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まだまだ将棋の現場をご存じないと感じる。藤井七冠の指した重要な手の中には、評価値は逆に悪くなるのに、相手にプレッシャーを与えて勝ちに結びつける手だったり、相手が良くなる手を敢えて指し、しかしその手は相手が勝利するには大変な道を歩かせる手だったり、相手に最善手を気付かせないため、評価値は悪いが意外な手で目を逸らさせたりする。相手がいくらAI研究をしていても、如何ともし難い妙手を指すのである。従って、AI最善手やAI超え以外にも凄い勝負手を放つのが藤井七冠でもあることへの論評がなければ表面的で単純な論となると思います。
事実をあまり知らないままに、藤井聡太はAI推奨の手法に最適化してきてのでは、と私は誤解していました。ご意見に触れ、それが誤解であることがわかってホッとしました。
藤井聡太さんは前にAIで車が運転されるようになっても、人が車を運転する楽しさは残ると言っていた。AIには楽しさとか無いものね。
NHK以外のテレビメディアは「藤井聡太のAI超えの一手!」みたいなキャッチーな話ばかり着目しひろゆきや堀江貴文さんが「藤井さんはAI将棋で強くなった」と言ってますが、藤井竜王名人の差し手の凄さはAIと同じ差し手もありますが、それよりも発想力や勝ちよりもタイトル奪取よりも「強くなりたい」「将棋の心理を追求したい」が強くて、また人柄も素晴らしいのでみんなが藤井聡太に魅了されるのですね。そして、藤井竜王名人は奨励会三段になるまでAI将棋は一度も使ってません。また、羽生善治先生が「藤井さんはAIで強くなったわけではない、AIソフトはプロ棋士はみんな使ってるので関係ない、藤井さんはAIがなくても今のような活躍をしてたでしょう」と言ってましたね。なのでひろゆきや堀江さんはちょっと間違ってるなーと思いました。永瀬拓矢王座「私が才能1割、努力9割だとしたら藤井さんは才能10割、努力10割です、藤井さんは本当にすごい」
最後に楽しいが残るのだ。それは比較による幸福ではなく、存在から来る歓喜なのだ。
将棋を指すことに意味がないと思っている人がいるのは、まー現実的なことです。将棋に興味がないなら、そこで話は終わってしまうわけですが、茂木さんが 藤井聡太さんのことで今回のように言及して下さって とても嬉しかったです。特に メディアの報道は、常に定型的で浅はかなもので、聞いたあとに虚しくなります。将棋がジェネラライズされないと思われているのも私にとっては 残念なことですが、個人的には 将棋の指し手の意味合いのことを 自分の生活の一部と重ね合わせて、それと同時に将棋を楽しんでいます。先日 羽生さんがあるイベントで、将棋の将来像について、「将棋が 日常の嗜みのようなものになればいいな と思います」 と仰ってまして、もし、世界的に将棋が広まらないとしても、『嗜み』というフェーズになれば、それはもう将棋としては、ジェネラライズされたと言ってもいいレベルになるのではないかな、と思っています。
将棋と違い、芸術制作の世界は、茂木さんのお話を聴き、基本、ブルーオーシャンの世界なのかなと思いました。芸術の世界も、誰やどこから評価されるかという側面はあると思いますが、共通の評価基準があらかじめない存在しないという点で、一般社会、レッドオーシャンの世界とは全く異なるのかなと思いました。
一般社会や一般人が容易にあるものについての評価やその優劣を判断できる世界がいわゆるレッドオーシャンの世界だと思いますが、AI人工知能もレッドオーシャンの世界を基本的には前提にしている気がしました。それに対してAI人工知能とブルーオーシャンの世界を考えてみたいと思いました。
久石譲さんも音楽の中で時空という言葉を使われていますね。オーケストラの多重奏は時間的な音に空間的な厚みを出すみたいなことをおっしゃってますけれど、おそらく将棋も独特の読み合いなど空間の厚みがあるんですかね。
こんばんは🌆。年齢がばれてしまいますが、羽生善治さんは、若い私には眩しい存在でした。😊最近のZ世代というか、藤井聡太さんの活躍ぶりは、恐るべき…😅という表現が相応しいですね♪^ ^昔、叔父が県内の将棋大会で上位で賞状が届きましたが、私は、詰将棋すら出来ない情けなさ😂。なるほど、知的🧐なゲームですね。がっくし😂…。笑
世界をゲームにたとえることの意味について改めて考えてしまいました。以前は、ゲームの構造を通して世界の法則を知るために意味があるから、と考えていました。でも、もしそうなら、それは勝つか、負けるか、引き分けるかを、予め知ることでしかない。一方、もしゲームを人とのコミュニケーションとして考えるなら…それは、自分自身であれ、対戦相手であれ、人について(そして結局は世界について)知るために意味がある、ということになるのかもしれません。
目指しているゴールが「勝負の勝ち・負けではない」と云うことですね^^ コンピュータが目指すのは「局面を観て、最短の詰将棋」を目指します。寄り道・道草はしません。だから「振り飛車」を嫌うんです。「なんで理由もなく飛車を振るんだ」と、振り飛車の美学が分かりませんwww 藤井聡太七冠は「同じように究極の最短詰将棋を目指していますが、将棋の神髄を解き明かそうと云う探求心を持っているので、寄り道をして別の風景」も見たいと云う好奇心が旺盛なんです。だから、「虎穴に飛び込む」んです^^更に、この世界に生きている以上「人間」を避けて生きることは出来ません。そういう点では「人間を知る」最高の土俵に身を置いています。人間が「勝つか、負けるかと云う究極の場」で、どのように反応するのかそれを知ることが出来ます(^_-)-☆ 攻めてくるのか、守るのか、相手は「この局面をどう判断し、どう反応するのか」がビシビシと伝わってくる世界にいます。AIの気分感情の無い無味乾燥な世界に、人間の感覚と云う色彩を付けていく人が指す将棋、だから面白いんですよねぇ^^
将棋まで取り上げてくれて嬉しい! でもお話を聞くと、これ題材にAIうんぬんや報道論を語りたかったのかも?ニュースとして数分で藤井聡太を扱うなら天才や8冠偉業的な表現でわかり易くやるのは仕方ないかと。そもそも将棋なんて報道せずもっと取り扱う事あるでしょ、て的な事なのかなー社会に還元されるようなAI開発者とか新商品を出した会社とか創造して役立つ仕事してる人を取り上げろと。でも茂木先生のような脳科学者という一般には馴染みのない立場・肩書きの方がこういう大衆向け情報発信してくれるのは感謝ですし、頭脳系でも勝負事エンタメとか関係ない世界だと価値の凄さは自分達から発信して行くしかないのは難しいですねあと、将棋は国際競争ゼロですが囲碁がなぜ仲邑菫さんとか報道されないか不思議です競馬でいえば日本馬は凱旋門賞では結果それ程でなくても、国内では気にせず別に盛り上がってますし
将来、知能領域が人間にはスポーツとしてしか残らない可能性は十分あると思います。例えば、理論研究分野の開拓は もっぱら人工知能によって進められ、人間にはブルーバックス的理解のみが可能という状況が訪れると思います。その時代には、人工知能が人間向けにブルーバックスを書いてくれるでしょう。
なるほど。それなら今のうちからブルーバックス買い集めて読んでおきます
私は中学から10年間卓球選手でした。兵庫県の但馬ではトップにもなりましたが、兵庫県大会では実力の差がハッキリしてました。全員がトップを目指す意味が何処にあるんだろう。同じ物差しでトップを目指す意味があるのかと疑問を感じます。だからそう考えますとAIが将棋のトップに君臨したら将棋の意味がなくなると言う不安を感じますね。私はそんな不公平なものではないと思います。私自身が何を得られるかが重要ですね。
人よりも高性能な機械は、幾らでもあります。それと人間を比較するのは意味がありますが、対決させるのは意味がありません。
@@ドクター日本 なるほどです。有難うございます。
ここでAIといわれているものは現存するAIのことをいっているのでしょうか?将棋は1980年代に規則の変更により有限ゲームになっています。そのためPCと無関係に原理的に先手必勝か後手必勝か引き分けかが決まっているわけです。茂木さんはそこは砂漠のようなところといわれています。もっと簡単なゲームでオセロがありますが、これは先手必勝か後手必勝か引き分けかが決まっているわけではありません。7X7のオセロではわかっているそうです。オセロは専門プレーヤーのいるゲームではありません。またチェスの場合、はるかに昔にPCの方が強くなり専門プレーヤーの戦いはなくなっていませんが盛んではなくなっていると思います。囲碁も将棋に比べ何となく盛んでなくなっているのはアルファ碁が専門棋士と公開対局して敗れたことにあると思います。将棋の場合はPCとの対戦が決着する前に止めたので、そこがはっきりしないためAI越えというような言葉が出回っています。数学の場合でも分野や問題を限るとPCで答えがでるものもありますが、それがどういう意味あるいは広がりがあるかはPCは教えてくれません。藤井聡太7冠ははっきり有限ゲームであることを意識していますし、原理的な面を踏まえていることがわかる発言があるので、今までの羽生九段を含めた他の棋士と少し違う感覚で将棋を見ているように思います。
羽生さんが「藤井さんは人間の限界に挑戦しようとしているんだと思う」と言っていたが、本人はただ楽しいから将棋を指してるようにみえる。七冠達成は意味や目的があってというより永すぎた稚戯の産物であるような気がするが、名人にもなり権威を得てしまうと羽生さんのように求道者の仮面が必要となるのかな。藤井さんにはこれからも将棋に専念して、間違っても妙な新書は出さないでほしい
「楽しいから」は確かに理由の一つだと思いますが、それだけではあの熱量の源泉としては足りない気がします。藤井さんは詰将棋にはまった理由の一つとして「美しさ」を挙げています。対局に勝っても内容に満足できず反省する事も多いですし、おそらく将棋においても藤井さんなりの美意識があり、自身の納得がいく将棋を指すことをただひたすらに追い求めている気がします。負けて悔しがる姿を見ていても、「負けた事」よりも「納得いく将棋が指せなかった事」に対する悔しさのように感じるので。
@@gioru6275あなたのように藤井聡太さんを理解して下さる方がいて嬉しいです。藤井さんは、勝ち負けではないものを求めていると 私も思います。そして藤井さんは もとから求道者です。
人間同士の対局の方が魅力的ですからね。まずAI同士の対局は基本的には中盤に形勢が少し傾いただけでほぼ勝負ありで単純にエンターテイメントとして面白くないです。「将棋は逆転のゲーム」と呼ばれていてそこが魅力でもあるのにAI同士では終盤の劇的な逆転なんてまず起きません。またAIには感情がありませんが、人の指し手には背後にある感情に思いを巡らす事ができます。AI自動生成の絵に味気なさを感じるように、人の心は様々な要素が複雑に絡まりあって動かされるので、いくら強くても棋士の代わりにはなりえないと思います。
AIなんて人間の研究の為の道具でしかない。
当然人間同士の戦いが見てて面白い。AI同士の戦いは人間が見ても理解不能人間だからミスもあるし逆転も大きくあるそれがドラマ化感覚で見れるから凄くいあ
もちろん引き算が全てだとは思ってない。徹底的に闘わないといけないことはある。でも引くことや妥協することを知っていないと、なかなかAIや支配的なものに対し、一方的な見方しか出来ないのではないか。社会の中ではお金が回っていて、企業ではこれをいかに最大化し獲得していくかという競争があり、働くというのは多くがここに加わってお金を得ていく、しかしこれらはプラスを得るための行為であり、利益を得るための強烈なベクトルが掛かっていて、人々は常にスケジュールされ利益に追い立てられ易い。これらの競争に勝ち残り、会社に多くの利益を還元し、常にパフォーマンスが高い会社は賞賛されるが、社会のお金の流れが大きくなったとして、現状、パラダイムの変化や戦争や技術革新や貧困に対応出来ているだろうか。この魅力は強烈だから、プラスだけではないんだよ、と言っても、なかなか歓迎されない。しかし、一人で全てのインフラを整えるのが不可能なように、誰でも生活の中で大小様々な妥協をして、社会は成り立っている。続きだが、私権は憲法に即して作られるが、緊急の場合は、より公共の利益が優先される場合もある。私たちはこのようなことをもっとよく考える必要があり、人のためとは何なのかとか社会とはなんなのかを考えるのは大事なことですふに。
将棋に限らずあらゆる世界で必要とされる能力は、構想力です。この手は、何をどのように動かすために指すのか、切り札はどれで、呼び水は相手の指し手をどのように動かせば、上手く引けるのか。 全ては、構想の勝負です。これは、政治、経済、軍事、経営戦略などの世界でも応用できます。 今求められている事は、そうした力を磨くことであって、AIは道具なのですから大いに活用したらいいと考えます。
必要なのは信念だと思う
メディアは啓蒙を役割としないと思うので、日本とメディアがクズなのはあくまで相関関係だと思いますけどね。汎化を「御利益」とする考え方も、「遊び」に対して邪道な考え方だとも思いますし。ロボコンの様な、勝敗以外の価値観で評価される賞が他の競技にも導入されて、尚且つその賞の地位が高く評価されれば良いとは思うのですが…
将棋の話題になると再生回数が凄く伸びててすこ
車があるからマラソンには意味がないというのと同じくらいおかしい。
茂木さんの言っていた「AIと人間のアライメント」で、気になったので書いときます。(自己ツイートコピペ)ーーーーーーーーAIやロボット工学が人類を滅ぼすとかありますか、量子コンピュータ技術が進み、AIと人類は融合してしまい(AIは感覚感情意識、人間は頭脳不老不死得るため)、宇宙大航海時代になるとも。ーーーーーーーーーー
昔は地図と感覚でドライブしてたけど、カーナビ無いと不安、、、
昭和のドライブは常に危険な行為(地図、標識への脇見)ブラスドライバーズエイド無しのクルマだったので、とても複雑なスキルの世界でした。
AI時代に人間が指す意味があるのか? それ言ったら、すべてのゲームも、やる意味がなくなるね。もちろん、スポーツだって、人間がやる意味がなくなる。
そういうこと。裏を返せば、何かをやるということが藤井聡太さんから見るとわかる。
結局、囲碁も将棋も、人と人との物語を込みで楽しんでいるのだと思います。私自身も囲碁を打ちますが、AI×AIは特におもしろいと感じませんし、AIと打っても不毛さを感じます。
人を魅せる力が大切㌨さ
藤井聡太さんが対局するのは人間です AIではありません 意味がないと言うのはちょっと理解できませんナンセンスです
F1もAIに運転させたら誰も見ないだろ😂
4702...
人間もAI にトレーニングしてもらえばいいじゃない?あらゆる事において。
まあでもですね、やっぱり藤井七冠と最強AIとの将棋は見てみたいです。何故なら最強のAIですら1%ほどしか理解していないと思うわけでして、それだけ日本の将棋の奥の深さはAIですら想像できない、恐怖のゲームでして、その恐怖のドラマを見てみたいのです。ですので日本の将棋に終わりはないと思いますよ。因みにレーティングですが、それは絶対的な評価ではなく相対的な評価です。どのようにデータを取るかによって全く変わってきます。
まだまだ将棋の現場をご存じないと感じる。
藤井七冠の指した重要な手の中には、評価値は逆に悪くなるのに、相手にプレッシャーを与えて勝ちに結びつける手だったり、相手が良くなる手を敢えて指し、しかしその手は相手が勝利するには大変な道を歩かせる手だったり、相手に最善手を気付かせないため、評価値は悪いが意外な手で目を逸らさせたりする。相手がいくらAI研究をしていても、如何ともし難い妙手を指すのである。
従って、AI最善手やAI超え以外にも凄い勝負手を放つのが藤井七冠でもあることへの論評がなければ表面的で単純な論となると思います。
事実をあまり知らないままに、藤井聡太はAI推奨の手法に最適化してきてのでは、と私は誤解していました。
ご意見に触れ、それが誤解であることがわかってホッとしました。
藤井聡太さんは前にAIで車が運転されるようになっても、人が車を運転する楽しさは残ると言っていた。AIには楽しさとか無いものね。
NHK以外のテレビメディアは
「藤井聡太のAI超えの一手!」
みたいなキャッチーな話ばかり着目し
ひろゆきや堀江貴文さんが
「藤井さんはAI将棋で強くなった」
と言ってますが、
藤井竜王名人の差し手の凄さは
AIと同じ差し手もありますが、
それよりも発想力や勝ちよりも
タイトル奪取よりも
「強くなりたい」「将棋の心理を追求したい」
が強くて、また人柄も素晴らしいのでみんなが藤井聡太に魅了されるのですね。
そして、藤井竜王名人は奨励会三段になるまでAI将棋は一度も使ってません。
また、羽生善治先生が
「藤井さんはAIで強くなったわけではない、AIソフトはプロ棋士はみんな使ってるので関係ない、藤井さんはAIがなくても今のような活躍をしてたでしょう」
と言ってましたね。
なのでひろゆきや堀江さんはちょっと間違ってるなーと思いました。
永瀬拓矢王座「私が才能1割、努力9割だとしたら藤井さんは才能10割、努力10割です、藤井さんは本当にすごい」
最後に楽しいが残るのだ。それは比較による幸福ではなく、存在から来る歓喜なのだ。
将棋を指すことに意味がないと思っている人がいるのは、まー現実的なことです。
将棋に興味がないなら、そこで話は終わってしまうわけですが、茂木さんが 藤井聡太さんのことで今回のように言及して下さって とても嬉しかったです。
特に メディアの報道は、常に定型的で浅はかなもので、聞いたあとに虚しくなります。
将棋がジェネラライズされないと思われているのも私にとっては 残念なことですが、
個人的には 将棋の指し手の意味合いのことを 自分の生活の一部と重ね合わせて、それと同時に将棋を楽しんでいます。
先日 羽生さんがあるイベントで、将棋の将来像について、「将棋が 日常の嗜みのようなものになればいいな と思います」 と仰ってまして、
もし、世界的に将棋が広まらないとしても、『嗜み』というフェーズになれば、それはもう将棋としては、ジェネラライズされたと言ってもいいレベルになるのではないかな、と思っています。
将棋と違い、芸術制作の世界は、茂木さんのお話を聴き、基本、ブルーオーシャンの世界なのかなと思いました。芸術の世界も、誰やどこから評価されるかという側面はあると思いますが、共通の評価基準があらかじめない存在しないという点で、一般社会、レッドオーシャンの世界とは全く異なるのかなと思いました。
一般社会や一般人が容易にあるものについての評価やその優劣を判断できる世界がいわゆるレッドオーシャンの世界だと思いますが、AI人工知能もレッドオーシャンの世界を基本的には前提にしている気がしました。それに対してAI人工知能とブルーオーシャンの世界を考えてみたいと思いました。
久石譲さんも音楽の中で時空という言葉を使われていますね。オーケストラの多重奏は時間的な音に空間的な厚みを出すみたいなことをおっしゃってますけれど、おそらく将棋も独特の読み合いなど空間の厚みがあるんですかね。
こんばんは🌆。年齢がばれてしまいますが、羽生善治さんは、若い私には眩しい存在でした。😊最近のZ世代というか、藤井聡太さんの活躍ぶりは、恐るべき…😅という表現が相応しいですね♪^ ^
昔、叔父が県内の将棋大会で上位で賞状が届きましたが、私は、詰将棋すら出来ない情けなさ😂。なるほど、知的🧐なゲームですね。がっくし😂…。笑
世界をゲームにたとえることの意味について改めて考えてしまいました。以前は、ゲームの構造を通して世界の法則を知るために意味があるから、と考えていました。でも、もしそうなら、それは勝つか、負けるか、引き分けるかを、予め知ることでしかない。一方、もしゲームを人とのコミュニケーションとして考えるなら…それは、自分自身であれ、対戦相手であれ、人について(そして結局は世界について)知るために意味がある、ということになるのかもしれません。
目指しているゴールが「勝負の勝ち・負けではない」と云うことですね^^ コンピュータが目指すのは「局面を観て、最短の詰将棋」を目指します。寄り道・道草はしません。だから「振り飛車」を嫌うんです。「なんで理由もなく飛車を振るんだ」と、振り飛車の美学が分かりませんwww 藤井聡太七冠は「同じように究極の最短詰将棋を目指していますが、将棋の神髄を解き明かそうと云う探求心を持っているので、寄り道をして別の風景」も見たいと云う好奇心が旺盛なんです。だから、「虎穴に飛び込む」んです^^更に、この世界に生きている以上「人間」を避けて生きることは出来ません。そういう点では「人間を知る」最高の土俵に身を置いています。人間が「勝つか、負けるかと云う究極の場」で、どのように反応するのかそれを知ることが出来ます(^_-)-☆ 攻めてくるのか、守るのか、相手は「この局面をどう判断し、どう反応するのか」がビシビシと伝わってくる世界にいます。AIの気分感情の無い無味乾燥な世界に、人間の感覚と云う色彩を付けていく人が指す将棋、だから面白いんですよねぇ^^
将棋まで取り上げてくれて嬉しい! でもお話を聞くと、これ題材にAIうんぬんや報道論を語りたかったのかも?
ニュースとして数分で藤井聡太を扱うなら天才や8冠偉業的な表現でわかり易くやるのは仕方ないかと。
そもそも将棋なんて報道せずもっと取り扱う事あるでしょ、て的な事なのかなー
社会に還元されるようなAI開発者とか新商品を出した会社とか創造して役立つ仕事してる人を取り上げろと。
でも茂木先生のような脳科学者という一般には馴染みのない立場・肩書きの方が
こういう大衆向け情報発信してくれるのは感謝ですし、頭脳系でも勝負事エンタメとか関係ない世界だと
価値の凄さは自分達から発信して行くしかないのは難しいですね
あと、将棋は国際競争ゼロですが囲碁がなぜ仲邑菫さんとか報道されないか不思議です
競馬でいえば日本馬は凱旋門賞では結果それ程でなくても、国内では気にせず別に盛り上がってますし
将来、知能領域が人間にはスポーツとしてしか残らない可能性は十分あると思います。例えば、理論研究分野の開拓は もっぱら人工知能によって進められ、人間にはブルーバックス的理解のみが可能という状況が訪れると思います。その時代には、人工知能が人間向けにブルーバックスを書いてくれるでしょう。
なるほど。それなら今のうちからブルーバックス買い集めて読んでおきます
私は中学から10年間卓球選手でした。兵庫県の但馬ではトップにもなりましたが、兵庫県大会では実力の差がハッキリしてました。
全員がトップを目指す意味が何処にあるんだろう。同じ物差しでトップを目指す意味があるのかと疑問を感じます。だからそう考えますとAIが将棋のトップに君臨したら将棋の意味がなくなると言う不安を感じますね。
私はそんな不公平なものではないと思います。私自身が何を得られるかが重要ですね。
人よりも高性能な機械は、幾らでもあります。
それと人間を比較するのは意味がありますが、
対決させるのは意味がありません。
@@ドクター日本 なるほどです。有難うございます。
ここでAIといわれているものは現存するAIのことをいっているのでしょうか?将棋は1980年代に規則の変更により有限ゲームになっています。そのためPCと無関係に原理的に先手必勝か後手必勝か引き分けかが決まっているわけです。茂木さんはそこは砂漠のようなところといわれています。もっと簡単なゲームでオセロがありますが、これは先手必勝か後手必勝か引き分けかが決まっているわけではありません。7X7のオセロではわかっているそうです。オセロは専門プレーヤーのいるゲームではありません。またチェスの場合、はるかに昔にPCの方が強くなり専門プレーヤーの戦いはなくなっていませんが盛んではなくなっていると思います。囲碁も将棋に比べ何となく盛んでなくなっているのはアルファ碁が専門棋士と公開対局して敗れたことにあると思います。将棋の場合はPCとの対戦が決着する前に止めたので、そこがはっきりしないためAI越えというような言葉が出回っています。数学の場合でも分野や問題を限るとPCで答えがでるものもありますが、それがどういう意味あるいは広がりがあるかはPCは教えてくれません。藤井聡太7冠ははっきり有限ゲームであることを意識していますし、原理的な面を踏まえていることがわかる発言があるので、今までの羽生九段を含めた他の棋士と少し違う感覚で将棋を見ているように思います。
羽生さんが「藤井さんは人間の限界に挑戦しようとしているんだと思う」と言っていたが、本人はただ楽しいから将棋を指してるようにみえる。七冠達成は意味や目的があってというより永すぎた稚戯の産物であるような気がするが、名人にもなり権威を得てしまうと羽生さんのように求道者の仮面が必要となるのかな。藤井さんにはこれからも将棋に専念して、間違っても妙な新書は出さないでほしい
「楽しいから」は確かに理由の一つだと思いますが、それだけではあの熱量の源泉としては足りない気がします。藤井さんは詰将棋にはまった理由の一つとして「美しさ」を挙げています。対局に勝っても内容に満足できず反省する事も多いですし、おそらく将棋においても藤井さんなりの美意識があり、自身の納得がいく将棋を指すことをただひたすらに追い求めている気がします。負けて悔しがる姿を見ていても、「負けた事」よりも「納得いく将棋が指せなかった事」に対する悔しさのように感じるので。
@@gioru6275
あなたのように藤井聡太さんを理解して下さる方がいて嬉しいです。
藤井さんは、勝ち負けではないものを求めていると 私も思います。そして藤井さんは もとから求道者です。
人間同士の対局の方が魅力的ですからね。まずAI同士の対局は基本的には中盤に形勢が少し傾いただけでほぼ勝負ありで単純にエンターテイメントとして面白くないです。「将棋は逆転のゲーム」と呼ばれていてそこが魅力でもあるのにAI同士では終盤の劇的な逆転なんてまず起きません。またAIには感情がありませんが、人の指し手には背後にある感情に思いを巡らす事ができます。AI自動生成の絵に味気なさを感じるように、人の心は様々な要素が複雑に絡まりあって動かされるので、いくら強くても棋士の代わりにはなりえないと思います。
AIなんて人間の研究の為の道具でしかない。
当然人間同士の戦いが見てて面白い。
AI同士の戦いは人間が見ても理解不能
人間だからミスもあるし逆転も大きくある
それがドラマ化感覚で見れるから凄くいあ
もちろん引き算が全てだとは思ってない。徹底的に闘わないといけないことはある。でも引くことや妥協することを知っていないと、なかなかAIや支配的なものに対し、一方的な見方しか出来ないのではないか。社会の中ではお金が回っていて、企業ではこれをいかに最大化し獲得していくかという競争があり、働くというのは多くがここに加わってお金を得ていく、しかしこれらはプラスを得るための行為であり、利益を得るための強烈なベクトルが掛かっていて、人々は常にスケジュールされ利益に追い立てられ易い。これらの競争に勝ち残り、会社に多くの利益を還元し、常にパフォーマンスが高い会社は賞賛されるが、社会のお金の流れが大きくなったとして、現状、パラダイムの変化や戦争や技術革新や貧困に対応出来ているだろうか。この魅力は強烈だから、プラスだけではないんだよ、と言っても、なかなか歓迎されない。しかし、一人で全てのインフラを整えるのが不可能なように、誰でも生活の中で大小様々な妥協をして、社会は成り立っている。続きだが、私権は憲法に即して作られるが、緊急の場合は、より公共の利益が優先される場合もある。私たちはこのようなことをもっとよく考える必要があり、人のためとは何なのかとか社会とはなんなのかを考えるのは大事なことですふに。
将棋に限らずあらゆる世界で必要とされる能力は、構想力です。この手は、何をどのように動かすために指すのか、切り札はどれで、呼び水は相手の指し手をどのように動かせば、上手く引けるのか。
全ては、構想の勝負です。これは、政治、経済、軍事、経営戦略などの世界でも応用できます。
今求められている事は、そうした力を磨くことであって、AIは道具なのですから大いに活用したらいいと考えます。
必要なのは信念だと思う
メディアは啓蒙を役割としないと思うので、日本とメディアがクズなのはあくまで相関関係だと思いますけどね。
汎化を「御利益」とする考え方も、「遊び」に対して邪道な考え方だとも思いますし。
ロボコンの様な、勝敗以外の価値観で評価される賞が他の競技にも導入されて、尚且つその賞の地位が高く評価されれば良いとは思うのですが…
将棋の話題になると再生回数が凄く伸びててすこ
車があるからマラソンには意味がないというのと同じくらいおかしい。
茂木さんの言っていた「AIと人間のアライメント」で、気になったので書いときます。
(自己ツイートコピペ)ーーーーーーーー
AIやロボット工学が人類を滅ぼすとかありますか、量子コンピュータ技術が進み、AIと人類は融合してしまい(AIは感覚感情意識、人間は頭脳不老不死得るため)、宇宙大航海時代になるとも。
ーーーーーーーーーー
昔は地図と感覚でドライブしてたけど、カーナビ無いと不安、、、
昭和のドライブは常に危険な行為(地図、標識への脇見)ブラスドライバーズエイド無しのクルマだったので、とても複雑なスキルの世界でした。
AI時代に人間が指す意味があるのか? それ言ったら、
すべてのゲームも、やる意味がなくなるね。もちろん、
スポーツだって、人間がやる意味がなくなる。
そういうこと。裏を返せば、何かをやるということが藤井聡太さんから見るとわかる。
結局、囲碁も将棋も、人と人との物語を込みで楽しんでいるのだと思います。
私自身も囲碁を打ちますが、AI×AIは特におもしろいと感じませんし、AIと打っても不毛さを感じます。
人を魅せる力が大切㌨さ
藤井聡太さんが対局するのは人間です AIではありません 意味がないと言うのはちょっと理解できません
ナンセンスです
F1もAIに運転させたら誰も見ないだろ😂
4702...
人間もAI にトレーニングしてもらえばいいじゃない?あらゆる事において。
まあでもですね、やっぱり藤井七冠と最強AIとの将棋は見てみたいです。
何故なら最強のAIですら1%ほどしか理解していないと思うわけでして、
それだけ日本の将棋の奥の深さはAIですら想像できない、恐怖のゲームでして、
その恐怖のドラマを見てみたいのです。
ですので日本の将棋に終わりはないと思いますよ。
因みにレーティングですが、それは絶対的な評価ではなく相対的な評価です。
どのようにデータを取るかによって全く変わってきます。