訪ねたことのあるような教会を思い出し尺八三味線の演奏を重ね合わせて…日本人に生まれた事幸せや誇りに思いました❗️
三味線の音色を聞いてると何故か涙が出て心に響きます
この人の同じ公演だかの別動画を数年前に観たことがある。私は三味線素人なんだが、いくつかの他の奏者も当時連続でいくつも聴いた。この人の演奏を聴くと他の人の三味線が聴けなくなるほど上手い!と感じる。全体的に何せ迫力があり、高音も1音1音明確でスマホで聴いても明らかに上手い。確かに速引きならばもっと速い人もいたと思うが、音の鳴り方が違う。素人でも三味線の大先生なのだなと直ぐに分かる音。もっと動画などに出てもらいたいと思っている。
お客さんの顔が「ステキ」とか「すばらしい」じゃなくて、「ビックリ! ナニこれ!? でも、離れられない…」っていう。イタリアじゃなくて、日本でももっと広まるといいなぁ。
同感です。放っておいても日本文化に興味を持ってくれる外国の皆さんよりも、「敷居が高いから」と称して殊更(ことさら)敬遠し、関わるまいとする日本人にこそ、日本の全ての伝統文化が広がってほしいと思います。
高橋祐って、もしかして高橋竹山の流れ?初めてじょんがら節を聞いた時は荒々しくも繊細な北国の過酷な自然を想像させ、心そして全身を揺さぶられた。名前は忘れましたが津軽じょんがら節を歌う女性に合わせて響く太棹の音色は最高でした。私の高橋竹山の思い出です。(関? 千恵美? 千恵子? ん~思い出せない、歳だから勘弁ね www)
演者は微動だにしない、手だけがバチだけが、魂が宿った如く、自由に躍動している。ただ聴きいるだけで、自然に涙があふれるのはなぜ??心の琴線に触れたのかな?
この演奏を教会という空間で響き渡る音はどれ程なのだろう。生で聴いてみたいです。
和楽器の音色は、自然界の揺らぎ(1/F振動)を供えてるそうで三味線の音も揺らいでるんですね。それは、自然の音に近い音色だとか・・・・そして、津軽三味線の高速演奏には、外国人も魂を揺さぶられるんでしょうね。
アニメましろのおとを見て以来、三味線の音色に魅了されるようになりました
長唄三味線の撥は津軽の撥と比べて極端に大きくはないだろうと思います。むしろ逆に津軽の方が大きいかもしれません。撥を皮に当てる力強さが長唄より明らかに強いので。また地唄三味線の撥が長唄の撥より更に大きいといっても、ほんの僅かだと思います。見るからに「ごっつい」のは、むしろ義太夫の太棹三味線に合わせる撥です。事実、他の三味線音楽の撥と違って撥先が分厚いのが特徴です。但し、三味線用語で「開き」と呼ばれる「(三角形の)撥先の面積・幅」は、確かに他の三味線音楽で使われる撥と比べると、最も狭い(短い)です。更に、長唄でも曲中に演出効果を狙って速弾きする事はありますが、「津軽じょんから」の様に一曲通して速弾きだけで通す曲は基本的に存在しません。
こんなにでっかいピックは日本だけだろうなあw
これが長唄のお三味線だともっと大きな撥を使って津軽並みの早弾きをするんですよ。地歌のお三絃(お三味線)に至っては更に大きくて、わざわざ中をくり抜いて鉛の重りを入れた重い撥を使うんですよ。元は、琉球から三線が伝わった時に琵琶法師が琵琶の撥で弾いたのが始まりだそうです。ごめんなさい、訂正です。地歌三味線の撥について「中をくり抜いて鉛の重りを入れた重い撥」は間違いです。鉛の重りを入れるのは駒でした。申し訳ございません。あと、他の方が指摘されている様に表現は大袈裟です。重ねてお詫び申し上げます。
バチだけに罰があたりますよ😅
「ピック」とは言いませんけどね。
かつて、QueenのBrian Mayが、来日した際、その奏法を気に入って、自らの歌に取り入れた(Brighton rock)。😊
歪みがいいんだよなあ。アコースティックなのにエレキのような。
津軽や長唄、義太夫には激しい手付(てつけ:メロディーや奏法などの事)も稀にあり、アクロバティックな「曲弾き(きょくびき:曲芸の様な弾き方)」を確かにしますが、これに対し、地唄の演奏は基本的におとなしく、津軽や長唄とは演奏法も音楽の聞こえ方も全く異なります。私は母が地唄筝曲を弾く環境で生まれ育った事から、耳馴染みのない多くの日本人よりは和楽器音楽が身近です。私が聴いてきた地唄作品や三曲(箏・三絃・尺八、または胡弓で合奏する純邦楽のジャンル)の古典作品には、津軽じょんから節の様な極めて荒々しい演奏をする曲は基本的には存在しません。(但し、RUclipsでも人気の「コトメン」こと「大川義秋」さんや「和楽器バンド」さんらが演奏する様な、あるいは和楽器と西洋楽器でコラボ演奏する場合の演奏曲の様な、演奏している楽器は確かに和楽器でも、演奏する曲のタイプが「伝統的・正統派の和楽器音楽」とは全く異なる、こうした場合は例外です。)また、「津軽が長唄の影響を大きく受けた」とのコメントがありますが、これも嘘です。その証拠に、現在の津軽三味線、特に最も有名な「じょんから節」と、舞台音楽として主に江戸時代に作曲された長唄作品の両者は、歴史も演奏する場面も演奏法もサウンドも、全てが全く異なる三味線音楽です。影響は微塵も感じられません。
アジアだけでも何十種類も弦楽器があるしヨーロッパでは沢山のコンサートもあるので特別な驚きはないでしょう。日本人こそトラジショナルな音楽をどれだけ聴いてるのか?
竹山さんの生演奏を聴いたことがあるけど 録音のせいでしょうか 余り感動の演奏に聞こえなかったな… スマソ
小さくない😠太棹は大きいよ
案外知られてない様ですが、津軽三味線の演奏は長唄の影響を大分受けています。でも楽器は対照的で津軽が太棹に対して長唄は細棹。この点が個人的に面白いな〜と思います。中棹を用いる地歌はこれまた雰囲気が全然違くて面白いです。日本の伝統音楽ってのんびりしているだの地味だの面白くないという印象を持たれがちですが、全然そんなことなくて津軽長唄地歌それぞれ激しいことしているんですよ。西洋音楽とはまた違う発展を遂げた邦楽の良さについて、海外の人にも知ってもらえると嬉しいですね。
浅はかな知識をひけらかしてしまったこと、お詫び申し上げます。また、ご指摘ありがとうございます。私への直接のコメントは削除されたご様子なので、私も直接コメントすることは控えさせていただきます。私としましては、皆さんに他の邦楽にも興味を持ってもらいたいと思い、かの様な書き込みをした次第です。お察しの通り私はまだお三絃をやってはおりません。箏のみです。それに経験年数も10年に満たないです。その様な未熟な私が知ったかぶりなコメントした件はお恥ずかしい限りです。比較的津軽三味線は人気ではございますが、長唄や地歌は人口減少が著しく、どの様にすれば若年者層同世代が増えるだろうか?という話を長唄三味線をしている友人とよくしています。その様な状況でつい、知識よりも願望の方が先走ってしまいました。申し訳ございません。ただ、いくつか思ったことがありますので、お返事させていただきます。『地唄での弾き方は基本的におとなしいです』とのご指摘、確かに津軽、長唄、義太夫と比べれば大人しいですが、地歌にも手事や散しがございます。一般的な方の地歌箏曲のイメージは前歌のようなゆったりしたメロディーかと。五段砧(は箏ですが)や茶音頭の前歌の後半、手事を一般的な方に聴いてもらったことがありますが、印象が相当に変わったそうで、「こんな激しいこともしているんですね?!」と言われました。先日ある先生から教わったのですが、初代富山清琴は元は義太夫から上方地歌(生田流)へ移ったそうで、その後東京へ出て来るとこんどは山田流の影響を受け、演奏にも作曲にも「山田っぽさ」がみられるとのこと。その先生は実際に富山清琴からお三絃のお稽古を受けたそうですが、「曲の終わりは力強く鳴らして下さい」と指導され、面を食らったとおっしゃられていました。と言った具合に、大人しい大人しくないは流派や会派にもよりますし、聴き手もそれまでの経験によって受け取り方は大きく異なるので、一概に「大人しい」とは言えないかと思います。「津軽が長唄の影響を大きく受けた」の私の発言ですが、ハッキリ言って根拠もそういった分析もございません。とある楽器屋さんがその様に言っていたことを私があたかもそれが常識かの如く深く考えずに書いてしまいました。一応、同様の考察がないかネットで調べましたが、見つかりませんでした。しかし、「津軽は他の音楽の影響を一切受けずに独自発展した」という様な解説も見つけられなかったので、「受けた」とも「受けなかった」とも言えないかと。とはいえ、根拠のないことを大袈裟に書いたことは私の失態です。とは言いましたが、先ほどの楽器屋さんの話を聞いてからは津軽に長唄っぽさを感じる様に私はなりました。「明らかに別物の、似ても似つかない」とは思えません。長唄と地歌、津軽と地歌とのさに比べれば近いものを感じます。これに関しては主観や感性の問題もあるかと思いますが。撥についてです。まず私の間違いについてです。地歌の撥について「中をくり抜いて鉛の重り」と書いていますが間違いです。重りを入れるのは駒の方でした。申し訳ございません。大きさについてですが、以前に私が見た津軽の撥は幅が狭く側面のカーブがほぼない分厚い物でした。なんでも、速弾きをするには幅狭の方が向いているものの、軽いと力が出ないため分厚いのだと聞きました。ネットで画像検索しましたが、やはりそれなりに差はある様に見えます。長唄用と地歌用の差も「ほんの僅か」にしては随分と差がある様に見えます。義太夫の撥も地歌や常磐津よりは幅狭に見えます。どちらにせよ、私の表現が大袈裟だったことは確かではありますが。「津軽長唄地歌それぞれ激しいことをしているんですよ」についてですが、これも語弊のある言い方だったかと思います。御免なさい。「長唄地歌もそれぞれの形で激しいことをしている」の意味です。「津軽同様の速弾きを津軽同様の形式で弾いている」という意味ではありません。Taka-Musics-Laboさんはどうやらいろんな音楽に精通されている様ですね。プレイリストを少し拝見させていただきました。私よりも倍以上の年数生きていらっしゃれる様ですし、RUclipsのチャンネル開設も14年前でかなり初期の頃からのRUclipsユーザーの様ですね。その様な方の前で浅はかな考えの元、乏しい知識をひけらかしてしまったこと非常に恥ずかしい限りですし、他の一生懸命音楽に取り組まれている方に迷惑かと思うので、元のコメントは削除するつもりです。冷静になれる機会を下さってありがとうございます。
@@ちゃん七井 一応、コメントを拝見しました。お考えはお考えとして承りました。純邦楽を聴く事が好きか、あるいは自ら稽古している人でない限り、大多数の日本人は「三味線音楽=津軽三味線」一択の認識だと思います。それ故、「皆さんに他の(純)邦楽にも興味を持ってもらいたい」という思いは私にも多分にあります。多くの日本人にとって単に「邦楽」と言えば通常は「洋楽」に対する概念であって、正真正銘委の邦楽「純邦楽」である「和楽器音楽」は完全に無関心なジャンルです。アピールしなくても和楽器音楽に興味を持って下さる海外の皆さんに対し、日本人は全く興味を持とうとしないどころか遠ざけようとします。情けない限りです。10年未満の稽古歴ながら、お箏は稽古していらっしゃるのですね。お互いにお稽古頑張りましょう。
津軽三味線より 太棹の方が好き。
日本が誇る侘び寂びの文化を集約した音色🎵
ギターとは違って日本楽器ノ三味線と琵琶はフレットがないのでそのフレットを見ながら演奏…とはいかない。つまり本人の感1つに委ねられる。
「感」ではなく「勘」と書く。ギターなどのフレットに相当する場所を「勘所(かんどころ)」という。日常語の「勘所」の語源とも言われる。
これと同じ動画を前に見ました。なぜバスタブがあるのか? いまだに分からない。
勝手な想像ですが、教会ですので、洗礼用の聖水を象徴しているのではないでしょうか?
@@冷泉貴晃 さんなるほどね。
この人、本当に盲目なの?信じられないくらい上手いんだが
元々「盲人音楽」だったという歴史があります。
要するに、、、もの珍しいだけでしょ、
それもあるけれど、それだけではない様に思いますね。
津軽の寒冷な気候がそうさせているのかもしれませんが、音の伸びを無理に止めているような音色で、個人的にはあまり好きではありません。
訪ねたことのあるような教会を思い出し尺八三味線の演奏を重ね合わせて…日本人に生まれた事幸せや誇りに思いました❗️
三味線の音色を聞いてると何故か涙が出て心に響きます
この人の同じ公演だかの別動画を数年前に観たことがある。私は三味線素人なんだが、いくつかの他の奏者も当時連続でいくつも聴いた。この人の演奏を聴くと他の人の三味線が聴けなくなるほど上手い!と感じる。全体的に何せ迫力があり、高音も1音1音明確でスマホで聴いても明らかに上手い。確かに速引きならばもっと速い人もいたと思うが、音の鳴り方が違う。素人でも三味線の大先生なのだなと直ぐに分かる音。もっと動画などに出てもらいたいと思っている。
お客さんの顔が「ステキ」とか「すばらしい」じゃなくて、「ビックリ! ナニこれ!? でも、離れられない…」っていう。イタリアじゃなくて、日本でももっと広まるといいなぁ。
同感です。放っておいても日本文化に興味を持ってくれる外国の皆さんよりも、
「敷居が高いから」と称して殊更(ことさら)敬遠し、関わるまいとする日本人にこそ、
日本の全ての伝統文化が広がってほしいと思います。
高橋祐って、もしかして高橋竹山の流れ?
初めてじょんがら節を聞いた時は荒々しくも繊細な北国の過酷な自然を想像させ、心そして全身を揺さぶられた。
名前は忘れましたが津軽じょんがら節を歌う女性に合わせて響く太棹の音色は最高でした。
私の高橋竹山の思い出です。
(関? 千恵美? 千恵子? ん~思い出せない、歳だから勘弁ね www)
演者は微動だにしない、手だけがバチだけが、魂が宿った如く、自由に躍動している。ただ聴きいるだけで、自然に涙があふれるのはなぜ??
心の琴線に触れたのかな?
この演奏を教会という空間で響き渡る音はどれ程なのだろう。
生で聴いてみたいです。
和楽器の音色は、自然界の揺らぎ(1/F振動)を供えてるそうで三味線の音も揺らいでるんですね。それは、自然の音に近い音色だとか・・・・そして、津軽三味線の高速演奏には、外国人も魂を揺さぶられるんでしょうね。
アニメましろのおとを見て以来、三味線の音色に魅了されるようになりました
長唄三味線の撥は津軽の撥と比べて極端に大きくはないだろうと思います。
むしろ逆に津軽の方が大きいかもしれません。撥を皮に当てる力強さが長唄より明らかに強いので。
また地唄三味線の撥が長唄の撥より更に大きいといっても、ほんの僅かだと思います。
見るからに「ごっつい」のは、むしろ義太夫の太棹三味線に合わせる撥です。
事実、他の三味線音楽の撥と違って撥先が分厚いのが特徴です。
但し、三味線用語で「開き」と呼ばれる「(三角形の)撥先の面積・幅」は、
確かに他の三味線音楽で使われる撥と比べると、最も狭い(短い)です。
更に、長唄でも曲中に演出効果を狙って速弾きする事はありますが、
「津軽じょんから」の様に一曲通して速弾きだけで通す曲は基本的に存在しません。
こんなにでっかいピックは日本だけだろうなあw
これが長唄のお三味線だともっと大きな撥を使って津軽並みの早弾きをするんですよ。地歌のお三絃(お三味線)に至っては更に大きくて、わざわざ中をくり抜いて鉛の重りを入れた重い撥を使うんですよ。
元は、琉球から三線が伝わった時に琵琶法師が琵琶の撥で弾いたのが始まりだそうです。
ごめんなさい、訂正です。地歌三味線の撥について「中をくり抜いて鉛の重りを入れた重い撥」は間違いです。鉛の重りを入れるのは駒でした。
申し訳ございません。
あと、他の方が指摘されている様に表現は大袈裟です。
重ねてお詫び申し上げます。
バチだけに罰が
あたりますよ😅
「ピック」とは言いませんけどね。
かつて、QueenのBrian Mayが、来日した際、その奏法を気に入って、自らの歌に取り入れた(Brighton rock)。😊
歪みがいいんだよなあ。アコースティックなのにエレキのような。
津軽や長唄、義太夫には激しい手付(てつけ:メロディーや奏法などの事)も稀にあり、
アクロバティックな「曲弾き(きょくびき:曲芸の様な弾き方)」を確かにしますが、
これに対し、地唄の演奏は基本的におとなしく、津軽や長唄とは演奏法も音楽の聞こえ方も全く異なります。
私は母が地唄筝曲を弾く環境で生まれ育った事から、耳馴染みのない多くの日本人よりは和楽器音楽が身近です。
私が聴いてきた地唄作品や三曲(箏・三絃・尺八、または胡弓で合奏する純邦楽のジャンル)の古典作品には、
津軽じょんから節の様な極めて荒々しい演奏をする曲は基本的には存在しません。
(但し、RUclipsでも人気の「コトメン」こと「大川義秋」さんや「和楽器バンド」さんらが演奏する様な、
あるいは和楽器と西洋楽器でコラボ演奏する場合の演奏曲の様な、演奏している楽器は確かに和楽器でも、
演奏する曲のタイプが「伝統的・正統派の和楽器音楽」とは全く異なる、こうした場合は例外です。)
また、「津軽が長唄の影響を大きく受けた」とのコメントがありますが、これも嘘です。
その証拠に、現在の津軽三味線、特に最も有名な「じょんから節」と、
舞台音楽として主に江戸時代に作曲された長唄作品の両者は、
歴史も演奏する場面も演奏法もサウンドも、全てが全く異なる三味線音楽です。影響は微塵も感じられません。
アジアだけでも何十種類も弦楽器があるしヨーロッパでは沢山のコンサートもあるので特別な驚きはないでしょう。日本人こそトラジショナルな音楽をどれだけ聴いてるのか?
竹山さんの生演奏を聴いたことがあるけど 録音のせいでしょうか 余り感動の演奏に聞こえなかったな… スマソ
小さくない😠太棹は大きいよ
案外知られてない様ですが、津軽三味線の演奏は長唄の影響を大分受けています。でも楽器は対照的で津軽が太棹に対して長唄は細棹。この点が個人的に面白いな〜と思います。
中棹を用いる地歌はこれまた雰囲気が全然違くて面白いです。
日本の伝統音楽ってのんびりしているだの地味だの面白くないという印象を持たれがちですが、全然そんなことなくて津軽長唄地歌それぞれ激しいことしているんですよ。
西洋音楽とはまた違う発展を遂げた邦楽の良さについて、海外の人にも知ってもらえると嬉しいですね。
浅はかな知識をひけらかしてしまったこと、お詫び申し上げます。また、ご指摘ありがとうございます。
私への直接のコメントは削除されたご様子なので、私も直接コメントすることは控えさせていただきます。
私としましては、皆さんに他の邦楽にも興味を持ってもらいたいと思い、かの様な書き込みをした次第です。お察しの通り私はまだお三絃をやってはおりません。箏のみです。それに経験年数も10年に満たないです。その様な未熟な私が知ったかぶりなコメントした件はお恥ずかしい限りです。
比較的津軽三味線は人気ではございますが、長唄や地歌は人口減少が著しく、どの様にすれば若年者層同世代が増えるだろうか?という話を長唄三味線をしている友人とよくしています。その様な状況でつい、知識よりも願望の方が先走ってしまいました。申し訳ございません。
ただ、いくつか思ったことがありますので、お返事させていただきます。
『地唄での弾き方は基本的におとなしいです』
とのご指摘、確かに津軽、長唄、義太夫と比べれば大人しいですが、地歌にも手事や散しがございます。一般的な方の地歌箏曲のイメージは前歌のようなゆったりしたメロディーかと。五段砧(は箏ですが)や茶音頭の前歌の後半、手事を一般的な方に聴いてもらったことがありますが、印象が相当に変わったそうで、「こんな激しいこともしているんですね?!」と言われました。
先日ある先生から教わったのですが、初代富山清琴は元は義太夫から上方地歌(生田流)へ移ったそうで、その後東京へ出て来るとこんどは山田流の影響を受け、演奏にも作曲にも「山田っぽさ」がみられるとのこと。
その先生は実際に富山清琴からお三絃のお稽古を受けたそうですが、「曲の終わりは力強く鳴らして下さい」と指導され、面を食らったとおっしゃられていました。
と言った具合に、大人しい大人しくないは流派や会派にもよりますし、聴き手もそれまでの経験によって受け取り方は大きく異なるので、一概に「大人しい」とは言えないかと思います。
「津軽が長唄の影響を大きく受けた」の私の発言ですが、ハッキリ言って根拠もそういった分析もございません。とある楽器屋さんがその様に言っていたことを私があたかもそれが常識かの如く深く考えずに書いてしまいました。
一応、同様の考察がないかネットで調べましたが、見つかりませんでした。しかし、「津軽は他の音楽の影響を一切受けずに独自発展した」という様な解説も見つけられなかったので、「受けた」とも「受けなかった」とも言えないかと。
とはいえ、根拠のないことを大袈裟に書いたことは私の失態です。
とは言いましたが、先ほどの楽器屋さんの話を聞いてからは津軽に長唄っぽさを感じる様に私はなりました。「明らかに別物の、似ても似つかない」とは思えません。長唄と地歌、津軽と地歌とのさに比べれば近いものを感じます。これに関しては主観や感性の問題もあるかと思いますが。
撥についてです。
まず私の間違いについてです。
地歌の撥について「中をくり抜いて鉛の重り」と書いていますが間違いです。重りを入れるのは駒の方でした。申し訳ございません。
大きさについてですが、以前に私が見た津軽の撥は幅が狭く側面のカーブがほぼない分厚い物でした。なんでも、速弾きをするには幅狭の方が向いているものの、軽いと力が出ないため分厚いのだと聞きました。ネットで画像検索しましたが、やはりそれなりに差はある様に見えます。長唄用と地歌用の差も「ほんの僅か」にしては随分と差がある様に見えます。義太夫の撥も地歌や常磐津よりは幅狭に見えます。どちらにせよ、私の表現が大袈裟だったことは確かではありますが。
「津軽長唄地歌それぞれ激しいことをしているんですよ」についてですが、これも語弊のある言い方だったかと思います。御免なさい。「長唄地歌もそれぞれの形で激しいことをしている」の意味です。「津軽同様の速弾きを津軽同様の形式で弾いている」という意味ではありません。
Taka-Musics-Laboさんはどうやらいろんな音楽に精通されている様ですね。プレイリストを少し拝見させていただきました。私よりも倍以上の年数生きていらっしゃれる様ですし、RUclipsのチャンネル開設も14年前でかなり初期の頃からのRUclipsユーザーの様ですね。その様な方の前で浅はかな考えの元、乏しい知識をひけらかしてしまったこと非常に恥ずかしい限りですし、他の一生懸命音楽に取り組まれている方に迷惑かと思うので、元のコメントは削除するつもりです。
冷静になれる機会を下さってありがとうございます。
@@ちゃん七井
一応、コメントを拝見しました。お考えはお考えとして承りました。
純邦楽を聴く事が好きか、あるいは自ら稽古している人でない限り、
大多数の日本人は「三味線音楽=津軽三味線」一択の認識だと思います。
それ故、「皆さんに他の(純)邦楽にも興味を持ってもらいたい」という思いは
私にも多分にあります。
多くの日本人にとって単に「邦楽」と言えば通常は「洋楽」に対する概念であって、
正真正銘委の邦楽「純邦楽」である「和楽器音楽」は完全に無関心なジャンルです。
アピールしなくても和楽器音楽に興味を持って下さる海外の皆さんに対し、
日本人は全く興味を持とうとしないどころか遠ざけようとします。情けない限りです。
10年未満の稽古歴ながら、お箏は稽古していらっしゃるのですね。
お互いにお稽古頑張りましょう。
津軽三味線より 太棹の方が好き。
日本が誇る侘び寂びの文化を集約した音色🎵
ギターとは違って日本楽器ノ三味線と琵琶はフレットがないのでそのフレットを見ながら演奏…とはいかない。つまり本人の感1つに委ねられる。
「感」ではなく「勘」と書く。ギターなどのフレットに相当する場所を「勘所(かんどころ)」という。
日常語の「勘所」の語源とも言われる。
これと同じ動画を前に見ました。なぜバスタブがあるのか? いまだに分からない。
勝手な想像ですが、教会ですので、洗礼用の聖水を象徴しているのではないでしょうか?
@@冷泉貴晃 さん
なるほどね。
この人、本当に盲目なの?信じられないくらい上手いんだが
元々「盲人音楽」だったという歴史があります。
要するに、、、もの珍しいだけでしょ、
それもあるけれど、それだけではない様に思いますね。
津軽の寒冷な気候がそうさせているのかもしれませんが、音の伸びを無理に止めているような音色で、個人的にはあまり好きではありません。