Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
最近は地域密着の公立高校の出場が少なくなって、寂しい限り、 この魚津や熱狂的な大応援団で有名な新湊のような高校が甲子園に出て欲しい
私も同意見です!
新湊旋風のとき板東さんがラジオで「魚津の応援も凄かった」と語っていた
以前仕事の関係で1年だけ魚津に住んだことがあります。土地自体は縁もゆかりもなかったけど魚津と言えば魚津高校のイメージはありました。住んだのは1年だけでしたが愛着があります。
素敵な思い出ですね。僅かの期間でも住んだことのある土地には、愛着が湧きますよね。
またいつか魚津にいらしてみて下さいね😀✋❗
魚津に行ったら、おせずし。ますの寿司より美味い😊
私の親戚が甲子園の名勝負で魚津vs徳島商を挙げていました。有力地区とはまだいえなかった北陸の地から旋風を起こし、最後は敗れてはしまったものの伝説的投手と大激闘。まさに歴史に名を刻んだチームですね。
富山県代表の夏の甲子園、魚津高校以来3勝を挙げたチームが未だに無いことからしても、如何に偉業だったかが分かりますよね。
昭和61年新湊旋風の遥か前に大躍進撃があったとは・・・
そうなんですよ。新たな発見があれば幸いです。
@@highschool-baseball-history若い方は、よほど高校野球に詳しい人じゃないと知らないでしょうね😊
@@石元正志-g7n さんでしょうね😌
@@highschool-baseball-history魚津の蜃気楼旋風は認めても、自分でさえ未だにタレントの坂東英二さんが、甲子園大会の奪三振の大会記録保持者で、元プロ野球選手だなんて、映像でも見ない限り、イヤ見てもモノクロ映像で半信半疑ですからね😊
@user-zk1nn6yz4魚津市民でも知らない人がいるらしい😞j
板東英二の大会通算83奪三振、永遠に破られないでしょうね。球数制限で投手分業制が進んでいるので。そして、魚津のような快進撃を見せるチームが出てくることも無いのかもしれません。特に夏の大会では。
正に仰る通り。83三振は永久不滅の大記録でしょう。公立校の快進撃、個人的にはまた見てみたいですが…中々難しい現状ですね。
1958年の40回夏の甲子園記念大会は、山口の柳井高校が優勝しましたが、この大会を代表する名勝負は、魚津と徳島商の準々決勝戦で、大会の主役は徳島商の坂東投手で、坂東投手のための大会でしたね。😅この年の春の四国大会から徳島商は、延長15回以上の連戦から、延長戦18回引き分け再試合制度の新ルールが規定され、甲子園でも四国大会の正に延長みたいに坂東1人で、決着つくまで大量の奪三振で投げ抜く試合ぶりで、魚津戦で延長18回を投げ抜き勝負つかずに、新ルール創った坂東本人が、18回引き分け再試合制の最初の適合者に…そして半世紀以上経った夏の甲子園大会の今なお破られてない83個の大会奪三振記録の金字塔…なお、徳島商の優勝を摘んだのは、2日がかりのベスト8で、通算27回を坂東に投げさせて苦しめた魚津高校でしょうね。準決勝までに一試合平均14個、計80個の三振奪取狂の坂東が、決勝では流石にバテて、僅か三個の三振で柳井高に7失点と打ち込まれましたからね😅
柳井高校の優勝に魚津高校の健闘がアシストしたというのは、間違いないでしょうね。個人的に昔の仕事で何度も柳井市に行きましたが、この町に甲子園優勝校があるとは俄に信じられませんでしたね😅
柳井高校で覚えているのが 84年夏に出場した時のチームで 初戦 東北に2-8で敗退しました 柳井の投手で2番手の投手 背番号が確か⑩?⑪?松崎と言う左投左打の選手が右本塁打を放ったのを覚えています。懐かしい
@@リプリーロケッツ 様その1984年夏が(2024年夏終了時点で)柳井の最後の甲子園出場ですね。あの試合は東北高校の佐々木主浩と富沢のバッテリー(当時、共に二年生)の甲子園デビュー戦でした。
だいぶ昔だが、新横浜の「ラーメン博物館」に再現された昭和33年の街並み、その一軒の家屋の玄関に、「村椿輝雄」という表札が掛かっていた。「粋な演出をしてくれたな」と思ったものだ。今はどうなっているのだろう。
その分かる人には分かる演出、粋ですね〜
この時の旋風と新湊旋風も富山県として盛り上げてましたが最近は富山県もレベルアップしておりいつかは初優勝も夢ではなくなってます。最近は坂東さんがバラエティ番組で問題をおこししてから最近テレビで見かけなくなり心配です。
富山県代表も初戦敗退が少なくなり、レベルは上がっていますよね。坂東さんは健康状態も含め、今どうされているか心配ですね。
@@highschool-baseball-history富山から好投手や強いチームが出た年に限って、緒戦で大阪桐蔭や強チームに当たるくじ運の悪さを感じる😅
認知症の噂が👂️➰👂️…。
当時の魚津高校ナインの孫です。このような動画を作っていただきありがとうございます。
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!とても嬉しいです!
魚津高校・村椿輝雄投手は、当時同高校の工業科目を専攻しており、卒業後は工業系の企業に従事されていたという話を耳に致しました🏭️🔧🔩。なお、現在その「工業科」は分離独立して魚津高校の校舎から約3kmの地に校舎を構えております🏫🔧🔩。
村椿さんは海外にも赴任していたようですね。エリートサラリーマンだったのではないでしょうか。
@@highschool-baseball-history実業団では打者に転向も振るわなかったようです。
3:40 地域を元気にする力は三池工優勝のエピソードにもありますね。
私の伝えたい思いのひとつです😌
この魚津と徳島商の試合が、中等野球から高校野球に変わってからの最初の伝説試合な気がしますね😊
仰る通りですね。初の47都道府県代表が揃った大会でもありますし、高校野球にとって節目の年になりました。
@@highschool-baseball-history…そして、この大会の約10年後の夏の甲子園大会で、魚津VS徳島商の18回引き分け試合を越える熱戦が、炎天下の決勝戦で開催されますね😊
@@石元正志-g7n そのまた更に10年後にも(決勝とはいかないが)⚾🔥…‼️
@@hirochan161引き分け再試合寸前で決着の、延長18回試合で最高の、球史に残る伝説ドラマが生まれますよね。😊
魚津翌1959年夏2年連続甲子園出場果たしてますが平安に1-3初戦負け。以降60年以上甲子園遠ざかってますね。2013年夏富山第一富山県勢夏甲子園最高成績タイベスト8まで勝ち残りましたが2回戦から登場で2勝でしたので富山県勢夏甲子園1大会3勝したのは後にも先にも1958年夏魚津だけですね。春含めると1986年春新湊が1大会3勝してベスト4まで勝ち残ってます。
そろそろ、富山県代表で甲子園3勝以上を挙げるチームが出てきて欲しいですね。今年巨人に入った森田投手がいた時の富山商業が、近年では一番惜しかったと思います。
2018年と2019年夏に高岡商が2勝ずつしましたが、3勝目を掛けた相手が良くなかった(大阪桐蔭・履正社)😰。
一回戦で、村椿投手が三年前のセンバツVの浪商を完封勝ちして、二回戦で前年センバツV の王の早実を倒して出場した明治高を打ち合いで制して、三回戦で三年前のセンバツで、浪商に敗れ準優勝の強豪桐生高を再び完封勝利で、富山初のベスト8を決めて、徳島商に25三振取られて撫で切られながら延長18回を投手の力投と堅守で無失点で守りきり、引き分け再試合に持ち込んだ魚津の蜃気楼旋風を、その26年後のセンバツで同郷の新湊高校が再現してくれましたね😅一回戦で大会No 1左腕近藤投手の享栄を酒井投手が完封して波に乗り、2回戦で優勝候補の一角拓大紅陵と堂々と打ち合い、大逆転勝ちで制して、ベスト8で当時京都のリーダー格の京都西に18安打を浴びながら、延長十四回を酒井投手が、粘りで投げ抜き数々の粘守できり抜けてベスト4に進出…共に一回戦に野球王国代表をエースが完封発進で波に乗り、対戦相手は全て強豪ばかりで内容は圧倒されっぱなしの試合を、好投手を軸に、雪国で鍛え上げて培われた粘りの攻守とチームワークで富山県初の甲子園ベスト4進出は、魚津の蜃気楼旋風に並び越える進撃ぶりで、ホントに歴史は繰り返すんですネェ!😊
蜃気楼旋風と新湊旋風、本当に共通点が多いですよね。新湊旋風からも40年弱の時が経ちましたし、そろそろ富山県に3回目の旋風を巻き起こすチームの出現率を期待したいですね。
三回目の旋風で、ぜひとも決勝戦まで残って欲しいですね。😊
2013年夏の富山第一は、第3の旋風を起こしそうでした。初戦突破し富山県の私立として甲子園初勝利で、2戦目も完封し県勢初の2試合連続完封で、40年ぶりの夏2勝でベスト8でした。準々決勝の延岡学園戦で9回表の勝ち越しのチャンスを生かしておけば、県勢初の夏のベスト4でしたが勝ち越せず、サヨナラ負けでした。ちなみに同じ日に日大山形が山形県勢初の夏のベスト4を決め、富山第一も続けと思ったのですが、夏のベスト4がないのは富山県だけになりました。
@@hayate15go90富商も高商もなかなか勝ちきれないしねぇ😅
地元の者ですが、高校野球を観始めた頃、県大会でもあまり勝ち上がっていなかった魚津が、甲子園でベスト8になった話を聞き驚いた記憶があります。未だに富山県で夏の甲子園3勝の高校が他に現れませんね。翌年の甲子園出場が無ければ、「一瞬の輝き」にぴったりの高校でした。
仰る通り、2回目の甲子園が無ければ、本当に一瞬の輝きでしたね。春の甲子園3勝は新湊のみ。夏の甲子園3勝は魚津のみ。甲子園決勝戦未進出でもありますし、どこか富山県の悲願を達成するチームが現れて欲しいですね。
富山県内の強豪である高岡商と富山商の「ニ商」が未だに甲子園で同一大会3勝した事がないのは何とも皮肉な話😳。なお、過去にベスト8はあるが…。
@@highschool-baseball-history2015年センバツに福井県の敦賀気比が北陸勢初優勝を飾り🏆️、石川県も星稜が夏の大会で2度準優勝🥈。ホントこうなると「富山頑張れ✊‼️」って叫びたくなりますよね。「富山県のチームは弱い😟」と言う“型にハマった”考えは無くした方が良いと思います。
@@hirochan161富山県代表は、一般に野球王国と呼ばれる地区の名門、強豪に、初戦で一つ勝てば大健闘てイメージがあるんですよね。自分の中では、未だに甲子園大会の決勝進出が無い地区が数県ある中では、富山県が一番難しくて遠いと勝手に思ってますが…。
10年前の富山商は惜しかったです。9回を抑えれば、3勝目でしたが、逆転サヨナラホームランを打たれました。
ここ近年は新湊旋風ですね初戦の愛知県の強豪の享栄を破り4強進出しました。
新湊旋風と蜃気楼旋風は同じ富山という事もあり、似たような印象がありますね。
北陸在住の私自身としては、あの「新湊旋風🎶📣🙌🎶」は忘れる事ありません。しかも、初戦の相手が豪腕・近藤真一投手を擁する強豪の享栄高校だっただけに「その近藤から1点取れるのか😓❔」と思っていた程でしたが、それを2回の攻撃で実現して見事その1点を守り切った試合は本当に感動しましたね😂。それだけでなく、2回戦の拓大紅陵戦も6回の猛攻で大逆転勝ち。続く準々決勝の京都西戦も延長14回の熱戦を制し、富山県初のベスト4進出を果たしたのは本当に立派だったと思います✨️🙌✨️。
因みにですが、今回のセンバツで星稜が石川県勢初のベスト4進出を果たしたのとでは“格差”が有り過ぎの印象ですがねェ😐…。しかも、決勝進出が目の前だったのに😭…‼️
1回戦で対戦した浪商は張本勲他主力数人が休部(出場停止)という不運もあったんですね
当時の浪商は、やんちゃというレベルを超える荒くれ集団だったようですし、張本さんは国籍の差別などで辛い扱いを受けていたようですね。
波商はその名のとおり商業高校だったのですが、現在はなぜか体育大学の系列校になりました(現在の大阪体育大学波商高校)。
今現在だから言えるかも知れないが、その当時の浪商に「喝😠💢👉‼️」
板東・村椿両投手の投げ合いは有名ですよね!板東さんはタレントとしても有名ですが中日のエースとしても活躍されました!
ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ」のオリジナルは板東英二さんでしたね。
坂東さんは、高校時代やプロ野球での活躍と、タレントでのキャラクターのギャップが魅力ですよね。
魚津高校と徳島商業高校の熱戦は今でも語り種になっています。
私立では有りますが、鹿屋中央や小林西も地域密着型の学校で旋風を起こしました。
小林西の3勝は立派でしたね。
2014年夏の鹿屋中央は大隅半島の「二番星」でしたね(半島初の甲子園出場は前年春の尚志館に越されましたが)。甲子園出場の次の代で不祥事があったのは残念です………。
魚津高校も凄いんやけど八女高校も1点入れてるの凄いな
私も同じ事を思いました😉
魚津高校の3回戦の対戦相手、桐生高校は名将稲川東一郎監督のもと、黄金時代でした。そんな相手にも勝つのだからまさに快進撃ですね。
桐生とは魚津市に招待した練習試合で勝った事があったようで、名前負けしなかったのも勝因だったかもしれませんね。
この蜃気楼旋風の三年前のセンバツ優勝の浪商と準優勝の桐生を1大会でまとめて倒した魚津はスゴイ!
@@石元正志-g7nそれで自信を持った魚津打線が徳島商戦で強攻策に出たのが延長線の原因。
試合終了後に、魚津高校の監督さんは、疲れきってユニホームのまま床に就いた村椿投手を見て、かわいそうになり、再試合は村椿投手を投げさせられずに、控え投手を先発させたのは有名な話ですね😊
当時の魚津高校の宮武英男監督は、試合後の宿舎にて食事の時になっても村椿輝雄投手の姿が見えないのを気にして各寝室を見回ったところ、その村椿投手がユニホーム姿のまま寝入っていたのを確認したそうです。
体格にも恵まれているとは言えない村椿投手。かわいそうな位疲れ切っていたんでしょうね。
@@highschool-baseball-history村椿さん本人はそれを否定しています
日直は正に村椿、坂東以外考えられないですよね😅。同一都道府県内以外の選手同士を、二人並べた日直は、シリーズ中では初めてな気がします😊
確かに初めてかもしれません!いつもご覧いただきありがとうございます😆
最近は春夏ともに公立校がペスト4に残ることはかなり少なくなってしまったな似たようなケースが近年センバツであるならば1991の市川高校まで遡るんじゃないかな…
市川高校…懐かしいですね 91選抜はベスト4 選手権はベスト8 選抜は広陵に敗退 選手権は鹿児島実に敗退 その後 校名が変わったのか?他の高校と合併したのか?懐かしい 樋渡ですかねエースの 弟も市川で甲子園に出場しましたね 懐かしいですね
市川の後なら、観音寺中央(優勝ですが)、宜野座、利府辺りが、初出場で旋風を巻き起こした公立校として思い浮かびますね。
@@highschool-baseball-history 様観音寺中央は当時の『報知高校野球』では優勝候補の一角に挙げられていましたね。又、利府の場合は「侮辱ブログ」でヒンシュクも買いましたが………。
実際に見たかった
私もです!
延長18回引分再試合の翌日に当たり前のように先発する板東は草
板東英二恐るべし、どんだけスタミナ有るんや。
ゆで卵パワーですかね😅
魚津の街が盛り上がりました高校野球の名勝負の一ページになったと思います
本当に歴史に残るチームでしたね。
魚津の大火の話は知らなかったです。板東英二さんは三振の記録を作ったと自分で言っていました(笑)。
自分で言うところが、坂東さんらしいですね😆
魚津高校は流石に過去の映像でしか見てないけど素晴らしいチームだった徳島商の板東英二が化け物過ぎたけど
魚津高校の高校生らしい爽やかさと、坂東投手の怪物ぶりが伝わる試合でした。
高校野球の名勝負に必ず選ばれる試合ですが、この大会の魚津高校は、4試合の対戦相手が全て当時の強豪校だ。よく準々決勝まで勝ち進んだものですね。当時のナイター照明の照度だと、打者は余計に打ちづらかったかもしれないです。
仰る通り、両校選手共にボールが見えにくかったと証言していますね。そんな条件下で、両校共致命的なエラーもせず、よく守り切ったなと思いました。
実は、この試合で照明が点灯すると同時に、両チームが「照明に慣れる為の」試合前の様なシートノックを施したそうです。その直後に試合再開。
@@hirochan161 さん今では有り得ない、珍しい光景ですよね。
@hirochan161な、何故そんな些細な事まで詳しいのか、感心します😅
@@石元正志-g7n 遥か昔ですが「甲子園熱血物語⚾🔥」にてそのウラ話が記載されていた事を私自身鮮明に記憶しておりました。その他の項目。試合後、両投手はそれぞれの宿舎に戻る際にてでも「明暗クッキリ😄😥」。魚津高校・村椿投手は入浴も食事もせずにユニホーム姿で寝入ってしまったのに対し😰、徳島商・板東投手は即入浴😌♨️。その後の夜食にてすき焼きを腹一杯御馳走になったそうです🍲😋🎶。その際は、さすがに「ゆで卵」でなく「溶き卵」を利用されたんでしょうね🐣😄❗
板東英二…マジカル頭脳パワーの司会をしていたのと ドラマ 金曜日の妻たちへ(金妻)に出演していたのと ドラマ 毎度おさわがせします (中山美穂の父親役)に出演してのと 珍プレ-攻プレーの司会を島田紳助氏とよくしていたのと…後 記憶では クイズSHOW BY 2はあれは違うか?クイズ ヒントでピントはゲストで出演してたかな?板東英二がプロ野球選手だったと知ったのは 祖父から教えてもらいましたね えっ卵の人ではなく えっ 金妻に出てる あの人が と当時 変にびっくりしたのを覚えています…懐かしい?懐かしいかな?…懐かしい
懐かしいですね〜出演番組を列挙いただくと、坂東さんの多才ぶりが分かりますね。
板東氏はピンチヒッターですが、「アタック25」の司会の経験もあります☝️
旋風かぁ…甲西、市立浦和、中村あたりは知名度低いけど旋風起こしたなぁ
爽やかイレブンの池田24の瞳の中村
初出場の公立校が起こす旋風も、近年は少なくなりましたよね…
知名度が低いから旋風と呼ばれるんですよ。
引き分け再試合ルールの発端になった春季四国大会決勝戦は、【延長25回】だったはずです。余談ですが、この決勝戦で試合に決着をつけるタイムリーヒットを打ったのが、日本シリーズ初の退場者(1969年巨人vs阪急、伝説のホームクロスプレー)となった、岡村浩二選手(阪急→東映)。
延長は25回までだったんですね。不勉強で恐縮です。岡村選手が坂東投手と高校時代対戦があったんですね!
この58年の40回記念大会は、47都道府県から47高校の史上最多の参加高校から日程期間を危惧した運営側が、甲子園球場と西宮球場を併用して、二つの球場に試合を振り分けて大会を消化したそうですね。残念ながら甲子園では試合出来ずに、西宮だけで試合して去って行ったチームも数校あったわけですね😊
西宮球場が悪いわけではありませんが、甲子園で試合が出来なかった球児は気の毒でしたね。
西宮球場と併用でしたが、魚津は運良く、全試合甲子園だったようです。徳島商も全試合甲子園でしたね。
@@hayate15go90ありがとうございます😅それは初めて知りました。5試合3勝1敗1分け共に甲子園だったのは幸運でしたね。しかもナイター試合まで…
デスマッチルールでみたかったな
板東英二がこんなに長いイニング投げられたのはゆで卵のおかげ!?
かもしれませんね😂
板東英二と言えば 📺️⚾️プロ野球 珍プレ- 攻プレ-の司会者ですね 島田紳助氏と何度か 後 マジカル頭脳パワーの司会もなされてましたね 後 ドラマでは 金曜日の妻たちへ~金妻にも出演されていました。篠ひろ子?小川知子の旦那の役だったか?後 鮮明に覚えているのが (毎度おさわがせします )まどか役 中山美穂のお父さん役で出演してますね 当時 この人(板東英二)が元 プロ野球選手だったとなくなった祖父から教えてもらったのを覚えています…懐かしい
○○旋風とか、ミラクル○○とかは多々あるけれど、校名に由来しない名称だと、蜃気楼旋風や、がばい旋風、他にあるかな。
魚津高校出身の室井滋は板東英二に可愛がってもらったそうですね。
それは初耳でした!
@@highschool-baseball-history板東曰く「私はあんたの先輩に有名にしてもらった」と。😅
富山の投手で思い出すのは、顔に打球を受けてマウンドに倒れてしまった悲運のエース。この時の対戦相手は徳島商でした。
1997年でしたか?その試合、ネット裏で観ていました。場内が騒然となりました。
確か名前が境ではなかったのでは 左腕投手でしたね 顎付近を骨折しましたね 担架で運ばれましたね
2年後の小松戦はミラクルでした。北陸同士の隣県対戦は珍しいけど高校サッカーの決勝戦で一度ありましたね。
@@九州の茨城出身者 2010年代にでしたか 確か星稜vs富山一? 星稜vs富山国際?有りましたね 🏟️⚾️第77回選手権の決勝が星稜vs帝京で 帝京の優勝だったのですが 準決勝で帝京が敦賀気比に負けていれば 決勝は星稜vs敦賀気比(北陸対決)だったのにと …
@@リプリーロケッツ その準決勝の帝京vs敦賀気比の試合は外野席で見ていました。もちろん関東出身なので帝京を応援していました。甲子園の観客はほとんどが気比を応援していました。やはり、帝京の初戦の日南学園との試合での三塁手への走塁(足蹴り?)と本塁突進でのキャッチャーへの走塁(ひざ打ち?)が酷かった試合だったのでアンチが増えてしまったのでしょうね。ABC?の野球解説の人も 「こういうプレーはダメですね…」と言っていましたね。帝京が優勝して表彰式の時にバックネットの裏からヤジがかなり飛んでいたみたいです。まぁ関西の人は とんねるずが嫌いな人も多いみたいですねwww
板東英二、実は斎藤佑樹の早実が田中将大の駒苫を決勝で倒して優勝した際、自らが持つ奪三振記録が塗り替えられるのではないかとヒヤヒヤしていたらしい。でも、タイブレークが導入されたり一人のピッチャーにたよる事がなくなってきた最近の高校野球の傾向からして、この記録は不滅の大記録でおそらく塗り替えられる事はないでしょう。
仰る通り、タイブレークや球数制限が導入された時点で、不滅の記録になりましたね。
斎藤佑樹投手は、坂東投手に残り何個ぐらいまで迫ったのかな?
@@石元正志-g7n さん板東英二83個斎藤佑樹78個ですからあと5つというところまでは迫ったようです。
@@koitakuウワッ!マジですか?😅最低二桁は差があると思ってましたが…僅か五個差だとは…坂東さんが慌てたのも充分理解出来ますね😊お教え頂きありがとうございました😂
黒板の名前はこのお二方で言うまでもありません👍板東英二氏といえば世代や住んでいる地域で丸わかりかもしれませんが個人的に「ノンストップゲーム」でしょう(笑)
ノンストップゲーム!「大、大、大!」でしたっけ?懐かしい!
@@highschool-baseball-historyさん 「小、小、小」もありました😁確か一方が横山ノック師匠で他方が桂文珍師匠でした😊旋風を起こした時の魚津と新湊に共通するのは、固い守りでリズムを作り、最少得点を守り抜くのが特徴だと思います。
魚津高校がおらんかったら柳井優勝出来んかった。歴代の優勝高の中で、価値が低い優勝と思ってましたが、全都道府県が集まる記念大会だったとは初めて知りました。
決勝戦では、坂東投手は疲弊していましたからね。魚津高校は、柳井高校優勝の陰の立役者かもしれませんね。
実は深紅の優勝旗がこの回から2代目のものに新調され、柳井高校(山口)が最初に手にしました(最後に手にしたのは第99回大会の花咲徳栄高校(埼玉))。ちなみにこの5年後に春の選抜、紫紺の優勝旗が新調されましたが最初に手にしたのはやはり山口県の高校(下関商業高校)でした。
@@su-m7k さん詳しい情報ありがとうございます。地元ですので大変ありがたいです。
@@su-m7kその深紅の優勝旗が新調されたキッカケは、それまで優勝したチームが初代優勝旗の周辺を覆っている房(通称「優勝旗の耳」と言う)を“記念として”1本ずつ切り取って学校に残していたが為に✂️、本体が古びてしまった事が発端でした😓。
柳井と言いますと山口県出身の松村邦洋氏にノムさんが「戸川どうしてるの?」と聞かれ、「今プロゴルファーをされてますよ。」と即座に解答し、ノムさんは「そうですか。」とただ頷くのみだったそうです。
魚津高校対徳商は白熱する試合を演じたんだな!てか板東英二はこうみてみると怪物だな!延長18回を一人でなげて次の試合もなげる!
タレントでの坂東さんのキャラからは想像出来ない、鉄腕投手だったんですよね。
剛の板東、柔の村椿
正にその表現がピッタリですね!
騒の坂東、静の村椿😅
泣くな 村椿😢 砂田弘
この大会から8年前の夏の大会で、徳島から初出場した鳴門高校が準優勝しましたが、当時は渦潮打線と呼ばれて、それまでの打撃の大会記録をいくつも塗り替える強力打線で弱い投手力をカバーして、何度も打たれたら打ち返して決勝まで進みましたが、決勝ではひっくり返せないほど失点して、負けました。この58年の徳島商は逆に坂東投手が万全で、弱い打線が得点して勝負が決まるまで奪三振重ねながら何回まででも力投しての決勝進出で、最後は坂東が力尽きて打ち込まれて準優勝。共に投打のどちらかだけが突出してて、優勝に辿り着けない徳島県の高校野球の歴史を経て、徳島商の準優勝から24年後の82年の夏に、投手に坂東並みの剛腕畠山投手、打線は鳴門高並みの強力山びこ打線で、投打共に飛び抜けて強力な池田高校が、全国優勝をするべくして達成しましたね😊
木製バットの時代、打線で勝ち上がるというのは中々難しかったように思います。そういう意味では、鳴門高校は革新的な勝ち上がり方だったのかもしれませんね。そして数十年の時を経て、やまびこ打線が阿波国に優勝旗をもたらせました。
@@highschool-baseball-history金属バット時代の今は、僅か五年以内ほどの大会で、ホームラン100本以上確実に量産できますからね。投低打高が進む訳ですね😊
@@highschool-baseball-history79年夏に準優勝した池田は、優勝した箕島が無敵大会でしたから時期が悪すぎました😊。
その鳴門は森脇稔監督が復帰した2010年代から徳島の「一強時代」を築いています………(森脇監督は2022年で定年を迎えたので退任後に衰退の可能性がありますが)。
@@大河原仁-d4f鳴門は、ベスト8で、花巻東のトップバッターにファール戦法で負けて、センバツでも、洲本、作新学院と二試合連続延長戦でサヨナラ勝ちしながら、ベスト8で高崎県大高崎に起動破壊攻撃に負けて、クセのあるチームとよく当たるのが残念ですね。毎年力はあるチームですが😅
ここまでやって板東英二の引き立て役なのがなんとも・・・
坂東英二投手も魚津戦の激闘の影響か、決勝戦では力尽きました。お互いが引き立てあったようにも思いますね。
最近は地域密着の公立高校の出場が少なくなって、寂しい限り、 この魚津や熱狂的な大応援団で有名な新湊のような高校が甲子園に出て欲しい
私も同意見です!
新湊旋風のとき板東さんがラジオで「魚津の応援も凄かった」と語っていた
以前仕事の関係で1年だけ魚津に住んだことがあります。
土地自体は縁もゆかりもなかったけど魚津と言えば魚津高校のイメージはありました。
住んだのは1年だけでしたが愛着があります。
素敵な思い出ですね。
僅かの期間でも住んだことのある土地には、愛着が湧きますよね。
またいつか魚津にいらしてみて下さいね😀✋❗
魚津に行ったら、おせずし。ますの寿司より美味い😊
私の親戚が甲子園の名勝負で
魚津vs徳島商を挙げていました。
有力地区とはまだいえなかった北陸の地から旋風を起こし、最後は敗れてはしまったものの伝説的投手と大激闘。
まさに歴史に名を刻んだチームですね。
富山県代表の夏の甲子園、魚津高校以来3勝を挙げたチームが未だに無いことからしても、如何に偉業だったかが分かりますよね。
昭和61年新湊旋風の遥か前に大躍進撃があったとは・・・
そうなんですよ。
新たな発見があれば幸いです。
@@highschool-baseball-history
若い方は、よほど高校野球に詳しい人じゃないと知らないでしょうね😊
@@石元正志-g7n さん
でしょうね😌
@@highschool-baseball-history
魚津の蜃気楼旋風は認めても、自分でさえ未だにタレントの坂東英二さんが、甲子園大会の奪三振の大会記録保持者で、元プロ野球選手だなんて、映像でも見ない限り、イヤ見てもモノクロ映像で半信半疑ですからね😊
@user-zk1nn6yz4魚津市民でも知らない人がいるらしい😞j
板東英二の大会通算83奪三振、永遠に破られないでしょうね。球数制限で投手分業制が進んでいるので。
そして、魚津のような快進撃を見せるチームが出てくることも無いのかもしれません。特に夏の大会では。
正に仰る通り。
83三振は永久不滅の大記録でしょう。
公立校の快進撃、個人的にはまた見てみたいですが…中々難しい現状ですね。
1958年の40回夏の甲子園記念大会は、山口の柳井高校が優勝しましたが、この大会を代表する名勝負は、魚津と徳島商の準々決勝戦で、大会の主役は徳島商の坂東投手で、坂東投手のための大会でしたね。😅この年の春の四国大会から徳島商は、延長15回以上の連戦から、延長戦18回引き分け再試合制度の新ルールが規定され、甲子園でも四国大会の正に延長みたいに坂東1人で、決着つくまで大量の奪三振で投げ抜く試合ぶりで、魚津戦で延長18回を投げ抜き勝負つかずに、新ルール創った坂東本人が、18回引き分け再試合制の最初の適合者に…そして半世紀以上経った夏の甲子園大会の今なお破られてない83個の大会奪三振記録の金字塔…なお、徳島商の優勝を摘んだのは、2日がかりのベスト8で、通算27回を坂東に投げさせて苦しめた魚津高校でしょうね。準決勝までに一試合平均14個、計80個の三振奪取狂の坂東が、決勝では流石にバテて、僅か三個の三振で柳井高に7失点と打ち込まれましたからね😅
柳井高校の優勝に魚津高校の健闘がアシストしたというのは、間違いないでしょうね。
個人的に昔の仕事で何度も柳井市に行きましたが、この町に甲子園優勝校があるとは俄に信じられませんでしたね😅
柳井高校で覚えているのが
84年夏に出場した時のチームで 初戦 東北に2-8で敗退しました 柳井の投手で2番手の投手 背番号が確か⑩?⑪?松崎と言う左投左打の選手が右本塁打を放ったのを覚えています。懐かしい
@@リプリーロケッツ 様
その1984年夏が(2024年夏終了時点で)柳井の最後の甲子園出場ですね。あの試合は東北高校の佐々木主浩と富沢のバッテリー(当時、共に二年生)の甲子園デビュー戦でした。
だいぶ昔だが、新横浜の「ラーメン博物館」に再現された昭和33年の街並み、その一軒の家屋の玄関に、「村椿輝雄」という表札が掛かっていた。「粋な演出をしてくれたな」と思ったものだ。今はどうなっているのだろう。
その分かる人には分かる演出、粋ですね〜
この時の旋風と新湊旋風も富山県として盛り上げてましたが最近は富山県もレベルアップしておりいつかは初優勝も夢ではなくなってます。最近は坂東さんがバラエティ番組で問題をおこししてから最近テレビで見かけなくなり心配です。
富山県代表も初戦敗退が少なくなり、レベルは上がっていますよね。
坂東さんは健康状態も含め、今どうされているか心配ですね。
@@highschool-baseball-history
富山から好投手や強いチームが出た年に限って、緒戦で大阪桐蔭や強チームに当たるくじ運の悪さを感じる😅
認知症の噂が👂️➰👂️…。
当時の魚津高校ナインの孫です。このような動画を作っていただきありがとうございます。
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!
とても嬉しいです!
魚津高校・村椿輝雄投手は、当時同高校の工業科目を専攻しており、卒業後は工業系の企業に従事されていたという話を耳に致しました🏭️🔧🔩。
なお、現在その「工業科」は分離独立して魚津高校の校舎から約3kmの地に校舎を構えております🏫🔧🔩。
村椿さんは海外にも赴任していたようですね。
エリートサラリーマンだったのではないでしょうか。
@@highschool-baseball-history実業団では打者に転向も振るわなかったようです。
3:40 地域を元気にする力は三池工優勝のエピソードにもありますね。
私の伝えたい思いのひとつです😌
この魚津と徳島商の試合が、中等野球から高校野球に変わってからの最初の伝説試合な気がしますね😊
仰る通りですね。
初の47都道府県代表が揃った大会でもありますし、高校野球にとって節目の年になりました。
@@highschool-baseball-history
…そして、この大会の約10年後の夏の甲子園大会で、魚津VS徳島商の18回引き分け試合を越える熱戦が、炎天下の決勝戦で開催されますね😊
@@石元正志-g7n そのまた更に10年後にも(決勝とはいかないが)⚾🔥…‼️
@@hirochan161
引き分け再試合寸前で決着の、延長18回試合で最高の、球史に残る伝説ドラマが生まれますよね。😊
魚津翌1959年夏2年連続甲子園出場果たしてますが平安に1-3初戦負け。
以降60年以上甲子園遠ざかってますね。
2013年夏富山第一富山県勢夏甲子園最高成績タイベスト8まで勝ち残りましたが
2回戦から登場で2勝でしたので富山県勢夏甲子園1大会3勝したのは後にも先にも1958年夏魚津だけですね。春含めると1986年春新湊が1大会3勝してベスト4まで勝ち残ってます。
そろそろ、富山県代表で甲子園3勝以上を挙げるチームが出てきて欲しいですね。
今年巨人に入った森田投手がいた時の富山商業が、近年では一番惜しかったと思います。
2018年と2019年夏に高岡商が2勝ずつしましたが、3勝目を掛けた相手が良くなかった(大阪桐蔭・履正社)😰。
一回戦で、村椿投手が三年前のセンバツVの浪商を完封勝ちして、二回戦で前年センバツV の王の早実を倒して出場した明治高を打ち合いで制して、三回戦で三年前のセンバツで、浪商に敗れ準優勝の強豪桐生高を再び完封勝利で、富山初のベスト8を決めて、徳島商に25三振取られて撫で切られながら延長18回を投手の力投と堅守で無失点で守りきり、引き分け再試合に持ち込んだ魚津の蜃気楼旋風を、その26年後のセンバツで同郷の新湊高校が再現してくれましたね😅一回戦で大会No 1左腕近藤投手の享栄を酒井投手が完封して波に乗り、2回戦で優勝候補の一角拓大紅陵と堂々と打ち合い、大逆転勝ちで制して、ベスト8で当時京都のリーダー格の京都西に18安打を浴びながら、延長十四回を酒井投手が、粘りで投げ抜き数々の粘守できり抜けてベスト4に進出…共に一回戦に野球王国代表をエースが完封発進で波に乗り、対戦相手は全て強豪ばかりで内容は圧倒されっぱなしの試合を、好投手を軸に、雪国で鍛え上げて培われた粘りの攻守とチームワークで富山県初の甲子園ベスト4進出は、魚津の蜃気楼旋風に並び越える進撃ぶりで、ホントに歴史は繰り返すんですネェ!😊
蜃気楼旋風と新湊旋風、本当に共通点が多いですよね。
新湊旋風からも40年弱の時が経ちましたし、そろそろ富山県に3回目の旋風を巻き起こすチームの出現率を期待したいですね。
三回目の旋風で、ぜひとも決勝戦まで残って欲しいですね。😊
2013年夏の富山第一は、第3の旋風を起こしそうでした。
初戦突破し富山県の私立として甲子園初勝利で、2戦目も完封し県勢初の2試合連続完封で、40年ぶりの夏2勝でベスト8でした。
準々決勝の延岡学園戦で9回表の勝ち越しのチャンスを生かしておけば、県勢初の夏のベスト4でしたが勝ち越せず、サヨナラ負けでした。
ちなみに同じ日に日大山形が山形県勢初の夏のベスト4を決め、富山第一も続けと思ったのですが、夏のベスト4がないのは富山県だけになりました。
@@hayate15go90富商も高商もなかなか勝ちきれないしねぇ😅
地元の者ですが、高校野球を観始めた頃、県大会でもあまり勝ち上がっていなかった魚津が、甲子園でベスト8になった話を聞き驚いた記憶があります。
未だに富山県で夏の甲子園3勝の高校が他に現れませんね。
翌年の甲子園出場が無ければ、「一瞬の輝き」にぴったりの高校でした。
仰る通り、2回目の甲子園が無ければ、本当に一瞬の輝きでしたね。
春の甲子園3勝は新湊のみ。
夏の甲子園3勝は魚津のみ。
甲子園決勝戦未進出でもありますし、どこか富山県の悲願を達成するチームが現れて欲しいですね。
富山県内の強豪である高岡商と富山商の「ニ商」が未だに甲子園で同一大会3勝した事がないのは何とも皮肉な話😳。なお、過去にベスト8はあるが…。
@@highschool-baseball-history2015年センバツに福井県の敦賀気比が北陸勢初優勝を飾り🏆️、石川県も星稜が夏の大会で2度準優勝🥈。ホントこうなると「富山頑張れ✊‼️」って叫びたくなりますよね。「富山県のチームは弱い😟」と言う“型にハマった”考えは無くした方が良いと思います。
@@hirochan161
富山県代表は、一般に野球王国と呼ばれる地区の名門、強豪に、初戦で一つ勝てば大健闘てイメージがあるんですよね。自分の中では、未だに甲子園大会の決勝進出が無い地区が数県ある中では、富山県が一番難しくて遠いと勝手に思ってますが…。
10年前の富山商は惜しかったです。
9回を抑えれば、3勝目でしたが、逆転サヨナラホームランを打たれました。
ここ近年は新湊旋風ですね
初戦の愛知県の強豪の享栄を破り4強進出しました。
新湊旋風と蜃気楼旋風は同じ富山という事もあり、似たような印象がありますね。
北陸在住の私自身としては、あの「新湊旋風🎶📣🙌🎶」は忘れる事ありません。しかも、初戦の相手が豪腕・近藤真一投手を擁する強豪の享栄高校だっただけに「その近藤から1点取れるのか😓❔」と思っていた程でしたが、それを2回の攻撃で実現して見事その1点を守り切った試合は本当に感動しましたね😂。それだけでなく、2回戦の拓大紅陵戦も6回の猛攻で大逆転勝ち。続く準々決勝の京都西戦も延長14回の熱戦を制し、富山県初のベスト4進出を果たしたのは本当に立派だったと思います✨️🙌✨️。
因みにですが、今回のセンバツで星稜が石川県勢初のベスト4進出を果たしたのとでは“格差”が有り過ぎの印象ですがねェ😐…。しかも、決勝進出が目の前だったのに😭…‼️
1回戦で対戦した浪商は張本勲他主力数人が休部(出場停止)という不運もあったんですね
当時の浪商は、やんちゃというレベルを超える荒くれ集団だったようですし、張本さんは国籍の差別などで辛い扱いを受けていたようですね。
波商はその名のとおり商業高校だったのですが、現在はなぜか体育大学の系列校になりました(現在の大阪体育大学波商高校)。
今現在だから言えるかも知れないが、その当時の浪商に「喝😠💢👉‼️」
板東・村椿両投手の投げ合いは有名ですよね!板東さんはタレントとしても有名ですが中日のエースとしても活躍されました!
ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ」のオリジナルは板東英二さんでしたね。
坂東さんは、高校時代やプロ野球での活躍と、タレントでのキャラクターのギャップが魅力ですよね。
魚津高校と徳島商業高校の熱戦は今でも語り種になっています。
私立では有りますが、鹿屋中央や小林西も地域密着型の学校で旋風を起こしました。
小林西の3勝は立派でしたね。
2014年夏の鹿屋中央は大隅半島の「二番星」でしたね(半島初の甲子園出場は前年春の尚志館に越されましたが)。甲子園出場の次の代で不祥事があったのは残念です………。
魚津高校も凄いんやけど八女高校も1点入れてるの凄いな
私も同じ事を思いました😉
魚津高校の3回戦の対戦相手、桐生高校は名将稲川東一郎監督のもと、黄金時代でした。そんな相手にも勝つのだからまさに快進撃ですね。
桐生とは魚津市に招待した練習試合で勝った事があったようで、名前負けしなかったのも勝因だったかもしれませんね。
この蜃気楼旋風の三年前のセンバツ優勝の浪商と準優勝の桐生を1大会でまとめて倒した魚津はスゴイ!
@@石元正志-g7nそれで自信を持った魚津打線が徳島商戦で強攻策に出たのが延長線の原因。
試合終了後に、魚津高校の監督さんは、疲れきってユニホームのまま床に就いた村椿投手を見て、かわいそうになり、再試合は村椿投手を投げさせられずに、控え投手を先発させたのは有名な話ですね😊
当時の魚津高校の宮武英男監督は、試合後の宿舎にて食事の時になっても村椿輝雄投手の姿が見えないのを気にして各寝室を見回ったところ、その村椿投手がユニホーム姿のまま寝入っていたのを確認したそうです。
体格にも恵まれているとは言えない村椿投手。
かわいそうな位疲れ切っていたんでしょうね。
@@highschool-baseball-history村椿さん本人はそれを否定しています
日直は正に村椿、坂東以外考えられないですよね😅。同一都道府県内以外の選手同士を、二人並べた日直は、シリーズ中では初めてな気がします😊
確かに初めてかもしれません!
いつもご覧いただきありがとうございます😆
最近は春夏ともに公立校がペスト4に残ることはかなり少なくなってしまったな
似たようなケースが近年センバツであるならば1991の市川高校まで遡るんじゃないかな…
市川高校…懐かしいですね
91選抜はベスト4 選手権はベスト8 選抜は広陵に敗退 選手権は鹿児島実に敗退 その後 校名が変わったのか?他の高校と合併したのか?懐かしい 樋渡ですかねエースの 弟も市川で甲子園に出場しましたね 懐かしいですね
市川の後なら、観音寺中央(優勝ですが)、宜野座、利府辺りが、初出場で旋風を巻き起こした公立校として思い浮かびますね。
@@highschool-baseball-history 様
観音寺中央は当時の『報知高校野球』では優勝候補の一角に挙げられていましたね。又、利府の場合は「侮辱ブログ」でヒンシュクも買いましたが………。
実際に見たかった
私もです!
延長18回引分再試合の翌日に当たり前のように先発する板東は草
板東英二恐るべし、どんだけスタミナ有るんや。
ゆで卵パワーですかね😅
魚津の街が盛り上がりました高校野球の名勝負の一ページになったと思います
本当に歴史に残るチームでしたね。
魚津の大火の話は知らなかったです。
板東英二さんは三振の記録を作ったと自分で言っていました(笑)。
自分で言うところが、坂東さんらしいですね😆
魚津高校は流石に過去の映像でしか見てないけど素晴らしいチームだった
徳島商の板東英二が化け物過ぎたけど
魚津高校の高校生らしい爽やかさと、坂東投手の怪物ぶりが伝わる試合でした。
高校野球の名勝負に必ず選ばれる試合ですが、この大会の魚津高校は、4試合の対戦相手が全て当時の強豪校だ。よく準々決勝まで勝ち進んだものですね。当時のナイター照明の照度だと、打者は余計に打ちづらかったかもしれないです。
仰る通り、両校選手共にボールが見えにくかったと証言していますね。
そんな条件下で、両校共致命的なエラーもせず、よく守り切ったなと思いました。
実は、この試合で照明が点灯すると同時に、両チームが「照明に慣れる為の」試合前の様なシートノックを施したそうです。その直後に試合再開。
@@hirochan161 さん
今では有り得ない、珍しい光景ですよね。
@hirochan161
な、何故そんな些細な事まで詳しいのか、感心します😅
@@石元正志-g7n 遥か昔ですが「甲子園熱血物語⚾🔥」にてそのウラ話が記載されていた事を私自身鮮明に記憶しておりました。
その他の項目。試合後、両投手はそれぞれの宿舎に戻る際にてでも「明暗クッキリ😄😥」。魚津高校・村椿投手は入浴も食事もせずにユニホーム姿で寝入ってしまったのに対し😰、徳島商・板東投手は即入浴😌♨️。その後の夜食にてすき焼きを腹一杯御馳走になったそうです🍲😋🎶。その際は、さすがに「ゆで卵」でなく「溶き卵」を利用されたんでしょうね🐣😄❗
板東英二…マジカル頭脳パワーの司会をしていたのと
ドラマ 金曜日の妻たちへ(金妻)に出演していたのと
ドラマ 毎度おさわがせします (中山美穂の父親役)に出演してのと 珍プレ-攻プレーの司会を島田紳助氏とよくしていたのと…後 記憶では クイズSHOW BY 2はあれは違うか?クイズ ヒントでピントはゲストで出演してたかな?板東英二がプロ野球選手だったと知ったのは 祖父から教えてもらいましたね えっ卵の人ではなく えっ 金妻に出てる あの人が と当時 変にびっくりしたのを覚えています…懐かしい?懐かしいかな?…懐かしい
懐かしいですね〜
出演番組を列挙いただくと、坂東さんの多才ぶりが分かりますね。
板東氏はピンチヒッターですが、「アタック25」の司会の経験もあります☝️
旋風かぁ…甲西、市立浦和、中村あたりは知名度低いけど旋風起こしたなぁ
爽やかイレブンの池田
24の瞳の中村
初出場の公立校が起こす旋風も、近年は少なくなりましたよね…
知名度が低いから旋風と呼ばれるんですよ。
引き分け再試合ルールの発端になった春季四国大会決勝戦は、【延長25回】だったはずです。
余談ですが、この決勝戦で試合に決着をつけるタイムリーヒットを打ったのが、日本シリーズ初の退場者(1969年巨人vs阪急、伝説のホームクロスプレー)となった、岡村浩二選手(阪急→東映)。
延長は25回までだったんですね。
不勉強で恐縮です。
岡村選手が坂東投手と高校時代対戦があったんですね!
この58年の40回記念大会は、47都道府県から47高校の史上最多の参加高校から日程期間を危惧した運営側が、甲子園球場と西宮球場を併用して、二つの球場に試合を振り分けて大会を消化したそうですね。残念ながら甲子園では試合出来ずに、西宮だけで試合して去って行ったチームも数校あったわけですね😊
西宮球場が悪いわけではありませんが、甲子園で試合が出来なかった球児は気の毒でしたね。
西宮球場と併用でしたが、魚津は運良く、全試合甲子園だったようです。
徳島商も全試合甲子園でしたね。
@@hayate15go90
ありがとうございます😅それは初めて知りました。5試合3勝1敗1分け共に甲子園だったのは幸運でしたね。しかもナイター試合まで…
デスマッチルールでみたかったな
板東英二がこんなに長いイニング投げられたのはゆで卵のおかげ!?
かもしれませんね😂
板東英二と言えば 📺️⚾️プロ野球 珍プレ- 攻プレ-の司会者ですね 島田紳助氏と何度か 後 マジカル頭脳パワーの司会もなされてましたね 後 ドラマでは 金曜日の妻たちへ~金妻にも出演されていました。篠ひろ子?小川知子の旦那の役だったか?後
鮮明に覚えているのが (毎度おさわがせします )まどか役 中山美穂のお父さん役で出演してますね 当時 この人(板東英二)が元
プロ野球選手だったとなくなった祖父から教えてもらったのを
覚えています…懐かしい
○○旋風とか、ミラクル○○とかは多々あるけれど、校名に由来しない名称だと、蜃気楼旋風や、がばい旋風、他にあるかな。
魚津高校出身の室井滋は板東英二に可愛がってもらったそうですね。
それは初耳でした!
@@highschool-baseball-history板東曰く「私はあんたの先輩に有名にしてもらった」と。😅
富山の投手で思い出すのは、顔に打球を受けてマウンドに倒れてしまった悲運のエース。
この時の対戦相手は徳島商でした。
1997年でしたか?その試合、ネット裏で観ていました。
場内が騒然となりました。
確か名前が境ではなかったのでは 左腕投手でしたね
顎付近を骨折しましたね 担架で運ばれましたね
2年後の小松戦はミラクルでした。
北陸同士の隣県対戦は珍しいけど高校サッカーの決勝戦で一度ありましたね。
@@九州の茨城出身者 2010年代にでしたか 確か星稜vs富山一?
星稜vs富山国際?有りましたね
🏟️⚾️第77回選手権の決勝が星稜vs帝京で 帝京の優勝だったのですが 準決勝で帝京が敦賀気比に負けていれば 決勝は星稜vs敦賀気比(北陸対決)だったのにと
…
@@リプリーロケッツ
その準決勝の帝京vs敦賀気比の試合は外野席で見ていました。もちろん関東出身なので帝京を応援していました。甲子園の観客はほとんどが気比を応援していました。
やはり、帝京の初戦の日南学園との試合での三塁手への走塁(足蹴り?)と本塁突進でのキャッチャーへの走塁(ひざ打ち?)が酷かった試合だったのでアンチが増えてしまったのでしょうね。
ABC?の野球解説の人も 「こういうプレーはダメですね…」と言っていましたね。
帝京が優勝して表彰式の時にバックネットの裏からヤジがかなり飛んでいたみたいです。まぁ関西の人は とんねるずが嫌いな人も多いみたいですねwww
板東英二、実は斎藤佑樹の早実が田中将大の駒苫を決勝で倒して優勝した際、自らが持つ奪三振記録が塗り替えられるのではないかとヒヤヒヤしていたらしい。
でも、タイブレークが導入されたり一人のピッチャーにたよる事がなくなってきた最近の高校野球の傾向からして、この記録は不滅の大記録でおそらく塗り替えられる事はないでしょう。
仰る通り、タイブレークや球数制限が導入された時点で、不滅の記録になりましたね。
斎藤佑樹投手は、坂東投手に残り何個ぐらいまで迫ったのかな?
@@石元正志-g7n さん
板東英二83個
斎藤佑樹78個
ですからあと5つというところまでは迫ったようです。
@@koitaku
ウワッ!マジですか?😅最低二桁は差があると思ってましたが…僅か五個差だとは…坂東さんが慌てたのも充分理解出来ますね😊お教え頂きありがとうございました😂
黒板の名前はこのお二方で言うまでもありません👍板東英二氏といえば世代や住んでいる地域で丸わかりかもしれませんが個人的に「ノンストップゲーム」でしょう(笑)
ノンストップゲーム!
「大、大、大!」でしたっけ?
懐かしい!
@@highschool-baseball-historyさん 「小、小、小」もありました😁確か一方が横山ノック師匠で他方が桂文珍師匠でした😊旋風を起こした時の魚津と新湊に共通するのは、固い守りでリズムを作り、最少得点を守り抜くのが特徴だと思います。
魚津高校がおらんかったら柳井優勝出来んかった。
歴代の優勝高の中で、価値が低い優勝と思ってましたが、全都道府県が集まる記念大会だったとは初めて知りました。
決勝戦では、坂東投手は疲弊していましたからね。
魚津高校は、柳井高校優勝の陰の立役者かもしれませんね。
実は深紅の優勝旗がこの回から2代目のものに新調され、柳井高校(山口)が最初に手にしました(最後に手にしたのは第99回大会の花咲徳栄高校(埼玉))。ちなみにこの5年後に春の選抜、紫紺の優勝旗が新調されましたが最初に手にしたのはやはり山口県の高校(下関商業高校)でした。
@@su-m7k さん
詳しい情報ありがとうございます。
地元ですので大変ありがたいです。
@@su-m7kその深紅の優勝旗が新調されたキッカケは、それまで優勝したチームが初代優勝旗の周辺を覆っている房(通称「優勝旗の耳」と言う)を“記念として”1本ずつ切り取って学校に残していたが為に✂️、本体が古びてしまった事が発端でした😓。
柳井と言いますと山口県出身の松村邦洋氏にノムさんが「戸川どうしてるの?」と聞かれ、「今プロゴルファーをされてますよ。」と即座に解答し、ノムさんは「そうですか。」とただ頷くのみだったそうです。
魚津高校対徳商は白熱する試合を
演じたんだな!てか板東英二はこうみてみると怪物だな!延長18回を一人でなげて次の試合もなげる!
タレントでの坂東さんのキャラからは想像出来ない、鉄腕投手だったんですよね。
剛の板東、柔の村椿
正にその表現がピッタリですね!
騒の坂東、静の村椿😅
泣くな 村椿😢 砂田弘
この大会から8年前の夏の大会で、徳島から初出場した鳴門高校が準優勝しましたが、当時は渦潮打線と呼ばれて、それまでの打撃の大会記録をいくつも塗り替える強力打線で弱い投手力をカバーして、何度も打たれたら打ち返して決勝まで進みましたが、決勝ではひっくり返せないほど失点して、負けました。この58年の徳島商は逆に坂東投手が万全で、弱い打線が得点して勝負が決まるまで奪三振重ねながら何回まででも力投しての決勝進出で、最後は坂東が力尽きて打ち込まれて準優勝。共に投打のどちらかだけが突出してて、優勝に辿り着けない徳島県の高校野球の歴史を経て、徳島商の準優勝から24年後の82年の夏に、投手に坂東並みの剛腕畠山投手、打線は鳴門高並みの強力山びこ打線で、投打共に飛び抜けて強力な池田高校が、全国優勝をするべくして達成しましたね😊
木製バットの時代、打線で勝ち上がるというのは中々難しかったように思います。
そういう意味では、鳴門高校は革新的な勝ち上がり方だったのかもしれませんね。
そして数十年の時を経て、やまびこ打線が阿波国に優勝旗をもたらせました。
@@highschool-baseball-history
金属バット時代の今は、僅か五年以内ほどの大会で、ホームラン100本以上確実に量産できますからね。投低打高が進む訳ですね😊
@@highschool-baseball-history
79年夏に準優勝した池田は、優勝した箕島が無敵大会でしたから時期が悪すぎました😊。
その鳴門は森脇稔監督が復帰した2010年代から徳島の「一強時代」を築いています………(森脇監督は2022年で定年を迎えたので退任後に衰退の可能性がありますが)。
@@大河原仁-d4f
鳴門は、ベスト8で、花巻東のトップバッターにファール戦法で負けて、センバツでも、洲本、作新学院と二試合連続延長戦でサヨナラ勝ちしながら、ベスト8で高崎県大高崎に起動破壊攻撃に負けて、クセのあるチームとよく当たるのが残念ですね。毎年力はあるチームですが😅
ここまでやって板東英二の引き立て役なのがなんとも・・・
坂東英二投手も魚津戦の激闘の影響か、決勝戦では力尽きました。
お互いが引き立てあったようにも思いますね。