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死なんてみんな経験すること。ある意味楽しみなのだ。
私が今住んでいる家は、父が探し、父が亡くなり、嫁にも行けずじまいでもうこれからの生き方考えられません。
なんで宗教が出てくるのか根本的に分からないところがある自分にとってなにかものを作ったり深く学んだりすることが宗教みたいなもんなんだろうなと思うけど、関心のある何かに没頭したりとかではなく特定の宗教を選ぶということが大事なんだろうか
アマゾンのピダパン族では共同幻想がないから宗教もなく死も意識しません。しかし世界で一番幸福な民族と言われていますが。どうでしょう橋爪さん
流石小室直樹先生のお弟子さんですねぇ~!
養老さんの考えが好きです。
『マルテの手記』を若者達に読んで欲しい‼1ページ目から『死』についての話から始まる‼
死とは、人生の終着点です。 恐れる事は、有りません。
金だけじゃなくてと西洋医学もですネ
読みました。とても面白かったです。今までの橋爪先生の本と少し違うというか、熱い本だった。心に響きました。橋爪先生は知のウォーリアー。
小室先生はキリスト教を勉強しろと申しておりましたが、彼には彼のある種の目的があってのことです。彼の名言として、地獄への道は善意で舗装されているつまり、小室直樹は晩年に、「人間がありえないほど合理的であるとすれば、その動機は非合理なものだ。」と。非常に非常に意味深い言葉です超合理的な人間を作るのは、非合理的な情動なのだ…と。よくわからない情動なのだ…と。そこに理屈はない。実は、これは、小室自身のことを言っていたらしい。革命家も宗教家も政治家も同じ…動機が不純なのです。わかりやすく言うと、仲間はずれにされた、いじめられた、バカにされた、モテなかった、貧乏だった…そんな恨み、妬みがエネルギーの源なのだと😅💦そんなものがその人の心の根底に横たわるのでしょうそもそも人ごときがおこした宗教を信仰しろ‼️なんてありえません。宗教を語るなら、あなたの推薦できる宗教をまず申してください😅💦もしも人間の知能が今以上に向上する機会に、もしも恵まれれば、宗教など無くなるでしょう。(知能は退化していますが…😅💦)江戸時代の哲学者、富永仲基さまの出定後後など読みますと、特に宗教の場合、前説を凌ごうとする論者の心理が動機となって,前説の矛盾・背理・未熟さの指摘を通して,自説を「加くわえ上の ぼす」方法となるのとあります。一例を挙げれば,大乗仏典がそうで、大乗仏教の経典は釈尊ゴータマ・シッダールタその人の教説ではなく,後代になればなるほど, オリジナルな教説から逸脱し,緻密で煩瑣な内容へと発展していくのである(大乗非仏説)名声やお金儲けの手段として、後世の人が加筆したり、さらに自身の妄想や幻想を付け加えているだけ😅💦そもそもその宗教の創設者は今のようなことは考えていなかったはず。橋爪先生とは東工大主導のプロジェクトでお会いし、いろんな議論の場に参加させていただきましたが、やはりと言うか、お年を召されたでしょうね😅💦
橋爪先生って日本文明や日本教に対して否定的ですよね。また、日本の【凹文化】である吸収・同化の文化を低く評価しているじゃないかな? 【凸文化】が優れていて、【凹文化】が優れていなことはないんじゃないかな?
なんか怒ってます?
哲学は死の問題を充分取り扱ってないだろうか?橋爪さんもう少し謙虚に自分の意見を述べたらどうだろうか?この人の断定的で押しつけがましい話を聴いていると自分が尊敬されたいという魂胆が透けてみえる
結局答えが無い。答えを言わない。この人自身が「相対主義」じゃないのか?
まったく同感です。橋爪先生は相対主義批判をされているが、じゃあ、どうすればそれから抜け出せるかは一言もいっていない。この先生は知識は多いがそれだけに思える。単なるエリートの戯言に私には聞こえます。
野暮だと思いますよ 答えなんて出されちゃ それこそ戸塚ヨットスクールですよ 信仰心や宗教観に関心が薄いと問題点については言ってくれているではないですか
橋爪さんは自己の選択を正当化する道具が哲学だと言い切りましたね。何と稚拙な、この人が暴走してますね。この人は今はまさに古いエリート主義の象徴ですね。
じゃあ橋爪先生、相対主義から脱出するにはどうするのですか? 対案がないのに批判だけする今の野党政治家と同じですね。先生自身が左翼イデオロギーから抜け出すのが先ではないでしょうか?
議論が乱暴なようです。現行の日本人は従来の宗教をもたずビジネスをもつのでビジネスが宗教だというのは、滑稽でした。こんな論理展開で大丈夫なのでしょうか。
一神教的な自分があって他人があり、社会があるというインデュビジュアル的な自我は日本に元々無いものだと思ってます。日本も民主主義のような形式を一応はしていますが、一神教文化圏の、民主主義とは個々人が持っている根本的な概念に大きな差があるように感じます。ビジネスが宗教というのも社会があって自分があるという逆のベクトルの自我を持つ日本人をよく表してると思いました。何かを模倣して改良するのではなくゼロイチで社会に何かを生み出すというのはこういう根源的な自我の差異が大きいということを薄々感じてます。一方で、一神教的文化圏の指標にて日本という国を比べるのももはや間違いなのではないかという気もしています。どう思いますか?
まさにその通り。根源的な自我の差異が大きい と言われる点には大いに同館です。橋爪さんは縄文時代以来の日本歴史についてどの様にお考えなのか。彼の書物を読んでみます。
動画見てないけど逆ですよ。答えがないことを考えることを悩むというので、それでも無理やりというか、ある次元の設定をして答えのようなものを設定する能力のある人間は考えればよいですが、いわゆる低能な人々が死などの解決困難な問題を考えるのは、やめた方がいいです。答えはないからです。しかし悩むということ自体が、それほど悪いものではないという考えもありますので、あまり考えたことがない人は、むしろ悩んだ方がいいのかもしれません。
死なんてみんな経験すること。
ある意味楽しみなのだ。
私が今住んでいる家は、父が探し、父が亡くなり、嫁にも行けずじまいで
もうこれからの生き方
考えられません。
なんで宗教が出てくるのか根本的に分からないところがある
自分にとってなにかものを作ったり深く学んだりすることが宗教みたいなもんなんだろうなと思うけど、
関心のある何かに没頭したりとかではなく特定の宗教を選ぶということが大事なんだろうか
アマゾンのピダパン族では共同幻想がないから宗教もなく死も意識しません。しかし世界で一番幸福な民族と言われていますが。どうでしょう橋爪さん
流石小室直樹先生のお弟子さんですねぇ~!
養老さんの考えが好きです。
『マルテの手記』を若者達に読んで欲しい‼1ページ目から『死』についての話から始まる‼
死とは、人生の終着点です。 恐れる事は、有りません。
金だけじゃなくてと西洋医学もですネ
読みました。とても面白かったです。今までの橋爪先生の本と少し違うというか、熱い本だった。心に響きました。橋爪先生は知のウォーリアー。
小室先生はキリスト教を勉強しろと申しておりましたが、彼には彼のある種の目的があってのことです。
彼の名言として、地獄への道は善意で舗装されている
つまり、小室直樹は晩年に、「人間がありえないほど合理的であるとすれば、その動機は非合理なものだ。」と。
非常に非常に意味深い言葉です
超合理的な人間を作るのは、非合理的な情動なのだ…と。
よくわからない情動なのだ…と。
そこに理屈はない。
実は、これは、小室自身のことを言っていたらしい。
革命家も宗教家も政治家も同じ…動機が不純なのです。
わかりやすく言うと、仲間はずれにされた、いじめられた、バカにされた、モテなかった、貧乏だった…
そんな恨み、妬みがエネルギーの源なのだと😅💦
そんなものがその人の心の根底に横たわるのでしょう
そもそも人ごときがおこした宗教を信仰しろ‼️なんてありえません。
宗教を語るなら、あなたの推薦できる宗教をまず申してください😅💦
もしも人間の知能が今以上に向上する機会に、もしも恵まれれば、宗教など無くなるでしょう。(知能は退化していますが…😅💦)
江戸時代の哲学者、富永仲基さまの出定後後など読みますと、特に宗教の場合、前説を凌ごうとする論者の心理が動機となって,前説の矛盾・背理・未熟さの指摘を通して,自説を「加くわえ上の ぼす」方法となるのとあります。
一例を挙げれば,大乗仏典がそうで、大乗仏教の経典は釈尊ゴータマ・シッダールタその人の教説ではなく,後代になればなるほど, オリジナルな教説から逸脱し,緻密で煩瑣な内容へと発展していくのである
(大乗非仏説)
名声やお金儲けの手段として、後世の人が加筆したり、さらに自身の妄想や幻想を付け加えているだけ😅💦
そもそもその宗教の創設者は今のようなことは考えていなかったはず。
橋爪先生とは東工大主導のプロジェクトでお会いし、いろんな議論の場に参加させていただきましたが、やはりと言うか、お年を召されたでしょうね😅💦
橋爪先生って日本文明や日本教に対して否定的ですよね。また、日本の【凹文化】
である吸収・同化の文化を低く評価しているじゃないかな? 【凸文化】が優れて
いて、【凹文化】が優れていなことはないんじゃないかな?
なんか怒ってます?
哲学は死の問題を充分取り扱ってないだろうか?橋爪さんもう少し謙虚に自分の意見を述べたらどうだろうか?この人の断定的で押しつけがましい話を聴いていると自分が尊敬されたいという魂胆が透けてみえる
結局答えが無い。答えを言わない。この人自身が「相対主義」じゃないのか?
まったく同感です。橋爪先生は相対主義批判をされているが、じゃあ、どうすればそれから抜け出せるかは一言もいっていない。この先生は知識は多いがそれだけに思える。単なるエリートの戯言に私には聞こえます。
野暮だと思いますよ 答えなんて出されちゃ それこそ戸塚ヨットスクールですよ 信仰心や宗教観に関心が薄いと問題点については言ってくれているではないですか
橋爪さんは自己の選択を正当化する道具が哲学だと言い切りましたね。
何と稚拙な、この人が暴走してますね。
この人は今はまさに古いエリート主義の象徴ですね。
じゃあ橋爪先生、相対主義から脱出するにはどうするのですか? 対案がないのに批判だけする今の野党政治家と同じですね。先生自身が左翼イデオロギーから抜け出すのが先ではないでしょうか?
議論が乱暴なようです。現行の日本人は従来の宗教をもたずビジネスをもつのでビジネスが宗教だというのは、滑稽でした。こんな論理展開で大丈夫なのでしょうか。
一神教的な自分があって他人があり、社会があるというインデュビジュアル的な自我は日本に元々無いものだと思ってます。
日本も民主主義のような形式を一応はしていますが、
一神教文化圏の、民主主義とは個々人が持っている根本的な概念に大きな差があるように感じます。
ビジネスが宗教というのも
社会があって自分があるという
逆のベクトルの自我を持つ日本人をよく表してると思いました。
何かを模倣して改良するのではなく
ゼロイチで社会に何かを生み出すというのは
こういう根源的な自我の差異が大きいということを薄々感じてます。
一方で、一神教的文化圏の指標にて
日本という国を比べるのも
もはや間違いなのではないかという気もしています。
どう思いますか?
まさにその通り。根源的な自我の差異が大きい と言われる点には大いに同館です。橋爪さんは縄文時代以来の日本歴史についてどの様にお考えなのか。
彼の書物を読んでみます。
動画見てないけど逆ですよ。答えがないことを考えることを悩むというので、それでも無理やりというか、ある次元の設定をして答えのようなものを設定する能力のある人間は考えればよいですが、いわゆる低能な人々が死などの解決困難な問題を考えるのは、やめた方がいいです。答えはないからです。しかし悩むということ自体が、それほど悪いものではないという考えもありますので、あまり考えたことがない人は、むしろ悩んだ方がいいのかもしれません。