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次回予告が24日となっていますが25日の間違いです。お詫びして訂正させていただきます。
相変わらずラボさんの北尾の特集は愛を感じながらもオープニングの唄で落としまくるなぁw
この頃の北尾さんにはもう😢それより95年にトキメキます!まさに時代の分岐点!色々あったけど それまで平和だったんですよね〜。10.9行きました。
何度見てもいいですね❤
この頃の北尾の芸能活動で、生ダラに準レギュラーの輪島と一緒にわんぱく相撲を指導する企画に出演していましたね。北尾の出番はあまりなかった記憶があります。あと、RUclipsに転がってますが、リングの魂で世界相撲選手権の解説をしてました。選手の中には、アマ時代の海鵬、琴光喜がいて、北尾と並んで不祥事で角界を追われた力士が揃ってます。北尾はそこで「相撲の基本は45度、立会いでぶつかる角度、膝の角度、45度が最も安定する」と解説していました。下手な大相撲中継の解説の親方より簡潔かつ丁寧に説明できていました。
フジテレビ版の「ドッキリ」(週1のレギュラー番組)のコーナー「壁から北尾 ! ! 」が印象にあります。テレビ局の廊下の壁(もちろん細工がしてある)を突然突き破って北尾が現れ、通行する芸能人をビックリさせる企画でした。ほとんどの人は目論見通り、腰を抜かさんばかりに驚くのですが、俳優・八名信夫(悪役商会)は微動だにせず、北尾を見返し「おお、元気か ! 」。北尾「はい、元気です」と頭を下げ、ここでも謙虚キャラwまた、女優・涼風真世は多少は驚くも、カメラが回っていることを知ると、すぐにポケットから自身のCDを取り出して「今度の新曲です。よろしくお願いします❤」とPRする図太い一面を見せ、北尾の存在を霞ませる一幕もありました。
どのビデオも全部見たい。欲しい🤣
壁から北尾を考えついたテレビマン好きすぎる😂
取り巻きに恵まれなかったですね。基本無邪気な方なんでしょうね。WARの参戦が一番充実していたように思えます。奥様と天龍さんには愛されていたように思えます✨
まあとにかく面白い。北尾光司とかいう全く興味のなかった人物の特集がこんなに面白く、次回が楽しみになるとは思わなかった。ラボさんありがとうございます。
ラボさんお疲れさまです。相変わらず考察深くてホント面白いです。毎度、楽しませてもらっています。私事ですが、小学生の時、北尾が十両時代に相撲体験で立浪部屋で北尾と対戦しました。それもあって北尾は相撲時代は何となく応援してました。でもその時の対戦の実態、小学生の私は真っ向に当たって行ったにも拘わらず、変化され、当ってくれず、転がされました。親父からはお前は北尾ごときに転がされたと嘲笑され、非常な屈辱感は今でも忘れません。その屈辱感は北尾に対してよりも親父と対してと思いますが。プロレスラーになってからの北尾は、こっちも大人になり、大ベーダーコールと共に全く応援しておらず早く辞めろと思ってました。北尾のプロレスラー以降はホント冗談でしかないと思ってます
全てにおいて北尾らしいエピソードありがとうございます😭
ネイサンジョーンズがこんな大物になるとは思わんかったな北尾がマッドマックスに出演する世界線もあったかもな…と目頭が熱い
今回も北尾動画興味深く拝見しました。北尾を通して、人生ってのをいろいろと考えさせてくれるような気がします。自分は当時「へー」ってさらっと流してた幻の田上戦は実現したら、結果は別としてどんな試合になったのだろうかと妄想したりしてます🤔
この回だけで映画出てUFC出てPRIDEに出て全日本の話まで。相変わらず濃すぎる人生ですね。ちゃんこが不味くなければまあまずこんなユニークな体験だらけの人生にはならなかったんでしょうね。
柴田惣一役が坂上忍😀 これは貴重です 確かこの年に飲酒運転で捕まりましたね😀
総合には乗り気じゃない、じゃあ純プロレスでと思ったらアメリカでモッチー含め2日連続でクラッシャーやっちゃったりテンタとの試合でグダグダだったりそこら辺が北尾らしいwそして、次は光覇に対して光晴が待ったをかける…。
PRIDEと闘龍門、ミレニアムから00年代前半の両極端なトレンドの源流が北尾だったのは面白いですね。彼が存在したことで今のマット界があるのかもしれません。まさに超闘王です。
北尾がオタービオに勝っていたら、新日本プロレス史に残るワーストバウトと名高い武藤vsオタービオも無かったでしょうね。
世界まる見えで初めて総合格闘技見た時に、『あ、リアルだ』と思ったのと同時に、①オクタゴンが蜘蛛の巣でグレイシーが蜘蛛に見えて、他の選手は昆虫(捕食されるもの)にみえたのと、②スポーツの強弱はやっぱルールなんだなと再認識した記憶あります…北尾の映画の画像、極悪女王の方が凄さを感じます
ハリウッドもバリトゥードも本人には向いていませんでしたねプロレスの、しかも冬木軍との抗争が楽しかったっていうところが本当のところでしょうね次回最終回、ハンカチを用意して待っています
北尾の総合、オタービオとマークホールの2試合は、本当にがっかりした試合でした。この2試合で最強幻想は吹っ飛びました。
ラボさんより3つ年下です。95年は確かに人生初の国内が激動の時代でした。そして今思えばプロレスと疑似格闘技と格闘技の線引きが非常に曖昧な時代でした。北尾シリーズもあと一本ですか。連続ドラマの最終回を迎える気分です。
小川直也編もやってほしいです。自分が気になるのは1.4事変ではなく2001年頃から師匠の猪木と距離を置きはじめた真相です。K1で1番強い奴とやらせろと言っておきながら結局出場辞退したことや、新日本の大会でも色々と条件を出して出なかったり(2001年は年間5試合しかしてなかったような)した事などを深掘りしてほしいです。
北尾 VS ホイスの対決が持ち上がっていたとは、今まで知らなかったです。しかも、それがPRIDE 1の源流になっていたとは!いやはや、北尾の話は興味が尽きません。次回も楽しみにしています。
年齢を重ねれば重ねる程、代謝は悪くるなるし、節制をしないとコンディションも悪くなりますね...。北尾の体重超過は危険な信号でしたね...😰
「嫌われ松子の一生」が好きな映画の一つですが、それよりもリアルで作りも素晴らしく楽しみにしています。
自分の中での北尾のラストってプライド1の勝利だったんですけどまだ先があるんですね。世の中が総合に流れていく中、一周回って純プロレスに戻るんですね。だったら最初から…って言いたいけどそれが北尾なんですよね。天龍も頭を抱えますよね😅
やっぱり何度見ても良いもんですね😊極端にウエイトオーバーの北尾の体を見て、北尾にとって最もベストコンディションだった時期はいつだったんだろう?と🤔結論は中々出ないですかね…
SWSの初期ですかね
レッスルマニアにも出場してる北尾。
イタズラウォッチングで公衆トイレの壁から北尾が飛び出して来るのありましたけど、まさに芸能活動で忙しい時期だったんですね。。。
北尾愛無しでは作れない素晴らしい動画僕は相撲時代の北尾が好きでした、と言うよりも千代の富士に違和感があったんです。それからずっと北尾を気にして見てましたけど猪井と組んでドームに出たのがどうしても思い出せない。意外とインパクトなかったのかな
プロレス界も世の中もかなり派手な時期でしたからね
北尾ツヲ‼️
北尾シリーズでオタービオ戦敗北が一番見てて辛かったです😭北尾自身が総合に興味なかったにせよもう少しマシな負け方出来なかったのかと…
延髄への振り下ろすエルボーは、ヤバすぎました。
スポーツ冒険家の時が1番自由でよかったのかもね😂
北尾には高田戦での敗戦で興味が薄れましたが、PRIDE創成期の関係者は商品価値があると思っていたのですね。折角の商品価値を自らの手で破壊するのが北尾らしいと言えばそれまでですが😅
おお。まさにワタクシの大学時代(阪神淡路大震災→受験で上京→サリン事件)。1996年、GWの横浜アリーナ。ワタクシがK-1グランプリのリングに上がった日(闘ったとは申しておりませんよ)。アンディ・フグが優勝の大会。廊下ですれ違った横も縦も奥行きもとてつもなく大きく、縮尺が狂いそうなヒトがいた。当日、ワタクシはマイク・ベルナルドの係だったんですが(英会話のトレーニングとしたら度胸つくにもほどがある。入場時にパーカーのフードかけてくれって言われたけど届かなかった)、ベルナルドをシロクマだとしたら、クジラでしたよ、北尾は。スーツ姿で、革靴が潰れてかわいそうだった(ター山がガチでハブられてたのは内緒で✌)。あの日の北尾は顔はにこやかだったんですが、後に紀伊國屋書店新宿南店で目撃した大乃国の芝田山親方より威圧感があった。それにしても、1995年夏の夕方に新宿で向井亜紀の絶叫演説の横に直立不動の、さわやか新党から出馬の髙田延彦とか、ワタクシ、出会うヒトにバイアスありすぎです😂PRIDE1と言えば、最初の記者会見で我らが菊池孝大先生が「仕切りどうなってんだ!?」って怒髪天を突く勢いでブチギレていらしたような。当日の東京ドーム。同行の友人が、イゴール・メインダート(Wikipediaでも出ない)に投げられまくった極真の今は亡きK澤H樹さんの姿に傷ついていました…。キモVSダン・スバーンの時の空気も凄かった。「八百長やってんじゃねーよ」「八百長だったらもっと面白いよ」って、スタンドの野次交換に笑えました。えーと。土曜13時からのロシア文化特論から移動したんですよね。ストラヴィンスキー「春の祭典」大画面で見てからって、気持ちの整理がつかなかった🤣
そのK1は観客として観ていたかもです🤣しかし何されていたんですか?
@@natukasilabo2 さま。大学内の正道会館のサークルにいたもので、諸々の雑用ボランティア(!!)です。東京⇔新横浜の新幹線移動の交通費は出ました。開会式&試合前の選手のリングへの先導(客入れ前に担当選手の役でリングに立つ)、簡単な連絡事項の伝達(同じ関西出身の先輩から「お前、英語喋れるんやったら、頼むわ」と。もう一人、帰国子女の先輩がいて、二人で赤青コーナーそれぞれみたいな感じだったか。まあ、英会話と言っても、「ウォーミングアップは、ここでしてください」とか「私が誘導します」とか、そのていどですが)、終了後の控室掃除などです。売店業務は無し。たしかアンディ・フグさんのスタッフから余ったバナナやサンドイッチ(未開封)をいただきました🤣毎度の長文、ごめんなさい🙏
いやそれは凄い貴重な体験談ですよ😊観客としてお世話になりました
@@natukasilabo2 さま。思い出しついでに。1996年3月だったか。SザMさんは、現場感覚としては、わがままで。時間は守ってくれないわ、客席に自分のポストカードをプレゼントするのはいいけどファンがラッシュで横アリのパイプはひん曲がりそうだわ(ガードするのはオイラたちよ😭)。ファンサービスは大事だけどさ〜。だから、同じオージーでも、SGさんみたいには呼ばれなくなったんですよ、たぶん(ワタクシの感想です)。最近のK-1は、ラウンドガールの撮影会あるんですね。隔世の感😵💫咲月ちゃん、がんばって✌←おいおい🤣
僕は学生運動、公害、交通戦争、ベトナム戦争、オイルショック、過激派のテロなどの報道などを真に受けて、寝る前に「ああ今日も生き残れた」と思ってしまうような子供時代を送っていました。いまだにビクビクしながら生きているので性格の問題だったかもしれませんが・・😅
北尾は総合格闘技で負けてしまったけれど、横綱としての栄光は不滅です。総合格闘技が異種格闘技戦でないことが明らかになった現代において、北尾の名誉は回復されると信じています。或いは高田や曙など総合で散った者たちも、グレイシー一族ら勝者も、全員の名誉が守られますように
高田本人も言ってましたが高田と北尾は飲んで欲しかったですね
そういえば北尾UFC出てたんだ。確か日本人では市原に次いでの出場でしたかね。
体ブヨンブヨンですね
ラボ様、最終回前に星野源の歌に乗せた予告編を再アップしてください本公開時、あれ見て泣いたので😢最終回前に再び気持ちを作るためにもできればぜひ再公開をお願いします🙇♂
日本の武術家のなかにはグレイシー柔術は論理的だ。という賛とグレイシー柔術になど技術はないという否がありました。
高田延彦がプロレスラーは弱いという印象をつけた戦犯扱いされること多いですけどリアルタイム世代としては当然安生が道場破り失敗したのがきっかけですが北尾とケンドーナガサキがなんにもできずに負けたのが大きいと思ってます高田はそれを払拭しようとして大失敗したイメージ北尾もナガサキも週プロ記事の落胆っぷりったらなかった北尾なんかみっともない写真使われて、負けるくらいなら出るなくらい書かれてた記憶が
最終回は北尾光覇の歌お願いします🙇
作ったけどボツにしましたサブチャンネルで公開してます
@@natukasilabo2 あら残念😢
立ってはキックが出来ない寝ても何もできない一体何が出来るんだ状態の北尾その上プロレスも出来てないのではいち格闘家としてはちょっと…な印象が自分にはずーっと付き纏います。
ターザンだけ役名と演者名が逆ですね
しまった
北尾は寝技の練習が足りなかったんでしょうね。上に乗ってもパウンドや肘撃ちで攻められないのは、体重の乗せ方が下手で、動くとスイープ/リバーサルされる恐れがあるから。あと北尾が仕掛けたのはギロチンではなく、ワンハンドチョークもしくは前腕チョークです。ギロチンはフロントチョークのことなので。
たしかに最近のUFC中継では、ギロチン=フロントで言ってますね。ただ、2002年かな安田がジェロム・レ・バンナにキメたとき然り、この時代は、ギロチン=前腕でした。呼称の変遷は難しいですね。
いえ、最近ではなく2000年頃からペケーニョ/フランカ・ノゲイラの技としてギロチンチョークの名称が定着していました。安田がバンナに勝った技をギロチンと言っていたのは単に誤用です。柔術、MMAで前腕チョークをギロチンと呼称していたことはありません。
@@toshivolk9015 御教示ありがとうございます。プロレス界隈だと、ギロチンドロップからの連想で言いがちと推察します。
むしろ過去は意識して「上腕チョーク」と言っていたのですが、フツーに安田戦の印象でギロチンと言ってしまいました。やはりなんだかんだでMMAから離れているんだなと実感してます
たびたびスミマセン。上腕は肩から肘までですね。いわゆる力こぶは上腕二頭筋です。
曙が全日本に在籍していたときに、武藤が「やっぱり、元横綱の集客力はすごい」といっていました。これは、輪島も北尾も同じなんでしょうね。なんといっても相撲は、NHKで全国放送されているから。その横綱の知名度を利用して、一発あてようと思う人が、周囲に集まるのも、仕方のないことですね。
「北尾光覇」…。ありましたね、そんなリングネーム変更が(苦笑)。しかもよりによって読みが「みつはる」…。不快感を抱いた全日本ファンは僕だけではなかったはず、たぶん(笑)。ま、それはさておき本人にとってはせっかく「純プロレス」にそれなりに馴染んだところで「総合格闘技」をやるのはあんまり「気乗り」しなかったんでしょうね。でなかったら、もう少し試合にしても(北尾なりに)細かく考えてやったような気もします。…それにやっぱりムダにデカくなりすぎでしたね、この頃の北尾は。プロレスデビュー時はもちろん、横綱時代だってあそこまでデカくなかったですよ(苦笑)。
本人のやりたいことと周囲(プロレスファンも含む)の求めることがなかなか一致しなかったのも悲劇でしたね
自分も10.9新日vsUインター観に行ってました。当時、飯塚が高山に負けたのにとてもショックを受けたのを覚えております。この二人のその後を思うとなんとも感慨深いです。いや、他の出場選手全てのその後も同様です。これに関しての動画が楽しみです!
北尾、演技は素人にしてはまあまあだったと思いますw
オタービオ戦はマジで胸糞。オタービオのクズの人間性が最後にでてる
ほんと最悪の根性ですね
北尾最強幻想は当時ありましたが、ボクの中の最強幻想は高野俊二ですねw
一度も優勝がないままに横綱にさせた当時の横審が北尾をこのようにさせたんですよ😂
次回予告が24日となっていますが25日の間違いです。お詫びして訂正させていただきます。
相変わらずラボさんの北尾の特集は愛を感じながらもオープニングの唄で落としまくるなぁw
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何度見てもいいですね❤
この頃の北尾の芸能活動で、生ダラに準レギュラーの輪島と一緒にわんぱく相撲を指導する企画に出演していましたね。北尾の出番はあまりなかった記憶があります。あと、RUclipsに転がってますが、リングの魂で世界相撲選手権の解説をしてました。選手の中には、アマ時代の海鵬、琴光喜がいて、北尾と並んで不祥事で角界を追われた力士が揃ってます。北尾はそこで「相撲の基本は45度、立会いでぶつかる角度、膝の角度、45度が最も安定する」と解説していました。下手な大相撲中継の解説の親方より簡潔かつ丁寧に説明できていました。
フジテレビ版の「ドッキリ」(週1のレギュラー番組)のコーナー「壁から北尾 ! ! 」が印象にあります。
テレビ局の廊下の壁(もちろん細工がしてある)を突然突き破って北尾が現れ、通行する芸能人をビックリさせる企画でした。
ほとんどの人は目論見通り、腰を抜かさんばかりに驚くのですが、俳優・八名信夫(悪役商会)は微動だにせず、北尾を見返し「おお、元気か ! 」。
北尾「はい、元気です」と頭を下げ、ここでも謙虚キャラw
また、女優・涼風真世は多少は驚くも、カメラが回っていることを知ると、すぐにポケットから自身のCDを取り出して「今度の新曲です。よろしくお願いします❤」とPRする図太い一面を見せ、北尾の存在を霞ませる一幕もありました。
どのビデオも全部見たい。欲しい🤣
壁から北尾を考えついたテレビマン好きすぎる😂
取り巻きに恵まれなかったですね。基本無邪気な方なんでしょうね。WARの参戦が一番充実していたように思えます。奥様と天龍さんには愛されていたように思えます✨
まあとにかく面白い。北尾光司とかいう全く興味のなかった人物の特集がこんなに面白く、次回が楽しみになるとは思わなかった。ラボさんありがとうございます。
ラボさんお疲れさまです。
相変わらず考察深くてホント面白いです。毎度、楽しませてもらっています。
私事ですが、小学生の時、北尾が十両時代に相撲体験で立浪部屋で北尾と対戦しました。それもあって北尾は相撲時代は何となく応援してました。でもその時の対戦の実態、小学生の私は真っ向に当たって行ったにも拘わらず、変化され、当ってくれず、転がされました。親父からはお前は北尾ごときに転がされたと嘲笑され、非常な屈辱感は今でも忘れません。その屈辱感は北尾に対してよりも親父と対してと思いますが。プロレスラーになってからの北尾は、こっちも大人になり、大ベーダーコールと共に全く応援しておらず早く辞めろと思ってました。北尾のプロレスラー以降はホント冗談でしかないと思ってます
全てにおいて北尾らしいエピソードありがとうございます😭
ネイサンジョーンズがこんな大物になるとは思わんかったな
北尾がマッドマックスに出演する世界線もあったかもな…と目頭が熱い
今回も北尾動画興味深く拝見しました。
北尾を通して、人生ってのをいろいろと考えさせてくれるような気がします。
自分は当時「へー」ってさらっと流してた幻の田上戦は実現したら、結果は別としてどんな試合になったのだろうかと妄想したりしてます🤔
この回だけで映画出てUFC出てPRIDEに出て全日本の話まで。
相変わらず濃すぎる人生ですね。
ちゃんこが不味くなければまあまずこんなユニークな体験だらけの人生にはならなかったんでしょうね。
柴田惣一役が坂上忍😀 これは貴重です 確かこの年に飲酒運転で捕まりましたね😀
総合には乗り気じゃない、じゃあ純プロレスでと思ったら
アメリカでモッチー含め2日連続でクラッシャーやっちゃったりテンタとの試合でグダグダだったり
そこら辺が北尾らしいw
そして、次は光覇に対して光晴が待ったをかける…。
PRIDEと闘龍門、ミレニアムから00年代前半の両極端なトレンドの源流が北尾だったのは面白いですね。彼が存在したことで今のマット界があるのかもしれません。まさに超闘王です。
北尾がオタービオに勝っていたら、新日本プロレス史に残るワーストバウトと名高い武藤vsオタービオも無かったでしょうね。
世界まる見えで初めて総合格闘技見た時に、『あ、リアルだ』と思ったのと同時に、①オクタゴンが蜘蛛の巣でグレイシーが蜘蛛に見えて、他の選手は昆虫(捕食されるもの)にみえたのと、②スポーツの強弱はやっぱルールなんだなと再認識した記憶あります
…北尾の映画の画像、極悪女王の方が凄さを感じます
ハリウッドも
バリトゥードも
本人には向いていませんでしたね
プロレスの、しかも冬木軍との抗争が楽しかったっていうところが本当のところでしょうね
次回最終回、ハンカチを用意して待っています
北尾の総合、オタービオとマークホールの2試合は、本当にがっかりした試合でした。この2試合で最強幻想は吹っ飛びました。
ラボさんより3つ年下です。95年は確かに人生初の国内が激動の時代でした。そして今思えばプロレスと疑似格闘技と格闘技の線引きが非常に曖昧な時代でした。
北尾シリーズもあと一本ですか。連続ドラマの最終回を迎える気分です。
小川直也編もやってほしいです。
自分が気になるのは1.4事変ではなく
2001年頃から師匠の猪木と距離を置きはじめた真相です。
K1で1番強い奴とやらせろと言っておきながら
結局出場辞退したことや、新日本の大会でも色々と条件を出して出なかったり(2001年は年間5試合しかしてなかったような)した事などを深掘りしてほしいです。
北尾 VS ホイスの対決が持ち上がっていたとは、今まで知らなかったです。しかも、それがPRIDE 1の源流になっていたとは!いやはや、北尾の話は興味が尽きません。次回も楽しみにしています。
年齢を重ねれば重ねる程、代謝は悪くるなるし、節制をしないとコンディションも悪くなりますね...。
北尾の体重超過は危険な信号でしたね...😰
「嫌われ松子の一生」が好きな映画の一つですが、それよりもリアルで作りも素晴らしく楽しみにしています。
自分の中での北尾のラストってプライド1の勝利だったんですけどまだ先があるんですね。
世の中が総合に流れていく中、一周回って純プロレスに戻るんですね。だったら最初から…って言いたいけどそれが北尾なんですよね。天龍も頭を抱えますよね😅
やっぱり何度見ても良いもんですね😊極端にウエイトオーバーの北尾の体を見て、北尾にとって最もベストコンディションだった時期はいつだったんだろう?と🤔結論は中々出ないですかね…
SWSの初期ですかね
レッスルマニアにも出場してる北尾。
イタズラウォッチングで公衆トイレの壁から北尾が飛び出して来るのありましたけど、まさに芸能活動で忙しい時期だったんですね。。。
北尾愛無しでは作れない素晴らしい動画
僕は相撲時代の北尾が好きでした、と言うよりも千代の富士に違和感があったんです。それからずっと北尾を気にして見てましたけど猪井と組んでドームに出たのがどうしても思い出せない。意外とインパクトなかったのかな
プロレス界も世の中もかなり派手な時期でしたからね
北尾ツヲ‼️
北尾シリーズでオタービオ戦敗北が一番見てて辛かったです😭北尾自身が総合に興味なかったにせよもう少しマシな負け方出来なかったのかと…
延髄への振り下ろすエルボーは、ヤバすぎました。
スポーツ冒険家の時が1番自由でよかったのかもね😂
北尾には高田戦での敗戦で興味が薄れましたが、PRIDE創成期の関係者は商品価値があると思っていたのですね。折角の商品価値を自らの手で破壊するのが北尾らしいと言えばそれまでですが😅
おお。まさにワタクシの大学時代(阪神淡路大震災→受験で上京→サリン事件)。
1996年、GWの横浜アリーナ。
ワタクシがK-1グランプリのリングに上がった日(闘ったとは申しておりませんよ)。アンディ・フグが優勝の大会。
廊下ですれ違った横も縦も奥行きもとてつもなく大きく、縮尺が狂いそうなヒトがいた。当日、ワタクシはマイク・ベルナルドの係だったんですが(英会話のトレーニングとしたら度胸つくにもほどがある。入場時にパーカーのフードかけてくれって言われたけど届かなかった)、ベルナルドをシロクマだとしたら、クジラでしたよ、北尾は。スーツ姿で、革靴が潰れてかわいそうだった(ター山がガチでハブられてたのは内緒で✌)。
あの日の北尾は顔はにこやかだったんですが、後に紀伊國屋書店新宿南店で目撃した大乃国の芝田山親方より威圧感があった。
それにしても、1995年夏の夕方に新宿で向井亜紀の絶叫演説の横に直立不動の、さわやか新党から出馬の髙田延彦とか、ワタクシ、出会うヒトにバイアスありすぎです😂
PRIDE1と言えば、最初の記者会見で我らが菊池孝大先生が「仕切りどうなってんだ!?」って怒髪天を突く勢いでブチギレていらしたような。
当日の東京ドーム。同行の友人が、イゴール・メインダート(Wikipediaでも出ない)に投げられまくった極真の今は亡きK澤H樹さんの姿に傷ついていました…。キモVSダン・スバーンの時の空気も凄かった。「八百長やってんじゃねーよ」「八百長だったらもっと面白いよ」って、スタンドの野次交換に笑えました。
えーと。土曜13時からのロシア文化特論から移動したんですよね。ストラヴィンスキー「春の祭典」大画面で見てからって、気持ちの整理がつかなかった🤣
そのK1は観客として観ていたかもです🤣しかし何されていたんですか?
@@natukasilabo2 さま。
大学内の正道会館のサークルにいたもので、諸々の雑用ボランティア(!!)です。東京⇔新横浜の新幹線移動の交通費は出ました。
開会式&試合前の選手のリングへの先導(客入れ前に担当選手の役でリングに立つ)、
簡単な連絡事項の伝達(同じ関西出身の先輩から「お前、英語喋れるんやったら、頼むわ」と。もう一人、帰国子女の先輩がいて、二人で赤青コーナーそれぞれみたいな感じだったか。まあ、英会話と言っても、「ウォーミングアップは、ここでしてください」とか「私が誘導します」とか、そのていどですが)、
終了後の控室掃除などです。売店業務は無し。
たしかアンディ・フグさんのスタッフから余ったバナナやサンドイッチ(未開封)をいただきました🤣
毎度の長文、ごめんなさい🙏
いやそれは凄い貴重な体験談ですよ😊
観客としてお世話になりました
@@natukasilabo2 さま。
思い出しついでに。
1996年3月だったか。
SザMさんは、現場感覚としては、わがままで。時間は守ってくれないわ、客席に自分のポストカードをプレゼントするのはいいけどファンがラッシュで横アリのパイプはひん曲がりそうだわ(ガードするのはオイラたちよ😭)。ファンサービスは大事だけどさ〜。だから、同じオージーでも、SGさんみたいには呼ばれなくなったんですよ、たぶん(ワタクシの感想です)。
最近のK-1は、ラウンドガールの撮影会あるんですね。隔世の感😵💫
咲月ちゃん、がんばって✌←おいおい🤣
僕は学生運動、公害、交通戦争、ベトナム戦争、オイルショック、過激派のテロなどの報道などを真に受けて、寝る前に「ああ今日も生き残れた」と思ってしまうような子供時代を送っていました。いまだにビクビクしながら生きているので性格の問題だったかもしれませんが・・😅
北尾は総合格闘技で負けてしまったけれど、横綱としての栄光は不滅です。
総合格闘技が異種格闘技戦でないことが明らかになった現代において、北尾の名誉は回復されると信じています。
或いは高田や曙など総合で散った者たちも、グレイシー一族ら勝者も、全員の名誉が守られますように
高田本人も言ってましたが高田と北尾は飲んで欲しかったですね
そういえば北尾UFC出てたんだ。
確か日本人では市原に次いでの出場でしたかね。
体ブヨンブヨンですね
ラボ様、最終回前に星野源の歌に乗せた予告編を再アップしてください
本公開時、あれ見て泣いたので😢
最終回前に再び気持ちを作るためにもできればぜひ再公開をお願いします🙇♂
日本の武術家のなかにはグレイシー柔術は論理的だ。という賛とグレイシー柔術になど技術はないという否がありました。
高田延彦がプロレスラーは弱いという印象をつけた戦犯扱いされること多いですけど
リアルタイム世代としては当然安生が道場破り失敗したのがきっかけですが
北尾とケンドーナガサキがなんにもできずに負けたのが大きいと思ってます
高田はそれを払拭しようとして大失敗したイメージ
北尾もナガサキも週プロ記事の落胆っぷりったらなかった
北尾なんかみっともない写真使われて、負けるくらいなら出るなくらい書かれてた記憶が
最終回は北尾光覇の歌お願いします🙇
作ったけどボツにしました
サブチャンネルで公開してます
@@natukasilabo2 あら残念😢
立ってはキックが出来ない
寝ても何もできない
一体何が出来るんだ状態の北尾
その上プロレスも出来てないのでは
いち格闘家としてはちょっと…な印象が
自分にはずーっと付き纏います。
ターザンだけ役名と演者名が逆ですね
しまった
北尾は寝技の練習が足りなかったんでしょうね。上に乗ってもパウンドや肘撃ちで攻められないのは、
体重の乗せ方が下手で、動くとスイープ/リバーサルされる恐れがあるから。
あと北尾が仕掛けたのはギロチンではなく、ワンハンドチョークもしくは前腕チョークです。ギロチンはフロントチョークのことなので。
たしかに最近のUFC中継では、ギロチン=フロントで言ってますね。
ただ、2002年かな安田がジェロム・レ・バンナにキメたとき然り、この時代は、ギロチン=前腕でした。
呼称の変遷は難しいですね。
いえ、最近ではなく2000年頃からペケーニョ/フランカ・ノゲイラの技としてギロチンチョークの名称が定着していました。
安田がバンナに勝った技をギロチンと言っていたのは単に誤用です。
柔術、MMAで前腕チョークをギロチンと呼称していたことはありません。
@@toshivolk9015
御教示ありがとうございます。
プロレス界隈だと、ギロチンドロップからの連想で言いがちと推察します。
むしろ過去は意識して「上腕チョーク」と言っていたのですが、フツーに安田戦の印象でギロチンと言ってしまいました。やはりなんだかんだでMMAから離れているんだなと実感してます
たびたびスミマセン。上腕は肩から肘までですね。いわゆる力こぶは上腕二頭筋です。
曙が全日本に在籍していたときに、武藤が「やっぱり、元横綱の集客力はすごい」といっていました。これは、輪島も北尾も同じなんでしょうね。なんといっても相撲は、NHKで全国放送されているから。その横綱の知名度を利用して、一発あてようと思う人が、周囲に集まるのも、仕方のないことですね。
「北尾光覇」…。
ありましたね、そんなリングネーム変更が(苦笑)。しかもよりによって読みが「みつはる」…。不快感を抱いた全日本ファンは僕だけではなかったはず、たぶん(笑)。
ま、それはさておき本人にとってはせっかく「純プロレス」にそれなりに馴染んだところで「総合格闘技」をやるのはあんまり「気乗り」しなかったんでしょうね。でなかったら、もう少し試合にしても(北尾なりに)細かく考えてやったような気もします。
…それにやっぱりムダにデカくなりすぎでしたね、この頃の北尾は。プロレスデビュー時はもちろん、横綱時代だってあそこまでデカくなかったですよ(苦笑)。
本人のやりたいことと周囲(プロレスファンも含む)の求めることがなかなか一致しなかったのも悲劇でしたね
自分も10.9新日vsUインター観に行ってました。
当時、飯塚が高山に負けたのにとてもショックを受けたのを覚えております。
この二人のその後を思うとなんとも感慨深いです。いや、他の出場選手全てのその後も同様です。
これに関しての動画が楽しみです!
北尾、演技は素人にしてはまあまあだったと思いますw
オタービオ戦はマジで胸糞。
オタービオのクズの人間性が最後にでてる
ほんと最悪の根性ですね
北尾最強幻想は当時ありましたが、ボクの中の最強幻想は高野俊二ですねw
一度も優勝がないままに横綱にさせた当時の横審が北尾をこのようにさせたんですよ😂