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当時の役人は付け届けが当たり前の時代に、なぜ田沼だけ賄賂政治家の汚名を着せられてきたのか謎なんですよね。
田沼に続く定信や家斉がダメダメ過ぎて、やっぱり田沼びいきになっちゃうな
某日本史学者先生曰く「当時は法人税という概念が無かったから田沼意次は冥加金という形で法人税を徴収した」と言っていたのを思い出しました当時は未曾有の凶作続きも相まって年貢が無ければお金を取ればいいじゃないという画期的な税収手段を確立しましたと
素晴らしい動画をありがとうございます🎉財政難の中で革新的な重商政策を採ったという理解はしていましたが、成り上がりだからこそ謙虚であったということは全く知りませんでした。成り上がりであれば、ヒラメのようになりがちだと思いますが、知情意を兼ね備えた素晴らしい人物だったんですね。
彼の父も、彼が家重に仕えたように吉宗の小姓であったのですね。紀州藩士から幕臣へと転じ、子飼いの家臣として信頼されたことが、御用取次が政策に関与できた原因だったという点がよく分かりました。成り上がり者だった故に、謙虚でもあったというのもちょっと意外に感じました。彼の従来とは発想を異にする着眼点、国内通貨統一を図るための海外への金銀の流失阻止、その代替案としての銅や海産物の俵物の輸出は慧眼です。江戸時代とは思えない民間の鉱山開発を支援する体制というのも目新しく思います。家治の後継者選出を一任されるほど信頼され、自身の縁戚から一橋家斉を押すという流れが、後に彼自身の首を絞めるとは皮肉です。なかなか曲者感ある一橋治済、家斉親子を共に利用するはずが、逆に手玉に取られてしまった形です。こういう新産業重視、商業活性化を図り税収を確保するやり方では、賄賂が横行したのもある意味仕方ない面もあり、正しいことではありませんが止めるのは難しかったと推察します。それが役人自身の出世にも関わるのであれば、当然贈賄収賄の温床となってしまったのでしょう。今も昔も政治の世界の中身は、あまり変化がないようです。
大昔に日本史をならった時は、賄賂政治をメインにに習ったように記憶していますが、いまはむしろやり方のおかげで評価が逆と聞いて時代が変わるってそんなもんかなと思いました。
この辺の人物、大好きな漫画「風雲児たち」のキャラに変換されて再生される😅
あの田沼意次は大人物でしたね。逆に松平定信は器の小さい男でした。徳川家斉なんか論外。
ある意味お金が世の中に回らないと政治や庶民の生活は良くなりません。現代でも金権政治と大物議員が吊るし上げられた後…一気に景気が悪化をたどりました。
田沼意次の成功政策は基本的に松平武元等が首座の時代の享保の改革時代の延長線上のものばかりで、田沼独裁時代の後期にやろうとした政策は革新的な政策もあったものの全て失敗ないし延期になってしまっているというのは史実の皮肉ですね。
賄賂というか付け届けと言うよりは手数料みたいな扱い。
2050年は江戸時代という本を読んでますがアメリカはロビー(賄賂)が合法ですからアメリカの影響で裏金の代わりにロビーが合法(経費)になったら尚優れた江戸時代になりますね。
5:27 9代将軍家重は病弱で脳性麻痺による言語障害があったが、大岡忠光だけが家重の言葉を理解している。意次を引き続き登用するように家治に言った( 6:33 )のは忠光を介しての家重の言葉である。
動画からすると佐野姓同士の諍いなのか。意次の母は吉宗の側室だったって話があったなぁ。新税導入しないと米本位の限界を吉宗が図らずも体現しちゃったしなぁと意次も思ってたのかも。
どうしても、徳川吉宗→西田敏行さん徳川家重→中村梅雀さん大岡忠光→天宮良さん徳川綱吉→津川雅彦さん柳沢吉保→榎木孝明さん間部詮房→石坂浩二さん松平武元(若い頃)→香川照之さんで脳内再生される…
町人(蔦重)が老中と喋れるわけないって言われるけど、譜代家臣がおらず出自様々な家臣を揃えてた田沼意次ならワンチャンあったんじゃないかと
ちゃんと賄賂はそれなりに貰ってるのは確かっぽい
緊縮財政の自民党の方がよっぽど、金権賄賂政治やん田沼さん、かっけーっす!!
家治は超秀才で吉宗からも期待されていたのだが、将軍になると田沼意次に丸投げして詰将棋作家になった。「勉強馬鹿」という評価だったが、戦後田沼が再評価されると「超秀才だからこそ田沼の天才性を見抜いていた」と再評価される。家斉の50年間は江戸文化が定着した時代。それより前の田沼時代の平賀源内がコピーを作った当時のウナギは、現代の「筏焼き」ではなく筒焼きだったはず。
田沼政権が続いた場合、ロシア🇷🇺帝国との国交条約が結ばれ、蝦夷地の発展が早くなると思います。
相良💕
結局は賄賂政治家なのね
当時の役人は付け届けが当たり前の時代に、なぜ田沼だけ賄賂政治家の汚名を着せられてきたのか謎なんですよね。
田沼に続く定信や家斉がダメダメ過ぎて、やっぱり田沼びいきになっちゃうな
某日本史学者先生曰く「当時は法人税という概念が無かったから田沼意次は冥加金という形で法人税を徴収した」
と言っていたのを思い出しました
当時は未曾有の凶作続きも相まって年貢が無ければお金を取ればいいじゃないという画期的な税収手段を確立しましたと
素晴らしい動画をありがとうございます🎉
財政難の中で革新的な重商政策を採ったという理解はしていましたが、成り上がりだからこそ謙虚であったということは全く知りませんでした。
成り上がりであれば、ヒラメのようになりがちだと思いますが、知情意を兼ね備えた素晴らしい人物だったんですね。
彼の父も、彼が家重に仕えたように吉宗の小姓であったのですね。紀州藩士から幕臣へと転じ、子飼いの家臣として信頼されたことが、御用取次が政策に関与できた原因だったという点がよく分かりました。成り上がり者だった故に、謙虚でもあったというのもちょっと意外に感じました。彼の従来とは発想を異にする着眼点、国内通貨統一を図るための海外への金銀の流失阻止、その代替案としての銅や海産物の俵物の輸出は慧眼です。江戸時代とは思えない民間の鉱山開発を支援する体制というのも目新しく思います。家治の後継者選出を一任されるほど信頼され、自身の縁戚から一橋家斉を押すという流れが、後に彼自身の首を絞めるとは皮肉です。なかなか曲者感ある一橋治済、家斉親子を共に利用するはずが、逆に手玉に取られてしまった形です。
こういう新産業重視、商業活性化を図り税収を確保するやり方では、賄賂が横行したのもある意味仕方ない面もあり、正しいことではありませんが止めるのは難しかったと推察します。それが役人自身の出世にも関わるのであれば、当然贈賄収賄の温床となってしまったのでしょう。今も昔も政治の世界の中身は、あまり変化がないようです。
大昔に日本史をならった時は、賄賂政治をメインにに習ったように記憶していますが、いまはむしろやり方のおかげで評価が逆と聞いて時代が変わるってそんなもんかなと思いました。
この辺の人物、大好きな漫画「風雲児たち」のキャラに変換されて再生される😅
あの田沼意次は大人物でしたね。逆に松平定信は器の小さい男でした。徳川家斉なんか論外。
ある意味お金が世の中に回らないと政治や庶民の生活は良くなりません。現代でも金権政治と大物議員が吊るし上げられた後…一気に景気が悪化をたどりました。
田沼意次の成功政策は基本的に松平武元等が首座の時代の享保の改革時代の延長線上のものばかりで、田沼独裁時代の後期にやろうとした政策は革新的な政策もあったものの全て失敗ないし延期になってしまっているというのは史実の皮肉ですね。
賄賂というか付け届けと言うよりは手数料みたいな扱い。
2050年は江戸時代という本を読んでますがアメリカはロビー(賄賂)が合法ですからアメリカの影響で裏金の代わりにロビーが合法(経費)になったら尚優れた江戸時代になりますね。
5:27 9代将軍家重は病弱で脳性麻痺による言語障害があったが、大岡忠光だけが家重の言葉を理解している。意次を引き続き登用するように家治に言った( 6:33 )のは忠光を介しての家重の言葉である。
動画からすると佐野姓同士の諍いなのか。
意次の母は吉宗の側室だったって話があったなぁ。
新税導入しないと米本位の限界を吉宗が図らずも体現しちゃったしなぁと意次も思ってたのかも。
どうしても、徳川吉宗→西田敏行さん
徳川家重→中村梅雀さん
大岡忠光→天宮良さん
徳川綱吉→津川雅彦さん
柳沢吉保→榎木孝明さん
間部詮房→石坂浩二さん
松平武元(若い頃)→香川照之さん
で脳内再生される…
町人(蔦重)が老中と喋れるわけないって言われるけど、譜代家臣がおらず出自様々な家臣を揃えてた田沼意次ならワンチャンあったんじゃないかと
ちゃんと賄賂はそれなりに貰ってるのは確かっぽい
緊縮財政の自民党の方がよっぽど、金権賄賂政治やん
田沼さん、かっけーっす!!
家治は超秀才で吉宗からも期待されていたのだが、将軍になると田沼意次に丸投げして詰将棋作家になった。「勉強馬鹿」という評価だったが、戦後田沼が再評価されると「超秀才だからこそ田沼の天才性を見抜いていた」と再評価される。家斉の50年間は江戸文化が定着した時代。それより前の田沼時代の平賀源内がコピーを作った当時のウナギは、現代の「筏焼き」ではなく筒焼きだったはず。
田沼政権が続いた場合、ロシア🇷🇺帝国との国交条約が結ばれ、蝦夷地の発展が早くなると思います。
相良💕
結局は賄賂政治家なのね