私も何度も感じたことがあります。
関ケ原は島津隊やったのですね!「島津退き口」を読んで友達と撤退経路を少し辿ったことありますが良くわかりませんでしたので嬉しいです。思いを馳せるこれですよね。遠い目。。。私も亡くなった祖母のおりんをたまに鳴らしています。幽霊なんて見たことないですが不思議な現象はあるんですよね。あと直感に従うと結構うまくいく法則あります😆
そう、さらにそのあと逃げた大将の義弘も数十人で数百の落ち武者狩りを蹴散らし大阪で妻を救出し、因縁の立花氏は義弘を助けたとか、エピソードがまだまだあったりします。動画が超長くなるから、そのあたりは割愛しました。
更新ありがとうございます🙏豊久氏のモノローグやBGM選曲、今回も引き込まれつつエンディングを迎えました。次は何処へ赴かれるのか、どんな話をご紹介頂けるのか、一戦闘員として、毎回楽しみです
薩摩=隼人。日本最強の戦闘集団‼︎郷中教育に示現流。子供の頃から鍛錬するカリキュラムマネジメントが秀逸過ぎる。
そうそう、よくご存知で。薩摩は子供のころから有事の際の対応のシミレーションとか独特の教育があったんですよね。
島津の前方退却時に、黒田長政や福島正則は攻撃せずに身を引いて通したと言われていますね。井伊直政も島津勢によって重傷を負いながら、関ヶ原合戦の戦後処理時に島津を庇う行動をしていたようです。豊久は井伊との戦い時に、身体を槍で突かれたという言い伝えも残っていて、その時に着ていた陣羽織が残されていて、槍で突かれた跡が残っているそうです。
そう、井伊直政そうなんですよね。その陣羽織残ってるんですね、それは存じ上げませんでした。陣羽織と言えば、長寿院が義弘の陣羽織を着て、身代わりになって徳川軍を足止め玉砕しましたね。
薩摩隼人には恐れ入ります。後に薩摩藩は当時世界最強のイギリス海軍に旧式の装備であるにもかかわらず一泡吹かせるわけですからね。これを薩英戦争というそうですが。日本は色んな人たちがバランスよく存在しているからうまくいっているのだと思います。
それでイギリスは薩摩藩の力に驚き、薩英同盟が結ばれたわけですからね。
お暑い中お疲れ様です。いつも動画を拝見し、地獄のピクニックに同行させて頂いてます。昔は一族を生かす≒自分が生きるの感覚に近いですね。個人主義となった現代人にはわからないでしょう。蟻や蜂のようです。
おっしゃる通り、昔は共同体として生きている感じがしますね。
ラストの考察。素晴らしいです。
ありがとうございます。一応、終焉の地が関ケ原のほうにもある根拠とされる一つが関ケ原の首実検で豊久の首があったという証言があります。そのため、首が運ばれた可能性はぜんぜんあり得ると思いました。
島津豊久。武田家が好きな僕の、武田家以外の武将では1.2を争うくらい好きな武将です。豊久の最期はグッとくるものがありますよね。第2の父親として慕い続けた義弘のために死ねる……関ヶ原当時義弘もそれなりに高齢でしたし、恩返しするには最後の機会だったでしょうし、本人としてもこの最期は本望だったのかもしれないですね。
信玄もいいですね~
薩摩の退き口のお話感動しました🥺
祇園祭りが歩いて20分位なので、見てきました。菊水鉾が人気がありました。「打ち出の小槌」の刺繍が施された絵巻、唐の時代から伝わるそうです。信長、秀吉、家康公も、祇園祭は、それぞれ一回しか見ていないと鉾町の老人が、言っていました。こうした語り部もこれから少なくなるそうです。鉾の建て方は、特殊技能で、指導者も高齢化、大工さんも、若手が減少とのこと。😂
島津家臣団の勇猛ぶりは凄いですね。追撃を行った井伊直政や本多忠勝、松平忠吉をはじめとする徳川家臣団も相当な強さですね!
です、徳川側の武将も実績あるツワモノ揃いでした。
最近こちらのチャンネルを知りました。楽しく拝見させていただいています。影ながら応援しています…!
有難き幸せ
待ってました!いつも為になるお話ありがとうございます霊に関してですが 沖縄の海で そこだけ時が止まっているような波や風の音がタイムラグで聞こえてくる息苦しい 居心地悪い場所がありましたね
恐れ入ります、沖縄にそんな場所あるのですね、行ってみたいですね。
返信ありがとうございます南城市のテダ御川というところでした
ちょうど先月関ヶ原のリニューアルした博物館?に行ってきたところなのでワクワクして拝見致しました!1人1人の人生がある中の戦い、、考えさせられます。これからも動画更新楽しみにしてます!!(ちなみに血天井こちらの動画拝見後に行ってきました!)
綺麗になってますよね。
今回も素晴らしい作品をありがとうございました。私は幽霊をまだ見ていないのですが、祖母ときょうだいは見たことがあるそうです。祖母はその方の浴衣の柄まで、きょうだいは真っ白の人型だったとのことでした。次回も楽しみにしております。
見えるひとに聞くとぼんやりした影と言いますね。友人とかではいます。ただ、頭おかしいと思われるから、そいつは見えないという事にしてました。
薩摩の捨てがまりを出して頂きありがとうございます。皆、遠い土地で命尽きる時義弘の無事を願い、また薩摩の大地と家族に思いを馳せたのではないかと思っています。
幽霊に関する考察、最近研究が進んでますよね。超音波とインパルスが関係しているということや量子力学による目には見えない粒子に意識が乗っているということもわかってきているんですよね。これから更に研究が進めば、いわゆるあの世に行くということがなんなのか、実は人間って死というものは肉体だけで死んでいないのではないかとかわかってくるのかもしれませんね。そうすると、時空も超えるリアルな歴史も見えてくるのかなと思うと楽しみです。
そこで、さらに輪廻転生とか、そういうものと関係するかもしれないしロマンがありますよね!
島津豊久グッジョブ👍
関ヶ原古戦場は空気感が変わりました(汗)寒い暑いではなく湿度は高いのに寒く驚きました・・・
いつも楽しみにしてます。島津 益荒男すぎる。 今度日本へ一時帰国するときの訪問スポットにします。
まだ紹介しきれてない島津の武勇は数多くあります。本当にすごい一族ですよ。。
次の島津益荒男レジェンド動画、待ってます。
益荒男、究極のトライアスロンですね
おつかれさまです。自分、関ヶ原関連には以前より大変興味をもっていたので、今回はいつもより興味深く拝見させていただきました。三成が敗走の際にどこかの村人に匿われた話しは知っていましたが、島津豊久も匿われたんですね。最後自刃した地、人気もなく寂しいところで最後を迎えたんですね。三輪内助入道一斉……ですか🤔自分と同じ名字なので親近感が湧きました🤭
関ケ原は織田家とかまだまだいくらでもあるんですが、キリがなく今回は島津家にしました。機会あれば、また他の大名版もやります。
@@怪奇な歴史研究室 期待しています‼️🤗待ち遠しいです。関ヶ原大好きなので。いつか、自分も行ってみたいと思っています。
各武将の陣跡が公園みたいになってて、かなり楽しめますよ、関が原は。
@@怪奇な歴史研究室 関ヶ原といえば、大昔(私が中学生のころ)、TBS開局30周年記念番組として、「関ヶ原」というドラマをやったことあったんですよ。司馬遼太郎原作の。主さんはこのドラマ知っていますか?キャストも今となってはあまりにも豪華で、三成役に加藤剛、家康役には森繁久彌!島左近役に三船敏郎、他にも松坂慶子、京塚昌子、栗原小巻……もし、見たことないようでしたら是非!DVD化されてますしネットでも。自分の好きなのドラマの一つです。何回でも見れちゃいます😆なかなかの見応えですよ😃
ありがとうございます。チェックしてみます。
しらべし=白拍子(シラビョウシ)に関係あるかも。私の解釈は、白拍子=名無しのなんとかです。島津氏と関係は無いけど、京の都で覇権を取った平氏の影に白拍子の存在があった。今でいうハニーなんとかで役割を担った集団。白拍子=(歴史に埋もれた影の立役者の人々)と思っています。要は島津氏を祀りたいけど、当時のご時世上、現地の人々は表立って「島津」と言えなかったのかなと妄想してしまいました。
なるほど、おもしろい考察ですね。
2000年にNHKで放送された「 葵 徳川三代 」で、山口祐一郎扮する島津豊久、麿赤兒扮する島津義弘の関ヶ原合戦での撤退戰・捨て鎌りでの演技は、とても見応えがあったぞね。(・ω・)ノ
本当に!登場シーンは短かったですが、麿赤兒さんも山口祐一郎さんもとっても格好良かったです‼︎
この戦いに生き残った先祖は凄かったんだなと思いました。
戦国も幕末も島津の逸話には事欠きませんね、島津縁の人物個人の逸話、ひえもんとりなどの軍事訓練、2000年の時を経て、まさか極東の地でスパルタが復活するとは…
関ヶ原て地名は有名ですがなかなか行く機会がなくて…合戦当時からそこまで変化がなさそうな地に見えました、何かロマンがありますね⚔️
動画有難う御座います。いつも勉強になります。霊は波動を出していて、その波動の影響で金縛りになったりするそうで、お鈴の音や、犬の吠える声で波動を崩す事が出来て、霊から逃れられると聞きました。
ありがとうございます。やっぱ音と密接に関係するのは、そういう事かもしれませんね。実はお経もそういう効果かもしれませんねえ。
お疲れ様でした。様々な怪異の地へ足を踏み入れた投稿者様でしょうが今まで行った中で恐怖や異質を感じた場所は挙げるとしたらどこがありますでしょうか?
粟田口刑場とかですね。あと動画にしてませんが東京の蔵前のほうのとある刑場跡。今はたしか教会かな。あそこはまずいと思います。
わかります。 何処だろう?と写真をググって見たら…以前浅草に遊びに行った時に見かけた建物でした。 その時に何とも言えない禍々しいような気分になったのを覚えています。 私は霊感は無いですが、直感は鋭いので…。
逆に鈴ヶ森刑場とか、怖いとされているようですが、全然大丈夫な気がしました、あくまで個人の感想です、はい
豊久を知ったのは大河ドラマでとてもかっこいいと思い好きなりもっと詳しく豊久の最後が知れて良かったです。
やっぱ信長とかは有名なのですが、実は島津が最強なのでは、、と思ってたりします。
🙏🙏🙏
@@怪奇な歴史研究室 ☺️👍👍👍👍🙏
不謹慎ながら、妖怪首置いてけを思い出しましたw
RUclips見てたらお知らせ来ました😊
なにげなしによく青春18きっぷで「関ヶ原」を通過するのですが、今度降りて歴史に馳せてみようと思います。
自分は決して若い人ではないのですが、豊久を知ったのはドリフターズからでした…(ドリフターズと聞けば8時だよ…を思い出すはずなのに…)ふと地方の田園地帯を歩いていると、自分の周りにある空間は決して3次元ではない、他の次元が存在するはずだと思ってしまいます…
私も幽霊、怨霊というのは人の思いや残留思念であると思ってます。人の雰囲気とかもその類で、雰囲気という物はその人の経験した目には見えない情報や思いが詰まっています。同じ空間を共有することで感受性の差異はあれどお互いに干渉し合い少なからず影響を受けます。また過去の人の思念は発した人の思いの強さによりその場所に残る期間は変わると思いますが、どんな残留思念も時と共に風化し消えてしまうようです。古い場合は、そのものの思念ではなく、それにまつわる出来事を言い伝え聞いた人の思いが残ってる場合が多いようです。ネガティブな思念は、受ける人の体質よっては人生に悪い影響を与える場合もあるかと思います。なので感受性が高く体質的に思念が身体に残りやすい人は人と接することを拒絶し引きこもる人もいると思います。しかし、このような目には見えないものでお互いに影響し合ったり、なんらかの危険を感知する能力は本来動物には備わってるものですが、情報伝達手段が進み、個人主義の現代社会においては感覚が鈍麻し、ただオカルト的なものとみられるようになり感じる人間は残念ながら少数派、より感じる人は精神病扱いかもしれません。いわくつきの場所には当時の人が発した危険信号が存在していたと思いますが、古すぎる場合は言い伝え歴史伝承でしか残っておらず、もし残留思念が残っていても現代人がそれを感知できるかは疑問です。
そう、だから仏教の四十九日は霊魂が現世を彷徨うてのは、49日くらいならまだ思念が残ってるみたいなことかもしれませんね。
@@怪奇な歴史研究室 あ、そういうことかもしれませんね。大発見ありがとうございます。
さすが、明や朝鮮と互角以上に戦ってきた島津の心意気を感じます。 徳川家康も島津を潰すにつぶせなかったのかもしれないですね。
家康は島津と戦になるのを避けたのだろうと言われていますね。
GSバッテリーの創業家も島津源蔵、家紋も十字ですが、もともとは井上姓の地主か名望家だったと聞きます。関ヶ原と壬申の乱は、戦場が重なり合い怖いです😢
島津製作所てそれでしたけ。壬申の乱もやります。
@@怪奇な歴史研究室 関係しているそうです。高校時代の友人が、その末裔でした。西方・秀吉公か、島津公の検地にずいぶん貢献したそうで、島津を名乗れと授かったそうです。平清盛みたいに、結構気前の良い武将、大名がいたようです。源頼朝は、みみっちく、カリスマ性がなく、義経は、人気者だったと聞きます。
へーーー末裔
今回も素晴らしい動画を有り難うございます。島津豊久は豊臣秀吉の覚えが目出度く、豊久宛ての書状が朝鮮の前線に届くほどでした。しかも内容は薩摩にいる当主の義久が対応すべきものだったり。もしかしたら義弘と豊久の間にも西軍として戦う熱量に差があったのかもしれません東軍に断られたから西軍についた…ここが島津義弘らしくなくて、初めて聞いた時からずっとしっくり来ないんですよね。
島津のお家のなかでも割れたようですので、なんだか混沌としたところに始まったのでしょうね。とはいえ、当時は島津家としては三成にも義はあったと思います。
しまづ「全軍退却!退路は…前!」帰りの船で父のかたきである立花宗茂と再会。鬼島津と西の立花宗茂が乗る船…乗りたい🤗援軍要請スルーの実子、忠恒…命をかけて伯父を守った豊久…😮でも所領安堵は忠恒のおかげ?かな🤗
立花宗茂も男気ある人気武将ですからね。まあ、あのへんは強いから家康は揉めたくなかったんでしょうね。
我々が認識している空間は3次元、では意識は何次元なのでしょうか。確かに存在はしているのに、自分自身の感覚としか捉えられないですよね。まだ科学的に捉える術はないだけで、私の場合、幽霊もこの類かなと思ってます。
そう!意識が違う次元という可能性。
更新ありがとうございます。ネジの頭ではない・・・。実は私は昔から島津家の御家紋を見るたびに「ネジ・・・」と思っていました。島津十字=ネジ頭と、脳内インパルスがROM化しているのでしょうか。とにかく今回も考えさせられる回でした。次回も楽しみにしております。
負傷した井伊直政が徳川、島津の和平交渉を仲立ちしていますが約260年後、許された薩摩が中心となって倒幕します家康はどのような気持ちだったのでしょうね疑問なんですけど、関ケ原の戦いは『東軍』、『西軍』と区分されていますが関ケ原の戦い当時はそのように区分されたりしていなかった気がします当時はどのように区分されていて、戦の時はどうやって見分けていたのか?旗かもしれませんが、旗が見つからなかったら?乱戦になったら敵味方もわからないですよね
鎧とかでおおよそ区別したんだと思います。でも同士討ちあったと思いますよ。それは普通に第二次大戦中の米軍とかもよくやってるくらいですかね。
島津豊久も父の家久同様に島津の礎となる為に命を賭けたのか……。
怪奇なさまはとても勉強されていて毎回感心しきりです。訪ねて行く場所も有名ではない所までどうやって調べるのか‥‥次回も楽しみに待っています。霊現象のようなことはいくつか体験しています。お線香をたいて浄化してみたり、ってか効果あるのかわかりませんが。
私の先祖もここの地で西軍として参加した模様ですが、何とか生き延びて故郷には帰れませんでしたが、生き倒れた地の住民に親切にしてもらい 家康から武士を捨てるのなら生かすと言われて その地に住み着いたようです。
へー興味深い、ちょいちょい西軍参加の末裔の方のコメント嬉しい。
各テレビ局のドキュメント番組より遙かに出来が素晴らしい、というか主さんのセンスと努力の賜物。good🎉
恐れ入ります。これからも精進します。
豊久の逃げながらの想い、ものすごく崇高で尊敬してしまう。
まさに侍。どうか安らかに眠って欲しい...。
豊久は合戦中に一度、義弘を見失い、泣きながら心配したという記録が残っていて、
そういう背景も考察し、落ち延びているときの気持ちを私も想像してみました。
毎回感興する動画、ありがとうございます。エンディングのビートカッコいい
ありがとうございます。
今もその勇猛果敢さで名を遺す武将の最期には胸が熱くなります。これからもその伝説は語り継がれるのでしょうね。
動画内容のクオリティが高い。
無料で観れるなんて有難すぎます。
当時の人々に想いをはせ、現状を鑑み、涙が出そうな内容でした。
薩摩は教育カリキュラムがしっかりしており、武士道を極め
日本人自身が誇りに思える、
日本人特有の人間性を育む事が出来ていたんだと思います。
話は反れますが
人間が怖いと感じる周波数を発する場所というのが
いわゆる曰く付きの場所という事が多いらしいです。
動画の最初に鈴が出てきた時はビックリしました。
師匠、さすが…
何者なんですか、貴方は。
最近は動画より製作者自身に興味を持ってます。
お身体ご自愛下さい。
ありがとうございます。いえ、私は一介の旅人でございます。
動画を見ていただき、感謝でございます。
他のRUclipsrさんのところで お会い出来て嬉しかったです☺️
(^▽^)/
いつもこのチャンネルを拝見している者です。島津豊久は自分の地元の宮崎県宮崎市佐土原の殿様でもありました。
関ヶ原から270年後の西南戦争の時は、豊久の子孫にあたる島津啓次郎という方が西郷さんを守りながら命を落としました。家臣は主君を守るためいつの世も命を落とすのですね。
西南戦争もいつか動画にしたいし、鹿児島や宮崎も行かなくては。。と思ってます。
@@怪奇な歴史研究室 是非是非お願いします。因みに佐土原だと江戸時代に江戸に木材を運ぶ途中で嵐に遭い、木材を投げ捨てた責任を取って武士が自害した佐土原十六烈士の墓があります。多分主さんはお好きな類だと思います。
おぉ!
私の母の実家が宮崎市佐土原町で祖母が暮らしてました。高校生の時に祖母宅に行き歴史資料館行って島津啓次郎を知りました。
彼は若くして欧米に行き世界最先端の先進国を学びながら、帰国後は幕末の遺産である武士の最後に身を投じる西郷隆盛に同行、西郷の生きて次の時代を担えという説得に応じず城山まで西郷に同行し命を落としてます。
彼の心境には今も興味があります。
ちなみに知られてませんが宮崎は西南戦争忌み地がけっこうあるようです。
佐土原島津は、宮崎の誇りです!!家久・豊久公に率いられた“佐土原衆”は九州や朝鮮の役でも大いに活躍したげなど!
島津の退き口は捨てがまり戦法という異常なまでの忠誠心とその精神力からなせる技術によって必ず追ってを防いで見せるという文字通り決死の戦いで、生き延びた義弘も薩摩に帰るまではかなり消耗していたくらいには大変な撤退戦だったと知って島津の強さは島津家がというより島津に仕える者達の強さに支えられた強さなんだと思いました。
そうですね、あと義弘のカリスマ性がすごすぎる、と思いました。
島津豊久の明確な最期というのは今だに分かってないみたいですね。
関ケ原戦後に三年間、諸国で豊久の行方と安否を探らせた逸話に、豊久がどれだけ慕われて惜しまれたかが窺えます。
そんな島津家が時を経て徳川家を打倒するというのも凄い因果を感じます。
そう、とても数奇な因果です。
財は三代で消え去り、義は人の世が続く限り語り継がれる。
今回も心晴れやかな漢達の生き様を堪能させていただきました。
素晴らしい動画をありがとうございます。
かつての武士の生き様に敬意をいだきました。
ちょっぴり長めの動画を本当にありがとうございます。
また次の動画を楽しみにお待ちしております。
しがないイチ戦闘員より
ありがとうございます。その敬意が届き、きっと供養になることでしょう。
今回もまた、朽ち消えていく貴重な史跡の記録をありがとうございます。
動画を拝見しながら、力強くとも儚いつわものたちに想いを馳せたいと思います。
それが供養にもなると思います
毎回楽しみにしております。
名もなき兵士達に思いを馳せると、悲しい切ない気持ちでいっぱいに成って
心が痛みます。今も相変わらず戦の世の中です。今の日本も既に形を変えての戦の最中。
忘れ去られて、捨てられた方達はご家族達はと思うと 今普通に息をしていることへの感謝です。
ありがとうございます。きっとその想いが兵士たちの供養になるでしょう。
ありがとうございます。そう思ってもらえましたら、私も慰められます。
今回もありがとうございました😮
私は鹿児島出身で小さい頃に、おじいちゃんの自宅に母と親戚とよく集まり墓参りした後みんなでワイワイしていました。
おじいちゃんの自宅の入口に島津の家紋が入っていたのを動画を見てふと思い出しました。ひょっとしたらご先祖をたどれば侍だったのかなと思いコメントさせて頂きました!
いつも興味深い動画ありがとうございます😊
楽しみにしています!
それは関係あったのでしょうね、島津家の家臣だったとか。
島津の武の逸話はどれも強烈過ぎますね…
とある古戦場跡地に程近い所に住んでおります。霊などの体験はなく、周囲からも聞き及んではおりませんが、深夜に起きていると誰もいないのに玄関や廊下のセンサーライトが突然点灯する事があります。その度に「落武者さんが通った」と思う事にしています。全く無関係かも知れませんが😅
いつも興味深い動画と考察をありがとうございます😊
おお、それはこわいけど、武者もお散歩してるだけかもしれませんね。
今回の動画は一際ドラマチックに感じました。私もこの時代の武士だったら、激しく戦い、生きるために、生き延びるために走り続けたのだろうかと思うと胸が熱くなる気がします。
今回も貴重な動画をありがとうございます。
「逃げて天下に武名を轟かせたのは、島津だけである」
この言葉は一族の元祖歴史オタクだった叔父(故人)の言葉でした。
思えば、鳥居元忠の独断による島津の入城拒否が、関ヶ原になり、巡り巡って鳥羽・伏見の戦、戊辰戦争となって徳川幕府の命取りとなった・・・・
歴史とは皮肉に満ちているようです。
そう、退却したのに勝利したみたいな雰囲気だせてる武将て島津くらい…
逃げているときも数十人で落ち武者狩りを蹴散らし、大阪で人質だった妻を救出したりと、ほんとすごい…
そこまで動画にすると本格的に長くなるのでやめました。
地元に来てくださりありがとうございます。
関ヶ原地域には五輪塔が沢山点在しており、合戦後に戦死者の遺族が供養のために持ち込んできたみたいです。
またお越しください。
おお、地元。あれはやはりひっそりとご遺族が持ち込んだものなのですかね。
豊久氏の話に胸がいっぱいになりました
大事なものを守りたいという強い一念を感じます 島津の精神は今もなお語り継がれていますね、これから先も語り継がれることをのぞみます
島津豊久は関ヶ原の戦いの話を聞いて、一気に好きになった。
そう、かっこよすぎ、、
島津豊久と聞いてドリフターズが真っ先に頭に浮かんだ
やっぱり
現在の警察組織は薩摩藩がそのベースとなっています。不祥事に揺れる鹿児島県警・・・島津豊久のような気高い命がけの心で改革をしてもらいたいものです。
警察は賤業
武士と一緒にしては失礼
まったくですねえ
だから腐り切ってんのか警察組織ってぇ
@@hideyukik-578🧠🤏
川路大警視(初代警察庁長官)は
薩摩藩の出身ですね
この人が警察の基礎を作りました
戦闘で亡くなった方々の魂と人間の争いに駆り出されて命を落とした多くの馬達、動物達の魂の冥福を祈ります。
そう、お馬さんもたくさん命を落としているんですよね。
そうですよね😭馬だけじゃないです
その近辺にいた動物達も被害者ですよね😭
島津製作所の創業者のご先祖様は、
直接の血縁は無いですが義弘が京都に来た時に世話をし、
それに感謝して300石と家名を与えたそうですね。
社章に島津家の家紋を使っているみたいです。
あーそういう事なんですね!知らんかった、ありがとうございます。
コメ欄でも取り上げられてますが、私も漫画「ドリフターズ」で島津豊久を知った1人です。
ただ、ここ数年作者様の体調不良により話の進行が滞りがちなのが心配な作品でもあります。
で、この豊久らの尽力で『島津の退き口』と有名な敵中突破による退却という形でのダイナミック帰還を行った義弘ですが、薩摩への道中に大阪で人質となっていた妻の救出も併せて行った上での帰還というエピソードも知られていますね。
そうですね、あと、立花宗茂とのエピソードとか。
そこまでやると超長い動画になるのでやめました。。
大河ドラマで「篤姫」をやった後に家族旅行で鹿児島へ行き、島津家を観て来ました。景色も良く素晴らしい所でした。関ヶ原の合戦で、その様な結末があった事を今知りました。有難うございます。
東軍・西軍のどちらにつくか、ギリギリまで悩んだ武将は沢山いたかと思います。究極の選択で運命が決まってしまう。その時代を生きた方々に敬意を払いたいと思います。
毛利家は静観しました、ですが、どっちつかずのそういう家は家でけっこう残念な処分になってたりします。
@@怪奇な歴史研究室 様
毛利家の代わりに毛利元就の三男である小早川隆景が裏切ってくれたから東軍が勝てたので、ある意味、毛利の戦略(お家芸)と捉えれば納得出来るかもです。
参加しなかった佐竹の左遷に比べれば、出向いただけマシかと。
元気でいてくれてありがとうございます
恐れ入ります
私は服部康成(関ヶ原の戦いで西軍諸将を寝返らす役割を担った)の子孫なのですが、大学受験浪人時代に関ヶ原で裏切ったうちの1人の子孫の方が経営されている会社で働いていました😂
なんという因果!
その会社は、うちの先祖が明治維新まで仕えていた大名家のご子孫が経営されている会社だと思います。
今回も素晴らしい!!兵どもが夢のあと男のロマン毎回配信されると速攻で拝見しております。感謝ですこれは見ずにはいられません。お体お気をつけて!!ありがとう!!
ありがとうございます。
私も霊というのは残留思念だと思っている派です。意識の話はなるほど~と思いました。
そして私は愛知県北西部に越して10年ほど経っており、関ケ原は何度も行っています。
特に畑の真ん中にある合戦の中心の地に立つと当時の兵たちと魂がシンクロするような気持になります。
1ヶ月ほど前にも行ったばっかりで、その時甲冑博物館に寄りました(2年ほど前はなかった思います)
たとえ歴史書に名も載っていないような兵士の物であっても、レプリカではない当時使っていた本物…と思うと厳かな気持ちになりました。
武具のつないでる紐がしっかりしていて、
これは新しい紐にしたのですよね?と甲冑館できいたのですが、
それも当時の紐らしく、すごいなと思いました。
私はよく山に登るのですが、学生時代お盆の時期に静岡県のとある霊山に登ってしまい、山頂は友人と私しかいないのに人の声がはっきり聞こえました。あれは一体なんだったのか今でも謎ですが、幽霊とかは時期も関係があるかもと思っています。
今回もとても良かったです🙏
島津豊久さんの話で泣けました😭
ありがとうございます。
豊久は合戦中に義弘を見失い、心配し泣きながら探したという記録があり、
そういう事も含めて、彼の気持ちを考察してみました。
いつも楽しみに拝見しています。
鬼薩摩・捨てがまり戦術、島津豊久とは、部下にとっては命の懸け甲斐があった方なのでしょうね。
戦国時代であるからこそ、命の重みと生き方をより強く感じられるのではないかと思いました。
動画途中の語りに、思わず眼から汗が…😢
ありがとうございます!
うおおおおお、ありがとうございます。
毎回楽しみにしています 最後の血痕が残る本物の武具が現存していたのはマジで驚いた
霊体験ですが 裏が墓場のマンションに住んでいた時金縛りにあい耳を舐められたことがあります 人間とほぼ同じ感触でしたよ
ブチ切れたが声が出ないから頭の中でめちゃくちゃ文句を言ったら消えた その他にも少し霊体験はあるからお化けはいるんだろうなあと何となく思っている
よく疲れで金縛りになると言うけど あれとは感覚が全く違って いきなりバシッ!と固まって意識はかなりはっきりする 霊体験がない人が霊を信じないと思うのも無理はないかなと
耳をペロンて舐めるお化け、お茶目ですね!かわいい。
今回の動画も大変興味深い内容でした、次回も楽しみにしております😊
私も 歴史が好きなので 拝聴してます とても分かりやすく
解説されて これからも 色んな動画を楽しみにしております
ありがとうございます。
いつも素晴らしい動画を有難う御座います、次の動画もたのしみにしています。
若い頃歴史小説を読み耽り一人で関ヶ原古戦場をうろうろしてました、やはり島津と島左近が凄く魅力的でした🎵
薩摩の兵児です。郷土の志士豊久公終焉の地を到達頂き感謝いたします。
今、早田ひなさんの知覧の事にも準じて、先人は家族・郷土を守る戦いでした。
平和は訪れました。感謝です。
薩摩も行ってきました
冒頭の解説素晴らしいです!
暑いので身体きをつけて。楽しみにしてます🎵
ありがとうございます。
先祖が島津家の家臣だったので今回は神回
武者の霊はまだ見たことがありませんが、
子供の頃、もんぺ姿の女性が子供の手を引いて
逃げ惑う姿を何度も見ました。
いつも防空壕の穴に入って消えてしまいました。
住んでいたあたりは、昭和20年に空襲にあった場所でした。
そういえば、霊能力があるタレントが、同じ市内の某駅で
空襲に逃げ惑う霊をたくさん見たとか言ってましたね。
武者の霊は、けっこう昔なので、もう成仏しているのかもですね。
昔、越して間もない部屋で真っ昼間なのに室内で音が聞こえ、ご近所に話をしても何の返答もなく新居に引越す時にご近所3名が「自○があった所で言えなくて」と言われた時は衝撃でした。
関ヶ原に行ったのにここは知りませんでした。ありがとうございました🍃
私もなんか変な嫌な場所だな、と感じてたら、そこが後日やっぱり火事になったとか。
地元で、そう感じてたところが、あそこ事件あったところだよと、あとから聞いて、ああやっぱり、と思うとか
そういうことがあって、わかるようになりました。
昭和の頃にNHKで放送されたクイズ面白ゼミナールたったかで、島津豊久の鎧が登場したことがありました。槍で突かれた跡がはっきりと残っていると鈴木健二氏が語っていたことがありました。私が小5の頃に放送してた大河徳川家康で日本史に感化され、理科算数大好きなのが歴史大好きになってしまったくらいの衝撃でした。豊久の鎧はどうなったんだろうと、見ながらふと思いました… 同時に感化され過ぎず、理科と算数にもっと軸足を残してたら…と思う50代独り身おっさんの夢物語でした…
なんか豊久も陣羽織とかも残っているとか。。
むずい事は分かりませんが、夏場、縁側の南部風鈴の音波振動は、魔除けに違いない、と思っています。
歴史の裏舞台のドラマに、いつも勇気もらってます!
ありがとうございます。
琉球王国を征服し、イギリスとも戦い、徳川幕府をも倒す。そんな最強伝説の影で遠く離れた地で無念にも亡くなった勇敢な薩摩武士達もいた事を知ることができて良かったです。
私も島津豊久さんの話で何故か涙が止まらなくなりました、
島津家の話しは篤姫しか知らなかったのでこんな鹿児島から離れた遠い地で自刀するのは無念だったと思います、九州の男は熱いのですね!
余談ですが私の母方は毛利です、積極的に戦わなかったから生き残れたのかも知れませんね、もしかして
毛利も長州なので、その後、薩摩とともに激しく徳川幕府と戦う事になります。
長州も長州で高杉晋作とか色々アツイ男がいますよね。
いつもありがとうございます😊
豪雨、熱中症にお気をつけてください😊
ありがとうございます。
毎回楽しみに動画を拝見したおります!
動画の選曲もドキドキさせられたり、ミステリアスな作りが大好きです。
そして、考察力も素敵です!!
歴史には興味のない私ですが、勉強して見たくなります。
ありがとうございます。完全に独自な動画ですが、何卒宜しくお願い致します。
今回も素晴らしい動画をありがとうございます。
個人的に、関ケ原=島津の退却戦というほどの大事なので、
取り上げてくださって嬉しい限りです。
故司馬遼太郎さんが薩摩を訪れ取材した際、
地元の方は現代に至っても、泣きながら退却戦を想うのだという行を読んだことがあります。
尚、偶然か、奈良県桜井市の三輪山の神様の御ひざ元のお寺には、
義弘さんを助けたとの伝えがあります、、、不思議な感じです。
立花宗茂も義弘と落ちている道中会っていますが、力を合わせ九州へ帰りました。
立花宗茂は父の仇のボロボロの状態の義弘に会いましたが、攻撃しなかった。
そうなんですよね!島津の兄さん達もですが、宗茂さんも大変尊敬できる方で、
器が大きいというか、徳人ですよね。
そして、別件なのですが、、、
此処は!と感じ入った場所がありまして、、、
静岡県富士宮市の芝川にある西山本門寺さんはご存じでしょうか?
信長公の首塚があるという伝えがあり、
数か月前にやや半信半疑で訪れたのですが、
御首か、御遺髪か、何かしらの御形見となるなるようなものはあるのではなかと感じられました。
もしご興味があれば、いつか、ご参考までに…でした。
いつもご取材&ご返信までありがというございますm(__)m
空間を磁気テープのように人の想いが焼き付くのか、ならば何時かは薄れ消えていくのだろうか・・・
時間経つと消えるといいますからね。
仏教でも四十九日は現世を彷徨うとされますが、それはまだ思念が強くある期間とか。。
やっぱり人の思いって残りますよ。私も何度も感じたことがあります。
関ケ原は島津隊やったのですね!
「島津退き口」を読んで友達と撤退経路を少し辿ったことありますが良くわかりませんでしたので嬉しいです。思いを馳せるこれですよね。遠い目。。。私も亡くなった祖母のおりんをたまに鳴らしています。幽霊なんて見たことないですが不思議な現象はあるんですよね。あと直感に従うと結構うまくいく法則あります😆
そう、さらにそのあと逃げた大将の義弘も数十人で数百の落ち武者狩りを蹴散らし
大阪で妻を救出し、因縁の立花氏は義弘を助けたとか、エピソードがまだまだあったりします。
動画が超長くなるから、そのあたりは割愛しました。
更新ありがとうございます🙏
豊久氏のモノローグやBGM選曲、
今回も引き込まれつつエンディングを迎えました。
次は何処へ赴かれるのか、
どんな話をご紹介頂けるのか、
一戦闘員として、毎回楽しみです
ありがとうございます。
薩摩=隼人。
日本最強の戦闘集団‼︎
郷中教育に示現流。
子供の頃から鍛錬するカリキュラムマネジメントが秀逸過ぎる。
そうそう、よくご存知で。
薩摩は子供のころから有事の際の対応のシミレーションとか独特の教育があったんですよね。
島津の前方退却時に、黒田長政や福島正則は攻撃せずに身を引いて通したと言われていますね。
井伊直政も島津勢によって重傷を負いながら、関ヶ原合戦の戦後処理時に島津を庇う行動をしていたようです。
豊久は井伊との戦い時に、身体を槍で突かれたという言い伝えも残っていて、その時に着ていた陣羽織が残されていて、槍で突かれた跡が残っているそうです。
そう、井伊直政そうなんですよね。
その陣羽織残ってるんですね、それは存じ上げませんでした。
陣羽織と言えば、長寿院が義弘の陣羽織を着て、
身代わりになって徳川軍を足止め玉砕しましたね。
薩摩隼人には恐れ入ります。後に薩摩藩は当時世界最強のイギリス海軍に旧式の装備であるにもかかわらず一泡吹かせるわけですからね。これを薩英戦争というそうですが。
日本は色んな人たちがバランスよく存在しているからうまくいっているのだと思います。
それでイギリスは薩摩藩の力に驚き、薩英同盟が結ばれたわけですからね。
お暑い中お疲れ様です。
いつも動画を拝見し、地獄のピクニックに同行させて頂いてます。
昔は一族を生かす≒自分が生きるの感覚に近いですね。
個人主義となった現代人にはわからないでしょう。
蟻や蜂のようです。
おっしゃる通り、昔は共同体として生きている感じがしますね。
ラストの考察。
素晴らしいです。
ありがとうございます。
一応、終焉の地が関ケ原のほうにもある根拠とされる一つが
関ケ原の首実検で豊久の首があったという証言があります。
そのため、首が運ばれた可能性はぜんぜんあり得ると思いました。
島津豊久。武田家が好きな僕の、武田家以外の武将では1.2を争うくらい好きな武将です。豊久の最期はグッとくるものがありますよね。
第2の父親として慕い続けた義弘のために死ねる……関ヶ原当時義弘もそれなりに高齢でしたし、恩返しするには最後の機会だったでしょうし、本人としてもこの最期は本望だったのかもしれないですね。
信玄もいいですね~
薩摩の退き口のお話
感動しました🥺
祇園祭りが歩いて20分位なので、見てきました。菊水鉾が人気がありました。「打ち出の小槌」の刺繍が施された絵巻、唐の時代から伝わるそうです。信長、秀吉、家康公も、祇園祭は、それぞれ一回しか見ていないと鉾町の老人が、言っていました。こうした語り部もこれから少なくなるそうです。鉾の建て方は、特殊技能で、指導者も高齢化、大工さんも、若手が減少とのこと。😂
島津家臣団の勇猛ぶりは凄いですね。
追撃を行った井伊直政や本多忠勝、松平忠吉をはじめとする徳川家臣団も相当な強さですね!
です、徳川側の武将も実績あるツワモノ揃いでした。
最近こちらのチャンネルを知りました。楽しく拝見させていただいています。
影ながら応援しています…!
有難き幸せ
待ってました!
いつも為になるお話ありがとうございます
霊に関してですが 沖縄の海で そこだけ時が止まっているような
波や風の音がタイムラグで聞こえてくる
息苦しい 居心地悪い場所がありましたね
恐れ入ります、沖縄にそんな場所あるのですね、行ってみたいですね。
返信ありがとうございます
南城市のテダ御川というところでした
ちょうど先月関ヶ原のリニューアルした博物館?に行ってきたところなのでワクワクして拝見致しました!1人1人の人生がある中の戦い、、考えさせられます。
これからも動画更新楽しみにしてます!!(ちなみに血天井こちらの動画拝見後に行ってきました!)
綺麗になってますよね。
今回も素晴らしい作品をありがとうございました。
私は幽霊をまだ見ていないのですが、祖母ときょうだいは見たことがあるそうです。
祖母はその方の浴衣の柄まで、きょうだいは真っ白の人型だったとのことでした。
次回も楽しみにしております。
見えるひとに聞くとぼんやりした影と言いますね。友人とかではいます。
ただ、頭おかしいと思われるから、そいつは見えないという事にしてました。
薩摩の捨てがまりを出して頂きありがとうございます。
皆、遠い土地で命尽きる時
義弘の無事を願い、また薩摩の大地と家族に思いを馳せたのではないかと思っています。
幽霊に関する考察、最近研究が進んでますよね。超音波とインパルスが関係しているということや量子力学による目には見えない粒子に意識が乗っているということもわかってきているんですよね。これから更に研究が進めば、いわゆるあの世に行くということがなんなのか、実は人間って死というものは肉体だけで死んでいないのではないかとかわかってくるのかもしれませんね。そうすると、時空も超えるリアルな歴史も見えてくるのかなと思うと楽しみです。
そこで、さらに輪廻転生とか、
そういうものと関係するかもしれないしロマンがありますよね!
島津豊久グッジョブ👍
関ヶ原古戦場は空気感が変わりました(汗)
寒い暑いではなく湿度は高いのに寒く驚きました・・・
いつも楽しみにしてます。島津 益荒男すぎる。 今度日本へ一時帰国するときの訪問スポットにします。
まだ紹介しきれてない島津の武勇は数多くあります。本当にすごい一族ですよ。。
次の島津益荒男レジェンド動画、待ってます。
益荒男、究極のトライアスロンですね
おつかれさまです。
自分、関ヶ原関連には以前より大変興味をもっていたので、今回はいつもより興味深く拝見させていただきました。三成が敗走の際にどこかの村人に匿われた話しは知っていましたが、島津豊久も匿われたんですね。
最後自刃した地、人気もなく寂しいところで最後を迎えたんですね。
三輪内助入道一斉……ですか🤔
自分と同じ名字なので親近感が湧きました🤭
関ケ原は織田家とかまだまだいくらでもあるんですが、キリがなく今回は島津家にしました。
機会あれば、また他の大名版もやります。
@@怪奇な歴史研究室 期待しています‼️🤗待ち遠しいです。関ヶ原大好きなので。
いつか、自分も行ってみたいと思っています。
各武将の陣跡が公園みたいになってて、かなり楽しめますよ、関が原は。
@@怪奇な歴史研究室 関ヶ原といえば、大昔(私が中学生のころ)、TBS開局30周年記念番組として、「関ヶ原」というドラマをやったことあったんですよ。司馬遼太郎原作の。主さんはこのドラマ知っていますか?
キャストも今となってはあまりにも豪華で、三成役に加藤剛、家康役には森繁久彌!島左近役に三船敏郎、他にも松坂慶子、京塚昌子、栗原小巻……
もし、見たことないようでしたら是非!
DVD化されてますしネットでも。自分の好きなのドラマの一つです。何回でも見れちゃいます😆なかなかの見応えですよ😃
ありがとうございます。チェックしてみます。
しらべし=白拍子(シラビョウシ)に関係あるかも。
私の解釈は、白拍子=名無しのなんとかです。
島津氏と関係は無いけど、京の都で覇権を取った平氏の影に白拍子の存在があった。
今でいうハニーなんとかで役割を担った集団。白拍子=(歴史に埋もれた影の立役者の人々)と思っています。
要は島津氏を祀りたいけど、当時のご時世上、現地の人々は表立って「島津」と言えなかったのかなと妄想してしまいました。
なるほど、おもしろい考察ですね。
2000年にNHKで放送された「 葵 徳川三代 」で、山口祐一郎扮する島津豊久、麿赤兒扮する島津義弘の関ヶ原合戦での撤退戰・捨て鎌りでの演技は、とても見応えがあったぞね。
(・ω・)ノ
本当に!
登場シーンは短かったですが、麿赤兒さんも山口祐一郎さんもとっても格好良かったです‼︎
この戦いに生き残った先祖は凄かったんだなと思いました。
戦国も幕末も島津の逸話には事欠きませんね、島津縁の人物個人の逸話、ひえもんとりなどの軍事訓練、2000年の時を経て、まさか極東の地でスパルタが復活するとは…
関ヶ原て地名は有名ですがなかなか行く機会がなくて…合戦当時からそこまで変化がなさそうな地に見えました、何かロマンがありますね⚔️
動画有難う御座います。
いつも勉強になります。
霊は波動を出していて、
その波動の影響で
金縛りになったりするそうで、
お鈴の音や、犬の吠える声で
波動を崩す事が出来て、
霊から逃れられると聞きました。
ありがとうございます。
やっぱ音と密接に関係するのは、そういう事かもしれませんね。
実はお経もそういう効果かもしれませんねえ。
お疲れ様でした。
様々な怪異の地へ足を踏み入れた投稿者様でしょうが今まで行った中で恐怖や異質を感じた場所は挙げるとしたらどこがありますでしょうか?
粟田口刑場とかですね。あと動画にしてませんが
東京の蔵前のほうのとある刑場跡。今はたしか教会かな。あそこはまずいと思います。
わかります。 何処だろう?と写真をググって見たら…以前浅草に遊びに行った時に見かけた建物でした。 その時に何とも言えない禍々しいような気分になったのを覚えています。 私は霊感は無いですが、直感は鋭いので…。
逆に鈴ヶ森刑場とか、怖いとされているようですが、
全然大丈夫な気がしました、あくまで個人の感想です、はい
豊久を知ったのは大河ドラマでとてもかっこいいと思い好きなりもっと詳しく豊久の最後が知れて良かったです。
やっぱ信長とかは有名なのですが、
実は島津が最強なのでは、、と思ってたりします。
🙏🙏🙏
(^▽^)/
@@怪奇な歴史研究室 ☺️👍👍👍👍🙏
不謹慎ながら、妖怪首置いてけを思い出しましたw
RUclips見てたらお知らせ来ました😊
ありがとうございます。
なにげなしによく青春18きっぷで「関ヶ原」を通過するのですが、今度降りて歴史に馳せてみようと思います。
自分は決して若い人ではないのですが、豊久を知ったのはドリフターズからでした…
(ドリフターズと聞けば8時だよ…を思い出すはずなのに…)
ふと地方の田園地帯を歩いていると、自分の周りにある空間は決して3次元ではない、他の次元が存在するはずだと思ってしまいます…
私も幽霊、怨霊というのは人の思いや残留思念であると思ってます。人の雰囲気とかもその類で、雰囲気という物はその人の経験した目には見えない情報や思いが詰まっています。同じ空間を共有することで感受性の差異はあれどお互いに干渉し合い少なからず影響を受けます。また過去の人の思念は発した人の思いの強さによりその場所に残る期間は変わると思いますが、どんな残留思念も時と共に風化し消えてしまうようです。古い場合は、そのものの思念ではなく、それにまつわる出来事を言い伝え聞いた人の思いが残ってる場合が多いようです。ネガティブな思念は、受ける人の体質よっては人生に悪い影響を与える場合もあるかと思います。なので感受性が高く体質的に思念が身体に残りやすい人は人と接することを拒絶し引きこもる人もいると思います。しかし、このような目には見えないものでお互いに影響し合ったり、なんらかの危険を感知する能力は本来動物には備わってるものですが、情報伝達手段が進み、個人主義の現代社会においては感覚が鈍麻し、ただオカルト的なものとみられるようになり感じる人間は残念ながら少数派、より感じる人は精神病扱いかもしれません。いわくつきの場所には当時の人が発した危険信号が存在していたと思いますが、古すぎる場合は言い伝え歴史伝承でしか残っておらず、もし残留思念が残っていても現代人がそれを感知できるかは疑問です。
そう、だから仏教の四十九日は霊魂が現世を彷徨うてのは、
49日くらいならまだ思念が残ってるみたいなことかもしれませんね。
@@怪奇な歴史研究室 あ、そういうことかもしれませんね。大発見ありがとうございます。
さすが、明や朝鮮と互角以上に戦ってきた島津の心意気を感じます。 徳川家康も島津を潰すにつぶせなかったのかもしれないですね。
家康は島津と戦になるのを避けたのだろうと言われていますね。
GSバッテリーの創業家も島津源蔵、家紋も十字ですが、もともとは井上姓の地主か名望家だったと聞きます。関ヶ原と壬申の乱は、戦場が重なり合い怖いです😢
島津製作所てそれでしたけ。壬申の乱もやります。
@@怪奇な歴史研究室 関係しているそうです。高校時代の友人が、その末裔でした。西方・秀吉公か、島津公の検地にずいぶん貢献したそうで、島津を名乗れと授かったそうです。平清盛みたいに、結構気前の良い武将、大名がいたようです。源頼朝は、みみっちく、カリスマ性がなく、義経は、人気者だったと聞きます。
へーーー末裔
今回も素晴らしい動画を有り難うございます。
島津豊久は豊臣秀吉の覚えが目出度く、豊久宛ての書状が朝鮮の前線に届くほどでした。
しかも内容は薩摩にいる当主の義久が対応すべきものだったり。
もしかしたら義弘と豊久の間にも西軍として戦う熱量に差があったのかもしれません
東軍に断られたから西軍についた…ここが島津義弘らしくなくて、初めて聞いた時からずっとしっくり来ないんですよね。
島津のお家のなかでも割れたようですので、なんだか混沌としたところに始まったのでしょうね。
とはいえ、当時は島津家としては三成にも義はあったと思います。
しまづ「全軍退却!退路は…前!」
帰りの船で父のかたきである立花宗茂と再会。鬼島津と西の立花宗茂が乗る船…乗りたい🤗援軍要請スルーの実子、忠恒…命をかけて伯父を守った豊久…😮でも所領安堵は忠恒のおかげ?かな🤗
立花宗茂も男気ある人気武将ですからね。
まあ、あのへんは強いから家康は揉めたくなかったんでしょうね。
我々が認識している空間は3次元、では意識は何次元なのでしょうか。
確かに存在はしているのに、自分自身の感覚としか捉えられないですよね。
まだ科学的に捉える術はないだけで、私の場合、幽霊もこの類かなと思ってます。
そう!意識が違う次元という可能性。
更新ありがとうございます。
ネジの頭ではない・・・。実は私は昔から島津家の御家紋を見るたびに「ネジ・・・」と思っていました。
島津十字=ネジ頭と、脳内インパルスがROM化しているのでしょうか。とにかく今回も考えさせられる回でした。
次回も楽しみにしております。
ありがとうございます。
負傷した井伊直政が徳川、島津の和平交渉を仲立ちしていますが
約260年後、許された薩摩が中心となって倒幕します
家康はどのような気持ちだったのでしょうね
疑問なんですけど、関ケ原の戦いは『東軍』、『西軍』と区分されていますが
関ケ原の戦い当時はそのように区分されたりしていなかった気がします
当時はどのように区分されていて、戦の時はどうやって見分けていたのか?
旗かもしれませんが、旗が見つからなかったら?
乱戦になったら敵味方もわからないですよね
鎧とかでおおよそ区別したんだと思います。でも同士討ちあったと思いますよ。
それは普通に第二次大戦中の米軍とかもよくやってるくらいですかね。
島津豊久も父の家久同様に島津の礎となる為に命を賭けたのか……。
怪奇なさまはとても勉強されていて毎回感心しきりです。訪ねて行く場所も有名ではない所までどうやって調べるのか‥‥次回も楽しみに待っています。霊現象のようなことはいくつか体験しています。お線香をたいて浄化してみたり、ってか効果あるのかわかりませんが。
ありがとうございます。