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西崎イズム全開でアステロイドシップ・イカロスのままだったら変なSFアニメとして埋もれてたかも。
利他的な軍人なんて今の若い士官にいるのかな
1958年生まれの女子(笑)ですが、地方住みの為、放映は日曜日午前中で、それも途中打ち切りというショッキングな結末でした。ただ、その後、地元のテレビ局で総集編を局内で、映画のようにしたのを抽選で見せてくれました。ほとんど男子の中に私と私について来てくれた親友が、めちゃ浮いていましたね😅プラモデルありましたよ❗️6千なんぼ出して、こっそり部屋で造りあげました。父がえらく気に入ってニス?塗装をしてくれ嬉しかった思い出があります。その後もオタク気味な人生ですが、娘は真正オタクです。お互い尊重してます✋
1965年生まれの57歳です。2年前、初めて、映画「シン・エヴァンゲリオン」を見ようと思い(それまで何も知らない)新劇場版3作くらいは見てから映画に行こう、で見たら、、「あれ?これヤマトじゃん」と気づき、一気にハマりました。小学生で観た「宇宙戦艦ヤマト」の思い出が蘇りました。なんで20年以上気がつかなかったんだろう。主要スタッフさん達が、同世代という理由もあり、すごく元気がもらえた作品でした。
「新戦艦高千穂」に「リュイテン太陽」を足すとヤマトになると思っていたどちらも松本零士とは異質な作品松本先生は既にヤマトよりすごい「ワダチ」を描いちゃってるので
漫画書いているとき、松本先生のメカの書き方摸写していたなあ
服がピチピチと言えば「ミクロの決死圏」のラクウェル・ウェルチ! どれだけ影響を与えたのかは知らないけど、個人的にそう思っている。
先人の方々が居なければ後進の人々もいない、という論理はよく聞くが、断定はできないと思う。松本零士がいなければ、別の人が何がしかSF大作は作っただろうし、今もそれは続いている。全てのクリエイターが松本零士をリスペクトしなければならないということもないだろうし。たしかに松本零士は偉大なる先人だし、自分も心震わせた一人ではある。だが可能性というのはいつの時代もあらゆる方向に存在しているように思う。人類が絶滅しないかぎり、人材というのは尽きることはない。
ヤマトはストーリーもさることながら、描写とかよかったね。そこがそれ以前のマジンガーZとかと違うというか。乗組員が軍隊でいう兵科に分かれてて、階級こそないものの、命令指揮系統ができていた。波動エンジン始動や主砲の発射までのシーケンスとかもひっぱてたし。あとコスモタイガーからのミサイルも、ま、宇宙なら関係ないんだけど、いきなり翼からバーン、て発射じゃなくてロケット点火して、ちょっと下に下がって、少し後ろに後退して、それからバーンで飛んでくという。まんまスパローの発射みたいで。それから舷側から発射されるミサイル。一旦、噴煙排出口が開いて、そっから噴煙が出てからミサイルが飛び出していくという。まんま現代のVLSなんですね。ああしないと排出したブラスターが艦内に充満しちゃいますものね。そうした細かい描写が刺さりましたね。
ひっぱて ➡ ひっぱって
うちの父親は小学一年の頃妹とハイジ見るかヤマト見るかで喧嘩していたらしいです。で、ヤマトが打ち切られて、めちゃくちゃ悔しかったらしく、でも次第に人気が出て、劇場版の時はもう親を連れてわざわざセルを貰うために映画館に行ったとか…
そうね。第一話で、攻撃されて「まだ俺たちがいる」でも隔壁が閉じられて岸捨てられたシーンってのがリアルだったっポイ(再々放送視聴)
劇場版 宇宙戦艦ヤマト !はい。当時 アニメージュ買いましたよ!ポスター張りました。松本零士先生 ご冥福お祈り申し上げます。
今還暦のジジィです。庵野監督は小・中の2コ先輩でした。僕が小6の時ヤマトがテレビ放映されていましたので、庵野監督は大学時代より先、中2でヤマト体験をされています。中学時代庵野監督は美術部の部長さんで、卒業新聞に「松本零士を尊敬している」旨の短文を書いていらっしゃいます。あれ、取っとけばよかったなあ。
たしかに、記憶力が一番よかった中学生という大事な時期にヤマトの作中のセリフを覚えるのに費やしたとか庵野さん言ってたような
シン・ヤマトやりますね!めっちゃ楽しみです!
ヤマトがなければ、庵野も岡田斗司夫もいなかった⁉️そりゃそうでしょ😁「さらば宇宙戦艦ヤマト~愛の戦士たち」のテロップをよぉく観てください❗️絵コンテの安彦良和を皮切りに、荒木伸吾・姫野美智・宇田川一彦・金田伊功・富野由悠季・高橋良輔・宮崎駿・高畑勲…etc現在の大御所たるクリエイター達が、こぞってスタッフロールに出てくるんですよ?庵野や岡田斗司夫が影響受けない訳が無い❗️しかも、宣伝協力に徳間書店ですからね?この後、ナウシカで巨神兵を描く庵野が、学生ながらに参加してた可能性すら有る😅しかも、これ程のクリエイターが揃っていながら、当時イスカンダルを背景に浮かぶスターシャと宇宙に浮かぶテレサを描けません❗️と悲鳴を上げたってんだから、松本先生は偉大過ぎる✨松本先生、先生がおっしゃっておられた「自分のいない地球」が出来上がってしまいました。宇宙の海に旅立たれた今、「自分のいない地球」をどう描き上げますか?描きたくなるような地球でしょうか?安らかな眠りの中、宇宙の海を旅してください。そしてまた、遠く時の輪の接するところでお会い出来ることを夢見ております🙏
確か宮崎、高畑はヤマトには関わっていなかったと思います。安彦さんはさらばまで関わってようですね。
ルパン三世には関わっていましたが。
@@室井修-k1r さらば~のテロップに名前ありましたよ?🤔絵コンテだったかな?🤔
@@virgoshaka5601 そうなんだ、宮崎氏は宇宙戦艦ヤマトには、あんなのエリートの話じゃん程度しかコメントしてなかったし、当時、幼児向けアニメで忙しそうな感じがしたから、してなかったとばかり。富野氏は、1で、西崎Pの方針を無視したため、クビになったという話は聞くけどね。安彦氏は、西崎Pの待遇が気に食わなかったから、その辺りでやめたとか。
@@室井修-k1r 詳細はわかりませんが、自分も最初に気付いた時は驚きました😯💡宮崎・高畑は、SF寄りではないと思ってましたので😅けど富野御大は、さらば宇宙戦艦ヤマトで、皆頃市の醍醐味を知ったんじゃないんですか?😅
宇宙大作戦こと、スタートレックの写真の色が褪色してるのなんの。なんでまともな写真にしないのか?緑じゃなくてイエロー。この時代の指揮系統・操舵系はイエロー、科学・医療はブルー、エンジニアリングはレッドとなっていた。ヤマトの色分けされているのも同様に担当セクションで違う。戦闘はレッド、航海、操舵はグリーン、科学はブルー、エンジニアはオレンジ、通信はイエロー地にブラックなどが使用されていた。
当時中学生だったけど宇宙戦艦ヤマトを観てた人がクラスに1人しかいなかった。侍ジャイアンツの後番組だっただけに前作と余りの違いに最初衝撃を受けた!でもヤマトのSF考証の緻密さ(当時はそう思った)に完全に虜になりその後はハヤカワ書房や創元社の海外SF小説を漁るように読んだ。ヤマトは日本版スペースオペラの最初のアニメだと思う。
本放送時小学生で毎週観ていました。ただ、クラスではほとんどが裏番組の「猿の軍団」を観ていて、ヤマト組はワタシともう一人ぐらいしか居なかったんですよねぇ…結構聞く話ですが
プラモデル無いって言ってるけど、小中学生時代に100円のプラモめちゃくちゃ買ってましたね。あと消しゴム。いっぱい持ってましたよ。
ヤマトがスベってるのはやっぱり松本零士不在だからだよな
ヤマトという作品は、松本さんのみならず、西崎P、ますだ利雄監督、豊田有恒氏とかいろんな方が関わっていたので、いろんなスパイスが利いていたのではないかと。松本さんのヤマトが流行らないのも、松本色が強すぎるためだし、西崎Pのヤマトもいまいちなのは、松本色が足りてないわけで。
今のヤマトにはオリジナルのスパイスが何もないから。
ヤマトは松本ワールドと相入れない
ザ・コックピット文庫2巻 「ラインの虎」にドイツの戦車大隊長として登場した沖田艦長。眼光険しく、ハードボイルドな活躍を見せる。まさしく旧作ヤマトのイメージだった。
N氏のある意味能天気さが悲観に走る松本氏のブレーキであったことは認めますが、N氏がセクサロイド読んでなかったら隕石戦艦三笠とか長門とかになって影も形もなかっただろうと思います。実際ヤマトファンにも2種類いて、零士作品を読んでるか否かで捉え方がことなるなと思います。私は明らかに松本フレーバーとか「幻想空間」と呼ばれた作風を強く感じる方で(不細工キャラと悲観的な話でないことは、非松本的だと思います)、N氏の功績を挙げる人は、松本零士という漫画家を知らなかったのだろうと思っています(もっとも、さすがに古代をおいどんにしたら最初から終わりますけどね)2199を劇場で見た人数が、ある意味「三十代の松本零士不在のヤマト」を表現していると思います
重量感の源体験として、地響きを発して起動する宇宙船なんて、後にも先にも洋画にもあり得なかった。始動で「ドグオオオ ファウフアウファウ」イグニッションで「ニギュウウゥゥ…」静寂から「フイイイ」アイドリングで、電車の床下モーターみたいな音色が「ギエエエエ」と盛り上がっっていく。」
ヤマトのテーマであるミッションは同時期にブームになった西遊記にも共通ですね。スタージンガーが生まれた背景もそこに有ると思います。
ヤマト映画公開前日深夜にオールナイトニッポンヤマトリアル朗読劇をやってたなぁ。
コスモクリーナーD作動のシーンで森雪が若干噛んでませんでした?「古代君が死んじゃう!」のところ
1965年生まれ、ヤマトの映画で並んだ世代です。アニメブームは紛れもなくヤマトから爆発しました。ルパン三世も、マジンガーZも、ヤマトがなければ、ここまで残らなかったでしょう。こんなに薄っぺらく語られて終わるべき作品ではありません。
エヴァがセンセーショナルといわれた時に自分の中で盛り上がらなかったのは、既にヤマトを観ていたかったからなのですね。なるほど。
大和の原作者は西崎と一般には言われているけど。西崎は手塚先生から「トリトン」を奪ったように、クリエイタ-では無かったのではないだろうか。スト-リ-の根幹を創ったのは松本先生の功績だろう。それをアニメ化する際に西崎がプロデュ-サ-として加わった。という感じが真実ではないかと思う。西崎が権利をもぎ取れたのは偏に弁護士の功績だろう。
企画原案総指揮 西崎義展美術総設定 松本零士
ニューノーチラス号の主砲の音がまんまヤマトだったのは、当時ナディアを見ていた頃はパロディと思っていたけど…オマージュだったか、と今にして思う
ピチピチ全身タイツはキャプテンウルトラ、光速エスパー、ナショナルキッド辺りもまあ6、70年代のテレビは全部アメリカの真似だし
ヤマトを「男の話」としているけど、女子が喰いついたんだよね。特に『さらば~』。1978年の夏休み映画で、この年にはすでに『闘将ダイモス』が始まっていて、翌年が『ベルばら』。アニメ雑誌が当て込んだのもこの層で、ヒットの規模に対してプラモがいまいちなのも顧客の半分が女子だから。
私は当時「ハイジ」を見ていたので「ヤマト」は再放送派なのですが同級生の男女に数人リアルタイム「ヤマト」派がいて、何度も見るように勧められたのを覚えてますピッチピチの源流には水野久美さん限定の(X星人)もあるのではないでしょうか
怪獣0(キングギドラ)怪獣01(ゴジラ)怪獣02(ラドン)ですね😅
ハイジ以来世界名作劇場で通っていたのが我が家です。ヤマトは関テレの再放送(世界名作劇場もニチアサで再放送)で最初に見ました。日曜ゴールデンの日テレは笑点と西遊記、日本新記録ならよく見ました。
ミヤザキハヤオって結局自分以外の価値観認めない人だからね。手塚治虫のことも批判していたし。でもでもでも、そういう程に宮崎アニメって大した作品だと感じた事ないですけどね。本題から外れまして失礼しました。皆さんのコメ見てちょっと熱くなりまして。ヤマト大好きなので。
宮崎アニメは、未来少年コナンがマックス。みんなわかっていない。
タイトルからヤマトは偉大だね
僕は小学校3年の時に本放送観ましたょ。居ても立っても居られないワクワク感と、これを観て得た知識を皆んなに広めねばという想いで、もぅそれで同人誌作っちゃうワケです。ワープロなんて存在して無いですから、親戚の兄さんが持ってた写植機使って1文字づつ打って文章書きました。それをまたコピー機なんて日本には無かったので(アメリカのゼロックス社にはあったらしい)親父の会社の「青焼き機」使って複写したょ。スクリーントーンなんて物があるのも知ったのはこの時だ。つーか、宇宙戦艦ヤマトを知らないとか、なんだそりゃ?非国民としか思えん〜。
同い年ですね。「またしょーもない巨大ロボット物の延長か?」と馬鹿にしながら見始めた本放送第1話。これを見たときの衝撃は凄かった。あんなに短く感じた30分枠はありませんでした干上がった赤い地球、降り注ぐ遊星爆弾、沈む夕日の背景と戦艦大和の残骸。これは今まで見てきたものとは大きく違う。次の日曜日までが、まあ長いこと長いこと・・・日曜日は朝からそわそわしてましたねしかし同人誌を作るなんて私には思いつきもしませんでした。凄いですねぇ
初回リアルで見てた人は貴重です。視聴率2%で半年で打ち切りですから
番組の最後に出て来る、地球滅亡まであと※※日ってテロップを見ていたクチだね。はい、自分もそうです。当時家に有った調子のよくないソニ-のトリニトロンカラ-テレビで見ていました。何度修理に出しても調子が良くなかった。それ以来うちではソニ-のテレビははご法度でした。小さい頃、ジャイアントロボを白黒テレビで見ていたクチです。
森雪とブルース・リーを重ねるなwww
最後のカットでキルビル…主人公思い出す。 ついでにゴーゴー夕張も
さらば宇宙戦艦ヤマトを見て腰が抜けるほど感動した夏休み。その後の新たなる…から現在までの物は完全に別物で、私の中ではさらばが孤高の作品です。美しい音楽も、わかりやすい勧善懲悪も、利他も、いまだにちゃんとささります。松本零士先生のご冥福をお祈りいたします(ホントは松本先生のオリジナルではないのだけど…)
ちなみに、さらば宇宙戦艦ヤマトの中で使われている白色彗星帝国のテーマを演奏していたのは、当時高校生だった宮川彰氏だったそうです。
@@山田太郎-g7x9j❌ 彰️⭕️ 彬良
プレステ版の遥かなる星イスカンダルは良かったが復活編とか2199とかはもう違う何か、まあそれ言ったらガンダムとかDBとかにも同じ事おこってるから理由にはならないか‥
まあ復活編はまだヤマトとか雰囲気違うけど単独のSFアニメとしてはまあまあ見れると思うけど、2199はリメイクとかそんなの関係なしに完全に崩壊してましたね
編 ➡ 篇
松本先生訃報 人生は、儚く悲しいが美しい。松本ワールド 松本先生 85年の人生 すばらしい人生であった。ここ山田先生の動画はゲストでよく出られる 少女マンガ専門家きたがわ翔先生つながりでよく見ています。松本先生といえば奥様の 牧美也子先生、りぼん読者としては マキの口笛 を思いだします。松本先生 は ときわ荘メンバーではないが最近没した 昔よく読んだ りぼん誌 マーガレットちゃん で活躍した 大好きな よこたとくお氏。。。漫画タイトルが マーガレットちゃん なのに 週刊マーガレット誌連載ではなく りぼん誌連載。。トキワ荘メンバーも 水野英子女史 ときわ荘通いメンバー → 個人的に大好きな つのだじろう氏 つげ義春氏を残し 鬼籍に入った方がほとんどになった。山田先生の松本氏への熱弁を聞きながら 明日来るかもしれない死。。。
ピチッとした服の本当の元祖は月光仮面では、、、いや、黄金バットか、、、
まぁ単純に描きやすいからなんですよね。服のしわ込みのアニメーションは難しいし、人も多いので大変。
戦前・戦後のアメリカのSF小説の扉絵や挿絵がYAMATOやスペースコブラの様な女性衣装が多くて、マーベラスコミックは逆に服の面積とか時代的にNGに成って着込んで来てます。
@@ムラサキスタ 雪の全身タイツコスチュームは遊星爆弾の放射能で劣勢化した男性性欲を増活させ、戦争で減少した人口を少しでも増加させる対策意図が根底にあったとか聞いたような・・・
2199をやるのが20年遅かったと思う。その間に松本零士監修のゲーム版とかあったけどさ。世代交代失敗。
ザ コックピット作ってる頃かな。復活編がうわさされて、立ち消えした90年代か。あの時期は、裁判とかで、松本、西崎Pの時間の浪費だった頃ですね。
クラスターだったのか・・・
ピチピチスーツが流行った理由? 特撮:服の予算がない アニメ:作画が面倒…
ガンダムは絶えず追加コンテンツ追加していったけどヤマトは一時追加コンテンツが完全に途絶えたから世代が完全に分断したかな
キャシャーンの元祖は?と言われると、宇津井健さんのスーパージャイアンツではないかと。元祖もっこりといえば、この方ですよね。
タイツスーツの元祖は仮面ライダーでは?戦闘員とか怪人、ハチ女..
謎の円盤UFOのエリス中尉かと
@@魔仁亜 そうそう、子供の僕には刺激的でした。
今更
宇宙戦艦ヤマトは松本零士先生のものだ。
西崎イズム全開でアステロイドシップ・イカロスのままだったら変なSFアニメとして埋もれてたかも。
利他的な軍人なんて今の若い士官にいるのかな
1958年生まれの女子(笑)ですが、地方住みの為、放映は日曜日午前中で、それも途中打ち切りというショッキングな結末でした。ただ、その後、地元のテレビ局で総集編を局内で、映画のようにしたのを抽選で見せてくれました。ほとんど男子の中に私と私について来てくれた親友が、めちゃ浮いていましたね😅プラモデルありましたよ❗️6千なんぼ出して、こっそり部屋で造りあげました。父がえらく気に入ってニス?塗装をしてくれ嬉しかった思い出があります。その後もオタク気味な人生ですが、娘は真正オタクです。お互い尊重してます✋
1965年生まれの57歳です。
2年前、初めて、映画「シン・エヴァンゲリオン」を見ようと思い(それまで何も知らない)新劇場版3作くらいは見てから映画に行こう、で見たら、、
「あれ?これヤマトじゃん」と気づき、一気にハマりました。小学生で観た「宇宙戦艦ヤマト」の思い出が蘇りました。
なんで20年以上気がつかなかったんだろう。主要スタッフさん達が、同世代という理由もあり、すごく元気がもらえた作品でした。
「新戦艦高千穂」に「リュイテン太陽」を足すとヤマトになると思っていた
どちらも松本零士とは異質な作品
松本先生は既にヤマトよりすごい「ワダチ」を描いちゃってるので
漫画書いているとき、松本先生のメカの書き方摸写していたなあ
服がピチピチと言えば「ミクロの決死圏」のラクウェル・ウェルチ! どれだけ影響を与えたのかは知らないけど、個人的にそう思っている。
先人の方々が居なければ後進の人々もいない、
という論理はよく聞くが、断定はできないと思う。
松本零士がいなければ、別の人が何がしかSF大作は作っただろうし、
今もそれは続いている。
全てのクリエイターが松本零士をリスペクトしなければならない
ということもないだろうし。
たしかに松本零士は偉大なる先人だし、自分も心震わせた一人ではある。
だが可能性というのはいつの時代も
あらゆる方向に存在しているように思う。
人類が絶滅しないかぎり、人材というのは尽きることはない。
ヤマトはストーリーもさることながら、描写とかよかったね。そこがそれ以前のマジンガーZとかと違うというか。乗組員が軍隊でいう兵科に分かれてて、階級こそないものの、命令指揮系統ができていた。波動エンジン始動や主砲の発射までのシーケンスとかもひっぱてたし。
あとコスモタイガーからのミサイルも、ま、宇宙なら関係ないんだけど、いきなり翼からバーン、て発射じゃなくてロケット点火して、ちょっと下に下がって、少し後ろに後退して、それからバーンで飛んでくという。まんまスパローの発射みたいで。
それから舷側から発射されるミサイル。一旦、噴煙排出口が開いて、そっから噴煙が出てからミサイルが飛び出していくという。まんま現代のVLSなんですね。ああしないと排出したブラスターが艦内に充満しちゃいますものね。そうした細かい描写が刺さりましたね。
ひっぱて ➡ ひっぱって
うちの父親は小学一年の頃妹とハイジ見るかヤマト見るかで喧嘩していたらしいです。
で、ヤマトが打ち切られて、めちゃくちゃ悔しかったらしく、でも次第に人気が出て、劇場版の時はもう親を連れてわざわざセルを貰うために映画館に行ったとか…
そうね。第一話で、攻撃されて「まだ俺たちがいる」でも隔壁が閉じられて岸捨てられたシーンってのがリアルだったっポイ(再々放送視聴)
劇場版 宇宙戦艦ヤマト !
はい。当時 アニメージュ買いましたよ!ポスター張りました。
松本零士先生 ご冥福お祈り申し上げます。
今還暦のジジィです。庵野監督は小・中の2コ先輩でした。僕が小6の時ヤマトがテレビ放映されていましたので、庵野監督は大学時代より先、中2でヤマト体験をされています。
中学時代庵野監督は美術部の部長さんで、卒業新聞に「松本零士を尊敬している」旨の短文を書いていらっしゃいます。あれ、取っとけばよかったなあ。
たしかに、記憶力が一番よかった中学生という大事な時期にヤマトの作中のセリフを覚えるのに費やしたとか庵野さん言ってたような
シン・ヤマトやりますね!
めっちゃ楽しみです!
ヤマトがなければ、庵野も岡田斗司夫もいなかった⁉️
そりゃそうでしょ😁
「さらば宇宙戦艦ヤマト~愛の戦士たち」のテロップをよぉく観てください❗️
絵コンテの安彦良和を皮切りに、荒木伸吾・姫野美智・宇田川一彦・金田伊功・富野由悠季・高橋良輔・宮崎駿・高畑勲…etc
現在の大御所たるクリエイター達が、こぞってスタッフロールに出てくるんですよ?
庵野や岡田斗司夫が影響受けない訳が無い❗️
しかも、宣伝協力に徳間書店ですからね?この後、ナウシカで巨神兵を描く庵野が、学生ながらに参加してた可能性すら有る😅
しかも、これ程のクリエイターが揃っていながら、当時イスカンダルを背景に浮かぶスターシャと宇宙に浮かぶテレサを描けません❗️と悲鳴を上げたってんだから、松本先生は偉大過ぎる✨
松本先生、先生がおっしゃっておられた「自分のいない地球」が出来上がってしまいました。
宇宙の海に旅立たれた今、「自分のいない地球」をどう描き上げますか?描きたくなるような地球でしょうか?
安らかな眠りの中、宇宙の海を旅してください。
そしてまた、遠く時の輪の接するところでお会い出来ることを夢見ております🙏
確か宮崎、高畑はヤマトには関わっていなかったと思います。安彦さんはさらばまで関わってようですね。
ルパン三世には関わっていましたが。
@@室井修-k1r
さらば~のテロップに名前ありましたよ?🤔
絵コンテだったかな?🤔
@@virgoshaka5601 そうなんだ、宮崎氏は宇宙戦艦ヤマトには、あんなのエリートの話じゃん程度しかコメントしてなかったし、当時、幼児向けアニメで忙しそうな感じがしたから、してなかったとばかり。富野氏は、1で、西崎Pの方針を無視したため、クビになったという話は聞くけどね。安彦氏は、西崎Pの待遇が気に食わなかったから、その辺りでやめたとか。
@@室井修-k1r
詳細はわかりませんが、自分も最初に気付いた時は驚きました😯💡
宮崎・高畑は、SF寄りではないと思ってましたので😅
けど富野御大は、さらば宇宙戦艦ヤマトで、皆頃市の醍醐味を知ったんじゃないんですか?😅
宇宙大作戦こと、スタートレックの写真の色が褪色してるのなんの。
なんでまともな写真にしないのか?
緑じゃなくてイエロー。
この時代の指揮系統・操舵系はイエロー、
科学・医療はブルー、
エンジニアリングはレッドとなっていた。
ヤマトの色分けされているのも同様に担当セクションで違う。
戦闘はレッド、航海、操舵はグリーン、科学はブルー、エンジニアはオレンジ、通信はイエロー地にブラックなどが使用されていた。
当時中学生だったけど宇宙戦艦ヤマトを観てた人がクラスに1人しかいなかった。侍ジャイアンツの後番組だっただけに前作と余りの違いに最初衝撃を受けた!でもヤマトのSF考証の緻密さ(当時はそう思った)に完全に虜になりその後はハヤカワ書房や創元社の海外SF小説を漁るように読んだ。ヤマトは日本版スペースオペラの最初のアニメだと思う。
本放送時小学生で毎週観ていました。ただ、クラスではほとんどが裏番組の「猿の軍団」を観ていて、ヤマト組はワタシともう一人ぐらいしか居なかったんですよねぇ…結構聞く話ですが
プラモデル無いって言ってるけど、小中学生時代に100円のプラモめちゃくちゃ買ってましたね。あと消しゴム。いっぱい持ってましたよ。
ヤマトがスベってるのはやっぱり松本零士不在だからだよな
ヤマトという作品は、松本さんのみならず、西崎P、ますだ利雄監督、豊田有恒氏とかいろんな方が関わっていたので、いろんなスパイスが利いていたのではないかと。松本さんのヤマトが流行らないのも、松本色が強すぎるためだし、西崎Pのヤマトもいまいちなのは、松本色が足りてないわけで。
今のヤマトにはオリジナルのスパイスが何もないから。
ヤマトは松本ワールドと相入れない
ザ・コックピット
文庫2巻
「ラインの虎」に
ドイツの戦車大隊長として登場した沖田艦長。
眼光険しく、ハードボイルドな活躍を見せる。
まさしく旧作ヤマトのイメージだった。
N氏のある意味能天気さが悲観に走る松本氏のブレーキであったことは認めますが、N氏がセクサロイド読んでなかったら隕石戦艦三笠とか長門とかになって影も形もなかっただろうと思います。実際ヤマトファンにも2種類いて、零士作品を読んでるか否かで捉え方がことなるなと思います。私は明らかに松本フレーバーとか「幻想空間」と呼ばれた作風を強く感じる方で(不細工キャラと悲観的な話でないことは、非松本的だと思います)、N氏の功績を挙げる人は、松本零士という漫画家を知らなかったのだろうと思っています(もっとも、さすがに古代をおいどんにしたら最初から終わりますけどね)
2199を劇場で見た人数が、ある意味「三十代の松本零士不在のヤマト」を表現していると思います
重量感の源体験として、地響きを発して起動する宇宙船なんて、後にも先にも洋画にもあり得なかった。
始動で「ドグオオオ ファウフアウファウ」
イグニッションで
「ニギュウウゥゥ…」
静寂から「フイイイ」
アイドリングで、電車の床下モーターみたいな音色が「ギエエエエ」と盛り上がっっていく。」
ヤマトのテーマであるミッションは同時期にブームになった西遊記にも共通ですね。スタージンガーが生まれた背景もそこに有ると思います。
ヤマト映画公開前日深夜にオールナイトニッポンヤマトリアル朗読劇をやってたなぁ。
コスモクリーナーD作動のシーンで
森雪が若干噛んでませんでした?
「古代君が死んじゃう!」のところ
1965年生まれ、ヤマトの映画で並んだ世代です。アニメブームは紛れもなくヤマトから爆発しました。ルパン三世も、マジンガーZも、ヤマトがなければ、ここまで残らなかったでしょう。こんなに薄っぺらく語られて終わるべき作品ではありません。
エヴァがセンセーショナルといわれた時に自分の中で盛り上がらなかったのは、既にヤマトを観ていたかったからなのですね。なるほど。
大和の原作者は西崎と一般には言われているけど。西崎は手塚先生から「トリトン」を奪ったように、クリエイタ-では無かったのではないだろうか。スト-リ-の根幹を創ったのは松本先生の功績だろう。それをアニメ化する際に西崎がプロデュ-サ-として加わった。という感じが真実ではないかと思う。西崎が権利をもぎ取れたのは偏に弁護士の功績だろう。
企画原案総指揮 西崎義展
美術総設定 松本零士
ニューノーチラス号の主砲の音がまんまヤマトだったのは、当時ナディアを見ていた頃はパロディと思っていたけど…オマージュだったか、と今にして思う
ピチピチ全身タイツはキャプテンウルトラ、光速エスパー、ナショナルキッド辺りも
まあ6、70年代のテレビは全部アメリカの真似だし
ヤマトを「男の話」としているけど、女子が喰いついたんだよね。特に『さらば~』。1978年の夏休み映画で、この年にはすでに『闘将ダイモス』が始まっていて、翌年が『ベルばら』。アニメ雑誌が当て込んだのもこの層で、ヒットの規模に対してプラモがいまいちなのも顧客の半分が女子だから。
私は当時「ハイジ」を見ていたので「ヤマト」は再放送派なのですが
同級生の男女に数人リアルタイム「ヤマト」派がいて、何度も見るように勧められたのを覚えてます
ピッチピチの源流には水野久美さん限定の(X星人)もあるのではないでしょうか
怪獣0(キングギドラ)怪獣01(ゴジラ)怪獣02(ラドン)
ですね😅
ハイジ以来世界名作劇場で通っていたのが我が家です。ヤマトは関テレの再放送(世界名作劇場もニチアサで再放送)で最初に見ました。日曜ゴールデンの日テレは笑点と西遊記、日本新記録ならよく見ました。
ミヤザキハヤオって結局自分以外の価値観認めない人だからね。手塚治虫のことも批判していたし。でもでもでも、そういう程に宮崎アニメって大した作品だと感じた事ないですけどね。本題から外れまして失礼しました。
皆さんのコメ見てちょっと熱くなりまして。
ヤマト大好きなので。
宮崎アニメは、未来少年コナンがマックス。みんなわかっていない。
タイトルから
ヤマトは偉大だね
僕は小学校3年の時に本放送観ましたょ。
居ても立っても居られないワクワク感と、これを観て得た知識を皆んなに広めねばという想いで、もぅそれで同人誌作っちゃうワケです。
ワープロなんて存在して無いですから、親戚の兄さんが持ってた写植機使って1文字づつ打って文章書きました。
それをまたコピー機なんて日本には無かったので(アメリカのゼロックス社にはあったらしい)親父の会社の「青焼き機」使って複写したょ。
スクリーントーンなんて物があるのも知ったのはこの時だ。
つーか、宇宙戦艦ヤマトを知らないとか、なんだそりゃ?非国民としか思えん〜。
同い年ですね。「またしょーもない巨大ロボット物の延長か?」と馬鹿にしながら見始めた本放送第1話。これを見たときの衝撃は凄かった。あんなに短く感じた30分枠はありませんでした
干上がった赤い地球、降り注ぐ遊星爆弾、沈む夕日の背景と戦艦大和の残骸。これは今まで見てきたものとは大きく違う。次の日曜日までが、まあ長いこと長いこと・・・日曜日は朝からそわそわしてましたね
しかし同人誌を作るなんて私には思いつきもしませんでした。凄いですねぇ
初回リアルで見てた人は貴重です。視聴率2%で半年で打ち切りですから
番組の最後に出て来る、地球滅亡まであと※※日ってテロップを見ていたクチだね。
はい、自分もそうです。当時家に有った調子のよくないソニ-のトリニトロンカラ-テレビで見ていました。何度修理に出しても調子が良くなかった。
それ以来うちではソニ-のテレビははご法度でした。
小さい頃、ジャイアントロボを白黒テレビで見ていたクチです。
森雪とブルース・リーを重ねるなwww
最後のカットでキルビル…主人公思い出す。 ついでにゴーゴー夕張も
さらば宇宙戦艦ヤマトを見て腰が抜けるほど感動した夏休み。その後の新たなる…から現在までの物は完全に別物で、私の中ではさらばが孤高の作品です。美しい音楽も、わかりやすい勧善懲悪も、利他も、いまだにちゃんとささります。松本零士先生のご冥福をお祈りいたします(ホントは松本先生のオリジナルではないのだけど…)
ちなみに、さらば宇宙戦艦ヤマトの中で使われている白色彗星帝国のテーマを演奏していたのは、当時高校生だった宮川彰氏だったそうです。
@@山田太郎-g7x9j
❌ 彰
️⭕️ 彬良
プレステ版の遥かなる星イスカンダルは良かったが復活編とか2199とかはもう違う何か、まあそれ言ったらガンダムとかDBとかにも同じ事おこってるから理由にはならないか‥
まあ復活編はまだヤマトとか雰囲気違うけど単独のSFアニメとしてはまあまあ見れると思うけど、2199はリメイクとかそんなの関係なしに完全に崩壊してましたね
編 ➡ 篇
松本先生訃報 人生は、儚く悲しいが美しい。
松本ワールド 松本先生 85年の人生 すばらしい人生であった。ここ山田先生の動画は
ゲストでよく出られる 少女マンガ専門家きたがわ翔先生つながりでよく見ています。松本先生といえば奥様の 牧美也子先生、りぼん読者としては マキの口笛 を思いだします。
松本先生 は ときわ荘メンバーではないが
最近没した 昔よく読んだ りぼん誌 マーガレットちゃん で活躍した 大好きな よこたとくお氏。。。漫画タイトルが マーガレットちゃん なのに 週刊マーガレット誌連載ではなく りぼん誌連載。。
トキワ荘メンバーも 水野英子女史 ときわ荘通いメンバー → 個人的に大好きな つのだじろう氏 つげ義春氏を残し 鬼籍に入った方がほとんどになった。
山田先生の松本氏への熱弁を聞きながら
明日来るかもしれない死。。。
ピチッとした服の本当の元祖は月光仮面では、、、いや、黄金バットか、、、
まぁ単純に描きやすいからなんですよね。
服のしわ込みのアニメーションは難しいし、人も多いので大変。
戦前・戦後
のアメリカのSF小説の扉絵や挿絵がYAMATOやスペースコブラの様な女性衣装が多くて、マーベラスコミックは逆に服の面積とか時代的にNGに成って着込んで来てます。
@@ムラサキスタ
雪の全身タイツコスチュームは遊星爆弾の放射能で劣勢化した男性性欲を増活させ、戦争で減少した人口を少しでも増加させる対策意図が根底にあったとか聞いたような・・・
2199をやるのが20年遅かったと思う。その間に松本零士監修のゲーム版とかあったけどさ。
世代交代失敗。
ザ コックピット作ってる頃かな。復活編がうわさされて、立ち消えした90年代か。あの時期は、裁判とかで、松本、西崎Pの時間の浪費だった頃ですね。
クラスターだったのか・・・
ピチピチスーツが流行った理由?
特撮:服の予算がない
アニメ:作画が面倒…
ガンダムは絶えず追加コンテンツ追加していったけど
ヤマトは一時追加コンテンツが完全に途絶えたから世代が完全に分断したかな
キャシャーンの元祖は?と言われると、宇津井健さんのスーパージャイアンツではないかと。
元祖もっこりといえば、この方ですよね。
タイツスーツの元祖は仮面ライダーでは?戦闘員とか怪人、ハチ女..
謎の円盤UFOのエリス中尉かと
@@魔仁亜 そうそう、子供の僕には刺激的でした。
今更
宇宙戦艦ヤマトは松本零士先生のものだ。
企画原案総指揮 西崎義展
美術総設定 松本零士