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こうやって1000年近く後の人間に、あいつ実はいい奴だったんだよ、って言ってもらえるの嬉しいでしょうね
「大海の磯もとどろに寄する波破れて砕けて裂けて散るかも」金槐和歌集にあるこの歌の「て」の三連のリズムが好きです。三好殿が教えていた「ててててて…」を聞いてこの歌を思い出しました。
穏やかな海岸を眺めて、この海が嵐で波🌊打ちまくったならば?その想像力、タダモノに非ず。
解説ありがとうございます実朝は義時だけでなく後鳥羽上皇にもしっかりと意見を言っておりバランス感覚に優れた将軍だったようですね。また、御家人との交流もよく行っており、彼が殺された時100名余りの御家人が出家したらしいですので慕われていたんだと思います。
実朝のバックグラウンドがよくわかりました!時により 過ぐればたみの嘆きなり八大竜王 雨やめたまへ将軍にふさわしいかっこいい歌と思う
朝廷オフィシャルのベストアルバム、ハウツー本って言う表現がわかりやすいですね。歴史の授業でも、今の言葉やものに置き換えて説明すれば、今とやっていることはあまり変わりないなー、親近感が湧くなーと思うでしょうね。源平合戦や当初のゴタゴタ以外ボンヤリだった鎌倉幕府成立の頃から御成敗式目まで、今では研究されて色々はっきりしてきたことがわかり、もう一回勉強したくなりました。
鎌倉殿では前の二人と違って謙虚で大人しい感じですね似てるところと言えば自分で抱え込んでしまうところかな。
第34回?で鎌倉殿での実朝の人物像が見えてきました。私的には、純朴ではあるが、生き物や植物、自然を慈しみ、感性が豊かな人…という印象です。和田の家で鹿汁パーティー?が催された時に、和田が、仕留めた鹿に「鹿之介」と名付けて追っかけ回してた…みたいな話をしたら、一瞬ためらって、その後、「鹿之介……有難く頂きます」…と、感謝の念を口にしてました。情もあり、世の理も知り、意外と聡明なのかもしれませんね。こんな感性豊かで優しそうな人を権力争いの渦中にある将軍にしてしまうなんて、もう既に実朝が不憫に思えて仕方ありません。いずれ暗殺される結末が待っているわけですが、それまでに実朝が何を思い、どう生きて、どのような変遷を辿っていくのか…しかと見届けていきたいと思います。
今回は、タイミング良く動画アップ後、早めに視聴出来た自分に満足しながら、コメントで~す✌いつもながらですけれど、武士道さんの解説は、具体例がとても身近なものなので、歴史学習中の中高生にも、とってもわかりやすいと思います。私の中学時代の歴史の先生も、お話上手で毎回一話、学習中の人物や出来事を面白おかしく話してくれたことを思い出します。私は、それでさらに歴史が好きになりました。武士道さんは、さらに楽しく、この年になっても、教わること多く、感謝でいっぱいですよ!学校の授業の限られた時間で教わることはつまらないかもしれません。一人でも多くの小中高生がこちらのチャンネルに出会って、歴史好きになり、未来へ繋げて行ってもらいたいです。少子化で日本もいつか移民の国になってしまったら、この太古からの誇りある歴史はどうなってしまうのかと時々思うのです。
鎌倉殿の13人では頼朝、頼家と素晴らしく描かれていたので実朝にも期待ですね
和歌のベストアルバムとか分かりやすいですね
この人の歌は本物でしょ。正岡子規も小林秀雄もマジでモーツァルトのような夭折した天才と考えていたようです。
有難う御座います。
和歌文学のお話もしてくださるんですね。嬉しいです‼️🥰
確か宋に船で渡る船を作って周りからひんしゅくをかった話を聞きたいなと思いました😄実朝暗殺の謎を解説する動画を作られるはずなので楽しみです。
「宋に船で渡る船を作って」というのは、前の大河「草燃える」の第47話「幻の船」・第48話「船霊」で取り上げられていますね。実朝暗殺の前々回・前回です。
@@toyo-rex4899 なるほどそうなのですね😄勉強になります😌
相模の国の沿岸部に国際貿易港を創ろう!コレ、東照大権現徳川家康公ですら挫折し、安政の不平等条約で実現した事実。
実朝は年齢の割に落ち着いた感じでとても印象が良いですドラマで今後どんな動きをしていくのた楽しみ
「実朝スゴイ!」とミスター武士道さんは冒頭で語っていますが、それもそのはずです。百人一首におそらくは武士では唯一選ばれている(「鎌倉右大臣」として)し、12歳で将軍宣下とともに与えられた従五位を皮切りに最終的には27歳で正二位・右大臣の位階・官職を与えられていますね。鎌倉時代の武士階級でこんなにスピード出世したのは他にはおらず、同等のスピード出世した武士は室町時代・足利義満の登場を待たなければなりません。なお武士として初めて太政大臣に任じられた平清盛は27歳当時では従四位上・肥後守でしたので、実朝の出世がいかに速いかがわかります。
鎌倉殿見てると、実朝がしっかりしてきたから逆に消されたのかなって思ってしまうな
確かに、そうとも言えます。実朝以後の摂家将軍・宮将軍は、おおむね20代後半から30歳前後で将軍職を解任されてしまいますが、これは「鎌倉殿が成人して、御家人に直接指図できるようになると困る」という、北条氏の意向が大きく働いているものと思われます。
そもそも頼朝時代から坂東武者達は源氏をトップに据える気なんてなかった気がする。
@@ぬいぐるみ頭金 北条を筆頭とした坂東武者達は、幕府を「武士階級の互助組合」として運営したかったのでしょう。そのためにはトップである「鎌倉殿」はお飾りでも構わない、むしろお飾りの方がありがたい、と思っていたのでしょう。
ありがとうございます!
兄貴の末路を知ってたからこそなのかな。でも傀儡にはならんという矜恃もある。義時とは関係良かったけど、時政とは関係はそれほど良くなかったみたいですね。ドラマの源仲章は曲者過ぎるけど、どんな最期になるのやら・・・やっぱり実朝暗殺も義時の陰謀として描かれるのでしょうか?
「本歌取り」は現代の音楽風に例えると、ヒップホップ系のアーテイストが自分の楽曲に昔のR&Bをサンプリングして使うのと同じ感覚ですね。その元ネタのセレクトのセンスが問われたりします。「歌合せ」はラッパーがバトルするのと同じですね。そう考えると、これ流行のかなり最先端いってるなあ、っていうか、今800年の時を超えてトレンド巡ってると言えなくもないんですよね。
頼朝の歌が歌集に載っていたことも大河で公開して欲しかったですね。文化的な一面もあるとなると見方が変わりますからね。
幼少期からだけど実朝の将軍在位は意外と長いね。逆にドラマで引っ張ったけど、頼家在位はわずか1年。暗殺なく後継者に恵まれたら、執権政治とは異なる安定政体ができたかも。
いつも楽しみ❗❗❗❗❗❗❗❗❗❗❗❗❗❗❗
誤解があるといけないので指摘しておきます。実朝は天才です。『金槐和歌集』の実朝の和歌の少なくないいくつかは、間違いなく天才の手になる物です。くれなゐの ちしほのまふり 山の端に 日の入るときの 空にぞありけるこの歌など、天才の作以外のなにものでもありません。
あと、「見わたせば 雲居はるかに 雪白し 富士の高嶺の あけぼのの空」(『金槐和歌集』より)も加えてください。おそらく、冬の朝に鎌倉から見た、朝日に赤く照らされた空と富士山を詠んだ和歌なのでしょう。何気ない日常の風景も、実朝の手にかかれば立派な「文学作品」に昇華してしまう、実朝は本当の天才ですよ。
後鳥羽上皇に実だから実朝と名付けられ後鳥羽上皇に烏帽子親になってもらい幸先の良いスタートだからこそ実朝自身これからの鎌倉をどうするか考えていたのでは、無いでしょうか。👍😚😚😚
実朝は自分が子供に恵まれないので、後鳥羽上皇の皇子を将軍にして自分は大御所として政治を行う幕府版院政を考えていたらしい。これは政子や義時も同意しており、政子は上洛して上皇と交渉しています。つまり実朝が暗殺されなければ、承久の乱はなかったのです。
藤原定家の「百人一首選定」は時系列的にドラマ内の描写が可能なのでしょうか?
5:42あたりに女性の人の笑い声が聞こえる・・・・・スタッフさんかな?実朝は和歌だけでなく、関東で旱魃が発生した際には減税政策などを実施したりしています。義時の家人を御家人への採用拒否が、元寇後の得宗家の御内人台頭の萌芽とみると面白いです。
世の中はつねにもがもななぎさこぐあまの小舟の綱手かなしも…実朝は平和な時代に生まれて、もっと才能を広げてほしかったです。
実朝が平和な時代に生きた将軍なら、江戸時代の徳川吉宗みたいな「名君」になっていたのではないでしょうか?生まれた時代が悪すぎました。
後に源実朝の和歌の師匠でもあった藤原定家がプロデュースした「小倉百人一首」に選ばれた句です。「小倉百人一首」では源実朝は「鎌倉右大臣」と紹介されています。
実朝の有能の兆しがあれば有るほど、(ドラマ的には)比企の尼の呪詛が生きてこようもん。
実朝は単に操られていたというより、操られようとしている現状を良しとせず、京とのパイプや教養という自分の武器を使ってパワーバランスを調整しようとしていたのかなーという印象です。(無意識のうちにかもしれないけど。)
まさにそれですね。後鳥羽上皇が無血=戦なしで鎌倉幕府を朝廷に取り込もうとしているのを、実朝がそれを利用して幕府、ひいては武士そのものの権威を高めようとしていたのではないでしょうか?簡単に言えば、都の人々が連想する鎌倉を「ボロ家」(前放映回で後鳥羽上皇が作ったジオラマにて、鎌倉を「富士山の近くにあるボロ家」と表現していた)から「豪邸が立ち並ぶ武士の都」にしようと思ったのでしょう。そう考えると、実朝は単なる「無能のお飾り」ではなく「頭の回転が速い人間」なのだと思います。
@@toyo-rex4899 なるほどー。この時代の情報量だと、一般の御家人たちは都から鎌倉がどう見られているかもあまり想像できてなかったかもしれないですよね。実朝が長生きしたら史実とは異なる京と鎌倉の共存の仕方もあったのかもしれないですね。
歌の談義ってラップバトルみたいなノリ?
1211年ごろに方丈記を書いた鴨長明が実朝と面会して、和歌について話しているそうです。
和歌や蹴鞠が政の必須ツールだったってことが坂東の御家人には理解できない人もいたんかな
頼家の近習たちが蹴鞠の練習をしていた際、泰時は「こんなのやって役に立つのか。弓や乗馬が武士のやるべきことなのでは?」と懐疑的な態度をとっていましたね。それが普通の「坂東武者」が考えることなのでしょう。
個人的には鎌倉幕府の安定期は源実朝の治世だと思ってます。
頼家同様、実朝のステレオタイプのイメージが覆りました!動画や皆様のコメントから実朝って和歌の才能が素晴らしいんだなと思いました!頼家の仲良し連中でうぇーってやる蹴鞠はフットサル?実朝主催の蹴鞠や和歌は交流試合でしょうか?頼家も実朝も実力、能力を存分に発揮出来れば良かったですね。余りに御家人同士が殺し合い過ぎた😭。
「歌合」今で言う「ラップバトル」ですかね⁉️「本歌取り」今で言う「サンプリング」ですかね⁉️⁉️藤原定家って、むしろ百人一首を選定したのが一番有名なのでは⁉️⁉️
個人的に今の藤原定家は小田和正さんや山下達郎さんや桑田佳祐さんとか…
「和歌集」ってなんなのかよく分からないのですが、自分だけで作るのか、みんなに作ってもらって自分は「編集長」になるのか。いつか解説していただきたいです。
私は今回のドラマでしか知らないのですが、頼家は顔立ちも気性も政子似で、実朝は頼朝に似てるんだと思います。実朝の慎重で、廻りをよく見ていて、感性が豊かなところ。┅┅女好きだけは受け継がんで本当に良かった😮💨
実朝は、兄の頼家とは違ってアワビはあまり好きではなさそう。むしろキノコが好物なのだと思います。
実朝さん、子供作りたくないでしょうね。生まれてもすぐ殺されると思うと。
新たな実朝像を知ることが出来ました!和歌に興じる軟弱なイメージでしたが、発見でした。実朝繋がりで、公暁の詳細解説動画もお願いします。公暁の墓ってどこにも無いんでよね。その辺の謎も知りたいです。
本歌取り…今のところはカバー曲というものですか?
リミックスですかねぇ
静御前が鎌倉で舞った時に謳った二首も本歌取りです。二首共に古今和歌集の中にある和歌の本家取りです。
実朝の無念を秘めし大銀杏、春の嵐に命散るらむ。
三浦に毅然と対応してたことが後の結末に繋がってしまった可能性もありますか……
義村黒幕説もありましたね。現在では単独犯説が有力だそうです。
大河ドラマを見ましたが、北条義時は完全に頼朝になって来ましたし、主君の実朝にも政治家に口を出すなと言っていましたし、主君の実朝にそんな事を言っていいのか?って思いましたね。これでは実朝は操り人形ですね、実朝が可哀想に感じですよね。実朝が信頼できる人がいたら実朝を暗殺は防げたし義時の為にやるのではなく主君に実朝も守るならならまだいいほうですね。
秋元康に作詞習うようなもの?かなぁ。
誰と一緒にしとんねんw
実朝=和歌&暗○ってイメージでしたクセのある人物でも完全な悪は作らないそんな三谷さんが実朝をどのように描いたのか楽しみです仲章がなぜあの場にいたのかも含めて
実朝は全然暗○ではないですよ。暗殺されずに50歳60歳まで生き永らえれば、おそらく平清盛や足利義満と同じく「太政大臣」に任ぜられたと思います。それに比例する形で御家人の位階・官職も底上げされたことと思います。ただ、幕府が朝廷に飲み込まれて自然消滅する可能性もあったかと思いますので、実朝の存在は幕府=武家政権にとっては「諸刃の剣」となったことでしょう。なので、実朝は「幕府の存続を危うくする存在」として北条によって「消された」のだと思います。実朝暗殺の直前に右大臣就任拝賀の先導役を任されていた義時が「おなかが痛い(仮病)」と先導役を辞して、代役として源仲章を立てますが、これは「実朝と一緒に側近の仲章も消す」という北条の策略だと思います。
@@toyo-rex4899 さん暗君じゃなく暗殺って意味での暗○だったんですけど……(苦笑)
@@はらぼー-g6z そうだったんですね。これは失礼いたしました。暗君だと勘違いして、反論のコメントを長々と入れたことをお詫び申し上げます。暗君なら、実朝よりも兄の頼家がふさわしいかと思いました。
@@toyo-rex4899 さんいえいえこちらこそ紛らわしくて申し訳ありません私も頼家は暗君のイメージありますが最期まで魅力的な人物に描いた今作実朝をどのように描いたのか期待は高まりますねあと平賀を煽動した曲者仲章が義時の腹痛に騙されるとは思えないんだよなぁ~
5:41 誰の笑い声?
結構頑張り屋で、感性豊かな青年だったのですね。もう少し安定した時代に生き、好きな文芸に励めると良かったのに、あんな騒乱に巻き込まれ、命を落としてしまったのが、気の毒です。
頼家推しには申し訳ないですが2代目をこの人にして早く世継ぎを産ませてたら源氏の将軍は3代で途絶えなかったかも😥
北条ヶ ノサバッテルから無理 北条ヲ追放シナイ限りハ
@@ゲトリクスうぇるきん 九郎殿と蒲殿が御存命なら😢
@@黒狐-t8l それはそれで仲違いの原因になりかねない。
@@ヘイセイ-f2l 義経公ニハ 野心、謀反ノ意志ハ 微塵も無い。モシ 野心家ナラ 平家討伐後 鎌倉に攻め入り 頼朝ハ打ち首?生け捕り不回避 従わない者は 皆殺しダロ。ソシテ 己が将軍にナっタだろうね。
@@ヘイセイ-f2l ひょっとしたら頼朝派閥が倒されて新しい棟梁が出たりする可能性もありそうですね…
ひかりマンか?
こうやって1000年近く後の人間に、あいつ実はいい奴だったんだよ、って言ってもらえるの嬉しいでしょうね
「大海の磯もとどろに寄する波破れて砕けて裂けて散るかも」
金槐和歌集にあるこの歌の「て」の三連のリズムが好きです。
三好殿が教えていた「ててててて…」を聞いてこの歌を思い出しました。
穏やかな海岸を眺めて、この海が嵐で波🌊打ちまくったならば?
その想像力、タダモノに非ず。
解説ありがとうございます
実朝は義時だけでなく後鳥羽上皇にもしっかりと意見を言っておりバランス感覚に優れた将軍だったようですね。
また、御家人との交流もよく行っており、彼が殺された時100名余りの御家人が出家したらしいですので慕われていたんだと思います。
実朝のバックグラウンドがよくわかりました!
時により 過ぐればたみの嘆きなり
八大竜王 雨やめたまへ
将軍にふさわしいかっこいい歌と思う
朝廷オフィシャルのベストアルバム、ハウツー本って言う表現がわかりやすいですね。歴史の授業でも、今の言葉やものに置き換えて説明すれば、今とやっていることはあまり変わりないなー、親近感が湧くなーと思うでしょうね。
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鎌倉殿では前の二人と違って謙虚で大人しい感じですね
似てるところと言えば自分で抱え込んでしまうところかな。
第34回?で鎌倉殿での実朝の人物像が見えてきました。
私的には、純朴ではあるが、生き物や植物、自然を慈しみ、感性が豊かな人…という印象です。
和田の家で鹿汁パーティー?が催された時に、和田が、仕留めた鹿に「鹿之介」と名付けて追っかけ回してた…みたいな話をしたら、一瞬ためらって、その後、「鹿之介……有難く頂きます」…と、感謝の念を口にしてました。
情もあり、世の理も知り、意外と聡明なのかもしれませんね。
こんな感性豊かで優しそうな人を権力争いの渦中にある将軍にしてしまうなんて、もう既に実朝が不憫に思えて仕方ありません。
いずれ暗殺される結末が待っているわけですが、それまでに実朝が何を思い、どう生きて、どのような変遷を辿っていくのか…しかと見届けていきたいと思います。
今回は、タイミング良く動画アップ後、早めに視聴出来た自分に満足しながら、コメントで~す✌
いつもながらですけれど、武士道さんの解説は、具体例がとても身近なものなので、歴史学習中の中高生にも、とってもわかりやすいと思います。私の中学時代の歴史の先生も、お話上手で毎回一話、学習中の人物や出来事を面白おかしく話してくれたことを思い出します。私は、それでさらに歴史が好きになりました。武士道さんは、さらに楽しく、この年になっても、教わること多く、感謝でいっぱいですよ!
学校の授業の限られた時間で教わることはつまらないかもしれません。一人でも多くの小中高生がこちらのチャンネルに出会って、歴史好きになり、未来へ繋げて行ってもらいたいです。少子化で日本もいつか移民の国になってしまったら、この太古からの誇りある歴史はどうなってしまうのかと時々思うのです。
鎌倉殿の13人では頼朝、頼家と素晴らしく描かれていたので実朝にも期待ですね
和歌のベストアルバムとか分かりやすいですね
この人の歌は本物でしょ。正岡子規も小林秀雄もマジでモーツァルトのような夭折した天才と考えていたようです。
有難う御座います。
和歌文学のお話もしてくださるんですね。嬉しいです‼️🥰
確か宋に船で渡る船を作って周りからひんしゅくをかった話を聞きたいなと思いました😄
実朝暗殺の謎を解説する動画を作られるはずなので楽しみです。
「宋に船で渡る船を作って」というのは、前の大河「草燃える」の第47話「幻の船」・第48話「船霊」で取り上げられていますね。実朝暗殺の前々回・前回です。
@@toyo-rex4899
なるほどそうなのですね😄勉強になります😌
相模の国の沿岸部に国際貿易港を創ろう!
コレ、東照大権現徳川家康公ですら挫折し、安政の不平等条約で実現した事実。
実朝は年齢の割に落ち着いた感じでとても印象が良いです
ドラマで今後どんな動きをしていくのた楽しみ
「実朝スゴイ!」とミスター武士道さんは冒頭で語っていますが、それもそのはずです。
百人一首におそらくは武士では唯一選ばれている(「鎌倉右大臣」として)し、12歳で将軍宣下とともに与えられた従五位を皮切りに最終的には27歳で正二位・右大臣の位階・官職を与えられていますね。鎌倉時代の武士階級でこんなにスピード出世したのは他にはおらず、同等のスピード出世した武士は室町時代・足利義満の登場を待たなければなりません。
なお武士として初めて太政大臣に任じられた平清盛は27歳当時では従四位上・肥後守でしたので、実朝の出世がいかに速いかがわかります。
鎌倉殿見てると、実朝がしっかりしてきたから逆に消されたのかなって思ってしまうな
確かに、そうとも言えます。
実朝以後の摂家将軍・宮将軍は、おおむね20代後半から30歳前後で将軍職を解任されてしまいますが、これは「鎌倉殿が成人して、御家人に直接指図できるようになると困る」という、北条氏の意向が大きく働いているものと思われます。
そもそも頼朝時代から坂東武者達は源氏をトップに据える気なんてなかった気がする。
@@ぬいぐるみ頭金 北条を筆頭とした坂東武者達は、幕府を「武士階級の互助組合」として運営したかったのでしょう。そのためにはトップである「鎌倉殿」はお飾りでも構わない、むしろお飾りの方がありがたい、と思っていたのでしょう。
ありがとうございます!
兄貴の末路を知ってたからこそなのかな。でも傀儡にはならんという矜恃もある。
義時とは関係良かったけど、時政とは関係はそれほど良くなかったみたいですね。
ドラマの源仲章は曲者過ぎるけど、どんな最期になるのやら・・・
やっぱり実朝暗殺も義時の陰謀として描かれるのでしょうか?
「本歌取り」は現代の音楽風に例えると、ヒップホップ系のアーテイストが自分の楽曲に昔のR&Bをサンプリングして使うのと同じ感覚ですね。その元ネタのセレクトのセンスが問われたりします。
「歌合せ」はラッパーがバトルするのと同じですね。
そう考えると、これ流行のかなり最先端いってるなあ、っていうか、今800年の時を超えてトレンド巡ってると言えなくもないんですよね。
頼朝の歌が歌集に載っていたことも大河で公開して欲しかったですね。
文化的な一面もあるとなると見方が変わりますからね。
幼少期からだけど実朝の将軍在位は意外と長いね。逆にドラマで引っ張ったけど、頼家在位はわずか1年。暗殺なく後継者に恵まれたら、執権政治とは異なる安定政体ができたかも。
いつも楽しみ❗❗❗❗❗❗❗❗❗❗❗❗❗❗❗
誤解があるといけないので指摘しておきます。実朝は天才です。『金槐和歌集』の実朝の和歌の少なくないいくつかは、間違いなく天才の手になる物です。
くれなゐの ちしほのまふり 山の端に 日の入るときの 空にぞありける
この歌など、天才の作以外のなにものでもありません。
あと、「見わたせば 雲居はるかに 雪白し 富士の高嶺の あけぼのの空」(『金槐和歌集』より)も加えてください。おそらく、冬の朝に鎌倉から見た、朝日に赤く照らされた空と富士山を詠んだ和歌なのでしょう。何気ない日常の風景も、実朝の手にかかれば立派な「文学作品」に昇華してしまう、実朝は本当の天才ですよ。
後鳥羽上皇に実だから実朝と名付けられ後鳥羽上皇に烏帽子親になってもらい幸先の良いスタートだからこそ実朝自身これからの鎌倉をどうするか考えていたのでは、無いでしょうか。👍😚😚😚
実朝は自分が子供に恵まれないので、後鳥羽上皇の皇子を将軍にして自分は大御所として政治を行う幕府版院政を考えていたらしい。これは政子や義時も同意しており、政子は上洛して上皇と交渉しています。つまり実朝が暗殺されなければ、承久の乱はなかったのです。
藤原定家の「百人一首選定」は時系列的にドラマ内の描写が可能なのでしょうか?
5:42あたりに女性の人の笑い声が聞こえる・・・・・
スタッフさんかな?
実朝は和歌だけでなく、関東で旱魃が発生した際には減税政策などを実施したりしています。
義時の家人を御家人への採用拒否が、元寇後の得宗家の御内人台頭の萌芽とみると面白いです。
世の中はつねにもがもななぎさこぐ
あまの小舟の綱手かなしも…
実朝は平和な時代に生まれて、もっと才能を広げてほしかったです。
実朝が平和な時代に生きた将軍なら、江戸時代の徳川吉宗みたいな「名君」になっていたのではないでしょうか?生まれた時代が悪すぎました。
後に源実朝の和歌の師匠でもあった藤原定家がプロデュースした「小倉百人一首」に選ばれた句です。「小倉百人一首」では源実朝は「鎌倉右大臣」と紹介されています。
実朝の有能の兆しがあれば有るほど、
(ドラマ的には)
比企の尼の呪詛が生きてこようもん。
実朝は単に操られていたというより、操られようとしている現状を良しとせず、京とのパイプや教養という自分の武器を使ってパワーバランスを調整しようとしていたのかなーという印象です。(無意識のうちにかもしれないけど。)
まさにそれですね。
後鳥羽上皇が無血=戦なしで鎌倉幕府を朝廷に取り込もうとしているのを、実朝がそれを利用して幕府、ひいては武士そのものの権威を高めようとしていたのではないでしょうか?簡単に言えば、都の人々が連想する鎌倉を「ボロ家」(前放映回で後鳥羽上皇が作ったジオラマにて、鎌倉を「富士山の近くにあるボロ家」と表現していた)から「豪邸が立ち並ぶ武士の都」にしようと思ったのでしょう。
そう考えると、実朝は単なる「無能のお飾り」ではなく「頭の回転が速い人間」なのだと思います。
@@toyo-rex4899 なるほどー。この時代の情報量だと、一般の御家人たちは都から鎌倉がどう見られているかもあまり想像できてなかったかもしれないですよね。
実朝が長生きしたら史実とは異なる京と鎌倉の共存の仕方もあったのかもしれないですね。
歌の談義ってラップバトルみたいなノリ?
1211年ごろに方丈記を書いた鴨長明が実朝と面会して、和歌について話しているそうです。
和歌や蹴鞠が政の必須ツールだったってことが坂東の御家人には理解できない人もいたんかな
頼家の近習たちが蹴鞠の練習をしていた際、泰時は「こんなのやって役に立つのか。弓や乗馬が武士のやるべきことなのでは?」と懐疑的な態度をとっていましたね。それが普通の「坂東武者」が考えることなのでしょう。
個人的には鎌倉幕府の安定期は源実朝の治世だと思ってます。
頼家同様、実朝のステレオタイプのイメージが覆りました!動画や皆様のコメントから実朝って和歌の才能が素晴らしいんだなと思いました!頼家の仲良し連中でうぇーってやる蹴鞠はフットサル?実朝主催の蹴鞠や和歌は交流試合でしょうか?頼家も実朝も実力、能力を存分に発揮出来れば良かったですね。余りに御家人同士が殺し合い過ぎた😭。
「歌合」今で言う「ラップバトル」ですかね⁉️
「本歌取り」今で言う「サンプリング」ですかね⁉️⁉️
藤原定家って、むしろ百人一首を選定したのが一番有名なのでは⁉️⁉️
個人的に今の藤原定家は小田和正さんや山下達郎さんや桑田佳祐さんとか…
「和歌集」ってなんなのかよく分からないのですが、自分だけで作るのか、みんなに作ってもらって自分は「編集長」になるのか。いつか解説していただきたいです。
私は今回のドラマでしか知らないのですが、頼家は顔立ちも気性も政子似で、実朝は頼朝に似てるんだと思います。実朝の慎重で、廻りをよく見ていて、感性が豊かなところ。┅┅女好きだけは受け継がんで本当に良かった😮💨
実朝は、兄の頼家とは違ってアワビはあまり好きではなさそう。
むしろキノコが好物なのだと思います。
実朝さん、子供作りたくないでしょうね。生まれてもすぐ殺されると思うと。
新たな実朝像を知ることが出来ました!和歌に興じる軟弱なイメージでしたが、発見でした。
実朝繋がりで、公暁の詳細解説動画もお願いします。公暁の墓ってどこにも無いんでよね。その辺の謎も知りたいです。
本歌取り…今のところはカバー曲というものですか?
リミックスですかねぇ
静御前が鎌倉で舞った時に謳った二首も本歌取りです。
二首共に古今和歌集の中にある和歌の本家取りです。
実朝の無念を秘めし大銀杏、春の嵐に命散るらむ。
三浦に毅然と対応してたことが後の結末に繋がってしまった可能性もありますか……
義村黒幕説もありましたね。現在では単独犯説が有力だそうです。
大河ドラマを見ましたが、北条義時は完全に頼朝になって来ましたし、主君の実朝にも政治家に口を出すなと言っていましたし、主君の実朝にそんな事を言っていいのか?って思いましたね。これでは実朝は操り人形ですね、実朝が可哀想に感じですよね。実朝が信頼できる人がいたら実朝を暗殺は防げたし義時の為にやるのではなく主君に実朝も守るならならまだいいほうですね。
秋元康に作詞習うようなもの?かなぁ。
誰と一緒にしとんねんw
実朝=和歌&暗○
ってイメージでした
クセのある人物でも
完全な悪は作らない
そんな三谷さんが実朝を
どのように描いたのか楽しみです
仲章がなぜあの場にいたのかも含めて
実朝は全然暗○ではないですよ。
暗殺されずに50歳60歳まで生き永らえれば、おそらく平清盛や足利義満と同じく「太政大臣」に任ぜられたと思います。それに比例する形で御家人の位階・官職も底上げされたことと思います。ただ、幕府が朝廷に飲み込まれて自然消滅する可能性もあったかと思いますので、実朝の存在は幕府=武家政権にとっては「諸刃の剣」となったことでしょう。
なので、実朝は「幕府の存続を危うくする存在」として北条によって「消された」のだと思います。実朝暗殺の直前に右大臣就任拝賀の先導役を任されていた義時が「おなかが痛い(仮病)」と先導役を辞して、代役として源仲章を立てますが、これは「実朝と一緒に側近の仲章も消す」という北条の策略だと思います。
@@toyo-rex4899 さん
暗君じゃなく暗殺って意味での
暗○だったんですけど……(苦笑)
@@はらぼー-g6z そうだったんですね。
これは失礼いたしました。
暗君だと勘違いして、反論のコメントを長々と入れたことをお詫び申し上げます。暗君なら、実朝よりも兄の頼家がふさわしいかと思いました。
@@toyo-rex4899 さん
いえいえ
こちらこそ紛らわしくて
申し訳ありません
私も頼家は暗君のイメージありますが
最期まで魅力的な人物に描いた今作
実朝をどのように描いたのか
期待は高まりますね
あと平賀を煽動した曲者仲章が
義時の腹痛に騙されるとは
思えないんだよなぁ~
5:41 誰の笑い声?
結構頑張り屋で、感性豊かな青年だったのですね。もう少し安定した時代に生き、好きな文芸に励めると良かったのに、あんな騒乱に巻き込まれ、命を落としてしまったのが、気の毒です。
頼家推しには申し訳ないですが2代目をこの人にして早く世継ぎを産ませてたら源氏の将軍は3代で途絶えなかったかも😥
北条ヶ ノサバッテルから
無理 北条ヲ追放シナイ限りハ
@@ゲトリクスうぇるきん 九郎殿と蒲殿が御存命なら😢
@@黒狐-t8l それはそれで仲違いの原因になりかねない。
@@ヘイセイ-f2l 義経公ニハ 野心、謀反ノ意志ハ 微塵も無い。
モシ 野心家ナラ 平家討伐後 鎌倉に攻め入り 頼朝ハ打ち首?生け捕り不回避 従わない者は 皆殺しダロ。
ソシテ 己が将軍にナっタだろうね。
@@ヘイセイ-f2l ひょっとしたら頼朝派閥が倒されて新しい棟梁が出たりする可能性もありそうですね…
ひかりマンか?