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僕が高校生の時 川口を舞台にした 『キュウポラのある街』の映画を彼女と見に行った思い出が懐かしいです🐭 60年前の事だが、昭和の時代は遠く成って終い寂しいですね💢💢今は、吉永小百合さんの大ファンです🥰
門樋橋も行ってみて下さい
鋳物はおれが子供の頃既に斜陽でした。自分は墨田区でしたがメリヤス工場とポンコツ通りの車部品を扱う工場がどんどん減っていったのを覚えています。海外から安い織物が大量に入ってきました、またマンションが建って住人から苦情が増え立ち行かなくなりました。
陸橋の近くで育つ。貧しいが故に助け合った。高層住宅が林立するようになってから豊かになったかというと 相変わらず生きるのに精一杯は変わらない。体裁を整えた町は人と人との距離をさらに遠ざけた。
この動画をありがとう、私は74歳を迎える爺さんです。小百合様に3歳を下回ります。14の時に父が死に、高校に入れるかどうかでした。なんとか入れて3年を頑張って卒業した、そんな時にこの映画を見て感動などせず、しんみり己身を感じ、黙って席を立った。ともかく高卒でないと!一心の頑張りしかなかった。もう一度見てみたい。
2分17秒~2分24秒の間は埼玉県立浦和第一女子校の南側の道路です。今は石垣ではありませんが、このシーンの面影は残っております。少年鑑別所のシーンは北浦和です(これはちょっと記憶が曖昧)。今度、行ってみてください。
川口に住んで6年目ですが、とても参考になりました。ほんとに現在はマンションばかりですがありがとうございます。
私は来々軒と聞いて、おそらく武州・大宮に本社のあるハイデイ日高さん(「日高屋」「中華一番」や、「立ちのみ日高」などがあり、首都圏にて各種飲食店を展開)関連の「来来軒」(「々」でない)ではなく、おそらく個人経営だった来々軒だと思われるが、今や個人経営の店が軒並み淘汰され、加えて再開発等で転廃業もしくは移転などで変わってしまってるから、月日の流れによりロケ地の訪問も大変だと思われます。
やはり、無くなっていましたか。自分にとって『キューポラのある街』は、小学校の頃に小説で読みました。母親の出産などが書いてあり、小学生の男の子にはちょっときびしいかな、というイメージでしたので、その後地元の場末の映画館で、他の作品と上映していた時もあまり真剣に見ていませんでした。ただ、去年たまたまこの映画のDVDを入手して、改めて見たとき、終わりの方の工場が自分が仕事で何ヶ月か通ったあの場所だったんで驚きました。もちろん、映画の中にあった食堂や従業員の皆さんが歌っていた屋上はすでに無く、本館も新設されていました。ただ、当時はまだ駅から続く細い歩道が突然開けた所に長いコンクリートの塀とプレートが有ったのを今でも覚えています。そう、4,5年前なら、一部だけはご覧になれたかも・・という意味では、自分は幸せかな・・(笑映画を見て、(あっ、ココ!)って思えるから。
以前もコメントをいただいたと思いますがありがとうございます。あらためて大変なご苦労された方々がたくさんいらっしゃったのだと思い出させてもらいました。この時代の頑張りがあったからこそ今日の豊かな日本があるのですね。とても感謝です。
どうもありがとうございます。テレビのドキュメンタリー番組のようで素晴らしいです。この映画は日本の高度成長真っ只中の輝いていた時代に撮られたものですね。それでいて古きよき日本も残っていた。私も映画をみて川口の町を何度か歩き変わり果てた街の姿に同じ場所かと愕然としました。都市化の進む川口の街ですが、他の町と同様に都市化と引き換えに何か大切なものを失いつつあるように思います。
観てくださいましてありがとうございます。印象に残る映画や音楽などはその時代の記憶と強く結び付いていてノスタルジックな気分にさせてくれますよね。実は私も長年ある病気を患ってまして強い薬を服用し体調を万全にして副作用を覚悟しないと外出ができないのですがこの映画を観直した事がひとつのきっかけとなり動画や写真を撮るのが数少ない趣味のひとつになりました。最初はアップの仕方もよく分かりませんでしたがそんなに難しくもなくすぐ慣れました。些細なことでも楽しいと感じれるようになりたいのでこれからも身近なところから撮りためてアップ出来たらいいなぁと思ってます。よろしければまた観に来て下さいね。
Mejirodai1さん興味深い情報を教えて頂きましてありがとうございます。早速注文してみました。今年芸能生活55年という吉永さんの輝きが一向に衰えないので50年前の映画でもしばしばとりあげられるのですね。またいつか川口に再確認しに行きたいです。
@Mejirodai1 コメントしていただきありがとうございます私も同感です普段見なれた現在の都市部の街並みもこの動画を作るにあたって空が非常に狭くなっていると感じましたが当時の日本人との生活や意識の差が実はそれ以上に変化が大きいと実感しました原作者の思想的なものがところどころ映画の中で表現されてますけど当時は高度成長を謳歌しつつも心に敗戦を引きずった人達が中心だったのだから当然なのでしょうか...。
日立製作所・武蔵工場は、2002年に三菱と日立とで作ったルネサス テクノロジ という会社の武蔵事業所(東京都小平市)になり、専用のLSIなど製造しているはずです。何年か前、仕事で行った時、内部の建物はだいぶ工事していて、あまり面影はなかったのですが、入り口のプレートとコンクリートの塀は、名前こそ変わりましたが、まだありました。ただ、もう4,5年前の話で、当時も工事中だったので、今は分かりません。会社も、2010年にNECエレクトロニクスと合併してルネサス エレクトロニクスと名前を変え、人員削減と国内工場の閉鎖を検討しているようなので、無くなってしまうかも知れませんね・・直接、川口とは関係ありませんが、やはりどこの街でも変化していくものですね。
貴重な裏のエピソードを教えて頂きましてありがとうございます。当時から映画の影響というのは大きかったのですね。また新たなる発見がありましたら是非とも教えてください。宜しくお願い致します。
@bread5m27q 情報ありがとうございます。キューポラのファンとしては当時のままの入り口を見れてうらやましいですね。上記のURLのグーグルマップからストリートビューで現在の状態が見れますがあの塀もなくまったく面影を残してないように思えます。それだけに現状確認する気になれなくなり現地には足を運びませんでした。思い起こす事が遅すぎたようです(笑)
ご覧いただきありがとうございました。ft24651さんがアップされている動画も拝見させて頂きました。貴重な音源等お持ちなのですね。これからもディープな昭和の探究を期待しております。
fioriogt1さん、はじめまして。頂いた情報で早速古地図を見てみました。別の角度からの当時の様子や変貌がわかり興味深かったです。ありがとうございました。川口の探索はいかがでしたか?私も再び訪れたいと思いつつ昨年は行けず仕舞いだったので今年こそ時間を見つけ新しい発見を探しに行きたいと考えております。
大変貴重な情報ありがとうございます。当時の面影が色濃く残る場所という事なので久しぶりに時間が取れるときにでも探訪してみたくなりました。もしかして追加の動画を作る事になった場合にBEATLESHU さんのお車が写り込んでしまっていたとしたらお許しくださいね。(なるべくナンバーにモザイクかけます。)
@bread5m27q 実は私も以前初めて観たときにはほとんど無感動・・・というより記憶なしでしたがあらためて観直して衝撃を覚えました。でも正直、塀が残っている頃の自分では興味を持てなかったかもしれません。そもそも川口ですらそうでしたから…。それにしてもあの工場はジュンの心に変化をもたらす重要なシーンの場所ですからやはり当時の名残をご実際に覧になりその敷地で仕事をされた事はあらためてうらやましく思います。
そういえば、この映画から3年後の1965年に『未成年 続・キューポラのある街』という続編が公開されたのをご存知ですか・・うっすらと、昔の記憶の片隅に(そういえば・・・)というぐらいの覚えしかないんですが、ジュンが定時制高校に通っている頃の話だそうです。なんせ、公開当時の自分はまだ小学生でして、映画といえば怪獣映画だったんで・・(笑また、話はちょっと変わって、他のロケ地探訪も拝見させてもらって気がついたのですが、半世紀近く時代が過ぎて、目印は電信柱と線路と橋(鉄道橋も含む)ぐらいですか・・街中で、過去との接点を見出すのにこんなに電信柱が役に立つとは思いませんでした。まあ、考えてみりゃ家は変わるし、駅や道路、川(各地でよく埋められています)も変化しますから。探すのは大変だったと思います。
@bread5m27q 「未成年~」は観た事がありませんが監督やほとんどの俳優も変わり内容的にも評価が低い作品のようですね。おそらくDVD化されてないのではないでしょうか?ビデオなど探すだけでも苦労しそうな気がします。翌1963年には橋幸夫と共演の「いつでも夢を」が撮られてますがこちらも荒川沿いの足立区、荒川区あたりの工場街が舞台となっていて距離的にも街並みも更にはテーマや吉永演じるキャラも「キューポラ~」を意識しているなと思いました。集団就職の時代、団塊の世代諸々考えて似てしまうのは仕方がない事なのでしょう。それにしても当時の都心は真っ白に煙る排気ガスで現在の中国都市部のように汚くてびっくりです。場所の特定に関しては当時から存在する店舗の名前をたよりにしたり基本的に変わらない地形(川の曲がり具合だったり道筋だったり)と線路や橋の位置関係などを照らし合わせました。(絶対この場所とは断定できませんが)おっしゃる通り浦和の鑑別所付近の小川などはおそらく暗渠になっているのではないかと思います。
僕が高校生の時 川口を舞台にした 『キュウポラのある街』の映画を彼女と見に行った思い出が懐かしいです🐭 60年前の事だが、昭和の時代は遠く成って終い寂しいですね💢💢今は、吉永小百合さんの大ファンです🥰
門樋橋も行ってみて下さい
鋳物はおれが子供の頃既に斜陽でした。自分は墨田区でしたがメリヤス工場とポンコツ通りの車部品を扱う工場がどんどん減っていったのを覚えています。海外から安い織物が大量に入ってきました、またマンションが建って住人から苦情が増え立ち行かなくなりました。
陸橋の近くで育つ。貧しいが故に助け合った。高層住宅が林立するようになってから豊かになったかというと 相変わらず生きるのに精一杯は変わらない。体裁を整えた町は人と人との距離をさらに遠ざけた。
この動画をありがとう、私は74歳を迎える爺さんです。小百合様に3歳を下回ります。14の時に父が死に、高校に入れるかどうかでした。なんとか入れて3年を頑張って卒業した、そんな時にこの映画を見て感動などせず、しんみり己身を感じ、黙って席を立った。ともかく高卒でないと!一心の頑張りしかなかった。もう一度見てみたい。
2分17秒~2分24秒の間は埼玉県立浦和第一女子校の南側の道路です。今は石垣ではありませんが、このシーンの面影は残っております。少年鑑別所のシーンは北浦和です(これはちょっと記憶が曖昧)。今度、行ってみてください。
川口に住んで6年目ですが、とても参考になりました。ほんとに現在はマンションばかりですがありがとうございます。
私は来々軒と聞いて、おそらく武州・大宮に本社のあるハイデイ日高さん(「日高屋」「中華一番」や、「立ちのみ日高」などがあり、首都圏にて各種飲食店を展開)関連の「来来軒」(「々」でない)ではなく、おそらく個人経営だった来々軒だと思われるが、今や個人経営の店が軒並み淘汰され、加えて再開発等で転廃業もしくは移転などで変わってしまってるから、月日の流れによりロケ地の訪問も大変だと思われます。
やはり、無くなっていましたか。
自分にとって『キューポラのある街』は、小学校の頃に小説で読みました。
母親の出産などが書いてあり、小学生の男の子にはちょっときびしいかな、というイメージでしたので、その後地元の場末の映画館で、他の作品と上映していた時もあまり真剣に見ていませんでした。
ただ、去年たまたまこの映画のDVDを入手して、改めて見たとき、終わりの方の工場が自分が仕事で何ヶ月か通ったあの場所だったんで驚きました。
もちろん、映画の中にあった食堂や従業員の皆さんが歌っていた屋上はすでに無く、本館も新設されていました。
ただ、当時はまだ駅から続く細い歩道が突然開けた所に長いコンクリートの塀とプレートが有ったのを今でも覚えています。
そう、4,5年前なら、一部だけはご覧になれたかも・・
という意味では、自分は幸せかな・・(笑
映画を見て、(あっ、ココ!)って思えるから。
以前もコメントをいただいたと思いますが
ありがとうございます。
あらためて大変なご苦労された方々が
たくさんいらっしゃったのだと
思い出させてもらいました。
この時代の頑張りがあったからこそ
今日の豊かな日本があるのですね。
とても感謝です。
どうもありがとうございます。テレビのドキュメンタリー番組のようで素晴らしいです。
この映画は日本の高度成長真っ只中の輝いていた時代に撮られたものですね。
それでいて古きよき日本も残っていた。
私も映画をみて川口の町を何度か歩き変わり果てた街の姿に同じ場所かと愕然と
しました。都市化の進む川口の街ですが、他の町と同様に都市化と引き換えに
何か大切なものを失いつつあるように思います。
観てくださいましてありがとうございます。
印象に残る映画や音楽などはその時代の記憶と強く結び付いていて
ノスタルジックな気分にさせてくれますよね。
実は私も長年ある病気を患ってまして強い薬を服用し
体調を万全にして副作用を覚悟しないと外出ができないのですが
この映画を観直した事がひとつのきっかけとなり
動画や写真を撮るのが数少ない趣味のひとつになりました。
最初はアップの仕方もよく分かりませんでしたが
そんなに難しくもなくすぐ慣れました。
些細なことでも楽しいと感じれるようになりたいので
これからも身近なところから撮りためてアップ出来たらいいなぁと思ってます。
よろしければまた観に来て下さいね。
Mejirodai1さん
興味深い情報を教えて頂きましてありがとうございます。
早速注文してみました。
今年芸能生活55年という吉永さんの輝きが一向に衰えないので
50年前の映画でもしばしばとりあげられるのですね。
またいつか川口に再確認しに行きたいです。
@Mejirodai1
コメントしていただきありがとうございます
私も同感です
普段見なれた現在の都市部の街並みも
この動画を作るにあたって
空が非常に狭くなっていると感じましたが
当時の日本人との生活や意識の差が
実はそれ以上に変化が大きいと実感しました
原作者の思想的なものがところどころ
映画の中で表現されてますけど
当時は高度成長を謳歌しつつも
心に敗戦を引きずった人達が中心だったのだから
当然なのでしょうか...。
日立製作所・武蔵工場は、2002年に三菱と日立とで作ったルネサス テクノロジ という会社の武蔵事業所(東京都小平市)になり、専用のLSIなど製造しているはずです。
何年か前、仕事で行った時、内部の建物はだいぶ工事していて、あまり面影はなかったのですが、入り口のプレートとコンクリートの塀は、名前こそ変わりましたが、まだありました。
ただ、もう4,5年前の話で、当時も工事中だったので、今は分かりません。
会社も、2010年にNECエレクトロニクスと合併してルネサス エレクトロニクスと名前を変え、人員削減と国内工場の閉鎖を検討しているようなので、無くなってしまうかも知れませんね・・
直接、川口とは関係ありませんが、やはりどこの街でも変化していくものですね。
貴重な裏のエピソードを教えて頂きましてありがとうございます。
当時から映画の影響というのは大きかったのですね。
また新たなる発見がありましたら是非とも教えてください。
宜しくお願い致します。
@bread5m27q
情報ありがとうございます。
キューポラのファンとしては当時のままの入り口を見れてうらやましいですね。
上記のURLのグーグルマップからストリートビューで現在の状態が見れますが
あの塀もなくまったく面影を残してないように思えます。
それだけに現状確認する気になれなくなり現地には足を運びませんでした。
思い起こす事が遅すぎたようです(笑)
ご覧いただきありがとうございました。
ft24651さんがアップされている動画も拝見させて頂きました。
貴重な音源等お持ちなのですね。
これからもディープな昭和の探究を期待しております。
fioriogt1さん、はじめまして。頂いた情報で早速古地図を見てみました。別の角度からの当時の様子や変貌がわかり興味深かったです。ありがとうございました。
川口の探索はいかがでしたか?私も再び訪れたいと思いつつ昨年は行けず仕舞いだったので今年こそ時間を見つけ新しい発見を探しに行きたいと考えております。
大変貴重な情報ありがとうございます。
当時の面影が色濃く残る場所という事なので
久しぶりに時間が取れるときにでも探訪してみたくなりました。
もしかして追加の動画を作る事になった場合に
BEATLESHU さんのお車が写り込んでしまっていたとしたら
お許しくださいね。(なるべくナンバーにモザイクかけます。)
@bread5m27q
実は私も以前初めて観たときにはほとんど無感動・・・というより記憶なしでしたが
あらためて観直して衝撃を覚えました。
でも正直、塀が残っている頃の自分では興味を持てなかったかもしれません。
そもそも川口ですらそうでしたから…。
それにしても
あの工場はジュンの心に変化をもたらす重要なシーンの場所ですから
やはり当時の名残をご実際に覧になりその敷地で仕事をされた事は
あらためてうらやましく思います。
そういえば、この映画から3年後の1965年に『未成年 続・キューポラのある街』という続編が公開されたのをご存知ですか・・
うっすらと、昔の記憶の片隅に(そういえば・・・)というぐらいの覚えしかないんですが、ジュンが定時制高校に通っている頃の話だそうです。
なんせ、公開当時の自分はまだ小学生でして、映画といえば怪獣映画だったんで・・(笑
また、話はちょっと変わって、他のロケ地探訪も拝見させてもらって気がついたのですが、半世紀近く時代が過ぎて、目印は電信柱と線路と橋(鉄道橋も含む)ぐらいですか・・
街中で、過去との接点を見出すのにこんなに電信柱が役に立つとは思いませんでした。
まあ、考えてみりゃ家は変わるし、駅や道路、川(各地でよく埋められています)も変化しますから。
探すのは大変だったと思います。
@bread5m27q
「未成年~」は観た事がありませんが監督やほとんどの俳優も変わり
内容的にも評価が低い作品のようですね。
おそらくDVD化されてないのではないでしょうか?
ビデオなど探すだけでも苦労しそうな気がします。
翌1963年には橋幸夫と共演の「いつでも夢を」が撮られてますが
こちらも荒川沿いの足立区、荒川区あたりの工場街が舞台となっていて
距離的にも街並みも更にはテーマや吉永演じるキャラも
「キューポラ~」を意識しているなと思いました。
集団就職の時代、団塊の世代諸々考えて似てしまうのは仕方がない事なのでしょう。
それにしても当時の都心は真っ白に煙る排気ガスで
現在の中国都市部のように汚くてびっくりです。
場所の特定に関しては当時から存在する店舗の名前をたよりにしたり
基本的に変わらない地形(川の曲がり具合だったり道筋だったり)と
線路や橋の位置関係などを照らし合わせました。
(絶対この場所とは断定できませんが)
おっしゃる通り浦和の鑑別所付近の小川などは
おそらく暗渠になっているのではないかと思います。