日本にある「イエスの墓」と胎盤の医薬品:質問コーナー2・パート2
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- Опубликовано: 1 дек 2024
- 質問コーナー2・パート2です。今回は青森県にある「キリストの墓」、胎盤から作った医薬品、そして割礼などについて答えました。
パート1はこちらとなります: • ウクライナのゼレンスキーとイスラエルの観光客...
出典:
イスラエルにおけるモルモン教の統計情報:newsroom.churc...
「キリストの墓」に関する記事:www.nippon.com...
www.japanese-w...
「キリストの墓」の写真:By thor hestnes, CC BY 3.0, commons.wikime...
「竹内文書」に関する記事:www.japanese-w...
ヨハネスブルグの映像:Discover Africa's Most Developed City! Johannesburg South Africa 2021 • Discover Africa's Most...
胎盤とユダヤ教について:library.yctora...
【パートナーになって頂けませんか?】kakehashion.wi...
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質問を送って下さった皆さんに感謝致します!質問コーナー2・パート1はこちらとなります:ruclips.net/video/wAlkT_x003Y/видео.html
アリさん、わたしの質問に、真摯に答えて下さりありがとう😃ございます。ユダヤ教についての正しい情報を得る事は、なかなか難しい事なので、感謝します。ヘブライ語の資料を読むことが出来ないのも理由の1つかもしれませんね。ですから、アリさんの質問コーナーは、とても貴重ですよ。これからも時々、お願いします😃❗️
こちらこそ、興味深いご質問を送って下さってありがとうございます!しかももうすぐロシュ・ハシャナとヨム・キプルなので、すごくタイムリーなご質問でした。😊
仰る通り、日本語ではユダヤ教の情報が中々乏しいのが残念ですね。因みにヘブライ語が分からなくても、英語が通じるなら多くの資料があります。
次回の質問コーナーのご質問を楽しみにしておりますよ!😉
アリさん質問に答えていただきありがとうございました!聖書には割礼の話は多く出てきますが、誰がその手術を担当するのかは分からなかったので大変参考になりました。
こちらこそ、興味深いご質問を送って下さってありがとうございます!少しでも参考になれたら嬉しいです😊
アリさん、いつもありがとうございます。
新年明けましたね。皆々様が幸福でありますように。
日本では、「偶然」にも安倍元首相の国葬でした。
地上の喧騒を離れて、ただただ安らかに、と祈るばかりです。
ショファーの澄んだ響きは、やる気と安らぎと落ち着きをくれて、癒しです。
こちらこそ、いつも動画を観たりコメントしたりして下さってありがとうございます!
仰る通りに阿部元総理の国葬がユダヤ教の新年と合わせて、面白いタイミングでした。安らかに、とこちらも祈っております。
ショファーの音が確かに癒してくれて、それが神様を世界の王様として冠する意味を持つと言われます。良い一年になりますように!
壁に向かって連続に礼をするのは何と言いますか?
また、その作法の細かいやり方等ありますか?
祈る時に連続に小さな礼をする習慣もありますが(皆がしている訳じゃない)、特に「アミダ」という主なお祈りで礼を四回します。西壁にいる場合は壁に向かってそうしますね。あるいはシナゴーグにいるなら、あるものに向かって祈っているかのように見えないため、壁に向かって祈ることが多いでしょう。
@@Kakehashion ruclips.net/video/UYE6XbM0N-s/видео.html この何度も礼をする習慣をアミダというのですか?
アリさん、こんにちは❤️
私も、聖書は新しいとか古いとかではなく、すべてが真実であり廃れるものではないと思います✨✨
イエス様も、モーセを通じて下された戒めの一点一画も廃れることはない、と言っておられたように思います😉
後から聖書を改変しようとする働きには注意しなくてはならないと思いますが、どうでしょうね😳
こんにちは!😊
いつも画を観て下さってありがとうございます✨
聖書を改変するのは良いことじゃないと同感ですね。😉
確か、パウロさんは、律法を無効と説明してるもではなく、律法はモーセ契約の印であると言う前提から、律法はユダヤ人のための契約の印であり、モーセ契約はユダヤ人のものであるとローマ書で説明してます。
異邦人には無効であると言うのは、モーセ契約はユダヤ人人のものであるから異邦人には無効であるという論法だと思います。
アリさん、素晴らしい企画をありがとうございます。
もしイエス・キリストがエルサレムで葬られて墓から甦らなかったとしたら、甦ったと主張したユダヤ人達のメリットは何だと思いますか?
また、どうして多くのユダヤ人がそれを信じたのだと思いますか?
こちらこそ、観て下さってありがとうございます!
「イエスが甦った」と主張した人達の動機といえば、それは新しい宗教に権威を影響力を与えることではないかと思います。
しかし、決して多くのユダヤ人がそれを信じた訳じゃないですよ。最初のクリスチャン達が確かにユダヤ人の改宗者を狙っていたけど、改宗しませんでした。それを受けて、次第にユダヤ人ではなくローマ人などの人々を改宗の対象にして、それに応じてキリスト教の教えが次第に変わってきたと思います。
@@Kakehashion アリさん、ご回答を感謝します。
ところで、死人の復活の例がタナハに書いてありますね。神様はエリヤ(Ⅰ列王17章)やエリシャ(Ⅱ列王4章)を通して死人の復活をなさいました。ですから神様ご自身がイエスを復活させることもできたと私は考えています。もしイエスの復活が宗教に権威を与えるための嘘であったなら、復活を主張したユダヤ人達に何かメリットはあったのでしょうか?彼らはユダヤ人からもローマ人からも排斥されただけです。また、もし宗教的権威を嘘によって得たとしても何のメリットがありますか?嘘をついた本人がその虚しさを知っているのですから、そんな宗教に命を懸けることはありません。しかし、そのユダヤ人達は迫害されても命を懸けてイエスは復活したと語り続けたのです。むしろイエスの復活は真実だったと考えるほうが私は納得がいくのです。
ある雑誌に「クリスチャンの影響が無ければホロコーストは起こらなかった」というユダヤ人の言葉が載っていました。民族絶滅の危機的な恐ろしさを体験したユダヤ人の痛みはユダヤ人しか分からないと思います。そんな中でクリスチャンの質問にも誠実に答えてくださるアリさんには本当に感謝しています。
どうもありがとうございます。
@@東三郎-y5u こちらこそ、ユダヤ人のことに興味を持って質問して下さってありがとうございます。前もって言わせて頂きますが、ここではユダヤ人の観点を説明するのがたった一つの目的で、傷をつけるつもりはありません。
権利を得ると共に力を手に入れるから、もちろん大きなメリットがあるでしょう。実際は少し時間がかかったけど、結局四世紀にローマ帝国が公式にクリスチャンになったので、その権利を得て教会が非常に大きな力を持つようになりました。
命をかけることが真実を証明しません。何故なら、ムスリム達や他の宗教の教徒達だって歴史の中でよく命をかけて、それによって何が本当か決めることが出来ません。因みにユダヤ人が史上信仰のために誰よりも命をかけてきましたよ。
「嘘をついた本人がその虚しさを知っている」と仰いましたが、あくまでも目撃者ではありませんでした。ただその話を聞いて信じただけでしょう。そういえば権利を得る以外にも、この話を信じる理由がもう一つあったと思います。それはその時期にユダヤ人に対する迫害と危機感が非常に大きかったからです。イスラエルが再び占領され破壊にかけて、メシアが来たと思いたい気持ちは十分分かるでしょう。そのため、同じ頃に色々な宗派が現れてきて、その中にキリスト教も始まりましたね。
最後に言わせて頂きますが、イエスの復活を信じるとしても、それがキリスト教の正しさを示しません。申命記18:20に書いてあるように、トーラーの戒めと反することを言う人は本物の預言者じゃないです。だからユダヤ人は「戒律はもう無効だ」、「イエスが神だ」と「生け贄がないと贖いが出来ない」という、タナハと深く矛盾する新約聖書の主張を受け入れません。
@@Kakehashion アリさん、おっしゃる通り私はユダヤ人に興味が有ります。それは私の生き方に影響を与えているのがユダヤ人の書いた聖書(タナハ+新約聖書)だからです。聖書を通して神様は私に知恵と知識を与えてくださいます。ユダヤ人は何世代にもわたってタナハを学んでいます。ですからアリさんにいろいろと質問しているのですがアリさんは誠実に回答してくれるのでとても感謝しています。
イエスの復活に関して言えば最初に言ったのがイエスの弟子のユダヤ人です。彼らは復活したイエスと食事をしたり会話をしたと主張しました。そしてローマ人に殺されるまで同じことを言い続けました。キリスト教の成立にユダヤ人が深く関わっているのに現在のユダヤ人はその事を誇りに思わないで、逆に無視しているように思います。何世代にもわたるキリスト教徒のユダヤ人に対する迫害が原因なのでしょう。日本にはユダヤ人もキリスト教徒もあまり多くはいないので、私にはその実感は有りませんが迫害され続けたユダヤ人にとってみればキリスト教徒をとんでもないと思うのでしょうね。そんな状況なのにアリさんは質問に丁寧に答えてくださり、どうもありがとうございました。
@@東三郎-y5u ユダヤ人がそちらの生き方にポジティブな影響を与えたと仰って下さってすごく嬉しいです。
動画でも指摘したように、キリスト教には置換神学があるから、ユダヤ人が自分の信仰と矛盾または反対する宗教をあまり誇りに思わないのは不思議じゃないと思います。そして確かにその神学のせいで何千年も迫害が続いてきましたね。前の動画でその反ユダヤ主義の歴史を短く説明してみましたが、興味がある場合は是非ご覧下さい:ruclips.net/video/jTJDe1NyryM/видео.html
ところごユダヤ人が一人一人のキリスト教徒を別に悪く思っているわけじゃないと思いますよ。
イエスキリストの魂は、神々が暮らす星のアルフラッツ星にいます。彼は最後に日本の青森県に辿り着き、静かに癒させながら暮らしました。最後はとても平和に暮らしたそうです。何も証拠はありませんが、本当です。イエスの魂と会って確認している人がいます。イスラエルにはもう神はいません。
➊マタイ5章17節には「律法を成就させるために来た」とイエズスは、言っているので、イエズスは「律法」を否定はしていない。➋青森の「キリストの墓」とされているのは、おそらく「宣教師の墓」であって、キリストの墓ではない。キリストの墓の隣に「イス・キリの墓」というのがある(笑)
コメントありがとうございます!マタイ5章の続きを読んでみると、罪の考えすら罪である(例えば21-22節に怒りが殺人、28節に女を見るのが姦淫など)と書いてありますね。しかしこれはユダヤ教の聖書に出てくる戒律と全く違って、つまり戒律を誰にもちゃんと守れないものに変えます。誰も戒律を守れないと、「イエスの救済」を信じなければならないという結論になるでしょう。
「イスキリの墓」についても読みました!あそこに遺髪があると主張されているらしいですね 笑
@@Kakehashion さんへ
イエス様は、本物のユダヤ人は心でも犯してはいけない戒律を守れる民だとおっしゃっています。(編集済)イエス様が語りかけている対象は、嘘偽りの羊の皮を被った狼(口では神様!神様!と言いながら行いと心の声が一致してない罪人に向けての言葉です。)マルコ2章17節 私は、正しい人ではなく罪人を招くためにきました。とあります。神様から離れ、人間が作り出した神々に遣えてしまった人々を導くための救世主なのです。(アリさんのご指摘により一部編集させて貰いました。)教えに忠実な思慮深い本物のユダヤ人たちには必要なかったのですね。(←修正させて貰いました)異邦人(本物の神様を知らずにいる人)を救うために本物のユダヤ人(僕)をもちいた神様の初めからのご計画に期待します。(メリバの岩のように、神様の言う通りに本物のユダヤ人がうごいた時に終末になるのでしょうか?)(編集済み) イエス様の言葉に ヨハネ20章29節 「私を見たので信じたのですか。見なくても信じる人は幸福です。」とありますので、幸福な人は本物のユダヤ人となりますね。もう少し深堀していきたいと思います。アリさんのご指摘に感謝します。
@@ruka.8.5 想像の中でも戒律を完全に守らなければそれが罪だと、ユダヤ教の聖書のどこにも書いてありませんよ。心で守る戒律といえば、ただひとりの神様を信じるなど、非常に数少ない戒律です。
つまり、戒律は想像でも守らなければならないというのは聖書と明らかに矛盾します。聖書は神様から啓示されたものなので、ユダヤ人は聖書と矛盾する教えを受け入れません。キリスト教ではユダヤ教の聖書が神様からのものだと信じながら、それと矛盾する教えを受け入れるから、ユダヤ人の観点から見ればこれが問題です。
@@Nihona.Yeshivaさんへ
①エレミヤ書31章から抜粋33節 しかし、来るべき日に、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。②サムエル記上16章抜粋7節 しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。私は彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」 ③イザヤ14章抜粋13節 かつて、お前は心に思った。「私は天に登り王座を神の星よりも高く据え神々の集う北の果ての山に座し雲の頂に登っていと高き者のようになろう」と。しかし、お前は陰府に落とされた墓穴の底に。 ④コヘレト11章10節心から悩みを去り、肉体から苦しみを除け。若さも青春も空しい。⑤ハバクク2章4節見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」⑥レビ記19:17 心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。⑦ダニエル8:25 ずる賢く人々を欺いて成功し、心の中て高慢になり、人々が安心しているときに大勢を破滅に至らせます。 ⑧ゼファニア1:12 その時が来れば私は灯火をかざしてエルサレムを捜し酒のおりの上に凝り固まり、心の中で「主は幸いをも、災いをもくだされない」と言っている者を罰する。 ⑨ダニエル11:27 この2人の王は心の中で悪事をたくらみ、1つの食卓に着いてうそを言い合います。しかし、何事も成功しません。定められた時に終わりが来るからです。 ⑩ゼファニア 7:10 心の中でも罪を犯してはならない。と書いてあります。
聖霊の導きがなくても心で罪を犯さない真のユダヤ人には新約聖書がなくても日々の悔い改めで十分ですが、心をコントロール出来ない弱い罪人達をも救う為の初めからの計画です。
@@ruka.8.5 引用されたその全ての聖句に、想像によって罰に値する罪があるという箇所は何一つもありません。
もし想像が罪だったら戒律と贖いの記述にそれが書いてあるが、どこにも書いてありません(さっき言った通り、思想によって守る戒律ももちろんあるが、少ないです)。むしろ悪意がなくても戒律を破る動作さえすれば、それを直さなければならないと、レビ記5:17に書いてありますので、動作だけでも戒律を守ったり破ったり出来ると分かります。もちろん心を込めて意識的に守るのが不可欠だけど、罪ではありません。
戒律はユダヤ民族の全員が守れるようなものだと、申命記30:10-14にはっきり書いてあります。その最後に「あなたはこれを行うことができる」と書いてあります。
ありがとうございます!コーシェルではないもの=忌むべきもの、なのだから、人間の赤ん坊は、人間の乳を飲むのだから、忌むべきものではない=コーシェルではないとは言えないと考えるとわかりやすいなと思いました。
こちらこそ、すごく興味深いご質問を送って下さってありがとうございます!僕にも勉強になりました😉
今どきの日本人は漫画の文化もあってファンタジーを真に受ける事は無いと思いますよ。しかし、感情を刺激されるとコロッと騙されるので心配です。安倍さんの国葬に反対する人が多いのはとても悲しいです・・
国葬に反対する人が多いのは知らなかった、それは本当に悲しいですよね。
@@Kakehashion 安倍さん本人と言うより、組織の方針で付き合いのあった宗教団体に問題が多く(それ自体関心はしませんが)、テロリストはそれのせいだと発言したところ、基本的に日本のマスコミは反日なので、安倍さんバッシングがずっと続いてます。当然安倍さんが何度も日本を(世界も!)専制主義の魔の手から救って来た事はほとんどの日本人が知りません。
イエス・キリストの弟がイスキリって安易過ぎて😂
竹内は「キリスト」が名前だと勘違いしてたのかな…。
あ、もしかしてその為「イスキリ」となったでしょうか?本当に不思議ですね😅
アリさんへ 契約の箱の2つのケブルは神様の初子(双子)ではないでしょうか?
ケルビムには奥深い意味がありますが、神様の子供ということじゃないです。二つのケルビムは神様とユダヤ民族とその関係を表わすと賢人のラビ達が教えます。そして創世記4:24に出てくる命の木への道を守るケルビムとも繋がります。これは聖櫃の中になるトーラーは命の木に繋がりますからね、箴言3:18に書いてある通りに:「(トーラーは、)これを堅く握る者にはいのちの木である」。
@@Kakehashion さんへ
ありがとうございます。
聖書の詳しい解説が待ち遠しいです。
アリさんへ 創世記33:3 の双子を意味するのは、ずっと父親と暮らしている沢山の祝福を得たユダヤ人と父から離れて遠い道のりを歴たけども父の身元に帰って来るべき異邦人のことを現しているのでしょうか?間違えがあれば聖句から教育願います。 本物の父を探し求めている孤児より
創世記33:3にはヤコブとエサウの双子に関する話が出てきますが、具体的に何のご質問でしょうか?
こんばんは😃
アリさんが新約にも精通しているとは、驚きでした😮
精通というほどではないけど、やっぱり自分の信仰をちゃんと分かるには、他の色々な信仰もある程度知っておかなければならないと思いますよね😉
@@Kakehashion 様
ユダヤ教徒は、新約を読まないと言われていたので、かなり驚きました。😮
@@加藤真理-s8q 全部読んでいる訳じゃないけど、要点は分かっています😋
自分の情報を隠すつもりはないけど
探せばすぐにわかるし。
変化は怖いから。
ジェンダーレスは、女性にとって
望むのかな。
今は女性は、年齢に制限がある
子供などで。
それが気にならなくなったら
母でなくてもいいなら
それを望むのかな。
性を謳歌するのは、もしかしたら
精神をすり減らすかも知れないし。
何かする事で、何かが変わるのが
僕は怖い。
できないから文句を言うけど
いざ可能になったら
僕は怖くて。
変化を楽しめるようになれば
またお話ししたいな。
よろしくお願いします。^ - ^
2:23
>「古い聖約が廃される」と言う主張は、キリスト教の「旧約聖書」に大体一致するユダヤ教の聖書と深く矛盾するから・・・
>ユダヤ教の聖書に出てくる戒律はもう「古くて」無効だと主張されますね。
>しかし、ユダヤ教の聖書を読んでみると、神様の戒めは永遠だと数多くの箇所にはっきり書いてありますよ、
新約聖書に書かれている教えの殆どは、ユダヤ教徒が信じている旧約聖書にも書かれています。
ですから、新約聖書と旧約聖書は調和が取れていて矛盾はないです。
エレミヤ書31:31-32には、ユダヤ民族が戒律を守れないで契約を破ったことが書かれています。
神様の戒めは永遠であることは間違いなく、新約聖書でも同じように教えています。
しかし、ユダヤ民族はその戒めを守れなかったのです。
ユダヤ民族が戒めを守れないので、救済策として新しい契約を立てる必要がでてきました。
その新しい契約が新約聖書に書かれています。
そしてまた、同じ聖書箇所には「新しい契約を立てる日が来る」「この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。」とありますが、アリさんは新約聖書を否定されるのであれば、この新しい契約とは何の事だとお考えでしょうか。
さらに、エレミヤ書31:36-37には、新約聖書の教えを受け入れないようなユダヤ人は捨て去ると神様の警告が書かれていると思いますが、アリさんはどのように解釈されていますか。
旧約聖書の多くの箇所に、ユダヤ民族はうなじのこわい民で、かたくなに神に背く民であることが書かれていますが、アリさんは旧約聖書(神様のみことば)を否定してまで無理をしてユダヤ民族を良く見せようとしているのではないでしょうか。
すべてを創造し恵みを与えてくださる神様以外に、ユダヤ民族に誇れるところがあるでしょうか。
わたしはキリスト教徒で、我が主イエス・キリストやその多くの弟子たちがユダヤ人ですので、ユダヤ民族を嫌って言っているのではありません。
むしろ、ユダヤ民族が好きですし、聖書も何度も繰り返して読んでいます。
しかし、アリさんの考えは聖書の教えと矛盾しているように思えるのですがいかがでしょうか。
エレミヤ書
31:31主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。
31:32この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。
31:33しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。
31:34人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。
31:35主はこう言われる、すなわち
太陽を与えて昼の光とし、
月と星とを定めて夜の光とし、
海をかき立てて、その波を鳴りとどろかせる者――
その名は万軍の主という。
31:36主は言われる、
「もしこの定めがわたしの前ですたれてしまうなら、
イスラエルの子孫もすたって、
永久にわたしの前で民であることはできない」。
31:37主はこう言われる、
「もし上の天を量ることができ、
下の地の基を探ることができるなら、
そのとき、わたしはイスラエルのすべての子孫を
そのもろもろの行いのために捨て去ると
主は言われる」。
マタイによる福音書
5:17わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
5:18よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
新約聖書とユダヤ教の聖書には色々な矛盾があります。主に三つの根本的な矛盾があると思い、それは「戒律はもう無効だ」以外に「イエスが神だ」と「生け贄がないと贖いが出来ない」です。
戒律を一時的に守れなかったら戒律はもう廃されるとは、ユダヤ教の聖書のどこにも書いていないし、動画でも指摘した聖句など数多くの箇所と矛盾します。
残念ながら、キリスト教の信仰に思い込んだせいか、エレミヤ書31章を全く誤解したようです。しかもその誤解に基づいて、こちらが聖書を否定しているまでとんでもないことを言ったのはとても残念です。
エレミヤ31:31を引用しましたが、皮肉なことにその前の30節がさっき言った贖いの矛盾を強調します:「人はめいめい自分の罪によって死ぬ。」代わりに死んで他人のために贖うことは決してありません。
31節に戻ると、明らかに戒律が無効だという意味じゃないです。最終的に外から戒められたから戒律を守るのではなく、自らその戒律という神様の意識に一致する状況を指します。例えば今は殆どの人が他人を殺さないのは聖書に書いてあるからではなく、自らそれが駄目だと感じて、その戒めに一致するからですが、これと同じような状況です。
戒められたからではなく自分の「心」に従って戒律を守るというこの状況が33-34節にはっきり書いてあります:「すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。。。人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。」これがそのいわゆる「新しい契約」の正体です。エゼキエル書36:26が同じことを指し、その次の27節に書いてあるようにその時でも戒律を守る訳です。
そしてエレミヤ書31:36-37を全く逆のように誤解したようです。ユダヤ教の聖書にある戒律(この定め)に基づいたイスラエルとの契約が無効になることは永遠にないと明文に書いてあります:「主は言われる、『もしこの定めがわたしの前ですたれてしまうなら、イスラエルの子孫もすたって、永久にわたしの前で民であることはできない』。主はこう言われる、『もし上の天を量ることができ、下の地の基を探ることができるなら、そのとき、わたしはイスラエルのすべての子孫をそのもろもろの行いのために捨て去ると主は言われる』。」天を量ることが出来ないように、定めである戒律がすたれないし、イスラエルもすたりません。つまり、永遠にないということです。
因みにマタイ5章ですが、その続きを読んでみると、罪の考えすら罪である(例えば21-22節に怒りが殺人、28節に女を見るのが姦淫など)と書いてあります。しかしこれはユダヤ教の聖書に出てくる戒律と全く違って、つまり戒律を誰にもちゃんと守れないものに変えます。誰も戒律を守れないと、「イエスの救済」を信じなければならないという結論になるでしょう。
@@Kakehashion 少し訂正させていただきますがマタイ福音書の5章28節に書かれている、だれでも情欲を抱いて女を見る物はすでに心の中で姦淫を犯しているのです。これは女性を見る事が姦淫の罪なのでは無くて、28節に書かれている通り情欲つまり色欲の目で女性を見る事が姦淫の罪なのであって、ただ女性を見ること自体は罪ではないですよ^_^
@@Kakehashion
>「戒律はもう無効だ」
アリさんは、罪を犯したら生贄を捧げなければいけないというモーセの戒律を無効にして生贄を捧げていないようですが、生贄を捧げなくてもよいという一見すると矛盾しているような教えをどうして受け入れられたのでしょうか。
>「イエスが神だ」
イエス・キリストは、神の国で神様の実の息子です。
神様は、ご自分の大切な一人息子イエスを救い主として遣わす時に、天と地の一切の権能を授けられ神様と等しくされました。
ですから、厳密に言うと神様はイエスの父親お一人ですが、神様によって神様と御子イエスは同等とさましたので、人がイエス・キリスト崇拝することは善いことなのです。
いったい我が子が敬われて喜ばない父親がどこにいるでしょうか。
父親が息子に仕事を教え、成長した息子に自分の仕事を任せるのと同じ事だと思います。
>「生け贄がないと贖いが出来ない」(イエスの死を信じる以外に贖いを行う方法が他にない)
神様が、天と地の一切の権能を御子イエス・キリストに授けられたのですから、当然「イエスの救済」を信じる以外に救われる方法はありません。
アリさんは、旧約聖書の予言者までは受け入れることができたようですが、御子イエスも預言者であり救い主です。
ユダヤ民族には、神様が遣わされた預言者をなかなか受け入れないところがあるようです。
エレミヤ書
7:23むしろ、わたしは次のことを彼らに命じた。「わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。わたしが命じる道にのみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る。」
7:24しかし、彼らは聞き従わず、耳を傾けず、彼らのかたくなで悪い心のたくらみに従って歩み、わたしに背を向け、顔を向けなかった。
7:25お前たちの先祖がエジプトの地から出たその日から、今日に至るまで、わたしの僕である預言者らを、常に繰り返しお前たちに遣わした。
7:26それでも、わたしに聞き従わず、耳を傾けず、かえって、うなじを固くし、先祖よりも悪い者となった。
私は、何処にも属さない聖書探究者です。 コリント第一4章のパウロの言葉には、①父親が多くいるわけではない。②わたしに倣う者になりなさい③神の国は言葉ではなく力にあるのですから。等、書いてありました。パウロの手紙の中でも特に初めの方に書かれた手紙です。
ヨハネ1章初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神のようでだった。(他の聖書では言葉は神であった。とありました。)マタイ23章9節〜また、地上の者を「父」とよんではならない。あなた方の父は天の父おひとりだけだ。「教師」と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。イエス様でさえ自分を低くして、「神のような」と謙遜なのに対してこの言葉は高慢にとれますがどう思われますか? 私は、パウロがイエス様の声を聞いたとされるとき、他の人は一人も見聞きされてないのに本物か証明できないと思いました。なので、パウロとパウロが認めた使徒以外のイエス様が天に登る前のイエス様の言葉か旧約聖書かイエス様が認めた12使徒の手紙からの証明をお願いいたします。他にもパウロの手紙とローマにいたときのルカの手紙とイエス様の世の兄弟2人(ヤコブとユダ)の手紙は人間の力で書かれた可能性があるように私は思いました。どうぞ、間違いがあれば教えてください。よろしくお願いいたします。
「新約聖書」に関するご質問ですが、ここではただユダヤ人の観点を説明させて頂き、傷をつけるつもりは一切ありません。
キリスト教ではユダヤ教の聖書が神様から啓示されたものだと信じながら、その聖書と深く矛盾する新約聖書も信じるでしょう。主に三つの根本的な矛盾があると思いますが(イエスが神だという主張、生け贄がないと贖いが出来ないという主張、そして戒律はもう無効だという主張)、特にイエスを神として捉えるのがよく目立ちます。
新約聖書にイエスが神(いわゆる「三位一体」)であると、引用して下さったヨハネによる福音書1:1,14,18、後はコロサイ人への手紙1:15、ピリピ人への手紙2:6-7など、多くの箇所に書いてあります。そしてこのいわゆる「三位一体」が325年の第1ニカイア公会議で公式にキリスト教の信念として定まりました:ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC1%E3%83%8B%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%82%A2%E5%85%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0
つまりキリスト教によると、神様は三つに分ける存在であり、有限の一人の人間になって、その人が崇拝の対象になりました。ユダヤ教の観点から見ればこれは偶像崇拝そのものです。
言うまでもなく、これがユダヤ教の聖書の多くの箇所と矛盾します:申命記4:39、出エジプト記20:3-5、申命記6:4などです。因みにサムエル記上15:29に神様が「人間じゃない」とはっきり書いてありますし、ホセア書11:9にも同様に「わたしは神であって、人ではない」と書いてあります。
@@Kakehashion さんへ
お返事ありがとうございます。聖書から丁寧にお答えくださって感謝です。これから頂いた情報をもとに自分の目で調べていきたいと思います。真理を探究するのはとても楽しいです。疑問が生まれたら諦めずに探し続けたいと思います。いつも分かりやすく解説されてる動画を楽しみにしております。これからも深掘りした解説をお願いいたします。ありがとうございました。
何度も失礼します。気になりまして、他の聖書を調べましたら、エホバの証人さんの聖書には、ヨハネ1章初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神のようだった。そしてイエスは神の1人子とされていました。すみませんでした。😃💦
@@ruka.8.5 諦めずに疑問について探し続けるのが何よりも重要だと全く同感ですね。こちらの動画が少しでもためになれたら嬉しいです!😉
何故イスラエル🇮🇱大使が剣山に来て何を認めたのか?
韓国の事もあるけど日本も人の事言えてないですね…
私は全く知りませんでしたけど統一教会の件もあり疑うって大事だなって思います。
仰る通り、まずは少し疑って自分でちゃんと調べるのがすごく大事なことでしょうね!
進化論を叩き込まれた日本人は、使徒トマスのように疑って調べようと口で宣言して救われていくのでしょうか。
アリさんへ イザヤ53:7 雌羊のように彼は口を開かなかった。で間違いないでしょうか?お返事よろしくお願いいたします。
ご質問ありがとうございます。「羊のように」は「口を開かなかった」ではなく「ほふり場に引かれていく」という部分に繋がるので、「ほふり場に引かれていく羊のように」となります。和訳の新改訳でそうなっていて、合っていると思います。因みに前の動画でイザヤ書53章を説明しましたが、興味がある場合は是非ご覧下さい:ruclips.net/video/j49Y5GyBXRU/видео.html
この聖句の羊がどうゆう状況でどんな心境なのかが分かり理解できました。ありがとうございます。
青森県の墓は不自然だと思ってました。キリスト教の日本人が勢いで作った可能性が高い。
確かにそうみたいでしょうね。
キリスト教徒なら教義の全否定になるので日本に墓を作るようなことはしないですよ。
これを作った竹内は他にも日本の古代の神話や古文書だとかを捏造してる人です。
違います、神道信徒が捏造した可能性があります。竹内文書も捏造。石川県のモーセの墓も捏造。
神に贖われ新しい身体を獲る。 行き来出来る。 君達の不幸は日本の八咫烏が馬鹿だったと言う訳だ。
竹内文書の件は、本当にみっともない話だと思います。仮に、イエスが十字架を避けて自分が助かる様な手段を選んだというのであれば、キリスト教の根本的な原理である福音の三要素の意味自体がなくなってしまいますよね。ならば、イエスは何の為に「人の姿で」現れたのか?という事になってしまうと思います。勿論、動画の中で述べられているように、日本に来る意味自体も全くありませんよね。
今、日本では統一教会の問題が毎日のようにメディアで取り上げられています。統一教会もメシアが韓国に現れるだの、教祖の文鮮明に神が現れ、韓国語で会話をしただの、選ばれた民はイスラエルではなく、韓国人だ!などという根拠のない創作話を土台とした新興宗教ですが、竹内文書の話も同じようなレベルのものだと思いました。イエス・キリストというパワーワードを利用して、ただの妄想に過ぎないことに真実味を加えようとしている事に、非常に浅ましさを感じます。
統一教会もその構造は同じでしょう。キリスト教を模した形態を利用する事で、文鮮明というただのアホを、神の権威に満ちたような(?)人に見せたかったのでしょうね。そして、そこに韓国人の民族意識が加われば、教義としての厚みが増す。民族意識の高揚には、自分達より「下」の存在である日本人を利用しようと…。聖書を使うと嘘がばれるから、独自のインチキ経典を作り出し、それを洗脳詐欺商法で売ってボロ儲け。この団体とズブズブの関係だった日本の政治家達もバカしかいない。1990年代のあの不気味な合同結婚式を見ていながら、危険な団体として何の対策を取ってこなかった日本の関係省庁の杜撰さも極まりない…。
新興宗教だからといって、全てを排除する事は信教の自由を認めている以上難しいとは理解していますが、私も含めて、日本人は宗教というものを体系的に学ぶ機会が無いことが、統一教会やオウム真理教といった集団の詐欺・犯罪の発生を許してしまう様な土壌を生み出す一要因となっているのではないかと思います。
来週の国葬が予定されている中で、タイムリーな話題だと思いコメントを致しました。
長文になってしまい、申し訳ございません。
統一教会が最近すごく話題になっていることは分かっていたけど、そういう主張をしているとは知りませんでした。勉強になりました!
仰る通り、他の宗教のことを自分の利益のために利用しているかのようにしか考えられませんね。人々が騙されませんように祈っております。
青森のイエス?の墓は日本人が勝手に言ってるだけで全然イエスとは関係ないですね。そもそもイエス様は昇天されたので、遺体もないですし😄
ま、観光産業の観点から見れば賢いと言えるかも知れませんけどね 😉
イエスのお墓について質問いたしました「アンネ・スピリチュアル」の友人です。
彼は動画やっていなので、私から感謝のコメントさせて頂きます。
ただ、「アンネ・スピリチュアル」はfacebookをやっておりますので、そこに感謝
のコメントするよう伝えておきます。私自身、イエスの墓についてのアリさんのご
説明は、ポイントをおさえて解説されており学習になりました。
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「ファンタジーを真に受ける事は無い」とコメントされている方がおられますが、
私達2人も当然そう思うのです。しかし、「青森県_キリストのお墓」については、
特に精神世界の方は信じている人が実際多いのです!!
この方達が、「真に受けている状況」なのか「感情を刺激されてコロッと騙されて
いる状況」のかは、それは分かりません。そもそも「コロッと騙されている瞬間」
が「真に受けている瞬間」であり、一緒だと思いますよ。www
おそらく神話の場合、史実と空想が混在している箇所があり 読者を悩ませる箇所が
あるからだと思います。完全にファンタジーであれば確かに真に受ける事はない訳
であり、当たり前のこととして、私達もあえて質問はいたしません!
私達が訊きたかったのは、キリストの墓について「神話上の話」と、「考古学上の
事実」との間の矛盾についてでした。
コメントありがとうございます!こちらの説明が少しでもためになれたら嬉しいです。
仰る通り、その話を信じる人の考えが気になりますよね。人間の心はやっぱり複雑で面白いでしょう 笑