NAOYA MATSUOKA & WESING Studio Live 1980.07.13_1:00pm~
HTML-код
- Опубликовано: 9 фев 2025
- "モントルー・ジャズ・フェスティバル" へ出発する直前の熱過ぎる演奏。24:01~カセットテープAB面切り替えの為、数秒ロス。
Remastered Version ↓
• Video
-----
NOCHE CORRIENDO
MISTICA LATINA
ADRIA
FISHERMAN’S BREAK
RAP OUT(Oye Baila Mi Son)
松岡直也はウィシングの頃がやっぱり最高ですね。貴重な録音をありがとうございます!モントルージャズフェスティバルのまさに前夜という感じの臨場感が伝わってきますね。
その通りですね。
この録音とは無関係ですが、まだ薬物に対しての規制の運用が緩かった頃ですので、この辺りがピークといったミュージシャンは少なくないのではないでしょうか。
1回目のモントルー、ドラムはポンタさんではなく渡嘉敷さんでした。
大変ありがたい貴重な音源に感謝致します。そしてここ最近何度聴いても、09:40 - の部分、司会者が「どんなステージを企画してます?」の問いに、『( ゚Д゚)ハァ?』と聞き返す松岡さん、最高(笑)(※音楽は言わずもがな、超最高です!!)
びっくりしました。こんなすごい音源残っているのですね。1980年代中頃にアドリアをモントルー版を耳コピして高校ジャズ研の文化祭演奏でやったのはいい思い出です。松岡直也さんお亡くなりになってもう4年ですか。本物の音楽が消え去らないことを祈るばかりです。アップありがとうございます。
9:43 司会者「どんなステージをき*$#%ます?」松岡氏「はぁ?」
まあ、聞き取りずらいんだけど、こういう、マイペースで朴訥な返答をするところがたまらない
あそこまで癖の強いメンバーを束ねられるだけでも常人離れしているとは思います^^
@@SatoruY 確かに!
「( ゚Д゚)ハァ?」の件、コメントを後から読みました(笑)私、90年に都内のとあるスタジオで練習中の松岡直也さんにお会いして、サインを頂いて握手をさせて頂きました。松岡さんは確かにマイペースな方で、私が「『夏の旅』を中学生の時にLPレコードで聴きました!!」と話すと、「ホォー(´ω`)」と云う感じで嬉しそうに微笑んで下さいました。
カセットテープと思えないぐらいきれいな音源ですね。当時のWESINGの火の出るような演奏が聴けて嬉しいです。ちょっと思い出したのですが、モントルーのライブでは途中で一部コードがバラバラになってしまった曲が1曲あったと思いますが、このラジオでの演奏では大丈夫みたいですね(笑)
あれは現場のベースのモニターが聞こえなかったためですね。その原因はわかりませんが。
モントルーの時の事情を全くご存じないですね!きちんと仕事をする日本では有り得ない様なトラブルが沢山あったんですよ!向こうのスタッフの仕事が非常にアバウトだったんです。御国柄の違い、文化の違いですね!向こうでは、それが普通らしいんです!色々事前に頼んでいたのに、リハも出来ずに、急遽店を借り切りチェックをする位だったそうです。P.A.も日本からのスタッフではなく、モントルー側で正直音もバランスもベストとは言えません。当初、WESINGはトリで出る予定だったのが、有り得ない事に、トップに変更になったのでした。モニターも完全ではありませんし、ギターの土方氏の335は、ギター、シールド、アンプいずれかの接触不良を起こしています。TSの清水氏は、ソロでキーを間違えていますしね!コンガのモンゴサンタマリア氏ともリハが出来ず、当日の演奏に感動して、ぶっつけでの共演を承諾してもらったそうです!土方氏も、良いソロを弾いているのですが、トラブルで、レコードを出す際に、どうしたものか皆で悩んだそうですが、トラブルも沢山なのですが、それを差し引いても、モントルーの演奏が素晴らしかったので、そのまま出したんだそうです。モントルーの聴衆が熱狂して拍手と歓声が鳴り止まず、松岡さんが感動して立ち上がった位でした。WESINGや松岡直也グループも生で何度か見ていますが、個人的にはモントルーのジャズフェスのライブは特別で、一番好きです!これを経験してからと、その前とでは全然違うんですよ!
ギターはアキラ師匠と土方隆行さん?
右はアキラ師匠。左が土方さん?
だけど、実際にモントルーに行ったのは、是方さんだし、当時、アキラ師匠は、プリズムのレコーディング最中と聞きました?
ani yamamoto モントルー、80年の1回目は土方さん、83年の2回目は是方さんですね。
補足しますと、初回がWESINGで、2度目は松岡直也グループ(Naoya Matsuoka His Big Band!とどちらも、クロードノブ氏には紹介されていますが)です!時代はライトメロウになりつつあり、松岡直也グループとして『午後の水平線』のレコーディングの前に、わざわざ是方博邦グループのピットインライブを見に行って、バンドのギタリストに!とオファーをしたそうです!是方氏は、故大村憲司氏とカミーノやバンブーをやっており、亡くなった桑名正博さんのバンド、陽水のレコーディング、高中バンドを経て、遅過ぎたソロデビューでした。大村憲司さんも、WESINGに参加していましたから、その辺で憲司氏やポンタ氏からも、紹介があったかもしれません。ちなみに、当時の松岡グループのドラマーの多田牧男氏は、是方グループのドラマーでソナーを使っていました。アキラは、プリズムデビューから見て、聴いていますが、これはコーラスとディレイをかけ過ぎですね!wまあ、時代の音と言えばそうですが。