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黒田官兵衛が秀吉の傘下に入ったところあんまり詳しくなかったので、とても勉強になりました!ありがとうございます
黒田官兵衛が一番好きです。とても分かりやすかったです。ありがとうございます。
黒田官兵衛!!まってました!!
半兵衛が匿ったお陰で黒田長政は後の世で活躍出来たんですよね。半兵衛の子、重門と長政は親交深かったようです。
西軍に、つこうとしていた重門を説得したらしいですね。
@@黒田松寿丸 さん重門のお父さんに、命を救われた長政、今度は私の番だと、必死に説得したんでしょうね。結果重門の命が、救われた。泣けるね~❗
「如水に野心があったら」と多くの人の願望が創った西上話だけど、そんな夢を見させてくれる所が魅力だろう。実際は徳川政権下での黒田家の立場を上げることに徹していたと考えられる。(ちなみに有岡城幽閉も伝えられるほど過酷ではなかったとの説もある)
家康は長政の功労に自らその手をとって感謝したのを官兵衛へ話した際に官兵衛が「その時、お前の左手は何をしていた?」という逸話があるけど、普通に考えて家康を刺し殺していても周りの家康家臣団に唯一の跡取りである長政が殺されていた可能性があり、わざわざ黒田家を危機に陥れるようなことを言うとは考え難い。
@@ultimategarbage9797 さん官兵衛は、本心から言ったのでは無く、自分がそう言ったと家康の耳に入れば、長政を警戒することは、無いだろうという思惑があったのです。自分は、秀吉に警戒されましたからねえ。
官兵衛様、あなたしか愛しません!大河ドラマ「軍師官兵衛」を見てから好きになりました・・・・。LOVE!
官兵衛が反旗を翻したとして、松寿丸(黒田長政)の首を刎ねるよう命じてますが、後にそれが勘違いと分かると「官兵衛に会わせる顔が無い」と後悔したとか。ですが、竹中半兵衛が匿っていたと知ると、いたく喜んだといわれています。
竹中半兵衛にしか、出来なかった事でした。その後、官兵衛は秀吉が生きてる間は、野心は消えていたということです。あの幽閉から、救い出され、諦めていた息子との、まさかの対面が、彼の人生180度変えたのでしょうね。
あの秀吉にまで恐れられ黒田家を守るために出家して如水と名乗ったんですもんね。でも晩年まで天下を狙っていた如水の野心は凄いですね。
狙ってませんw創作て史実を混同しないでほしいw
地元の最高の英雄です💡官兵衛と小早川隆景の肝胆相照らす関係が好きですね。西進して天下を…浪漫ですね✨隆景と組んでなら家康にも勝てる気がしますが、どうだろうなぁ😆
官兵衛様かっこいい!官兵衛関連の本や、真田丸を愛読しています!
竹中半兵衛もやってほしい‼!!!!!
官兵衛も半兵衛もどん兵衛も好き
チュウ兵衛も角兵衛も八兵衛も好き
犬神佐兵衛も、仲間にいれて!
いつも、楽しく拝見させていただいてます。 頑張って下さい! 応援してます! カナダ・トロントから 0:28am
黒田官兵衛の藤のはな陣羽織かっこいいだよな
2014年の「軍師官兵衛」で、官兵衛を演じた岡田准一さん。見てました。岡田准一さんは「どうする家康」で、織田信長を演じてます。どっちもかっこいいですよ・・・・。
黒田官兵衛好き
基本、「竹中半兵衛」が居ないと中途半端に流される立場😵三十六計は確かに「貴重」
土牢で耐え抜いたから一目置かれ、知略も注目された
客観的事実として、黒田官兵衛さんは、関ヶ原の戦いに敗れて逃げてきた島津義弘さんたち敗残兵と海で戦い、見事逃がしてしまっておりますからね~少なくとも、海戦は苦手だったのでは?ないでしょうか~
後ろの者が、黒田官兵衛と、聞けば、嫌な気が、する~😧
官兵衛と光秀が大大大好き
官兵衛がキリシタンだった事は、意外と話題になりませんよね。秀吉はキリスト教を警戒していたし官兵衛が他の有力キリシタン大名と組んで自分に反旗をひるがえすんじゃないかと実はハラハラしていたのでは。
「黒田官兵衛、苦笑い、一生つきがなかったと、黒田、官兵衛、苦笑い~ ハハハハハ」と、武田鉄矢が歌ってますね。
天下を取っていたら面白かったと思う秀吉が亡くなった時、秀頼は幼すぎて天下を押さえるのはどうみても無理家康に天下を取られるくらいなら、軍師として自分に仕えてくれた官兵衛に渡した方がましと秀吉は考えなかったのか
それは限りなく低い。そもそも家康は秀吉の義兄弟という広義で身内であり、それにいくら家臣とはいえ12万石の大名が天下を治めるには石高が低すぎる。秀吉が家康を頼りにしたのは大大名・家格・経営者として誰もが認める武将の一人だからであり、官兵衛だからというのは無理がある。秀吉が官兵衛を恐れていたから遠ざけたというのは俗説でしかなく、そもそもみんなが思っているほど秀吉と官兵衛の関係は遠くも近くもない程々の距離だったと思う。秀吉はあくまで官兵衛を家臣の一人として見ていたのではないか。
秀吉に恐れられたら即今までに手に入れたものを手放して隠遁するこれは並みの人物じゃできませんよもしまだ紹介してない人物がいたら上杉鷹山お願いします
ダウンタウン松ちゃんのお気に武将!
それと、たった一人のお気に入りプロ野球選手は、松本幸行。
母方の親類に官兵衛の小寺姓✨小寺さんがいます😃
間違っていたらすみません。確か、旧主小寺氏を最後保護して養っていたと思うので、そこも入れていただきたかったかな。後、冒頭で中興と言っていましたが、畿内からと言えば中興かもしれませんが、福岡または中津からの中興は違うかも。初代と言ってもいいかもしれないので。
政職の子、氏職でしたね。福岡藩士になったのは。
戦の世であればこそ光った武将。ただ誰かのために…と自分の欲で戦った人ではないだけに金にも領地にも転ばない秀吉にとってはある意味厄介だったのでしょう。
目的を果たすためには、どす黒く無いとね
戦国時代の軍師を諸葛亮孔明みたいなイメージを考えている人が多いが事実は全く異なる
太閤記などの影響でしょうね。
黒田官兵衛孝高は野望を前面に出し過ぎて疎んじられたのよね、近隣に秀吉縁戚の加藤清正など信頼出来る家臣を配置して身動き出来ない様にしたのよね
余りにも策士の立場から出過ぎたから(゚Д゚#)ねぇ
信長は、官兵衛が有岡城から戻ってこなかったので、裏切ったと思い、子の松寿丸(後の黒田長政)の処刑を秀吉に命じたとされています。しかし、半兵衛は、官兵衛を信じていたので、信長の判断は間違いと思い、松寿丸を匿いました。松寿丸が隠されていたのは岐阜県垂井町岩手の五明稲荷社付近とされています。事実は、おそらく、ここを含め、目立たないように居城の菩提山城(岐阜県垂井町岩手)や付近の家臣の屋敷に転々と住まわせた、ということが妥当だと思います。
同じ外様の立場で年齢が近いし前田と羽柴との関係が似てるな
司馬遼太郎の播磨灘物語を読み、カトリックの洗礼の折、シメオンの名を頂きました。元々生まれが播州地方だったので、親しみがあったのです。広峰神社には、小説にあった通り、歩いて登りました。播州地方は、浄土真宗(一向宗)の門徒が一般的で、現在でもそうなのだから、当時のように、織田家と一向宗が対立したら、一向宗に味方せざるを得なかったでしょう。
語尾が延びるナレーションが気になる…😞
まず九州は豊臣政権にとって明出兵のための前線基地であり、そこに配置された豊臣大名は腹心と言って良い者ばかりです。次に豊前中津の領地は秀吉から申告検地の大優遇を与えられており12万石は官兵衛の自己申告です。関ヶ原後、黒田家12万石・森家6万石・豊後細川領6万石を恩賞として与えられた細川忠興が再検知すると40万石(39.9)の石高が算出されました。豊後細川領と小倉の森家の領地は豊臣政権による検地後に渡されています、差額の16万石は旧黒田領に有ったと見て良いでしょう。補足すると九州は明出兵で荒れ果てたと様々な記録に残っています、一体元は何万石だったのやら後、謀臣伝説や秀吉が恐れただの官兵衛が関ヶ原後に雌雄を決するつもりだった と言う記録の大部分が『黒田家譜』が初出です。貝原益軒という黒田家所属のベストセラー作家(兼儒学者)が書いたもので、まぁ大幅に割り引いて読んだほうが良いですね
同士がいて嬉しいです。豊前中津は水運の要衝であり、12万石の石高も秀吉家臣の中ではまあまあ貰っている方で冷遇ではない。アンチ官兵衛ではないが、俗説伝説で官兵衛は過大評価されている武将の一人(歴史的偉人の逸話や戦功が過大になるのはしょうがないことであるけど)。
@@ultimategarbage9797 さん。そうなんですよね… 少なくとも一次資料による官兵衛は優秀な前線指揮官兼外交官なんですよね。秀吉には毛利家との国境線確定の調整を任されています。これだけでも十分称賛に値する筈なんですが黒田家譜読むと目眩起こしそうになりますただ面白いのが黒田家譜でも鍋島家の葉隠でも立花家の立花文書でも小早川隆景に称賛された・警戒されたというのが特筆されているんですね。江戸初期まで九州北部の大名にとって小早川隆景に認められたというのが最高のステータスだったようですまぁ間違いなく、小早川隆景の方が彼らより格上だという意識が有ったのでしょうねw
坂口安吾はこの人を書いてタイトルを二流の人としましたが何処が二流なのか。秀吉と比べるとあまりにも対象が凄過ぎるかと。
ん?儂を呼んだかのう?
黒田官兵衛さんは、節約主婦も驚くほどの節約家で、食べ終わった瓜の皮を塩漬けにして漬物として食べていたりまた、足袋も穴があいても履き続けていたみたいですね。さらに、自分の履いていた足袋などを家臣達に褒美として与えていたけどタダで与えては何の価値がないので家臣達からお金を取っていたみたいですね。(多分、今の金額に直すと、約5~600円ぐらい取っていたかも知れないなぁ~?)それで、節約して貯めたお金を使って浪人達を雇い徳川方に味方して九州で石田方に付いた大友軍と石垣原で戦ったんだよね。多分、この人は、要領よくお金を貯めてここぞというときに一気にお金を使う人だったんだね。こういう人たま~にいるなぁ~!?
いやぁ、鼻高ですわ
半兵衛と官兵衛と秀長無くして豊臣の天下なし
信長は、殺せまで言ってません。城内なんかに、匿ったらすぐばれちゃいますよ。
そう、だから匿ったのは、城内ではありませんから!それに、歴史ごとに言った、言わないの議論は無意味。
やはりここのコメ欄にも小説や信憑性の低い資料に毒された人々が大勢いる。
そんなものは歴史学者に任せておいて、一般ファンはこれでいい。語られない、というのが最も怖い。
息子が徳川の天下盗りに貢献したおかげで最強軍師の肩書きを得た
あなた、関ヶ原の戦い以前の官兵衛のこと、全く知らないでしょう。
生まれる時代が遅かったかな?
官兵衛は信長亡き後、秀吉に天下を取らせて、秀吉の首を取れば自分の天下と目論んでいた事を秀吉に見抜かれてしまった
秀吉は、そう思ったかもしれませんが、官兵衛は有岡城から救出され、諦めていた息子とのまさかの対面から、亡き半兵衛のおかげで、その後、秀吉が生きてる間は、野心は消えていました。なのにそれを見抜けなかった秀吉は、自ら墓穴を掘ることになった。要らぬ猜疑心が、仇となった。
鋭すぎて危険だった男
そういう風に、勝手に思ってしまった秀吉は、結果、豊臣家の没落を招いた。
中興の祖にやや違和感。始祖か。。
ですよね。長政が、藩祖なのに。
やや違和感どころではなく、すごい違和感。官兵衛は黒田藩の創業者です。中興の祖とは例えば徳川で言うと吉宗あたり、足利幕府で言うと義満あたりではないでしょうか。官兵衛は黒田藩にとって大創業者です。
大河である程度知ってるからね
孝高が天下狙っていた具体的な根拠なんて何一つないし現実的にも考えられないよな
官兵衛は能力評価が難しい武将ですね、ドラマ的にはとても優秀に描写されるものの石高といった秀吉からの評価は微妙で、外様なのに長く秀吉の側にいたり晩年の蜂起も守りの薄い九州を荒らし回れても強敵島津との決戦前に終了したしで
豊前12万石は秀吉家臣の中ではまあまあ貰っている方で官兵衛ファンはそのことを「秀吉が官兵衛を恐れていた、嫉妬して九州へ飛ばされた」などと深く考えずに言っていますが、豊前中津は水運の要衝であり対島津の為に抜擢されたと見るのが妥当でしょう。
島津攻めに味方してくれた国人衆の為に石高を過小申告していたみたいですね。沿岸部の5郡半なので、佐々成政のように検地を強行していれば、実高20万石以上でしょうか?
歴史じっくり紀行も歴史の細道もWikipediaに書かれている内容を披露しながらの紹介、鵜呑みにしただけの番組に過ぎない。そこには、歴史の真実を追究すると言うオリジナリティさを欠けるWikipediaに書かれている内容は、決して真実の歴史では無い筈・・・歴史を語るのであれば、もっと深く、紐解いた内容を語るべき
この人に大きな領土を与えると殺されると思われたのでは?それだけ自分を抑えることができなかったのでは?
優秀かもしれないが、センスにかけるのかなぁ
福岡藩黒田氏の中興の祖?息子の長政が初代藩主である福岡藩の「中興の祖」?この前は北条早雲を「北条家中興の祖」って言ってたし…「中興の祖」って読んで字のごとく、時代の流れとともに没落していった家を盛り返した人、って意味だと思ってたんですが…違うんですかね?
伊達政宗とかのことですよね。
黒田氏の遠祖は京極氏被官であって、なおかつ室町幕府奉公衆と評定衆を兼務したほどの高貴な家柄。ところが将軍義稙の怒りを買って備前へ追放され浪々の身に。で、官兵衛の父の代に小寺家に召抱えられたという話。だから中興の祖というのも、あながち間違いではない。
@@明石則実 様ただ「黒田氏」の中興の祖と言うなら確かにそれも言えるかもしれません。でもここでは「福岡藩黒田氏」って述べられてるので、引っ掛かったのです
@@黒田松寿丸 様伊達政宗も伊達氏の中興の祖と言って言いかもしれないですね。でもこの動画での言い方と同じように「仙台藩伊達氏の中興の祖」とすると「は?仙台藩初代じゃないの?」ってなりますよね…
黒田氏は、近江佐々木源氏京極家の血筋を引いていて、近江ノ国黒田(滋賀県長浜市黒田)が発祥地ですよ。僕も『軍師官兵衛』が放送していたときに偶然にも黒田家発祥地を見つけてしまいましたf(^_^)
中興の祖って違うだろ。開祖だろ(笑)信長が恐れていたって話が出てない(笑)なんだこの動画。
大河ドラマとKOEIに影響されて黒田官兵衛は美化され過ぎ細川と蒲生が居なければ只の武将
もっと凡人を装って生きてたら逆に天下取れたかも知れんな
歌の曲流すのやめてもらえませんか?そっちに頭いっちゃいます。曲のみにしてください。
I
8:25頃の「帷幄」・・・「イアク」作戦をめぐらす所。本営。参謀。難しい言葉を使うなら、それの意味も添えないと孔子にバカ扱いされるよ。
はい、大好きです。頭いいのに、まぬけに捕まるどこまで。でも、彼は何故信長さまが、ちくっとする名前を嫡男の元服の名前に、したのでしょぅか?あと、信長は、徳川信康の時も、松寿丸の時も、殺せとまでは、言っていません。処分は、任せるです。
つまり殺せですね任せられて助命し後の災いになった場合は助命した者の失策になりますから
もおコスプレやめて良いのでは?
黒田官兵衛が秀吉の傘下に入ったところあんまり詳しくなかったので、とても勉強になりました!ありがとうございます
黒田官兵衛が一番好きです。
とても分かりやすかったです。ありがとうございます。
黒田官兵衛!!まってました!!
半兵衛が匿ったお陰で黒田長政は後の世で活躍出来たんですよね。
半兵衛の子、重門と長政は親交深かったようです。
西軍に、つこうとしていた重門を説得したらしいですね。
@@黒田松寿丸 さん
重門のお父さんに、命を救われた長政、今度は私の番だと、必死に説得したんでしょうね。結果
重門の命が、救われた。
泣けるね~❗
「如水に野心があったら」と多くの人の願望が創った西上話だけど、そんな夢を見させてくれる所が魅力だろう。実際は徳川政権下での黒田家の立場を上げることに徹していたと考えられる。(ちなみに有岡城幽閉も伝えられるほど過酷ではなかったとの説もある)
家康は長政の功労に自らその手をとって感謝したのを官兵衛へ話した際に官兵衛が「その時、お前の左手は何をしていた?」という逸話があるけど、普通に考えて家康を刺し殺していても周りの家康家臣団に唯一の跡取りである長政が殺されていた可能性があり、わざわざ黒田家を危機に陥れるようなことを言うとは考え難い。
@@ultimategarbage9797 さん
官兵衛は、本心から言ったのでは無く、自分がそう言ったと家康の耳に入れば、長政を警戒することは、無いだろうという思惑があったのです。
自分は、秀吉に警戒されましたからねえ。
官兵衛様、あなたしか愛しません!
大河ドラマ「軍師官兵衛」を見てから好きになりました・・・・。
LOVE!
官兵衛が反旗を翻したとして、松寿丸(黒田長政)の首を刎ねるよう命じてますが、後にそれが勘違いと分かると
「官兵衛に会わせる顔が無い」
と後悔したとか。
ですが、竹中半兵衛が匿っていたと知ると、いたく喜んだといわれています。
竹中半兵衛にしか、出来なかった事でした。
その後、官兵衛は秀吉が生きてる間は、野心は消えていたということです。あの幽閉から、救い出され、諦めていた息子との、まさかの対面が、彼の人生180度変えたのでしょうね。
あの秀吉にまで恐れられ黒田家を守るために出家して如水と名乗ったんですもんね。でも晩年まで天下を狙っていた如水の野心は凄いですね。
狙ってませんw
創作て史実を混同しないでほしいw
地元の最高の英雄です💡
官兵衛と小早川隆景の肝胆相照らす関係が好きですね。
西進して天下を…
浪漫ですね✨
隆景と組んでなら家康にも勝てる気がしますが、どうだろうなぁ😆
官兵衛様かっこいい!官兵衛関連の本や、真田丸を愛読しています!
竹中半兵衛もやってほしい‼!!!!!
官兵衛も半兵衛もどん兵衛も好き
チュウ兵衛も角兵衛も八兵衛も好き
犬神佐兵衛も、仲間にいれて!
いつも、楽しく拝見させていただいてます。 頑張って下さい! 応援してます! カナダ・トロントから 0:28am
黒田官兵衛の藤のはな陣羽織かっこいいだよな
2014年の「軍師官兵衛」で、官兵衛を演じた岡田准一さん。
見てました。
岡田准一さんは「どうする家康」で、織田信長を演じてます。
どっちもかっこいいですよ・・・・。
黒田官兵衛好き
基本、「竹中半兵衛」が居ないと
中途半端に流される立場😵
三十六計は確かに「貴重」
土牢で耐え抜いたから一目置かれ、知略も注目された
客観的事実として、黒田官兵衛さんは、関ヶ原の戦いに敗れて逃げてきた島津義弘さんたち敗残兵と海で戦い、見事逃がしてしまっておりますからね~
少なくとも、海戦は苦手だったのでは?ないでしょうか~
後ろの者が、黒田官兵衛と、聞けば、嫌な気が、する~😧
官兵衛と光秀が大大大好き
官兵衛がキリシタンだった事は、意外と話題になりませんよね。
秀吉はキリスト教を警戒していたし
官兵衛が他の有力キリシタン大名と組んで自分に反旗をひるがえすんじゃないかと実はハラハラしていたのでは。
「黒田官兵衛、苦笑い、一生つきがなかったと、黒田、官兵衛、苦笑い~ ハハハハハ」
と、武田鉄矢が歌ってますね。
天下を取っていたら面白かったと思う
秀吉が亡くなった時、秀頼は幼すぎて天下を押さえるのはどうみても無理
家康に天下を取られるくらいなら、軍師として自分に仕えてくれた官兵衛に渡した方がましと秀吉は考えなかったのか
それは限りなく低い。そもそも家康は秀吉の義兄弟という広義で身内であり、それにいくら家臣とはいえ12万石の大名が天下を治めるには石高が低すぎる。秀吉が家康を頼りにしたのは大大名・家格・経営者として誰もが認める武将の一人だからであり、官兵衛だからというのは無理がある。
秀吉が官兵衛を恐れていたから遠ざけたというのは俗説でしかなく、そもそもみんなが思っているほど秀吉と官兵衛の関係は遠くも近くもない程々の距離だったと思う。秀吉はあくまで官兵衛を家臣の一人として見ていたのではないか。
秀吉に恐れられたら即今までに手に入れたものを手放して隠遁する
これは並みの人物じゃできませんよ
もしまだ紹介してない人物がいたら上杉鷹山お願いします
ダウンタウン松ちゃんのお気に武将!
それと、
たった一人のお気に入り
プロ野球選手は、
松本幸行。
母方の親類に官兵衛の小寺姓✨
小寺さんがいます😃
間違っていたらすみません。確か、旧主小寺氏を最後保護して養っていたと思うので、そこも入れていただきたかったかな。
後、冒頭で中興と言っていましたが、畿内からと言えば中興かもしれませんが、福岡または中津からの中興は違うかも。初代と言ってもいいかもしれないので。
政職の子、氏職でしたね。福岡藩士になったのは。
戦の世であればこそ光った武将。ただ誰かのために…と自分の欲で戦った人ではないだけに金にも領地にも転ばない秀吉にとってはある意味厄介だったのでしょう。
目的を果たすためには、どす黒く無いとね
戦国時代の軍師を諸葛亮孔明みたいなイメージを考えている人が多いが
事実は全く異なる
太閤記などの影響でしょうね。
黒田官兵衛孝高は野望を前面に出し過ぎて疎んじられたのよね、近隣に秀吉縁戚の加藤清正など信頼出来る家臣を配置して身動き出来ない様にしたのよね
余りにも策士の立場から
出過ぎたから(゚Д゚#)ねぇ
信長は、官兵衛が有岡城から戻ってこなかったので、裏切ったと思い、子の松寿丸(後の黒田長政)の処刑を秀吉に命じたとされています。
しかし、半兵衛は、官兵衛を信じていたので、信長の判断は間違いと思い、松寿丸を匿いました。松寿丸が隠されていたのは岐阜県垂井町岩手の五明稲荷社付近とされています。事実は、おそらく、ここを含め、目立たないように居城の菩提山城(岐阜県垂井町岩手)や付近の家臣の屋敷に転々と住まわせた、ということが妥当だと思います。
同じ外様の立場で年齢が近いし
前田と羽柴との関係が似てるな
司馬遼太郎の播磨灘物語を読み、カトリックの洗礼の折、シメオンの名を頂きました。
元々生まれが播州地方だったので、親しみがあったのです。
広峰神社には、小説にあった通り、歩いて登りました。
播州地方は、浄土真宗(一向宗)の門徒が一般的で、現在でもそうなのだから、
当時のように、織田家と一向宗が対立したら、一向宗に味方せざるを得なかったでしょう。
語尾が延びるナレーションが気になる…😞
まず九州は豊臣政権にとって明出兵のための前線基地であり、そこに配置された豊臣大名は腹心と言って良い者ばかりです。次に豊前中津の領地は秀吉から申告検地の大優遇を与えられており12万石は官兵衛の自己申告です。関ヶ原後、黒田家12万石・森家6万石・豊後細川領6万石を恩賞として与えられた細川忠興が再検知すると40万石(39.9)の石高が算出されました。豊後細川領と小倉の森家の領地は豊臣政権による検地後に渡されています、差額の16万石は旧黒田領に有ったと見て良いでしょう。補足すると九州は明出兵で荒れ果てたと様々な記録に残っています、一体元は何万石だったのやら
後、謀臣伝説や秀吉が恐れただの官兵衛が関ヶ原後に雌雄を決するつもりだった と言う記録の大部分が『黒田家譜』が初出です。貝原益軒という黒田家所属のベストセラー作家(兼儒学者)が書いたもので、まぁ大幅に割り引いて読んだほうが良いですね
同士がいて嬉しいです。豊前中津は水運の要衝であり、12万石の石高も秀吉家臣の中ではまあまあ貰っている方で冷遇ではない。アンチ官兵衛ではないが、俗説伝説で官兵衛は過大評価されている武将の一人(歴史的偉人の逸話や戦功が過大になるのはしょうがないことであるけど)。
@@ultimategarbage9797 さん。そうなんですよね… 少なくとも一次資料による官兵衛は優秀な前線指揮官兼外交官なんですよね。秀吉には毛利家との国境線確定の調整を任されています。これだけでも十分称賛に値する筈なんですが黒田家譜読むと目眩起こしそうになります
ただ面白いのが黒田家譜でも鍋島家の葉隠でも立花家の立花文書でも小早川隆景に称賛された・警戒されたというのが特筆されているんですね。江戸初期まで九州北部の大名にとって小早川隆景に認められたというのが最高のステータスだったようです
まぁ間違いなく、小早川隆景の方が彼らより格上だという意識が有ったのでしょうねw
坂口安吾はこの人を書いてタイトルを二流の人としましたが何処が二流なのか。秀吉と比べるとあまりにも対象が凄過ぎるかと。
ん?儂を呼んだかのう?
黒田官兵衛さんは、節約主婦も驚くほどの節約家で、食べ終わった瓜の皮を塩漬けにして漬物として食べていたりまた、足袋も穴があいても履き続けていたみたいですね。さらに、自分の履いていた足袋などを家臣達に褒美として与えていたけどタダで与えては何の価値がないので家臣達からお金を取っていたみたいですね。(多分、今の金額に直すと、約5~600円ぐらい取っていたかも知れないなぁ~?)それで、節約して貯めたお金を使って浪人達を雇い徳川方に味方して九州で石田方に付いた大友軍と石垣原で戦ったんだよね。多分、この人は、要領よくお金を貯めてここぞというときに一気にお金を使う人だったんだね。こういう人たま~にいるなぁ~!?
いやぁ、鼻高ですわ
半兵衛と官兵衛と秀長無くして
豊臣の天下なし
信長は、殺せまで言ってません。
城内なんかに、匿ったらすぐばれちゃいますよ。
そう、だから匿ったのは、城内ではありませんから!
それに、歴史ごとに言った、言わないの議論は無意味。
やはりここのコメ欄にも小説や信憑性の低い資料に毒された人々が大勢いる。
そんなものは歴史学者に任せておいて、一般ファンはこれでいい。
語られない、というのが最も怖い。
息子が徳川の天下盗りに貢献したおかげで最強軍師の肩書きを得た
あなた、関ヶ原の戦い以前の官兵衛のこと、全く知らないでしょう。
生まれる時代が遅かったかな?
官兵衛は信長亡き後、秀吉に天下を取らせて、秀吉の首を取れば自分の天下
と目論んでいた事を秀吉に見抜かれてしまった
秀吉は、そう思ったかもしれませんが、官兵衛は
有岡城から救出され、諦めていた息子とのまさかの対面から、亡き半兵衛のおかげで、その後、秀吉が生きてる間は、野心は消えていました。
なのにそれを見抜けなかった秀吉は、自ら墓穴を掘ることになった。
要らぬ猜疑心が、仇となった。
鋭すぎて危険だった男
そういう風に、勝手に思ってしまった秀吉は、
結果、豊臣家の没落を招いた。
中興の祖にやや違和感。始祖か。。
ですよね。
長政が、藩祖なのに。
やや違和感どころではなく、すごい違和感。官兵衛は
黒田藩の創業者です。中興の祖とは例えば徳川で言うと
吉宗あたり、足利幕府で言うと義満あたりではないで
しょうか。官兵衛は黒田藩にとって大創業者です。
大河である程度知ってるからね
孝高が天下狙っていた具体的な根拠なんて何一つないし現実的にも考えられないよな
官兵衛は能力評価が難しい武将ですね、ドラマ的にはとても優秀に描写されるものの
石高といった秀吉からの評価は微妙で、外様なのに長く秀吉の側にいたり
晩年の蜂起も守りの薄い九州を荒らし回れても強敵島津との決戦前に終了したしで
豊前12万石は秀吉家臣の中ではまあまあ貰っている方で官兵衛ファンはそのことを「秀吉が官兵衛を恐れていた、嫉妬して九州へ飛ばされた」などと深く考えずに言っていますが、豊前中津は水運の要衝であり対島津の為に抜擢されたと見るのが妥当でしょう。
島津攻めに味方してくれた国人衆の為に石高を過小申告していたみたいですね。
沿岸部の5郡半なので、佐々成政のように検地を強行していれば、実高20万石以上でしょうか?
歴史じっくり紀行も歴史の細道も
Wikipediaに書かれている内容を披露しながらの紹介、鵜呑みにしただけの番組に過ぎない。
そこには、歴史の真実を追究すると言うオリジナリティさを欠ける
Wikipediaに書かれている内容は、決して真実の歴史では無い筈・・・
歴史を語るのであれば、もっと深く、紐解いた内容を語るべき
この人に大きな領土を与えると殺されると思われたのでは?それだけ自分を抑えることができなかったのでは?
優秀かもしれないが、センスにかけるのかなぁ
福岡藩黒田氏の中興の祖?
息子の長政が初代藩主である福岡藩の「中興の祖」?
この前は北条早雲を「北条家中興の祖」って言ってたし…
「中興の祖」って読んで字のごとく、時代の流れとともに没落していった家を盛り返した人、って意味だと思ってたんですが…違うんですかね?
伊達政宗とかのことですよね。
黒田氏の遠祖は京極氏被官であって、なおかつ室町幕府奉公衆と評定衆を兼務したほどの高貴な家柄。
ところが将軍義稙の怒りを買って備前へ追放され浪々の身に。
で、官兵衛の父の代に小寺家に召抱えられたという話。
だから中興の祖というのも、あながち間違いではない。
@@明石則実 様
ただ「黒田氏」の中興の祖と言うなら確かにそれも言えるかもしれません。
でもここでは「福岡藩黒田氏」って述べられてるので、引っ掛かったのです
@@黒田松寿丸 様
伊達政宗も伊達氏の中興の祖と言って言いかもしれないですね。
でもこの動画での言い方と同じように「仙台藩伊達氏の中興の祖」とすると「は?仙台藩初代じゃないの?」ってなりますよね…
黒田氏は、近江佐々木源氏京極家の血筋を引いていて、近江ノ国黒田(滋賀県長浜市黒田)が発祥地ですよ。僕も『軍師官兵衛』が放送していたときに偶然にも黒田家発祥地を見つけてしまいましたf(^_^)
中興の祖って違うだろ。開祖だろ(笑)
信長が恐れていたって話が出てない(笑)
なんだこの動画。
大河ドラマとKOEIに影響されて
黒田官兵衛は美化され過ぎ
細川と蒲生が居なければ只の武将
もっと凡人を装って生きてたら
逆に天下取れたかも知れんな
歌の曲流すのやめてもらえませんか?そっちに頭いっちゃいます。曲のみにしてください。
I
8:25頃の「帷幄」・・・「イアク」作戦をめぐらす所。本営。参謀。
難しい言葉を使うなら、それの意味も添えないと孔子にバカ扱いされるよ。
はい、大好きです。
頭いいのに、まぬけに捕まるどこまで。
でも、彼は何故信長さまが、ちくっとする名前を嫡男の元服の名前に、したのでしょぅか?
あと、信長は、徳川信康の時も、松寿丸の時も、殺せとまでは、言っていません。
処分は、任せるです。
つまり殺せですね
任せられて助命し後の災いになった場合は助命した者の失策になりますから
もおコスプレやめて良いのでは?