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「コンクリートが固すぎたんです」が面白すぎる
キリコ毎晩楽しみに聴講しています。皆様方のご尽力に感謝しています。
有名な203髙地の話楽しみにしてます!
こういう情報をタダ同然で発信して下さる懐の広さだったり、なんか新しくて斬新な番組というか…。皆さんの事すごく応援したいですし大好きですd(`・∀・)b(特に深井さん樋口さん)
映画は203(にまるさん)高地ではなく、二百三(にひゃくさん)高地ですね。
来たぞ日露戦争陸戦のクライマックス!!
司馬遼太郎好きだけど、世代にはそのせいで乃木・伊地知コンビが蛇蝎の如く嫌われてて不憫だよな。正直坂の上の雲読んでるとほんとにキレそうになるし笑
歴史を語る上でまず初歩の当然の事ですが、現代からみて当時の事を批判はできないです。結果も情報もほとんどわかっている現代人から見たら、おかしいっていうのはわかりきってるからですね。それでも作戦を203高地に移した、これは普通はできない。なぜなら今まで死んだ兵は無駄死にだったのかと誰しもが思うからです。維新後の歴史から学べる事があるとすれば、日本人の性質というのは第二次世界大戦で負けてすら全く変わってない、と言う事だと思います。
いつも楽しく見させてもらっているのですが、いまいち地形が頭の中に入ってきません。できましたら正面のガラス張り部分に手書きでも何でもかまいませんので、模造紙かなんかで地図を書いて頂けませんでしょうか。今までは通勤時間帯にポッドキャストで聞いていましたが、最近退職し家のテレビのRUclipsで見るようになりました。皆様のお顔と声は見聞できますが、正直ポッドキャストで聞いているときとビジュアル的にあまり変わりません。折角大画面で見させて頂いてますので是非御一考頂ければと思います。最近、毎日が日曜日になったシニアより。
質問「その時歴史が動いた」(※)で見たのですが、第一次総攻撃の時に南山坡山を占領し、そこからロシア艦隊を28サンチ砲で7日間砲撃し、第三軍の報告によればこれにより戦艦三隻が運動能力を喪失したんですよね。更に同報告によればその後もロシア戦艦が次々と戦闘能力を喪失し、ロシア艦隊は死角となる山陰(やまかげ)に隠れたんですよね。それでも尚第三軍は艦隊への砲撃を継続したんですよね。そして、ロシア兵捕虜から旅順艦隊主力が弾薬、火薬を撤去し、砲も陸上砲に転用し、水兵も陸戦隊に編成されたという証言を得るんですよね。そして、乃木希典大将は旅順艦隊が戦闘能力を喪失したと判断し、これを直ちに報告したんですよね。推察するに第三軍は前期山陰で死角になる面積からして何発撃てば確率論的に敵艦に致命傷を負わせるだけの砲弾を命中させられるかを計算していたんだと思うんです。そして、前期捕虜証言か補強証拠となり、乃木大将は大本営に旅順艦隊壊滅状態の報告をしたんだと思うんです。しかし、右報告にも関わらず海軍は二百三高地の占領を要請したんですよね。しかも陸軍参謀総長もこれを容れた。ここで質問なんですが、乃木大将の情報判断は前期の通り合理的であり、信頼性が高いものであるにも関わらず、何故乃木希典大将の情報判断は信用されなかったのでしょう。※ ruclips.net/video/ci7SnIdFxKA/видео.html
西南の役緒戦の植木の戦い以来近代戦を誰よりも理解した知将砲兵の巨人の伊地知幸介を得て難攻不落の世界史に残る巨塞を最小の犠牲で陥落させた大将軍
二百三高地を落としても見えない死角に艦艇は逃げ込んだ緒戦からのめくら撃ちでも旅順艦隊は被害甚大で、運べる砲は総て要塞に移して艦隊としての実態はなかったとにかく攻撃しろとの催促に応え歩兵の吶喊で第一次攻撃の犠牲を観て即座に止めた乃木の決断は最適だった
コンドラチェンコの勇戦を利用して消耗戦を仕掛け要塞戦力をすり減らした作戦指導のアイディアは誰の発案だったか?
結局、正面の望台陣地が落ちるまで旅順要塞は持ち堪えた最初から正面陣地攻撃を主張した第三軍は正しかった第一次攻撃失敗の後、従来主張していた砲撃しつつ塹壕を掘削しての正攻法や後半の爆薬を仕掛け爆発破壊する方法を大本営や満州軍司令部に認めさせた乃木や伊地知は正しかった
世界史上初めての近代要塞を短期間に最小の負傷者で落としたのは乃木希典と伊地知幸介という近代戦を知り尽くした二人の名将をセットにした事が可能にしたのである。
「その時歴史が動いた」(※)でもやっていましたね。第一次総攻撃の時に南山坡山を占領し、そこからロシア艦隊を28サンチ砲で7日間砲撃し、第三軍の報告によればこれにより戦艦三隻が運動能力を喪失したんですよね。更に同報告によればその後もロシア戦艦が次々と戦闘能力を喪失し、ロシア艦隊は死角となる山陰(やまかげ)に隠れたんですよね。それでも尚第三軍は艦隊への砲撃を継続したんですよね。そして、ロシア兵捕虜から旅順艦隊主力が弾薬、火薬を撤去し、砲も陸上砲に転用し、水兵も陸戦隊に編成されたという証言を得るんですよね。そして、乃木希典大将は旅順艦隊が戦闘能力を喪失したと判断し、これを直ちに報告したんですよね。推察するに第三軍は前期山陰で死角になる面積からして何発撃てば確率論的に敵艦に致命傷を負わせるだけの砲弾を命中させられるかを計算していたんだと思うんです。そして、前期捕虜証言か補強証拠となり、乃木大将は大本営に旅順艦隊壊滅状態の報告をしたんだと思うんです。しかし、右報告にも関わらず海軍は二百三高地の占領を要請したんですよね。しかも陸軍参謀総長もこれを容れた。しかも明治天皇が二百三高地占領を優先するという裁可を与える始末です。何故海軍や山県有朋は乃木大将の右の如き合理的な情報判断を信用しなかったのでしょうか。『孫子』謀攻篇でも「君之所以患於軍者三不知軍之不可以進而謂之進不知軍之不可以退而謂之退是謂縻軍不知三軍之事而同三軍之政者則軍士惑矣不知三軍之權而同三軍之任則軍士疑矣」と君主が指揮官に嘴を挟むことを固く戒めていますよね。ruclips.net/video/ci7SnIdFxKA/видео.html
「コンクリートが固すぎたんです」が面白すぎる
キリコ毎晩楽しみに聴講しています。皆様方のご尽力に感謝しています。
有名な203髙地の話楽しみにしてます!
こういう情報をタダ同然で発信して下さる懐の広さだったり、なんか新しくて斬新な番組というか…。
皆さんの事すごく応援したいですし大好きですd(`・∀・)b(特に深井さん樋口さん)
映画は203(にまるさん)高地ではなく、二百三(にひゃくさん)高地ですね。
来たぞ日露戦争陸戦のクライマックス!!
司馬遼太郎好きだけど、世代にはそのせいで乃木・伊地知コンビが蛇蝎の如く嫌われてて不憫だよな。正直坂の上の雲読んでるとほんとにキレそうになるし笑
歴史を語る上でまず初歩の当然の事ですが、現代からみて当時の事を批判はできないです。
結果も情報もほとんどわかっている現代人から見たら、おかしいっていうのはわかりきってるからですね。
それでも作戦を203高地に移した、これは普通はできない。なぜなら今まで死んだ兵は無駄死にだったのかと誰しもが思うからです。
維新後の歴史から学べる事があるとすれば、日本人の性質というのは第二次世界大戦で負けてすら全く変わってない、と言う事だと思います。
いつも楽しく見させてもらっているのですが、いまいち地形が頭の中に入ってきません。できましたら正面のガラス張り部分に手書きでも何でもかまいませんので、模造紙かなんかで地図を書いて頂けませんでしょうか。
今までは通勤時間帯にポッドキャストで聞いていましたが、最近退職し家のテレビのRUclipsで見るようになりました。皆様のお顔と声は見聞できますが、正直ポッドキャストで聞いているときとビジュアル的にあまり変わりません。
折角大画面で見させて頂いてますので是非御一考頂ければと思います。
最近、毎日が日曜日になったシニアより。
質問
「その時歴史が動いた」(※)で見たのですが、第一次総攻撃の時に南山坡山を占領し、そこからロシア艦隊を28サンチ砲で7日間砲撃し、第三軍の報告によればこれにより戦艦三隻が運動能力を喪失したんですよね。更に同報告によればその後もロシア戦艦が次々と戦闘能力を喪失し、ロシア艦隊は死角となる山陰(やまかげ)に隠れたんですよね。それでも尚第三軍は艦隊への砲撃を継続したんですよね。そして、ロシア兵捕虜から旅順艦隊主力が弾薬、火薬を撤去し、砲も陸上砲に転用し、水兵も陸戦隊に編成されたという証言を得るんですよね。そして、乃木希典大将は旅順艦隊が戦闘能力を喪失したと判断し、これを直ちに報告したんですよね。
推察するに第三軍は前期山陰で死角になる面積からして何発撃てば確率論的に敵艦に致命傷を負わせるだけの砲弾を命中させられるかを計算していたんだと思うんです。そして、前期捕虜証言か補強証拠となり、乃木大将は大本営に旅順艦隊壊滅状態の報告をしたんだと思うんです。
しかし、右報告にも関わらず海軍は二百三高地の占領を要請したんですよね。しかも陸軍参謀総長もこれを容れた。
ここで質問なんですが、乃木大将の情報判断は前期の通り合理的であり、信頼性が高いものであるにも関わらず、何故乃木希典大将の情報判断は信用されなかったのでしょう。
※ ruclips.net/video/ci7SnIdFxKA/видео.html
西南の役緒戦の植木の戦い以来
近代戦を誰よりも理解した知将
砲兵の巨人の伊地知幸介を得て
難攻不落の世界史に残る巨塞を
最小の犠牲で陥落させた大将軍
二百三高地を落としても見えない死角に艦艇は逃げ込んだ
緒戦からのめくら撃ちでも旅順艦隊は被害甚大で、
運べる砲は総て要塞に移して艦隊としての実態はなかった
とにかく攻撃しろとの催促に応え歩兵の吶喊で第一次攻撃の犠牲を観て
即座に止めた乃木の決断は最適だった
コンドラチェンコの勇戦を利用して消耗戦を仕掛け要塞戦力をすり減らした作戦指導のアイディアは誰の発案だったか?
結局、正面の望台陣地が落ちるまで旅順要塞は持ち堪えた
最初から正面陣地攻撃を主張した第三軍は正しかった
第一次攻撃失敗の後、従来主張していた砲撃しつつ塹壕を掘削しての正攻法や
後半の爆薬を仕掛け爆発破壊する方法を大本営や満州軍司令部に認めさせた乃木や伊地知は正しかった
世界史上初めての近代要塞を短期間に最小の負傷者で落としたのは
乃木希典と伊地知幸介という近代戦を知り尽くした二人の名将をセットにした事が可能にしたのである。
「その時歴史が動いた」(※)でもやっていましたね。
第一次総攻撃の時に南山坡山を占領し、そこからロシア艦隊を28サンチ砲で7日間砲撃し、第三軍の報告によればこれにより戦艦三隻が運動能力を喪失したんですよね。更に同報告によればその後もロシア戦艦が次々と戦闘能力を喪失し、ロシア艦隊は死角となる山陰(やまかげ)に隠れたんですよね。それでも尚第三軍は艦隊への砲撃を継続したんですよね。そして、ロシア兵捕虜から旅順艦隊主力が弾薬、火薬を撤去し、砲も陸上砲に転用し、水兵も陸戦隊に編成されたという証言を得るんですよね。そして、乃木希典大将は旅順艦隊が戦闘能力を喪失したと判断し、これを直ちに報告したんですよね。
推察するに第三軍は前期山陰で死角になる面積からして何発撃てば確率論的に敵艦に致命傷を負わせるだけの砲弾を命中させられるかを計算していたんだと思うんです。そして、前期捕虜証言か補強証拠となり、乃木大将は大本営に旅順艦隊壊滅状態の報告をしたんだと思うんです。
しかし、右報告にも関わらず海軍は二百三高地の占領を要請したんですよね。しかも陸軍参謀総長もこれを容れた。しかも明治天皇が二百三高地占領を優先するという裁可を与える始末です。
何故海軍や山県有朋は乃木大将の右の如き合理的な情報判断を信用しなかったのでしょうか。
『孫子』謀攻篇でも「君之所以患於軍者三不知軍之不可以進而謂之進不知軍之不可以退而謂之退是謂縻軍不知三軍之事而同三軍之政者則軍士惑矣不知三軍之權而同三軍之任則軍士疑矣」と君主が指揮官に嘴を挟むことを固く戒めていますよね。
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