【ゆっくり解説】島津貞久『薩摩・大隅守護となる』

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  • Опубликовано: 15 янв 2025

Комментарии • 23

  • @shou-sho
    @shou-sho 18 дней назад +5

    島津家は明治まで続いたから(真偽はともかく)記録がいっぱい残ってるのがいいよね。
    他の武将だとかき集めても、何してたかサッパリなこと多いから……

  • @ぼんくら-l7g
    @ぼんくら-l7g 18 дней назад +5

    この時代に95歳は凄い
    しかも84歳まで隠居もしてないって…
    でも分割相続して後世に火種は残してしまうんですねぇ

    • @ヒストレイン
      @ヒストレイン 12 дней назад

      薩摩が安定するには、分家の伊作家の血を引く貴久と息子の義久、義弘ら4兄弟が出てくるまで待たねばならない。

  • @shimotayuuki
    @shimotayuuki 18 дней назад +4

    この時代で95年生きたのは凄いですね。

  • @石塚大吾-s2g
    @石塚大吾-s2g 14 дней назад +1

    この人大河ドラマの主人公にしても良いような気がする

  • @林直樹-u8q
    @林直樹-u8q 19 дней назад +9

    名前から察するに、北条貞時の偏諱を受けた足利貞氏とかと同じ時期の人物ですかね?島津ではあまりメジャーな人物ではありませんが、両目があった元祖伊達政宗のように、一族の中興の祖なのでしょうね。

    • @ヨシヒコ-i6u
      @ヨシヒコ-i6u 19 дней назад +5

      戦国島津氏より前の島津氏では初代忠久の次ぐらいにメジャーな人物だと思っていた!!
      まあそもそも島津氏って戦国時代の島津義弘と幕末の島津斉彬ぐらいしか知名度ある人いないけど😅

    • @suzukizenkou7095
      @suzukizenkou7095 17 дней назад

      島津が強いというか熊襲が強い。

  • @風来坊風
    @風来坊風 19 дней назад +4

    この続きが気になる

  • @拳王ラオウ世紀末覇王
    @拳王ラオウ世紀末覇王 14 дней назад +1

    島津氏が途中で南朝に味方したのは、そもそも今川了俊のバカが余計なことばかりやらかしたのが原因。

  • @ヒストレイン
    @ヒストレイン 18 дней назад +2

    足利2代将軍義詮の時代に、鎌倉時代、それも蒙古が襲来した頃から生きていた人物がいたというのに驚きだ。

  • @ku8687
    @ku8687 18 дней назад +1

    既存に厳しく新規に優しいのはどこの世界も一緒か

  • @だぼごん
    @だぼごん 17 дней назад

    島津貞久の正室は大友親時娘?
    島津大友惣領同士の婚姻はレアな部類だったと思います
    この時期の大友は比較的 足利にべったりなイメージがあるのですが
    貞久が日向守護を失っても足利に着いていったのは時勢の他に 大友との婚姻関係が影響していたのか気になります
    あと、日向畠山氏の出自も(平姓or源姓)気になりますね
    畠山重能┳畠山重忠┳
        ┃    ┗島津氏初代 忠久夫人
        ┗大友氏初代 能直夫人
    秩父平氏後裔が多いエリアの一つが薩摩なのも上記婚姻等を含め興味深い点です(ついでに「能」と「忠」の扱いが勘違いさせる…)
    大友氏の解説も期待しています

  • @カンナ付きやよい-n8u
    @カンナ付きやよい-n8u 18 дней назад +4

    今川了俊はきになるね。

  • @岡村浩司
    @岡村浩司 18 дней назад +4

    島津に暗君なし

  • @3910-u6s
    @3910-u6s 16 дней назад

    肝付とか伊集院っていっつも反乱起こしてるよね
    伊集院とか明治になってもやらかしてるし

  • @かわら次郎
    @かわら次郎 14 дней назад

    でも結局は島津は傍系に乗っ取られるんだろ。

  • @FREEDOM-vv3wu
    @FREEDOM-vv3wu 19 дней назад +1

    島津は源氏の御落胤説は本当?

    • @ヨシヒコ-i6u
      @ヨシヒコ-i6u 19 дней назад +3

      島津氏の初代・島津忠久は源頼朝の御落胤説がありますが、後年の創作ですね。
      年代が合わないので、可能性はありません。
      おそらく忠久と頼朝は同年代くらいの可能性があります。

    • @だぼごん
      @だぼごん 17 дней назад

      落胤説は創作の可能性が高いみたいですね
      個人的には、比企局が丹後内侍(島津忠久母)を産んだ乳で源頼朝の乳母になった可能性を感じています
      もしそうであれば、丹後内侍と源頼朝は乳兄弟と捉える事も出来そうですよね
      増して、丹後内侍の姉妹や子供達が悉くビックネームと繋がっているので、そういう面で島津忠久が頼朝の身内的な扱いを受けた可能性があったのではないかと思っています

  • @山岸英治
    @山岸英治 18 дней назад +1

    北条英時?しらない😢😢

  • @いでたかゆき-r8i
    @いでたかゆき-r8i 19 дней назад

    ーコメです